雛見沢・SOS ~其の壱~
「お目覚めですか?」「催眠ガスでも放り込まれたのかね。」 不自然な眠りから醒めた俺は、古泉にぶっきらぼうに言った。たっぷり1日眠ったようにも感じるし、意識を失ったのは一瞬のようにも感じる。ここはもう閉鎖空間の中なのか? 「ええ、紛れもなく、僕たちが元いた世界とは少々異なる空間内です。」「色は付いてるみたいだな。見たとこ、普通の世界に変わりはないぞ。」 遠くを見ても青白い巨人は暴れてはいなかった。古泉の勘は当たっていたらしい。しかし何だ、この違和感。周りを注意深く見回す。道端の木、畑。いつの間にか空けられた窓、妙に古臭くなったバスの車内。 「長門。今、いやここは何年何月なのか分かるか?」「空間突入直前に解析したデータによれば、昭和58年6月上旬だと推定される。」「どえらい昔に来ちまったワケだな。あれ、でも朝比奈さんは3年以上前はなんとかって…?」「朝比奈みくるは正しい。わたしたちは時間跳躍を行ってこの世界へ来た訳ではない。 恐らく涼宮ハルヒの能力に何者かの強い願望が呼応したと考えられる。その何者かが 無意識にこの設定の世界を生成したとも推測できる。また、通常空間とは 時間の流れが異なっている。どのように異質なのかは完全には解析が間に合わなかった。」 俺は長門の言葉に引っ掛かりをおぼえた。間に合わなかった、って?長門は申し訳なさそうに少し俯いて視線を落とすと、抑揚の無い声で呟いた。 「空間突入直後、インターフェイスとしての、殆どの能力を限定された。 情報統合思念体によるものではなく、恐らくこの空間の特性。 また、同時に思念体との交信も全て途絶えた、つまり…」 普通の人間、になっちまったってことか。俺は長門のショートカットヘアにぽんっ、と左手を乗せて、くしゃくしゃと撫でてやった。気に病むことじゃないぜ。いつもお前はよくやってくれているよ。今回ぐらいは一般人代表として俺が奮闘したっていいんだ。 「では僕もお言葉に甘えて、この頭を撫でてもらうべきなのでしょうね。」「古泉。俺にもお前にもそんな趣味はないと思っていたのだが。」「冗談です。しかし事実、僕も能力をほぼ完璧に封印されてしまいました。 この空間の脱出方法に戦闘行為が含まれなければ幸いなのですが。」 宇宙人と超能力者は只の人間になってしまった。少なくともこの昭和の世界では。しかし、俺はそう落胆するわけでもなく、なんとかなる気がしている。現にもう何度もヘンテコ体験をしてきた俺は、すんなりとこの昭和雛見沢を受け入れることができたし、二人が只の人間になってしまっても、それは今回は能力なんて必要ない事件が起こって、平凡な凡人足る俺達でも事の解決には支障が無いはずだと確信していた。何より、機関や思念体のしがらみから解き放たれた二人を見るのは気分が良かった。例えひと時のクソッタレ空間の中だとしてもだ。 後に俺はこの時の自分の認識の甘さを肌で感じることになる。事実、俺は甘えていたんだろうな。 「ひなみざわー。ひなみざわー。お降りのお客さまはー……」 いつの間にか財布の中の貨幣は、使っても問題のないものに変わっていた。俺達はバスを降りて、さてどうしたもんかと辺りを見回した。ん、古泉。どうした? 「かわいい…w かわいいなぁ…w」「お、おいっ!どうしたんだ古泉っ!」 目をやればバスの待合所には蒼いロングヘアの少女が、くーくーと寝息をたてていた。たしかに可愛らしい女の子だ。歳の頃で言えば、まだ小学生あたりだろう。いや、そんなことはどうでもよくて!今の古泉は尋常ならざるウットリ顔で、ひたすらにブツブツ言いながら少女を眺めていた。オイ!どうした! 「かわいい…w かわいいなぁ…w」「どうしちまった!?古泉!お前ちょっとどうかしてんぞ!」 今は幼い子供でも凶悪事件に巻き込まれてるんだ、つまりわかるだろ。なんていうか世間は過敏になっていて、そういう異常な目をした人を通報しなかったりはしないんだぞ!俺の心の声が通じたのか、古泉は我に還る。 「はっ!僕は何を…?」「小野Dの生霊が憑依したんだろ。」「誰です?その人は?」「なんでもない、妄言だ。」「みぃー…」 ありゃいけね、起こしてしまったか。言っておくが俺は何もしていない。お嬢さん、警察を呼ぶのであればこの色男だけ連行してもらえるようにキチンと説明をお願いします。 「みぃー…?」「「え…?」」「み?」「「み…?」」「……」「「「………」」」「…にぱぁー☆」「「に、にぱぁー…。」」「にぱーっ☆」「「にぱー…!」」「にぱぁーっ☆」「「にぱー…!」」「……」 以上、4人のワケのわからない笑顔と無言の応酬。無論、長門は「にぱー☆」とか言ったりしないぞ。 「キミたちはだれなのですかーっ?」「ああ、ええと…。」「ぼ、僕たちは観光の者です。自然の美しい所だと聞いて。」「そうそうー! 観光だ、観光パーティだ!アハ、アハハハ…。」「け、決して怪しい者たちのつもりはありません。」「…そう。」「観光?じゃあ富竹と赤坂と同じなのですー☆」 誰だそいつらは、と俺は訝ったが取り敢えずは不審者扱いされなかったことにほっと胸を撫で下ろす。この年齢で誘拐罪の濡れ衣はゴメンだ。 「富竹3号、4号、5号なのですー☆」 順繰りに3人を指差す少女。ええと、超獣合体でもするんですか、5人合わせて。 「ちょ、ちょっと待った!俺達にも一応親から授かった名前があるんだ。」 素早く自己紹介するSOS団員3名。 「キョンに、古泉に、有希なのですねー。」「やっぱりそう呼ぶか。」「ボクは、古手梨花。よろしくなのですー。」「えっと、梨花ちゃん。少し聞いてもいいか?」「なんなのですか?」「今って、昭和58年の6月でいいんだよな?」 何故か呼び捨てにされる年上の俺達。まぁ~そんな細かいことはどうでもいいのだ。質問した刹那、屈託の無い笑顔に影が落とされるのを俺は見逃さなかった。