ちょっと違った未来30

「ちょっと違った未来30」 ※原作IF 京介×桐乃 黒髪桐乃の過去編



 ――12月、クリスマス前――



「はやくはやく!京介君!こっち~!」
「はは、そう急ぐなよ桐乃」

 12月クリスマス前。恋人達の為の季節。

 東京でも粉のような淡い雪が降り恋人達の思いを美しく彩っていた。

 あたし達はあの日約束した「最後の時間」を今日一日共に過ごすため今ある所にいる。

 彼の部屋で彼にずっと抱きしめていてほしいという事も考えたが、やはり最後は「本当の恋人」らしいことをしたかった。

 何でもない日々を共に歩き、共に笑い、共に喜び、共に愛する…。

 彼と結婚し妻として彼の身の回りのお世話をし、彼との赤ちゃんを産んで…。

 彼との、京介君との赤ちゃんが出来たら一体どんな子になるのだろうか?男の子かな?女の子かな?彼似かな?それともあたし似かな?一人かな?それとも双子だったりして?それから六人も七人も、それこそ野球が家族で出来るくらいたくさん産んで…。

「ふふ…」

 京介君は子煩悩になりそうだ。この人は外ではクールな人だけど、あたしの事になるといつもデレデレしてくれるから。…生まれたばかりのあたし達の赤ちゃんの子育てに苦戦してほっぺたをぷにぷにされている京介君が容易に想像できた…。

「うふふ」
「?なんだよ。どうした桐乃、一人で笑って」

 京介君は穏やかにあたしに聞いてくる。まるであたしの一挙手一投足すべてが愛おしいというばかりに。そしてあたしも…。

「今日は…楽しくなるといいね…」
「…ああ…」

 京介君の左手の指にあたしの右手の指を絡める。…もう二度とお互い離れ離れにならないように…。

 そうしてあたし達の「最後の恋人の時間」が始まった。



~~~



「え~と…。あ!あった!京介君!あっちあっち!」
「え~と…どこだ桐乃?」
「あ、あれだと思う!うん!きっとそう!」

 今あたし達はある所に来ている。その場所を京介君に言った時彼は「?」という疑問符をその顔に貼り付けていた。…まあ彼にはあまり縁がない場所なのかもしれない。

 かくゆうあたしもここに来るのは今日初めてだ。以前から雑誌や実家のテレビでどんなところなのか街の状況が流れているのをよく見ていた。そしてその中でも興味が尽きないものがあったのだ。

「おい桐乃。…そっちはこの地図とは反対じゃないか?」
「え?…あ!」

 道案内はあたしがしている。ここに来たいと誘ったのはあたしだし誘われたのは彼だ。エスコートは男の子がするもの、なんて古い考えのような気がする。女の子だってこうして大好きな男の子を楽しませてあげたいのだ。

 そしてあたしの手にあるはスマートフォンにある場所検索機能。

 現代機器の恩恵で今日のデートは完璧よ!などと思っていたが…道具はやはり道具であり、使用者によってその能力が十全に発揮出来るか出来ないかが決まるものらしい。それはアナログでも最新デジタル機器でも同じだった。

「全く…ほら、貸してみろ」
「うん…」

 京介君はあたしのスマホを手に取り器用に検索していく。初めて使うはずのあたしのスマホなのに、ものの数秒でその機能を頭で飲み込み綺麗に指先をタッチパネルに滑らせていく。

「やっぱり反対だったな…」
「うう…ご、ごめんなさい…」

「はは。別に構わないさ」

 ポン、とあたしの頭に京介君は手のひらを乗せる。

「ぁ…」
「…」

 なでなでなで…。彼に頭を撫でられる。

 一本一本の毛を優しく柔らかく傷つけないように…その大くて堅い、けれど柔らかい手のひらであたしの頭を撫で回す。

「…」
「はう~」

 なでなでなで…。ああ…気持ちいい…。まるで天国にいるみたいだよぅ…。

優しい笑顔で微笑む京介君と彼にされるがままのあたし…。10分が経った。そうしていると…。

じ~。

「…」
「…あ」

 忘れていた。ここは往来の真ん中だった。そしてここは「そういうこと」にはあまり縁がないといわれる人達が集まる街でもある。

 その証拠に小さな聞こえるか聞こえないかの声で「リア充爆発しろ!」とか「喧嘩ですね?喧嘩を売ってるんですね?」とか「よろしい、ならばクリークだ!」とかが聞こえてくる。…リア充ってどういう意味だろう?

 あと「ふひひひひ。くんかくんかしたいお」なんて言葉を飛んできて、ゾッとした。悪寒が走ったその瞬間、京介君があたしを抱きしめながら言葉がした方向へその鋭い視線を飛ばして黙らせてくれたけど…えへへ。

「い、行くぞ桐乃」
「…うん!」

 そうしてあたし達はぎゅっとお互いの手を絡め合い、「そこ」に向かって歩き出した。



