620: 高嶺の花と放課後 :2020/01/11(土) 05:01:53 ID:6R2YzN9.
高校2年 10月下旬

「結局、今日も小岩井来なかったな」

「…そうだね」

完成した模擬店の看板を僕と桐生くんはただ眺めていた。

あれから、小岩井さんの想いを僕が断ったあの日から四日の日々が過ぎ、文化祭を目前に控えた金曜日の放課後に至るまで僕はおろか誰も小岩井さんの姿を見ていなかった。

出来ることならば小岩井さんと桐生くんの三人でこの完成した看板を飾り付ける場面を迎えたかったが、それは僕のわがままなのだろうか。

担任の太田先生からは体調不良だという風に伝えられている。

彼女が学校に来なくなってから初日は太田先生の言葉を鵜呑みにし、二日目は彼女の体調を心配し、三日目から彼女が学校に来なくなったのは自分のせいなのではないかという考えが浮かぶようになり、時が経つにつれ随分と勝手な責任感を感じ始めていた。

否、彼女が学校に来れないのはたまたま体調不良だからだ、そんな考えは自惚れだ。

そう考えてはまた自惚れて責任を感じ。

結局、教室の入り口に模擬店の看板を立て掛けるこの時まで彼女は姿を表すことはなかった。

「こんなときに風邪を引くなんて小岩井もついてないよなぁ、不知火」

「…え?あぁうん。そうだね」

桐生くんは他愛のない会話のつもりで話しかけてきたのだろうけど、不器用な僕は生返事しかできなかった。

「あー!看板できてる!」

「いいじゃんこれ。なんか本物の喫茶店みたいで」

手が空いたのかクラスメイトの女子生徒たちが教室の外まで来て、完成した看板を見に来た。

「へへ、いいだろこれ。文化祭で普段使う一枚板の看板じゃなくて立体的に作ってそれっぽくしてんだよね。俺ら看板制作班の自慢の出来よ」

それに対して桐生くんは誇らしげに看板を紹介している。

「本当に本物の喫茶店みたい!わたし喫茶店いったことないんだけどね、あはは」

「あはは、なんだそれ。あっ、華も来なってすごいのできてるよ」

女子生徒の一人がよく知った名前を呼ぶ。

これまた不器用な僕は一瞬表情が固まってしまう。

「ん?どれどれー?あっ、凄いお洒落な看板出来てるね!」

以前桐生くんに指摘されて以来、華との関係を公にしたくないがために癖になってしまった彼女から意識を逸らす行為をしてしまう。

「でしょー!明日のやる気がみなぎってきちゃった」

「俺らはここまで頑張ったんだからお前ら当日頑張れよ?」

「まっかせてよ!なんてったって初日のトップバッターを我がクラスが誇る1000年に1人の美少女、高嶺 華が務めるんだから!」

「ちょっと恵ー、そんな大げさな表現やめてよー」

「大げさなもんですか!文化祭間近になってめちゃめちゃ男子に告白されてるでしょ~。しかも文化祭の準備がままならないくらい」

「冗談抜きでうちの学年全員華に告ってんじゃない?こうなったらもはや全員コンプリートしたいよな」

「おっ、ちょうどいいところに男子二人いるじゃん。お二人はこの娘に告白したことは?」

あまりにも突飛な話になっている。

だがいつもであればこんな突拍子も無い会話の流れをどうすれば変えられるかと思案してみたり、あるいはただただ狼狽えるだけかもしれない。

しかしここ数日、小岩井さんの事で思い悩みできたた身としては、告白という言葉を聞くだけで少々憂鬱な気持ちになってしまう。

「いや、ねーけど」

「……。僕もないや」

「じゃあテキトーでいいからふたりとも華に告白してみてよ」

「は?いやいや意味わからんて。大体高嶺が仮に全員に告られたとしてそれがなんの意味があんだよ」

「いやいや全員に告られたらレジェンドになるじゃん、きっと将来同窓会とかやったらめっちゃ盛り上がる話題になるよ」

「だとしてもだろ。こうまでして茶化すことじゃなくね?」

「そんなマジになんなくていいからさ~。ネタだと思って軽くやってみてよ」

「ったく。高嶺さんー好きですー付き合ってくださいー。これでいいかよ」

「うっわ、めっちゃ棒読み。あはは、まぁいいやおっけー。じゃあ次不知火くん」

621: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:04:28 ID:6R2YzN9.
意識が僕へと向けられる。

