H18. 1.27 名古屋地方裁判所 平成17年(ワ)第1218号 損害賠償請求事件

 拘置所長が,死刑判決の宣告を受けた未決拘禁者あてに差し入れられた冊子のうち死刑執行方法を定めた太政官布告の引用部分を抹消した処分につき,これを閲読させても拘置所内の規律及び秩序維持に障害が生ずる相当程度のがい然性があったとは認められないとして,上記抹消処分の違法性を認め,国に損害賠償が命じられた事例。


主文
1 被告は,原告に対し,金3万円及びこれに対する平成16年10月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用はこれを10分し,その3を被告の負担とし,その余は原告の負担とする。

4 この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。


 ただし,被告が金2万円の担保を供するときは,上記仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請 求

 被告は,原告に対し,10万円及びこれに対する平成16年10月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 本件は,死刑の控訴審判決の言渡しを受けて上告し,未決拘禁者として名古屋拘置所に在監中の原告が,名古屋拘置所長によって,原告あてに差し入れられた文書のうち,死刑執行方法を記述した部分を違法に抹消され,多大な精神的苦痛を被ったとして,被告に対し,国家賠償法に基づいて慰謝料及びこれに対する不法行為の日からの民法所定の遅延損害金の支払を求めた事案である。

1 争いのない事実等(争いのない事実のほかは,各項に掲記の各証拠等によって認める。)

(1) 原告は,平成13年6月14日,名古屋高等裁判所において死刑の控訴審判決を受けて上告し,名古屋拘置所に在監中の未決拘禁者である(弁論の全趣旨)。
(2) 平成16年10月25日,Aから原告あてに,郵送で「死中に活路あり」と題する資料集(乙17号証,以下「本件資料集」という。)が差し入れられた。


 原告は,同月26日,本件資料集の閲読を希望し,支障がある部分の抹消又は削除に同意する旨が不動文字で記載された「交付願(パンフレット類)」(乙2号証)に署名した上,これを提出した。

(3) 「収容者に閲読させる図書,新聞紙等取扱規程」(昭和41年矯正甲第1307号法務大臣訓令,以下「法務大臣訓令」という。乙8号証)3条1項は,未決拘禁者に閲読させる図書,新聞紙その他の文書図画は,①罪証隠滅に資するおそれのないもの,②身柄の確保を阻害するおそれのないもの,③紀律を害するおそれのないもの,以上の各号に該当するものでなければならないとし,同23条は,図書及び新聞紙以外の文書図画の取扱については,その所の実情に応じて所長が定める旨規定している。

 名古屋拘置所の運用基準である平成13年11月16日付け達示第16号「図書・新聞紙以外の文書図画取扱細則の制定について」(以下「達示第16号」という。乙3号証)2条によって準用される同日付け達示第15号「被収容者に閲読させる図書,新聞紙等取扱細則について」(以下「達示第15号」という。乙4号証)6条(1)クは,未決拘禁者に閲読を許可する図書,新聞紙等は,施設の管理運営上支障があるものに該当しないものでなければならないと定めている。
 名古屋拘置所長は,平成16年10月27日,原告による上記交付願に対し,原告が死刑判決の言渡しを受け,現在上告中であることを考慮し,本件抹消部分を閲読することによって心情不安となり,突発的に自殺自傷の行為に出るおそれがあり,身柄の確保及び施設の規律秩序維持に支障があると判断し,達示第15号の6条(1)クに該当するとして,本件文章を抹消した上で,その交付を許可することとした(乙5号証)。

(4) 名古屋拘置所長は,同月29日,本件資料集の69頁に記載された,「絞罪器機図式(明治6年太政官布告65号)」(正しくは「絞罪器械図式(明治6年太政官布告65号)」)の死刑執行の方法を記述した部分(以下「本件抹消部分」という。)を抹消した(以下「本件抹消処分」という。)上,これを原告に交付した(乙6号証)。

(5) 本件抹消処分がなされた上記絞罪器械図式の記述部分(ただし,口語体で記述したもの。)は,別紙のとおりである(弁論の全趣旨)。

2 争 点

名古屋拘置所長による本件抹消処分は裁量権の逸脱ないし濫用であって国家賠償法上違法であるか否か。
(原告の主張)