~~~



「星くずういっち!!はぁ~じま~るよぉ~!!」


「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」


 ステージの上では小学生のようなコスプレをした小さな女の子が流れる曲に合わせて歌いながら踊っている。

 それに合わせるように周りの「オタク」といわれる人達も皆が皆絶叫。会場はとてつもない熱気に包まれ、どの人も恐ろしいくらいフィーバーしていた。

 ここは東京・秋葉原にあるステージ会場。そしてこの「星くずういっち☆メルル」のイベントは今日だけ無料で誰にでも来場を開放していた。なんでも副題は「帰ってきたかなかなちゃん~」だった。そういえばこの子どこかで見たような…?まあいいか。

 酷い頭痛を耐えるようにこめかみを指先で揉みほぐす京介君を尻目にあたしも、

「きぃゃあああああああ!!!!かなかなちゃあ~~~~ん!!!!」

 周りの人達に負けじと声を張り上げていた。その瞬間…。

「…ぅぁぁ…」

 ステージ上のメルルことステージコスプレイヤーのかなかなちゃんが一瞬だけ曲に合わせる音程を外し、こちらを凝視していた。それは何か知り合いの信じられない姿を見た、と言わんばかりの顔だった。?一体どうしたのかな?

 もっともすぐさま歌と振り付けに戻ったが。


「め~るめるめるめるめるめるめ!め~るめるめるめるめるめるめ!!」


「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」


 巨大な熱気の渦が巻き込むように流れている気がした。その流れに負けないようにあたしも、

「め・る・る!め・る・る!はいはいはいはい!!」

 その日ステージ上のかなかなちゃんはあたしの方を見ようともせず(何故かあたしの声が聞こえるたびに冷や汗が流れていた。何故だろう?)そのステージを歌いきった。

 そして京介君はずっとこめかみを指で揉みほぐしつつ顔をしかめていた…。



~~~



「あ~!面白かった!」
「…」

 会場でのステージ帰り。あたしと京介君は次なる場所へと向かっていた。

「おまえ…あんなのが好きだったのか…」
「え?」

 げっそりとどこか痩せこけた京介君がそこにいた。心なしか生気を全て吸われた感さえする。気のせいだろうか。

「…いや。何でもない」
「んん~、ん~とね…」

 どう説明したものかな…。

「い、いつもよく本とかで見てて…。か、可愛いな、って…」
「…」

 京介君は無言だ。

「あ、あれ?か、可愛くなかった?」
「…俺にそんなこと聞くなよ」

 京介君はそっぽを向いている。うう~。

「つ、次はどこ行こっか!」
「どこに行きたい?」

 メイド喫茶にラジオ館にアニメ屋さんに行きたいところはいくらでもある!電子器具の店もたくさんあるみたいだし理系の京介君も楽しめるはずだ。

 今日はいくらでも歩けるように動きやすいスキニージーンズを履いてきている。それにおろしたての黒のコンバースのキャンパスシューズ。今年の3月の大学入学前に買って12月に入ってやっと日の目を見ることができた。

「ふふ…」
「?どうした桐乃?」

 こうしてると…。

「なんだか…本物の「恋人」みたいだね…」
「…」

 そっと、彼の手を握る。

「ねえ?京介君」
「うん?」

 そして…そしてここ秋葉原に来てからずっと感じていたこの気持ち。

「あたし達って…ここに何度も何度も来た事があるような気がするね…」
「…」

 ずっと違和感を感じていた。

 ここ秋葉原はあたしにとって初めて来た街だ。京介君もそうだと来る前にそう言っていた。

 でも着いてからなんとなく何度も来た事があるような気がするのだ。

 何故だろう?

「…」

 京介君はあたしに何も答えない。じっと何かを考え、しかし優しい目であたしを見つめる。

 そうしていると…。


――そんな~優しくしないで~♪


 いいメロディ…。こころが落ち着くもののどこか切ない感じがするメロディ…。なんだろう?この曲どこから…。