なんだ、今のはこの娘にとっては地雷なのか?しかしすぐに元の笑顔に戻ると 「そうなのですよー。今は昭和58年6月。 キョンは記憶喪失なのですか?かわいそかわいそなのです。」 そうじゃないんだがな、適当にごまかす俺。間違いない。長門の解析した情報は正しく、俺達は昭和の時代へと足を踏み入れているのだ。しかし、何をすればいいのか。正直さっぱり検討もつかない。長門の改変世界のように鍵を見つけるのか?はたまた、思い出したくもないが白雪姫?行為そのものが通常空間への脱出方法なのか。巨人、あるいはそれに準ずるモノが出てくれば話は容易いのだが、肝心の古泉は能力を喪失。情報がたりねーな。長門の残してくれた栞を思い出す。ヒントをどこかで見つけなくちゃならん。あ、そういえば。貨幣の変化を思い出した俺は、懐の携帯電話をさぐる。が、ない 失くしたワケではないだろう。この時代にそぐわない物は恐らく、持ち込めない。クソ、後でちゃんと返せよ。きょうび、携帯の再購入だってバカにならんのだぞ。 「キョン、古泉、有希。」「なんです、梨花ちゃん?」「観光に来たのなら、公由に案内させるのですよー。」「きみよし?」「この村の村長なのです。それで…。」「……どうしたの?」「よかったら…、ボクも一緒に案内させてほしいのです。」「ああ、そんなことか。案内してくれるのは嬉しいぞ。この二人だって、 梨花ちゃんが案内してくれたら嬉しいと思うぞ。」「ほんとうなのですかーっ!?」 俺達は揃って頷いた。はっきり言って、現状何をするべきかもわからん。だったらここは、梨花ちゃんのご好意に甘えてのんべんだらりと観光するのも悪くはないだろう。が、一つ懸案事項が残っている。俺は小声で長門に訊ねてみた。 「長門、ハルヒがそろそろここへ到着しちまうんじゃないか?」「問題ない。空間突入直前の解析によると、ここでの時間の流れ方は 通常空間とはまったく並行していない。そういう意味でも異質。」「具体的にどう問題ない?」「通常空間へ回帰した場合、こちらでの出来事は向こうでは一瞬。」「なるほど、安心した。」 ハルヒのことはどうやら心配いらないようだ。要は俺達がサクッと問題を解決して元の世界へ戻ることが出来れば、次のバスの便で何も知らないハルヒが 「キョーーン!さっきの玩具屋で、すんごい白鳥の水着が!!着てみなさい!」 とか言いながら降りてくるってことらしい。ああ忌々しい。見ると、梨花ちゃんは公衆電話を使って例の村長さんを呼んでいた。しかし、村長を呼び捨てにするとは。もしかして梨花ちゃんはすんごく地位のある由緒正しい家系の一人娘とかなのかね? 「公由はすぐに車で迎えに来ると言っていたのですー。」「そっか、ありがとう。梨花ちゃん。」「お安い御用なのですよー!」 お喋りすることしばし。俺の妹もこれぐらいお利口だったら、毎朝フライングボディプレスで俺の目覚ましをすることもなくなるのかね。長門は梨花ちゃんに色々と質問されて、満更でもなさそうにしていた。もしかして宇宙人も妹が欲しかったりするのだろうか。古泉もにこやかに村のことや梨花ちゃんのことを訊ねたりしている。こいつもそういえば、俺の妹の扱いが上手かったっけな。古泉に兄弟っているのかね、今度落ち着いたら聞いてみるか。 「おぉ~~い、梨ぃ花ちゃまぁ~~。」「公由!みんな、公由が来たのですよー!」「どうも、突然ですみません。」「いんや~、気にすることはねぇってば~。他ならぬ梨花ちゃまの お願いだしよお。何にもねえ村だけんど、よかったら見てやってくれなぁ。」 俺達は村長さんに手短に自己紹介と挨拶を済ませると、梨花ちゃんと共に車に乗り込んだ。すごくいい人だ。優しさが滲み出ている。無口な長門に代わって、俺と古泉は何度も感謝の意を言葉にしたが、村長は笑って構わねんだよぉ、と照れくさそうに相槌を打った。 村は、想像通りのなんでもないところだった。山森があって、家があって、畑があって。自然に囲まれたいい意味での田舎だった。なんだか、空気にも味があることがわかるような気がする。 村長と梨花ちゃんは、説明を交えながら村を回っている間に色々なことを教えてくれた。梨花ちゃんは神社の子で、なんでも特別な娘らしい。当の梨花ちゃんはそんなことは気にも留める様子はなく、もうすぐ祭りで巫女をやる、とか祭りには是非来て欲しい、だとか。分校に通っていて、そこには俺達に年齢の近い友達がいるので、遊びにきてほしい、また診療所の医師は優秀で、体調が悪くなったらすぐに行くといい、など。正直ここにどのくらい滞在する、またはさせられるのか俺にはわからなかったので、適当に言葉を濁しておくことにした。そんな目で見ないでくれ、梨花ちゃん。 そんなこんなで俺達は梨花ちゃんの家、というか神社にいる。村長は会合があるとかで先程帰途についた。ありがとうございました、村長。なんでも今、梨花ちゃんはここに住んでおらず、友達と2人で別の家で同居していると言っていた。あまり語りたがろうとしないので俺は、その辺の事情を深く追求することはしなかった。見晴らしのいい場所だ。村を一望することができる。手すりに掴まって俺達は暮れていく雛見沢をぼんやりと眺めた。ここは良い村だな。 「そう、すっごく良い村なのですよ。すごく……。」「……どうかした?」「梨花ちゃん?体調でも悪いのですか?」「梨花ちゃ…」「誰なの。」「えっ?」「アナタたち。もう何十年も新しい人なんて来なかった。不思議よね。 新しい、って言えば圭一はそうだけど…、でもアナタたちはそういう意味じゃない。 これは転機なの?私は信じていいの?裏切られるのはいつだって怖いわ。」 まてまてまて、なんだこれは。さっきまでにぱー☆、とか言ってた梨花ちゃんはどこへ行ったのだ。目の前の梨花ちゃんは明らかに別人。しかも何やらワケのわからないことを言っている。何十年?