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「神聖ゲルマニア朝イスパニア帝国」(2014/06/19 (木) 01:53:31) の最新版変更点
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[[情熱の国イスパニアへ一度訪れてみませんか? イスパニア帝国大使館>http://www1.atword.jp/tiwanchina/]]
&size(x-large){神聖ノイ・ゲルマニア朝イスパニア帝國}
**我が国詳細
・&bold(){国旗}&ref(http://www1.atword.jp/tiwanchina/wp-content/escudo2.thumbnail.gif)
&bold(){【国旗の意味や由来など】}
「血と金の旗」と呼ばれ、黄は豊かな国土、赤は外敵を撃退した時に流れた血の象徴。右の紋章は古いイベリア半島の5つの王国の紋章とヘラクレスの柱の組み合わせ。公用および軍用の場合のみ、この紋章の入った国旗を使用する。
尚、神聖ベルリン条約機構の加盟に伴い、左に絶対的神として敬う神聖ノイ・ゲルマニア帝国への忠誠の心の表しとして鷹の紋章、中央に大欧州統合の印であるハーケンクロイツを掴む鷹が其々描かれた。
・&bold(){国章}&ref(http://www.kashiroman.com/pic/escudo.gif)
詳細解説:紋章は古いイベリア半島の5つの王国の紋章とヘラクレスの柱の組み合わせ。
・&bold(){公式国名(イスパニア語名)(漢字)}
イスパニア帝国 (Reino de España)(西班牙)
・&bold(){公式通貨}&ref(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Spagna_200_pesetas_Madrid_Capitale_Europea_della_Cultura.JPG)
イスパニア・ペセタ(España peseta)
長きに亘り、使用され続けている伝統的通貨ペセタは、銀貨でピレネー山脈付近の銀鉱の銀が使用されている。
・&bold(){人口}
7800万人
・&bold(){公用語}
イスパニア語(バスク語、カタルニア語、ガリシア語が地方によっては使用されている。)
・&bold(){民族}
イスパニア人多数・ゲルマニア人・ポルトガル人・カルタゴ人・フランク人・ローマ人等の諸地中海沿岸民族
・&bold(){宗教}
憲法上の信仰の自由が保障されている。(但しカトリック教徒が圧倒的多数)
キリスト教カトリック62%
イスラム教シーア派16%
イスラム教スンニ派9%
キリスト教プロテスタント8%
ユダヤ教5%
・&bold(){首都}
トレド市
西ゴート王朝時代の都である古き伝統を重んじ、外戦暦10000期を経た歴史の区切り年であり、ギリシャ=トラキア二重帝國よりイスパニア総督の号,ベティカ伯の号の贈号や、神聖ノイ・ゲルマニア帝國より名誉帝國公爵という爵位の贈位を契機に従来の首都であったマドリードからの還都を求める臣民世論の声が高まった為、皇帝の勅令により還都された
旧市街中心部には、古代イスパニア時代に建設されたアルカサルがあり、年一回盛大な祝宴が開かれる事になっている。
・&bold(){旧都}
マドリード市
長らくイスパニア史の表舞台として欧州に知られてきた都であったがイスパニア皇帝の勅令によって首都はトレドへ還された。
然し尚も文化,経済,人の中心地である事には変わりない。
・&bold(){元首}
#ref(http://image.blog.livedoor.jp/gerumania225/imgs/8/9/89ea6c0f.jpg)
ハインリッヒ・ヴィルヘルム=イスパニア皇帝一世
独立宣言後、神聖ノイ・ゲルマニア帝國より第四皇太子ハインリッヒ・ヴィルヘルム殿下を迎え、即日、マドリード市内で即位式が執り行われイスパニア皇帝に即位した。
&bold(){爵位}
帝國名誉公爵(神聖ノイ・ゲルマニア帝國より贈位)
&bold(){称号}
イスパニア総督,ベティカ伯(ギリシャ=トラキア二重帝國より贈号)
・&bold(){首相}
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相
バレンシア州出身者であり、旧ガリア統治時代にも独立活動家として活躍した。
・&bold(){政体}
