第二十幕 帝國の一風景


 既に太陽も沈んで、本来ならば暗闇に支配される時間。
 だが、このインビンシブル大帝國の帝都では電気の力によって闇を打ち払い、眠らない都と化していた。


 インビンシブル大帝國
 帝都ノーブルラント
 第二工業区 第十四缶詰工場

「皆お疲れさん! 交代の時間だ!」

 工場の監督役の人間がそう言うと、今まで作業に従事していた工員たちは思い思いに身体の筋を伸ばす。
 やっと今日の仕事も終わった……。工員たちの心はそれ一つだった。
 労働制度が整えられたインビンシブル大帝國では随分と労働自体は楽になっているが、大量生産という効率化のために精神面ではかなりの苦痛だ。
 だが、それでも貴族たちに支配されていた頃よりは何十倍もマシなので誰一人として文句は言わなかった。貴族の支配を経験していない若い世代も歴史の授業でその支配の酷さを勉強しているし、国中の大人からもしつこくその事を聞いているので自分たちがどれだけ恵まれているか理解していた。

「帰りに何処か寄ってかないか?」

「いいねぇ。何処行く?」

「武闘訓練場がいい。この間、凄い奴がいたんだ。見てるだけでも面白いぜ」

「その前に晩飯の支給を貰いに行かないとダメだろ? 腹が減っていかんぜ」

 労働し終わった工員たちが交代の工員たちと、すれ違いながら話に興じる。
 内容は特に重要な事とは言えなかったが、それ故の世間話だろう。

「そういえば詳しくは知らないけど、何かお前の兄貴の噂が流れてるらしいな。何かあったのか?」

「ああ、俺の兄貴さ。今度、帝國陸軍大学に入ることになったんだよ」

「え! それ本当?!」

「凄いじゃないか! おめでとうって言っておいてくれよ!」

 興奮した様子で口々に大きな声で反応する。
 帝國陸軍大学とは名前からして分かると思うが、陸軍の士官養成学校だ。
 そういう施設はエリート中のエリートが集まるような場所であり、インビンシブル大帝國においても才能あるエリートのみが入学を許され、場合によっては皇帝の下で直接働く事ができる可能性が開けるようなところだ。
 インビンシブル大帝國の民衆にとって、皇帝陛下の下で働けるというのは名誉の極みであり、誰もが目指す事でもある。
 それに足を一歩踏み入れることに成功したというだけでも、彼らにとっては羨望の的であるとともに雲の上の人という印象なのだ。それが身近な人物に現れたのだから興奮してしまっても無理は無かった。

「わかった。言っておくよ」

「ああ、頼んだぜ!」

「それにしても、帝國陸軍大学に入学か~……もうお前の兄貴に軽く声なんてかけられないな」

「だな。未来の将軍候補に軽々しく口なんて利けないからなぁ」

 ふぅ、とそれぞれ感嘆の溜息を漏らす。

「おいおい、別にいつも通りに接してくれていいんだって」

「でも、俺はどうしても気後れしちまうぜ?」

「俺もだ。なんだか恐れ多くて声をかけにくい」

「普通に接したいのは山々だけど、なぁ」

 四人のうち三人がウンウンと頷く。
 それを一人取り残されたようになった男が怪訝そうに喋る。

「そういう風によそよそしくする方がダメだって。いつも通り自然体で接してくれた方が兄貴も喜ぶって、な?」

「ん~……そういう事なら普通にしてた方がいいのか、な?」

「そうだなぁ……いつも通りの方がいいかもな。下手すると向こうにも気を使わせるし」

「うわ、それはちょっとアレだなぁ」

 そんな事を話していると、四人のうちの誰かがグゥ~と腹を鳴らす。
 一旦、会話が停止して誰もが無言になる。すると、一人がプッと吹き出して笑い出す。
 それにつられて他の二人も笑い始め、腹を鳴らした男はただ羞恥に顔を赤くした。

「間抜けな音……」

「う、五月蝿いな! 腹が減ってるんだからしょうがねぇだろ!?」

「はいはい、それじゃあさっさと行こうか。時間も大事だし」

「ああ、急ごうぜ。ちょっと話し込みすぎたからな」

 彼らは一名を除いて互いに笑い合いながら、夜道に駆け出していった。
 夜とは思えないほどの明るさが彼らを照らし、輝かせる。
 それは電灯の明かりだけではなく、彼ら自身の若さの光からの輝きであったことだろう。

























 飛鳥島 地下兵器研究所
 科学技術総監執務室

「相変わらず身体に異常は見られない。安心していいよ」

「そうか」

 パラパラと書類を捲りながら言う氷室に短く返事を返す九条。
 何ら不自然な会話ではないが、書類を捲っている氷室もまた二十年前とその姿が変わらずに若さが保たれたままであった。
 ここにいない榊原に、この場にいる氷室と九条の二人。何故彼らが歳を取っていないか?
 その原因は九条と氷室にあった。

 九条は元の世界に帰る方法を見つけるのに極めて多大な時間が必要だと判断していた。
 そして、問題はその時間。必要な時間は数十年単位で考えないといけないと九条は結論付けていた。
 自分たちの異常性を考えればそれは納得のいくことだが、それだけの時間が経ってしまえば自分たちは耄碌した老人になりかねない。下手をすれば死んでいる。
 よって、九条は氷室に若さの維持、老化を塞き止める事を依頼した。氷室はその依頼を快く承諾し、すぐさま解答を提示した。
 氷室の提示した解答、それは『鬼三号計画』を発展させた処置を施す事であった。

