第58軍(ロシア地上軍)

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*第58軍(58-я армия) #ref(58A.jpg) [[ロシア地上軍]]、[[北カフカーズ軍管区]]の軍級部隊。1995年6月1日、編成。軍本部は、ウラジカフカーズに位置する。兵員約7万人、戦車609両、BMP及びBTR約2千両、火砲125門、「グラード」190基、対空システム450基を装備し、現在、ロシア軍最大の諸兵科連合軍部隊の1つである。 第58軍は、南部国境の防護、並びに北カフカーズでの対テロ作戦の実施を担当している。ベスラン人質解放作戦に参加。その外、軍部隊は、グルジア・南オセチア紛争地帯の平和維持任務も遂行している。 第58軍からは、38人(内18人は死後)のロシア連邦英雄が生まれ、6千人以上に勲章・メダルが授与された。 **編制 -[[第19自動車化狙撃師団(ロシア地上軍)]]:ウラジカフカーズ -[[第42親衛自動車化狙撃師団(ロシア地上軍)]]: -第33独立山岳狙撃旅団:ボトリフ -第34独立山岳狙撃旅団:ゼレンチュクスカヤ -第131独立自動車化狙撃旅団:マイコプ -第136独立親衛自動車化狙撃旅団:ブイナクスク -第205独立自動車化狙撃旅団:ブデンノフスク -第135独立自動車化狙撃連隊:プロフランドニー -第200独立自動車化狙撃連隊:トロイツコエ -第67高射ミサイル旅団:ヴォルゴグラード -第1451ロケット大隊:プロフランドニー。9A52×4門、9R140×4門装備 -第11工兵連隊:カフカーズスカヤ -第234独立通信連隊:ウラジカフカーズ -第22独立電波電子戦連隊:ウラジカフカーズ -第1542修理基地:プロフランドニー **歴代軍司令官 |代|氏名|階級|在任期間|出身校|前職| |初代|ゲンナジー・トロシェフ||||| |2代|ウラジーミル・シャマノフ|少将|1999.7~1999.9||| |3代|アナトーリー・シヂャーキン||1999.9~2000.3||| |4代|ウラジーミル・シャマノフ|中将|2000.3~2000.8||| |5代|ワレーリー・ゲラシモフ|少将|2001~||| |6代|ヴィクトル・ソボレフ|中将|2004~2006.4||| |7代|[[アナトーリー・フルリョフ]]|中将|2006.4~|タシケント戦車指揮学校|| **[[南オセチア紛争]] ***[[南オセチア紛争初日(8月8日)]] 1824 — 第19自動車化狙撃師団の2個戦車縦隊、ザルスカヤ道とカフカーズ横断道路沿いにツヒンヴァリを迂回し、グルジア軍陣地の砲撃を開始。グルジア軍は、ツヒンヴァリを離れざるを得なくなった。 1937 — 第58軍部隊、ツヒンヴァリとロシア平和維持軍を砲撃していたグルジア軍の火点を制圧。 ***[[南オセチア紛争2日目(8月9日)]] 0936 — 第58軍部隊、ツヒンヴァリのロシア平和維持軍駐屯地に突破。 1156 — 第58軍部隊は、ツヒンヴァリからグルジア軍を完全に掃討した。 深夜、砲撃を受け、軍司令官[[アナトーリー・フルリョフ]]と「ヴェスチ」のテレビクルーが負傷。ウラジカフカーズの病院に後送。 ***戦果 南オセチア紛争において、第58軍部隊は、戦車65両、対空ミサイル「オサ」5基を含む装甲車両数十両、BMP-2 15両、D-30、並びにチェコ製自走砲とアメリカ製装甲兵員輸送車を鹵獲した。 グルジア軍は、撤退中、ゴリ市近郊の軍事基地に戦車15両、数十両の装甲車両、火砲、砲弾及びロケット弾を残置した。弾薬の大部分は破壊され、一部は、グルジア国外に搬出された。 別の軍事基地では、小火器1,728挺(M-16 x 764挺、M240擲弾筒 x 28挺、カラシニコフ x 754挺)が鹵獲された。
