『傘』


パラパラと降りだした雨が土砂降りへと変わるのに、そう時間はかからなかった。
俺は今、コンビニの軒下で雨宿りをしているところだ。
別に傘を忘れた訳じゃないんだぞ。赤城の奴が、どうしても都内に行く用事があるから雨に降られたら困る、
なんて切羽詰った顔で言うから貸してやったんだよ。
その時は問題ないと思ったけど、おかげ様でこのザマ、びしょ濡れだ。
あの野郎、何の用事かは知らんがこの貸しは高くつくからな!
しかしそれはともかく、こんな事なら麻奈実の買い物に付いて行くべきだったぜ。
「きょうちゃん、今日はごめんね~」なんて珍しく言うから遠慮しちまったけどさ。
ま、あいつもここは帰り道だし、待ってれば通るかもな。寒いけど少し我慢するか。

「あんた、なにしてんの?」
とその時、俺の耳に良く知った声が飛び込んできた。
「なんだ、お前か」
視線を向けると、怪訝そうな顔で妹が――桐乃がそこに立っていた。
また面倒くさい事にならなきゃいいが、と嫌な予感が頭をよぎる。
「傘持ってないからさ、雨止むの待ってんだよ」
「なんで今日みたいに日に持って来ないの?しょぼ」
ほんと一言多いよな、お前は!それになんだよ?その残念な子を見るような視線はさあ!?
けっ、いいけどよ。お前にどう思われようが基本的には関係ないし。
「うるせえな。こっちにもいろいろ事情があんだよ」
「はいはい。でも結構本格的に降ってきたし、待ってても止まないかもしんないよ?」
「そん時は……」
ここで言葉に詰まった。
そういやどうすっかな?あんま考えてなかった。まあいっか。幸いにもここはコンビニだし――
「仕方ねえから傘買うよ」
「ふーん……ならさぁ」
極々自然に、さらりと桐乃が言葉を続ける。
「あたしの傘に一緒に入ってく?」
「は!?」
思わず自分の耳を疑ったぜ。だってそうだろ?桐乃が、あの桐乃が俺に対して「一緒に入ってく?」なんて
優しい台詞を言うはずがない。
そうそう、きっと俺が聞き間違えたんだ。そうに違いないよ。
「だ、だから、買うのも馬鹿らしいし一緒に帰ってあげるって言ってんの!」
「な!?」
信じられないことに、どうやら聞き間違いでは無かったらしい。
ふと辺りを伺うと、道行く奴らが俺達に驚きやら嫉妬の眼差しを向けていやがる。
くっ、お前ら違うんだぞ。こいつは妹なんだぞ。
「チッ、なに?なんか不満なの?」
「いや、そうじゃ無いけど……」
確かに提案自体には不満はない。渡りに船とはこの事だしな。でも、ぶっちゃけ気が進まないんだよ。
だってそうだろ?誰が自分の事を嫌ってる相手と相合傘をしたいんだって。少なくとも俺は嫌だぜ。
だけど、そんな俺の思いなんざは、桐乃にはまったくあずかり知らぬ事だろう。
「ほら、行くよ!」
「お、おい!?」
俺は強引に傘の中へと引きずり込まれる。
「うっさい!寒いんだからグダグダ言うな!」
「……へいへい、しょうがねえな。分かったよ」
かあ~っ、もう腹を括ったよ。どうせ抵抗したって無駄だしな。

  •  ・ ・

止まぬ雨の中、一つの傘で俺達は家路を歩いている。
傍から見れば、想像するに恐ろしいが、恋人同士にも見えるかもしれない。
だけど実際はそんな甘い雰囲気は一切無くて、いつまで経ってもお互いにずっと無言のままだ。
もっとも、別に気にならないけどな。俺は話す事なんて特に無いし、もちろんそれはこいつも一緒だろうしよ。
しかしまだ秋だってのにさみーな。風も冷たいし、早く家に着かないかなあ。
はあ、と声にならないため息を吐く。
だが、そんな状況を変えたのは、意外にも桐乃だった。
「ねえ、あんたそっちの肩が傘の外に出てない?」
「あん?ああそうだな」
気のない返事を俺は返す。
おせーよ。今頃言うなっての。
「そうだなって、ずぶ濡れじゃん。もっとこっちに来なよ。嫌だけどそれくらいは我慢してあげるからさ」
「いいよ。別に俺はこれでいいって」
桐乃の言葉に軽くかぶりを振る。
何も嫌だった訳じゃない。いや、そりゃ少しは嫌だったけど、それよりも別な理由があったからだ。
でも、それをこいつに言うつもりはない。どうせ馬鹿にされるだろうし、なにより俺が勝手にやってる事だからな。
……て思ってたんだけど。
何だよその表情は?俺に近づかれるのが嫌じゃ無かったのかよ?
そういや、さっき俺を引っ張り入れる時も、一瞬だけ妙な顔してたな……。
うな垂れるように俯く桐乃。その姿は、いつものこいつからは想像も出来ないくらいに弱々しく見える。
それはまるで、初めての人生相談を打ち明けた時や親父やあやせに趣味がバレた時の、あの桐乃だ。
ここでハッキリ言っておこう。俺は妹が嫌いだ。大嫌いだよ。
だけどさ、そうだからってこいつにこんな顔させて良いなんて理由は無い。
だから――