けーいち?新しい?声も雰囲気もとても幼い少女のものではなく、どこか妖艶なオーラさえ纏っている。古泉も、俺も、そして驚くことに長門でさえ目を見開き、面食らっている。そりゃそうだ、like a 二重人格。スイマセン、これって笑うところ? 「目的は何?これは神の遊び?アナタたちは敵?味方?」「僕たちが梨花ちゃんに害意を持っているなんてことは絶対にありませんよ。」「そ、そうそう。できる範囲なら味方になってやりたいくらいだぞ。」「味方?どうして今頃なの?もっと早ければあの時も…あの時だって…。」 正直言おう。さっぱりわからない。長門のカミングアウトに比べても遜色ないぞ。涙を少し浮かべ俯く梨花ちゃん。オロオロとうろたえる俺と古泉。不安そうな瞳を梨花ちゃんに向け、首を傾げる長門。一体全体、何の話だこれは。だが俺の頭は意外にもすぐに閃いた。乱れ雪月花!じゃねえ。忘れていた、ここは閉鎖空間。ヒントは梨花ちゃんが持っているような気がしてくる。しかし、だ。包み隠さず有りのままを伝えるべきなのか?いやいや流石にマズイだろう。 (実はこちらのハンサムは、日頃誰かさんのイライラを具現化した青白い巨人を 灰色の空間へと入り込み、ばったばったとシバき倒している、超能力者なのです! 更に!こちらにいらっしゃる無口な小柄の少女は、この銀河を統括する身体も持たない 意識の集合体が地球へと投下した、万能宇宙人なのです!情報操作は得意!) ダメだな、絶対嘘くさい。実際俺が信じていなかった。しかもここでは証拠となる能力の発動は制限されている。と、なればここはだな。なるたけ嘘の無い範囲で、常識人でも信じられるレヴェルで掻い摘んで説明だ。 「あ~実は、梨花ちゃん。そのだな……。」 俺達はここに居てはいけない存在だということ。偶然迷い込んでしまったこと。何かしらの条件を揃えれば脱出できるのではないかということ。そしてその条件が不明で、知っていることがあれば教えてほしいということ。一通り説明した。勿論超常現象的な部分は省略して。しかしお粗末な説明だ。 「…そういうこと…。残念だけど私にわかることはないわ。」「……そう。」「意外にあっさり話を受け入れてくれるのですね?」「…慣れって恐ろしいわね。今の自分を考えたら、大抵のことは信じてみたくもなるわ。」「どういうことだ?」「アナタたちもじきに分かるかも。分からない方が幸せだけどね。…そう、出来ることなら、 すぐに村を出なさい。そして二度と此処へは入らないで。」「どういうことだ?村を出ろって?」「言葉のままの意味よ。二度と来るべきじゃない。すぐに居るべき処へ帰りなさい。」「……」「それが出来れば苦労しないんですけどね。」 古泉の言うとおりだ。俺達は村の中に鍵があることは直感で察している。村を出れるもんなら出たいのが本音だが、それじゃ本末転倒だ。というか、どうして急に冷たくするんだよ。何だかお兄さんは寂しいぞ。 「簡単には帰れないということなのね…。わかったわ。」 梨花ちゃんは電話番号を紙きれに書くと、俺達に渡した。 「何か困ったらここへ電話しなさい。私の家よ。アナタたち、泊まる所は?」 そうだった。この昭和58年には当然古泉の知り合いはいないのだろう。だが、旅行の季節でもないなら空き部屋はあるんじゃないか?取り敢えず俺は、現代で泊まるはずだったホテルの名前を言った。古泉の話では創業して長いらしい。この時代、というか閉鎖空間内でも存在すると思う。 「あそこね、わかったわ。私も何か判ったら連絡するわ。」「あ、ああ。宜しく頼むよ。」「……。」「……。」「にぱぁー☆」「なんですとーっ!」「気をつけて帰るのですよー!暗くなる前にホテルへ行くのですー。」「ハハ…。」 急激に元の、どっちが元かわからんが、とにかく最初の梨花ちゃんは現れ、俺達は拍子抜けした。なんだったんだ、一体。手を振りながら走り去る梨花ちゃん。長門が少し安心したような顔つきで、手を振り返していた。気のせいかな。 「ところで古泉。」「何でしょう?」「勢いで興ノ宮のホテルに泊まるとは言っちまったが、どう思う?」「そうですねえ……。」 そう。村から出られるのか、という問題。ハルヒと共に飛んだ新世界では、学校の周りにぐるりと結界じみたものが張り巡らされていた。もしもあれが村全体を囲んでいるとしたら。俺達は雛見沢に宿を探さなくてはならないのだ。この辺、宿なんかあるのかー?3人はトコトコと歩きながら相談する。 「賭け、ですね。出られれば良し、そうでなければこの近辺で宿を探しましょう。 何、気の良い人が多そうです。一晩くらい泊めて頂けるのではないでしょうか。」 「まぁ、梨花ちゃんに相談するって手もあるけどなぁ…。」 村から出て行くべき、とか言われた後じゃなあ。少し気まずいかも。 「……古手梨花。」「ん、どうした長門?」「…ユニーク。」「ああ、そうだな。突然変なこと言い出した時はビックリしたな。」「…不安、悲壮。」「そう感じたのですか?」「……とても。」「確かに……、敵とか、味方とか。なんだか助けを求めているような感じではあったな。」「僕たちの目的に共通している事項なのかもしれませんね。」「もしかすると、そうかもな。」「…出来るなら助けたい。」「…長門は優しいな。」「僕も同感です。梨花ちゃんを救うことが出来れば、そこが突破口に なる予感はしていますからね。」「ああ、だがその前にだな。」 俺達は村の境に到達した。出れるのか?どうなんだ。 意外にもすんなりだった。俺達は現在、興ノ宮のホテルで今日一日の疲れを癒している。驚くのは俺の財布の中身で、1年ぐらい泊まってもお釣りが来そうなほどに重みを増していた。瑣末な問題は気にするな、という太っ腹な思慮が感じられる。 俺はちょっとだけヘンテコ空間の生成者に感謝しつつ、また、1年も泊まらされることにはならないように明日からの探索に力を入れることを決意する。