西川貴教(T.M.Revolution 単独事務所:ディーゼルコーポレーション)

合計: - 今日: - 昨日: -
    氏名        所属        職種        社会人経験年数   
 西川貴教   ディーゼルコーポレーション   ミュージシャン   27年 


経歴

1989年:バンドLuis-Mary結成。パートはボーカルであり、「灰猫=haine」と名乗る。
1991年:1月にLuis-Maryのインディーズデビュー、7月にはメジャーデビューを果たす。その後、解散までに3枚のシングルと3枚のアルバムをリリース。
1993年:灰猫の脱退を期にLuis-Mary解散。以後、2年弱の間は表舞台から遠ざかる。
1995年:accessが活動休止しソロ活動をしていた浅倉大介のソロシングル「BLACK OR WHITE?」にヴォーカルとして参加。デビューに先駆けてライブ活動を行う。12月には、公式ファンクラブ「turbo」が設立される。
1996年:5月にソロプロジェクトであるT.M.Revolutionとしての活動を開始。
1997年:『西川貴教のオールナイトニッポン』のラジオパーソナリティを担当(1月6日 - )。以後2005年まで、8年9か月に渡って放送を続けた。12月、T.M.Revolutionとして第48回NHK紅白歌合戦に初出場(以後、1998年、2005年、2013年、2014年に出場)。
1999年:3月、ラジオでT.M.Revolutionの封印を発表し、それ以後は当時のプロデューサー浅倉大介とのユニットthe end of genesis T.M.R.evolution turbo type D(T.M.R-e)として活動。4月2日、パフィーの吉村由美と結婚。
2000年:T.M.R-eからT.M.Revolutionに再度名称を改め、活動再開。
2001年:自らデザイン・企画を務めるファッションブランドDEFROCKを立ち上げる。
2002年:2月、T.M.Revolutionのセルフプロデュースを開始。7月1日、吉村由美と離婚、スポーツ報知の一面が独占ニュースで掲載した。
2004年:主に、DEFROCKの商品を取り扱うブランドショップ、BABEL FISHを代官山にオープンさせる。
2005年:ロックバンドabingdon boys schoolを結成し、本名の名義でボーカルとして参加。ネイルクィーンのメンズ部門受賞。
2006年:1月2日に、1夜限りで西川貴教のオールナイトニッポンが復活。7月末に、DEFROCK・BABEL FISH事業を凍結。12月6日にはabingdon boys schoolとしてメジャーデビュー、同バンドの公式ファンクラブA.B.S.F.C.が設立される。
2007年:主演を務めるミュージカル「ハウ・トゥー・サクシード」が、4月21日より東名阪にて公演された。同年11月に、異例の年内再演が決定した。9月には3年振りとなる、ファンクラブ会員限定恒例イベント「turbo surf'07」をハワイにて開催した。
2008年:1月、滋賀プラスワン(滋賀県広報誌)1月号(vol.103)において、「滋賀に元気の風を吹かせよう」というタイトルで嘉田由紀子滋賀県知事との対談が掲載され、郷土である滋賀県について語っている。5月、映画『コラソン de メロン』に出演(井上和香とのダブル初主演)。10月24日、滋賀県初となる「滋賀ふるさと観光大使」に任命された。
2009年:9月19日・20日の2日間、故郷の滋賀県で県内初となる大型野外音楽フェスティバル「イナズマロックフェス 2009」(滋賀県草津市)を開催。自身も19日にはabingdon boys schoolとして、20日にはT.M.Revolutionとして出演した。
2009年:11月3日よりabingdon boys schoolとしてヨーロッパツアーを開始。過酷なスケジュールの中で、ロシア、フィンランド、スウェーデン、ドイツ、フランス、イギリスを回った。なかでもドイツ入りは、1週間のうちに4回という過密日程となった。
2009年12月16日:インディーズレーベル「Defrock Records」を設立。
2011年:ミュージカル「ROCK OF AGES」が10月28日より東京で、11月11日より大阪で公演される。往年のスーパースターの名曲を数多く取り入れたこの作品の主演を務める。なお、同作品はトニー賞に5部門ノミネートされた、海外作品の日本公演版となる。
2013年:9月14日、日本初のラスベガス観光大使に就任する。