政体は立憲君主制(議会君主制)。帝国憲法により「国権たる発動者は皇帝」と規定されている。議会(Cortes Generales)は2つあり、下院(Congreso de los Diputados)は定数350議席で4年ごとの直接選挙で選ばれ、上院(Senado)は定数259議席で208議席が選挙によって選ばれ、残り51議席が地方自治体の代表で構成される。現在の与党はイスパニア社会労働党(Partido Socialista Obrero Español, PSOE)で,国民党(Partido Popular, PP)と共に2大政党制を構成する。その他の政党には、カタルーニャやバスクの地域政党が存在する。首相は与党の中から有力候補を選出し、全議員の過半数の賛成票を得て、皇帝からの任命という形で就任する。首相は行政権を持つ内閣を構成し皇帝に対する行政,立法に関して助言等を行う。
・&bold(){主義}
帝国主義を採るが対外的な侵略は否定している。尚、世界的に問題となっている植民地拡大紛争には一切関知しない方針としている。
・&bold(){外交指針}
善隣外交政策を推し進めており、神聖ゲルマニア帝国、フランク王国、大ネオラット帝国、ギリシャ帝国、カルタゴ王国等と友好を結ぶ。又、欧州各国皇室と深い親交を結び、ゲルマニア皇室と政略的婚姻関係を持つ。
・&bold(){イスパニア地図}&ref(http://www16.atwiki.jp/kitakita?cmd=upload&act=open&pageid=71&file=Mapa_Espanha_CC_AA.png)
&bold(){本国領土}
ポルトガル、アンドラ及びイスパニア北西部(ガリシア州,アストゥリアス州)を除くイベリア半島全域とアルボラン島
&bold(){海外植民地}
テージョ川以南のポルトガル
西サハラ
アゾレス諸島
マデイラ諸島
&bold(){本国地方自治行政区分}
アンダルシア州
アラゴン州
バスク国
カンタブリア州
カスティーリャ・ラ・マンチャ州
カスティーリャ・レオン州
カタルーニャ州
エストレマドゥーラ州
ラ・リオハ州
マドリード州
ムルシア州
ナバラ州
バレンシア州
&bold(){植民地自治行政区分}
南ポルトガル属州
アゾレス諸島属州
マデイラ諸島属州
リオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ属州(西サハラ属州)
南ポルトガル属州の総督は現在空白。
アゾレス諸島属州及びマデイラ諸島属州の両総督にアラバ・ロドリゲス伯爵が就任。
リオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ属州(西サハラ属州)の総督にムハンマド・アブデルアジズ旧同地区長が就任した。
・&bold(){面積}
504,782km²
・&bold(){軍隊・兵力}
イスパニア帝国陸軍・60万
イスパニア帝国海軍・40万
イスパニア帝国空軍・20万
&bold(){イスパニア無敵艦隊}
イスパニア海軍は、世界に広く認知されている無敵伝説を誇る。その名の通り、無敵艦隊という異名を持つ。
・&bold(){文化}
サッカーは国民的人気を誇り、独自に国内サッカーリーグのリーガ・エスパニョラがあり、FCバルセロナ、レアル・マドリード・マジョーラなど強豪チームが揃っている。かの有名なライヒュン(ブラジル)出身のロナウジーニョもいる。FIFAの主催するUリーグに正式に参加予定で、欧州に名だたる名門のサッカー強豪国としての地位を占めるようになるだろう。
ご存知の通り、イスパニアの伝統民衆舞踊であるフラメンコは世界的に有名で、情熱の国イスパニアを象徴する文化の一つともなっている。
・&bold(){特産品}
&bold(){オリーブオイル}
乾燥地帯であるイスパニアの気風を好むオリーブが各地で栽培され、オリーブの栽培面積,オリーブオイルの生産量共に世界最大を誇る。
&bold(){ワイン}
同様の理由によりブドウが各地で栽培され、ブドウ栽培面積は世界最大であり、生産量もワイン世界有数の量である。
・&bold(){標語}
「情熱は我が国力なり」,「更なる前進」
・&bold(){国歌}
「国王行進曲」
正式名称はMarcha Real マルチャ・レアルと呼ばれ、建国と同時に我が国の国歌としてイスパニア帝国初頭に国王カルロス3世が採用。曲のみで、正式な歌詞は存在していない。建国以前から歌い継がれてきた伝統ある歌。
&bold(){歌詞(日本語訳はありません。)}