 そこには秋葉原にある店の街頭パネルで昔のアニメ、準懐古作品集~と題して映像と音楽が流れていた。説明によると、素直になれない中学生の妹に対してお兄ちゃんが奮闘するという物語だった。

 タイトルは…。

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない、か」

 隣で京介君がタイトルを呟く。こういったジャパニーズカルチャーに対して全く興味を示さない京介君にしては珍しく、パネルに注視していた。

「…」
「…」

 一緒に作品の概要を並んで見る。お題は「10分でわかる!俺妹!」だった。

「これ…」
「ああ…」

 この作品って…。

「主人公の男の子、京介君にそっくりだね」
「妹の女の子、桐乃にそっくりだな」

「え?」
「え?」

 あたし達は自分が思っていることとお互いに「反対のこと」を同時に言い合った。

「ちょっと待て。俺があの主人公の兄貴とどこがそっくりなんだ?」
「そ、それはこっちが聞きたいよぅ。あの妹の女の子とあたしのどこがそっくりなの?」

「そ、そっくりのヘアピンつけてるし…」
「それはたまたまでしょう?」

「か、顔だって…」
「あ、あたしあんなに目がきりっとしてないよぅ。そ、それともなに?!ま、丸顔だって言いたいの?!」
「い、いや。そうじゃなくてだな…」

 ぷんぷん!少し気にしてるのに!

「か、髪だって…」
「髪型だけでしょう?あの女の子は綺麗なライトブラウン、あたしは黒髪!」
「そ、そうだな…」

 あれ…もしかして人生で初めて京介君のことを言い負かした?

 うふふ…やったぁ~!!あの、あのおにいちゃんを言い負かすことが出来た!あたしだって、あたしだってやれば出来るんだ!もしかして将来は弁護士?!アナウンサー?!

 …言っててそれだけの頭がないことに気づく。がっくし。

 そうしていると今度は京介君が、

「じゃあ俺があの兄貴とどこが一緒なんだよ。言ってみろよ」
「え?」

 どこが一緒…?う~んとね…。

「せ、背格好とか…?」
「あれくらいの背丈の男はどこにでもいる」

「か、身体の体型…」
「俺はあそこまでなよなよしていない」

「あ、あの目とか…」
「なんだ?俺はあんなにやる気がなくて隙だらけのように見えるのか?」

 うう~!

 今度はあたしが逆にコテンパンに言い負かされた。悔しい~!

 あたしのそんな姿を見てにやりとドヤ顔を決める京介君。む、むきぃーーー!!

「もう!京介君なんて!京介君なんて…!」
「…京介君なんて…?それから何だ?」

 京介君はじっとあたしの顔を見つめる。愛おしいそんな彼に向けて…。

「…大好きなんだから」

 顔が真っ赤。悔しい。あたしの心はすでに目の前の人にがっちりと掴まれている。彼のすべてにあたしというあたしのすべてが惚れ込んでいる。

「…」

 京介君はそんな焼きリンゴみたいに真っ赤に顔を染めるあたしを見て愛おしそうに微笑んでいる。

 街頭の電子パネルから「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のお兄ちゃんの男の子と可愛いけれど素直じゃない妹の女の子が楽しそうにしている。

 楽しそうとはいっても妹の女の子がお兄ちゃんの男の子に対して我がままを言ったり拗ねたり時にはビンタをしたり…。うう~。やっぱりあたしになんか全然似てないよう~。

 でも、この妹の女の子が何故こんなにまでお兄ちゃんである男の子に対してツンツンしているのか…わかる気がした。

 この子はおそらくお兄ちゃんのことが好きなのだ。大好きなのだ。愛しているといってもいいのかもしれない。


だからこそ素直になれない。


「…」

 本当に嫌いならこんなにまで感情を剥き出しにしたりなんかしない。本当に嫌いならこんなにまで悪態をついたりなんかしない。この子はただお兄ちゃんに構って欲しいだけなのだ。

「ふふ…」
「?なんだよ」

 京介君が怪訝そうな顔であたしを見る。やっぱり…。

「やっぱりおにいちゃんの言うとおりだなぁって!」
「?」

 やっぱりこれはさっき京介君が、おにいちゃんが言ったとおりだ。そしてあたしの言った事も…。

「おにいちゃんとあたしってお似合いだね、って」



