▼主な異端(セクト)

正統派教会(ローマ・カトリック教会)から歴史的に異端視されてきた主なキリスト教宗派を以下にまとめる。

▼初期

  • キリスト教グノーシス主義
    • シモン・マグス(魔術師シモン)(50年頃)…あらゆる異端の父祖。
    • メナンドロス派(70年頃)
    • サトルニノス派(80年頃)
    • バシリデス派とカルポクラテス派(120年頃)
    • ウァレンティノス派(150年頃)
…反宇宙的二元論(旧約の神は悪、新約の神は善)、仮現論(イエスの人性を否定。イエスは肉体を身に着けた霊者)。
  • ケリントス派(90年頃)
…キリストの千年王国はこの地上に現れると説いた。類似の異端にネポス(250年頃)がいる。
  • マルキオン派(150年頃)
…旧約の神はキリストの父なる神より劣った神と見なして、ユダヤ教や旧約聖書を否定し、ルカ福音書+十のパウロ文書による独自の正典を作成した(『マルキオン聖書』)。
  • モンタノス派(160年頃)
…プリシキラとマクシミラという二人の預言者を連れ歩き、異言による恍惚状態に陥って終末論的な預言をした。フリギヤの小さな村に新しいエルサレムが到来すると説いた。
  • エビオン派(170年頃)
…70年エルサレム陥落の前にペレアの山地に逃げたユダヤ人エルサレム教会の脈絡から生まれた派。キリストの処女降誕を否定し、キリストはマリアとヨセフの性交によって人間として生まれ、律法の遵守によって神から義とみなされたと説いた。
  • テオドトス派(190年頃)
…キリストの神性を否定し、無神論的に単なる人間であったと説く。彼の弟子たちは幾何学や哲学を研究し、聖書の写本を改竄した。一種の高等批評の先駆け。
  • アルテモン派(225年頃)
…キリストは人間として生まれたが、洗礼を受けたことで聖霊を受けて、神の養子となった、と説いた(養子説)。アンティオキア司教サモサタのパウロ(在位260-268年)により再興された。
  • オリゲネス(185頃-253/54年)
…553年に異端とされる。御子の起源の永遠性を主張したが、御父に対する御子の従属性をも説いた(従属的三一神論)。また万人救済説を説いたとされる。
  • モナルキア主義
…唯一神論、単一神論を説く派の総称。
  • サベリウス(?-260年)
…サベリウス主義、神は単一で、父や子に様態を変化させる(様態論)。
  • ノエトス(235年以前、あるいは245年頃)
…スミルナ(あるいはエフェソス)の司教。キリスト=父なる神であると説いた(父受難説)。
  • ノウァトス派(ノウァティアヌス派)(250年頃)
…251年ローマ教会の対立教皇となる。デキウス帝の迫害(249-250年)の際の棄教者の教会復帰を認めるか否かの問題で、ノウァトスは非妥協の厳格主義の立場を取った。
  • アレイオス(アリウス)(250-336年)
…アレイオス派、御子は父なる神の被造物であり、絶対的な神性を否定。従属説を説いていた。→ゲルマン人に広まる。
  • マケドニウス1世(?-360年)
…マケドニウス派、聖霊の神性を否定。
  • ペラギウス(354-420年)
…ペラギウス主義、人は自由意志の行使によって功徳を積むことによって救いに至れる。贖罪論否定、幼児洗礼否定。
  • ドナトゥス(?-355年)
…ドナトゥス派、一度教会を離れた人のサクラメントは無効になる。
  • アポリナリオス(310-390年)
…アポリナリオス派、肉体=人、理性=神。
  • エウトゥケス(380頃-456頃)
…キリスト単性論、人性は神性に融合し、神性のみとなった。→非カルケドン派(アルメニア使徒教会、コプト正教会、エチオピア正教会、シリア正教会)
  • ネストリウス(381?-451?)
…ネストリウス派、神格と人格の二つは分離している。→アッシリア東方教会、景教
  • ホノリウス1世(?-638年)
…単意論、子は二つの本性(神性・人性)を持つが、神の意志のみを持つ。→マロン派(東方典礼カトリック教会、1182年に単意論を捨てローマ・カトリックと合同した)。
  • イコノクラスム(聖像破壊運動)(726年~)
…726年、東ローマ皇帝レオーン3世は聖像破壊 に取り組み、730年、聖像禁止令を出した。レオーン3世の子コンスタンティノス5世は、754年、公会議で聖像擁護派を排斥し、聖像破壊運動を推進したが、787年、皇后エイレーネーの働きで第二ニカイア公会議が開かれ、聖像破壊主義者は排斥された。

