■イエスの復活後の時系列


イエスの復活後の出来事を、聖書の記述を基に、時系列にまとめた。ユダヤ暦では、日没から日没までが一日であることに注意。


▼ニサン14日(金曜日)・・・第九時(午後三時)頃、イエス亡くなる。

▼ニサン15日(土曜日)・・・(大いなる)安息日
※通常、過越(ニサン14日)の次の日は、どの曜日でも安息日とみなされるが、この年は、過越の次の日も、実際の曜日も、共に安息日であったので、大いなる安息日と呼ばれた。(ヨハネ19:31)
※ユダヤ教、原始キリスト教の礼拝日

▼ニサン16日(日曜日)・・・イエス復活(死後三日目)。
※一般的に「主日」(キリスト教の礼拝日)とされる。

▼マグダラのマリアたちはアロマを購入する


<マルコ16:1>

◎ニサン16日(日曜日)の夜
「安息日が過ぎると」(マルコ16:1)

  • マグダラのマリアとマリアとヤコブの母マリアとサロメは、アロマを購入する。

▼空の墓を見る、女性たちに主が現れる


<マルコ16:2-8、マタイ28:1-15、ルカ24:1-12、ヨハネ20:1-18>

◎ニサン16日(日曜日)の早朝
「安息日の夕方(または後)、週の第一日の明け方」(マタイ28:1)
「週のはじめの日、朝まだき、日の出とともに」(マルコ16:2)
「週のはじめの日・・・明け方早い内に」(ルカ24:1)
「週のはじめの日・・・早朝、夜明け前」(ヨハネ20:1)

  • 大きな地震が起こる(主の天使が天から下って来て石を転がしたから)。
  • 墓の入口の石が転がって取り除かれる。
  • その天使はその石の上に座る。稲妻のような姿で、衣は雪のように白かった。
  • それを見ている者たち(衛兵たち)は恐れ、死んだようになった(気絶した?)。
  • (この間にその天使は一旦その場を離れ、マリアたちには見えない処に居たと思われる)。

  • そこへマグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリアが、用意していたアロマを持って墓に来る。
  • マグダラのマリア、墓の石が取り除かれているのを見る。
  • マグダラのマリアは一人で、走って使徒ペテロとヨハネに報告しに行く。

  • 他の女たちは、墓の中に入ると、墓は空だった。
  • すると、輝く衣を来た二人の男が立ち、イエスの復活を告げる。(マルコ伝では、墓の中の右側に若者が白い外衣をはおって座っていた。マタイ伝では、転がされた石の上に座っていた。つまり、墓の中に一人の天使が居て、転がされた石の上にいてその場を一旦離れていた一人の天使が、女たちのそばに立ったと思われる)。
  • 天使たちは、イエスの復活を告げ、イエスはガリラヤに先立ち、そこに行けば彼に会えると告げる。
  • 彼女たちは走って帰って、恐れと喜びをもって、十一人の弟子たちと他の者たちに伝えた。(マルコ伝では、彼女たちは恐れて墓から逃げ、誰にも何も言わなかった。)

  • イエスは(弟子たちの下に向かっている)彼女たちに出会う。
  • 彼女たちは、彼の足に触って拝礼する。
  • イエスは彼女たちに、我が兄弟たちにガリラヤに行くように伝えなさい。そこで私と会えるだろう、と告げる。

  • 彼女たちが報告に行っている間に、天使を見て死んだようになっていた衛兵たちは、起きてエルサレムの町に来て、祭司長たちに起こったことをすべて告げる。
  • 祭司長と長老たちは会議を開いて、衛兵たちに賄賂を渡して、イエスの弟子たちが夜中に来て、彼を隠したと言えと命じる。

  • 報告を受けた使徒ペテロとヨハネは出てきて、墓まで走って来る。(マグダラのマリアも着いて行ったと思われる)。
  • 使徒ヨハネ、墓の入り口まで走って行き、亜麻布が置いてあるのを見る。
  • 次いで使徒ペテロは墓の中に入り、亜麻布と、別の場所に頭にあった手ぬぐいも発見する。
  • それから使徒ヨハネも中に入り、空の墓を見て信じて、帰っていく。

  • マグダラのマリアだけはまだ墓の所に立ち、泣いていた。
  • マリア、墓の中を覗くと、白衣を着た二人の天使が座っている。一人はイエスの身体が置かれていた頭の方に、もう一人は足の所に。天使がマリアに話しかける。
  • マリアが後ろを振り向くと、イエスが立っている。しかし、イエスと気づかず、園丁だと思い込む。
  • イエスがマリアの名前を呼びかけると、マリアは再び振り返り、イエスだと気づき、「ラブニ(師よ)」と言ってすがりつく。
  • イエスは、私はまだ父のもと(天)に昇っていないから、すがりつくのをやめよ、と言われる。(※イエスはマリアにすがりつくなと言ったのであって、触るなと言った訳ではない。なぜなら、他の女性たちはイエスに触っているし、弟子たちにも触るように指示している)。
  • マリアは弟子たちに報告しに行く。