~~~



 カランカランカラン♪

「いらっしゃいませ!ご主人様、お嬢様~!」

 次にあたし達が入ったのは喫茶店。それも…。

「ご主人様とお嬢様は本日初めてですかぁ~?それでしたらこちらにご案内致します~!」

 そう。ここは秋葉原名物といわれる喫茶店、メイド喫茶だった。

「…」
「えへへ~♪」

 周りは可愛いふりふりのフリルがついたメイドさん達がたくさんいた。

「いいなぁ~」
「…何がだ?」

 あたしはメイドさんのふりふりを見て、

「あたしも、ああいう服を着てみたいな…」
「…」

 そういうと何故か京介君は鼻を指で軽く押さえて赤面した。?

「?どうしたの?」
「…いや。何でもない」

 気にしないでくれ、と言う京介君の後ろに、

「…」にやにやにや

 さっき出迎えてくれたメイドさんが立っていた。あたし達を見てにやにやしている。

「ご注文はお決まりでしょうかぁ~?ご主人さま。お嬢様」

 京介君は憮然とした顔をする。

「ご主人様とお嬢様は恋人さんですか~?」

「ふぇ?!」
「…」

 や、やだぁ~!あ、あたし達って、や、やっぱりそう見えるのぉ~!?

 ぶんぶんぶん、と顔をにやけながら振り回すあたしを京介君が止める。目の前のメイドさんも顔をひくひくさせていたがすぐに仕事での完璧な営業笑顔(スマイル)になった。

「こ、恋人様ですとカップルでのメニューがあります~。こちらのパフェなど如何ですか~?」

 うわあ~!これ美味しそう~!