▼中世

  • カタリ派(アルビ派、アルビジョア派)(10世紀半ば)
…世界はサタンが創造した、結婚、生殖、生活はすべて罪とし、禁欲主義を説く。
  • コンピエーニュのロスケリヌス(1050頃-1125)
…普遍論争における唯名論の創始者。三神論を主張した。
  • ピーター・ワルドー(1140-1218?)
…ワルドー派、聖書主義、カトリックの非聖書的な伝統を否定。
  • オッカムのウィリアム(1285-1347)
…唯名論派。論理における節約の原理を提唱(オッカムの剃刀)。
  • ジョン・ウィクリフ(1320-1384)
…聖書を母国語(英語)に翻訳。カトリックの非聖書的な伝統を批判(化体説など)
  • ヤン・フス(1369-1415)
…早期の宗教改革者。ウィクリフの理論的継承者。免罪符などを批判。
  • マルティン・ルター(1483-1546)
…カトリック教会の免罪符を批判。信仰のみによる救い(信仰義認)、信仰の土台は聖書のみ、煉獄・秘跡を批判、万人祭司説を説き、プロテスタントによる宗教改革の代表的存在となった。
  • ウィリアム・ティンダル(1494-1536)
…聖書を初めてヘブライ語・ギリシャ語原典(モーセ五書+ヨナ書、新約聖書全巻)から母国語(英語)に翻訳した。モーセ五書の翻訳した際、神の名(テトラグラマトン)をIehouah(イェホウァー)と翻訳。また新約聖書では語義的に正確にchurch(教会)をcongregation(会衆)、priest(司祭)をelder(長老)と翻訳した。また新約聖書の翻訳にはエラスムスのTR(テクストゥス・レセプトゥス)を底本にし、コンマ・ヨハンネウムを削除した。それ故、ウルガタ訳に権威を置くカトリックや英国王ヘンリー8世、そして『ユートピア』の著者である聖職者トマス・モアに迫害され、逃亡地のアントワープで拘束され処刑される。
  • ファウスト・ソッツィーニ(1539-1604)
…ソッツィーニ派。またはポーランド兄弟団、小改革派教会とも。リーリアス・ソッツィーニが唱道し、甥のファウスト・ソッツィーニが指導した。ユニテリアン主義の祖とされる。リーリアス・ソッツィーニは、三位一体を否定したことによってカルヴァンに処刑されたセルベトゥスに感化され、三位一体論に否定的な立場を取る。甥のファウスト・ソッツィーニはカトリック教会に追われてポーランドへ逃亡し、再洗礼派のグループと合同してクラクフの町を建設し、大学も創立した。彼の死後、教理問答『ラカウ・カテキズム』(1604年)が出版される。しかし、国家とイエズス会により厳しい迫害を受け、1638年には教会堂と印刷機は破壊され、大学は閉鎖される。さらに1658年には信者たちは国外追放を命じられる。その後、英国のジョン・ビドル(1615-1662)によって『教理問答』は英訳され、英国におけるユニテリアン主義の形成に影響を与える(ジョン・ビドル自身は投獄され獄死する)。ポーランド兄弟団(小改革派)は三位一体を否定した。彼らはキリストの先在性を否定し、模範的な人間であると見なした。また幼児洗礼や戦争を否定、政教分離を主張し、霊魂不滅、地獄、贖罪、原罪の教理を否定した。そして理性と道徳の実践に重きを置いていた。


最終更新:2017年08月27日 01:01