▼エマオに向かう二人に会う


<ルカ24:13-33>

◎ニサン16日(日曜日)の昼頃
「同じ日に」(ルカ24:13)

  • 彼らのうち二人(クレオパスともう一人)が、エルサレムから六十スタディオン(約11キロ)離れたエマオ村に行く途中だった。
  • 二人が復活の出来事について議論している時に、イエスが近づいて来て一緒に歩く。
  • イエスは聖書からご自分の復活について解説する。

  • 「夕方近く(日が傾いた頃)」、エマオに到着すると、二人はイエスを強いて自宅に招く。
  • イエスが食卓で、祝福してパンを割き、彼らに渡すと、二人の目は開けてイエスだと気づく。
  • それからイエスは彼らには見えなくなった。(※幻のように消えたとは限らない。イエスは家を立ち去り、エルサレムに戻って行ったと思われる)。

  • 「その時」(夕方頃)、二人はエルサレムに帰って行き、十一人とその仲間たちの集いに来る。(※イエスが次に弟子たちに現れるのは、同じ日の夕方なので、二人は日没前にはエルサレムに到着していなければならない。六十スタディオン(約11キロ)だと、普通に歩くと2~3時間、走れば1時間ほどで到着できるか)。
  • 弟子たちは、主がシモン(ペテロ)に現れたと騒いでいた(※参:1コリ15:5では、使徒の中では一番最初にケファ(ペテロ)に会ったと述べられているから、エマオの二人が来る前に、先に戻っていたイエスが、ペテロが一人でいる所に現れたと思われる)。
  • 二人も、主に会ったことを彼らに報告する。

▼使徒たちに現れる


<ルカ24:36-49、ヨハネ20:19-23>

◎ニサン16日(日曜日)の夕方
「その日、週のはじめの日・・・の夕方」(ヨハネ20:19)

  • エルサレムの家に居た弟子たち(十一人と、他の弟子たちと、エマオから帰ってきた二人も含む)は、ユダヤ人を恐れて戸を閉めていた。
  • 彼らが語り合っていると、イエスは入って来て、弟子たちの真ん中に立った。(※扉をすり抜けたとは限らない。神の力で扉の鍵を開けて入って来たと思われる)。
  • 彼らは恐れて、霊を見ていると思った。
  • しかし、イエスは、自分に触るように言って、肉と骨がある(肉体である)ことを教え、焼き魚を食べる所を見せた。
  • イエスは聖書(モーセ五書、預言書、詩編)から、主の復活について解説し、彼らの理性を開かせた。
  • そして、父の約束(聖霊)が来るまでは、エルサレムに座していなさいと告げる。(※ルカ伝では、エルサレムに留まっていよと命じ、ガリラヤに行く記述が皆無だが、他の書では天使によってガリラヤに行くよう命じている)

  • 使徒トマスはイエスが来た時に一緒にいなかったので、このことを信じなかった。

▼再び使徒たち、そしてトマスにも現れる


<ヨハネ20:24-28>

◎ニサン24日(月曜日)
「八日後」(ヨハネ20:26)

  • エルサレムの家に弟子たちと使徒トマスが一緒にいる。戸は閉じられている。
  • イエスが入って来て、弟子たちの真ん中に立つ。
  • イエスは、直接見ないと信じようとしなかったトマスに、自分の手と脇の穴に触れるよう命じる。
  • トマスはイエスを信じ、「我が主、我が神」と言う。
  • イエスは、見ないで信じる者は幸いである、と言われる。

▼十一弟子は、命じられた通り、ガリラヤに行く

  • イエスは弟子たちに先立ってガリラヤに向かったはず。

▼ガリラヤ湖での三度目の再会


<ヨハネ21:1-23>

「その後」(ヨハネ21:1)

  • ティベリアの海(ガリラヤ湖)で弟子たちに現れる。
  • 使徒ペテロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子ら(使徒ヤコブとヨハネ)、他の二人の弟子が一緒にいる。
  • ペテロの呼び掛けで彼らは漁をすることになるが、その夜は何も捕れない。
  • 明け方、イエスが岸辺に立つ。
  • イエスが命じるとおり網を降ろすと大量の魚(153匹)が捕れる。
  • 使徒ヨハネはその人がイエスだと気づいて叫ぶ。
  • 使徒ペテロはそれを聞くと、二十ペキュス程の距離(約10m)の海を泳いで、イエスの所まで来る。
  • 他の弟子たちは網を引きながら小舟で来る。
  • イエスは炭火を起こしてパンを用意して待っている。パンとおかずの魚で朝食を出してくれる。
  • イエスはペテロに三度、ご自分への愛を告白させる。(イエスは主を三度否認したペテロに愛を示された)
  • これはイエスが弟子たちに現れた三度目だった。

