755: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 18:59:39 ID:4HTiHH1c
高校2年11月中旬

早朝、いつも通り登校し下駄箱へ向かうと見知った顔があった。

「よう、不知火」

「…」

「ちっ、無視かよ」

この間、『他の女に関わるな』と怒られたばかりなのに、過ちを繰り返すほど愚かではないと自負しているつもりだし、華の"仕置き"も甘いものではなかった。

「遍」

「!」

「ははっ、似てんだろ。口調が似ても似つかないからあんまり指摘されねぇけど実は結構声似てんだぜ」

「…おはよう、萩原さん」

「やっと口を開いたな。単刀直入に言うが、お前に少し話があんだわ」

どうすればいいのだろう。

そもそもこんなところを華に見られたら、また僕は"罰"を受ける。

自分が取るべき行動が分からないままでいると、それを肯定だと勘違いした萩原さんは話を続ける。

「何か、色々と引っ掛かってるんだよ。こうモヤモヤするようなさぁ。いくつか聞きてぇことがあるんだけど、まず文化祭の朝の時に居た"彼女"。そして、今荒れに荒れてる高嶺の花こと高嶺華。どっちが本当の彼女だ?あるいは二股か?」

こうなってしまったら、さっさと答えてしまった方が華に見つかる心配もないと考える。

「…僕の彼女は初めから華だけだよ。萩原さんが出会った彼女を自称したのは僕の妹だ」

「なるほどな。つまりお前の妹の嘘に騙された私は、そのまま本当の"彼女"に伝えてしまって怒らせたってところか」

「…まぁ、そうだね」

「今思えばあの日から華の様子はおかしくなっていった気がするけど、お前らは一体いつから付き合ってんだ?」

「僕らが付き合い始めたのは10月初めの頃だ」

「10月初め?そうか…じゃああの時茶番を演じていたわけだ」

「あの時…?」

「お前と桐生が華に仮の告白した時だよ」

そうか、その時か。

あの時は、萩原さんの"せい"で痛い目を見たな。

頬に痛みこそは蘇らないが、熱が少し帯びる。

756: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:00:52 ID:4HTiHH1c

「ああ、そうだね。あの時はもう既に交際をしていたよ」

「じゃあなんだ。あたし達全員、一月弱の間も騙されてたってことか」

「騙すなんて人聞きが悪いなぁ。世の中、秘密裏に交際をすることはそれなりにあることなんじゃあないのかい?」

「まぁ確かに騙す…、は言い過ぎだったかもしれないな。…なんでみんなに黙ってたんだ?」

「それは、今の惨状が答えにならないかな?」

「…。くだらない嫉妬でお前に八つ当たりしてる奴は正直あたしもどうかしてると思うわ。けど、お前らが隠してる間、精一杯気持ちを伝えてた奴が居るんじゃないのか?華はもちろん、…不知火。お前にもさ」