(1) 本件抹消処分は違法であること

 最高裁判所は,昭和58年6月22日の判決で,閲読の自由の制限が許されるためには,当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的,抽象的なおそれがあるというだけでは足りず,被拘禁者の性向,行状,監獄内の管理,保安の状況,当該新聞紙,図書等の内容その他具体的事情のもとにおいて,その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することができない程度の障害が生じる相当のがい然性があると認められることが必要であり,その場合においても,上記の制限の程度は,上記の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるものと解するのが相当であると判示しているが,本件抹消処分は以下のとおり,閲読の制限が許される要件を満たしておらず,違法である。


ア 東京拘置所,大阪拘置所及び福岡拘置所では,被収容者に対して本件抹消部分が記載された差入れ物があった場合でも,これを抹消していない。
イ 原告が名古屋拘置所において,東京拘置所在監中の相手から受領した信書には,本件抹消部分と同様の記載があるが,これに対する抹消処分はされていない。

ウ 本件抹消部分は,本件抹消処分がなされた直後まで,名古屋拘置所において特別官本として貸与されていた「死刑・消えゆく最後の野蛮」(B著)にも記載されており,上記図書を特別官本として採用した当時の名古屋拘置所長は,図書の内容を十分に検討した結果,支障はないと判断してこれを採用したはずである。


なお,原告が,本件抹消処分に関し,名古屋拘置所の担当者と面接した際,上記図書が特別官本となっていることを指摘したため,上記図書は特別官本から除外されたものと考えられる。

エ 原告は,本件訴訟提起前,名古屋拘置所企画首席と面談し,本件抹消処分に関する質問を行ったが,これについて納得できる説明はなかった。
オ 文書等の抹消処分は,被収容者の知る権利を制限するものであるから,本件抹消部分を抹消すべきか否かの判断は,特別官本とされている図書の内容や他の拘置所の取扱いを含めて,十分な調査確認の上で行われるべきであるところ,上記のとおり,名古屋拘置所長は,これらの調査確認を怠り,恣意的な抹消を行ったのであって,本件抹消処分は裁量権の濫用であり,違法である。

カ 名古屋拘置所に収容されている者に対して差入れがあった場合,被収容者は,差し入れられた図書等に対する抹消処分の有無を知らされないままに,抹消処分に同意する旨が記載された交付願を提出せざるを得ないのであって,同記載を根拠に本件抹消処分を適法とすることはできない。

キ 原告は,四日市拘置支所に在監中であった平成9年ころ,死刑求刑がされた後に,泌尿器科の治療を受けるため,拘置所職員に伴われて拘置所外の病院へ約3か月間通院していたが,このような状況下でも逃亡の意思など全くなく,その当時から心情は安定していた。


 原告が医師から睡眠薬の処方を受けていたのは,約20年前の交通事故の影響で偏頭痛及び右首筋から右手にかけて張りとしびれの症状があったことに加えて,虫歯の疼痛により眠れないことがあったためであって,精神的に不安定な常況にあったからではない。
また,本件抹消部分は,明治6年当時の「屋上絞架式」による死刑執行方法を記述したものであるが,現在の死刑執行方法は「地下絞架式」によるものであって執行の態様が異なる。

したがって,原告が本件抹消部分を閲読したところで,心情の安定を損なうことも,規律及び秩序維持上放置できない程度の障害が生じることもない。


ク 以上のとおり,本件抹消処分は,原告が本件抹消部分を閲読したとしても,名古屋拘置所内の規律及び秩序維持にとって放置できない程度の障害が生ずる相当のがい然性がないのに行われたものであって,原告の閲読の自由を侵害する違憲,違法なものである。

(2) 損害 
 原告は本件抹消処分によって多大な精神的苦痛を受けたので,国家賠償法に基づき,被告に対し,慰謝料として10万円及びこれに対する不法行為の日である平成16年10月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

(1) 未決拘禁者に対する文書及び図画閲読の制限


 未決拘禁者は,身体の自由が制限されるだけでなく,収容目的及びその実現のために必要な限度においてその他の権利も制限を受け,在監者の文書,図画の閲読についても,収容の目的実現のために必要な限度において制限を受けるが,その制限は,文書,図画等の閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持に放置することのできない程度の障害が生じる相当のがい然性があるときに,当該障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲内において許されるものである(これらにつき,最高裁判所昭和45年9月16日大法廷判決・民集24巻10号1410頁,同昭和58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁参照)。
 しかし,個々の文書等について閲読させることで上記障害の生じる相当のがい然性があるかどうか,当該障害発生のためにどのような程度の制限が相当かについては,当該施設の個々的事情に精通した長の判断に委ねられるべき点が多いから,かかる相当のがい然性の有無や制限の程度については,施設の長の裁量的判断に委ねられていると解される(上記最高裁判所昭和58年6月22日判決参照)。