「いや…俺は甘いものが、」
「これにしますっっ!!」

 あたしは即答していた。

「お、おい桐乃…」

 何かを言おうとしている京介君を置いて、

「かしこまりましたぁ~!それでは少々お待ち下さいご主人様、お嬢様!」

 そう言ってるんるんとしたステップを踏んで調理場のほうへ去っていった。


~~~


「うう~~ん!!美味しい~~!!」
「…」

 運ばれてきたパフェはカップル専用の大きなグラスに入っていた。

 スライスしたイチゴにバナナ、バニラとチョコのアイスに生クリームがふんだんに詰め込まれ、上からチョコレートソースがたくさんふりかけられている。そして…。

「はい♪あ~ん♪」
「…ぅぁ」

 あたしは京介君にパフェのアイスを載せたスプーンを口に運ぶ。京介君はそれをじっと見つめる。

「はい、あ~ん♪」
「…」

「あ~ん♪」
「…」

「ああ~ん♪」
「…あ、あ~ん…」

 パクッ。もぐもぐと口にパフェのアイスを含み喉に嚥下した。

「ふふ♪美味しい?」
「…ああ」

 京介君の顔は物凄く真っ赤だった。見れば汗が少し浮いている。…可愛い♪

「ふふ。あたしも食べちゃおうっと!」
「…なんでこのパフェはスプーンが一つだけなんだ…」

 あたしがパフェのイチゴを食べる目の前で京介君は頭を抱える。すると、


「カップル専用ですから~♪」


 にやにやとしながらさっきのメイドさんが声をかけて去っていく。


「ほ~らぁ」
「ん?」

 あたしはもじもじさせながら、

「つ、次は…おにいちゃんに食べさせて欲しいな…」
「…」

 今度こそ彼の顔は沸騰しそうなくらい真っ赤になっていた。どうしよう。凄く可愛いんだけど。

「ほ、ほら!カップル専用だし!こうしないとル、ルール違反なんだから」
「…まじかよ」

 そういっておにいちゃんはあたしとさっき食べた彼の唾液がついたスプーンにバナナを載せてあたしの口元に運んできた。

「…」

 顔を真っ赤にさせて手がこころなしか少し震えている。…年上の男性のこういう姿ってどうしてこんなに可愛いんだろう。京介君は普段が普段だからそのギャップは凄かった。

 こういうのって世間じゃツンデレ(?)って言うんだって。

 ぱく。

「…」
「…美味しい」

 あたしの口から彼との唾液がついたスプーンが離れていく。スプーンとの間に小さな橋が出来ていた。

「…うまいか桐乃」
「…うん。お、おにいちゃんに食べさせてもらってると思うとね、思うと、」

 心の中がとろとろになっちゃうの。

 …そう言おうとした瞬間、


「ふふ…見てられないわね。人間共の堕落した姿は」


「え?」
「…」

 声のほうへ振り返るとそこには。

「く、黒猫さん。し、新規のお客様ですから。大目に…」
「何よ。出しゃばらないでくれるかしら、きららさん」

 さっきのメイドさんがあたふたとしつつ、そして諦めたように奥の調理場に戻る。

「…」
「えっと…」

 声の主は凄いふりふりのレースばかりがついた漆黒の衣装を身にまとっていた。あたしより背が少し低くて綺麗な髪と透き通るような白い肌が印象的だった。冷めた瞳であたし達を見つめるその姿はまさしく氷の美女、といった言葉がすぐに連想された。

「…あ、あの~。ど、どちら様で…」

 尋ねるあたしを見てふんっ、と一瞥した後。

「我が名は黒猫。千葉の堕天聖と人は呼ぶわ」

 バッバッバッバッバッ!

 優雅に座っていた椅子から立って何か虚空に「印」を結びつつ、片足を上げたポーズでそう告げた。

「…」
「え、え~っと…」

 京介君が何か得体のしれない生き物と遭遇したかのように顔をひくひくとひくつかせている。周りの男性客が「黒猫たんの異次元第一障壁解放キターー!!」とかよく意味がわからないことを言っている。

 えっと…。

「…桐乃、目を合わせるな。ああいう手合いは関わらないことが一番なんだ」
「きょ、京介君、」

「き、聞こえたわよッ!そこの貴方!」

 黒猫(?)といわれた人が席を立ってこちらに向かってくる。

「人間の雄の分際で随分と虚仮にしてくれるじゃないの。一体どうい…う…」
「?なんだよ」

「…ぁ…」

 京介君に猛然と近づいてきたものの、京介君のその顔を間近で見たとたん、何か言いかけてそのまま黙り込んでしまった。何故かその白いほっぺが綺麗な朱に染まっている。

「なんだ?言いたいことがあるのだろう?一応聞いてやるが」
「…け、結構よッ!」

 黒猫といわれた女の人はプイッと顔を背ける。

「?おかしなやつだな」
「あはは…」

 それから黒猫さんは言いにくそうに小声で…。

「…貴方達…実の兄妹なの?」

「…」
「え?」

 ど、どうしてわかるの?!そんなこと?!

 動揺するあたしの顔を見てにやりとドヤ顔を決める目の前の女の人は、

「ふん。さっきの会話を聞いていたら論理的に解を導けるわ。所詮は人間。天界の戦士達をも余さず追い詰めるこの異能の「眼」からは何人たりとも逃れることなど出来はしない」

「…どこにどういう論理が入ってるんだ。反証材料がありまくりじゃないか…」

 やっかいなのに捕まってしまった、と頭をかかえる京介君を尻目に、

「…」
「…」
「…」

 何故か沈黙する黒猫という女の人。そして、

「あまり感心しないわね」

 ぽつり、とそう呟いた。

「え?」
「…兄妹での交わりは禁忌中の禁忌。それは私達「血の純度」を保持しなければならない異能の種族も同じ事。ましてや、人間如きが…」

「…」

「でも…」

 黒猫さんはその綺麗な髪を翻し、背中をこちらに向け顔だけこちらに振り返りながら、

「それも一つの道なのかも知れないわね。すべてを捨ててもなお、突き進むしかない獣道…。その暗くて狭い唯一人しか連れて行けない道をどこまで行くことが出来るのか…。せいぜい見物だわ」

「…」
「黒猫さん…」

「ふん…。きららさん!お代はここに置いておくわよ!」

「あ、ありがとうございましたぁ~!」

 カランカランカラン♪

 どこか恥ずかしそうに頬を染め、しかし何か羨ましいような顔をした黒猫と名乗る女の人はそう言ってこの喫茶店を出て行った。

「…」
「…」

 そしてあたし達は彼女が出て行ったその後を少しの間黙って見ていた。