「おい、俺まだいいけど、不知火にまで強制させんなよ」

「まーまー。不知火くんも本当にテキトーでいいからね」

悪意はないのだろうけど、いや悪意がないからこそ厄介なのかもしれない。

逸らしていた意識を華へと向ける。

困惑、期待、緊張、あるいは歓喜。

僕には目の前の『高嶺の花』はそんな表情を咲かせていたように見えた。

もし僕が華に告白されていなければ、こうして僕から想いを伝えていたのだろうか。

臆病者な僕は胸に想いを秘めるだけかもしれないし

「高嶺さん、僕と付き合ってください」

想いが溢れてフラれることも承知の上で告白していかもしれない。

交際の申し出を口に出してからしまったと思った。

もし彼女がいまこの告白を受け入れたら?

僕と彼女が公に交際を行うことになる。

今まで秘密裏に交際をしていたのは全て、目立たないため、やっかみを受けないため、そして綾音に伝わらないようにするためだ。

公に交際を知られれば、きっと学年が違う綾音の元にも噂が伝播することだろう。

なにせ入学から今に至るまで数多の生徒の想いを受け入れなかった『高嶺の花』が、こんな何の特徴もない一男子生徒と交際を始めるなんて誰しもが驚嘆する事実だろう。

否、事件だ。

綾音には華のことを時期を見て、自分の口から伝えたいのだ。

こんな事件を噂で聞いた綾音は、祝福してくれるのだろうか。

悲しむのだろうか、怒るのだろうか。

分からない。

「ありがと、不知火くん。てことで次は華の番ね」

「…へ?」

「へ?じゃなくて。ほらいつもみたいにごめんなさいって」

なんなんだろうかこの女子生徒は。

何を考えているのだろうか。

人の気持ちを弄んで何が楽しいのだろうか。

それともこれはただの遊戯にしか過ぎないというのだろうか。

苛立ちが募る。

華は僕の告白を受け入れるのだろうか。

それともこんなのは茶番だと断ってくれるだろうか。

分からない。

分からない。

しかしいくら待っても華からの返事はなかった。

「…華?」

少し不審に思った女子生徒は華に声を掛ける。

僕も様子が気になり、彼女へと視線を向ける。

動揺。

先程の感情とはうって変わり、ただ一つの感情が今彼女を支配しているように思えた。

祭りを前日に控え、学生たちの喧騒で賑わう中、異様な沈黙が僕らを包み込む。

数秒にも数分にも感じる沈黙を破ったのは桐生くんだった。

「…ほら飯島いい加減にしろって。高嶺も困ってんだろ」

「ははは…確かにそーかも。ごめんね!大地くん、不知火くん、華」

「てかこっちに油売りに来てる暇あんのか?」

「それがねー聞いてよ!こっちでさぁ…」

異様な沈黙は何処へやら。

桐生くんと女子生徒は雑談に花を咲かせ始めた。

とりあえず杞憂に終わったのかと安堵しているともう一人の女子生徒に肩を叩かれる。

「ごめんな不知火。なんか変なことに巻き込んじゃって」

「あぁ、僕は気にしてないから大丈夫だよ」

その娘は僕の肩に腕を乗せると、体を前にと体重を乗せる。

自然と彼女と僕は前のめりな姿勢になり顔が近づき、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

華と綾音以外の女子とここまで近づいたことはないので、急な接触に心臓が高鳴った。

622: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:05:38 ID:6R2YzN9.
「恵…あぁ飯島な。桐生のやつに気があって、ちょっと調査つーかリサーチみたいな。ほら桐生と高嶺ってよく噂になるだろ」

僕にしか聞こえない声量で耳打ちをしてきた。

そうか、あの女子生徒は飯島 恵(いいじま めぐみ)というのか。

などと場違いな感想を抱きつつ、どこか落胆した感情が心の奥から滲み出る。

色のある話だったがそれが僕に向けられたものではなかったからか?

