兄妹ゲンカ


「黒猫さんと、こんな風に会うなんて初めてだねえ」

私の目の前に居るベルフェゴールが柔和な表情を浮かべながら私との会話を
試みている。現世では彼女と一対一で会うことなどあり得ないはずだった。
だが、あの女からのあの電話が、私とベルフェゴールの対峙を強制させたのだ。

『あのさ‥‥‥、アタシ、もうダメかもしんない』

あのスイーツ(笑)から電話がかかってくること自体は奇異な話ではない。
問題はあの女の様子だ。
現世ではあり得ないほどに狼狽した様子で電話をかけてきたのだから。
一体、何があの女の身に降りかかったというのか。

千葉の堕天聖を此程までに揺れ動かす、あの女の狼狽振りは一体何なのか。
大方、あの女が兄と呼んでいる破廉恥な雄との間での揉め事が原因だろう。
だから私に泣きついてきた、というのは容易に想像できる。
だが何だろう? この胸騒ぎは。際限なく湧き出る悪い予感が心から溢れ出る。
私の予感は悉く的中するのだ。
その的中能力を此程までに否定したくなる瞬間など嘗て無かった。
だが今は違う。切に希求している。予感が外れて欲しい、と。

「もしかして、桐乃ちゃんのことを相談したいのかなぁ?」

ベルフェゴールは、私を包んでいる妖気を容易く破って心の中を読み取った。
流石ね。私が一目置くだけのことはある。
フフッ。私の心を読み取った褒美に、私との精神の交流を認めてあげるわ。

「あ、あの‥‥‥あの女に一体何があったのかしら?」
「う~ん、心当たりはあるけどお、多分、きょうちゃんとのことじゃないかなあ」

やはり、あの雄が絡んでいるというのか。
この世で何年あの女と時を刻んでいたのか。
なぜ未だにあの女を御することができないのか。
全く、情けない雄だこと。
私の心は、あの雄に対する罵倒めいた疑問で埋め尽くされた。

「兄さん‥‥‥と何があったというのかしら?」
「う~ん、話してもいいけど‥‥‥黒猫さん、取り乱さないって約束できる?」

クッ! この女、私に悪魔との約束を要求するのか。許されなくてよ!
だが、悪魔との約束など、私が現世における立ち振る舞いを定めた
私自身の縛りから逸脱するに過ぎない。
あの女が陥った苦しみが悠久の刻を越えぬようにしてやることが
現世での私の使命。それが私の結論なのだから。

「ええ。約束するわ」
「ほんと? 取り乱さないって約束してね!」
「覚悟は決めているわ。何せ悪魔と契約したのだから」
「あくまとけいやく?」
「いえ、何でもないわ。さあ、話して頂戴」
「じつはね‥‥‥」

‥‥‥‥‥‥


「オイ桐乃、オマエ、髪の色を戻す気ないか?」
「ハァ? 何、バカなこと言っちゃってんの?」

俺のベッドに寝そべってファッション誌を読んでいる図々しい様子の
我が妹・桐乃への頼み事はあっさりと否決された。

「いや、何か懐かしくなってな」
「うげえ~、シスコン、キモお~」
「オマエ、元々黒髪だろ。黒髪のオマエってどんな感じかと思ってな」
「黒髪じゃなくて、茶色がかってたでしょ! 覚えてないの!?」

ここの所、俺は桐乃に髪の色を変えてみないか? と言い続けている。
今でこそライトブラウンに染められたロングの髪が桐乃のトレードマークだが、
元々は茶色がかった黒髪で、俺はその頃の桐乃が無性に懐かしくなっていた。
勿論、桐乃には読モとしての仕事もあるわけで、そう簡単に髪の色を変えること
なんて叶わないことは解っているつもりだ。

「訊きたいんだケド。なんでアンタ、アタシを黒髪にしたいワケ?」
「いや、だから懐かしさってのがあってだな‥‥‥」
「ウソつくな!」
「いきなりウソ吐き呼ばわりかよ。昔を懐かしむのがそんなにおかしいのか?」
「『昔を懐かしむ』ねえ‥‥‥んじゃ、コレはナニ?」

そう言うと、桐乃は俺のベッドの下から『男の宝物BOX』を引っ張り出す。

「お、オマエ! 何をすんだ!?」
「何なのよ、コレはッ!?」

桐乃がBOXの中から取り出した一冊の本。
俺が入手したばかりの黒髪特集本だ。言っておくが薄い本ではないからな!
一応、Amazφnでは18禁ではないカテゴリーだ!

