異界からの刺客
プロローグSOS団の部室ではただ、ページをめくる音だけが聞こえていた。長門はこの時間、誰れもいない部室でただページをめくるだけの時間が「好き」だった(もし、ヒューマノイドインターフェースたる「彼女」にそんな感情があるとして、だが)。知覚のごく一部分で目の前の原始的な情報インターフェースから情報を読みとる一方で、残りの無尽蔵とも呼べる知覚能力で情報統合思念体と交信し、宇宙全体の時空に想いを馳せる。そんな時間が「好き」だった。 が、それでは、残りのSOS団員たちが来ない方がいいのかというその状態も「好き」でないわけでは無かった。知覚の別のごく小部分を、ハルヒやキョンや古泉や朝比奈みくるのたわいもないやりとりの観察に費すのもまた嫌では無かった。 つまるところ、「彼女」は一種の情報収集システムとして生み出されたのであり、バックアップとして非常事態に過激な対応をするために作りだされた朝倉ユニットとは目的も機構も異なっているのであり、ただただ受身で情報を収集するだけという状態が「好き」でないわけではなかったのだ。ほんの一瞬、情報統合思念体との連結が途絶えた。それは人間なら「一瞬」と呼ぶ程の時間に過ぎなかったが、情報統合思念体の能力を持ってすれば、かなりの「情報操作」をこの太陽系第三惑星に対しておこなえるだけの時間であった。長門は、連結途絶時間内の 情報操作の内容をサーチしようと試みたが、そこには「無」があるだけだった。「無」はありえない解であったが故に、長門は何かが「隠された」ことを感知した。が、それは単に長門とは違う勢力が他のインターフェースと秘密の連結を行っただけかも知れず敵性情報として分類することは適当とは思えなかった。 故に長門は、その決して失われることのない膨大なメモリーの中に今回の連結途絶を中立情報として記録した。それは数ある中立情報に過ぎず、二度と顧みられることが無いはずだった。 彼女はこのとき、(彼女としてはまれな)大きな情報分類ミスを犯したことにまだ気づいていなかった。第一章 キョンドアをノックする音が聞こえた。本来ならここで返事をするのは朝比奈みくるの役目だったが、そこに彼女がいない以上、長門が返答するしかなった。「どうぞ」本から顔をあげることなく、長門は答えた。「キョン」という通称名で呼ばれている個体が入って来た。勿論、この個体を通称ではなく本来の名称で認識することは長門にとっては困難ではなかったが、しかし、個体の識別にはなんらかの符号を付加することが必要なだけなのであり、それならばキョンであっても問題は無いはずだった。 ここで誰れかが、「それは君がキョンに対するある種の感情を持っていることの表れではないのか」と指摘したとしたら、長門は、彼女としては最大限の「驚き」を表現するしぐさである「本から顔をあげてじっとみつめる」を持って答えただろう。 「長門、今日は、お前一人か?」「そう」長門は本から顔をあげること無く答えた。「朝比奈さんは?」「まだ、来ていない」「そうか」長門は長大なメモリーからキョンとかわした最初の会話を呼び出していた。『何読んでるんだ?』『おもしろい?』『どこが?』『本が好きなんだなあ?』キョンはもはやこんな質問を長門になげかけることはない。ぼーっと椅子に座っているだけだ。が、こんな何の情報処理がなされない状態が情報提供を要求される局面に比べて必ずしも「好き」でないわけではないことを長門は発見していた。無言のキョンの脳が発する微弱な脳波を漫然と記録するだけの状態も悪くない。それは人間なら静かな音楽とか、せせらぎを聞きながらくつろいでいる状態だっただろう。キョンの発する脳波を記録するのは長門がもっとも「好き」な情報記録状態だった。いつもなら、他の団員がやってくるまで、そのまま静かな時間が過ぎるだけだっただろう。