ぬぅん!!
男の身体は電流が走ったように痙攣すると、ゆっくりと崩れ落ちた。
「鋼線で首を刎ねてしまった方が手っ取り早いんじゃないのか。」
「このエリアは稀に一般の人間も迷い込んでくる場所です。
万が一見つかっては。 それに遺体の処分も面倒ですから」
「ふん、幹部の俺様に逆らうつもりか」
「とんでもない。 この男は目覚めたら組織に関する記憶を失っています。
そして一人富士の樹海の奥深くに行き、首をロープで吊って自殺します。
その遺体は腐乱し、朽ち落ちて、首と胴体が離れる。
幹部であるあなたの命令どおりの結末が訪れる事に違いありません。」
「マインドコントロール。 相変わらず薄汚いチカラだな」
幹部の男は自分より遥か年下の少女に気圧されたことを隠すように毒づく。
少女は黙って一礼をする。
「まあいい。 もしもしくじったらわかっているだろうな」
去って行く幹部を見送りながら、少女は精神干渉を施した男を見守る。
「今度目覚めた時、あなたからは組織に関する記憶は欠落している。
そして何処か遠くの町へ行って新しい生活を始める。 私に出来ることはそこまでです」
本来なら粛清される運命にあった人間の命を救ったのは、これで10回を越えた。
あの幹部は気付いていない。
自分の記憶が少しずつ改竄されて、処刑された筈の男達が別の世界で生きていることを。
その程度で幹部とは、笑わせる。
だから陰で誰もがかんぶぅと蔑んでいることにも気付かないのだ。
倒れていた男が動き出すのを見て、少女は振り返ることなく組織の施設に戻った。
今は小さな光でも、それが幾つも集まれば大きな闇を打ち払える筈。
彼女の心には誰にも消すことの出来ない光が宿っていた。
*
「遂にボロを出したな、この裏切り者め!」
「裏切り者。 誰が裏切り者なのですか?」
「しらばっくれるな、お前に決まってるだろう」
「落ち着いてください。 私が裏切り者なのですか?」
「そうだ、お前が裏切り者だ」
「裏切り者は私…ですか?」
「さっさと認めるんだ、自分の裏切りを」
「私は裏切った。」
「そうだ、お前が裏切ったのだ。
幹部である私の指示に逆らって、造反分子を逃がした。 これは立派な裏切りだ」
「裏切ったのは…私?」
「そうだ。裏切ったのはお前だ。」
「ではお尋ねします。 私が裏切ったことを見破ったあなたは誰なのですか?」
「この期に及んで何をふざけた事を言うのだ。 私は…私は…、私は…誰だ?」
寸前まで顔を紅潮させて少女の裏切りを弾劾していた男の顔が今では蒼ざめていた。
「私の裏切りを告発したあなたが誰であるのか。
さっきあなた自身の口で明かされていましたが、もうお忘れになられたのですか?」
「わはは、何をバカなことを。 興奮して言い澱んでしまっただけだ。 私は…私は…」
男の顔には大粒の汗が光る。
口からは泡が吹き出しそうだ。
「私は、私は、私は、私は、私は…」
「あなたが口にされたあなたの正体。 それはかんぶぅ」
「かんぶぅだと。 何だそれは」
「かんぶぅ。 それはこの組織の幹部の中でも最も優れたものに与えられる最高の称号」
「最高の称号だと」
「はい。 幹部の中の幹部に与えられる最高にして最強の称号、それこそがかんぶぅ。
組織の一員なら誰もがその称号を与えられることを夢見ながら、尽くその夢が破れる」
「かんぶぅとはそれ程に凄いのか」
「はい、かんぶぅとはそれ程に凄いのです」
「そんな凄い存在だったのか、俺様は」
「はい。 そんなに凄い存在だったのです。 何せかんぶぅですから」
「そうか俺は凄いのか」
「あなたは凄いのです」
「凄いのか、俺は」
「凄いのです、あなた様は。 何といってもかんぶぅですから」
「そうか、俺はかんぶぅなのか」
「そうです。あなたがかんぶぅなのです。 かんぶぅがあなたなのです」
「おれはかんぶぅ、かんぶぅはおれ。 おれはかんぶぅ、かんぶぅはおれ」
少々やり過ぎたか。
この男の傲慢さと無能さは、いい加減鼻に付いていたが、
だからこそ30人を越える造反分子の命を救うことが出来た。
その意味ではこの男に感謝すべきなのだろうか。
完璧に幼児退行させた男を見ながら、少女は自分に問いかけた。
私は…裏切ったのだろうか。
チカラをもって生まれた為に哀しい人生を歩むことを運命付けられた能力者たち。
そんな彼らが笑って暮らせる世界を作ろうという組織の大義に私は身を投じた。
しかし、あるとき私は知ってしまった。
組織が数百例に及ぶ生体実験の末に複合能力者を人為的に創り出したこと。
数年前母親の手によって連れ出され、現在は行方不明のその能力者に対する追及の手を組織は今なお緩めていないことを。
何の為に?
その能力者をサンプルに更なる複合能力者をこの世界に産み出し、
その絶大な力がもたらす恐怖によって人の心を支配する為に。
私は忘れない。
画像に映っていた能力者 i914の光を失ったような瞳の色を。
心の中から追い出すことが出来ない。
命がけで娘を組織の手の届かない所へ連れ出し、
自らの記憶を消去する事で娘を守った哀しい母親の姿を。
裏切ったのは私じゃない。
あなた達、そう闇という呼称を持つ組織の指導者たちが私を裏切ったのだ。
いつの日か、あなたたちの存在を白日の下に晒し、闇を打ち払う。
闇の中にいる敵と戦う為に、今はあえて闇になろう、外道になろう。
少女は虚空に視線を投じながら、まだ全容の見えぬ敵に静かなる宣戦布告を行った。
少女はまだ知らない。
彼女に闇への宣戦布告をさせる決心をさせた能力者 i914は高橋愛という名前を持っていることを。
高橋愛との出会いがすぐそこまで近づいていることを。
最終更新:2014年01月17日 17:37