心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ



 恐らくそれは、降って湧いた機会であると同時に覚悟を迫る最後通知であるに違いなかった。
 見知った顔が空を飛んでいる。いや正確にはふわふわと浮いていると説明することが正しかったのだが、
 『彼女』をよく知っている彼からすれば飛んでいる以外の何物でもないのだから、飛んでいるのだった。

「……」

 その隣では、彼と行動を共にする少女がぽかんと口を開けていた。間違いなく、彼女にとっては理外の沙汰に違いなかった。
 『彼女』をよく知る彼であるからこそ、あの行動は『彼女』らしくはあり、しかし馬鹿げている行動であり、
 直後会場に響き渡った声と共に、彼に決断を促す材料になった。
 息を吐いて、彼は当て所もなく動かしていただけの足を、はっきりとした意思を伴う形にして動かした。
 行かなくてはならない、と思ったからだ。

「……あ、えっと、あっちに、行くの……?」

 未だに困惑冷めやらぬ様子の彼女――、はるみと名乗った少女に、彼は――、ドリィは、うんと頷いた。

「なんか浮いてたんだけど」
「偵察のつもりだろうね。僕からしてみれば迂闊だ」

 弓さえあれば。この遠距離からでも間違いなく、抱えていたもう一人ごと撃ち貫くことができただろう。
 仲間にそれができるかどうかはともかくとして……。付け加えようとして、打ち消す。仲間ではない、敵だ。
 胸中がざわめいているのは、きっと目が良すぎて『彼女』の、カミュの表情までがはっきりと見えてしまったからに違いなかった。
 いつものように暢気な表情をしてきょろきょろと周囲を見回す彼女は、きっと自分達トゥスクルの人達を探しているであろうというのは、ドリィにはすぐ分かった。
 こういう時ばかりは射手に必要な視力の高さが鬱陶しいとドリィは思う。視力がなければ射手は務まらないとはいえ、殺す相手の表情がくっきりと見えるというのは気分の良いものではない。
 弓は殺す感触が薄いから、尚更だ。もっとも、今はその弓も手元にないのだからどうあっても近づいて殺さなくてはならないが……。
 腰に差している厚い刃を持つ短刀の感触を確かめるように撫でて、ドリィは今度こそやる、と言い聞かせる。
 既に三人。アルルゥ、ウルトリィ、そして自身の仕える主君たるオボロの妹君たるユズハが命を落としたらしい。
 特にユズハの死については、若様がさぞ心を痛めておられるだろうとドリィは思った。或いは血気盛んな主君のことだ、既に仇討ちのために動き始めている可能性は高い。
 時間に猶予は、無い。

「そうじゃなくて」

 気にするべきところはそこではないだろう、とでも言いたげに、はるみはぶんぶんと手を振った。

「飛んでるんだよ、人が!」
「……翼があるんだから、飛ぶと思うんだけど」
「人に翼はないでしょ!」
「だってそういう種族だし……」

 はるみは頭を抱えた。どうやら自分が気にしていないところが、はるみにとってはえらく不思議な事態であるということに、ドリィはようやく気がついた。
 しかし説明しているような時間はなく、ドリィは目的だけを簡潔に告げることにした。

「僕はあの子を殺しに行く」

 やれるのか? 即座に湧き出たその疑問を、肚の底に押し留める。他人は殺せても仲間は殺せないというのでは、自分は何のために半身を切り捨てたのか。
 生まれた意味を果たせずに死ぬ。捨て子として生まれ、命を長らえさせるためだけに生きてきたドリィにとって、戦士ですら在れないということは、死ぬよりも恥辱だ。

「……邪魔をするなら君も殺す」

 そのことを思い出さなければならない。はるみに出会った時に投げかけられた言葉に、感傷に浸ってしまい、今の今までぬるま湯に浸ってきたが……それも、ここまでだった。
 短刀に手をかけたドリィに、はるみは表情を強張らせた。だが、それも一時のことで――、次に彼女は、こう言い放った。

「『今』、殺さないんだ」

 それは己の弓よりも正確に、ドリィを射抜いた。

「あそこに見えた子は殺せて、私に今手をかけられない理由って何?」
「それは」
「本当はさ」

 それは、の次の一句。咄嗟に浮かばなかった間隙を見逃さず、はるみは二の矢を放つ。

「キミは、優しいんじゃないの?」

 違う、と返せなかった。そう、目の前にいるこの少女を、殺そうとしない理由は何だ?
 当たり前のように見逃そうとしていた、その理由はどこにある?

