第167話 海兵隊員パイパー
1484年(1944年)7月30日 午後6時 ジャスオ領エルネイル
上陸部隊の1部隊であるアメリカ海兵隊第3海兵師団は、上陸地点から約30マイル東に進んだ
ウルス・トライヌクという地点にまで進出していた。
第3海兵師団は、第3水陸両用軍第1海兵軍団の所属部隊として26日から戦い続けてきた。
第3海兵師団は上陸当日に、拠点を制圧していた陸軍の101空挺師団と合流した後、街道を進み続け、
29日にウルス・トライヌク地区に到達し、夜明けまでには同地を制圧した。
その後、第3海兵師団は補給と休養のため、31日の早朝まで、一時進撃をストップすることになった。
第3海兵師団第3戦車大隊に所属するグルジア系アメリカ人のアウストラ・ウムカシビリ曹長は、
手提げ鞄に入っているビール(急造のPXで手に入れた)を片手にタバコを吹かしながら、自らが
乗車している戦車に向かっていた。
ビールを受け取ってから5分ほど歩くと、彼は戦車のすぐ側にまで近付いていた。
戦車の側で幾人かの男が立ち話をしている。その中の1人は、彼に気付くなり、親しげな仕草で手招きした。
「おーい!早く来い!皆待ってるぞ!」
「へいよ!今行きますぜ!」
ウムカシビリ曹長は小走りで戦車に近寄った。
「パイパー少佐、ビールを調達してきました。」
彼は、手招きした男。第3戦車大隊の指揮官であるヨアヒム・パイパー少佐にビールを手渡した。
「ご苦労さん。皆にも渡してくれ。」
パイパーはウムカシビリに微笑みながら言った。
ウムカシビリとパイパーを除く3人の戦車兵は、それぞれがバドワイザーのボトルを手に取った。
この日、彼らは戦車の整備に1日を費やした。
愛用してきたM4シャーマン戦車は、上陸開始から続く連戦によって整備が必要となっていた。
そのため、パイパーはこの1日の休みを利用して、指揮下の戦車部隊に対して、徹底した整備を行うように命じていた。
彼の乗車も例外ではなく、パイパーは自らが先頭に立って、整備に当たった。
整備は5時30分頃に終わり、彼らはようやく、この日の任務から解放された。
「諸君、今日1日ご苦労だった。これで、しばらくは満足に戦えるだろう。では、明日以降の無事を
願って乾杯と行こうじゃないか。」
パイパーは、ビールのボトルを高く掲げた。
「乾杯!」
「「乾杯!!」」
パイパーの音頭と共に、彼らはビールを口に含んだ。
ヨアヒム・パイパー少佐は、元々はドイツ武装親衛隊の将校である。
1915年、ベルリンに住む軍人の家庭で生まれた彼は、士官である父に憧れ、子供の時から軍人になる事を夢見ていた。
そんな彼の夢も、1934年、19歳の時に叶うことになる。
パイパーは厳しい審査の末に、親衛隊特務部隊への入隊が決まり、19歳の時に入営した。
それからしばらく経った後、SS士官学校に選抜で入校、優秀な成績を収めて卒業し、少尉に任官した。
1938年には親衛隊最高責任者であるハインリヒ・ヒムラー長官の副官に任ぜられ、同年後半には
LAH連隊の1中隊長に任命された。
翌年9月のポーランド戦役では、その中隊の指揮官として参戦している。
後に続くフランス戦役にも、当時、旅団に昇格したLAHの一員として参加し、数々の功績を収めた。
パイパーは41年3月初めに騎士十時章を授与され、新聞には武装親衛隊の鑑であるとして写真つきで大きく報道された。
彼のドイツ軍人としての軍歴は、ようやく上げ潮に乗ったかと思われた矢先、彼はイギリス軍との戦闘で重傷を負ってしまった。
パイパーは意識不明のまま後方に移され、次に気がついたのは、負傷から3週間も経った4月12日の事であった。
それから彼は、病院での療養を余儀なくされた。