急に頭が冴える感覚を覚える。

「…知ってたのかい?」

「あたしが今日、こんな朝早く登校してまでお前と話がしたいって言ったのは、いわばこれが本題だ。…お前、奏波に、小岩井奏波に告白されたよな?」

「…それは、間違いないよ」

「そして断った。お前には彼女がいるから」

ようやく忘れかけていた罪悪感が、また掘り起こされる。

「別にそれを責めるつもりもないし、むしろお前はある意味正しい選択肢を取ったとも言える」

「じゃあその本題ってのは、一体なんなんだい?」

「あたしが思うに、お前の彼女、高嶺華は相当嫉妬深い奴だと考えてるんだが、合ってるか?」

嫉妬深い。

それは紛れもない事実だ。

「華は、随分と嫉妬深いとは思うけれども…」

それとこれと一体何の関係があるのだろうか。

「やっぱりな。ここ最近の態度、そして最初のあたしの勘違いで怒った姿。あれはどう見てもそういう類だと思ったね」

萩原さんはもしかしてそういう類に関しては鋭い人なのだろうか。

757: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:01:29 ID:4HTiHH1c

「そこで不知火、お前に聞きたいのは嫉妬したアイツが、何をするのかということだ」

「何を…する?」

「ちょっとわかりにくい質問だったか?もっと具体的な質問にするなら、嫉妬に狂ったアイツはなにか嫌がらせや暴力のようなことをしたりしなかったか?」

なんて鋭い人なんだろう、この人は。

「…」

僕の口からは答えにくい。

制服の袖口を捲り、数多の切り傷を見せる。

それが僕からの回答だと言わんばかりに。

「…それは彼女に付けられたやつか?」

「勘違いしないで欲しいんだけど、これはあくまで嫉妬させた僕が悪いんだ。彼女は悪くない」

「彼女が彼女なら彼氏も彼氏だな。歪んでるよ、お前ら」

自分も彼女も歪んでると言われ、怒りを覚えないわけにはいかない。

「…話したいことはそれで終わりかい?」

話を区切り付けるように、目の前の萩原さんの隣を通り過ぎる。

「その傷が、自分以外に向けられた可能性を一度でも考えたことはあるか?」

思考と脚が止まる。

「僕以外に…?」

「お前に告白した奏波が、どういう目にあったか想像できないか?」

「…いや、そんな…まさか」

「私も憶測でモノを喋ってるから、あくまで可能性の一つを言ってるだけなんだけどな。奏波が学校に来れなくなったのは華のせいなんじゃないのか?」

馬鹿げた推測だと、否定することができない。

あり得る話だ。

758: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:01:56 ID:4HTiHH1c

「奏波はあたしの大事な友達なんだ。どうして学校に来れなくなったのか、知りたいんだ」

「…これ以上僕から話せることはないよ。それに…僕はあくまで高嶺華の彼氏なんだ。自分の恋人がそんな非道いことするなんて信じない」

「…自分は散々痛めつけられてるのにか?」

「…僕はいいんだよ。華は僕に強い感情をぶつけてるから僕の身体に跡として残っているだけなんだ」

「はぁぁ、どうしたらそう捻じ曲がった思考回路になるのかね」

「歪んでるとか、捻じ曲がってるとかそんなの僕には分からないよ」

「…なぁ不知火。こんなことただのクラスメイトに、ましてやあたしに言われたくないかもしれないけどさ」

「…なんだい?」

「お前の心は本当にそれで大丈夫なのか?」

急所に入れられたような錯覚が起きる。

必死に回してた歯車を回す手が止まる。

僕の心が大丈夫かだって?

