ちょっと違った未来33

「ちょっと違った未来33」 ※原作IF 京介×桐乃 黒髪桐乃の過去編



 ――某日・神奈川県内教会墓地



 サアアアア…。

「…」

 その日は雨だった。

 伝説の聖者の聖誕祭を目前に控えたその季節にしては珍しく、しとしととした柔らかい雨が降り注いだ。

「…」

 白い花が添えられた棺に入るその「誰か」は大切な何かを守り抜いたような…誰かの幸せを願うような…そんな安らかな顔をして眠っていた。

「…」

 黒い衣服につつまれたあたしの体。

 もう、二度と目を覚ますことはない、目の前で眠る「誰か」

 あたしはその「誰か」の顔を、そっと撫でる…。

 もう、還らない、「誰か」

 黒い喪服の袖から雨に打たれた雫が「誰か」に一しずくだけ落ちる。

「…」

 その日あたしは彼と永遠の別れをした。





~~~




「桐乃ちゃん…京介は…京介はもう…」

「…」

 香織さんがあたしに暗にやめろという。何を言っているの?最近彼女の言っていることがよくわからない。あたしの馬鹿な頭じゃ、頭の良い彼女の言っていることがよく理解出来ない。

 皆変なこと言うんです。おにいちゃんが○んだ、って。おにいちゃんはもう○ないって。

 そんなおかしなことばかり言ってあたしにいじわるをするんです。

 そういって彼女に理解を求めようとしても何故か黙って俯くだけ。

 あれ?おかしいな?

 そうだ!また、また皆でどこかへ遊びに行きたいな。

 バイクって3人乗り出来たかな?う~ん、だったら歩いてでも構わないですよね。皆で歩けば何もなくても楽しいもの。

 あたしサンドイッチいっぱい作りますね。皆でピクニックに行きたいな。

 おにいちゃん喜んでくれるかな?あたしが作ったサンドイッチ、いっぱい食べてくれるかな?

 おにいちゃんと香織さんの姉弟喧嘩…。楽しそうな姉弟喧嘩…。あたしはそれを見てにこにこしてるの。

 いつまでもこの幸せを見つめてるの。



~~~



「…」

 しばらくして誰も来なくなった。どうして?皆、皆あれだけこの部屋に来てくれたじゃない。

 綺麗な黒い服を着て、何故か泣きながら。

 あれだけ皆おにいちゃんのことが大好きだったじゃない。

 槇島先輩槇島先輩~って。

 皆で楽しくしてたじゃない。

 …。

 それでもあたしはおにいちゃんのアパートに通い続けた。毎日毎日通い続けた。やることなんていくらでもあるんだもの。



~~~



「…」


 きゅっきゅっきゅっきゅっ…。

 きゅっきゅっきゅっきゅっ…。


 雑巾をバケツの水に浮かせて絞り、おにいちゃんの部屋の床を綺麗にする。


 きゅっきゅっきゅっきゅっ…。

 きゅっきゅっきゅっきゅっ…。


 掃除、洗濯、お料理…。いつもいつも綺麗にしておいた。いつもいつもたくさんの料理をテーブル一杯につくっておいた。

 いつでも。いつでも彼を暖かく迎える事が出来るように。

 本棚を整理する。

 んしょ、んしょ。

 お、重い~!

 難しい本ばっかり。特殊相対性理論?電磁気学?馬鹿な桐乃にはわからないや。

 やっぱりおにいちゃんは凄いなあ。あたしなんか全然敵わないや。

 あたしが知らないことを何だって知ってるんだもの。

 いつまでもいつまでも、あたしの自慢のおにいちゃんだよ。



~~~



「…」


 何回目の夕暮れだろう。

 緋い太陽の色が何故か血の色に見えて。

 それが見るのを耐えられなくて、あたしはカーテンを全て閉めて暗いおにいちゃんの部屋のベットの中にもぐりこんだ。

 …。

 ぎゅっと目をつむる。

 こうすればおにいちゃんがそばにいるから。

 いつだってあたしのこと守ってくれるから。

 抱きしめてくれるから。



~~~



 あたしは掃除をするのをやめた。

 …彼のいた痕跡が消えていくから。

 あたしは洗濯をするのをやめた。

 …彼の大好きな臭いが消えていくから。

 あたしは料理をするのをやめた。

 …食べてくれる彼が…いつまでたっても帰って来てくれないから…。



~~~



「…うぇ…うえぇ…」

 ぴちゃぴちゃぴちゃ…。

 嘔吐する。洗面器の上で嘔吐する。

 でも何も食べてないから吐寫物が何も出ない。胃液しか出ない。

 それに…。

 この前からすみずみに鉛が流し込まれたように体が重い…。

 そういえば生理がきちんと来ていた日はいつだったんだろう。

 確か○○○○○○といっぱいいっぱい愛し合った日々からだから…。

 それだと…。



~~~




 そして…。







 ピ ピ ピ …。

「…」

 あたしは空虚な瞳を緩慢に開けて白い天井を眺めている。規則的な電子音が耳に届き頭に響く。

 どうやら今あたしは精神病棟に入れられているみたいだった。カテーテルから定期的に注入される薬剤の異物感にだけぴくりと身体が反応する。…もう少しも身体が動かない。

「…」

 ピ ピ ピ …。

 はっきりと意識が最後にあったのはいつだろう?いつものように○○○○○○の部屋に行って、だけど行ったり来たりすることがおっくうになって、その内食べるのも寝る事もおっくうになって、それから…。それから…。


――桐乃ちゃん!!桐乃ちゃん!!おい、おい!!しっかりしろ!?瀬菜!救急車!救急車だ!!早く!!


「…」

 ピ ピ ピ …。

 香織さんだ…。確かあの人があたしのほっぺたをぱちぱち叩いて…それから…。

 それから…あたしは…。