▼ガリラヤの山で五百人以上に現れる


<マタイ28:16-20、1コリ15:6>

  • 十一弟子は、イエスが命じた(いつ命じたかは不明)ガリラヤの山に行く。
  • 恐らく、五百人以上の兄弟たちも共に行った(1コリ15:6)。
  • そして彼に会って拝礼するが、迷う者もいた。(※迷う者がだれかは不明。少なくともガリラヤ湖で主にあった者たちではないだろう(ヨハネ21:12))
  • 「父と子と聖霊の名において洗礼を施しなさい。私は世の終わりまでいつの日もあなた方と共にいる」

▼主の兄弟ヤコブに会う


<1コリ15:7>

  • 五百人の弟子たちに会った後、どこかの時点で、主の兄弟ヤコブにも現れる(※参1コリ15:7)。

▼エルサレムにて


<使徒1:4-5>

  • この時点ですでに、弟子たちはガリラヤからエルサレムに戻っている。
  • イエスは、エルサレムから離れず、父の約束(聖霊)を待つように命じられる。あまり日の経たない内に、あなた方は聖霊により洗礼を受ける(つまりペンテコステの聖霊降臨のこと)、と告げられる。
  • この夜は、イエスは弟子たちと一緒に泊まったかもしれない(使徒1:4、synalizomai=共に集める、共に塩を摂る(共に食事をする)、synaulizomai=一緒に泊まる)。

※似たようなセリフはルカ伝におけるニサン16日の夕方の場面において記されているが、これは別の日の出来事として配置した。

▼オリーブ山での昇天


<ルカ24:50-53、使徒1:3-14>

◎復活から四十日後(使徒1:3)。イヤール25日。

  • イエスは彼らをベタニアの方に連れて行き、(オリーブ山にて)、手を挙げ、彼らを祝福した。
※ここにはマッテヤも居た。なぜなら、1コリ15:7で、イエスはヤコブの後に「すべての使徒たち」に現れたとあるから、数日後に使徒となるマッテヤもここに居たはず。
  • 弟子たちはイエスに、今この時期にイスラエルの為に御国を立て直されるのかと尋ねる。
  • イエスは、時については父が定める。だが、聖霊があなた方に下る時、あなた方は力を受け、エルサレム、サマリア、そして地の果て(異邦人諸国)までイエスの証人となると告げる。
  • 彼らが見ているうちに、上に揚げられ(昇天し)、雲が彼を覆った。彼らが見つめているところで天へと去った。
  • 彼らの傍らに二人の男が白い衣を着て立っていた。
  • 二人は、なぜ天を眺めつづけているのか、天へと昇ったイエスは、あなた方が見たのと同じような仕方で来臨すると告げる。

  • 弟子たちはオリーブ山からエルサレムに帰り、自分たちの滞在所の階上に上り、十一人と女たち、イエスの母マリアとその兄弟たちは、思いを一つにして祈り続け、また常に神殿で神を祝福していた。


■聖書主義的観点で時系列にまとめる際の問題点となる箇所


  • 福音書ごとに天使の現れ方や位置が異なる。
  • マルコ伝では、墓を見た女たちが、恐れて誰にも報告しなかったとある。(マルコ福音書はここで終わり、復活したイエスに会う場面は描かれない。16章8節以下の「短い付加」と「長い付加」は後代の付け足し)。
  • マルダラのマリアと他の女性たちの報告は別と見なす必要がある。
  • イエスはマグダラのマリアには、触れるなと言うが、他の女性は彼に触り、弟子たちにも体に触るように指示している。したがってここは、マリアはすでに彼に触っていたが、触るなではなく、すがりつくのをやめよと言ったと解釈する。
  • エマオの二人の家からエルサレムの弟子たちの滞在所まで六十スタディオン(約11キロ)離れているが、同じ日の夕方にイエスはエマオとエルサレムの両方で現れている。
  • ルカ伝では、ガリラヤへ行く場面が全カットされており、イエスは弟子たちにエルサレムに留まっていよと指示している。
  • ニサン16日夕方の弟子たちの集まりには、トマスはいなかったはずなのに、「十一人」(ルカ24:33)の使徒が集っていたと書かれている。
  • ガリラヤの山でイエスが現れた時、弟子たちに現れるのはすでに四度目になることになるが、まだ「迷う者もいた」(マタイ28:17)ということ。
  • ルカ伝は、50-53節では、イエスはベタニアの方に弟子たちを連れて行く場面がある。これが昇天の場面であるなら、49節までと50-53節には時間的な隔たりがあることになる。しかし、「天に挙げられた」という文は省かれている写本が多いので、昇天の場面とは限らない。



最終更新:2017年06月11日 11:24