やはり誰もが華にふさわしいの桐生くんと思ってるからか?

その両方なんだろうな。

「あぁまぁ…華が、高嶺があんな反応すると思ってなかったけどやっぱり桐生に気があんのかな」

「え?」

「いや、ほらなんとも本当におもってないんだったらあんなに間が空くことがあるのかなってさ」

まるで最初から僕が可能性がないという風な言い草に子供染みた反抗心が芽生える。

「…高嶺さんがどう思ってるのかは分からないけど、桐生くんは彼女がいるって言ってたよ」

「え?まじか。それって高嶺じゃなくて?」

「そうだね」

こんなことでしか反抗できない自分が情けない。

この様子じゃ僕が華の恋人だと主張したって信じない人が何人いるか分かったものではない。

「…そっかぁ。悪いな、変なことに巻き込んだ上にそんな情報教えてもらって」

「本当に僕は気にしていないから、平気だよ」

僕は嘘つきの笑みを顔に貼り付ける。

「いい奴だな、不知火。もしかしたら高嶺は桐生じゃなくて不知火のこと気にしてるのかもな」

「へ?」

彼女はそう告げると前方にかけていた体重を解くと僕の肩に乗せていた腕も下ろした。

「助かったよ、ありがとな不知火」

桐生くん、飯島さん、華の意識が僕らの方へ向いていることに気がつく。

「紗凪ー、不知火くんと何話してるのー?」

「んあ、なんでもねーよ」

彼女はぶっきらぼうに答えると僕の元を離れていった。

「こらー!三人ともサボってないで中に戻ってこい!まだ作業残ってるんだよ!」

これまた別の女子生徒が三人を教室の中に押し入れるよう戻しにきた。

全員渋々と言った表情で教室へと戻っていく。

華も教室へと戻っていくーーー

ーーー廊下と教室の境界に踏み入れる。

華が教室に入る寸前ーーー

ーーー刹那と呼べる間。

その色の無い黒い瞳がーーー

ーーー僕を射抜いた。

623: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:06:26 ID:6R2YzN9.
今まで感じたことのない暗く冷たい眼に僕の心臓を凍りつく。

「なぁ、不知火。萩原と何話してたんだ?」

「……。…え、っとごめん。聞いてなかった」

「いや、荻原と何コソコソ話してたのかなつてさ」

そうかあの女子生徒は萩原 紗凪(おぎわら さな)というのかなどと再び場違いな思考が浮かぶ。

「…桐生くん。僕って案外薄情な奴かもしれないや」

「ん?どうした急に」

「今、桐生くんから萩原さんの名前を聞くまで顔と名前が一致しなかったんだ。飯島さんにしてもそうだ」

「それは不知火があんまりあいつらと関わりがなかったからとかじゃないか?他にも人の名前と顔を覚えるのが苦手っていう人もいるし不知火もそれとかな。薄情とは違う気がするわ」

「そういうものなのかな」

「って話変えんなよ。荻原と何話してたんだよ、看板製作係のよしみだろ。教えろよ」

「桐生くんはなんで僕が話を変えたかはわかるかい?」

「…おまえやっぱり薄情なやつかも」

桐生くんの拗ねた声がなんだか可笑しくて、先ほど凍てついた心臓が解けていくのを感じる。

安堵の笑みが自然と湧いてくる。

「ははは、そうかもね」

「…まぁ不知火が平気そうならいっか」

なんのことだろうか、と思案する。

もしかして、僕が華に雑な告白を強要させられたことを気にしていたのだろうか。

否、考えすぎか。

でも、もし。

もしそうであるのならば、桐生くんは本当に気が効く人だ。

最初も僕が華を意識していることに気がついていた。

そこまで考えて、別の思考が過ぎる。

桐生くんは小岩井さんのこと気がついていたのだろうか。

ーーーこんな時に風邪引くなんて小岩井もついてないよなぁ、不知火

もし小岩井さんのことに気がついていて。

もし僕がそのことを気にしていることに気がついていたとして。

桐生くんは僕にあまり気負わないように気をつかったのだろうか。

そこまで考えて。

そんな馬鹿なと、僕は迷宮に足を踏み入れかけた思案を胸の奥へと閉まった。

624: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:08:16 ID:6R2YzN9.
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