重傷を負ったパイパーであったが、8月には全快し、彼はようやく前線復帰が出来ると思っていた。
だが、そんな彼には、思いもよらぬ命令が待っていた。
その命令とは、駐米ドイツ大使館付の駐在武官に任ずるという、彼から見たらとんでもない物であった。
「前線では1人でも多くの兵隊が必要だと言うのに、上の連中は何を考えているんだ!?」
この唐突な辞令に激怒した彼は、大隊長のみならず、旅団長のパパ・ゼップ(ゼップ・ディートリッヒ)にまで
直訴したが、最後には彼も折れた。
パイパーは、気持ちを新たにし、
「こうなったら、アメリカが参戦するまで、スパイの真似事でもしてやるか」
と冗談めいた言葉を呟きながら、アメリカ勤務へと赴いた。
そんな彼にも、運命の日は訪れた。
1941年10月19日。アメリカ合衆国は、突然、異世界に召喚されてしまった。
それも、本土やアラスカに居た、外国人達も道連れに・・・・
パイパー達の誇りにしていたドイツは、アメリカが転移したことによって、完全に消えてしまったのである。
パイパーも他の武官達と同様に、ドイツ軍人としての未来が絶たれてしまった事に愕然としていた。
しかし、彼は落ち込みも激しかったが、立ち直りも素早く、アメリカが転移したという知らせから翌日には、
これからはこの国で生きていくしかないと決意を固めていた。
パイパーはアメリカ側から軍への志願を提案された時に、真っ先に頷き、彼はアメリカ軍に入隊した。
1942年3月には合衆国海兵隊に少佐として配属となった。
翌年4月には、南大陸からやってきた北大陸軍の残存軍の一部である、自由ジャスオ軍の訓練教官に任ぜられ、
自らが体験してきた機甲戦術のイロハを全て叩き込んだ。
後に、パイパーの指導を受けた自由ジャスオ軍は、第1機甲旅団として編成されている。
1944年4月に第3海兵師団に移籍となり、彼は同師団の第3戦車大隊の指揮官に任命され、上陸日には後退中の
シホールアンル軍1個大隊を包囲し、降伏させている。
その後、第3海兵師団は後退中の敵部隊と戦いながら、丘陵地帯の出口にあたるウルス・トライヌクへ到達した。
そこで、彼らは一時休養を取ることになったのである。
ひとしきりビールを飲み終えたパイパー達は、至福の表情を浮かべながら、早くも2本目のボトルを手に取っていた。
「少佐、ひとまず、明日の朝まではゆっくり眠れますな。このウルス・トライヌクは既に前線から後方の占領地に
なっていますし。」
操縦手のフラックス・リンドルマン軍曹がやせ気味の顔をほころばせて言う。
「おいおい、後方とは言っても、ここは前線から20キロも離れていないぜ?気を抜くにはまだ早いぞ。」
パイパーは首を横に振りながら、リンドルマン軍曹に注意する。
「確かに。しかし、ここ最近は、101師団の連中が頑張っていますな。今日だって、リモントンギを制圧しています。」
無線手を勤める黒人兵のウィル・ロードル伍長は、リンドルマン軍曹とは対象的な、単調な口ぶりでパイパーに言う。
「ああ。流石は空挺部隊だよ。通常の歩兵部隊と比べて、錬度は高いからな。」
「頑張っているのは空挺部隊だけではありません。中部攻撃群に属していた自由ジャスオ軍は28キロも前進しましたし、
南部攻撃群のカレアント軍やミスリアル軍等の南大陸軍も丘陵地帯の東側出入り口を制圧しています。これで、連合軍は
エルネイル地方西部をほぼ占領しました。この調子で行けば、8月までにはジャスオ領からシホット共を追い出せるかも
しれませんぜ。」
ウムカシビリ曹長は、リンドルマンほどでは無いものの、やはり楽観的な口ぶりでパイパーに言った。
エックスレイ作戦が開始されてから早4日。
アメリカ軍を始とする連合軍は、海岸地帯から東に約30キロ、南北に40キロほどの地域を完全に制圧した。
