或る妹の追憶


 窓から、空を見上げる。
 空は輝かんばかりに青色が広がっていて、あたしの気持ちをどこまでも憂鬱にする。

 ……やっぱ、無理だったのかなぁ。
 今頃、皆はトレーニングを積んでいるのだろう。ここで一勝も出来てないあたしが、こうして部屋から窓を見つめていて。
 勝利を重ねている人たちは、今もまたトレーニングを連れて、速くなっていく。
 差が、また開いていく。

 なんとかなる、と思っていた。当然、楽勝とは想像してなかったし、絶対キツいって分かっていた。けど、それでもなんとか届く。指の先だけでも触れる事が出来る。そう考えていた。
 だが現実はどうだ。あたしは、友人たちに連絡さえ取れず、一勝すら奪い取れず、部屋の中から空を見上げている。

 悔しい。当然、悔しい。勝てないのは悔しい。結果を出せないのは悔しい。
 けど、勝負の世界に情けなんてないし、だからこそ、あたしはここまで没頭が出来る。
 自分の成長を実感できるのだ。

 そもそも、自分が何故、こんな走る事が好きになったのか。
 きっかけは、遠い過去の事だった。

「このゆび、とーまれ!」

 あたしは、この言葉が好きだった。

 理由は今でも分からない。ケド、兄貴がなんか新しい遊びを考案して、指を頭上に伸ばし、そう声を上げる。
 そうすると堪らなく嬉しくなって、あたしは必死で兄貴の側に近づいて、指に手を伸ばすのだ。そんなあたしを見て、兄貴はあたしの手が届く位置まで指を下ろしてくれる。
 時には意地悪をして、わざと届かない位置で止めたりするケドも、あたしはそういう兄貴の行動が好きだった。

「へへっ、つぎはなにをやるのー?」
 でもいつからだろうか。その指を一番に掴むのはあたしじゃなくなっていた。

 兄貴と同じ年の、女の子。
 あたしでは届かない位置の指を、当たり前のように掴む。
 どんなに離れた位置に居ても、一番に兄貴の近くまで来て、その指に触れる。
 それが、……とても嫌だった。
 理由は今でもよく分からない。ただ、凄く悔しくて、悔しくて。

 当時、まだ足が遅かったあたしは、誰よりも速く兄貴の近くにいけるよう、走る練習を始めた。そして、決めたのだ。この女の子よりも、兄貴よりも速くなってみせようと。
 それから沢山、走った。いつからか、走る事自体が好きになっていった。
 けど、練習に没頭すればする程、皆で遊ぶ時間が無くなっていった。
 ある時、運動会で一位を取った。お父さんも、お母さんも喜んでくれた。沢山褒めてくれた。

 けど、あたしの目に止まったのは、観客席で一緒にじゃれ合っているあの二人。

 それから、それから。
 あたしは、いろんな事を頑張った。

 勉強も沢山した。走る事も続けた。今からしてみると焦っていたように思える。
 結果を、結果を出さないと。あの日、届かなかった指にあたしは届かないままなのではないか。

 しかし、一度ズレてしまった関係は、あたしの努力とは無関係に、離れていく。

 ある日、あの女の子と喧嘩をした。……思い出すだけで、嫌になる。
 分かっている。悪いのはあたしだった。けど、それでもあたしはそれを認める訳にはいかなかった。

 今までの努力が全て水の泡になってしまう事をあたしは恐れたのだ。

 ある時、道端でチラシを見つけた。

 そこには、こう書かれていた。
 兄と妹の、切ない恋愛ストーリー。

 その時、何かがあたしの身体を貫いた。それから、あたしは何をしていても、それが気になって仕方なくなった。だから、小遣いとお年玉を貯めて、それを買った。
 幸いにして、勉強という名目であたしの部屋にはパソコンがあった。
 そしてプレイして、何かがあたしの中で満たされるのを感じた。

 それは、なくしてしまった兄妹関係を、埋めるようなそういう行為だったのかも知れない。


 次から次へと作品が出るのを全て買うのには、お金が絶望的に足りなかった。
 その時、ファッション雑誌に目を止める。
 ……綺麗になれば、もしかしたら。
 そのついでにお金まで貰えるなら一挙両得だと思って、応募した。

 結果として、どの行いも離れていく関係を止める事は出来なかった。
 自分の努力が報われない事に苛立って、八つ当たりする事も多くなった。
 そして、そして。兄妹の冷戦は、そうやって始まって行ったのだ。