 したがって,本件抹消処分が違法となるためには,拘置所内における規律及び秩序維持に放置できない程度の障害が生ずる相当のがい然性があり,その防止のために当該制限措置が必要であるとした名古屋拘置所長の判断に合理的根拠がないなど,その裁量権を逸脱又は濫用した場合でなければならない。


(2) 本件抹消処分について

ア 本件抹消処分の根拠

 在監者の新聞紙,図書等の閲読について,監獄法31条2項は,在監者に対する文書,図画の閲読の自由を制限することができる旨を定めるとともに,制限の具体的内容を命令に委任し,監獄法施行規則86条1項において,その制限の要件を定め,さらに,法務大臣訓令及び「収容者に閲読させる図書,新聞紙等取扱規程の運用について」(昭和41年矯正甲第1330号矯正局長依命通達)により制限の範囲及び方法を定めている。なお,名古屋拘置所では,達示第15号及び達示第16号をもってその運用としている。
 名古屋拘置所長は,達示第16号2条により,本件文章については,達示第15号6条(1)ク(「その他,施設の管理運営上支障があるもの」)に該当すると判断し,本件抹消処分を行った。


イ 原告の心情が不安定であったこと

原告は,未決拘禁者であるが,平成9年3月28日に第一審の津地方裁判所四日市支部において死刑判決を受け,その後平成11年6月23日に差戻後第一審の津地方裁判所において無期懲役の判決を受け,平成13年6月14日,差戻後第二審の名古屋高等裁判所において死刑判決を受け,現在上告中であるところ,上告審で上記第二審判決が破棄されない限り,死刑執行を受けることとなる立場にある。
 原告は,上記のとおり平成9年3月28日,津地方裁判所四日市支部において死刑判決を受けた後,勾留先の四日市拘置支所において,巡回中の職員に対し,「どうせ死刑なら,5年以内に執行してくれ。」などと言ったほか,平成9年9月ころから,死刑廃止団体や対監獄闘争活動家との外部交通を積極的に行っており,死刑に対する恐怖心を抱いている。

 また,原告は,平成11年6月23日に差戻後の津地方裁判所において無期懲役の判決を受ける直前の同月18日,睡眠薬であるベンザリンの処方を求め,上記無期懲役の判決以降は,不眠やイライラを理由としてベンザリン及び精神薬であるデパスを常時服用するようになり,同年8月11日に名古屋拘置所へ移監された後も,不眠や頭痛を訴えて上記睡眠薬及び精神薬を毎日服用し,平成14年1月中旬からは,睡眠薬であるハルシオンをほぼ毎日服用しているのであって,精神的に不安定な常況にある。

原告は,平成12年1月27日,精神薬の投与を受けるため職員を呼んだのに,巡回した職員が原告の居室前を2回素通りしたとして,就寝時間中に,居室扉を6回にわたって殴打するけん騒行為を行った。

 本件抹消部分は,絞罪器械による死刑執行の方法を口語体で記したものであるところ,死刑判決を受けている原告がこれを閲読することにより,自己の刑事事件の判決が確定した後における最期を見据えて心情不安定な精神状態に陥り,逃走,自殺,自傷行為等の規律違反に及び,拘置所内の規律及び秩序維持にとって放置できない障害が生ずる相当程度のがい然性が認められる。

 したがって,名古屋拘置所長が,原告の性向,行状及び心理状態を踏まえ,監獄法31条2項等の規定により本件抹消処分をしたことに裁量権の逸脱はなく,国家賠償法上の違法はない。


ウ 手段方法の相当性

 名古屋拘置所長は,本件資料集のうち,その一部である本件抹消部分のみを抹消したものであって,本件抹消処分の手段方法は相当である。

エ 原告の主張に対する反論

(ア) 特別官本においては本件抹消部分と同内容の記述が抹消されていなかったことに対して
 「死刑・消えゆく最後の野蛮」は,被収容者への貸与の適否について検討しないままに貸与が行われていたが,名古屋拘置所は,平成16年11月24日及び同月25日,その内容を検査した結果,死刑の求刑及び判決を受けている被収容者を多く収容している実情を考慮し,貸与特別官本の対象から除外したものである。