「……だったら、どうだと言うんだ」

 理由を探す前に、ドリィはまだ半人前ですらなかった頃の、修行を重ねていた時代に周囲からかけられていた嘲りの声を思い出すことにした。
 優男。雑用でもしているのがお似合いだ。戦士になんかなれるわけがないという声に満ちていたあの頃の記憶を頭に充満させ、ドリィは感覚を凶暴に研ぎ澄ませていく。
 短刀の取っ手に手を付ける。己の後ろに立つこの少女を、言葉次第で斬り殺す。なぜ今ではない、という疑問そのものを、かつての記憶で埋めることによって追い出した。

「止めはしない、けど。……つらいと思うよ」

 短刀は。

「私も、迷ってるから。心と違うことをし続けると壊れるって、聞いたことがあるから。だから、そうした方がいいって分かってるのに、できない」

 抜かなかった。

「ダーリンはきっと……、心のある私を、望んでると思うから……」

 半身よりも大切だと語ったはるみの姿が思い出され、ドリィはようやく、彼女に手をかけなかった理由を思い浮かべることができた。
 何の事はない。多分彼女は、グラァとよく似ているのだ。だから、今、手にかけられなかった。

「じゃあ君は、心を失くさない道を進めばいい。……僕は、失くしてでも」

 生まれた意味を果たさなければならない。いや、違うのだろう。全てを失くしてでも、若様のための戦士でありたいという、挟持という名の、心を守りたいのだろうとドリィは思った。

「守りたいの?」
「うん」
「自分が壊れてしまっても?」
「うん」
「それで、大好きな人に嫌われても?」
「うん」

 きっとそれは、自分に対する疑問以上の言葉であるはずで。
 だから、ドリィは最後に振り向いて、己の挟持の中身を明かした。

「命を捧げることは、僕の中だと、たぶん、心より尊いんだと思うから」

 はるみは泣きそうな、迷子になった稚児のような、途方に暮れた顔をしていたが――、ドリィの言葉を聞いて、目を見開いて、「心より尊いもの……」と呟いた。
 頷く。この感覚は、女子に分かることだろうか。考えても詮無いことだと思い、ドリィは踵を返してそのまま立ち去るつもりだった。

「待って」

 自分に続いて地面を踏み鳴らす音。
 ドリィはもう一度だけ、足を止めた。

「私も一緒に行く」
「止めはしない、けど。つらいよ」
「……心より尊いもの。私にも、見つかったから」

 はるみが隣に並んだ。改めて分かったことだが、彼女はドリィよりも少し背が高かった。
 自然と見上げる形になる。垣間見えた彼女の表情は……、稚児のような様子など、どこにもなかった。
 本当に、彼女は、それを見つけたらしいと確信して、ドリィは少しだけ意外な気分になった。

「行こうか」
「うん」

 意識してそうしているわけでもないのに、歩調は全く、はるみと同じだった。




【時間:1日目18:00ごろ】
【場所:D-6】

河野はるみ
【持ち物:トンプソンM1928A1(故障の可能性あり)、予備弾倉x3、水・食料一日分】
【状況:右腹部中破。ドリィに同行して人を殺す】

ドリィ
【持ち物:イーグルナイフ、水・食料一日分】
【状況:健康。17:30ごろC-5上空に見えたカミュともう一人を殺しに行く】


144:ヒビ割れエクソダス 時系列順 147:命を捧げる
145:くずれるせかい 投下順 147:命を捧げる
116:風は春色 河野はるみ 000:[[]]
ドリィ


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最終更新:2015年03月15日 09:20