そんなの…そんなの…

「ごめん、変なこと言った。忘れてくれ。聞きたかったことは聞けたしさ、…まぁ気になってるところもあるけど、答えてくれてありがとうな」

それだけ言って、萩原さんはそこから立ち去って行く。

「…分からないよ…そんなの」

苦し紛れに吐いた独白は、誰の耳にも届かなかった。

759: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:02:36 ID:4HTiHH1c

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『私はその骸を拾いあげ、咽び泣いた』

「…これで完結?」

筆を置くと、華はそんなことを尋ねてきた。

「うん」

「…」

納得いかないといった様子。

「…何かまずかったかい?」

「…ハッピーエンドじゃない」

「え?」

「ハッピーエンドじゃないよ、これ」

「まぁ、そうだね。ハッピーエンドと言える終わりじゃないけれども、僕としてはこれが一番味のある終わり方だと思ったのだけど」

凄く切迫した様で、僕を視線で射抜く。

「私たちは…、私たちはハッピーエンドになるよね?」

この場合は、僕ら二人の関係の果てについて言っているのだろうか。

「…当たり前じゃないか」

「ごめん…、不安になっちゃった」

「別に華を不安にさせるつもりはなかったんだれども。兎に角、これで何とか公募に作品を提出できそうだよ」

「うん、頑張ったね遍」

彼女は微笑みながら、僕の頭をそっと撫でる。

『お前に告白した奏波が、どういう目にあったか想像できないか?』

今朝の萩原さんの台詞が、ノイズとなって突如、脳内を掻き乱す。

「…どうしたの?」

聞けるわけがない。

聞いたところで『他の女』を心配するような真似は、間違いなく罰の対象だ。

760: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:03:15 ID:4HTiHH1c

「はは…いやなんでもない。人に撫でられるのって少し気恥ずかしいものなんだと思っただけさ」

「照れてるの?可愛い」

頬を紅に染めてる。

「…からかうのはよしておくれよ」

唇に柔らかい感触が重なる。

「からかってなんかないよ。本当に愛おしくてたまらない」

結局、僕に出来ることは自分の彼女を信じることだけ。

今となっては真相などどうでも良いのだ。

「…全く君という奴は。そういえば明後日、日曜日だろう?」

「うん…、そうだけどそれがどうしたの?」

「試験も終わったことだし、デートに行かないか?」

「え…?」

「嗚呼、勿論華の都合さえ良ければなんだけど…」

「行く!」

「はは、即答だね」

「当たり前でしょ?貴方からの誘いを断るなんて有り得ないよ。この世の何よりも貴方が大事。それに」

「それに?」

761: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:03:47 ID:4HTiHH1c

「貴方から誘ってきたことが何より嬉しい」

「…この間はテスト前でちゃんと遠出が出来なかったしね。それにいつも君が支えてくれたから作品が完成したんだ。そのお礼をしたい」

「…別にお礼なんていつでも"ここ"にしてくれたっていいのに」

ここ、と言って薄桜色の唇を指差す。

「それは…、お礼とはまたちょっと違うんじゃあないのかい?」

「もうっ、もっとキスしたいってこと。遍は奥手だから全然してくれないんだもん」

「じゃあ…」

「えっ?」

彼女の要求に応えるように、唇を重ね合わせに行く。

「これでどうかな?」

「あ…うん、えへへ」

幸福に包まれた笑顔を浮かべる。

こんな僕でも、彼女を幸せにすることができるのかもしれない。

笑顔一つでそんな自信が漲ってくる。

萩原さんの話で一々惑わされる必要なんてない。

僕は目の前にいるこの少女を幸せにすることだけを考えるべきなんだ。

「それじゃあ、あとでラインで集合場所と時間の連絡をするよ。今度こそちゃんとしたデートプラン、考えてくるから」

「うん!楽しみにしてる!」

考えろ。

考え続けろ。

どうしたら僕は高嶺華を幸せに出来るのか。

僕はこの日と翌る日を合わせて二日間、彼女を幸福にする方法を考え抜き、ある一つの"答え"を導き出した。

762: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:04:12 ID:4HTiHH1c

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約束の場所に約束の時間の、さらに1時間程前から待ち始めて5分。

