氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
舛岡富士雄 |
日本ユニサンティスエレクトロニクス株式会社 |
社最高技術責任者(CTO) |
42年 |
経歴
1943年に群馬県高崎市出身。1943年、群馬県立高崎高等学校卒。1971年、東北大学では西澤潤一研究室に属し大学院工学研究科電子工学専攻博士後期課程を修了。工学博士。株式会社東芝に入社。1980年、NOR型フラッシュメモリを発明。1986年、NAND型フラッシュメモリを発明。1994年、東北大学大学院情報科学研究科教授。1996年、東北大学電気通信研究所教授。2004年、日本ユニサンティスエレクトロニクス株式会社最高技術責任者(CTO)。
業務内容
東北大学大学院や、退官後に就任した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタなど、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている
仕事への姿勢/考え方
東芝に入社後、高性能なメモリを開発したが売れなかったため、営業職を志願し、アメリカのコンピューター会社を回った。結局全然売る事ができず、1年もたたずに営業職からは外される。しかし、この時に何度も営業先に言われた「性能は最低限でいい。もっと安い製品はないのか」という言葉から、性能の向上ばかり考えず、需要に見合った機能を持つ製品を低コストで作るべきだと悟る。結果、情報を1ビットごとではなく一括消去するという、あえて性能を落としてコストを4分の1以下にする方法を思いつき、フラッシュメモリを発明する。また舛岡は会社から技監になるように何度も要請された。しかし研究を続けたかったので、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられなかったため、1994年に東芝を退社した。つまり仕事への貪欲さは際立っている。
転機
私生活
今後の目標
コストはそのままに性能を向上したフラッシュメモリの開発
参考URL:
感想
フラッシュメモリを日本人が作ったというのを知らず驚いた。思うようにいかなかったときの対応を真似できるようにしたい。自分の考えだけではうまくはいかず、周りや世間の声も聞かなければならないということを学べて良かった。
最終更新:2022年11月14日 06:27