パピルス写本で遡る事のできる新約聖書の年代
 
さて、ここでは最も古い写本群に属するパピルス写本から、各書簡の成立年代がどこまで遡れるかを一覧表にて示す。この一覧表は、パピルスの各写本にどの書簡の本文が書かれていたのかを表す。その中で最も古いパピルスの成立年代を、遡れる最も早い年代として記載した。
 
パピルス番号(P1~134)
※シナイはシナイ写本のことで、パピルスではなく大文字写本(羊皮紙)の分類
 
マタイ福音書 P1、19、21、25、35、37、44、45、53、62、64、67、70、71、73、77、83、86、96、101、102、103、104、105、110 150年
マルコ福音書 P45、84、88 250年
ルカ福音書 P3、4、7、42、45、69、75、82、97、111 175-225年
ヨハネ福音書 P2、5、6、22、28、36、39、45、52、55、59、63、66、75、76、80、84、90、93、95、106、107、108、109、119、120、121、122、128、134 125年
使徒行伝 P8、29、33、38、41、45、48、50、53、56、57、58、74、91、112、127 250年
ローマ書簡 P10、26、27、31、40、46、61、94、99、113、118、131 175-225年
第一コリント書簡 P14、15、34、46、61、68、123、129 175-225年
第二コリント書簡 P34、46、99、117、124 175-225年
ガラテア書簡 P46、51、99 175-225年
エフェソス書簡 P46、49、92、99 175-225年
フィリピ書簡 P16、46、61 175-225年
コロサイ書簡 P46、61 175-225年
テサロニケ第一書簡 P30、46、61、65、92 175-225年
テサロニケ第二書簡 P30 250年
第一テモテ書簡 シナイ 350年
第二テモテ書簡 シナイ 350年
テトス書簡 P32、61 200年
フィレモン書簡 P61、87 250年
ヘブライ書簡 P12、13、17、46、79、89、114、116、126、128、130 175-225年
ヤコブ書簡 P20、23、54、74、100 250年
第一ペテロ書簡 P72、74、81、125 300年
第二ペテロ書簡 P72、74 300年
第一ヨハネ書簡 P9、74 250年 
第二ヨハネ書簡 P74、シナイ 350年
第三ヨハネ書簡 P74、シナイ 350年
ユダ書簡 P72、78 300年
ヨハネ黙示録 P18、24、43、47、85、98、115 150年
 
パピルス写本で最も古いものはP52で、125年頃の写本である。P52にはヨハネ福音書の一部が書かれている。
次にP90、P98、P104であり、150年頃の写本である。これらは各々、ヨハネ福音書(P90)、ヨハネ黙示録(P98)、マタイ福音書(P104)の一部が書かれている。
チェスター・ビューティー・パピルス(P45-47)は、175-225年に書かれた写本である。P45には四福音書が、P46にはパウロ十書簡(ローマ、ヘブライ、コリント一二、エフェソス、ガラティア、フィリピ、コロサイ、テサロニケ一二の順)が、P47にはヨハネ黙示録の一部が書かれている。
多くの公同書簡に至っては、パピルスでも250~350年頃にならないと確認できていない。第二・第三ヨハネ書簡はP74で発見されているが350年頃に留まる。
さらに、牧会書簡のうち第一・第二テモテに関しては未だにパピルスの形では発見されておらず、教父たちの引用を除けば、羊皮紙のシナイ写本からしか遡ることができない(但しテトス書簡はP32で見いだされており200年頃まで遡れる)。
 
あくまでこれは純粋に発見されたパピルス写本の中だけで遡ったデータである。教父たちの引用等を考慮すれば、各書簡の成立年代はもっと早く推定することができる。ただしこのデータから、比較的初期の頃に流布した書簡と比較的後期に流布した書簡が類推できるだろう。
 
教父の引用や正典目録でさらに遡る
 
★第3代ローマ司教のクレメンス(91-101年)
『第一クレメンス書簡(第一コリントス書簡)』(96年)
 