|Gloria, gloria, corona de la Patria, soberana luz que es oro en tu Pendón. Vida, vida, futuro de la Patria, que en tus ojos es abierto corazón. Púrpura y oro: bandera inmortal; en tus colores, juntas, carne y alma están. Púrpura y oro: querer y lograr; Tú eres, bandera, el signo del humano afán. Gloria, gloria, corona de la Patria, soberana luz que es oro en tu Pendón. Púrpura y oro: bandera inmortal; en tus colores, juntas, carne y alma están. Glory, glory, crown of the Fatherland sovereign light which in your standard is gold. Life, life, future of the Fatherland, in your eyes it is an open heart Purple and gold: immortal flag; in your colors, together, flesh and soul are. Purple and gold: to want and to achieve; You are, flag, the sign of human effort. Glory, glory, crown of the Fatherland sovereign light which in your standard is gold. Purple and gold: immortal flag; in your colors, together, flesh and soul are.|
**イスパニア史
・&bold(){ローマ帝國東西分割時代}
第50代テオドシウス(一世)帝の命により、帝國を東西に分割し二子に分け与えた事により、イスパニアは西ローマ帝國の領地となった。然しながらゲルマン民族の侵攻を受けて体制は弱体化の一途を辿り、遂に西ローマ帝國は滅亡し東ローマ,後のビザンチン帝国が正系のローマ帝國として承認された。
・&bold(){西ゴート王国}
&bold(){ガリア統治時代}
ダキアを経てローマ領内に移動した西ゴート族は、5世紀初頭の指導者アラリック1世のもとイタリア半島に侵入した。すでに首都ではなくなっていたローマを一時的に包囲するが、西ローマ皇帝の説得に応じガリアへと撤退した。このとき、すでにローマ帝国の支配権が及ばなくなっていたガリアとヒスパニアの防衛を条件に、領有を認められたとされている。415年にバリア王は南ガリアのトロサ(トゥールーズ)を首都と定め西ゴート王国が建国された。 またイベリア半島を征服していたヴァンダル族、スエビ族らを討ち、褒賞として418年にホノリウス帝から正式に属州アクイタニア(アキテーヌ)を与えられた。
西ローマ帝国とは基本的に友好な姿勢を保っていたが、敵対した時期もある。西ローマ帝国滅亡後にイタリア半島を占領し東ゴート王国を建国する東ゴート族とは連絡を保っていたが共同して行動することはなかった。451年にはパリ西方のカタラウヌムでフン族を撃退した(カタラウヌムの戦い)。
475年に西ローマ帝国が滅びると、エウリック王は混乱に乗じてフランスの中部からイベリア半島の南部まで勢力圏を広げた。このころからヴァンダル族は西ゴート王国に朝貢し、アフリカに退去したためイベリア半島への入植が進んだ。フランス北部では興ったばかりのフランク王国と争った。
&bold(){イベリア半島時代}
507年にクローヴィス率いるフランク族に敗れ、王国の重心をイベリア半島に移した西ゴート王国は、531年にも再び敗れガリアの領地のほとんどを失った。560年に首都をピレネー山脈の北のトロサからトレドへと移した。589年、レカルド1世は、第三回トレド公会議にてアリウス派からカトリックに改宗し、アリウス派の反乱を鎮圧、王権と教会の提携を強める。トレドでは宗教会議が頻繁に開かれ、6世紀中頃からは神権政治の色彩を帯びるようになる。 フランク王国、イベリア半島の先の征服王朝であるスエボス王国、東ローマ帝国としばしば争った。 621年にはスンティラ王のもとイベリア半島のほぼ全土を支配するに至ったが、711年にイスラーム王朝のウマイヤ朝がイベリア半島に上陸、最後の王であるロドリーゴ(ロデリック)が戦死して滅亡した。(一部の残党は引き続き抵抗を続けたが、一般的にはこの年を滅亡年とする。)