*第58軍(58-я армия) #ref(58A.jpg) [[ロシア地上軍]]、[[北カフカーズ軍管区]]の軍級部隊。1995年6月1日、編成。軍本部は、ウラジカフカーズに位置する。兵員約7万人、戦車609両、BMP及びBTR約2千両、火砲125門、「グラード」190基、対空システム450基を装備し、現在、ロシア軍最大の諸兵科連合軍部隊の1つである。 第58軍は、南部国境の防護、並びに北カフカーズでの対テロ作戦の実施を担当している。ベスラン人質解放作戦に参加。その外、軍部隊は、グルジア・南オセチア紛争地帯の平和維持任務も遂行している。 第58軍からは、38人(内18人は死後)のロシア連邦英雄が生まれ、6千人以上に勲章・メダルが授与された。 **編制 -[[第19自動車化狙撃師団(ロシア地上軍)]]:ウラジカフカーズ -[[第42親衛自動車化狙撃師団(ロシア地上軍)]]: -第33独立山岳狙撃旅団:ボトリフ -第34独立山岳狙撃旅団:ゼレンチュクスカヤ -第131独立自動車化狙撃旅団:マイコプ -第136独立親衛自動車化狙撃旅団:ブイナクスク -第205独立自動車化狙撃旅団:ブデンノフスク -第135独立自動車化狙撃連隊:プロフランドニー -第200独立自動車化狙撃連隊:トロイツコエ -第67高射ミサイル旅団:ヴォルゴグラード。対空ミサイル「ブーク」、R-156BTR×1 -第1451ロケット大隊:プロフランドニー。9A52「スメルチ」×4、9P140「ウラガン」×4、1V18×3、1V19×1、PRP-4×1 -第11工兵連隊:カフカーズスカヤ。MTU-20×9 -第234独立通信連隊:ウラジカフカーズ 。BMP-1KSh×7、R-145BM×2、ZS-88×7、R-156BTR×1、SA-22×1、P-240BT×1 -第22独立電波電子戦連隊:ウラジカフカーズ -第487独立ヘリ連隊:Mi-24×36(Mi-24K×4、Mi-24R×6含む)、Mi-8×11 -第1542修理基地:プロフランドニー。RKhM×1、ZS-88×2 **歴代軍司令官 |代|氏名|階級|在任期間|出身校|前職| |初代|ゲンナジー・トロシェフ||||| |2代|ウラジーミル・シャマノフ|少将|1999.7~1999.9||| |3代|アナトーリー・シヂャーキン||1999.9~2000.3||| |4代|ウラジーミル・シャマノフ|中将|2000.3~2000.8||| |5代|ワレーリー・ゲラシモフ|少将|2001~||| |6代|ヴィクトル・ソボレフ|中将|2004~2006.4||| |7代|[[アナトーリー・フルリョフ]]|中将|2006.4~|タシケント戦車指揮学校|| **[[南オセチア紛争]] ***[[南オセチア紛争初日(8月8日)]] 1824 — 第19自動車化狙撃師団の2個戦車縦隊、ザルスカヤ道とカフカーズ横断道路沿いにツヒンヴァリを迂回し、グルジア軍陣地の砲撃を開始。グルジア軍は、ツヒンヴァリを離れざるを得なくなった。 1937 — 第58軍部隊、ツヒンヴァリとロシア平和維持軍を砲撃していたグルジア軍の火点を制圧。 ***[[南オセチア紛争2日目(8月9日)]] 0936 — 第58軍部隊、ツヒンヴァリのロシア平和維持軍駐屯地に突破。 1156 — 第58軍部隊は、ツヒンヴァリからグルジア軍を完全に掃討した。 深夜、砲撃を受け、軍司令官[[アナトーリー・フルリョフ]]と「ヴェスチ」のテレビクルーが負傷。ウラジカフカーズの病院に後送。 ***戦果 南オセチア紛争において、第58軍部隊は、戦車65両、対空ミサイル「オサ」5基を含む装甲車両数十両、BMP-2 15両、D-30、並びにチェコ製自走砲とアメリカ製装甲兵員輸送車を鹵獲した。 グルジア軍は、撤退中、ゴリ市近郊の軍事基地に戦車15両、数十両の装甲車両、火砲、砲弾及びロケット弾を残置した。弾薬の大部分は破壊され、一部は、グルジア国外に搬出された。 別の軍事基地では、小火器1,728挺(M-16 x 764挺、M240擲弾筒 x 28挺、カラシニコフ x 754挺)が鹵獲された。

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