引用:第一コリントス書
 
★第2代アンティオキア司教のイグナティオス(35-107)
『イグナティオス書簡』(2世紀初め)
 
引用;パウロ書簡について言及
 
★スミルナ司教のポリュカルポス(69-155)
『ポリュカルポス書簡(フィリピ書簡)』(110年頃)
 
引用:フィリピ書、マタイ福音書、第一コリントス書、エフェソス書、第一ヨハネ書
 
…牧会書簡と同じ表現が目立つ
 
★『バルナバ書簡』(130年頃)
 
★フリュギアのヒエラポリス司教のパピアス(70~146)
『パピアスの断片(主の言葉の解説)』(130-140年)
 
…マルコはペテロの通訳だった
…マタイはヘブライ語で福音書を書いた
 
引用:マルコ福音書、マタイ福音書、第一・第二ヨハネ書、第一ペテロ書
 
★マルキオン聖書(140年)
 
正典目録:ルカ福音書、ガラテア書、第一・第二コリントス書、ローマ書、第一・第二テサロニケ書、エフェソス書、コロサイ書、フィリピ書、フィレモン書
 
★『ヘルマスの牧者』(140年頃)
 
★ディダケー『十二使徒の教訓』(150年頃)
 
★ギリシア教父ユスティノス(100-162)
『第一弁明』『第二弁明』『ユダヤ人とリュフォンとの対話』
『異端駁論』
 
◆エイレナイオス(177~200)
『異端反駁』(180年)
 
その他小冊子
 
引用:四福音書、使徒行伝、パウロ十三書簡、ヘブライ書簡
 
◆ムラトリ正典目録(200年頃)
 
正典目録:四福音書、使徒行伝、パウロ十三書簡、第一・二ヨハネ、ユダ書、ヨハネ黙示録
 
◆アレクサンドリアのオリゲネス(182-251)
キリスト教教師となる(210-250)
 
正典目録:四福音書、パウロ十三書簡、使徒行伝、第一ペテロ書、第一ヨハネ書、ヨハネ黙示録
 
反対意見のあるもの:ヘブライ書、第二ペテロ書、第二・第三ヨハネ、ヤコブ書、ユダ書
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以下、先のパピルス写本からの年代推定から、教父や正典目録の記録によりさらに遡れる年代を示す。
 
マタイ福音書  150年→ 110年
マルコ福音書 250年→ 130-140年
ルカ福音書  175-225年→ 140年
ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年
ローマ書簡 175-225年→ 140年
第一コリント書簡 175-225年→ 96年
第二コリント書簡 175-225年→ 140年
ガラテア書簡 175-225年→ 140年
エフェソス書簡 175-225年→ 110年
フィリピ書簡  175-225年→ 110年
コロサイ書簡  175-225年→ 140年
テサロニケ第一書簡  175-225年→ 140年
テサロニケ第二書簡  250年→ 140年
第一テモテ書簡 350年→ 180年
第二テモテ書簡 350年→ 180年
テトス書簡 200年→ 180年
フィレモン書簡  250年→ 140年
ヘブライ書簡  180-200年
ヤコブ書簡  250年→ 210-250年
第一ペテロ書簡  300年→ 130-140年
第二ペテロ書簡  300年→ 210-250年
第一ヨハネ書簡  250年→ 110年
第二ヨハネ書簡  350年→ 130-140年
第三ヨハネ書簡  350年→ 210-250年
ユダ書簡  300年→ 200年
ヨハネ黙示録  150年
 
以上が、各書簡ごとに遡れる成立年代の下限となる。つまり、どんなに遅くともこの年代までには書かれたということである。やはり、牧会書簡(第一・第二テモテ書簡、テトス書簡)、ヘブライ書簡、ヤコブ書簡、第二ペテロ書簡、第三ヨハネ書簡、ユダ書簡は、パピアスにおいても教父たちの引用においても登場が遅く、福音書やパウロ文書よりも成立年代が遅いと考えられる。
 
成立年代の上限については、文書そのものから比較検討するなどして、別の角度から検証しなくてはならない。
最終更新:2016年09月17日 23:24