「あれ……?」

 気付けば、あたしは泣いていた。
 青かった空は、少し夕刻の色を帯びていて、あれからかなりの時間が経っている事が分かった。

「なんで……あたし、泣いているんだろう」
 今は泣く事なんて何もない筈だ。兄妹の関係だって、ずっと良くなった。

 ううん、分かってる。
 きっかけは、全部、兄貴だった。
 走ることも。
 妹が好きなのも。
 モデルを始めたのも。
 きっかけは、全部、兄貴だった。

 あたしは、その今までを、捨てようとしている。
 兄貴に、昨日送ったメール。
 あれは、決別のメールだ。
 兄貴から始まったあたしを、終わらせる為の、決別のメール。
 他ならぬ兄貴によって、あたしの今までを、捨ててもらう。

 これは、必要な事だった。
 あたしは、自分の力で歩き出さないといけない。
 いつまでも兄貴の後を追いかけていてはいけない。
 そうしないと、兄貴をいつまでも頼ってしまう。
 だから、だから。

「…………ッ!」
 この涙を、あたしは止めないといけない。もう泣いているあたしを慰めてくれる人は居ないのだから。
 頭を撫でて、頑張ったなと言ってくれる手は無いのだから。

 それから、どれだけ経っただろうか。
 窓を見ると、既に夕刻の色合いをしていた。

 ……そろそろ、ルームメイトが戻ってくる。あの子に泣きはらした目を見せたら何を言われるか分からない。効果があるか分からないが、目薬を差して顔を洗う。
 よし。これでいつものあたしだ。

 夜。

 あたしは、兄貴と一緒に居た。
 兄貴はあたしのベッドで、既に寝息を立てている。

「ったく。……あたしのベッドなんだから、もっと緊張ぐらいしなさいよね」

 しかもあたしと二人っきりだっていうのに、あっさりと寝入ってしまった。
 あんだけ恥ずかしいセリフをあたしに放っておいて、よくもこうも眠れるものだ。
 エロゲーだったらエッチシーンが始まっても可笑しくないイベントだったと思うんだケド。

 べ、別にそういう展開を期待してるワケじゃないけど! キモいし!
 でも、でもさあ?
 あんな恋人に向けるみたいな言葉をあたしに向けておいて、こうあっさりと眠られるとなんて言うか、アレじゃん?
 つかドキドキしちゃったあたしが馬鹿みたいじゃん?
 いやドキドキって当然、襲われるかも知れないという恐怖感からだかんね?

 因みに、兄貴があたしのベッドを使って、あたしはリアのベッドを使う事になっている。
 というかあたしがそう決めた。リアは別に気にしないだろうけど、やはり全く知らない他人の男に使われるよりは、あたしに使われる方が良いに決まってるし。
 それに兄貴がリアのベッドで眠るという事に、何だか強い抵抗感があったからだ。

「…………」

 こうして起きててもなんだし、あたしも寝ようかな。
 そう考えて、リアの布団の中に潜る……が、眠れない。

 や、やっぱ他人の布団だと眠りにくいって。ホラ、枕が変わると眠れないって言うじゃん?
 別に兄貴がいるせいで落ち着かなくて眠れないって訳じゃないんだケドさ。。

 ……そ、そう、枕。枕が違うからいけないんだ。
 だ、だからこれは深い意味なんてない。
 リアの布団から身を起こし、そーっとあたしのベッド……兄貴の寝ているベッドに近づく。

「……ふん。間抜け面晒しちゃって」

 兄貴の寝顔をチラッと見やる。気持ちよさそうに寝ている。
 何だかムカムカしてきた。

 だ、大体あんたね! こんな場所まで迎えに来る、フツー?
 お陰であたしの決心が滅茶苦茶じゃん!
 せっかく、せっかくさー!
 あたしがあんたに頼らなくても大丈夫になろうとしてたのにさ……。
 ……言っておくけど、手遅れだかんね。
 もう無理だから。唯一のチャンス、あんたが捨てたんだから。
 もう、離れてやんないんだから。
 寝ている兄貴の顔を覗き込むようにして、顔を近づける。

 あんたが、……悪いんだから。
 近づけて、近づけて、あと少しで唇と唇が触れ合うという所で。
 顔を横にずらして、兄貴の頬へキスをする。

 …………。
 自分の行為に、耳まで赤くなっているのが分かる。
 ま、こ、こここんぐらいなら、この国なら、当たり前だよね?
 …………。
 何だかそこに立っていられなくなって、あたしは慌ててリアの布団に戻る。
 あのまま、兄貴の顔を見続けているとより危ない事をしでかしそうになる。
 …………。

 今夜はあたしにとって、長い夜になりそうだ。





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最終更新:2012年06月26日 10:53
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