夏至を迎えたのはとうの昔。

秋分すら過ぎ去り一年の短さを寒さと共に肌から感じていた。

夕刻と呼ばれる時刻でも辺りは暗く包まれ、月明かりと街灯が道を照らしている。

その中を少し駆けては、疲労を感じ足を止め、また道を駆け足で抜けていく。

ラインで手短に送られてきた「二人で話したい」というメッセージ。

文化祭の前日ということもあり、校内に残る生徒が大勢いるという予測の元、僕は校舎の中ではなく高校から少し離れた羽紅公園を逢瀬の場所として指定した。

結局あの後、小道具製作を担当している太一からトラブルが起きたと相談を受け、僕は小道具製作の手伝いをすることなった。

問題が解決する頃には、既に日は沈みきっており華も学校を出ていたようだった。

想定していた以上に時間が過ぎていたことに気がついた僕は、太一と別れの挨拶も早々に駆け足でここまでやってきた。

日頃の運動不足が祟ったのか、いくら気持ちで急いでも身体がついてきてはくれなかった。

この冷え切った空気の中で待たせているのが申し訳なくなり、息も絶え絶えになりながら約束の場所へと足を急かす。

夜道を走り、住宅街を歩きながら息を整え、階段を駆け上がる。

やがて羽紅公園が見えてきた。

ラストスパートだと、そこまで足を止めることなく走り抜く。

羽紅公園にたどり着いたときは、息が乱れに乱れ、秋の凍てついた空気で肺に痛みすら感じていた。

「…おそかったね」

息が整う前に背後から声をかけられた。

「はぁ…はぁ…ごめん、はぁ。華。太一たちの手伝いを…はぁ…していたらこんな時間になってしまった」

突然、胸倉を掴まれる。

「おかしくなぁい?私、遍の彼女だよね。どうして私よりそんな有象無象が優先されてるの?」

必死に息を整えようとした呼吸すら止まる。

すっかり暗くなった羽紅公園では、彼女の表情の半分も分かりはしなかった。

「た、確かにこんな時間まで待たせたのは申し訳なかったけど、太一たちをそんな有象無象だなんて」

そこまで僕が口にすると

ーーーーーーーパンッ

乾いた音が公園中に鳴り響いた。

急速に熱が帯びてく頰。

数巡遅れて僕が頰を叩かれたということに気がついた。

「"有象無象"だよ。私と遍以外全員そう」

あまりの突然の出来事で理解が追いつかない僕の頰に彼女の冷えた手が添えられる。

その冷たさが、一体彼女をいくらの時間待たせたのか、一体彼女がどれくらい憤怒しているのかを伝えてきた。

「ごめんね?痛かったよね?でもね、これは必要なことだと思うの。間違ってことは間違ってるって。恋人の私があなたにちゃぁんと教えてあげないといけないと思うの。うん、私いままで遍を少し甘やかしていたかもしれないね」

625: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:09:47 ID:6R2YzN9.
闇夜に目が慣れてくると彼女の顔が段々と分かってきた。