バイキング形式の夕食を3人で詰め込む。相変わらず長門はよく食う。その大食いはインターフェイスの能力に含まれないってことになるんですか。俺と古泉は見ているだけで満腹中枢を刺激されつつ、いつもよりは多めに食べた。色々と今後のことや、鍵について話し合うが、結局現段階ではヒントが少なすぎるという結論に達する。長門がいつまで経っても食い続けているので、流石にシェフが気の毒になってきた俺達は、適当なところで長門の口にストップをかけた。 明日は9時から興ノ宮を散策してみよう。少し遅めに約束をとりつける。決して広い部屋ではないものの、3人とも個室を取り、今日はお開きにすることになった。俺はベッドに横たわると泥のように眠る。なんだかんだで疲れていたんだろう。そして変な夢をみた。本当に変だった。 長門と古泉がひそひそと話をしている。あたりは真っ暗で、俺は独り。何を話しているんだ?と俺が聞くと、二人は一瞬こちらを見るが、すぐにまたひそひそ話を再開する。ちょっと頭にくるじゃねーか。 「なぁ、何の話をしてるんだよ。俺にも教えてくれよ。」「「…ひそひそ…。」」「おい、無視するなって!」「…くくっ、…そ……すね。良い……がえだと、……くくっ。」「古泉、何をそんなに可笑しがってるんだ。」 チラっとこちらを一瞥する。目線をこちらに向けたまま、話し合う。 「…わたしが、……ゃする…で……えて…れば……そう。」「オイ、長門っ!!」 俺は凍りついた。こちらに向けられた長門の目は、冷たい、いや、冷たすぎた。入学当初も、4年前も、こんな目をしていない。マイナス273.15℃を越えるぐらい冷たい瞳が俺を貫いている。声が出せない。目線だけで古泉の顔を窺った。俺はまたしても肌寒くなった。ニヤニヤとこちらを見る古泉は、藤原なんて目じゃないくらいに冷徹な悪党が浮かべるような笑顔を見せていた。どうしたこいつら。 「二人とも……、どうしちまったんだよ……。」 声がどうしても震えちまう。我ながら情けない。 「どう、って…。くくっ。」「…わたしたちは何も…。」「う、嘘つけよっ!さっきからひそひそと、何事か話し合ってるじゃないか!」「くくくっ、あなたには関係のないことですよ。」「……あなたは聞く必要はない。」「どうしてだよ、俺達は仲間じゃないか!」 古泉が、耐え切れないといった感じで吹き出した。 「ぶっ、くくっ、ハハッ、アーッハッハッハ!!な、長門さん、聞きましたか。」「…記憶した。」「ハハ、アハハハハ!な、なかま。ですって!アハハハハハ!!」「…傑作。」 俺の中で何かが弾ける音がした。こいつらはあの2人じゃない。紛い物だ。 「お前ら、偽者か。2人はどこへ隠した。俺の仲間を返せ!」「ぶっ、に、ニセモノ。だってーー!?アハハハハハ!!」「…ユーモアがある。」「ふざけんな!本当の長門や古泉はお前らとは違う!」「…ッハハハ、あなた、勘違いしていますよ。くくく。」「…なんだって?」「僕らは僕らです。紛れも無く本物の。」「嘘も大概にしろ。俺だって頭に来ることはあるんだぜ。」「……もう一つ勘違いがある。」「ええ、そうですね。長門さん。」 瞬間的に真剣な顔を取り戻す2人。今度は睨みつけるようにこっちを見ている。なんだ?いや、ごまかすな。わかってる。勘違い?ふざけんな。俺は聞くのが怖かった。やめてくれ。嘘でもそんなことは言わないでくれ。お前らが偽者だってわかってる、でも、続きを言うのはやめてくれ。頼む。2人の姿をさせたそいつらに、俺の心を傷つけさせないでくれ。耳を塞ぎたかった。身体が動かない。やめろ。こんなのは耐えられない。知りたくない、聞きたくない、そんな言葉、求めてない! 「「お前なんか仲間じゃない。」」 目を醒ますと、目尻に涙が滲んでいた。なんつー悪夢見ちまったんだ。フロイト先生、俺、疲れてますか?朝食にいかねーと。7時半だ。ドアを開けると2人が偶然、といった感じで待っていた。 「おや、おはようございます。」「あ、ああ、おはよう。」「…何かあった?」「えっ!あっ、いや別に。」 首を傾げる長門。ああクソ、悪夢め。2人を見た時に顔が引き攣ってたのかもな。古泉は笑顔を少し崩してこう聞いてきた。 「お疲れですか?なんならもう少し遅い時間に出掛けるとしましょうか。」「いや、なんでもないんだ!ちょっと悪夢を見ちまって。」「……怖かった?」「あ、ああ。でも体調はなんでもないんだ。時間通りに出掛けよう。」 俺達はホテルの朝食を食べに下階へと足を運んだ。気になるのだろう。古泉が悪夢の内容を聞いてきた。 「もしかすると今後のヒントになるかもしれません。」「…そうかぁ?…話してやってもいいけど、気を悪くするなよ?」 俺は事細かに夢の内容を話してやった。古泉はふふっ、と笑い 「全くもって奇妙ですね。僕も長門さんも、あなたを蔑ろにしたりはしません。」「あ、ああ。わかっちゃいるんだけどな。」「……あなたは。」「ん?」「なかま。」 自然と嬉しさが顔に出ちまう。やめろ長門、こっぱずかしいじゃないか。しかし2人の言葉は俺を元気付けるには充分で、なんというか… 「長門さんの言う通りです。我々SOS団は強い絆で結ばれた仲間です。 あなたに対して無礼を行った夢の僕らに、憤りさえ感じますよ。」「…さ、さぁっ!お喋りはこの辺にしてだな。さっさと朝食をかっこんだら、 今日はこの街の散策があるんだからなっ!目的を忘れるなよっ!」 うわっ、喋り方が誰かさんみたいになっちまった。俺ってこんな性格だったか?古泉は0円スマイルを3割増しにして答え、長門は小さく頷いた。有難う、長門。古泉。声に出さずに俺は礼を言った。 興ノ宮も想像通り、至って普通の街だった。特にこれといったおかしな所もなく。昼時になり、俺達は近くのファミレスと思しき建物に立ち寄った。 「エンジェルモートへようこそ!」 