・&bold(){ウマイヤ朝イスラーム帝国統治時代}
#ref(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4e/Reconquista-rendicion-granada.jpg)
北アフリカ(現カルタゴ)にイスラーム勢力の王朝ウマイヤが勃興し、勢力圏を西へ東へ伸ばしていった。そして東はインド洋、西はモロッコ西岸にまで達した。それでも勢いは収まらず、イスラーム勢力はジブラルタル海峡を越えてイベリア半島へ上陸を開始し、あっと言う間に、イベリア全域を制覇した。此の頃が北アフリカに於けるイスラーム勢力の最盛期である。然しながらフランク王国の勃興や、ビザンツ帝國に対するコンスタンティノプール包囲戦で大敗北を喫した為、国威は傾き始め、イスパニアに於けるキリスト教カトリック勢力の抵抗が発展し、カトリック両王率いるカスティーリャ王国によるレコンキスタ開始により次第に南へ追いやられてゆき、イベリアに於けるイスラーム勢力の最後の砦であったグラナダの陥落によってレコンキスタは完了し、イスラーム勢力は完全にイベリア半島の影響力を失った。
※画像は、カスティーリャ王国軍による攻勢で陥落したイスラーム勢力の最後の砦であるグラナダの様子。
・&bold(){レコンキスタ後のイベリア四王国時代}
レコンキスタの完了により、カスティーリャ両王はイベリア半島に於けるキリスト教カトリックの影響力の回復に成功した為、ローマ教皇よりカトリック両王の称号を贈号される。
編集中
・&bold(){パプスブルク朝スペイン黄金期時代}
編集中
・&bold(){ガリア=ヒスパーニャ帝国の圧政時代}
編集中
・&bold(){イスパニア帝国時代}
外戦暦5251期に於いてエレミア共和連邦統治下より独立を宣言。翌年、神聖ノイ・ゲルマニア帝國との間でゲルマニア騎士条約を締結し、皇室よりハインリッヒ・ヴィルヘルム皇太子を迎え、イスパニア皇帝へ即位を宣言した。慢性的な財政難から油田採掘権を巡り国連からの脱退を与野党が連携し首相へ要求し、皇帝の勅令によって国連を脱退。国際社会との険悪感を打開すべく、欧州との結び付を強化し、欧州先導主義の理念を相互に確認する為ドンオーク軍統共和国との度重なる会合を行った他、善隣政策の下で大ネオラット,ギリシャ・トラキア(ローマ皇帝によるイスパニア皇帝へのイスパニア総督の号,べティカ伯の号を贈与される。之によりローマ帝国東西分断から時を経て再び正系のローマ帝國より国家承認を受けることとなった)などと次々と友好関係を構築し帝國の基盤を固めた。AOFとの交戦状態が遂に終止符を打たれると、皇帝御自身の提案で、イスパニア大航海時代の再現とも捉えられる世界一周大航海事業を世界へ大々的に宣伝を開始するなど、かつての黄金期並みの繁栄を極める。第二次アジア戦争の際にインド洋へかの有名な無敵艦隊を派遣するも、外務省の不祥事等により攻撃は開始されず、本国への撤退令が出された。軍部の不満は頂点に達し、議会を動かした為、已む無く外務省の大規模人事等を強行し、内部改革に努めた。外戦暦がちょうど10000期に達するとのことから時代の区切りとしてマドリードの首都としての歴史への終止符が打たれ、西ゴート王朝時代の古都トレドへ都が還された。更に、神聖ノイ・ゲルマニア帝國大ベルリン市で欧州諸国の首脳の出席する会合で大欧州新秩序の建設が話し合われ、神聖ゲルマニア帝國との間で結ばれたゲルマニア騎士条約の発展型条約として神聖ベルリン条約機構へ加盟した。戦勝国各国の提唱する新国際法を支持し、神聖ノイ・ゲルマニア帝国が設立,加盟を呼びかけた国際平和維持機構に加盟し、現行国際機関の国際連合が事実上の廃止によって我が帝國の国際社会復帰が決定付けられた。この様に、我が帝國は新時代幕開けの一翼を担った。
・&bold(){イスパニア有名用語全集}
イスパニアに纏わる有名用語全集
&bold(){太陽の沈まぬ大帝国}
&bold(){黄金時代}
&bold(){無敵艦隊}
&bold(){大航海時代}
----
**宣伝:大航海時代の先駆者イスパニア
#ref(http://www.volvox.co.jp/pict/p00900/hp00683b.jpg)
我らイスパニアは、世界に先駆け世界一周大航海に乗り出し、西はインディア、東はジパングにまで到達したのである。
偉大なる先祖の輝かしいこの偉業を語り継ぎ、我らスペインの誇りとしよう!
