「二日酔い」
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世界は終焉を迎えてしまったのだろう。視界に入る全てが歪み蠢き、足元は波打って歩く事すらままならない。 ああ、これは俺がハルヒを止められなかったせいなんだよな。 長門、朝比奈さん、ああ、あとついでに古泉。力無い俺をどうか許してくれ。「はいはい、許しますよ」 古泉、お前無事だったのか。そうか。お前にはいつも冷たい態度を取って悪かったな。最後だから言っておく、ふんもっふってなんだ。「それって質問じゃないですか?」 質問を質問で返すな。ああ、意識が消えてしまう……俺にはまだやる事があるんだ、シャミセンの爪をそろそろ切らないと廊下を歩くたびにチャッチャッって音がして気になるし、制服のすそ上げテープが取れかかってるから直さないと……。「それは大問題ですね。もう少しで寝室です、頑張ってください」 まかせろ、俺はぎりぎりで実力を発揮するタイプを信用してないんだ。最初から頑張れよ。「さ、着きましたよ……おや、眠ってしまったようですね」
――ここはどこだ? 見覚えのない天井、薄暗い室内。厚いカーテン越しに僅かに聞こえるごうごうと耳に響く風の音。 少なくとも、ここが俺の部屋ではない事は確かだ。 俺の部屋がこんなに広い訳はないし、広かったとしても古泉が隣のベットにいるはずはない。「お目覚めのようですね、気分はどうですか?」 ああ、最悪だ。 隣に居たのがお前じゃなくて朝比奈さんだったら天にも昇る気分なんだがな。「ポカリスエットでよければ飲んで下さい、枕元のサイドテーブルに置いてあります。僕はちょっとでかけて来ますが、鍵はかけて行きますのでそのまま休んでいてください」 手早く身支度を済ませて部屋を出ていく古泉を俺は視線だけで見送り、俺は体が欲求するままに眠りに落ち――損ねた。 何故だろう、異常に喉が渇く。統合情報思念体の嫌がらせか? 効果は抜群だな。 そういえばさっき古泉がポカリがあるとか言っていた様な気が……。ああ、あった。 室温とかわらない温度の液体が喉に流れ込み、胃の中へ注ぎこまれていく。 そしてようやく気付いた、ここは多丸さんの別荘じゃないか。
無駄に燃え盛って灼熱の紫外線をこれでもかという程に降り注ぎ、平均気温の自己ベスト更新を狙っているとしか思えない太陽が何故か好まれる今は7月の末。 SOS団夏合宿の為に、俺達は今古泉の親戚とやらが所有する無人島の別荘に来ている。 たった5人で予算も無ければ顧問も居ない俺達のいったいどこに合宿をする必要性があるのか? 俺にはその答えはわからない。だがまあ、ハルヒならこう言うだろうな。「あたし達が合宿をする為に合宿はあるのよ!」 我思う、ゆえに我ありか? デカルトも涙目だな。 夏合宿は古泉提案による無人島の別荘で執り行われる事になった。 古泉提案、無人島、別荘。 ここまで揃って何も起きなかったらむしろ詐欺だ、自販機でホットのアクエリアスが出てきた時くらいに憤りを感じるだろう。 そんな訳で何が起きてもいいように心の準備だけはしておいた俺なのだが、嵐の前の静けさとでも言うんだろうかね? 初日は絵にかいた様な晴天の下で俺達は心行くまで夏の海を楽しんでやった。 ――そして事実それは嵐の前の静けさだったわけだ。 台風到来。 どんな障害があろうとも、そもそも障害だとすら思わずむしろ嬉々として俺達を引っ張りまわすハルヒなのだが、どうやら雨風の中ではしゃぎまわるのが楽しいといった感覚は小学校時代に置いてきてくれていたらしい。 結果、突然現れた台風によって室内行動を余儀なくされた俺達は、卓球にビリヤード、麻雀等々多彩な遊びに没頭していたのが昨日の事。 窓の外から聞こえる暴風雨の音からすると、どうやらそれは今日も続行される見通しのようだな。 ……まて、ところでこの頭痛はなんなんだ? 全身はまるでサウナの後の様にだるく、頭以外にも体の節々が痛い。 たぐりよせる記憶の中で、ゆっくりと思いだされてくる夕食での出来事。 ――出された食事は全て食べる事を至上命題としている様な長門。 ――ほんのりと頬を赤く染めいつもより色っぽさ70%増の朝比奈さん。 ――そんな朝比奈さんを眺めるのに忙しい俺――なんだ、急に頭痛が増してきたぞ? ――そんな俺の襟を掴むハルヒ、その手にはワインの瓶――ああ、やっと記憶が繋がった。 