• 労働力の供給過剰は基本的にはよいことである。
ここではまず、その時の総生産(それはほぼ総消費でもある)を、働ける人間がすべて働かずになされていることを言っている。これは間違いない事実であり、否定のしようがない。次に、それがよいことであると言えるには、その総生産(総消費)が足りていることが言えなければならない。ものは足りており、そのものを少ない人で作ることができている、これが幸福なことであると言わずしてなんと言おうかと主張したいのだが、そのためには足りていることが言えねばならない。例えばこの国については、直感的にはこのように言えそうな気がするし、実際、わりあい多くの人がそれに同意してくれる。
……「開発途上国」では、人はたくさんいるのだが、ものは足りない。……一つに、生産のための資材(土地や材料や技術)がないから、……自分で作って売るものがあっても、それは安くしか買われず、あるいはまったく買われず、暮らせないからである。……それ仕事のあるところに人が移動することは、当の人々に望まれていないということを別にしても、困難である。(14)

  • 「工場法」や「家族賃金」は男の都合で作られた。
それ「工場法」や「家族賃金」の主張は、つまりは男が収入を独占するための行いであり、独占することによって女を支配したと言うのである。こうして、女性にとっての利益をまったく認めないわけではないにしても、基本にあったのは男の側の利害だったとし、ここに「家父長制」を見る議論が一つある。(13)
最終更新:2007年04月17日 20:37