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「ゆとり教育」の背景と真実を知れば彼らの本当の姿が見えてくる
2016年に新社会人となった「究極のゆとり世代」。彼らは、小学校から中高まで、ほぼ丸々、ゆとり教育を受けて育った。これまで、ゆとりに散々苦しめられたと考えている管理職にとって、彼らの登場は恐怖ですらあるかもしれない。しかし、ゆとり教育について正しく知れば、少し考えが変わるだろう。
たとえば「ゆとり教育」が何年から始まり、何年に終わっているか、ご存じだろうか?
実は「ゆとり教育」はとても複雑だ。そもそも、ゆとり世代とは2016年現在で、何歳から何歳のことだろうか?実は「学習指導要領」の開始の年と、実際に教育を受けた生徒の学年がずれていくので、はっきりと何歳が「ゆとり」とは言いにくい。
「ゆとり教育」の制度自体は、2002年度に学習指導要領が改訂されたことにより始まった。2002年には完全学校週5日制に移行。その後、この学習指導要領は2011年度に再び改訂されて終了し、「脱ゆとり教育」へと方向転換した。この前2年間には、脱ゆとり教育への準備として「移行期間」がある。
つまり、2002~2010年度までの間に小、中学生だった人たちが「ゆとり世代」である。年齢で言うと、1987~1996年生まれまで。2016年現在で、20~29歳くらいだ。
しかし、生まれ年によっても、ゆとり教育に触れた長さが違う。たとえば、1993年生まれの今年23歳は、小学校3年生から中学校3年生まで、ゆとり教育を受けた(脱ゆとり教育移行期間なし)。一方、1995年生まれの今年21歳は、小学校1年生から中学校3年生まで、通年でゆとり教育を受けた唯一の存在である(中2中3は脱ゆとり教育移行期間)。
1996年生まれで今年20歳は、小学校は丸々ゆとり教育を受け、中学校3年間は移行期間、高校で理科・数学のみ脱ゆとり教育を受けている。
このようにゆとり世代と一口で言っても、どの程度の期間、ゆとり教育に触れたかはさまざまなのだが、1994年生まれ、1995年生まれ、1996年生まれの人は義務教育課程から高校までゆとり教育を受けたことになり、「究極のゆとり世代」と言える。
一方、1年でもゆとり教育を受けた人をゆとり世代に含めるとすると、1987年4月2日生まれ~2004年4月1日生まれの人がゆとり世代に当てはまる。しかし、1989年生まれまでは小学校時代、すべて旧課程教育を受けているし、後半の2002年生まれ以降は、ほぼ脱ゆとり教育なので、こうした年代はゆとりとは呼べないだろう。
このように、同じゆとり世代でも、小学校低学年は旧課程教育を受けた人、小学校ではゆとり教育だが中学校は完全脱ゆとり教育を受けた人、というように学年によって様々なのだ。
20代からアラフォーのゆとり「直前」や「初期」こそが問題だった
ゆとり教育が行われたのは、ほんの10年間ほど。この間に小学生、中学生だった生徒たちは、目まぐるしく変わる教育方針に振り回されたし、教育現場の先生たちも混乱を極めた。
そもそも、「ゆとり教育」とは、彼らに問題があったわけではなく、その前の時代に問題点があったために教育改革を迫られたことが背景にあった。
1970年代末期から、学校では「校内暴力」が最大の問題となった。この荒れた学校を立て直そうとして、1977年度版の学習指導要領に「ゆとり」という言葉が初めて登場する。その元凶として指摘されたのは「詰め込み教育」だ。この詰め込み教育が子どもたちからゆとりを奪い、中学での校内暴力などの荒れた学校を招いたと取り沙汰されたことから、見直しが議論されるようになっていった。
「ゆとりのある子どもらしい生活」をさせるべきだということで、競争させない教育にシフトし、運動会でも1等に賞品を出さない、試験の順位を校内に貼り出さない、放課後に補習をさせないなど、子どもたちにムリをさせないという意識が現場に生まれたのだ。
こうした流れの中、1980年には小学校から「ゆとり教育」らしきものが始まっている。これは、今のアラフォー世代。ただし、はっきりとした「ゆとり教育」ではなく、「なんとなくゆとり」だ。
しかし、いじめや引きこもりが急増し、深刻になってきたことから、2002年に本格的な「ゆとり教育」が開始された。ところが、この「ゆとり教育」を受けた人間がどう仕上がるのかを待たずして、「ゆとり教育」は見直され、「脱ゆとり教育」へとシフトしていく。学力低下や社会適応能力などが問題視され、「失敗」と言われるようになったためだ。
結果的に、小学校から中学校まで完全なる「ゆとり教育」を受けた生徒は、ほんの3学年だけとなる。その「究極のゆとり世代」が2016年から、新入社員として社会に放たれた。真の「ゆとり教育」の答えは、今から出ると言っても過言ではない。
「脱ゆとり教育」に変革したのは、彼らより前の混乱期の生徒たちが、社会に適応できず、「ゆとりはダメだ」と社会問題になって、教育の見直しを迫られたから。アラフォーから20代半ばの「なんとなくゆとり」世代が問題なのだ。
お腹が痛いといえば即、帰宅できる。授業中に教室を走り回っても怒られない。しかも運動会の徒競走で全員手を繋いでゴールするという学校まで現れるなど、親も現場も試行錯誤の時代の生徒たちで、「競争を知らない」「打たれ弱い」「物事を軽く見る」「キレやすい」「自主性がない」などの、いわゆるゆとりのイメージを形成した世代。ゆとり初期はストレス耐性がなく、「叱られることを嫌う」「すぐ逃げ出す」等の行動が多く見られ、上司に一度怒られてしまうと恐怖心に打ち克つことができず、翌日会社をやめるとメールを送ってくるなど、「ゆとり前期」は様々な伝説を残すこととなる。
