HCを知る前に

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そもそもハードコアとかエレクトロニックミュージックって何?


日本国内でのハードコアの起源については「はじめに」で簡単に説明しました。現在国内では派生ジャンルJ-Coreというジャンルもあり、説明もそれ寄りでしたが、ここでは世界的な視点でより具体的に説明していきたいと思います。

本題に入る前にそもそも論として、ハードコアはエレクトロニックミュージックという音楽形態の一つであるということを忘れてはなりません。電子音楽という巨大なひとくくりの中で生まれたテクノから派生した、ダンスに特化したジャンルの成長過程でさらに派生したということは無視できません。当然ながら、はじめから電子音楽がダンスを楽しむために生まれたというわけでもありません。ただしここはあくまでもハードコア Wikiということなので、このページではさくっと説明しましょう。電子音楽についてある程度知識が身についている方や、ハードコアテクノについてのみ知りたい方なら飛ばしても大丈夫ですが、読んでおいたほうがのちに解説するハードコアがより分かりやすくなります。



電子音楽はいつ誕生したか


黎明期


電子音楽は電子楽器とともに進化したといっても過言ではありません。

電子音楽は1950年代にドイツで初めて誕生したといわれています。それ以前(19世紀末)に電子楽器(電子オルガン、シンセサイザーなど)は誕生していたものの、当初はお世辞にも実用性が高いといえなかったほどシンプルなものでした。よって当初からそれらを使った楽曲が作られることはありませんでした。世界初の電子楽器は旧ソ連にて開発された「テルミン」と言われています。

戦後の1950年代にはそういった楽器はある程度進化し、ついに電子音楽が作られ始めるようになります。その中でドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン氏は1953年、世界で初めての電子音楽「習作I」、1954年に続けて「習作II」を発表しました。

習作I

習作II

さらにコンピュータミュージック(現在で言えばDTM)が初登場したのもこの時期であり、1951年にはCSIRACという電子計算機が初めてデジタル音楽を演奏しました。

クラシック音楽を作曲していた人物が電子楽器を用いてクラシック音楽を発表したことで当時は画期的な作品でしたが、電子楽器が発展途上ということやまだまだ黎明期だったということもあり、この頃はあまりそのような文化は普遍的ではありませんでした。



大衆化・・・そして普及へ


電子音楽が広がりを見せたのは1960年代から70年代にかけて。モーグ・シンセサイザー(以下、モーグ)の誕生を皮切りにメディアに露出するようになり、アーティストも少しずつ誕生するようになりました。海外では、イギリスの人気SFドラマシリーズ「Doctor Who」のテーマ曲(1963年作曲)に電子楽器が用いられています。

Doctor Whoテーマ曲

この時期から電子楽器の更なる進化やテープレコーダーの普及も相まって、実際にそれらを使って作曲、使用する人が増えていったのです。

1960年代後期には、ザ・ビートルズをはじめとするロックバンドが他バンドと区別するために、テルミンやメロトロンといった電子楽器を楽曲の一部に付け足すようになります。

それから10年間にかけてピンク・フロイドをはじめとするロックバンドがモーグを彼らの楽曲の一部に採用するようになり、後にそれを取り入れたロックをプログレッシブ・ロックと呼ぶようになりました。プログレッシブ・ロックはヨーロッパ圏のロックバンドらが言葉の壁を越えるのに重要な役割を果たします。特にドイツではこのジャンルがさらに発達してクラウト・ロックという新ジャンルが登場しました。

一方テクノロジに関しては、電子楽器が大きく進化しました。1970年にミニ・モーグというモーグの派生シンセサイザーが登場。モーグよりも小型でポータブル、比較的手頃な価格であるとして初めて広く購入されたシンセサイザーです。現在でも世界中に愛されています。さらに演奏データを再生することで自動的に音楽を演奏する装置ミュージックシーケンサーや、ドラムパートを自動的に演奏する楽器ドラムマシンが広く多用されたのもこの頃です。

1980年にはMIDIという規格が生まれました。他の楽器やコンピュータに制御命令を入力するためのインタフェースを標準化をしようとするものとしてミュージシャンらが一体となって定めた規格です。現在では世界中の音楽業界で利用されているのみならず、とりわけ国内ではカラオケや着メロ制作、DTM分野にまで応用されています。


電子音楽がようやく普及し始めたとともに国内で活躍した代表的なアーティストに冨田勲氏やイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が挙げられます。前者は作曲にモーグを用いた第一人者です。しかしながら高価な割に使い勝手が非常に悪かったようで、冨田氏はモーグについて「高いだけの鉄くずを買ってしまった」と後に語っています。それでも彼はあきらめず、自宅にスタジオを設置し、いろいろな音色を奏でたりモーグの音色のみでオーケストラを再現したりして試行錯誤を重ね、やがて数々の名曲を生み出していきました。それらの曲の一部は今でもテレビ番組で用いられています。

Tomita Planets - Jupiter, The Bringer of Jollity(1976年)
※イギリスの作曲家であるグスターヴ・ホルストが作曲した組曲『惑星』のうち「木星、快楽をもたらす者」を冨田氏がアレンジしたシンセサイザー楽曲

後者のYMOは1978年に結成されたテクノバンドです。冨田氏と同じく当時はシンセサイザーを使用した画期的な楽曲が人気を博しました。1983年に解散するも、1993年、2007年に再結成し、2017年現在も活動中です。

Yellow Magic Orchestra - Rydeen (1979)

1977年にはフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)が設立され、電子音楽や音響の研究が始まりました。今や世界的にも有名な主要研究所で、OpenMusicというコンピュータを使った楽曲制作(現在でいうDTM)を支援するためのオープンソースかつフリーのプログラミング言語を開発するなど、初のコンピュータ音楽研究機関はこの分野において大きな貢献を果たしています。