が、この時はそうでは無かった。「長門」長門が本から顔をあげると、キョンと呼称される個体がいきなり、長門を抱きあげて唇をあわせて来た。その個体は言った「好きだ」「あなたは誰れ?」その個体はすぐに離れた。「なーんだ、もう解ったのか。何故だ?脳波パターンまで完全に真似たのにな」なぜだろう?この個体はどこをどうスキャンしてもキョンと呼称される個体と判別不能だった。にも関わらず。長門にはこの個体が「キョン」でないことが解った。なぜだろう?長門は自分がこう言っているのを聞いた。「彼はその様なことはしない」「そうか。しかし、人間はきまぐれだろう?それに『キョン』はお前のことが『好き』だったんじゃないか」激しい否定と肯定の反応が長門の超電子的な情報処理機構の中を駆け巡った。「彼はしない」長門は繰り返した。なぜ、断言できる?だが、彼はそんなことはしないのだ。「参ったな。とんだどじを踏んだようだ。まあ二度とはしない」「あなたは誰れ」「それを教えてやるつもりはない」「情報封鎖。正体不明のインターフェースを敵性と判定」しかし、「キョン」の方が行動が速く、気づくと長門の体は電子的な槍で串刺しにされており、最低限の生体再構成を行わざるをえず、その間に「キョン」は情報封鎖された部屋から逃げ出していた。 完全擬態能力を付与されたヒューマノイドインターフェースが送り込まれたのだ。長門はなぜ、自分が「あれ」がキョンで無いことを探知できたのかよく理解していなかった。 スキャンでさえ検知できないのになぜ、自分は「キョン」がキョンでないことが解ったのだろうか?そんな機能は長門にはないはずだった。第二章 ハルヒドアを勢いよく開けて「ハルヒ」が入って来た。「あれ、今日は有希だけ?」基本的に間違った情報を伝達することを潔しとしないヒューマノイドインターフェースは答えた。「キョン、が来た」スキャンで差が認められない個体を別個体として識別するのは本来はあやまりだ。もし誰れかが「では、なぜ、長門はあの「キョン」をキョンでないと判断したのか?」と尋ねたとしても長門には論理的な答えを見出せなかっただろう。「で、いないじゃない、どこ行ったのよ」「出ていった。行き先は不明」「まったく、あの馬鹿、せっかく、面白いことを思いついたのにこの場にいないとは許せないわ。どこをほっつき歩いているのかしら」長門はすばやく、しかし、丹念に「ハルヒ」をスキャンした。異常は見付からなかった。だが、それは何の意味もない情報だった。「キョン」もまたスキャンでは異常はなかったのだから。この「ハルヒ」はハルヒなのか?それとも?「あー、みくるちゃんは遅いわねー。せめてみくるちゃんだけでもいてくれればいいんだけど」ハルヒの発する脳波、いつもながら混乱以外の何者でもなかった。カオス、混沌、無秩序。この様な脳波を発する存在が知性を兼ね備えているのはいつもながら驚きだった。まして、これが「擬態」されたものであるとしたらまさに驚くべき擬態能力であると言わねばならなかった。それでも長門は違和感を感じていた。違和感?何に?メモリーが呼び出される。初めて出会ったときのハルヒ。『部室貸して!』キョンを初めて部室に連れて来たときのハルヒ。『本さえ読めればいいらしいわ。変わってると言えば変わってるわね』文化祭の翌日。キョンに話しかけているハルヒ。『有希、どこでギターなんか習ったのかしら』ちがう。「あなたは誰れ?」「何?」「あなたは誰れかと聞いている」「誰れって、涼宮ハルヒよ。あんた急性記憶喪失になったの?」この個体はハルヒではない。なぜなら....、なぜ、解ったのか?だが、ハルヒではない。「ちぇっ、なんで解るのかしら。おかしいわね。おっと情報封鎖は無しよ。北高全体に崩壊因子を仕込んでおいたわ。この部屋を情報封鎖して私と崩壊因子の連結が途切れると崩壊因子が作動することになるわ。