名前の話
FVBでは、人々の名前に数字の付くものが多い。
昔は「介左右衛門」とか「初音」とか、もう少し和風な名前が主流だったようだが、クーリンガン戦の際には総人口の99.9999%が死んでゾンビになって浄化されて復活して……という通常だったら大きなトラウマになりそうな経験をしているものだから、その影響が少なからず出ているらしい。死んで生き返ったら、それは別人なのか同一人物なのか。神学的論争はともかく当事者としては同一人物だけれど区別は付けたいというのが正直な気持ちだろう。
「今までのオレ、山田新左衛門は死んだ! 今のオレは新左衛門124C41+だっ!!」
けれど、一方では、伝統を重んじる東国人の国において、その主幹産業であろうとし続けてきた宇宙関連の技術や生活様式が浸透し融合してきた結果ではないかと考えられないこともない。最先端技術の結晶である宇宙ステーションに金のシャチホコを据えつけたり、最高速の宇宙船に畳や座敷牢を持ち込むポスト・モダン的なセンスは、イクレクティシズム(折衷様式)の権化といえよう。それが大衆のレベルにまで行き渡ったと言うことだ。
「あきら2xvc」とか「蘭子21MM392」とか、いかにもFVB的なセンスではなかろうか。
曲直瀬りま 記す(2009/11/16)
+ 芝村 > FVBは、数字のつく名前が多い。クーリンガン戦の影響で、生き返った際に番号つけてるのがおおいね。 あきら2xvcとか
(11/8-21:56:28)
+ アポロ > おお、そんな理由が・・・ (11/8-21:56:53)