「ちげーよ」
俺は、本心からそう言った。
「俺がもっとそっちに寄ったら、逆にお前が押し出されて濡れちまうだろ?だから俺はこれで良いんだよ」
何故だかは分からないが、妹が不安に感じてるならその原因を取り除いてやらなきゃいけない。
なんてったって俺は兄貴だしな。まあ、ちっとばかし照れ臭いけどさ。
「バカじゃん……」
小さな声音の呟きが聞こえた。ああ、確かに大馬鹿だよ。
それから桐乃は立ち止まり、ふうと一つ大きく呼吸をしたようだった。
そして
「……ねえ、やっぱあんたがこれ持ってよ」
俺に傘を押し付けて来た。
否も応も無い。無理矢理に柄を握らせやがる。
それから、自由になったその手をぬっと伸ばしてきて――腕組み!?
「お、おい!?」
「こうした方がお互いに濡れないでしょ。だから仕方なくこうすんの」
「だけどこれって……」
どう見てもカップルです。本当にありがとございました。
柔らかな桐乃の感触と甘い匂いに、俺は不覚にもドキリとしてしまう。
いやいやいや!嘘、嘘だよ嘘!妹にドキッとなんかするはずないでしょうが!?
しかしこいつ、仕方ないとはいえ、一体どんなツラで……
「ぷ。なにその顔?まさか妹と腕組みしてドキッとしちゃったワケ?うわぁ、このシスコンてばマジでキモ~!」
こんなツラでした。
てかさっきまで沈みきってたよね?それなのに何で今はニヤニヤしながら人に罵声を浴びせてくんだよ!マジ分かんねえから!
それに、俺は断じてシスコンじゃねえからな!
声を大にして抗議をする俺。だが、桐乃は知らぬ存ぜぬだ。
それどころか、ギュッとさらに強く腕を組んできやがる。
あー、もう好きにしてくれ。

「ねえ」
ひとしきり笑ってから、桐乃が興奮の収まらないような赤い顔で俺を見る。
これ以上は知るか!と言いたかったんだが、今度は素直な顔じゃねえか。
しょうがねえ。この際だし、人生相談と思って聞いてやるよ。
多分ロクでもない結果になるのは分かってるけどな。
で、なにが言いたいんだ?

「帰ったら久しぶりにシスカリ対戦やるからね。またボッコボコにしてあげるんだから!」





『傘』――桐乃視点


ちょっとした買い物を済ませお店から外に出ると、かなりの雨が降っていた。
天気予報は大丈夫だって言ってたんだけど、ほんとアテにならないよね。
でもあたしは慌てない。こういう事もあろうかと、ちゃんと折り畳み傘をカバンに用意してあるし。
超かわゆい上に準備万端だなんて流石あたしだと自分を褒めてあげたい。
まあ、それはそれとしてさ
「うう、さむ……」
この寒さ、まだ秋だってのにマジありえないんですケド。
こんな日は早く帰って部屋でエロゲーやるのが一番だと思うよ。まっててね、あたしの愛しい妹達!

