第一幕 混乱
20XX年3月11日、飛鳥島は米軍の新型純粋水爆により『消滅』。
同日、日本国は北部連邦こと新生アメリカ合衆国に対し、降伏。全軍に停戦命令が発せられた。
20XX年3月14日、対米降伏文書調印。
日本国内閣総理大臣、北条康弘がデヴィス将軍の司令部で日本の降伏文書に調印した。
辛うじて国家としての独立は守られたものの、多額の賠償金、沖縄・対馬の租借、厳しい軍備制限等が科せられた。
20XX年6月22日、東京軍事裁判。
日本の首都東京で主要戦争犯罪人とされる四十五名が裁かれた。
一部のものはスケープゴートに使われたとの事であるが詳細は不明である。
この他にも日本に対する様々な『戦後処理』が幅広く行われた。
こうして日本は二十一世紀の半ばで再び戦後の道を歩むことになったのである。
『第一幕 混乱』
天井の蛍光灯が点いたり、消えたりしている薄暗い一室。
そこには、所々に人が倒れ、書類が散らばり、飲みかけのコーヒーの入ったカップが床に落ちて粉々に砕け散っていた。
そして、そこで床に倒れている一人の人間、司令官の九条が目を覚ます。
「一体なにがどうなって――っつ……?!」
体全体が鈍く痛む。だが、それを無視して、無理に体を起こす。
辺りを見回すと何も映していないモニターに完全に停止しているコンピュータがズラリとあった。
何があった?
当然の疑問だった。しかし、覚醒前に何があったかを懸命に思い出そうとすると何故か酷い頭痛と吐き気に襲われる。
酷い気分だった。恐らく今までの人生で最も気分が悪くなっただろうと断言できる。ここまで気分を悪くしたのはいつ以来か。
そんな時、ふと自分のデスクが目に入った。立派な椅子や無造作に置かれた幾つもの書類……そして、ポツンと置かれた電話。
それを見た瞬間に受話器を取る。兎に角、今は誰かと話がしたい。期待を胸に受話器を耳に当てる。
しかし、物事は上手くいかないことが多い。残念な事にその電話は何処にも繋がらなかった。
苛立ち、思わず受話器を叩きつける。
「うぅ……こ、ここは……?」
突然自分の横から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
そちらの方に視線を向けると自分の片腕である参謀長の榊原がぐらつきながら起き上がってきた。
どうやら自分のデスクで死角になって気づかなかったようだ。
「榊原、無事か?!」
慌てて声をかける。
榊原は、その声にハッとした様子でこちらに振り返る。
「元帥閣下……はい、問題ありません。しかし、これは一体どうなっているのですか?」
榊原の問いに九条は答えることが出来なかった――否、答えるべき解答を持っていなかった。
今のところ、原因は全くの不明で、気がついたらこの有様だった。ハッキリ言って自分が教えて欲しいくらいであった。
「……すまん。私もついさっき目が覚めたばかりで、何がどうなっているかまるで分からんのだ」
「そうですか……では、現在我々が置かれている状況の確認が最優先事項ですか?」
榊原は、そんな九条の様子を見ながらも、辺りの状況に視線を飛ばす。
さっきまでとは違って、僅かだが倒れている人間が目覚め始めていた。
気を失っている人間の介抱をしている者や自分の座席に座り、停止したコンピュータの復旧作業に取り掛かっている者もいた。
「それが妥当、だな。そのためにもコンピュータを――」
榊原に同意を示したところで、先程まで全く反応を返さなかった状態が嘘のように突如一斉にコンピュータが起動する。
天井にある電灯も不定期に点いたり、消えたりせずにパッと辺りに光を与えるようになった。
その様子に復旧作業に苦労していたオペレーター達も目を点にさせて固まってしまっている。
「……何とも都合のいいことだ」
九条は、半ば呆れが混じったような声で言う。
出鼻を挫かれたせいで、少々疲れてしまった。精神的に。
すると、そんな九条の様子を見て榊原が口を開く。
「ま、私の日頃の行いが良かったおかげですね、閣下」