それじゃあ嫌でしょう?」 長門は崩壊因子を探索し、固定する作業にかかった。勿論、「ハルヒ」が逃げ出す時間は充分にあった。「あなたには『別の』探知能力があるみたいね。面倒だわ」そう言い捨てると「ハルヒ」は出ていった。長門は崩壊因子を固定すると、二度と崩壊因子を設定できないように防護ネットをはりめぐらせた。第三章 みくる次にやってきたのはみくるだった。「長門さん、こんにちわー」いつもながらの能天気さで着替えを始める。スキャン。異常無し。「お茶、入れますねー」お茶をスキャンする。毒物反応は無し。みくるは指定席に腰かけるといつもの様にニコニコしながら周囲を見廻し始めた。もし、これが「あれ」だとしたなら、かなり状況を学習していることは間違いなかった。いつものみくると差を見出すことができない。みくるの脳波。音楽ならば、童謡かイージーリスニングに分類されるであろう、深みの無い、単純な旋律。いつもなら心地よいその響きがこの時ばかりは恨めしかった。あの複雑なハルヒの脳波を擬態できる以上、「あれ」にとってこの単純な脳波を擬態することなどあまりにも簡単だったろう。苦境に陥った長門。が、その長門を救ったのもみくる自身だった。再び、ドアが開き、また「みくる」が入ってきた。お互いに顔を見合わせるみくるとみくる。やおら、今入ってきたばかりのみくるが騒ぎ始めた。「え、え、え、これなんなんですかー、どうなってるんですかー、どうしてわたしがもう一人いるんですかー」メモリー呼び出し。『また、同じ穴の二の舞ですー』みくる。次の瞬間、元からいたみくるの胸を長門が放った電子的な槍が貫いた。「なぜ、解ったんですかー、完璧だったはずなのにー」と尋ねる元からいたみくるに何も答えずに長門は続けて2番目3番目の槍を放った。そのまま、ニセみくるは消滅した。「どどどーして?」「もう終わった。心配ない、でも最後ではない。分身を残している」どこかに「あれ」の分身がいることは長門にははっきり解っていた。が、なぜ、とっさに自分が後から入ってきたみくるが本物だと判断できたのか、よく解っていなかった。なぜ、スキャンでも判別できない個体差をを識別したのだろう?間違っていれば、いまごろ、本物のみくるはミンチになっていてもおかしくはなかった。なぜ、自分には違いがわかるのだろうか?第四章 古泉みくるは震えながら座っている。「ここにいなくちゃいけないんですかー。こわくてたまらないんですけどー」「強制はしない、しかし、外にはまだあれの分身がいる」「えーそんなー」みくるは泣きそうである。ノックの音。「失礼します」古泉が入ってきた。みくるは顔をあげることができない。ぶるぶる震えている。「おや、朝比奈さん、気分が悪いようですね。どうされました?」スキャン。無反応。「なんでも無いんですー。気にしないでください」「そうですか。それでは失礼して」古泉は席に座るとみくるがお茶を入れられる様な状態にはないことを見て取ると自分でお茶をつぐと飲み始めた。キョンとハルヒも入って来る。いつもながらの日常。古泉はキョンとカードゲームを始めたが、 いつもながらの負けっぷり。この古泉は本物なのだろうか。古泉の脳波。見た目のスマイルとは裏腹に、古泉の脳波はいつも重秦低音。この外面と内面のギャップはいつも驚きだった。そして、今もそれは変わらない。いつもと同じ。擬態?それとも?メモリー呼び出し黙々とカードゲームに興ずる古泉とキョン。『....』違わない。なぜかは解らないが違わなかった。長門はもう一度メモリーから情報を引出し、再検討し、「あれ」がなぜ失敗し、なぜ、自分が「あれ」の正体を見破れたのかを詳細に検討し、結論に至った。そう。だったら、次に「あれ」が何を試みて来るかは....。第五章 長門珍しく遅い時間に長門は部室に到着した。ドアを開けて中に入る。既に、全員が揃っていた。問題は無い。