業務内容


やりがい


仕事への姿勢/考え方

みなさんは僕みたいな仕事は、さぞかし楽しい仕事だと思っているのではないでしょうか。僕も音楽が好きで、音楽に魅せられ、結果的にそれが生業になっています。もちろん、心底好きなことだからこそ音楽を続けているわけですが、自分の代わりは利かない仕事でもあります。
「風邪」や「親族に不幸があった」等の理由で欠勤し、仕事を同僚に任せることができません。ましてや上司に報告し、仕事を延期してもらうことなんてことも不可能です。音楽を生業として選んだ以上は、親の死に目にも会えないかもしれないし、親不幸な目に遭わせることもある、と両親にもすでに伝えています。体調管理も含め、こうした覚悟を決めることは、プロの仕事の一部だと考えています。
 大好きな「歌う」ことや「演奏すること」が心底妬ましく思ったり、苦しく思うこともありますが、やっぱり、自分には「音楽の代わりになるものはない」。そういう唯一無二の存在になっているのも事実です。そういう意味でも、音楽は仕事なのか、はたまた趣味や好きなことの延長なのか――という境界はあいまいで、「ワーク・ライフ・バランス」といったような形で、明確に線引きすることは難しいですね。
 だからといって、それが苦痛ということでもありません。とにかく仕事はやらなくてはいけないですし、使命感に駆られているのかもしれません。自分で会社の経営をやっておいて言うのもなんなのですが、「僕は企業家には向いていない」。だからこそ、周囲のスタッフのサポートが重要だと考えています。

私生活


転機

2003年のインタビューにて・・・
西川:う~ん。非常に充実した年でしたね。ただ、残念ながらファンの皆様に活動している姿を見てもらう機会は少なかったかなと。まぁ、ツアーとかね、リリースがあったりして活動的には普通だったんですけど。TVメディアとかマスコミ媒体への露出みたいなものを期待してくださってる方もいらっしゃったと思うんですが、そこらへんはちょっと抑え目にずっと活動してたので。そういう意味では「しばらくT.M.見ないな~」って人がいたと思うんですけどね。
でもね、T.M.的にはレーベルを移籍したりとか、システム的な部分もずいぶん大きく変化した一年で、実は今年は大きな転機を迎えてまして・・・。
excite interviewer:大きな転機? T.M.R.にとって、どのような転機を迎えられたんですか?
西川:エポックメイキング的な部分でいうと、海外に行ったりとかも大きかったと思いますが、ここ2、3年ぐらいは、T.M.R.と僕自身との距離感みたいなものを探りつつってところで、“T.M.R.はコレをするもの、西川貴教って人間はこういうことをする人” みたいなね、一種の棲み分けというか、環境を含めて全部整備されてきた感じがするので。
まぁ、やっと来年・再来年に向けての基礎が、この一年をかけて十分に出来たのではないかと思いますね。

今後の目標


参考URL


感想①

昔から、あの声に憧れ歌を練習し、高校でもバンドをしていた。
だが、今ままで西川さんの詳しい事を良く知らなかったので、今回このような機会を与えていただき、様々な事を調べる事ができ、知る事ができたのでとてもうれしいです。
ここには書いてはいないですが、様々な苦労もしていて波乱な人生だと思いますが、とても人生を楽しんでいるように思えました。うらやましいです。

関連記事


【登録タグ:編集・制作者 音楽


選択肢 投票
この人材像に憧れる (0)
この人材像に共感する (0)
この記事が役に立った (0)

名前:
コメント:
最終更新:2017年04月30日 14:59
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。