第七幕 不穏


 飛鳥島 第二十五特別防御区画
 要塞司令官執務室

「ふむ……」

 九条は紫芝から送られてきた辞書並みの報告書を見て既に一時間は考え込んでいた。
 時が経つのは早いもので、異世界人と接触してから、もう一ヶ月という時間が過ぎていた。
 今のところ彼らとは比較的友好な関係を築いており、日常的に交流を深めていると紫芝はよく言ってきている。どうにも懐柔策を講じているようだ。
 だが、正直そんな事よりも彼らからこの世界について様々な情報の入手に成功したことは極めて大きな成果だった。しかし、同時にそれが悩みの種でもある。

 腕を伸ばして机の上においてある分厚い報告書を再び手に取る。
 そして、まず表紙を見る。タイトルに『異世界情勢』と短く書いてある。余計な言葉がなく非常にシンプルだ。
 さて、それでは改めてこれを読み直してみる事にしよう……――












 ――元帥閣下におかれましては本日も……(中略)……さて、ご挨拶が長くなってしまいましたが、そろそろ本題に移ろうと思います。
 これより書かれている事は現地の異世界人より入手した情報なので、真偽のほどは確かめようがありません。故にそこのところをご了承ください。
 まず閣下が私を派遣した大陸の名前は『レイジェンス』と言います。地図も入手しましたので、これと同封して送らせて頂きました。
 さて、いきなりですがこのレイジェンス大陸は現在『群雄割拠』の『戦国時代』に突入している模様です。
 併合、分裂、滅亡を繰り返し、この戦乱が収まる気配は全くありません。
 元々の情報では一部の国家による小規模な争いが頻発しているとのことでしたが、修正を願います。
 あと、我々の下にいる異世界人たちも、戦禍から逃れるために誰も知らない土地を見つけようとしていたそうです。
 ただ、彼女たちもあそこまで大所帯になるとは予想していなかったようで、我々と接触した時の調べで食糧備蓄量が極めて少なかったのを確認しています。
 ちなみに彼女たちというのは一月前に電話で報告した異世界人一行のリーダー格である三名の女性の事です。

 少々脱線しましたが、続けます。
 ここまでで一番の疑問点は『どうして戦国時代になったのか?』であると思います。
 それに対する回答も当然用意しております。元々この大陸には大陸中を統一した一つの巨大帝国があり、そこの皇帝が死去した事が事の発端であるらしいです。
 通常、専制君主が死亡した場合、その君主の嫡男が跡を継ぐのが普通です。これは我々の歴史に基づいた考えですが、これについてはこちらの世界でも同様のようです。
 それではこれより戦国時代突入の過程を述べさせていただきます。

 皇帝死去により、皇帝の嫡男『ダリス=ジュス=デルフリード』に帝位が移るはずだったのですが、突然皇帝に次ぐ力と権力を持つと言われた宰相『ガルフ=ヴァン=ダルフォード』という人物が反乱を起こしたのです。
 帝位継承の儀の準備中に攻撃を受け、極めて無防備であったそうですが、ダリスは帝都から辛うじて逃げ出す事に成功しました。しかし、宰相によって帝国の象徴たる帝都は完全に占領されてしまったのです。
 ダリスは即座に地方の諸侯に召集をかけ、さらに前皇帝が残した遺領から兵を集め、帝都奪還に乗り出しました。
 ですが、帝位継承を行っていないという事が致命的になりました。
 地方の諸侯の多くが、それを理由に日和見を決め込み、宰相との戦いに消極的な態度を取り続けたのです。
 宰相側にとっては絶好の機会です。宰相は諸侯が真面目に戦う気がないことを見て、好機と考え逆に進撃を開始。
 ダリスは前皇帝の時より政治能力の高さには期待されていたようですが、代わりに軍事的能力に欠けていたそうです。諸侯の助けを得る事ができずに彼は敗退を重ねました。
 そのせいで、更に致命的な事態になります。
 地方の諸侯が『帝国の力は既に過去のもの、今が勢力拡大の好機』と一斉に離反し、そのまま血で血を洗う戦乱の世になったそうです。

 以上が戦国時代になった過程です。
 あと、この大陸のあらゆる国家が例外なく奴隷制社会を構成しており、民衆に圧制を敷いています。
 絶対的な支配者として君臨する支配階級には王侯貴族と一部の大富豪のみが存在し、支配階級以外の全ての人間が被支配階級である奴隷だそうです。
 私も驚きましたが、農民、商人、職人全てが奴隷なのだそうです。
 普通はそのような民衆の反感を激しく買って自らを滅ぼしかねないようなことはしないのでしょうが、この世界は普通ではありませんでした。
 我々は未だに認識不足であると同時に、ここが異世界である事を失念していたのです。
 ここには、この世界には我々の常識を遥かに超えたものが存在していたのです。

 それは神話や伝説などに登場するもの、ハッキリ言ってしまうのなら……『魔法』です。
 閣下は私が乱心したかもしれないと思われるでしょう。ですが、その魔法の記録映像を何とか入手する事に成功しましたので、それも一緒に送ります。
 映像は閣下で言うところの『小競り合い』を撮影したものです。こちらの偵察部隊を使い、何とか見つからずに撮影できました。
 そして、それが先程の支配者が被支配者に対して一方的に搾取する事ができる答えです。
 支配階級は魔法に関する技術の独占によって頂点に君臨しているのです。