ちょ、なんですかコレ!なんて羨ましい、イヤ、けしからん制服!見ると店内にはコスプレ風の制服を着こなした店員が元気な声で注文伺いを、お冷のおかわりを、会計レジ打ちをしていた。 「こ、これは……。」「うむ、入る店を間違えたかもな……。」 所謂コスプレ喫茶なのだろうか?しかし昭和後期にこんな店があるとは。先駆けすぎる、先駆けすぎるぞ!恐るべし、エンジェルモート。俺はいたたまれなくなって店を出ようとした、んがッ!? 「……」 あの、長門さーん。ショーウィンドウのケーキをじっと見つめていますね?そして俺のシャツの端を掴んでいますね?それってこの店でケーキが食べたいってことなのかな? 「……ケーキ。」 俺の目を見ながら言わなくてもわかる、わかるっての。熱心に瀬戸物のケーキを見ていた人が「わたし、骨付きカルビにむしゃぶりつきたいの。」なんて言い出すワケはない。わかってるってヴぁ。 「良いのではないですか?少し恥ずかしい気もしますが、店内の方々を見ると、 意外とマニアックな結界によって守られた閉鎖的な空間ではなく、 割と全年齢オールマイティに分布された開放的なお店に見えます。」「ああ…、わかったよ。昼はここでスイーツでも嗜むとしようか…。」「……。」 長門は甘いものも好きなのか。というか口に入るもの全てか?なんだか上機嫌なオーラを放つ長門を先頭に、妙に露出の多い店員から目を背けるように俺達は案内された席へ腰を下ろした。注文を終えると、俺達は午後からについて話し合う。長門、言っとくが食い放題じゃないぞ。 「…この店の品物に関して、わたしは味覚における情報記録を完了させていない。」「言い訳しなくていいんだぞ。食べたいから食べるんだ。それでいい。」「言い訳ではない。でも、そういうこと。」 長門はいつもより少しゆっくりとデザートを嗜んだ。古泉と俺は適当に頼んだ物を適当に流し込む。 「どうやらこの街で大きなヒントを得るのは難しそうですね。」「ああ、なんだか砂漠でダイヤを探してる気分だぜ…。」「悲観的になるのはよくありません。午後は村を再度訪ねるとしましょうか。」「そうだな…。やっぱりあそこに感じるものはあるよな。梨花ちゃんの言葉も 気になるし。」 と、後ろの席の奴が急に叫びだした。あまりにも唐突で、ついついまじまじと観察してしまった。 「…偶然に、決まってるじゃないですかっ!」 高校生らしき少年が机を両の拳で叩き、白髪の恰幅の良い男に怒鳴っていた。白髪の男は少年をなだめると、店内には静けさが舞い戻った。なんだってんだ?なんだか尋常ならざる剣幕だったが、敢えて尋ねるなんてことはしなかった。 「ちょっとトイレいってくるぞ。」 洗面所の鏡に向かって自問自答した。さて、どうするんだ。村へ向かうことに依存はない。しかし、行ってどうするか、だ。ただ漫然とイベントが起こるのを待ちわびるのもいいが、果たして正解なのか?それに、梨花ちゃんは言った。「村へは戻るな。」と。あの忠告にどんな意味合いが含まれているのかは、およそ計り知れない。 「考えても無駄か。」 取り敢えず村へ行ってみよう。出来ることなら梨花ちゃんに忠告の意味を聞いて、そっからまた進むべき道を取捨選択すればいい。今までだってなんとかなってきた。今回もそうだろ?なんとかなるはずだ。俺は2人の所へ戻ることにした。既に先程の男と少年は姿を消していて、代わりに変なものを見た。長門と古泉が何やら話していた。しかし俺の姿を見ると、途端に正面を向き、何もありませんでした、システムオールグリーン。という仕草をしたのだ。いや、見間違いだろう。目が合ったわけじゃないし、話し声が聞こえたわけでもなし。夢のことを思い出して疑心暗鬼になっているのか俺は。思い出せ。朝のことを。俺達は仲間だ、とそう言っていただろう。それだけで充分じゃないか。 会計を終えた俺達は、梨花ちゃんを訪ねることにした。とはいっても、時間帯で言えば午後の授業中だろう。まさか突然教室に珍入するわけにもいくまい。夕暮れ時まで待つようだな。しばらくその辺で時間を潰そう。懐かしのインベーダーゲームをプレイしたり、書店に立ち寄って長門の本選びに付き合ったり。古泉は大昔の聞いたこともないようなボードゲームをいくつも買っていた。ま、どうせ俺の全勝で終わるんだろうが。というか、通常空間への物品の持ち出しが可能なのかは甚だ疑問だ。知らんぞ、俺は。 ハルヒと朝比奈さんがいないのは少し寂しいが、我々は普段の活動と大して変わらない遊びで時間を潰したという次第だ。しかしこの間、俺は変な視線をずっと感じていた。なんだろう、尾けられている? 「古泉。」「何でしょう?」「さっきから、視線を感じないか?」「おや、そうですか?僕は何も?」「長門はどうだ?」「空間認識能力が限定されている以上、確かな否定材料には乏しい。 しかし、わたしは何者の視線も現段階では感知していない。」「そうか……。」 気のせいで済ませられるレヴェルじゃないんだがな。何よりもこの視線には悪意がこもっている。突き刺すような。 「あっ、おい!あそこ!」「どこです?」「見なかったか!?スーツの男がこっちを見ていたろ!」「あれは腕時計を見ていたんですよ。」「そ、そうか……。」 はっきり言って、古泉と長門は全然気付いていないようだが、俺達は確実に何者かによって観察されている。無理もない。2人とも普通の人間なのだ。だとしたら。俺が2人を守らなくちゃならない。絶対だ。 「……大丈夫?」「あー、気のせいだな!気のせい!悪かった。さて、そろそろ頃合いだろ。 そろそろ梨花ちゃんに話を聞きにいこうぜ。」「ええ、そうしましょうか。」 2人に無理に心労を負わせることもない。俺がやってやる。カンタンさ。好機に飛び出してって、ふん捕まえて謝らせてやる。もしかしたらそいつが案外鍵の在り処を知っていたりしてな。 