僕の彼女である高嶺華はやってきた。

「待ち合わせまでまだ1時間近くあるよ」

「そっちこそ、1時間前にいるじゃない」

「ふ」

「「あははは」」

お互いに笑いが込み上げる。

「考えること一緒だね」

「きっとこうなるんじゃないかって思って少し集合時間遅めにしたんだ」

「なによそれ。じゃあ本当はもっと早く一緒にいられたってこと?」

「いやいや、そんなことを考え始めたらいたちごっこになってしまうよ。取り敢えず行こうか」

「そういえば、今日どこ行くか聞いてない」

「そりゃあ言ってないからね」

「正直、服装とか凄く迷ったんだからね?」

「はは、ごめんよ」

「それで今日どこ行くの?」

「色々…さ」

「むぅ、まだ隠すの?」

「行ってからのお楽しみってやつだよ」

…。

今日のデートのコースは全部自分で考えたものだ。

先ずは最初の目的地へと辿り着く。

目の前の長く長く続く、急な階段を見上げる。

「ここって、羽紅神社だよね。ここ登るの?」

「うん。調べたらさ、ここ縁結びの神社らしいんだ」

「へぇそうなんだ。私も知らなかったなぁ」

「今日ここにきたのは祈願したかったからなんだ」

石段を登り始める。

763: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:04:40 ID:4HTiHH1c

「二人でここに来るのは久しぶりだね」

「確か…夏休み以来の時かい?」

「そう…。あの時は二人一緒だったのは下りの時だけ。今は二人で登ってる」

「それにしても…夏祭りか。あの時は桐生君にみっともない嫉妬をしてたな」

「どういうこと?」

「ほら、華は桐生君たちと夏祭りに来てたじゃあないか。あの時はてっきり華と桐生君が交際してるんじゃないかって思ってた」

「前にもそんなこと言ってたね。お似合いだとか、不釣り合いだとか、そんなの関係ないじゃない。大事なのは今、私が貴方を愛して、貴方が私を愛する。それだけだよ」

「そう…だよね」

「それで私は凄く満たされてる。…だけどいつも不安が付き纏ってるの。私の愛が尽きることはないけど、私の遍が何処かの誰かに奪われてしまうんじゃないかって」

「ははは…物差しで測る人たちには僕はそれほど魅力的には映らないからその心配は大丈夫なんじゃないかな」

「遍がそうやって自分のことを軽く見てるから私が余計に不安になるの」

「あ…、ごめん」

「それに…されたよね?」

「されたって?」

「告白だよ」

心臓が金縛りにあう。

「隠したって無駄だよ、私知ってるから。一度でも起きてしまったことがもう二度と起こらないとどう信じればいいのかな?」

知ってた?

小岩井さんのことを?

でもあの時の告白と呼べるものは、放課後の喧騒の中で、静かにされたものだ。

近くに華がいた記憶はないし、たとえ近くにいたって分かるはずがないのに、どうして…。

「私はね、遍…貴方が他の女に奪われるのが絶対に許せないし、何よりも恐れていることなの。誰かの隣で笑う貴方を想像するだけで…、嗚呼もう…滅茶苦茶にしたくなる。私以外の女と幸せを築こうものなら絶対に壊す、壊してやる」