 さて、少々話は変わりますが、既に私が建設中の湾岸軍事拠点はその殆どが完成しました。
 ですが、未だに資源の入手等はできておりません。このままでは本当に我々は自滅するしかありません。よって、最終手段を行う事を決断していただきたいのです。
 今回の報告書にも書いたようにこの大陸は戦国時代です。介入の余地は幾らでもあります。
 魔法という不確定要素は確かに脅威ですが、我々にも科学というものがあります。勝算は非常に高いのです。
 是非、前向きに御考えくださいますよう、くれぐれも御願い致します。

 それでは、話を戻しまして――……












 ……九条はバタンと報告書を閉じる。悩みの種と考えているのは今読んだ部分だけで、残りはどうでもいい事ばかりだからだ。少なくとも九条にとっては。
 しかも、読んでいるうちにその悩みの種、戦乱の大陸に介入するか否か、という重大な問題に対する答えを九条は出していた。
 どれくらいの時間が経過したかと思い、ふと時計に視線を向ける。すると時計の長針が既に一周していた。

「……早いな」

 思わずボソリと呟く。自分でも相当意外だったようだ。
 だが、すぐに気を取り直し、机の上にある受話器を取った。
 しばらく、電話が何処かに繋がろうとする音のみが部屋で唯一の音楽となる。
 感動も恐怖も興奮も覚えない音楽だ。
 だが、それも受話器の向こうの相手が電話に出る事によって停止する。

『閣下、如何なさいましたでしょうか?』

 電話の相手であり、九条の片腕でもある榊原が疑問の声を出して聞く。随分と久しぶりに聞く声だ。
 九条は、何故か心の底から溢れ出てくるある種の『欲望』に突き動かされて楽しげに答えた。

「榊原、生き残りを賭けた闘争の始まりだ。戦争の準備を開始するぞ、主要な将軍を全員集めろ」

 榊原はいきなりの事に絶句して言葉が続かなかったが、九条は言い終わるなり一方的に電話を切る。
 ダメだ、どうにも抑えられん。口が歪み、恐怖感を与える笑みを浮かべた表情になる。
 結局、私も戦争という狂気に魅せられてしまっていたという事か、全く持って人間というものは本当にどうしようもないのだな。
 何処か遠くを見詰めながら、昔の自分を思い出していた。











 大陸派遣軍臨時総司令部
 司令官執務室

「ク、ククク、クハッ、クハハハッ、ハハ、アハハハハハハッ!!」

 先程まで静寂で満たされていた部屋でただ一人、狂ったように笑い続ける紫芝。
 時折、あまりの可笑しさに机をバンバンと叩き、その衝撃でバサバサと書類が床に落ちていた。
 だが、それに気付く様子を全く見せずにその身を歓喜に震わせる。

「やったッ! やったぞッ! 遂に遂に遂に遂に遂にッ!! 私の! 私の闘争の時がやってきたんだッ!! ハハハハハハッ!!」

 九条による戦争準備命令は全ての将軍に伝えられていた。
 当然、紫芝にもその命令は伝わっているわけで、その結果が今の状態という事だ。

「早速『飛鳥』へ行って会議に出席せねばッ! フフフ、楽しみだ! 実に楽しみだ!!」

「よかったですね」

 と、いきなり部屋の入り口から声が聞こえてきた。
 紫芝はグルッと首を回して、そちらの方へ視線を向ける。

「桐山か……どうかしたか? 何か問題でも起こったか?」

 入り口の方には桐山が何をするでもなく、ポツンと佇んでいた。
 桐山は室内の様子を確認するように少しばかり目を動かすと普段と同じ口調で喋りだす。

「別に今のところは問題と言える問題は何も起こっていませんよ。ただ……私どもは聞いておりませんが、どうにも戦争になるようですね」

「フン、元々そのためにここをコツコツと作ってきたんだ。ようやく私の苦労も報われるというもの……本望だ」

 グッと拳を握り締めて前に突き出し、自分の二つの瞳に狂気を映し出す。
 その瞳の輝きは禍々しくも強烈で、強大な意志力を感じさせた。

「で、貴様は結局のところ、何をしに来たんだ? まさか、また書類仕事をしろなどと言いに来たのではないだろうな?」

 いつものパターンを思い出して苦々しく言う。
 そんな紫芝に桐山は軽く溜息をつき、両手を挙げて降参のポーズを取る。

「流石に言いませんよ。今のタイミングで言ったら、殺されてしまいそうですし。まぁ、用件というか単なる書類の回収です、ちなみに追加はありませんのでご安心を」

 軽い口調で言う桐山を紫芝は少し目を細くして見ていたが、すぐに視線をそらす。
 そして、何処からか少し大きめのカバンを持ってくると必要な荷物をその中に詰め込んで纏め始める。

「とっとと持って帰れ」

「はいはい、言われずとも持って帰らせて頂きますよ」

 そう言うと桐山は床に散乱している書類をかき集めだす。
 それからの二人は黙ったままだった。
 紫芝は一部の私物や必要なものをカバンに入れ、桐山は書類の確認と回収に没頭した。

 二人は無言で作業を続けた。まるで、自分一人しかこの部屋にはいないというように。
 室内は紙の擦れる音ばかりが聞こえる。
 五、六分程で二人は作業を終わらせ、そのまま無言で執務室を出る。
 それぞれの目的地に向けて歩き始めようとしたところで桐山が口を開いた。

「閣下」

「なんだ」

 短い言葉の交差。
 突然、桐山は紫芝に向けて敬礼をする。

「御武運をお祈りしております」

「……吉報を待て」

 それだけ言うと硬い廊下にカツカツと音を響かせて去っていった。
 桐山は――紫芝の姿が消えるまで、ずっと敬礼をしたままだった。


最終更新:2007年10月30日 19:55