(イ) 信書中の本件抹消部分と同内容の記述が抹消されていないことについて

 仮に,原告あての信書中に本件抹消部分と同内容の記述があったとして,これを抹消しないままに原告に交付したのであれば,その対応は誤りであり,本件資料集の場合と同様に閲読不許可として抹消すべきであったのであって,信書中の記述が抹消されていないことから本件抹消処分が違法となるものではない。

(ウ) 拘置所によって取扱いに差違があることについて

 文書及び図画等に対する制限は,当該施設の個々的事情に精通した裁量的判断に委ねられるものであって,各拘置所によってある程度取扱いの差違が生じることはやむを得ない。


オ 結論

 名古屋拘置所長が,監獄法31条2項等の規定に基づき,原告の性向,行状及び心理状態を踏まえて本件抹消処分をした判断には合理的根拠があり,かつその処分の方法も適切であるから,本件抹消処分に裁量権の逸脱はなく,国家賠償法上違法となるものではない。
第3 当裁判所の判断(以下に摘示する事実は,上記「争いのない事実等」欄記載の事実と各項に掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によってこれを認める。)
 1 未決勾留により拘置所に拘禁されている者に対する図書,信書等の閲読の自由と制限については,新聞紙の閲読の自由と制限に関する最高裁判所昭和58年6月22日大法廷判決(民集37巻5号793頁)の判示するところの趣旨に従い,次のように解するのが相当である。


(1) 未決拘禁者は,刑事訴訟法に基づき,逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として,拘置所内に収容されるのであるが,拘置所は,多数の被拘禁者を外部から隔離して集団的に収容する施設であるため,内部の規律及び秩序を維持し,正常な状態を保持しておく必要があるから,これらの公共の利益のため,被拘禁者が,単に身体の自由を拘束されるだけではなく,拘置所の正常な管理,運営のために必要な限度において,その他の自由に対しても一定の制限を受けることはやむを得ない(最高裁判所昭和45年9月16日大法廷判決・民集24巻10号1410頁参照)。
(2) 被拘禁者の図書や信書等の閲読の自由もその例外ではなく,これらは憲法19条,21条及び13条によって被拘禁者にも保障され,これによって各人がさまざまな意見や知識,情報に接することにより自己の思想や意見を形成し,人格を発展させることができるものであるが,これらの自由も,上記のとおりの拘置所における拘禁目的のほか,拘置所内の規律及び秩序の維持という拘禁関係に伴う一定の制約を受けることはやむを得ないところである。

(3) しかし,これらの制約は,あくまで拘置所における未決拘禁という上記の刑事司法上の目的のために個人の基本的権利に加えられるものであるから,それは上記の目的を達するために真に必要と認められる限度に止められるべきものである。したがって,図書や信書等の閲読に対して上記制限が許されるためには,当該閲読を許すことにより拘置所の規律及び秩序が害されるという一般的,抽象的なおそれがあるというだけでは足りず,被拘禁者の性向,行状,監獄内の管理,保安の状況,当該図書,信書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて,その閲読を許すことにより拘置所内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当のがい然性があると認められることが必要であり,かつ,その場合においても,上記制限の程度は,障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。したがって,これらの制限の運用に関する法令等も,上述の要件及び範囲内でのみ,閲読の制限を許す旨を定めたものとの解釈,運用がなされなければならない。

(4) そして,具体的場合における前記法令等の適用にあたり,当該図書,信書等の閲読を許すことによって拘置所内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当のがい然性が存するかどうか,及びこれを防止するためどのような内容,程度の制限措置が必要と認められるかについては,拘置所内の実情に通暁し,直接その衝にあたる拘置所長による個々の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断に待つべき点もあるから,障害発生の相当のがい然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり,その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り,長の上記措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である。


2 そこで,本件抹消処分に合理性が認められるか否かについて検討してみると,以下のとおり,名古屋拘置所長のした本件抹消処分に合理性があるとは認めがたいというべきである。