気がつけば石段の上で止まっていた。

今一度、覚悟を問われているように思えてくる。

この先を登って縁を結ぶか、引き返して下るか。

嗚呼でも、こんなこと考えるだけ無駄だ。

結局、引き返すことなんて出来やしないんだから。

もう壊れてしまった日常と心は帰ってきやしないのだから。

764: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:05:04 ID:4HTiHH1c

「…落ち着いて華。そんな事がないように今日はここに来たんだから。行こう」

爪先の向きは変わらず、上へ上へと登りつづける。

もう登り切る脚に迷いはない。

長い長い石段を登り終えると目前には、古びた社が建っていた。

「ここで縁結びをしよう。何があっても最後には二人でいられるように」

「うん。懐かしいねここ」

「あの時は暗くてよく見えなかったけど、今は流石によく見えるね」

「ねぇ」

「ん?」

「さっき桐生君に嫉妬した、って言ってたよね」

「うん」

「その時、遍は私の事好きだったの?」

揺れる瞳で僕に問うてきた。

今更隠したってしょうがない。

「うん、あの頃から華を…いやもっと前から好きだったよ」

「なんだ…私達、前にここに来たときには既に両想いだったんだ…」

「僕はてっきり、バレているものだと思ってたよ」

「どうだろう…。あの時の私は遍が好き過ぎて、どうしてもフラれたらどうしようとか不安で余裕がなくなってたからなぁ」

「はは…僕は"運命の相手"って思ってたんだろう?それなのにフラれると思ったのかい?」

「フラれたらどうしようというか、"運命の相手"じゃなかったらどうしようって感じかな。結果的に私たちは結ばれたけど、もし遍が拒んでたら私、何してたんだろうね?」

あんな激情を拒む方が難しいは思うのだが。

「そんな有りもしない未来を想像したって仕方がないじゃあないか」

「それもそうだね」

話しているうちに賽銭箱の前まで辿り着いていた。

765: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:06:01 ID:4HTiHH1c

「えーっと、二礼二拍手一礼、だっけ?」

「そうだね、まずはお賽銭を入れる。そしたら鐘を鳴らす。そこで二礼二拍手一礼さ」

華と僕はお賽銭を投げ入れる。

コトン

硬貨が木箱に跳ねる音がする。

次に鐘を鳴らす。

カランカラン

二礼

二拍手

そして一礼

「…。さて、参拝も済んだことだし、次は祈願しに行こうか」

「縁結びの祈願って何するの?」

「色々あるみたいだけど、絵馬が一番分かりやすくて、祈願しやすいものかもね」

「じゃあ絵馬書きに行こっか」

賽銭箱から離れ、少し歩くと御神籤や絵馬が売られている小屋が見えた。

「…。遍はここで待ってて。私が絵馬貰ってくるから」

「え?…あぁ、うん。分かったよ」

突然、よく分からないことを言われたと思ったが、なるほどそういうことか。

御神籤や絵馬を売られている所には、巫女さんがいた。

僕から女性の接点を少しでも減らしたい故だろうな。

遠くから黙って見守ってると、華が絵馬を一つ貰ってきた。

「この絵馬に二人の名前を書いて、奉納すれば縁が結ばれるんだって」

絵馬と一緒に油性ペンも貰ってきた様子。

「それじゃあ早速、名前を書こうか」

「あ、待って。ここに書くのはお互いの相手の名前みたいなの。だから私は遍を、遍は私の名前を書いて」

「へぇ、自分ではなく相手の名前か」

「そう」

華からペンと絵馬を受け取り、名を刻む。

『高嶺華』

何か誓約書を書いてるような錯覚に陥る。

「はい、次は僕の名前を書いておくれ」

書き終わった油性ペンの蓋を一旦閉じ、絵馬とペンを華へと再び返却する。

「うわぁ…遍は字が綺麗だから緊張するなぁ」

「はは、緊張することなんてないのに」

本当に緊張しているのか、そのしなやかな指先は僅かに震えてるが、それでもしっかりと丸みの帯びた文字で僕の名を刻んでいく。

『不知火遍』

「良かった、書き間違えてない」

ひとまずは安堵した様子。

766: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:06:39 ID:4HTiHH1c

「そしたら、これを奉納しよう」

「奉納したら次はどうするの?」

「とりあえず折角神社に来たんだから御神籤引いたり、一通り境内を見て周ったら、また少し移動することになるけど『歩絵夢』に行って一休みしようか」

「うん分かった。けど御神籤引くために遍を他の女とは接触させたくないなぁ…」

「無人の御神籤もあると思うからそっちに行こう」

「それなら良いね。じゃあ早く絵馬奉納しようよ」

華も縁結びに随分と乗り気な様子。

良かった。

一つ目のデートプランは上手くいったようだ。

沢山の絵馬が奉納されている場所へと向かう。

二人の名前が刻まれた絵馬を括り付ける。

「これで祈願できたのかな」

「できたと思うよ。きっと僕らの願いは届いているはずさ」

「それじゃあ御神籤を引きに行こうか」

「あそこかな?無人で御神籤引けるところ」

あそこ、と指した場所には戸棚の様なものと漆塗りの六角柱があった。

近づいてみれば、案の定御神籤であり、『一回百円』と書かれた側には硬貨を入れるであろう小さな穴があった。

「ここに100円入れればいいみたい」

「それじゃあ早速やってみよう」

チャリン

100円玉を穴に落とし、六角柱の小さな穴から棒を取り出すべく振るう。

ジャラジャラ

小さな穴から一本の棒が出てくる。

棒の先端には『八十七』という漢数字が書かれている。

「僕は八十七みたいだ」

続いて全く同じ動作を華が繰り返す。

チャリン

ジャラジャラ

「私は三十七だって」

漢数字の書かれた棒を六角形へ戻す。