だが、村に降り立ってからというものの、更に視線は数を増し、鋭さをも増した。民家の影、八百屋の軒先、銭湯の窓。至る所にそいつらはいた。流石に俺もちょいとビビる。こんな大人数じゃ、捕まえるってレヴェルじゃねーぞ!逆に捕まっちまう。こんな露骨な視線、お前ら気が付かないのか? 「大丈夫ですか?本当に。先程から言っている通り、何も感じませんよ?」「……至って問題はない。」「ちょっと待て、本気で言っているのか?」「えらくマジです。」「…まじ。」 この時、俺の中である一つの疑惑が浮上した。いや、しちゃいけない類なんだ。でも、浮かび上がってしまった。それはこうだ。 長門、古泉は能力の限定が行われていると言った。しかし実際のところ、どうなんだ?見た目からは分かるわけでもないし、実際、普段と変わりはない。つまりだ、本当は能力の封印は行われていなくて、古泉も長門も通常空間と変わりない。そもそも、ここが閉鎖空間だという確かな証拠も何もない。何故なら俺は長門の言葉を鵜呑みにしているだけであって、実際に確認する術はない。 バスの中で俺達は眠りこけて、気が付いたら閉鎖空間。これもどうだ。2人が確実に眠った所を見たわけではない。もしかすると間抜けにも眠らされてしまったのは俺だけで、ここは通常空間なのでは?いやしかしだ。ハルヒが後から来なかった。これは説明できない。あいつは別に俺達と別れて村の探索をしたいはずではないだろう。あいつが望めば俺達はあっという間に引き寄せられるんじゃないのか。だからここが時間の流れのおかしい閉鎖空間であるというのは正解らしい。つじつまは合うだろう。 ここまで考えて嫌な記憶が引き出しから飛び出した。朝倉だ。あいつも閉鎖空間じみた物を作っていた。ならば必然、長門も作れるんじゃないのか?規模は?考えるまでもない。世界全体をハルヒの力を借りたとはいえ、丸ごと改変しちまうぐらいだ。村の近辺ぐらい容易いもんだろう。しかし、長門だけの仕業なのか?いや、古泉も一枚噛んでいるんだろう。超能力者は他にも存在すると言っていた。そしてそいつらも当然古泉と同等の能力を有しているのだろう。それならば、多少異質とはいえ、発生した閉鎖空間を放置したりはしないんじゃないのか?つまり機関もグル。この空間に関してはノータッチ。もっと言えばこの尾行者達の正体は機関の奴らじゃないのか? 「……調子悪い?」「ひどく汗をかいていますよ?どうしたんです。」「い、いやっ!何でもねえんだよ、大丈夫!」 では、何の為に?これが一番のネック。まさか壮大なドッキリではないだろうな。仮に、少なくとも長門の能力が限定されていない状態ならば、視線を感じないというのは嘘になる。なんで嘘をつく?どうしてだ? 前述したように、悪意のこめられた視線は、そういう類の感じじゃない。もっと言えば…殺意?ちょっと待て、俺を殺す?why?何故?意味がわからないし笑えない。どういうことだ。視線の送り主達とお前ら2人は結託しているのか?俺を殺す、という目標を掲げて。 もし、もしもだ。俺を殺すのであれば何故今なんだ?チャンスはいくらでもあったはずだ。それこそ部室で俺しか居ない時でもいい。いつだって殺せたはずだ。いや、そうか。ここにはハルヒがいない。いつだって俺達の近くにはハルヒがいた。朝倉の件は完全な独断専行って奴だったんだろう。恐らくだが、俺を殺す時にはハルヒが近くにいてはいけないんだ。理由はわからない。多分そうなんだ。そして、俺達の地元でもいけない。これも理由は不明。孤島や雪山ではハルヒが近くに居て手を出せなかった。そうだ、そうだろう。そしてこの土地ってのは何だかいわくつきだとか、ハルヒの話しではそうだった。祟りがどうの、とか。そうか、事後処理がしやすいんだろう。トチ狂った高校生が断崖から身投げ、とかよ。畜生。 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生。 仲間じゃなかったのかよ!信じてたのによ!俺をやっと、ここまで誘い出して殺せるんで、そうか、ファミレスでも!ほくそえんでたんだろうよ!畜生。絶対に許さねえ。簡単に消されてたまるかよ、俺は死なねえぞ! だが、ここで悟られるのはマズイ。奴らが一気に行動を起こしてくるのは、目に見えている。あくまで、視線の件は俺の勘違いに留めるんだ。そう努めよう。 「あっ、もしかして?」「な、何だ!?」 突然古泉に声を掛けられて俺は心臓が口から飛び出そうになった。落ち着け、koolになるんだ。 「勘付いてたり、しますか?」「ななっ、何をだよっ!?」「……発覚?」「長門さん…どうしましょう?」「…前倒しも可能。」「ああ、そうですよねえ。もし気付かれているのなら、今始めますか?」 夕暮れの道には俺達以外に影はなくなっていた。教えられた梨花ちゃんの家まではまだもう少し距離がある。 「何の話だ?俺にも分かるように言ってくれないか?」「またまた…、本当はもうお気づきなんでしょう?」「…鋭い人。」 俺は仰天した。長門の目、そして古泉の笑顔はいつの間にか夢で見た表情に一変していた。歯がガチガチと震える。 「始めに言っておく、俺は何も知らない!何も聞かされていないぞ!」「ええ、話すわけがないでしょう?」「だから、何のことかわからねーよ!教えてくれよ。」「……。」「長門さん、どうやら。」「…そう。」「ええ、知らない、と言っていますが。」「…本当に?」「本当だとも!なあお前ら、梨花ちゃん家まで早く行こうぜ?」「本当ですか?」「馬鹿言ってねーで、さっさと行こうぜ!」「……本当に本当?」「だから何も俺はしらないt「嘘だ。」 今までに聞いた中で、感嘆符こそつかないものの、長門の一番大きい声だった。俺はその声に心底恐怖した。内臓を抉り取られるような視線。もうダメなのか? 「長門さん。」「…何?」「彼は知らないと言っています。