唐突に意味不明なことを言い出した。
いきなり珍しく冗談じみた事を言う榊原に九条は少し驚いたような視線を一瞬送る、が
「そうだな」
と、微妙に顔に笑みを浮かべて肯定する。
冗談でも何でもやって、無理矢理にでも思考をポジティブな方向へと向けるのはいい事だ。
特に、今の沈んだ空気を吹き飛ばすのには調度いい――あまり面白くなかったことは敢えて無視するが。
榊原も九条にニヤリとした不気味な笑みを返すと眼下で座席に座って呆けているオペレーター達に目を向ける。
「呆けている暇は無いぞ。自分の責務を果たせ」
榊原の言葉を合図にハッと我を取り戻すと皆一斉に動き始める。カタカタとコンソールを叩く音がそこら中から五月蝿く聞こえ始める。だが、床でグッタリと倒れている人間が多い。そのため、いつもより仕事のペースが明らかに遅れている。
幾ら優秀なオペレーターを揃えていると言っても、これについては仕方が無いか、と割り切ると自分たちも即座に仕事に取り掛かる。
九条は、オペレーターから直接経由されてくる情報の処理を開始する。榊原は、それを補佐すると共に床に散った書類を集めて、重要度の高い物は九条へ渡し、低い物は後回し、もしくは自分で処理をしていた。
オペレーター達は激務に追われるような状態になっているが、九条達は比較的落ち着いて仕事が出来た。
主な原因はオペレーターの絶対数が不足して、一人一人に掛かる負担が増大していることと、そのせいで九条達に回すべき情報がドンドン遅れていることにあった。
時間が経つにつれて、復帰する人間も出ているのだが、焼け石に水の状態と言える状況であった。
何せ作業を開始してから、復帰した人間が四、五人しかいないのに対して、倒れたままの人間は数十人単位でいるのだから。
しばらくすると懸命に作業している数名のオペレーターのうち、二名の手が止まり、それぞれこちらに顔を向ける。
「元帥閣下、参謀長!」
「どうした? 何かあったのか?」
その内の片方が切羽詰ったような声を出す。それに対して頭に疑問符を浮かべながら、冷静に返答を促す榊原。
九条はそれを横目で見ながら、ただ沈黙を維持していた。
「はい、実は先程から本国に通信を行おうとしていたのですが、一向に繋がらないどころか向こうは何の反応も示さないんです」
「秘匿回線でも繋がらないのか? 衛星通信の方は?」
「今のところレベル3まで試していますが……衛星の方もまるで反応が……」
言い辛そうにしている所から、あまり芳しくは無いようだ。
厄介事とは重なるものだと痛感させられる。
(どうします? 何らかの対応をしなくては……)
(……貴様に任せる)
(私にですか?! 無理ですよ! 第一、権限も何も私にはありませんよ!)
(構わん、適当にやれ。どうせ本国と話すことなど何も無い)
二人で、ぼそぼそと小声で話し合う。が、九条は完全に榊原に丸投げしていた。
榊原は若干非難するような視線を浴びせるが、それを受け流して無視を決め込む九条を見てため息をつくと仕方なしに指示を出す。
「とりあえず、やれるだけのことをやってくれ。それでも駄目な様なら、しばらくの間様子を見ていればいい」
「はぁ……了解しました」
いまいち納得がいかなかったようだが、渋々了解する。
クルリと振り返り、自分のモニターを凝視しながら、コンソールを叩き始める。
「ところで、貴様も何かあるのではないか?」
そう言って、榊原はこちらを向いているもう片方のオペレーターをチラリと見る。
「はい、参謀長。周辺海域の電波傍受を行っていたのですが、どうにも妙なのです」
「妙、とは?」
「肝心の電波が全く捉えられないのです。いつもなら当然キャッチできる本国の短波ラジオ放送の電波さえも捉えられないのは異常としか言いようがありません」
瞬間に榊原と九条が顔を顰める。周りで作業中のオペレーターたちも手を止めてはいないが、こちらに耳を傾け出す。
それもそのはず。通常、電波が全く捉えられないということはありえないことであるからだ。