#video(http://jimaku.in/w/yRwr1f_tzM4/dzoHy_Xvjgb)
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[[情熱の国イスパニアへ一度訪れてみませんか? イスパニア帝国大使館>http://www1.atword.jp/tiwanchina/]]
&size(x-large){神聖ノイ・ゲルマニア朝イスパニア帝國}
**我が国詳細
・&bold(){国旗}&ref(http://www1.atword.jp/tiwanchina/wp-content/escudo2.thumbnail.gif)
&bold(){【国旗の意味や由来など】}
「血と金の旗」と呼ばれ、黄は豊かな国土、赤は外敵を撃退した時に流れた血の象徴。右の紋章は古いイベリア半島の5つの王国の紋章とヘラクレスの柱の組み合わせ。公用および軍用の場合のみ、この紋章の入った国旗を使用する。
尚、神聖ベルリン条約機構の加盟に伴い、左に絶対的神として敬う神聖ノイ・ゲルマニア帝国への忠誠の心の表しとして鷹の紋章、中央に大欧州統合の印であるハーケンクロイツを掴む鷹が其々描かれた。
・&bold(){国章}&ref(http://www.kashiroman.com/pic/escudo.gif)
詳細解説:紋章は古いイベリア半島の5つの王国の紋章とヘラクレスの柱の組み合わせ。
・&bold(){公式国名(イスパニア語名)(漢字)}
イスパニア帝国 (Reino de España)(西班牙)
・&bold(){公式通貨}&ref(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Spagna_200_pesetas_Madrid_Capitale_Europea_della_Cultura.JPG)
イスパニア・ペセタ(España peseta)
長きに亘り、使用され続けている伝統的通貨ペセタは、銀貨でピレネー山脈付近の銀鉱の銀が使用されている。
・&bold(){人口}
7800万人
・&bold(){公用語}
イスパニア語(バスク語、カタルニア語、ガリシア語が地方によっては使用されている。)
・&bold(){民族}
イスパニア人多数・ゲルマニア人・ポルトガル人・カルタゴ人・フランク人・ローマ人等の諸地中海沿岸民族
・&bold(){宗教}
憲法上の信仰の自由が保障されている。(但しカトリック教徒が圧倒的多数)
キリスト教カトリック62%
イスラム教シーア派16%
イスラム教スンニ派9%
キリスト教プロテスタント8%
ユダヤ教5%
・&bold(){首都}
トレド市
西ゴート王朝時代の都である古き伝統を重んじ、外戦暦10000期を経た歴史の区切り年であり、ギリシャ=トラキア二重帝國よりイスパニア総督の号,ベティカ伯の号の贈号や、神聖ノイ・ゲルマニア帝國より名誉帝國公爵という爵位の贈位を契機に従来の首都であったマドリードからの還都を求める臣民世論の声が高まった為、皇帝の勅令により還都された
旧市街中心部には、古代イスパニア時代に建設されたアルカサルがあり、年一回盛大な祝宴が開かれる事になっている。
・&bold(){旧都}
マドリード市
長らくイスパニア史の表舞台として欧州に知られてきた都であったがイスパニア皇帝の勅令によって首都はトレドへ還された。
然し尚も文化,経済,人の中心地である事には変わりない。
・&bold(){元首}
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ハインリッヒ・ヴィルヘルム=イスパニア皇帝一世
独立宣言後、神聖ノイ・ゲルマニア帝國より第四皇太子ハインリッヒ・ヴィルヘルム殿下を迎え、即日、マドリード市内で即位式が執り行われイスパニア皇帝に即位した。
&bold(){爵位}
帝國名誉公爵(神聖ノイ・ゲルマニア帝國より贈位)
&bold(){称号}
イスパニア総督,ベティカ伯(ギリシャ=トラキア二重帝國より贈号)
・&bold(){首相}
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相
バレンシア州出身者であり、旧ガリア統治時代にも独立活動家として活躍した。
・&bold(){政体}