(1) 本件抹消部分は,上記絞罪器械図式(明治6年太政官布告65号)の抜粋である(乙18号証,弁論の全趣旨)が,同布告は,日本の死刑執行の際に使用される刑具の構造,使用方法,被執行者の身体の取扱方法等,死刑執行の事実行為に属する事項を定めているところ,上記布告は旧憲法下において法律としての効力を有していたが,新憲法下においても憲法31条によって法律事項として要求される死刑の執行方法に関する基本的事項を定めた法規範であって,執行方法が地上絞架方式から地下堀割方式となった現在においても法律と同一の効力を有するものと解される(最高裁判所昭和36年7月19日大法廷判決・刑集15巻7号1106頁参照)。

 そして,国民が法律を知る権利を有することはいうまでもないところであるから,これを抹消処分の対象として閲読を制限することに合理性が認められる状況を想定することは,一般的には困難というべきである。
 死刑判決を受けた未決の被拘禁者が本件抹消部分を閲読した場合に受ける心理的な影響という観点から本件抹消部分を検討してみた場合も,上記絞罪器械図式の本件抹消部分には,死刑の執行方法や手順,被執行者の身体の取扱方法が記載されているものの,その記載は上記の諸点について客観的な記述をしたものであって,それ以上に被執行者の執行時の心情や状況等の描写を含むものではないから,その記載内容自体が,死刑判決を受けた未決の被拘禁者に大きな心理的な衝撃や動揺等の影響を与えるがい然性が高いものであるとは解されない。


(2) 次に,本件処分当時の原告の性向や行状について検討する。
 前記「争いのない事実等」欄記載の事実と各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,


ア 原告は,平成9年3月28日,差戻前第一審の津地方裁判所四日市支部で死刑判決の言渡しを受け,平成11年6月23日,差戻後第一審の津地方裁判所において無期懲役の判決の言渡しを受け,平成13年6月14日,差戻後控訴審の名古屋高等裁判所において死刑判決の言渡しを受けて,現在上告中の者であるが(乙11号証,弁論の全趣旨),津地方裁判所四日市支部において死刑判決の言渡しを受けた平成9年3月28日,四日市拘置支所の職員に対し,「どうせ死刑なら,5年以内に執行してくれ。」等と述べたことから,自殺自傷の行動に出るおそれがあるとして,要注意者の指定を受けたこと,同拘置支所職員が同日作成した要注意者等処遇表には,原告が死刑判決で相当ショックを受けていた旨の記載があること(乙11号証),
イ 原告は,遅くとも平成11年6月18日以降,ベンザリン,デパス又はハルシオンの処方を受けてこれを常用しており,不眠,頭痛及びイライラ等の症状を医師に訴えていたこと(乙12号証の1,2),

ウ 原告は,平成12年1月27日,名古屋拘置所において,同所職員が原告の居室前を素通りしたとして,職員を呼ぶために居室の扉を殴打するけん騒行為を行い,同年2月10日,軽屏禁7日及び文書図画閲読の7日禁止の処分を受けたこと(乙13号証),

エ 原告は,死刑廃止運動等を標榜する団体が各発行する「ごましお通信」,「フォーラム90」及び「救援」の差入れを継続的に受けており,本件資料集も,「ごましお通信」の主宰者から差し入れられたものであること(乙1号証の1,14号証の1から4),

オ 名古屋拘置所では,平成14年10月1日,死刑執行方法に言及した信書を読んだ死刑確定囚が,タオルを自身の首に巻き付けた上で引っ張るなどした事件が発生したこと(乙10号証),

これらが認められ,被告はこれらの諸事実をもって,原告が本件抹消部分を閲読をすると心情の安定を害するがい然性が高い旨を主張している。

 しかしながら,原告が,平成9年3月28日当時,差戻前の第一審で死刑判決の言い渡しを受けて精神的に動揺し,上記ア記載の言動を示したことは,死刑判決を受けた直後当時の被拘禁者の心境や反応として理解することが可能であって,それから本件抹消処分が行われた平成16年10月29日までには約7年半余の年月が経過しているが,原告がその間も同様の言動を示すなどして,そのために特別な動静の観察を受けてきたという経過は本件全証拠によっても,これをうかがうことができない。

 また,原告は,上記イのとおり睡眠薬や精神薬を常用していることや,医師に不眠やイライラする気分を訴えてきた経過があることは上述のとおりであるが,死刑判決を受けた未決の被拘禁者が,不眠その他の精神的状況の不安定さを示す可能性があることは,容易に理解できるところであって,それ以上に,原告の上記の愁訴や服薬が,原告の情緒面その他の精神的状況の著しい不安定さを示すものであることや,上記薬剤の投与がそうした症状に対して行われているものであることは,原告の診療録(乙12号証の1,2)を検討してみても,これを的確に裏付けるほどの経過を見出すことができない。