この4日間の戦闘で、シホールアンル軍は後退しながらも、果敢に戦った。
しかし、ホウロナ諸島や、洋上に展開する機動部隊から飛来する攻撃機の支援を受けた連合軍部隊は、抵抗拠点を
1つ1つ潰しながら進み続けた。
その結果、シホールアンル軍は、海岸防備部隊であった第11軍が壊滅し、第9軍も半壊状態となり、死傷者34800人、
捕虜2万以上を出す大損害を被った。
連合軍部隊の快進撃は、それまで、シホールアンル帝国の占領下にあったジャスオ領の民たちを奮起させ、連合軍は
あちこちの町や村で解放軍として歓迎された。
海兵隊も同様であり、ウルス・トライヌク地方を制圧した時は、家の中に潜んでいた住人達によって猛烈な歓迎を受けている。
連合軍部隊の将兵達は、この快進撃に誰もが楽観気分を感じ始めていた。
「さて、それはどうかな。」
だが、パイパーは冷静であった。
「今日、101師団はリモントンギを制圧したと言ったな?」
彼はロードル伍長に問う。
「はい。詳細は判りませんが。」
「俺は知っている。101師団は、リモントンギに居た敵1個大隊と戦闘を交えた。2時間の戦闘でシホールアンル軍は町から
逃げて行った。時に午前11時だ。完全武装の1個師団相手に、1個大隊が戦ったんだから、最終的に町から逃げ出すのは当然だな。」
パイパーの言葉に皆が頷く。
「だが、問題はここからだ。午後1時。101師団は休憩もそこそこに、リモントンギの町から出て西に向かった。そして、
2キロほど離れたやや緩い高地の途中で、いきなりシホールアンル側の部隊と遭遇した。戦闘はしばらく続いたが、夕方には
お互いに膠着状態となり、その後は静かな睨み合いが続いているようだ。」
「少佐。もしかして、逃げた敵さんは、応援を引き連れて町に戻ろうとしたんですか?」
「敵が応援を引き連れて、反撃に転じたのかどうかまでは、俺には判らん。」
パイパーは首を振った。
「だが、これが敵の本格的な反攻の始まり・・・・という事は、充分に考えられるな。」
シホールアンル軍は、第11軍、第9軍の残存部隊を後退させつつ、後方予備軍である第20軍や第27軍を主力に新たな前線を構築しつつある。
連合軍司令部は、シホールアンル側の正確な動向を未だに掴めていない。
しかし、上陸作戦開始から既に4日が経っている。
シホールアンル軍が体勢を立て直して、大反撃に転じる可能性は充分にあった。
「反攻の始まり・・・ですか。しかし、上陸から既に4日が経っています。敵が動き出すには、タイミングが遅いのではないですか?」
「いや、今が妥当だろう。」
パイパーは即答する。
「俺たちの進撃路は、両側に山岳地帯が聳え立っている。ここじゃあ、シホールアンル軍は火力が優勢な俺たちと、真正面から
立ち向かわねばらない。それを防ぐためには、もっと広い場所で俺たちを迎え撃つしかない。」
パイパーはこれを見てみろと言いつつ、側にあったノートに何か地図を書き始めた。
「適当に、この辺りの地図を描いたが、一番左端に居るのが俺たちだ。101師団は、ここから10キロ離れたリモントンギに居る。
ここは平野部だから、機動作戦を行うには持って来いだ。敵が反撃を仕掛けるとしたら、まず、リモントンギで決戦を挑んでくるだろう。」
「リモントンギには101師団しか居ませんからな。敵の主力部隊から見れば、まさに好機ですね。」
ウムカシビリが納得したように頷く。
「その通りだ。特に、101師団が布陣しているこの緩やかな丘は、一番進撃に適し、かつ、野砲を布陣するには都合の良い場所だ。
敵はまず、安全を確保するために、101師団を全力で排除するかもしれない。ここを取られれば、俺達は敵に進撃路を塞がれてしまう。」