特に、本国の短波ラジオ放送の電波も捉えられないというのは異常だ。単なるラジオ放送の電波が捉えられないというのはそれこそありえない、あってはならない事態だ。
「……何か想像以上に拙い事態になっているようだな」
九条は顰めた顔をそのままにして呟く。
いい加減、何か妙だと感じ始めていた。
「不本意ながらそのようです」
同じく榊原も顔を顰めて苦々しく言う。
「さて、どうしたものか……」
「この前点検したばかりですが、機器の故障という線もありますので技師を何人かこちらに呼びましょう、後は、やはり情報収集と様子見が妥当であると思います」
「そうするのが無難か……ところで各部隊との連絡はどうなっているのだ?」
「地上部隊とは何故か連絡が未だ取れないのですが、地下に収容している島内の部隊とは先程から通信が可能です。これといって特に被害らしい被害も受けておらず、戦闘態勢を維持しつつ待機しているようです。なんでしたら、回線をそちらに回しますか?」
九条の疑問にオペレーターの一人が答える。
「いや、結構。そのまま待機しているように伝えてくれるだけでいい」
「了解しました」
そのオペレーターは感情が無いかのように淡々と答える。
仕事に私情を一切挟まないタイプの人間らしい。
トゥルルルルルル……
ふと、九条の座席の電話が鳴る。自分が使おうとした時には使えなかったはずだが。
訝しげな顔をしながら、九条はそれを取る。
「……誰だ?」
『いきなり誰だとは随分な物言いじゃないですか、閣下』
受話器から聞こえてくる声は若い女性のような高い声だった。
その声が聞こえた瞬間に自分にはこの声の主が誰だかすぐに分かった。隣にいた榊原も漏れた声を聞いて分かったようだったが、微妙に顔が引き攣っている。
「氷室か、一体何の用だ? 私は今、非常に忙しい」
電話の相手の名は氷室清一郎。科学技術総監と言う大それた役職に就いている、飛鳥島の全科学者、技術者の元締め。
そして、九条の幼馴染であり、一部の人間から尊敬と畏怖を込めて『探求者』と呼ばれている生粋の――マッドサイエンティストだ。
『ん? 用?』
「そうだ。何の用だと聞いているんだ。今、言ったように私は大変忙しい。だから――」
『あぁ、そりゃ忙しいでしょう。何処も彼処もなんだか色々苦労しているみたいですからね。いや~、こっちもいきなり電源落ちて真っ暗になったりしましたし、おかげでデータが一部飛んじゃいましたよ。まぁ、重要度が低い奴だけだったのが不幸中の幸いでしたけどね。やっぱり、日頃の行いが良かったからかな? ねぇ、閣下はどう思います? あ、それからこの前にさ――』
いきなり超マイペースに話を展開される。しかも、段々全く関係の無い話に脱線していっている。
実は、結構よくある事なので、それほど鬱陶しく感じることは無いが、このまま聞いていても話が全く進まない。
とりあえず、話の腰を折る。
「……早く用件を言え」
『あー、はいはい。んじゃ、さっさと済ませちゃいましょうか。ぶっちゃけ、ちょっと聞きたいことがあるだけなんだけどね』
「聞きたいこと?」
『うん。あのさ、閣下のところでも色々訳の分からない問題って起こってない? 全くの原因不明で手の出しようの無いやつ』
「……起こっているから、忙しいのだがな」
『あはは、それもそうだねー。じゃ、さっさとそれの詳細を教えてよ』
「相変わらず自分勝手に話を進める奴だな……まぁいいだろう、教えてやる。但し、後でしっかりと訳を聞かせてもらうからな」
『それはもちろん。たとえ嫌と言っても聞いてもらうさ』
「ならいい。では、今から言うからよく聞け。まず――」
九条は氷室に今までに起こった事を告げる。
本国と通信が全く繋がらないこと、周辺海域の電波を全く捉えることができなくなったこと……
それを氷室は相槌を打ちながら興味深そうに、また何かを確認するように聞いていた。
『ふ~ん、やっぱりそんな感じか。多分、まだまだ問題はワラワラ出てくるけど心配しなくていいよ、原因は分かってるから』
あっけらかんとして口調で言う氷室に驚きながらも、原因が分かっているという事を聞いて安堵する九条。