上記ウ記載の規律違反行為は,本件抹消処分が行われたころから4年以上前のことであり,死刑判決を受けた未決拘禁者として長期間の拘禁生活を送っている期間中,それ以外には類似の規則違反に問われたことも,逃走や自殺自傷等の企図が発覚したという経過があったともうかがわれない。

 以上に述べたとおりの原告の精神状況や未決拘禁生活の経過に照らしてみると,本件抹消処分がなされた当時の原告の性向や行状に,特に精神的,情緒的な不安定さがあったり,規律違反に出ることが予想されるような問題があったとは認めがたいといわなければならず,上記エの死刑廃止運動との関係や,上記オの名古屋拘置所における死刑確定囚の規則違反事例の存在も,上述の判断を左右すべきものではない。


(3) 以上のとおり,本件抹消部分は,法律の性質を有する告示の一部であって,基本的に原告が閲読する権利を有すべきものであり,その内容も,死刑判決を受けた未決の被拘禁者である原告の心情に与える影響が大きいものとは認めがたく,また,本件抹消処分がなされた当時,原告の性向や行状に,特に不安定で,本件抹消部分を閲読することによって,大きな影響を受けることを予測させるような状況があったとも認められないのであるから,原告が本件抹消部分を閲読することによって,自殺や自傷行為に及んだり,拘置所内の規律及び秩序に放置することのできない程度の障害が生ずる相当のがい然性があったと認めることは困難というべきである。

したがって,名古屋拘置所長が,死刑判決を受けた未決の被拘禁者である原告が本件抹消部分を閲読すると,自己の刑事事件の判決が確定した後における最期を見据えて心情不安定な精神状態に陥り,逃走,自殺,自傷行為等の規律違反に及び,拘置所内の規律及び秩序維持にとって放置できない障害が生ずる相当程度のがい然性が認められるとして,本件抹消部分について監獄法31条2項,達示第15号6条(1)クの「その他,施設の管理運営上支障があるもの」に当たるとした判断には合理性があるとは認められない。したがって,その裁量的判断には逸脱があり,本件抹消処分は違法というほかはない。
3 以上に認定説示したところによれば,名古屋拘置所長が行った本件抹消処分については,本件抹消部分の法的性質やその内容が原告の精神状態に及ぼす影響及び原告の性向や行状に関する具体的状況についての調査,検討が十分でなく,裁量的判断を誤った過失があるものと認められるから,被告は,国家賠償法1条1項により,本件抹消処分によって原告が被った損害を賠償する義務がある。

 そこで,原告に対する慰謝料の額について検討するに,本件抹消部分は,原告が知る権利を有する法律の性質を有するものであること,原告は未決拘禁者であって,自己の刑事事件における防御権の行使のため,図書や信書等の媒体を通じて,できるだけ広汎な知識や情報に接することが重要であり,その制限は前述したとおり刑事司法手続や拘禁関係との調整のために必要最小限の範囲で認められるものであること,他方,原告は当時,本件抹消部分について,何らかの具体的な利用目的等を持っていた事情があるとは認められないこと,原告は他に信書等によって上記絞罪器械図式の記載内容を知っていると認められること,これら一切の事情を考慮すれば,本件抹消処分によって原告が被った精神的損害の慰謝料は,3万円を限度にこれを認めるのが相当である。

4 結 論

 よって,原告の請求は慰謝料3万円とこれに対する不法行為の日である平成16年10月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条を適用し,仮執行宣言と仮執行免脱担保の提供について同法259条を適用して,主文のとおり判決する。

名古屋地方裁判所民事第7部
裁判長裁判官  中   村   直   文

裁判官  平   山       馨

裁判官  武   村   重   樹
 別紙 

 「すべての絞刑を行うときには,まず両手を背に縛り,紙で面を覆い,絞架に上らせ踏み板の上に立たせ,次に両足を縛り次に縛縄を首に施しその咽喉に当てるようにし,縄を穴のあいた鉄環の最上部におよぼして,これを緊縮する。次に機車の柄を挽けば踏み板がただちに開落して囚身は地を離れ,おおむね地から一尺あいてぶら下げる。おおむね二分で死相を検案して下ろす。」

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最終更新:2006年03月13日 13:21
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