ハルヒによって保険金詐欺でも企んでるのか? という程に飲まされた俺は、早々とダウンして……そうだ確か古泉に部屋へ運んでもらったんだったな。 洒落たデザインのランプの横では、デジタル時計が午前4時を指している。 まだこんな時間だったのか。 寝なおそうか顔を洗ってこようか迷っていると、部屋のドアが静かに開いていくのが目に入った。 ベットの上で動きを止めて見守っていると――「……おや、起こしてしまいましたか?」 期待させるなよ。 ドアを静かに閉めつつ俺の苦情を苦笑いで受け流しているのは、残念ながら古泉だった。「申し訳ありません。……ちなみに、誰にこの部屋を訪れて欲しかったんですか?」 そんなもん聞くまでもないだろ? 俺はベットに寝ころび、天使っぽく微笑む天使よりも天使っぽい朝比奈さんのお姿を妄想する作業に戻った。 そんな俺の隣では、古泉が着替えている気配がする。……ん、この湿った感覚は。 古泉、お前外に出かけてきたのか?「ええ、野暮用で」 ルームランプの光に照らされた古泉の髪からは、雨が雫になって滴っていた。 野暮用……ね。 バスタオルで体を拭く古泉は、それ以上何も言ってこない。 その態度は、俺に何かを聞かれるのを待っているって感じではなかった。普段からそうだ、こいつは自分で出来る範囲の事であれば人を頼ろうとしない長門みたいな所がある。「? どうかしましたか」 いや、何でもない。 どうやらいつの間にか古泉を凝視していたようだ。視線を天井に戻してゆっくりと目を閉じる。 再び心安らぐ世界を夢見ようと試みるが、朝比奈さんはどうやら天国へお帰りになってしまったようで、妄想の中には戻ってきて下さらなかった。 風が窓を叩く音と、古泉の着替える音だけが耳に聞こえる。 何も考えずに眠気が戻るのを待っていると、浮かんできたのは何故か長門の姿だった。 窓際で本へと向ける長門の表情に、同じように一人で全てを背負おうとする古泉を重ねてみる。 が、どこかが違う。 それはどこだ? ……ああ、そうか。長門は、本当に人を頼る事を知らないんだと思う。 だが古泉は人に頼るという選択肢を知っていて、それを選ばない。そんな感じだな。
――これは気まぐれだ、別に深い意味があっての行動じゃない。 閉鎖空間が発生してたのか? 寝ころんだまま問いかける俺に、古泉は少し驚いた様な視線を向けていた。「え、あ、はい。ですが小規模な物だったので、すぐに対処できました」 そうかい、ハルヒも結構飲んでたからな。それが原因か?「多分そうでしょうね、貴方に負けない程に涼宮さんも飲んでいましたから」 その時の事を思い出すように古泉は小さく笑う。 お前がハルヒのワイン攻めから上手く逃げてたのは、もしかしてこの時の為か?「……よくご存じで。いざとなればすぐに動けるように、涼宮さんがワインを見つけてからは目立たないように席を外したりしていました。結果、貴方には迷惑をかけてしまいましたね」 気にするな、俺にできるのはそれくらいだ。なんなら明日は飲まない様にハルヒに言ってやろうか? せっかくこんなリゾート地に来てるんだ。お前もたまには仕事を忘れて休みたいだろう。 ……なんだよ。古泉はやけに優しい笑顔で俺を見ている。「どうやら、気を使わせてしまったようですね」 ん、いったい何の事だ? お前は気を使われる事を嫌うのだろうから、俺はそれを気付かない振りをさせてもらおう。 ――まったく、面倒な奴だな。 少しの沈黙、しかしそれは悪くない時間。「……いえ、なんでもありません」 それはいつも通りの敬語だったが、その口調は今までよりも少しだけ親しみのある物に聞こえた。 もしかしたら、その僅かな変化すらも演技なのかもしれないな。 でもまあそれならそれでいいさ、踊らされてやるのも悪くない。 部屋の明かりはルームランプだけ、外から聞こえるのは風と雨の音。 そんな状況も関係あったのかもしれない。 眠気が通り過ぎてしまった俺は夜が明けるまでの時間を、古泉と他愛のない話題で盛り上がった。 学食の料金についてや、部室棟の階段の手すりにささくれがある事、通学路の途中にある民家の飼い犬がやたらと俺に吠えるとか……まあ、谷口や国木田と話すようなそんな話をさ。 俺のくだらない話に、いちいち嬉しそうに相槌を打つ古泉。 なあ古泉、俺はハルヒがお前を選んだ理由がなんとなくわかった気がするんだが……まあ、言わなくてもいいよな。
「二日酔い」 終わり
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