パイパーは、丘の辺りをペンで小突きながら言う。
「敵の目的はまず、俺たちの進撃を止める事だ。そのためには、全力で立ち向かってくるだろう。」
彼はそう言いつつも、何故かため息を吐いた。
「なかなか、上手い作戦ですな。」
リンドルマン軍曹は、パイパーの読みに感心する。
「上手い・・・か。俺から見たら、まだ辛抱が足りないと思うがね。」
パイパーの意外な言葉に、全員が息を呑んだ。
「辛抱が足りない・・・ですか?」
「そうだ。」
彼は頷く。
「もし、俺が指揮官だったら、もうちょっと引き付けてから反撃を開始するな。無論、リスクは大きいが、敵に与える損害も大きくなる。」
彼は、ノートに何かを書き加えていく。
「要するに、ある程度纏まった敵を内陸に呼び寄せて、時機を見て包囲するんだ。これなら、いくら火力が優秀な敵とはいえ、
全周に纏まった砲火を浴びせる事は出来ない。」
「少佐。これは、ノール攻防戦で、ドイツ軍がやった機動作戦ですね?」
パイパーは我が意を得たりとばかりに頷く。
「当たりだ。あの作戦のお陰で、俺の属していたA軍集団は何とか持ち堪えられた。」
ノール攻防戦とは、1941年2月10日から20日にかけて、フランス北西部にあるノール地方で行われた戦いの呼び名である。
当時、フランス北方の作戦を担当していたA軍集団は、ベネルクス三国制圧後に行われた、11月の攻勢失敗の損害を補うため、
後方からの増援を得て、フランス北部で待機中であった。
2月時には、失われた戦力の補填も終わり、3月頃の攻勢を準備しつつあったが、2月8日に、A軍集団司令部に正面の英仏軍が
攻勢を仕掛けようとしているという思いがけぬ情報が飛び込んだ。
A軍集団司令部は、直ちに指揮下の部隊に通達した。
このため、前線に配備されていたであったドイツ第5軍は敵の奇襲を受けずに済んだ。
だが、英仏軍は3個機甲師団、2個機甲旅団、5個歩兵師団、4個歩兵旅団という大軍でもって攻め立てたため、第5軍のみでは
押し切られる可能性が高かった。
第5軍は、第4軍と共にノールを防衛している。
もしノールを取られてしまえば、A軍集団は南北に分断され、南方でB郡集団と睨み合っている英仏軍にも攻撃されれば、
ドイツ側の戦線は大きく後退する危険がある。
やり方を間違えれば、ドイツ軍はフランス領から叩き出されてしまう。
だが、それを防ぐ手段は既に準備されていた。
前任者に代わって、新しいA軍集団の指揮官に任ぜられたエーリッヒ・マンシュタイン大将は、ノール防衛の第5軍並びに
第4軍に対してすぐさま後退するように命じた。
この後退命令を受けた第5、第4軍は後退を開始し、進撃してきたフランス軍は、後衛部隊と交戦しつつも、
13日にはノール地方デナインに到達した。
英仏軍がノールに突入してから5日目の2月14日。
ドイツ側のとある通信部隊が、敵軍の車両部隊が燃料の補給を催促している通信を傍受した。
マンシュタインは好機と捉え、撤退すると思わせて、密かに敵の側面に展開させていた第4軍に行動開始を命じた。
第7装甲師団を始めとする第4軍の各隊は、2月14日早朝、空軍の援護の下、事前の計画通りに英仏軍の側面に猛攻を加えた。
目前の第5軍を追い詰めていたと思い込んでいた英仏軍は、第4軍の思わぬ攻撃の前に半ば混乱状態に陥った。
14日正午には、第7装甲師団の先頭大隊と、LAH旅団の先頭中隊が出会い、ノールに侵入してきた英仏軍を完全に包囲した。
戦闘は19日夜半まで続き、ドイツ軍、英仏軍共に激戦を繰り広げた。
20日早朝。A軍集団の隷下部隊に完全に包囲された英仏軍は、弾薬、糧食が完全に切れ、遂に降伏した。
英仏軍は、この攻勢の失敗によって死傷者、捕虜12万名以上、損失、鹵獲車両2000両以上という大損害を被り、攻撃を指揮