~~~



「こんな所があったんだね…」
「…ああ」

 教会。秋葉原を冬の寒空の中歩いたあたし達は夕日が傾くこの時間、この場所に辿りついた。

「…」
「…」

 この教会の礼拝堂は一般開放してくれているのか何かと物騒な昨今にしては珍しく、中には誰もいなかった。

「…」

 目の前で十字架にかけられたイエス・キリストの像。聖書によると彼は人類のその罪を一身に背負って迫り来る官憲から逃げもせずその刑に処せられたという。

「…」

 彼は一体どれほどの人間達の業を背負ってあの世へ旅立ったのだろうか。何故彼一人がその罪を背負わなければならなかったのだろうか。そして彼が人間達の中に見た「罪」とは一体何だったのだろうか?

「…」

 古来よりタブーとされる近親相姦禁忌。血の繋がりが特に濃いとされる親子、兄妹姉妹間での交わり。

 …目の前の「彼」もその業を清めるべく甘んじてその刑を受け入れてくれたのだろうか。

「桐乃」

 教会のステンドガラスから差し込む夕日の光に照らされて、京介君は静かな、しかし固い何かの決意を告げるようにあたしの顔を見た。

「聞いて欲しい事があるんだ」

 緋い日の光に照らされた彼の横顔は真剣な瞳をしてあたしの目を見つめていた。

「…」

 あたしは思わず、こく、っと首を縦に振り返事をする。

「俺は今の今までおまえのことだけを考えて生きてきた」
「…」

「母さんが俺が幼いころに死んで一人息子だった俺を育ててくれた父さん…そしていつも俺のことを気にかけてくれていた大介お父さんに佳乃お母さん。そして…」
「…」

「桐乃…おまえがいつも俺の傍にいてくれたから…。いつもどれだけ泣いても泣かされても俺の傍だけは決して離れようとしなかった幼い頃のお前…。俺はいつも思ってた。お前だけは何があっても絶対に守る、って」
「おにいちゃん…」