先ほど僕を射抜いたあの色のない黒い瞳で、

今、

僕を、

確実に、

捉えている。

「私と遍は運命の恋人なんだから、お互いの一番がお互いじゃなきゃあだめでしょう?私いっぱい、いーっぱいライン送ったのに遍、全然気付いてくれないし」

確かに手伝いを始めてからここに来るまで携帯を一度も見ていなかった。

「別にね、長く待たされたことを怒ってるわけじゃないんだよ?私より"有象無象"が優先されたっていうのが何よりも耐え難いの」

今ここで彼女の怒りを鎮めるには一旦、願いを聞き入れるしかないと思った。

「もう…」

「もう?」

「もう華を何より優先するから、今回は許してはくれまいか?」

僕のその言葉を聞き入れると、黒い瞳で僕を射抜きながら笑みを浮かべる。

「うん、うん。許してあげる。私は遍が間違っていたら叱ってあげるって決めたけど、どんなに間違いを犯しても"決して"見限ったりしないからね」

一先ず安堵した僕だったが、解放されない胸倉に疑問と焦燥が浮かび上がる。

「華?」

「次」

再び公園に乾いた音が鳴り響く。

二度目の張り手は、一度目よりはっきり認知でき、強く痛みが走った。

「どうして私以外の女に触れたのかな?」

彼女が何を言っているか分からなかった。

「私あんまり束縛が激しい女になりたくないから本当は嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でも、私以外の女と会話することだけは百歩譲って許してるけど、触れるのはもう…もう我慢ができないよ」

女子に触れた覚えなどないと反論しようとした僕の鼻腔に爽やかな香りが蘇る。

もしかして萩原さんとのことを言っているのだろうか。

「もちろん触れに行った女が何よりも罪深いけど、遍にも責任があるんだよ?だからこれは罪に対する罰なの」

再び黒い瞳で僕を射抜きながら笑みを浮かべる。

「さぁ誓って。二度と私以外の女に触れないと。母だって妹だって例外は無しだよ」

いつもであれば無茶な願いだと反抗するかもしれない。

しかし胸倉を掴まれていることが、頰を二度叩かれたことが、僕を射抜く黒い瞳が、抵抗する気力を一切失わせていた。

「誓う、誓うから。許して欲しい」

「うん、うん。ありがとう遍」

今度は先程とは違い、掴まれていた胸倉は解かれた。

「でもやっぱり私って恋人に甘いっていうか遍に甘いっていうか。このくらいの罰で許しちゃうんだから、惚れた弱みってやつかなぁ」

二度にわたる張り手が甘い罰なのだろうか。

彼女の中での厳しい罰がどのようなものかと考えるだけで戦慄する。

626: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:11:08 ID:6R2YzN9.
「遍だって私に関係を公にしないって酷い約束してるんだから私だって他の女に触れない、誰よりも私を優先するって約束ぐらいしたっていいと思わない?」

関係を公にしないことがそんなに酷い約束事なのだろうか。

「遍は私のモノって、私は遍のモノって宣言したいのを必死に我慢してるんだからね私!今日だって、えへへへ、遍が私に告白してくれた時だって、えへへ。だめ、思い出しただけでニヤけちゃう」

華は両手で緩みきった頬を抑える。

「あの時、受け入れて公の関係にしたって良かったんだからね!でも何よりも愛しい遍のお願いだから我慢してたんだよ。それが…何?断る?遍の告白を?ふざけているのかしら。馬鹿にしているのかしら。遍の告白を断るなんて想像しただけで身が裂けそうになるわよ。ありえない…ありえない!!!」

綻んだ表情から一転、感情が高まったのか怒号を飛ばす。

「落ち着いて華。彼女たちは桐生くんと華が想い合っているんじゃないかと思ってあんなことをしたんだ」

「…なんで桐生くんがでてくるのよ」

「よく聞く噂だよ、桐生くんと華は美男美女でお似合いだって、裏で付き合ってるんじゃあないかって」

「下らない。顔しか見てないのね、だから有象無象なのよ。そんな奴らが真実の愛に気づくことなんて一生無いんだろうね。可哀想に。大体、仮に、本当に仮の仮の仮に、私と桐生くんが付き合ってたとしてなんの関係があるっていうの?」

「飯島さんが桐生くんのことを好いているらしいんだ。だから桐生くんの好きな人が華なのか、華が好きな人が桐生くんなのか、あるいは二人は付き合っているのだろうか知りたかったんだと思う」