視線を目の前の戸棚に移す。

小さな引き出しが幾つもあり、それぞれに漢数字が書かれている。

恐らく該当する漢数字の引き出しを開けるべきなのだろう。

僕と華は黙って、各々の引き出しを開け、紙を一枚取り出す。

767: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:07:01 ID:4HTiHH1c

「あ…」

「あっ」

お互いにそんな呟きが漏れる。

「遍、何だった?」

「あはは…、僕は凶だった」

「嘘…私も凶」

そう、引いた紙には大きく"凶"の文字が書かれていた。

しかも華の手にある紙にも同じく"凶"の文字。

お互いに違う番号なのに、二人とも"凶"を引いてしまうなんて、ある意味運が良いとも言える。

「折角のデートなのに、ショックだなぁ…」

「…まぁ考え方を変えてみようよ。今の僕らの状態を"凶"と呼ぶのであれば、これからはもっと良くなるということだよ」

「それもそうかも。うん…、そういう考え方の方が良いな」

「御神籤も引いたことだし、軽く散策したら『歩絵夢』に行こうか」

「うん!」









この時は気付きもしない。

この時の御神籤が言い得て妙だと気付くのはもっとずっと、ずっと先の話だった。

768: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:07:31 ID:4HTiHH1c

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「はい、遍くんは『マンデリン』だったわよね?」

「ありがとうございます陽子さん」

「で、華ちゃん相変わらずミルクティーっと」

「なんか、含みのある言い方だなぁ…」

「別にぃ?まぁでもあなたたちがあまりにも青春を謳歌してるから少し意地悪もしたくなるわよ」

「陽子さんって彼氏とかいないんですか?」

「女性に向かってその質問を堂々とする度胸は認めてあげよう遍くん」

「あっ…ごめんなさい」

「謝るのもまたデリカシーのない行動だよ。君は作家になるんだからデリカシーの一つや二つは学んだほうがいいよ」

「あ、いやまだ作家になるとは決まって訳じゃあ…」

「あれ?さっき言ってたじゃない公募に作品出したって」

「いや確かに出したのはそうなんですけど、当選するかどうか…」

「彼氏がこんなこと言ってるけど彼女はどう思うの?」

「遍は自信がないからこんなこと言ってるだけだよ。私は何にも心配してないよ。だって確信を持ってるからね」

「あーあー、本当にあなたたち見てると相性良く思えてきて虚しくなってきた」

「ふふん、陽子さんも早く彼氏作ったら?」

「はぁーあ、コーヒーも飲めないお子様にそんなこと言われちゃあたしももうお終いね」

「ちょっと!」

「あははは」

769: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:07:57 ID:4HTiHH1c

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「水族館?」

「まずデートというもので、パッと浮かんだのがここなんだ。…定番すぎたかな?」

「ううん、大丈夫だよ。私は遍と一緒なら何処だっていいの」

「君ならきっとそういうと思った」

「そういう遍はどうなの?」

「同じさ。実は華と一緒ならどこでもいいんだ。だからこんな定番なところしか思いつかなかった」

「定番も大事だよ。行こう、遍。私水族館初めてなの」

「えっ…そうなのかい?」

「…なんてね」

「あ!ひどいなぁ」

「ふふ」

770: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:08:19 ID:4HTiHH1c

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「見て遍、このクラゲすごく綺麗」

「本当だね。華、クラゲって漢字で書くとどう書くか知ってるかい?」

「え、どう書くんだろう…」

「ヒントは小学生で習う漢字だよ」

「え~、それってヒントになるのかなぁ」

「海の何かと書いてクラゲと読むんだ。何に見える?」

「んー、海星?」

「惜しいなぁ。星だとヒトデって読むんだ」

「あーヒトデかぁ」

「正解は海の月と書いてクラゲと読むんだ」

「月かぁ…確かに惜しかったなぁ。悔しい」

771: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:08:38 ID:4HTiHH1c

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「楽しかったね遍」

「うん、華に楽しんでもらえて良かった」

「…すっかり夕暮れだね」

「まだ時計で言えば16時過ぎなんだけどね。冬至が近くなってきてるから日が沈むのが早いね」

「そうだね。この後は予定あるの?」

「うん、あるよ」

「え?あるんだ」

「意外だったかい?」

「意外というか今日は結構色んな計画してくれたんだね」

「少し前に情けないデートをしたからね。挽回しようって思ったんだ」

「もう、変なところで真面目なんだから。でもいいよ。今日はどこまでもついて行くよ」

「ありがとう、そこが僕が行きたい最後の場所なんだ」

「そっか。じゃあ日が沈む前に行こっ」

「うん」

772: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:09:12 ID:4HTiHH1c

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日が沈む前には辿り着きたかったのだが、辿り着いた頃にはもうほとんど日が沈んでいた。

