7 石川 雄洋【いしかわ たけひろ】
【役職】選手
【生年月日】1986年7月10日【投/打】右/ 左【ポジション】二塁手, 遊撃手, 三塁手【プロ入り】2004年 6位【在籍期間】2005 -
【経歴】横浜高 - 横浜DeNA
栄冠掴むその日まで 恐れず飛び込めベースへ 君の熱き血潮で 燃えろ雄洋
- 06年 左打ちからスイッチヒッターへ転向、シーズン終盤に代打でプロ初出場。
- 07年 開幕1軍入りを果たすと4月1日の巨人戦で高橋尚成からプロ初安打を放つ。がその後練習中に故障、シーズンを棒に振った。
- 08年 左打ちに再転向。シーズン途中からは故障の石井琢朗、北京オリンピックで一時離脱した村田修一に代わる形で主に1番として起用されチームトップとなる10盗塁を記録。
- 09年 ショートとしてレギュラーに定着。初の規定打数到達、2年連続でチームトップとなる19盗塁を記録するも打率.242、出塁率.267、17失策と攻守で課題を残す結果となった。
- 10年 ショートのレギュラーとして主に1,2番で出場。リーグ2位となる36盗塁を記録、打率も.294、失策数も6つと飛躍の年となった。
- 11年 前年同様ショートのレギュラーとして1,2番を任されるも攻守共に粗さが目立ち、特に三振数は一時期リーグトップにまで達してしまった。
- 12年 キャンプからセカンドにコンバート。新生・横浜DeNAベイスターズ初代主将に指名される。シーズン始まってしばらくの間は極度の打撃不振に陥ったものの我慢強く起用された結果6月頃から調子を上げ、2割を切っていた打率は3割近くまで跳ね上がった。しかしオールスター休み前、前半戦最後となる7月18日ヤクルト戦で右手小指を骨折し戦線を離脱した。8月下旬に復帰するも8月25日巨人戦で今度は左手人差し指を骨折し登録抹消となった。8月の復帰後は移籍してきた内村賢介がセカンドで結果を残していた事もありライトの守備を守り好プレーも見せた。
- 俊足が武器のイケメン切り込み隊長。
- 横浜DeNAベイスターズ初代キャプテン。
- 野球ch、はませんでの主な愛称はキャップ、石川内野手(石内)、普段着、プードルなど
- 流し打ちが得意のスラップヒッター。
- 必殺技は妄想セーフティとタケタケステップ。
- インローを苦手とし、カットに行って空振り三振はもはやお約束。
- 若さゆえか攻守共に調子のムラが激しく何かとファンをやきもきさせる。
- 2012年時点での通算本塁打数が4本の通り、長打はないが俊足好打の典型的なリードオフマンタイプ。かと思えば三振数はスラッガー級だったりとまだまだ不安定さを残す。
- バントの上手さはチームでも上位。
- プレイスタイルに反して身体は大きく、それを活かした活躍も期待される。
- 守備面では所謂やらかしが多く、これが原因でチームが敗戦することもしばしばある。
- ベイスターズきっての努力家として知られ、練習に対しての姿勢はファンやチームメイトをも感心させる。
- 良い流れを壊したくないからと試合中に骨折した指の痛みを我慢して送りバントを決めるなど精神力の強さも見せる。
- 一方で性格面では未熟な面を残し、村田修一曰く調子の悪さが数字に出始めると途端に拗ねてしまうとか。
- 少し天然なところもある。ある日の練習中に同じ横浜高校の先輩でもある荒波翔とキャッチボールをしていた際、どうやら上の空になっていた石川はボールを投げ返さず、荒波に「早く投げろ!」と怒られたことがある。
- 村田修一や藤田一也らからは食事の際に皿に料理をよそってもらうほど甘やかされ、森本稀哲や新沼慎二からは打った日も打たなかった日も勝った日も負けた日も延々説教されるなど、どうやら先輩方からは何かと構いたくなる対象として映るらしい。
- 一行顔文字は〔‐`_´‐〕
最終更新:2024年04月02日 23:22