「ふぅん。どうせ薄っぺらい恋愛なんでしょうけど精々頑張ればいいんじゃない?まぁ遍を私に告白させた点だけは褒めてもいいけど」

心底興味がなさそうにそう答える。

「…そうだ!遍。今から私に告白してみてよ」

「え、こ、告白って今から?」

「そうだよ今から。せっかくだしさっきの告白をちゃんと仕切り直そうよ!そーだなぁ、シチュエーションとしては文化祭を目前に控えた今日に想いを抑えきれず私を公園に呼び出して告白して文化祭一緒に回ってください!って感じかなぁ。…いいよね?」

突然の提案にただただ受け入れることしかできなかった。

「遍がまずここに待ってて、私が入り口から入ってくるから」

有無を言わせず、華は公園の入り口へと向かっていった。

まさか僕が華に告白するなんて思っても見なかった。

いや、思ってもみなかったと言えば嘘になるだろう。

もしかしたら違った未来では、こういうこともありえたかもしれない。

彼女と出会ってからのことを思い返し、さまざまなあり得た過去、あり得る未来の考える。

これからやることはそのうちの一つだと言い聞かせる。

不意に肩が叩かれる。

「ごめんね、待ったかな不知火くん」

今では最早、違和感すら感じるその呼び名に僕は応える。

「こちらこそごめんね高嶺さん、急に呼び出して」

「ううんいいの。気にしないで」

こんなやり取りを他の男子生徒たちもやっていたのだろうか。

「高嶺さんを呼んだのは、どうしても伝えたいことがあるからなんだ」

自分の大根芝居ぶりがなんとも情けなく感じてくる。

「伝えたいこと…?聞かせて、不知火くん」

きっといつかの自分が伝えたかったことを、伝えたかった気持ちを思い出し言葉にする。

「高嶺さん、あなたの事が好きです。できれば明日からの文化祭を僕と一緒に回って欲しい。よろしくお願いします」

片手を差し出し、深く頭を下げる。

彼女からの返事を待っていると差し出した右手が強く引っ張られる。

そのまま彼女に抱き寄せられ、後頭部に手を回されると彼女の唇と僕の唇が重なり合った。

「んっ…ちゅ…。もう遍ってばズルい。そんなかわいい告白してきて」

かわいいとは僕の大根芝居のことを指しているのだろうか。

何度も、何度も唇が重なり合う。

その間も強く抱きしめられる。

華の柔らかい四肢が、甘い香りが僕の情欲を駆り立て思考を奪ってゆく。

他の人に見られやしないだろうかなどと考えながら随分と長い間、接吻は続いた。

どれくらいの時が経ったか定かではないが車が一台、公園の隣を横切った時を合図に華は腕を緩め、唇を離した。

627: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:11:52 ID:6R2YzN9.
「幸せだなぁ…あぁ幸せだなぁ」

本当に幸せなのか、恍惚な表情を浮かべる。

そんな表情を見て安堵したのか、足の疲労感が徐々に思い出されてくる。

「華、あそこのベンチに座っていかないかい?」

「うん、そうしよっか」

そう言って彼女はさりげない仕草で僕の腕を絡め取る。

ベンチを目の前にするとさっさと座ってしまいたい思いでいっぱいになり、少々乱暴に座り込んでしまう。

二人してベンチに座ると今度は組まれた腕の方の肩に重みを感じた。

「ありがとうね、遍。これで明日明後日は我慢できそう」

再び甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「我慢?」

「だって、遍との約束だから。関係をみんなにバラさないって。だから文化祭を一緒に回るのは我慢する」

もしかして僕は彼女に無茶な約束を強いているのではないか。

今日一日でそう思うようになってきた。

関係を秘密にすることがそこまで彼女に苦悩を与えるのであれば、反故すべきかもしれない。

でも僕らの関係が皆に知れ渡った時のことを考えると、簡単に反故することはできない。

「だから遍も守ってね?私以外の女に触れないこと、私を一番に優先すること」

「約束するよ、絶対に守る」

「えへへ、大好き」

それでもいつかは関係を明かすべきなのではないか。

その時までに覚悟を決め、綾音に伝え、華の隣を胸を張って歩ける男にならなくちゃいけない。

一つずつ前に進もう。

628: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:12:44 ID:6R2YzN9.
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「ただいま」