「ここが最後に来たかった場所?」

「うん」

「遍、今日は神社行ったり、ここ…"教会
"に来たり、宗教に拘ってる人なら怒られちゃうよ?」

「あはは…どうやら僕は困ったら神頼みするタチらしいね」

教会の敷地へと足を踏み入れる。

「縁結びの神社なら分かるんだけど、今度は教会に来て何するの?もしかして遍って、キリスト教徒?」

「僕は生まれてこの方無宗教で生きてきたよ。自分にとって都合の良い神様を信じる、都合の良い奴さ」

「じゃあ…教会に来たのはどうして?」

どうしてかと問われると直ぐには答えられない。

教会の敷地から教会の中へ入る。

中では美しいステンドガラスが張り巡らされており、日が沈んで暗くなってしまった教会の中を蝋燭が小さく灯りを灯している。

「神父さんはいないみたいだね」

「うん…」

「今日ここに来たのはどうしても伝えたいことがあるからなんだ」

「伝えたいこと?」

奥に張り巡らされたステンドガラスを背に向け、華と向き合う形になる。

「僕はね…子供の頃からずっと小説家になりたかった。けれどそれは誰にも理解してもらえないものだと決め付けて自分の心の内に仕舞い込んでいた」

「小説を書く以上、読み手がいるということに目を背け、一人で毎日空想を夢見てた」

「そこに華…君が現れてくれて僕の中の物語は劇的に変化した。自分の夢の難しさ、自分の覚悟の甘さ、そういった目を逸らし続けていた大事なことを、君が気付かさせてくれた」

「君は僕の夢を笑いもせず、真剣に一人の読者として僕と向き合ってくれた。そんな放課後の毎日が僕にとって、とても素敵なものだったんだ」

「いつの日からか小説家になることだけじゃなくて、君が僕の隣で笑ってくれたらなってそんなことまで愚かにも夢を見ていた」

「二兎を追う者は一兎をも得ずだと、分不相応の恋だと、自分に無理を言い聞かせて、君への想いは秘めたものにして、小説家になることに集中しようって何度も何度もこの想いを殺してた」

「だからか僕の中で酷く歪な二律背反な感情が生まれてしまって、君が好きなのに君を嫌いになろうって、破綻にも似た感情の矛盾が生じてしまってたんだ」

「本当に自分のことを愚か者だと思う。それにこんな中途半端な気持ちが、君を苦しめてるんじゃあないかって今更気付いたんだ」

「だから愚か者の僕なりに考え抜いて、一つの答えを見出したんだ。僕はね、華…君の言う通り、金輪際君以外の女性とは触れないし、喋りもしないし、関わりのしない。君とだけ、この先の人生を永遠に歩いていきたい」