 『鬼三号計画』で生み出されたものたちは自我が無い。その姿も化け物としかいえないものばかりで、ただ命令に忠実な殺戮人形であった。
 だが、彼らは圧倒的な戦闘能力を持ち、比較的新しいタイプは人間と化け物の姿を自由にスイッチする事、もしくは人間の姿のままで化け物と化す事や簡単な会話も可能であった。
 そして、特に重要なのは彼らには寿命が無い事だ。ようするに老いというものが存在しない生物なのである。
 これは常に一定の性能を維持していくために身体の中に生体分子を組み合わせて作られた機械、生体ナノマシンが入っているからである。
 その生体ナノマシンは投与されると、まず年老いていた場合、自身が最も活力が溢れた年齢となる。そして、年老いていない場合でも投与された時点で身体の成長は固定される。さらにその生体ナノマシンが身体維持に気を配るために病気にも理論上ならなくなるという恐るべき科学の結晶なのだ。
 しかし、この生体ナノマシンは人間には投与できないものだった。
 あくまで『鬼三号計画』の被検体限定のものなのだ。即ち、化け物と言えるだけの強靭な肉体がなければ使用は不可能という事だ。仮に普通の人間に使用した場合、その人物の身体は文字通りの意味で崩壊を始め、人間であった痕跡を残す事無く死に絶える事になる。
 ただ、逆に言うのなら『鬼三号計画』の被検体と同等、もしくは被検体そのものとなってその強靭な肉体を手に入れれば生体ナノマシンを使用する事が可能となるという事だ。
 しかし、被検体になれば自我が無くなり、人形になる。それでは全く意味が無い。そこで氷室の腕を見せるわけだ。
 氷室は九条に提示した――『鬼三号計画』を『発展』させた処置を施す事を。つまりは自我、自分の意思を残したままで最新タイプの化け物とする処置の事である。
 それならば何も問題無く、生体ナノマシンを使用できる。むしろ、戦闘能力の向上も見込め、良い事尽くめだ。この処置は後に『鬼人化』と名付けられている。
 但し、これは人間をやめるようなものであり、その精神的抵抗は強い。それに生体ナノマシンはエネルギー源として体内に取り込まれるタンパク質を必要とするため、人一倍タンパク質を多く含んだ食事を摂る必要がある。
 この他にも生体ナノマシンには様々な機能があるが決して万能ではない、限界はあるのだ。これを覚えていないと後々必ず後悔する事になるだろう。
 まぁ、それは兎も角、結果としては九条を初めとしてあらゆる人間がその処置を受けた。
 勿論、失敗に対する不安もあった。しかし、『鬼三号計画』の実験データを余す事無く生かしたおかげで失敗という事態は避けられた。元々、その当時でも『鬼三号計画』は既に完成している状態だったための結果であろう。

「では、城に戻る。引き続き貴様は研究を続けているように」

「言われなくとも続けますよ。それが生きがいなんですから」

 九条の言葉に苦笑気味な表情で返事を返す。
 自分は自他共に認めるマッドサイエンティスト。それが研究をしなくなったら、不気味な事この上ないでしょうに。

「わかってる。ただ言ってみただけだ」

「はいはい。……あぁ、いけないいけない。別に言っておくことがあったんだった」

「む、何かあったか?」

 怪訝そうな顔をして氷室を見る。
 その顔は面倒事は御免だぞ、と語っているようだった。

「そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。言っておく事というのは飛鳥島のドックで建造中の輸送船の事でしてね。どうにも何隻か建造ペースが遅れてるんですよ」

「……資材が足りない、もしくは作業員の不足、という事か?」

「正解。はっきり言わせてもらうのなら両方ですが、資材が足りないという方が圧倒的に大きいです。こっちの方にもっと回してくれませんかねぇ?」

「そういう事は榊原の管轄だな……しかし、一応考慮はしておく」

「有難うございます。ま、科学者の僕が輸送船の建造に気を使うなんて少しアレですけど人材不足のおかげでこの島の事務的な事の大部分を任されてしまったのですからそうも言ってはいられませんし」

「……苦労をかけてすまんな」

「いえ、暇潰し感覚でやらせてもらってますから苦労とは言えません。おっと、今の発言は聞かなかったことに。失礼極まる事ですから」

 あははは、とわざとらしい笑みを見せる氷室。
 この世で一番恐ろしい人の顔とは笑顔だろう。相手の油断を誘ったり、何を考えているか掴ませない顔だからだ。だから、その『仮面』が私は最も恐ろしい。

「では、今度こそ本当に帰らせてもらう」

「はい、それではまた会いしましょう」

 氷室は笑みを浮かべたまま、手を何度も振ってお別れの挨拶をした。
 ただ、さようならとは言わずにまた会いましょうと言っている事に何らかの意味を感じさせる。あまり深い意味ではないだろうが。
 九条も軽く手を振って、氷室に応える。そして、静かに執務室を後にした。


最終更新:2007年10月30日 20:22