「ん?」
とその時、あたしは思わず足を止めた。
と言っても別にたいした理由は無い。コンビニの入り口でつっ立っている知った顔を見つけたからだ。
「あんた、なにしてんの?」
「なんだ、お前か」
そういって間抜けな返事を返してきたのはあたしの兄貴――京介だ。
珍しい。今日は地味子と一緒じゃないんだ。
「傘持ってないからさ、雨止むの待ってんだよ」
そんな事だろうと思った。だってあんたから水滴が落ちてるもん。
まあ、水が滴っててもいい男でも何でもない地味面だけどね。
「なんで今日みたいに日に持って来ないの?しょぼ」
「うるせえな。こっちにもいろいろ事情があんだよ」
ちょっと指摘してやったら、何やらバツの悪い顔で言い訳をする。
どうせ最初から持ってないだけだろうに、恥ずかしいからって嘘ついちゃってさ。かっこわる~。
「はいはい。でも結構本格的に降ってきたし、待ってても止まないかもしんないよ?」
「そん時は……仕方ねえから傘買うよ」
「ふーん……ならさぁ」
どうしてだろう?その時あたしの口は、意思とは無関係に勝手に言葉を吐いていた。
「あたしの傘に一緒に入ってく?」
「は!?」
あたしの提案に、心底驚いたように京介が目を丸くする。
ううん、こいつだけじゃない。驚いていたのはあたしも一緒だ。
なんでこんな事を言ってしまったのかまったく分からない。とにかく何でもいいから早く理由を言わないと!
えーとえーと……。
「だ、だから、買うのも馬鹿らしいし一緒に帰ってあげるって言ってんの!」
「な!?」
ビクっと体を揺らした後で、周囲を伺うように京介がチラチラと視線を動かす。
むう?あたしがここまで言ってあげてるのに、何この態度。
「チッ、なに?なんか不満なの?」
「いや、そうじゃ無いけど……」
そう言う割には随分と露骨な表情だった。
ズキリと胸の奥が痛んだ気がして、あたしはほんの一瞬顔を歪ませる。
きっと、こいつがせっかくのあたしの好意を無下にするからだ。もうアッタマ来た!
業を煮やしたあたしは、強引に京介の腕を取って傘の中へと引っ張り入れる。
「ほら、行くよ!」
「お、おい!?」
「うっさい!寒いんだからグダグダ言うな!」
「……へいへい、しょうがねえな。分かったよ」

  •  ・ ・

止まない雨の中、一つの傘であたし達は家路を歩いている。
傍から見れば、想像するに最悪だけど、恋人同士にも見えるかもしれない。
だけど実際はそんな甘い雰囲気は一切無くて、一分が経ち、二分が経ち、五分が経っても、あたし達はずっと無言のままだ。
もっとも、別に気にはならないけどね。こいつはきっとあたしに話す事なんて無いだろうし、それはあたしだって一緒だし……。
雨脚は依然として強く、風も冷たくて思わず身震いしてしまう。さっきよりも寒く感じるのは、多分、気のせいだ。
そういえばこいつも結構薄着だけど寒くないのかな――何気なくそう思って、あたしは京介を横目で伺う。
と、そこである事に気がついた。
「ねえ、あんたそっちの肩が外に出てない?」
「あん?ああそうだな」
「そうだなって、ずぶ濡れじゃん。もっとこっちに来なよ。嫌だけどそれくらいは我慢してあげるからさ」
「いいよ。別に俺はこれでいいって」
さっきと同じような拒否だった。
さっきよりも強い痛みが、胸の奥から湧き出してくる。
なんで?なんでこんなに嫌がるんだろう?普通は濡れるの嫌だよね。さっきだって傘に入るのに全然乗り気じゃなかったし。
あたしの事、そんなに嫌いなのかな……。

「ちげーよ」
それは凄く強い言葉だった。あたしは何も言ってないはずなのに、何が『違う』のだろうか。
だけどその真っ直ぐな力強さに、あたしの胸はドクンと高く音を鳴らす。
「俺がもっとそっちに寄ったら、逆にお前が押し出されて濡れちまうだろ?だから俺はこれで良いんだよ」
そう語る京介はそっぽを向いていて、その表情は分からない。
……なにそれ。まさかそれで格好つけちゃってるつもりなの?
だとしたらあんたって本当に
「バカじゃん……」
でも分かった。あんたがそういう態度なら、あたしにだって考えがあるから。
足を止めて、一つ大きく呼吸をする。そして
「……ねえ、やっぱあんたがこれ持ってよ」
そう言って傘を押し付けた。
当然否応は言わさない。それから自由になった手を京介の腕へと絡みつかせ、腕組みをする。
「お、おい!?」
「こうした方がお互いに濡れないでしょ。だから仕方なくこうすんの」
そう。濡れて風邪でも引かれたら、傘の持ち主のあたしが責任感じちゃうでしょ?だからこうしてくっ付くの。
単にそれだけ。絶対に。きっと。多分。
「だけどこれって……」
「ぷ。なにその顔?まさか妹と腕組みしてドキッとしちゃったワケ?うわぁ、このシスコンてばマジでキモ~!」
からかうように言ってやると、慌てふためいた様子で京介が抗議の声を上げた。
あー可笑しい。ほんと可笑しくて、いつまでたってもあたしの胸の動悸が収まらない。
気がつくと、あれだけ寒かったのはずなのに、今はとても暖かった。
こうして腕組みしてるお陰かな?きっとそうだよね。うん、だから絶対にこの腕は離してあげないんだ。
「ねえ」
そしてあたしは、再び京介に人生相談をする。
今度はちゃんと自分の意思で。

「帰ったら久しぶりにシスカリ対戦やるからね。またボッコボコにしてあげるんだから!」




タグ:

高坂 桐乃
+ タグ編集
  • タグ:
  • 高坂 桐乃

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年01月17日 11:54
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。