「僕にはまだ資格も指輪も無いけれど…」

覚悟を決める。

「高嶺華さん。僕と結婚してくれますか?」

773: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:09:34 ID:4HTiHH1c

「え……えっ?」

困惑の様子が隠せない様子。

それもそうだろう。

まさかこんなところで指輪も無いプロポーズをされるなんて思いもしなかっただろう。

これが僕ができる彼女への誓い。

けれどいくら気持ちがあろうとも、形になるものは必要に決まっているし、こんな指輪も渡さないプロポーズ、受け入れてくれるとは限らない。

不安になり、華の様子をもう一度伺う。

「え?…華」

困惑の表情は変わらない。

しかし、彼女の瞳からは小さな涙が、止まることなく流れ落ちる。

「嬉しい…」

その一言が僕の胸を安堵をもたらす。

「じゃあ…」

「はい!不束者ですがこれからもよろしくお願いします!」

神父のいない僕の誓いは、蝋燭だけ灯された仄暗い教会で、煌く涙を美しく彩られる可憐な花に受け入れられた。

774: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:09:59 ID:4HTiHH1c

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「また明日」

「うん、またね」

すっかり日が沈み、夜空にオリオン座が描かれている。

明日からまた月曜日が始まるのを考えると、あまり遅くならないうちに解散するのが妥当と考え解散することにした。

とはいえ冬至まであと一月程。

時計の上での時間は遅くなくとも、辺りはすっかり闇夜に包まれていた。

駅のホームで彼女が電車に乗るのを見守ると、見送るために買った入場券を改札口に喰わせてやる。

ただ寒空の下、家へ向かって歩き出す。

静かな街に静かな足音を鳴らしていく。

家へ近づくたびに、今日の疲労が脚へと溜まっていく。

やりたかったことはできたはずだ。

今日一日の出来事を噛み締めてると、自宅の影見えてくる。

そして一人の影が立っていた。

「綾音…?」

暗い玄関先で顔は見れないが、十年という時間を共にした妹の姿は何となく分かる。

「綾音!」

とはいえ、その姿を見るのは実に半月ぶりの事で、思わず声を掛けてしまう。

僕の声がかかると、僕から離れるように歩き始めた。

「…こんな時間にどこへ行くんだ?」

帰路に向かっていた脚は、目的地である家を通り過ぎ、義妹へと変わっていく。

その差を埋めるよう急ぎ足で向かうが、曲がり角でその姿を失う。

775: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:10:28 ID:4HTiHH1c

しまったと思いつつ、曲がり角までさらに駆け足で向かうとその先遠くで綾音は立ち止まっていた。

僕を視認すると綾音はまた歩き始める。

綾音の意図が掴めない。

近づけば離れていく。

けれど離れ過ぎれば僕を待つように立ち止まる。

一定の距離を保ち続ける。

気がつけば僕も無我夢中で、綾音の足跡を追っていた。

住宅街を抜け、街灯一本一本の間隔がどんどん広がっていく。

こんな闇夜の中、どこへ行こうというのか。

背後の華の幻が『行くな』と何度も警告してきても、その脚は止まらない。

そうしてひたすらに義妹の姿を追い続け、彼女に追い付いたのはとある山道への入り口でのことだった。

「…はぁ、はぁ。綾音、一体こんな時間にこんな所に来て、何をするつもりなんだい?」

「…」

返答はない。

半月ぶりに姿は見れても、声は聞けないようだ。

するとまた綾音は暗い山道へと歩き始めた。

「お、おい」

その腕を引こうと思ったが、華の"言葉"が呪いとなって、触れられない。

物理的に綾音を止めることは叶わず、ただ身を案じて付いていくことしかできない。

酷く不気味な木々と山道。

幽霊の類なんてもの信じちゃあいないが怖いものは怖い。

木々の隙間を吹き抜ける風の音がやけにうるさい。

そういえば、山道に入ってから華の幻が喋ることもなくなった。

くそ、脚が重たい。

デートの疲労がここに来て、表れてくる。

「綾音、帰ろう。獣が出るかもしれないし、危ないだろう?」

僕の声は一切届いていないかのような無反応。

綾音はただ道を進んでいく。

このまま登頂するまで止めないのか?

そんな馬鹿げた不安が過ぎると同時くらいに、道なりに歩いていた綾音は突如としてつま先の向きを変える。

その先は道なんてない森の中。

776: 高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』 :2020/05/09(土) 19:10:47 ID:4HTiHH1c

「おい!」

綾音の意図が全く見えない。

けれどこのまま放っておいたら死んでしまうのではないか?

そんなことを考えてしまう。

でもどうしてだろう。

こんな道なき道をさも分かっているかのような足取りで木々の隙間を抜けていくのか。

適当に歩いているわけではなく、どこかを目指しているような。

雲に隠れていた月灯りが森を照らし始める。

暗順応の終えた目では、普段気にもしない月明かりですら充分な灯りだった。

紅葉の季節を超えた後の大量の落ち葉を何度も何度も踏みしめてくと、やがて少しだけ開けた場所へと辿り着く。

「家?」

開けた場所の中心には時と共に廃れてしまったであろう、古民家が一つ建っていた。

「…なんでこんなところ、…綾音?」

綾音がいない。

古民家に目をとられた一瞬で彼女の姿を見失った。

「綾音、どこーーー」

激痛が身体を貫く。

「ああぁぁぁぁぐっ」

この痛みに覚えがある。

二度目の経験だとしても、耐えることなんて容易ではなくそのまま地面へ倒れ込んでしまう。

「ゥゥゥあああああああああが」

痛みに終わりが訪れない。

気を失いたい。

いやだ、痛い。

目眩が引き起こされる、息が止まる、激痛が走る。

目の前が何も見えなくなる。

暗い。

初めての時とは違う。

長い。

長い。

終わりなんて訪れないとも思われる激痛に、身体が防衛本能を利かせる。

感覚が、意識が、遠くなっていく。

薄れゆく意識の中、一言だけ僕の耳に届いた。












「お兄ちゃんはあたしのものだから」
最終更新:2021年04月18日 17:56