「こーんな本に影響されちゃってさ。
 『今こそ、黒髪!』『黒髪に興味がないなんて、人生を損している!』
 『黒髪・眼鏡・妹は萌え三種の神器』って、ふ~ん。こんな趣味なんだ」

記事の煽り文句を読み上げる我が妹を前に、俺はあやせに会いたくなった。
正確には、死にたくなったわけで。

「わ、悪いかよ!? 別に俺がどんな趣味でもオマエには関係ないだろ!」
「関係あるっつーの! こんな趣味の兄貴がいるなんて最っ低!!」
「18禁じゃないし! オマエのエロゲー好きよりははるかに健全だろ!」
「なッ! うっさい! この変態!!」


桐乃は俺の部屋を飛び出し、自分の部屋に籠もってしまった。
クソッ! 実にくだらないことで妹とケンカをした俺は自己嫌悪に陥った。
自棄になりベッドに身を投げると、薄い壁の向こう側から話し声が聞こえる。

『あのさ‥‥‥、アタシ、もうダメかもしんない』

誰かと電話しているようだ。相手はあやせだろうか?
もしそうだったら速攻で俺の電話に公園への呼び出しが来るはずだが、
それも無かったからきっと違うのだろう。

ああ、実にイラつく。多分桐乃も同じようにイラついているかもしれない。
こんなくだらないことでお互いにイラつくなんて損だ。
桐乃の誹りを受けたときにエロゲーの話を持ち出した俺も大人気なかった。
それに、俺は妹ともっと仲良くなりたいという重篤なシスコンだからな。
ここは‥‥‥俺から謝るとするか。

コンコンコン ガチャ

「桐乃。さっきは悪かっ‥‥‥」

返事を待たずに妹の部屋のドアなんて開けるもんじゃないよな。

「ぬあっ! 勝手にドア開けんな!! 変態!!」
「オ、オマエ、それ‥‥‥」
「うっさい! 見んな! バカッ!!」

桐乃は黒髪+眼鏡という出で立ちで俺にご褒美、もとい罵声を浴びせる。

「なんだよ、その格好!?」
「ア、アンタの趣味ってどんなもんか試しただけだっつーの!」
「ホントか?」
「嬉しそうな顔すんな! マジキモい!!」

いかん。感情が顔に出ていたらしい。
それにしてもその黒髪はどうしたんだ? まさか染め直したのか?

「ああいうのに興味あるみたいだから、黒いウイッグと眼鏡を用意しただけ!」

そういうことか。でも‥‥‥クソッ! そんなの反則だろうが!
黒髪+眼鏡の姿が反則ではなく、そういう用意をしてくれたことが
途轍もなく愛おしく感じられる。
さっきまでクソアマと思っていた妹が途端に可愛く見えるようになった。


「桐乃」
「ナニよ? 何か文句あるワケ?」

ぎゅっ

「ちょ、ナニすんのよ!? 放せっての!」

今この瞬間の感情を最大限に表現できる簡単な手法を採った俺に桐乃は抗った。

「悪かった」
「え?」
「オマエの考えを無視して髪の色を変えろなんて言って悪かった」
「‥‥‥」
「そんな用意をしてくれるだけでもう充分だ」
「ナニ言っちゃってんの? バッカみたい」
「ああ、バカだ。外見ばかり見て、オマエの内面を見なかった俺はバカだ」
「ばか‥‥‥」
「それに、エロゲーの話なんか持ち出して悪かった」
「アタシもアンタの‥‥‥アレを勝手に見たりしてゴメン」

『妹ともっと仲良くなりたい』という俺の想いは通じたようだ。

「あ、えっと‥‥‥?」
「何だ? どうした?」
「アタシ、何かしなきゃいけないことがある気がするんだけど、何だろ?」
「忘れるってことは、『しなきゃいけない』って程のことじゃないんだろ」
「そっか。そうだよね」

おかしなヤツだ。でもそんな桐乃も今は愛おしく見える。
フン。シスコンだと笑いたければ笑え。

「桐乃‥‥‥」
「京介‥‥‥」

‥‥‥‥‥‥


「‥‥‥というわけなの」
「‥‥‥‥‥‥」
「えーっと、黒猫さん?」
「さ、参考までに訊きたいのだけれど、その後、あの二人はどうしたのかしら?」
「わかんない。きょうちゃんから聞いたお話はそこでおしまいだから」

あのスイーツ(笑)からの思わせ振りな電話は何だったというの。
私の胸騒ぎはどうしてくれるの。
際限なく湧き出た悪い予感はどう始末してくれるの。
あの愚かしい兄妹が演じた矮小な争いに巻き込まれるとは、私もとんだ道化ね。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥フッ、クククク」
「黒猫さん!? だいじょうぶ?」
「え、ええ。大丈夫よ。これしきのことで千葉の堕天聖の心は折れないわ」
「せんようのだてん‥‥‥?」
「いえ、気にしないで頂戴」
「黒猫さん、ひょっとして相談事ってかいけつしたの?」
「ええ、勿論よ。完璧に解決したわ」
「よかったあ。うふふふ」

ベルフェゴールからは何らの邪気も感じられない。
此が“天然”の成せる技なのだろうか。
それに対して今の私は‥‥‥フッ、クククク。
ああ呪わしい。この怨念を一体何処に葬り去れと言うの。
リア充兄妹は死ね!


『兄妹ゲンカ』 【了】





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最終更新:2011年08月30日 00:45
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