「おかえりなさい。随分遅かったわね」

羽紅公園にたどり着いたときには既に日は沈んでおり、太陽が時間のあてにならなかったため、時刻を把握していなかったが、僕が家に帰る頃には二十時を過ぎていた。

「明日は文化祭だからね。最後の仕上げに少し時間がかかってしまったよ」

「そう。あら遍くん、ほっぺどうしたの?」

「頰、ああ頰ね。あはは、今日作業してるときに顔にぶつけちゃってね、多分その時のやつなんじゃあないかな」

さすがに彼女に叩かれたとは言えまい。

三文芝居でやり過ごそうとする。

「大丈夫かしら、冷えピタ持ってこようか?」

僕の頰に義母が触れようとしてきた時、華との約束が鮮明に蘇り、咄嗟に避けてしまう。

「大丈夫だよ、見た目はひどいかもしれないけどそこまで痛くはないんだ」

「…。ならいいんだけど、痛むようだったら言ってね」

「ありがとう。僕は部屋に戻って着替えてくるよ」

避ける動作。

それが生んだ気まずい空気から逃れるように自室へ向かう。

ガチャリと扉を開けると僕の部屋でくつろぐ綾音の姿が見えた。

最早、見慣れた光景だ。

「おかえりっ。おにーちゃん!ってどうしたのそのほっぺ!」

綾音からの指摘も免れなかった。

よほどひどいのだろうか。

後で鏡で確認してみることにしよう。

「ああこれ、明日の準備でちょっとぶつけてしまっただけだよ」

「それにしては誰かに打たれたような…」

「ま、まぁまぁ僕は大丈夫だから。とりあえず着替えたいし出ていってもらえるかな?」

「え~、めんどくさ~い。兄妹なんだし、気にしない!気にしない!」

「綾音」

「ぶー。着替え終わったら言ってね」

綾音は少しだけ不貞腐れながら部屋の外へと出ていった。

「ふぅ…」

今日の疲れを一つ一つ脱いでいく。

今まであまり考えてこなかったけど、華のことを綾音になんて伝えようか。

高校生にもなって兄の部屋に入り浸る妹に彼女ができたと伝えたらはたして穏便に済むのだろうか。

そんなことを考えているうちに着替えが済んだため、綾音を呼ぶことにする。

「綾音、終わったよ」

「はーい」

扉を隔てて直ぐそこに居たのか、三秒も待たずに部屋に戻ってきた。

629: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:13:48 ID:6R2YzN9.
「お兄ちゃん」