政体は立憲君主制(議会君主制)。帝国憲法により「国権たる発動者は皇帝」と規定されている。議会(Cortes Generales)は2つあり、下院(Congreso de los Diputados)は定数350議席で4年ごとの直接選挙で選ばれ、上院(Senado)は定数259議席で208議席が選挙によって選ばれ、残り51議席が地方自治体の代表で構成される。現在の与党はイスパニア社会労働党(Partido Socialista Obrero Español, PSOE)で,国民党(Partido Popular, PP)と共に2大政党制を構成する。その他の政党には、カタルーニャやバスクの地域政党が存在する。首相は与党の中から有力候補を選出し、全議員の過半数の賛成票を得て、皇帝からの任命という形で就任する。首相は行政権を持つ内閣を構成し皇帝に対する行政,立法に関して助言等を行う。
・&bold(){主義}
帝国主義を採るが対外的な侵略は否定している。尚、世界的に問題となっている植民地拡大紛争には一切関知しない方針としている。
・&bold(){外交指針}
善隣外交政策を推し進めており、神聖ゲルマニア帝国、フランク王国、大ネオラット帝国、ギリシャ帝国、カルタゴ王国等と友好を結ぶ。又、欧州各国皇室と深い親交を結び、ゲルマニア皇室と政略的婚姻関係を持つ。
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ポルトガル、アンドラ及びイスパニア北西部(ガリシア州,アストゥリアス州)を除くイベリア半島全域とアルボラン島
&bold(){海外植民地}
テージョ川以南のポルトガル
西サハラ
アゾレス諸島
マデイラ諸島
&bold(){本国地方自治行政区分}
アンダルシア州
アラゴン州
バスク国
カンタブリア州
カスティーリャ・ラ・マンチャ州
カスティーリャ・レオン州
カタルーニャ州
エストレマドゥーラ州
ラ・リオハ州
マドリード州
ムルシア州
ナバラ州
バレンシア州
&bold(){植民地自治行政区分}
南ポルトガル属州
アゾレス諸島属州
マデイラ諸島属州
リオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ属州(西サハラ属州)
南ポルトガル属州の総督は現在空白。
アゾレス諸島属州及びマデイラ諸島属州の両総督にアラバ・ロドリゲス伯爵が就任。
リオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ属州(西サハラ属州)の総督にムハンマド・アブデルアジズ旧同地区長が就任した。
・&bold(){面積}
504,782km²
・&bold(){軍隊・兵力}
イスパニア帝国陸軍・60万
イスパニア帝国海軍・40万
イスパニア帝国空軍・20万
&bold(){イスパニア無敵艦隊}
イスパニア海軍は、世界に広く認知されている無敵伝説を誇る。その名の通り、無敵艦隊という異名を持つ。
・&bold(){文化}
サッカーは国民的人気を誇り、独自に国内サッカーリーグのリーガ・エスパニョラがあり、FCバルセロナ、レアル・マドリード・マジョーラなど強豪チームが揃っている。かの有名なライヒュン(ブラジル)出身のロナウジーニョもいる。FIFAの主催するUリーグに正式に参加予定で、欧州に名だたる名門のサッカー強豪国としての地位を占めるようになるだろう。
ご存知の通り、イスパニアの伝統民衆舞踊であるフラメンコは世界的に有名で、情熱の国イスパニアを象徴する文化の一つともなっている。
・&bold(){特産品}
&bold(){オリーブオイル}
乾燥地帯であるイスパニアの気風を好むオリーブが各地で栽培され、オリーブの栽培面積,オリーブオイルの生産量共に世界最大を誇る。
&bold(){ワイン}
同様の理由によりブドウが各地で栽培され、ブドウ栽培面積は世界最大であり、生産量もワイン世界有数の量である。
・&bold(){標語}
「情熱は我が国力なり」,「更なる前進」
・&bold(){国歌}
「国王行進曲」
正式名称はMarcha Real マルチャ・レアルと呼ばれ、建国と同時に我が国の国歌としてイスパニア帝国初頭に国王カルロス3世が採用。曲のみで、正式な歌詞は存在していない。建国以前から歌い継がれてきた伝統ある歌。
&bold(){歌詞(日本語訳はありません。)}