~~~




~~~





――今すぐ摘出しなければ危険です。

――そんな?!先生?!何とか、何とかなりませんか?!

――お母さん。残念ですが…桐乃さんの母体がこのままだと…。せめて意識を取り戻してくれたなら…。

――あああっ…?!

「…」

 ピ ピ ピ

 あ…。誰かの声がするって思ったらお母さんの声だ…。

 お父さんの声もする…。

 嬉しいなあ…。遠いところからいつもいつもあたしの所に来てくれて…。

 でもごめんね…。あたしなんだかちょっと声が出ないの…。

 ちょっとだけ待っててね…。

 んしょ…。んしょ…。

 …?

 あれ?おかしいなあ…。あたしのからだどうしたんだろ?

 なんだか…うごかな…。





~~~




~~~





「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


――手術を開始します。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


――患者は(クランケ)は重度の精神疾患であることは精神病棟から回ってきたカルテに記載している通りです。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


――確認しますが、母体から摘出するのは、二児です。細心の注意を払って下さい。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 …なんだろう?あたしは今どこかに寝かされているのかな。ライトが眩しい。眩しいよ…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 足が…膝を折り曲げて立てて…大きく開かされている…。こんなんじゃ…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 …大事な…女の子の大事なところ…見えちゃうよ…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 あたしの体に触らないで…。あたしの体に指を入れないで…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 そこに入れてもいいのは…。ふれてもいいのは…。


「…」


 ピ…。ピ…。ピ…。


 あたしは…あたしは…。


 この子は…。この子達は…。


――それでは始めます。バルーンを。



「おにいちゃんとの大切な赤ちゃんなのーーーー!!」



 バッ


――ッッ!!



 あたしはそのまま手術台から翻った。来ているものはビニールの施術着だけ。周りにいた先生達は突然のあたしの動きに固まっている。

「あうっ!」

 ずっと寝たきりだったせいか。足腰に上手く力が入らない…。それに…。それにお腹が重い…。



――誰か彼女を止めて!!



 誰かの声がする。あたしを制止する声がする。あたしを呼ぶ声がする。

 それに合わせてたくさんの声がする。

 それに合わせてたくさんの人のあたしを追う足音がする。

 それでも逃げなきゃ。

 どこまでも逃げなきゃ。

 この子達を…。

 この子達を…。



 おにいちゃんとあたしの子を守らないと…!!



――行かせるな!!


「っ!」

 あたしは無我夢中で走った。

 すぐ後ろに大きな足音がたくさんする。

 男の人の声がたくさんする。

 つかまったら二度と帰れない。

 つかまったら二度と戻れない。

 つかまったら…この子達を守れない!!

「っ!」

 前方に非常階段のランプ。

 ドアが開いている。

 掃除係のおばさんが掃除用具を運ぶ台を扉に挟んで扉を開けていた。

「ッ!!」

 あたしは扉に挟まれた掃除用具ごと扉に体当たりした。



――おい!非常階段だ!誰かあの子を止めろ!!行かせるな!!



 野太い男の人の声が後ろからする。もう間近だった。それでも…!

 この先に逃げ切れば…!

 無我夢中で逃げるあたしにとって唯一の光明に見えた、非常口。しかしその先には――。


 え?


 あたしの身体は宙に舞う。

 踏みしめるべき地面がどこにもない。


「え?」

 あたしのからだ

「あ…」

 これじゃ 


 これじゃ


 おにいちゃんとの あかちゃん守れない





~~~





――嫌ーー!!誰か、誰かーー!!先生を!!先生を呼んできてぇーー!!



「…」



 暗い…。

 暗い非常階段の中…。

 地面にうつ伏せに倒れたあたしは、ゆっくりと鼻から流れるどろりとした自らの血をただぼうっと眺め続けていた。


「…」


 ああ…。もう…なんか…なんか眠いや…。

 ごめんね…。

 ごめんね…おにいちゃん…。

 あなたとのあかちゃん…。あたしたちの可愛いあかちゃん…。

 この子達だけは…せめて…。

 あたしはどうなってもかまわないから…。


 …。


 神様…。あたしが悪いんですか…?

 あたしがいけない子だったから…。

 桐乃が…桐乃が…分不相応にも…妹の分際でおにいちゃんに恋しちゃったから…。

 おにいちゃんを愛してしまったから…。

 これはあなたの罰ですか…?

 これがあたしの罪ですか…?


 …。


 い、やだ…。

 いやだ…。

 嫌だよ…。

 このままじゃ…。

 このままじゃ…。

 このままじゃあまりにも…。


 …。


 終わりたくない…。

 終わりたくないよ…。

 このままじゃ終わりたくない…。


 …。


 やり直したい…。

 やり直したいよ…。

 もう一度…。

 もう一度…やり直したい…。

 そして…。

 そしてもう一度…。





 大好きなおにいちゃんとまた出会えますように。





 <二部・了>

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最終更新:2013年03月25日 13:18
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