それで結構じゃないですか。 それにもし知っていたとしても…。」「…そう。」 「「運命は変えられない。」」 助けてくれ、ハルヒ。俺を助けてくれ。このままじゃ俺は…、殺されちまう。助けてくれ、ハルヒ。俺をここから、救い出してくれ。ハルヒ。 俺の声にならない叫びは夕闇の空に吸い込まれていった。遠くでひぐらしがないている。 呆然としていた俺は、どうやって梨花ちゃんの家まで来たのか全く憶えていない。だがとにかく、俺はまだ殺されずに済んだ。だがどうすればいい。ホテルに帰ってから、いやそれこそ帰り道で。俺は殺されるかもしれないんだ。長門と、古泉に。 「キョン?どうしたのですか?」「ああ、梨花ちゃん。結局来ちまったよ…。」「じゃ、夕飯を一緒に食べていくといいのですー。」「おお、ありがたいですね。」「……。」「沙都子ー!お客さんが来たのですよー!ボクの友達なのですー!」「あら梨花ー、前もって言ってくれればいいのに。」「まるでヨネスケなのですー、にぱー☆」 俺達はちょっと躊躇したが、晩御飯をご馳走になることにした。 「初めましてですわ、わたくしは北条沙都子。そちらは…、 キョンくんに、古泉さん、有希ちゃんですわねっ。よろしくあそばせ!」「なんだか突然夕飯の時間帯に押しかけちゃって悪いな。」「いいんですわよ、わたくしも梨花も、大勢で食べるほうが何倍も楽しいですわ。」「沙都子、足りない分を今から作るのですー。」「わかりましたわ。じゃ、古泉さんに有希ちゃん、お手伝いしてちょうだい!」「かしこまりました、姫君。」 古泉はちょっとふざけると、長門と共に夕飯の手伝いをし始めた。俺は今しかないと思い、梨花ちゃんに打ち明ける。 「ちょっと、いいかな?相談したいことがあるんだ…。」「キョンが?ボクにですかー?」 俺は古泉と長門が殺意を俺に向けていることを掻い摘んで説明した。はっきりいってどうかしている。自分の妹ぐらいの子にこんなことを相談したって、どうにかなるわけがないんだ。しかし、警察が相手をしてくれるのか?警察にも機関の息がかかっていないか?それに、高台で見せた不思議なオーラ。俺はこの子が普通じゃないことを薄々感じていた。 「キョン…、それは…。」「え?心当たりがあるのか?」「他に、何か見なかったのですか?気になることでもいいのです。」「え~と…。」 敵意むき出しの視線、それに今朝の夢も説明した。先程の状況が酷似していたことも含めて。梨花ちゃんはしばらく俯いていた。 「キョン、仲間を信じてあげるのが、仲間の役目なのです。」「はっ?」 素っ頓狂な声を思わずあげちまった。違う違う、そうじゃないって。俺が求めているのはそういうアドバイスじゃない。今更何言ってる?もう信じる信じないの状況じゃないんだ、わかるだろ?帰り道ですぐさま3枚におろした魚ヨロシク、この世からおさらばしちまう、そんぐらい切羽詰ってるんだよ。期待外れもいいとこだ。 「さぁっ、出来上がりましたわよー!」「わー、おいしそーなのですー、にぱー☆」 俺には、絶望感で飯の味なんてわからなかった。 「ちょっと、外の空気でも吸ってくる。」「あまり遠くへは行くんじゃないですわよー。」「ああ、心配ありがとさん。」 もう視線は感じなくなっていた。奴らも飯時か?それとも俺自身が諦めに呑み込まれているから、感覚が鈍っているのかもな。諦める……?なんだって?諦めるのかよ…?そうだ、もしあいつらが襲ってくるような真似をしやがったら、タダじゃおかん。正当防衛だ。そうだろ?そうだ、殺られる前に、だ。長門や古泉がいかに変態的パワーを持っていようが、もう知るか。最後まで喰らい付いて、傷の一つでも負わせてやる。絶対だ。 ハルヒ、もう会えないかもな。俺はここで死ぬかもしれない。だけど、だけどな。お前と俺で作ったSOS団。その名前を汚したあいつらを無傷では帰さない。そうだ、殺す。俺を殺そうとするんだ。殺してやる。ぶっ殺してやる。 梨花ちゃん家の窓の外から奇妙な光景を見た。古泉と長門が梨花ちゃんに何やら真剣に説明を受け、2人は頻繁に頷いている。なんだ?まさか…、梨花ちゃんもグルなのか?いや、流石にそれは考えすぎか。あんな幼い子供に犯罪の助長を促すようなクソッタレだとは思っていない。大方、本当はありもしない、鍵の話をしている所でも俺に見せ付けるためのブラフだろ。見え見えだっ、畜生。 はっきり言って当初の目的だった、鍵についてや、忠告の意味。俺はそれらを聞くことに何の意味も感じなかった。頭の中にあるのはどうしたら俺自身に降りかかる惨劇を回避できるか、ってことだけ。だから俺達は遅くならない内に退散することにした。 「じゃ、お邪魔したな。」「また来るといいのですー!」「夜道にはお気をつけあそばせー!」 俺は先頭を歩き出すが、何やら古泉と長門は梨花ちゃんとアイコンタクトを取り、頷く素振りを見せた。ハッタリはもういいんだよ。しかし…、怖い。物凄く怖い。いつ後ろから刺されてもおかしくない状況だ。おかしくなりそうだ。なんだか手首、というか血管が痒い。むずむずと、まるで何か入ってるみたいだ。気持ち悪い。俺が恐怖でおかしくなりそうな自分を奮い立たせるために、声を出そうとした時。 「ちょっと、いいですか?」「…何だよ?」「ここではなんです、あちらの納屋で腰掛けて話しましょう。」「…必要なこと。」「…わかったよ。」 俺は従うしかなかった。 「あなたは、一種の病気です。今現在。」 唐突に何を言い出すんだ、お前は。俺が病気だって?ああ、痒い。 「…古手梨花から説明を受けた。」「その病気は、あなたの精神を蝕んでいます。昼間の尾行の話。 あったでしょう?あれも病気による一種の被害妄想です。」「はあ、そうっすか…。」「…真面目に聞いてほしい。これはあなたのため。」「ビョーキ、ビョーキねえ…。」 言わせてもらえば、お前らの方がよっぽど病気だ。