学力低下の元凶もゆとり直前・初期世代
「ゆとり教育」の学力低下が問題になったのも、実は「ゆとり前期」の結果だ。2000年、国際規模のテストPISA(OECD生徒の学習到達度調査)での日本のランクは数学的リテラシー1位、科学的リテラシー2位、読解力8位だった。その後2003年、2006年で連続ダウン。特に2006年の順位の下落ぶりは顕著で、数学的リテラシーが同6位から10位へ、科学的リテラシーが同2位から6位へ、読解力が同14位から15位へとダウンした。
2003年の段階で、すでに日本は「世界トップレベルとは言えない状況」という結果が出てしまっている。これを受けてその後、「脱ゆとり教育」が検討され、2011年、新しい学習指導要領が実施された。
2012年の同テストでは数学が7位、読解力4位、科学4位と、ゆとり教育前のレベルに戻ってきて、「脱ゆとり教育」の効果が出たと言われているが、実は、この時受験した高校1年生は1996年生まれ。「究極のゆとり世代」なのだ。
成績がダウンしたのが「ゆとり初期」世代、そして回復したのが「究極のゆとり」世代。このことからも、「ゆとり教育」だから学力が低下したという根拠はないといっていい。
なぜゆとり初期と、後期の「究極のゆとり」世代で、こんなに違いがでてきているのか。学校の問題に加え、もうひとつ考えたいのが親だ。つまり親がちゃんと躾や教育をしていないことが考えられる。
ゆとり後期の「究極のゆとり世代」の親は、新人類世代。しかも、「究極の詰め込み教育世代」である。この世代は幼少期をいわゆるスパルタ教育で育ってきた。
元東京都知事の石原慎太郎氏が1969年に「スパルタ教育」という教育論の本を出版し、70万部のベストセラーになったことから一般家庭にまで肯定的に広まった教育論で、今では考えられないが、教師が長い定規で生徒の頭をバチバチ叩きながら教室を周り、問題ができなければ夜になっても家に帰してもらえないほど厳しく、生徒も必死で勉強し、学歴社会、受験戦争を生き抜いた。
詰め込み教育世代は、社会人になってバブルを経験するが、バブルと言っても、尻尾の方。バブルで本当に儲けたのは団塊の世代で、当時20歳代だった新人類たちは、労働力としてこき使われただけだ。確かに恩恵には預かっているが、バブルで踊らされ、24時間働いて、寝ないで遊び尽くし、金を残していない超消費世代とも言われる。
その親の親は、昭和初期生まれで、高度成長期を牽引してきた働き蜂。世界中からエコノミックアニマルとバッシングを受けるほど働いて、戦後から現在の裕福な日本を作った人たちが、ゆとり後期の祖父母世代なのだ。
そんな希少な「究極の詰め込み教育世代」の親と働き蜂の祖父母を持つ「究極のゆとり世代」もまた希少種と言えないだろうか。
意外に昭和にも親しみを持つ感情表現はクールでチームワーク好き
ポパイ・ハナコ世代とも言われる究極のゆとり世代の両親は、今も自由に大らかに活動的な毎日を過ごしている。働くのも好きで、働いた分は消費して人生を楽しむ。それを見て育ったゆとり後期は、ゆとり初期と違い、働くことの楽しみ方を知っており、思いのほかがんばれる傾向にある。
また、平成生まれを売りにする昭和嫌悪のゆとり前期に比べて、遠すぎて逆に昭和に憧れのあるゆとり後期は、親の影響で懐メロやディスコソングも知っているし、ケーブルテレビで昔のアニメを見たりもする。また、映画の原作を全部読んでいるなど、読書好きも多く見られる。
同時に、生まれた時からリビングにPC、携帯があるデジタルネイティブ。脳のIT化も進んでいて、わからないことは検索するのが当たり前で、知識も豊富だ。
昭和的感性と未来的思考が自然に共存し、「究極のゆとり教育」で、自分で答えを見つける自主性を教えられた彼らを上手に育てることができれば、企業としては、将来の頼もしい戦力になることが期待できるはずだ。
ゆとり後期はクールと言われているが、仕事が間に合わないときなどは、顔に出さないだけで、内心はめちゃくちゃ焦っている。ポーカーフェイスは、いじめを回避するために身についた習性のようなもの。ミスした時もすました顔をし、怒られていても表情が変わらないのもそう。怒られるときだけでなく、褒められても無表情だ。
だから、大勢の前で自分だけ褒められると喜びを表せなくなる。ありがとうございますと満面の笑みが返ってくると思いきや、「あー、そ~ですか」くらいしか返事がこない。このミスマッチが原因で、上司からすれば「ゆとりはわからん」となるのだ。
また、彼らは公の場で自己主張をしない。突出しないことがいじめられない処世術として生きているので、特別扱いを怖がるからだ。一方、チームで考えてがんばって結果を出す、みんなで一緒に喜ぶ、チームが評価されるということを喜ぶ。彼らの弱点は、知らない大人と話をしたことがないことだろう。
核家族のひとりっ子が多く、誘拐や不審者の問題から、知らない大人とは関わるなと教えられてきた。だから、社会に出て初めて関わる大人が上司なのだ。世間知らずとも言えるが、裏を返せば上司を通して彼らの社会的な認識が書き込まれる。彼らを教育するにあたって、上司の果たすべき役割は大きい。これから社会に出る「究極のゆとり世代」を、クズにするのも金の卵にするのも上司次第、とすら言えるだろう。