山田遥楓

1996年9月30日生まれ。佐賀県出身。
読み方は「やまだ はるか」
2014年にドラフト5巡目で高校を経て西武に指名される。

小学2年から兄の影響で野球を始め、中学は硬式野球チームでプレーする。
佐賀工業高へ進学すると(後述)1年秋よりレギュラーとなる。3年の時にキャプテンに就任、
夏の県大会では決勝まで進むも延長戦にて破れている。

入団後の2年間は1軍での出場はなく、17年6月30日に一度昇格も先発投手との兼ね合いで3日で2軍へ。
この年は106試合に出場、この年のフレッシュオールスターや台湾でのウインターリーグにてNPBウエスタン代表にも選出された。
18年シーズンは6月16日に対中日にて代打で1軍初出場、同年9月19日の対ハムでは8番サードでスタメン出場して初打席ハムムランを打ち立てた。
20年シーズンの1軍出場はわずか4試合にとどまったが、21年シーズンは主力のけがや新型コロナ感染者が出た事もあり、98試合に出場し内野全てのポジション
(1塁3試合/2塁39試合/遊撃31試合/3塁24試合)を守った。
22年シーズンは自主トレ中に新型コロナに罹患もキャンプに間に合った。開幕は1軍で迎えたもののベンチスタートが多かった。
同年4月2日に代打出場。練習試合から打者24人を抑えていたロッテ佐々木朗からチーム初ヒットを放ったり、4月10日にはトリプルプレーも完成させた。
同年11月2日に佐藤龍世とのトレードでハムにやってきた。
23年シーズン前半は腰の手術があり出遅れたものの、後半は1軍での試合出場もあり、29試合に出場したものの同年10月29日に移籍わずか1年で戦力外通告を受けた。

エピソード

  • 3歳の頃に右耳が先天性の難聴と判明、右耳の聴力がなく父親からは聞こえる左耳がプレー中の事故で聞こえなくなる事を懸念、また周囲からもその声はあったものの、ハンディを持つ自分を試したいとの事で強豪の佐賀工業高校への進学を決めたとの事。
  • 声出しに積極的でメディアから「元気印」と評さている。
  • 今季のハム戦でハムが3点リードしていた時に「ハンデ!ハンデ!」という声がベンチから球場に聞こえ、新庄監督が頭に来た事があったが、「この声は戦力になる」とムードメーカーとして評価している(この試合は西武の逆転勝ちとなった)。
  • 以前の球団にいた山川選手曰く「この選手はバッティングの際二段階ヒッチをするのでストレートが前に飛びません。変化球も打てません。声はでかいですが意味のある声を出すことはないです。ボールの回転もグチャグチャです。ぜひよろしくお願いします」とコメント。
  • スタメン外の時は江越と共に劇団FOXとしてスタメン紹介の際に盛り上げ役を買って出ていた。

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最終更新:2023年10月29日 16:44