「だけど父さんが死んで、身寄りが誰もいなくなって。知り合いが誰一人いない孤児院に入れられて。俺はどうしたらいいのかわからなかった。これから俺の人生は一体どうなるのか、そもそも生きていけるのだろうか…。幼心ながらそんな暗いことばかり考えたよ。どうしようもないほど怖くて怖くて仕方がなかった」
「…」

「それでも…」
「…?」

「それでも、今俺がこうしていられるのは桐乃…お前がいたからなんだ。例え離れ離れになっていてもこの同じ空の下でお前が生きて笑っていてくれる…それだけで俺はどんなことでも頑張れた。どこまでも頑張れたんだ」
「…おにいちゃん」

「…俺はお前と離れ離れになる前も離れ離れになった後も…お前の幸せだけを考えていたよ…」
「おにいちゃん…」

 ぎゅ、と彼に両肩を握り締められる。

「だから桐乃…。俺はもう…おまえとは一緒にいられない…」
「え…?」

 彼は酷く思いつめた、しかし引き返せない覚悟をその目にたたえながら。

「これ以上俺達は共に歩むことを許されない存在だ。俺達がこの関係を続けることは俺達のお父さんやお母さん、そして周りの人達を傷つけることになる。なにより…」

 じっとあたしの目を見つめて、

「おまえが…幸せをいつも願ってやまなかった大事な妹が…なによりも不幸になる。そんなこと俺は兄として許すことが出来ない。出来そうにない…」
「おにいちゃん…」

「俺達は咎人だ。共犯者だ。この罪は二度と消えることはない。そして俺達はこれ以上共に歩むことが絶対に許されない。俺達が結ばれることを世界が絶対に許さない。こんなにまで穢れた魂は世界に必ず拒絶される。だから…」
「…」

「もとの兄妹に戻ろう。今日を最後に俺達は普通のどこにでもいる、何でもないことで笑いあえる兄妹に戻ろう」
「…」

「あるはずだった、確かに存在したはずの…普通の兄妹に戻ろう…」
「…」

「もちろんこのまま一緒にいたら俺はお前への想いを抑えることが出来そうにない…。それはお前だって同じはずだ。こうしている今だって俺は…。だから…」
「…わかった」

「え?」

 少しばかり困惑する彼の…おにいちゃんの目をあたしは見つめながら

「お別れ、だね」

 そう、あたしから、その別れの言葉を切り出した。

「きり、の…」
「少しの間…だけどね」

 あたしは彼の手から逃れてくるっと祭壇の前に立った。

「ふふ。あたしのおにいちゃんっ子もとうとう卒業かぁ…」
「…」

 あたしはおにいちゃんの顔を、大好きな下からのアングルで覗きながら、

「今まで、お勤めご苦労様でしたぁ~」

 そう、笑顔で彼に言った。

「桐乃…」
「あ~あ。あたしもとうとう失恋かぁ…。初恋は決して実らないって言うけれど本当だったんだね~」
「…」

「でもでも!あたしってあたしのどこがいいのか知らないけど、昔からすっごくもてるんだよ?今までたっくさんの男の子に告白されたりお手紙を貰ったりしてきたの!」
「…」

「皆断っちゃったけどいい人達だったなあ~。あ、そうそう!この前私立の医学部の人達に校門で待ち伏せされて声を掛けられてね?一緒にドライブ行こうって誘ってくれたんだぁ。どうしよっかなぁ~」
「…」

「ふふ…。あたしもおにいちゃんっ子をこれで晴れて卒業出来るんだからしっかり将来の旦那様候補を見つけとかないとね。いまからでも婚活を気を抜かずに頑張らないと!見てて?おにいちゃんがあっと驚くようなすっごいいいお嫁さんに変身しちゃうんだから!」
「桐乃…俺は…」