ついにEDM誕生へ、現在に至る


電子音楽が進化する過程でEDM(クラブミュージックとも)がついに誕生したのは1970年代後期のこと。その背景にディスコ音楽があります。

1960年代からアメリカ・ニューヨークでゲイ・シーンが浸透していた中、ディスコというダンス施設がありました。客層はゲイの黒人やヒスパニックなどのマイノリティで、主に流れていたのはファンクやソウル・ミュージックなどで、黒人文化が強く根付いていました。

そんな中、それらのようなアコースティック(電気を用いない、昔ながらの楽器)な楽曲にエレクトロニック(電子楽器)を織り交ぜた新しいスタイルとして、ジャンルとして「ディスコ」という名で1960年代後期から70年代にかけてアメリカで台頭しました。1977年に映画サタデーナイトフィーバーが大ヒットすると世界中にディスコブームが巻き起こりました。

この分野において大きく活躍したアーティストやバンドに、かの有名なマイケル・ジャクソンや彼が所属していたジャクソン5ABBAヴィレッジ・ピープル(Village People)などがいます。その他にリップス・インク(Lipps Inc.)ジンギスカン(Dschinghis Khan)ボーイズ・タウン・ギャング(Boys Town Gang)バグルス(The Buggles)も見逃せない存在です。

一方ヨーロッパでもその波紋が広がり、1970年代にユーロ・ディスコとして様々な派生ジャンルを生み出しました。後期から80年代にかけてディスコ音楽から派生したハイ・エナジー(Hi-NRG)シンセポップ(Synthpop)と融合したイタロ・ディスコユーロダンスが有名です。これをもって電子音楽がダンスミュージック、すなわちEDMとして初めて世界に台頭したと言ってよいでしょう。

70年代から活動を開始した電子音楽バンドクラフトワーク(Kraftwerk)が1974年に発表したアルバム「アウトバーン(Autobahn)」は初めて電子音楽を世界中に浸透させたヒットアルバムとして有名です。同バンドは「EDM界のビートルズ」と評されるほど多くのアーティストたちが影響を受けました。そのうちの一つに、国内で活動したテクノバンドのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がいます。1978年に結成され、Rydeenなどの大ヒット曲は一世を風靡したとともに、国民にテクノという電子音楽ジャンルを定着させたバンドとして国内で大きく貢献しました。さらに日本では初期EDMからの派生ジャンルの影響を受けたポピュラー音楽も多数リリースされ、のちにJ-POPとして大衆化しました。このように、EDMは世界中の民衆に受け入れられている革新的な音楽ジャンルなのです。

1980年代からEDMはもはや勢いが衰えることを知りません。この時期には現在も主流のハウステクノ(しばしば起源にもなったデトロイトテクノとも混同)も派生します。ハウスは1984年、アメリカのシカゴに、テクノ(デトロイト・テクノ)もその頃(諸説あり)に同デトロイトに起源をもちます。さらにそれらも派生し、80年代に前者はアシッド・ハウスディープ・ハウス、後者はアシッド・テクノアンビエント・テクノなどが繁栄しました。後期には夜通しで音楽を流してダンスするというレイヴ文化も生まれ、ハウスやテクノが盛んに流されました。現在ではそれらのジャンルを総称してレイブということもあります。その中で1990年代にはそういった文化が相まって誕生したハードコアが今のハードコア文化のルーツにつながっています。

一方国内では1980年代に音楽プロデューサー小室哲哉氏が台頭し、1983年に彼の率いるTM NETWORKが結成されます。小室氏をリーダーとするデジタルバンドで、当時のテレビアニメのエンディングテーマ「Get Wild」がヒットします。90年代にはEDMをポピュラー音楽に取り入れる動きが活発になります。1992年に同プロデューサーがTRFが結成、日本初のレイヴユニットとして「EZ DO DANCE」などのヒット曲を連発し国内で大きな貢献を果たしました。さらに90年代後期に放送されたテレビアニメのBGMにユーロダンスからの派生ジャンル、ユーロビートが取り入れられました。

1990年代ごろ世界中で活動の場を増やしていったアーティストやバンドにダフト・パンクティエスト氏、ポール・オーケンフォールド氏、アンダーワールドがいます。そしてEDMシーンにおいて当時世界中でヒットした曲はMARRSの「Pump Up the Volume」、ダフト・パンクの「Da Funk」、 Snap!の「The Power」、アンダーワールドの「Born Slippy (Nuxx) 」など(レイブシーンでのヒットはハードコアとはにて説明します)。とくにダフト・パンクの2000年リリースのシングル「ワン・モア・タイム (One More Time)(YouTube)」は国内でもヒットし、漫画家松本零士氏の手がけたMVも話題に。

M|A|R|R|S - Pump Up The Volume (Official Video)

Daft Punk - Da Funk (Official audio)

SNAP! - The Power (Official Video)

Underworld - Born Slippy (Nuxx)

2000年代以降もEDMフェスティバル、アーティスト共に増えていき、国内では中田ヤスタカ氏、tofubeats氏、TeddyLoid氏らが、海外ではアメリカはSteve Aoki氏、Skrillex氏、フランスはDavid Guetta氏、DJ Snake氏、オランダはArmin van Buuren氏、Afrojack氏、Hardwell氏、Martin Garrix氏、その他はdeadmau5氏、Avicii氏らが台頭してきており、今後も世界のどこかでまた新しいジャンルが生まれていくことでしょう。

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最終更新:2017年05月21日 19:59