遅く来たのだから。そこに既に「長門有希」がいることに以外には。「彼女は偽物」すでに部屋にいた「長門有希」が言った。「いったい、これはなんなのよ」と叫びながら立ち上がったハルヒを後ろから「長門有希」が失神させた。くずおれる涼宮ハルヒ。「彼女には真相を明かせない」と「長門有希」が言った。「困ったことになりましたね。長門さん。我々にはどっちが本当の長門さんか知る術が有りません」と古泉。長門はキョンをみた。「彼」には私が解るはず。私は本物の長門有希。彼なら、彼だけは、私の実体を理解できるはず。わたしこそが本当の長門有希。目の前にいるこいつは偽物。そして....長門は彼にかけより、目をつぶって口づけした。が、彼は言った。「こいつが偽物だ」私を指さす彼。なぜ、なぜなの?なぜ、彼は私が私でないことがわかったの?あの「長門」がそうだったように。なぜ?内面まで正確にコピーしたはずのに、そして、それに正直に行動したはずなのに....。 一瞬の情報処理の混乱は致命的だった。情報連結は解除され、体が消滅しはじめていた。その時、長門ははじめて、自分に涙を流す機能が備わっていることに気づいた。エピローグ「これで良かったのか、長門?」キョンが「長門有希」に聞いた。「いい」「でも、なぜ、あんなに簡単に?ずいぶん苦労したんじゃなかったのか、あいつを捕まえるのに?」「あのヒューマノイドインターフェースはほぼ完全な擬態能力を備えていたが、完全ではなかった。微妙な部分に間違いがあった。あれは三度の失敗の原因が理解できなかったので、四度目の失敗を防ぐため、自らの内面まで完全に擬態する方法を選んだ。あれは自分が長門有希であるという自覚を作成し、擬態は完全なものになったはずだった。(それはあなたへの私の「好意」まで擬態した)」 「そうだったのか」「そう。でも、それは論理的な帰結。私には予測可能だった。だから、あれは失敗した」「あれの目的はなんだったんだ?」「おそらく、私の抹殺と置換。そのために完全な擬態能力を備えていた。」「なるほど、長門さん、ですが」と古泉がひきとった「内面まで完全に同じならば、入れ替わっても意味が無いのでは有りませんか?ここにいる長門さんを仮に抹殺して入れ替われても、我々には解らないし、また、まったく無意味です。そうではないのですか?」長門は答えなかった。そう、その通り。それは無意味。彼女は私、私は彼女。積み重なり、いつ致命的な結果を招くとも解らない、この「私」が内包しているエラーを「彼女」は内包していないという点を除いては。そして、感情と言うエラーを内包しないがために擬態は不完全となり最初の数度の試みは失敗し、彼女は内面までの擬態まで迫られた。それでも「あれ」には捨てるべきものと残すべきものが解らなかったのだ。感情と言うエラーを擬態できなかった。最後まで。本来は、私は置き換わるべき。彼女は私であり、私そのものとなるべく作られていたのだから。私が消えても、ここには依然として彼女=私が座り、原始的な情報インターフェースから情報を読み取りながら「彼」の脳波を記録し続けたはず。エラー無しの安全な私が。なぜ、なぜ、私はそれを拒否したのか。合理的でない反応。無意味な帰結...。そう考えながら、長門は、あの「長門」が「彼」に拒否されたときの「心の痛み」を思い起こした。それは感知された情報であり、「彼女」が消滅する寸前に長門の中に流れ込んでいた。長門はしっかりとその情報に鍵をかけると記憶の奥深くしまいこんだ。それが本当の意味での自分の記憶ではなくても、二度と思い起こしたくないつらい記憶であることに違いはなかったから。それが忘却と言う機能をもたない彼女にできるたったひとつの対処方法だったから。
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