「ん?」

「羽紅高校の文化祭ってさ、初日の午前午後、二日目の午前午後で担当が分かれているでしょ?お兄ちゃんはどこの担当になってるの?」

「あれ?言わなかったかい?僕の担当は二日目の午後だよ。とは言ってもね、僕は看板製作とか内装製作をしていたから接客はしないんだ。ただの店番さ」

「そーなんだぁ。確か喫茶店だよね、お兄ちゃんのクラス。あたしはねー、初日の午後なんだぁ」

「そうか、なら一緒に回れるのは初日、二日目のどちらかの午前中だね」

「どっちも一緒じゃダメなの?」

「駄目じゃあないけれども綾音だって一緒に回りたい人いるんじゃないのかい?ほら久美ちゃんとか」

「それだったら別に久美ちゃんたちと回るのはお兄ちゃんが店番する二日目の午後にするよ」

「でも二日目の午後って売り切れがいろんなとこで出ちゃうかもよ?」

「別にお兄ちゃんと回れればそんなの気にしないけど…。あれお兄ちゃんもしかして他の人と回る予定とかあったりするの?」

「そ、そうなんだよ。今年は珍しく友達に誘われててさ、ははは」

「友達?ならいーよ!」

駄々をこねられるかと思ったらあっさりと引き下がった。

それこそ珍しいことがあったものだ。

「どうしたのお兄ちゃん。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

「いや、綾音のことだからてっきり二日とも一緒じゃなきゃ嫌だと言うかと思って」

「えーー!!あたしそんなに子供じゃないよーだ!それともなに?お兄ちゃんのほうこそあたしと回りたかったんじゃないの?このシスコン」

「シ、シスコンだなんて人聞きが悪い」

「いーや。お兄ちゃんはシスコンだね。ブラコンのあたしが言うんだもん、間違いない」

まさかブラザーコンプレックスの自覚があったなんて驚いた。

「じゃあいいんだね、半日だけで」

「うん!友達付き合いも大事だもんね。久美ちゃんたちとは二日目まとめて回ることにするから初日の午前中に一緒に回ろーね」

「じゃあ明日の午前中は一緒回ろうか」

「うん!あっ、そーだお兄ちゃん!」

「ん?どうしたんだい?」

「その友達って男だよね?」

実際のところ一緒に回る約束をした友人はいないのだが、ふと頭に浮かぶ友人たちを思い出す。

太一に、桐生くん。どちらも男だ。

「うんあぁそうだね。それがどうしたんだい?」

「え?どうしたもなにも、もし女友達ましてや彼女なんて言い出したらそいつ捕まえてお兄ちゃんと縁切らせないとって思って」

音が。

日常がひび割れていく音が聞こえる。

「綾音?」

630: 高嶺の花と放課後 第10話 :2020/01/11(土) 05:14:38 ID:6R2YzN9.
「お兄ちゃんさ。最近親しくなった女、いるよね?あたしに隠しているつもりなのかもしれないけど、もうとっくに知ってるよ?いつもいい匂いするお兄ちゃんの服からくっさい女の匂いしてるもん。最初何かの間違いかなーとか思ってたけど何度も同じ臭い匂いつけて帰って来ればさすがに鈍いあたしでも気がつくよ」

義妹から今までに感じたことのない異質な雰囲気を感じる。

「何度かその女を捕まえようと休み時間にお兄ちゃんのクラスに行ってみたけど、お兄ちゃん相変わらず本読んでるし、匂いも不定期についてくるから偶々かと思ってたんだけど、ここ最近は特に多いんだよね、匂いをつけてくる頻度が」

家族になって十年経つ義妹は、僕が十年間一度も見たことのない表情を浮かべていた。

「ねぇお兄ちゃん?まさかお兄ちゃん、彼女。できたりしてないよね?」

義妹から放たれる気迫は、首を縦に振ることを許さなかった。

「そーだよねぇ!じゃあそいつ女友達?名前は?どんなやつ?教えてよお兄ちゃん」

だからといってすんなりと華の名前を口に出すこともできなかった。

「黙ってたらわかんないよ。教えて、お兄ちゃん」

なんて答えれば良いのだろうか。

いくら考えても答えは出てきやしない。

「…まぁいいや。親しい女がいるってこと確かみたいだね。あとはあたしがその女を見つけて腑掻っ捌いてお兄ちゃんに近づいたこと後悔させてあげる」

「さてとあたしはお風呂に入ろうかな。お兄ちゃんもご飯食べてきなよ。今日はカレーだよ」

それだけ言い残すと綾音は部屋を出ていった。

僕の認識が甘かったのか?

確かに綾音はブラザーコンプレックスだと思っていたし、実際にそうだった。

しかしここまでものだとは考えてもみなかった。

やはり認識が甘かったと言わざるを得ない。

「…困ったな」

昨日までの自分をここまで自由だったと思ったことはない。

明日からのことを考えると窮屈で仕方がなかった。

結局、僕は夕食を食べず、現実から逃げるように眠りへと落ちていった。

ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「お兄ちゃん。あたし覚えてるからね。子供のときにした、お兄ちゃんがあたしと結婚してくれるって約束」
最終更新:2020年02月29日 11:50