|Gloria, gloria, corona de la Patria, soberana luz que es oro en tu Pendón. Vida, vida, futuro de la Patria, que en tus ojos es abierto corazón. Púrpura y oro: bandera inmortal; en tus colores, juntas, carne y alma están. Púrpura y oro: querer y lograr; Tú eres, bandera, el signo del humano afán. Gloria, gloria, corona de la Patria, soberana luz que es oro en tu Pendón. Púrpura y oro: bandera inmortal; en tus colores, juntas, carne y alma están. Glory, glory, crown of the Fatherland sovereign light which in your standard is gold. Life, life, future of the Fatherland, in your eyes it is an open heart Purple and gold: immortal flag; in your colors, together, flesh and soul are. Purple and gold: to want and to achieve; You are, flag, the sign of human effort. Glory, glory, crown of the Fatherland sovereign light which in your standard is gold. Purple and gold: immortal flag; in your colors, together, flesh and soul are.|
**イスパニア史
・&bold(){ローマ帝國東西分割時代}
第50代テオドシウス(一世)帝の命により、帝國を東西に分割し二子に分け与えた事により、イスパニアは西ローマ帝國の領地となった。然しながらゲルマン民族の侵攻を受けて体制は弱体化の一途を辿り、遂に西ローマ帝國は滅亡し東ローマ,後のビザンチン帝国が正系のローマ帝國として承認された。
・&bold(){西ゴート王国}
&bold(){ガリア統治時代}
ダキアを経てローマ領内に移動した西ゴート族は、5世紀初頭の指導者アラリック1世のもとイタリア半島に侵入した。すでに首都ではなくなっていたローマを一時的に包囲するが、西ローマ皇帝の説得に応じガリアへと撤退した。このとき、すでにローマ帝国の支配権が及ばなくなっていたガリアとヒスパニアの防衛を条件に、領有を認められたとされている。415年にバリア王は南ガリアのトロサ(トゥールーズ)を首都と定め西ゴート王国が建国された。 またイベリア半島を征服していたヴァンダル族、スエビ族らを討ち、褒賞として418年にホノリウス帝から正式に属州アクイタニア(アキテーヌ)を与えられた。
西ローマ帝国とは基本的に友好な姿勢を保っていたが、敵対した時期もある。西ローマ帝国滅亡後にイタリア半島を占領し東ゴート王国を建国する東ゴート族とは連絡を保っていたが共同して行動することはなかった。451年にはパリ西方のカタラウヌムでフン族を撃退した(カタラウヌムの戦い)。
475年に西ローマ帝国が滅びると、エウリック王は混乱に乗じてフランスの中部からイベリア半島の南部まで勢力圏を広げた。このころからヴァンダル族は西ゴート王国に朝貢し、アフリカに退去したためイベリア半島への入植が進んだ。フランス北部では興ったばかりのフランク王国と争った。
&bold(){イベリア半島時代}
507年にクローヴィス率いるフランク族に敗れ、王国の重心をイベリア半島に移した西ゴート王国は、531年にも再び敗れガリアの領地のほとんどを失った。560年に首都をピレネー山脈の北のトロサからトレドへと移した。589年、レカルド1世は、第三回トレド公会議にてアリウス派からカトリックに改宗し、アリウス派の反乱を鎮圧、王権と教会の提携を強める。トレドでは宗教会議が頻繁に開かれ、6世紀中頃からは神権政治の色彩を帯びるようになる。 フランク王国、イベリア半島の先の征服王朝であるスエボス王国、東ローマ帝国としばしば争った。 621年にはスンティラ王のもとイベリア半島のほぼ全土を支配するに至ったが、711年にイスラーム王朝のウマイヤ朝がイベリア半島に上陸、最後の王であるロドリーゴ(ロデリック)が戦死して滅亡した。(一部の残党は引き続き抵抗を続けたが、一般的にはこの年を滅亡年とする。)
・&bold(){ウマイヤ朝イスラーム帝国統治時代}
#ref(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4e/Reconquista-rendicion-granada.jpg)