 何かを言いたそうに震える彼の唇に、あたしはそっと人差し指を当てて…。

「だめ、だよ」

「…」

「それ以上は…言わないで…」

 あたしは彼の切なそうな顔を見つめながら、

「ふふ…。おにいちゃんの甘えん坊さんも筋金入りだよね~」
「…」

「いつまでも妹の相手ばっかりしてると、おにいちゃんのこと想ってくれてる女の子のこと…見逃しちゃうよ?」
「…」

 あたしは真摯なまじめな顔で、

「あやせとのこと…もう一度真剣に考えてあげて…」
「…」

「あんなことになっちゃったけど…あやせは今でもあたしの大事な友達だから…」
「桐乃…」

 だって…だってあの子はあんなにまで、あんなになるまでおにいちゃんのことが大好きだから。彼へのあれだけの激情を胸に秘めて愛しているのだから。

 …あたしがいなくてもあやせがいればおにいちゃんは大丈夫だ…。

「ね?はい!おしまい!この話はこれまで~!」
「…」

 おにいちゃんは肩を震わせ…泣きそうな目であたしを見つめていた。

「そんな顔しないでよ「京介君」。いい男の子が台無しだよ?」
「…」

「これからは普通の兄と妹に戻るんだから…。それにしても…」
「…」

「やっぱり京介君も男の子だよねぇ~。いつもはあんなに冷静沈着ですっごく頼りになるのに肝心の時になるとこれなんだもん。やっぱりここぞという時は女の子の方が強いってことなのかな?」
「…」

「でもあたしも人の事言えないよね…。しっかりと独り立ちしないと、ね」
「…」

 あたしは一呼吸置いてから、

「京介君。あたし、小説書こうと思ってるんだ」
「え?」

「だから、小説。前に京介君あたしの原稿見てくれたじゃない。これからね、たっくさん書こうと思うんだ!香織さん達にもエールを送ってもらってるし…皆の期待に応えないとね!」
「…」

「あたしって今まで何にもなかったから…。でも…」

 あたしは京介君の、泣きそうな顔を笑顔で見て、

「これからは何か一つでもやり遂げて、皆に恩返ししなくちゃ」
「桐乃…」

 彼もあたしの顔を見る。夕日に照らされたその目はらんらんと溜まった涙で輝いていた。

「もう!泣き虫なんだから!お兄ちゃんでしょ?!しっかりしてよ!」
「ッ!…すまん」

 彼は目頭を袖で人拭いする。

「いくらシスコンでも限度ってものがあるよ?そんなにあたしが離れていくのが辛い?」
「あ…たりまえ…だろが…」
「ふふ…」

「…まああたしのブラコンっぷりも相当だよね…。」

 目頭が熱くなる。涙が止まらない。あたしは彼の顔をこれ以上見ていられなくて彼から顔を背けた。

「桐乃…」
「…ぅ…ひぇっ…。ご、ごめんね…。す…すこ…すこしだけ…あたしの顔…見ないで…」

 降りしきる沈黙。静寂につつまれた教会の礼拝堂はあたしの涙を堪える声だけが響いていた。すると…。

「桐乃」

 おにいちゃんがあたしから一歩離れた遠くから、

「お前の小説の読者第1号は、俺な」
「…え?」

 彼にはもう、目にためた涙はない。彼は晴れやかな顔で、

「可愛い俺の妹が書いた栄えある作品第1号なんだ。その役目を他の奴にみすみす渡せるか。まず最初に見るのは俺だ」
「…おにいちゃん…」

「楽しみだな…。おまえの書いた作品ってどんなものなんだろう。この前のやつか?だったら続きが気になってたんだ」
「…」

「桐乃」

 彼はあたしを、あの頃から少しも変わらない優しいおにいちゃんの眼差しで見つめながら…。

「…<約束>…な」

 旅立っていく妹を、去っていく妹を祝福するお兄ちゃんとして役割。

 いつもいつもどんな時でも決して離れようとしなかった妹の旅立ち。

「…うん…<約束>…」

 夕日の光が差し込む教会の聖なるステンドガラス。「恋人としての最後の時間」から「兄妹」へ戻るまであと少しの時間をその光が告げていた。

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最終更新:2013年03月22日 17:29
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