ならば、その原因さえ何とかすれば事態は好転するだろう。
「なるほど。貴様もただ指をくわえて黙っていたわけではないということか」
『む? ちょっと失礼な発言ですよ、それ』
「ああ、すまん悪かったな。で、この馬鹿げた事態の原因は一体なんなんだ?」
さっさと原因を聞いて対処しようと思い、それとなく聞いてみる。
『ん、了解了解。キッチリ教えてあげよう。でも、絶対に驚かないでよ』
珍しい事を言う。こちらがどういうリアクションを取ろうがお構い無しに物事を勝手に進めるようなやつ、それが氷室という人間だ。
だというのに、決して驚かないようになどと念を押すとは余程のことなのだろうか。
『まずは、色々解析してみたデータを閣下に転送するよ。あ、くれぐれも他の人間に見られないように気をつけて閲覧してね』
電話越しにカタカタとコンソールを叩く音が聞こえる。横目で榊原を見て、後ろに下がるようにジェスチャーで指示をする。
榊原は些か不服そうではあったものの、それに従ってモニターの見えない位置まで後ろに下がる。
しばらくすると自分の目の前にあるコンソールのモニターに氷室から送られてきた様々なデータが映し出される。
モニターに食い入るようにして、送られてきたデータを読む。最初は、何かの機密データかと思っていたが、どうやら違うようだった。
空気中に含まれる汚染物質の濃度データや水質汚染調査結果といった今回のことに関係があるとは思えないデータばかりが表示されている。
一体これを見て何をどうしろというのか。九条はそう思ったが、氷室は何の意味も無しにこんなものを見せる男ではない。何らかの意味があってのことのはずだ。
しばらくの間、無言で見ていたが、受話器から氷室の声が聞こえてくる。
『今、閣下が見てるのは、ついさっき調べたものです。今から三ヶ月前に行った調査結果のデータも送ってありますので、それと比較してみてください』
真剣な口調で言う氷室。兎に角、また言われたとおりにデータをモニターに出す。
とりあえずモニターに表示されている現在と三ヶ月前の空気中に含まれる汚染物質の濃度データを言われたとおりじっと見て比較する。
「……っ?!」
脊髄に電撃が走った。三ヶ月前のデータでは、かなり周辺の汚染物質濃度が高い。数十年の月日に渡って、周辺の環境を完全に無視して途方も無い改造を続けてきたからには、そうなるのも当然だろう。
しかし……その長い年月をかけて汚染していたはずなのに、現在はその汚染濃度の数値が半分以下、この島の発見当時にまで下がっているのは一体どういうことか。水質の方も殆ど同じような状況だ。
『フフフ、気づきましたね。まぁ、比較すれば明らかに表示されている数値が全く違うことくらい子供にも分かることですからね』
氷室は可笑しくてたまらないといった様子で言葉を投げかけてくる。奴の悪い癖だ。
今は、それをいつもより酷く不快に感じる。
「何を悠長に笑っている。嫌と言っても私に訳を聞かせるのではなかったのか?」
『ふむ? ふむふむ。ええ、もちろん聞いてもらいますよ。前言撤回など絶対にしません』
そう言い切ると何故か電話の向こう側でニヤリと笑う氷室の顔が見えるような気がした。
何か嫌な予感がする。
『とりあえず確実に言える事は、現在我々のいる場所が元いたところとは全く違うということです』
いきなりとんでもないことを言い出した。
だが、そうでもなければ説明できない事態が続いている以上、否定の言葉を出すことが出来ない。
冷静になる暇も与えられずに氷室は続ける。
『本国と通信が全く繋がらない、周辺海域の電波を全く捉えることができない、空気中に含まれる汚染物質の濃度、水質汚染の度合いが共に何故か異常なまでに低い。これらのことを辻褄が合うように納得できる推測があるとすればそれは一つ。冗談みたいな、だけど無情な現実であるその事実、それは――』
一拍の間を敢えて置き、告げる。
『我々が異世界に飛ばされたということです』
最終更新:2007年10月30日 19:36