北アフリカ(現カルタゴ)にイスラーム勢力の王朝ウマイヤが勃興し、勢力圏を西へ東へ伸ばしていった。そして東はインド洋、西はモロッコ西岸にまで達した。それでも勢いは収まらず、イスラーム勢力はジブラルタル海峡を越えてイベリア半島へ上陸を開始し、あっと言う間に、イベリア全域を制覇した。此の頃が北アフリカに於けるイスラーム勢力の最盛期である。然しながらフランク王国の勃興や、ビザンツ帝國に対するコンスタンティノプール包囲戦で大敗北を喫した為、国威は傾き始め、イスパニアに於けるキリスト教カトリック勢力の抵抗が発展し、カトリック両王率いるカスティーリャ王国によるレコンキスタ開始により次第に南へ追いやられてゆき、イベリアに於けるイスラーム勢力の最後の砦であったグラナダの陥落によってレコンキスタは完了し、イスラーム勢力は完全にイベリア半島の影響力を失った。
※画像は、カスティーリャ王国軍による攻勢で陥落したイスラーム勢力の最後の砦であるグラナダの様子。
・&bold(){レコンキスタ後のイベリア四王国時代}
レコンキスタの完了により、カスティーリャ両王はイベリア半島に於けるキリスト教カトリックの影響力の回復に成功した為、ローマ教皇よりカトリック両王の称号を贈号される。
編集中
・&bold(){パプスブルク朝スペイン黄金期時代}
編集中
・&bold(){ガリア=ヒスパーニャ帝国の圧政時代}
編集中
・&bold(){イスパニア帝国時代}
外戦暦5251期に於いてエレミア共和連邦統治下より独立を宣言。翌年、神聖ノイ・ゲルマニア帝國との間でゲルマニア騎士条約を締結し、皇室よりハインリッヒ・ヴィルヘルム皇太子を迎え、イスパニア皇帝へ即位を宣言した。慢性的な財政難から油田採掘権を巡り国連からの脱退を与野党が連携し首相へ要求し、皇帝の勅令によって国連を脱退。国際社会との険悪感を打開すべく、欧州との結び付を強化し、欧州先導主義の理念を相互に確認する為ドンオーク軍統共和国との度重なる会合を行った他、善隣政策の下で大ネオラット,ギリシャ・トラキア(ローマ皇帝によるイスパニア皇帝へのイスパニア総督の号,べティカ伯の号を贈与される。之によりローマ帝国東西分断から時を経て再び正系のローマ帝國より国家承認を受けることとなった)などと次々と友好関係を構築し帝國の基盤を固めた。AOFとの交戦状態が遂に終止符を打たれると、皇帝御自身の提案で、イスパニア大航海時代の再現とも捉えられる世界一周大航海事業を世界へ大々的に宣伝を開始するなど、かつての黄金期並みの繁栄を極める。第二次アジア戦争の際にインド洋へかの有名な無敵艦隊を派遣するも、外務省の不祥事等により攻撃は開始されず、本国への撤退令が出された。軍部の不満は頂点に達し、議会を動かした為、已む無く外務省の大規模人事等を強行し、内部改革に努めた。外戦暦がちょうど10000期に達するとのことから時代の区切りとしてマドリードの首都としての歴史への終止符が打たれ、西ゴート王朝時代の古都トレドへ都が還された。更に、神聖ノイ・ゲルマニア帝國大ベルリン市で欧州諸国の首脳の出席する会合で大欧州新秩序の建設が話し合われ、神聖ゲルマニア帝國との間で結ばれたゲルマニア騎士条約の発展型条約として神聖ベルリン条約機構へ加盟した。戦勝国各国の提唱する新国際法を支持し、神聖ノイ・ゲルマニア帝国が設立,加盟を呼びかけた国際平和維持機構に加盟し、現行国際機関の国際連合が事実上の廃止によって我が帝國の国際社会復帰が決定付けられた。この様に、我が帝國は新時代幕開けの一翼を担った。
・&bold(){イスパニア有名用語全集}
イスパニアに纏わる有名用語全集
&bold(){太陽の沈まぬ大帝国}
&bold(){黄金時代}
&bold(){無敵艦隊}
&bold(){大航海時代}
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**宣伝:大航海時代の先駆者イスパニア
#ref(http://www.volvox.co.jp/pict/p00900/hp00683b.jpg)
我らイスパニアは、世界に先駆け世界一周大航海に乗り出し、西はインディア、東はジパングにまで到達したのである。
偉大なる先祖の輝かしいこの偉業を語り継ぎ、我らスペインの誇りとしよう!
#video(http://jimaku.in/w/yRwr1f_tzM4/dzoHy_Xvjgb)
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