やれ神人だ、思念体だと。それに、俺を殺そうとしている奴らの言う事なんて、信用できると思うか? 「あなたは相当危険な段階まで進行しているそうです。理由は不明ですが…。」「なんでなる?」「……?」「その病気はどうしてなるもんなんだ…?ウィルスか?空気感染? 食べ物?生まれつき?それとも…」 俺は長門を睨みつけると精一杯の虚勢をはって言ってやった。ナノマシン、か?長門は申し訳なさそうな「フリ」をして下を向いて黙った。フン。俺も無防備だよな、こいつの言うことなら大抵信じてしまっていた。大馬鹿野郎だ。俺は。 「それについては…、どうも原因の究明には至っていないようで…。」「…わかったよ。ああわかった。」「…信じた?」「お前らがどこまでも、大ウソつきどもだってな!」 長門と古泉はビクっ、と身体を震わせると、俺に対して憐れむ様な目をした。何だよその目は。そんな目で俺を見るんじゃねえ。 「長門さん、仕方ありません。」「…わかった。」「お、おい。何する気だっ、やめろ!離せェ!!古泉ィー!!」 古泉は俺を羽交い絞めにすると、長門に合図を送った。何しやがる! 「……これ。」「なんだよ……、なんだよその、注射器はっ!!」 中型の注射器には、なみなみと黄色の毒々しい液体が詰められていた。まさか、やめろ!やめろ、やめてくれ!! 「くくっ、楽になれる注射ですよ。」「…あなたの苦痛を終わらせるもの。」「やめろ!離せ!HA☆NA☆SE!」「…あなたのライフをゼロにするもの。」 古泉と長門は例の表情に変貌している。やめろ、蟲野郎!! 「ハハハハ!受け入れてください!これが運命なんですよ。」「…これで全て終わり。悩むことはない。」「嫌だ!打つな!俺は死にたくない!!」「僕たちは仲間なんでしょう?仲間の言うことを少しは、 信用してください。ぷっ、くくくっ。」「ふざけるな!裏切り者!」「…わたしたちは、仲間。信じる?」「お前らなんか、仲間じゃねえ!」 そうとも、こいつらは仲間じゃない。ここへ来た時?否、最初から。仲間なんかじゃない。俺はまんまと騙されていた。古泉は喜びを隠しきれない様子で何度もくつくつと笑っている。長門も気のせいか?微笑んでいる。だがそれはかつての改変世界で見せた内気な文芸部員のものではなく、見るからに冷徹、残忍、狡猾。俺は2人を許せなかった。SOS団を裏切ったのだ。それもはじめから。ハルヒと俺を罠に落とし込んだお前らは、さぞかし有能なハンター気取りだったろう。そして、その時古泉は確かにこう呟いた。 「これを打てば涼宮さんにも会えますよ。くくっ。」 俺の中の糸がプツリと切れる。なんだって?お前ら、何をした。ハルヒを、ハルヒを。殺したっていうのか?どうして。許さねえ、絶対。許さない。 「ッ!うわっ!」 俺は背後の古泉を思い切り柱にサンドイッチしてやった。おかげで両腕は解放され、俺は自由を取り戻す。 「…どう…て…。」 俺は床に転がっていた角材を握り締めると、思い切り長門の手の注射器を払い落とした。粉々に砕け散る破片。ざまあみろ、これで逆転だ。 「僕らの…とを…。」 次によろけている古泉の側頭部を思い切り叩きつける。嫌な感触がして古泉は崩れ落ちた。何だ、今更懺悔か!?遅いんだよ!2人はブツブツ何かを言っているが、知ったこっちゃねえや。 「…じて…だ…さい。」 長門の頭に角材を垂直に振り下ろす。血が出る。痛いだろ。ハルヒはもっと痛かったんだろ!? 「…お願……、信…て…。」 俺は目茶目茶に殴りつけた。頭、腹、足、腕。よくも、裏切ったな。 「…わた…た…を、…じて…。」 俺はずっと殴り続けた。手が切れた。血が滴る。痛い。目の前にはもう動かない宇宙人と超能力者が横たわっていた。なんだ、なんでだよ。俺はよくやったろ。なのにどうして。涙が出るんだよ。 「どうして…こんなことに…。」 俺はどこへ向かうともなく走り出した。どこへ行けばいい。そうだ、梨花ちゃんに相談しよう。もうそれしかないだろ。一番近い公衆電話はどこだ? ひたっ ひたっ ひたっ 「は…?」 気のせいか?俺の足音に合わせて、付いてくる奴がいる。何だ?俺が足を止めると、そいつも止める。気持ち悪い。 「誰だよ?」 何だこいつ、何なんだよ!ずっとついてくる!俺の!後を!来るな!俺は公衆電話ボックスに飛び込んだ。メモの番号に電話する。1コール…2コール…3コール 出た。受付のかがみだ。 「もしもしー?」「りっ、梨花ちゃん!俺だ、キョンだ。」「キョン!お注射は痛かったですかー?」「えっ?注射?してないぞ。そんなもん。」 受話器の向こうの空気が変わるのがわかった。でも今は、そんな場合じゃない。ああ、クソっ、首も痒いぞ。 「…キョン、有希と古泉はどうしましたのですか?」「そ、それがっ、げほっ、あいつら…。」「まさか…。」「やっぱり俺を殺そうとしてきた!それだけじゃない! あいつら、ハルヒも殺した!ハルヒをだ!」「キョン、2人と話をさせるのです!」「もうっ、げはっ、うえっ、無理だっ、よ。げほげほっ。」「キョン!まさか喉を掻いていないですか!?」「ああ、なんでわかるの、げほっ、かな?それよりさ、げほっ さっきから、誰か付いてきてるんだ!げはっ! ずーっと後ろを、ヒタヒタって、げほっげほっ、今も!」「キョン!喉から手を離すのです!すぐに!」「俺の後ろで、うえっ、見てる、見てるんだよ!」「キョン!」「げほげほっ、ああ、痒い、痒い痒い、げはっ」 俺は受話器を放り投げた。なんでこんなに痒い。クソ!後ろの奴、誰だ。すごい怖い。やめろ、どこか行ってくれ。ああ、すげー血が出てる、でもかゆい。こわい。かゆい。 かゆい うま 俺は公衆電話ボックスの中で死んだ。ゴミのように。 其の壱 了
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