していたクロード・オーキンレック英軍大将も捕虜となった。
ドイツ軍は奇跡とも言える機動戦術で敵の大軍を包囲殲滅し、見事危機を乗り切ったのである。
だが、ドイツ側も損害は大きく、死傷者数は総計で3万名にも上った。特に、ノール攻防戦で一番の活躍をした“幽霊師団”こと、
第7装甲師団は全軍の中で損害が最も大きく、全体で4割の損耗を被り、師団司令部もフランス軍機の空襲を受けて壊滅している。
とはいえ、A軍集団はこの大勝利によって、フランス北西部での主導権を握る事になった。
パイパーは、ノール攻防戦で挙げた功績で、41年3月1日に騎士十時章を授与されている。
「なるほど。引き寄せてから一気に包み込む、って訳ですか。こりゃ、やるほうは気持ち良いですが、やられた方は悪夢ですね。」
「まっ、タイミングが合わなければ各個撃破されるがね。」
パイパーは苦笑を浮かべながらウムカシビリに答える。
「しかし、俺が言った機動戦法だが、あれは今ほど、航空兵力が強力ではないから出来た事だ。イギリスはアメリカ軍のように、
いくら叩いても落ちんB-17を持っていなかったし、戦闘機の性能も今と違ってやや古かった。もし、俺が敵の指揮官で、
例の戦術を行っても、空からしきりに妨害されて思うように出来なかっただろうな。」
「確かに。」
装填手のフェルト・パルテノウ伍長が頷く。
「ホウロナ諸島には陸軍航空隊が居ますし、洋上には第3艦隊の機動部隊が居ます。シホット共の航空部隊も未だにうじゃうじゃ
居ますが、味方はそれ以上です。いくら敵の地上部隊が上手く動いても、必ず多数の攻撃機が襲い掛かってくるでしょうね。」
「ああ。俺としては、第3艦隊が沖に陣取っているせいか、航空支援の密度が濃くなった気がする。」
パイパーは脳裏に、輸送船の甲板から見た第3艦隊の艨艟群を思い浮かべる。
長大な甲板を持つエセックス級正規空母や、小振りながらも有力な戦力として重宝されているインディペンデンス級軽空母、
それに護衛の新鋭戦艦や巡洋艦、駆逐艦が隊形を組みながら航行していく様はまさに圧巻であった。
彼の生まれ故郷であるドイツも、列強各国の海軍に対抗して大規模な建艦計画を用意していたと聞いている。
Z計画と呼ばれるその建艦計画では、1945年末までに空母4隻、戦艦6隻、巡洋戦艦4隻、装甲艦12隻、巡洋艦6隻、
駆逐艦60隻が建造される予定であった。
だが、アメリカは1944年の時点で、主力だけでも20隻以上の高速空母に30隻以上の護衛空母、10隻の戦艦と
4隻の巡洋戦艦を竣工し、作戦行動を行わせている。
巡洋艦、駆逐艦は数えるだけでも嫌になるほどの桁外れの数字であり、潜水艦ですら大量建造、大量竣工という有様である。
ドイツZ計画の戦力と比べると、2倍どころか、3倍以上もの戦力差である。
これだけでも圧倒的なのに、アメリカは更に複数の正規空母や戦艦を完成させつつある。
(もし、アメリカがこのまま元の世界に残り、ドイツと戦っていたら、恐ろしい事になっていただろうな。)
パイパーはそこまで考えてから、深いため息を吐く。
彼は、アメリカがこの世界に呼ばれたことを、心の底から感謝していた。
「頼れる味方が付いてるんですから、明日以降もサクサク進めますよ。」
「本当に、お前たちは楽観的だなあ。」
パイパーは、楽観気分が拭えない部下の戦車兵達に呆れつつも、内心ではそれも仕方ないかと思った。
「おい、今何時だ?」
「6時30分です。」
ウムカシビリに聞かれたパルテノウが、時計が指していた時刻を見、彼に教える。
「ラジオでも聞こうか。おい、無線機の点検だ、急げ。」
パイパーはおどけた口調で言いながら、ロードル伍長の肩を叩いた。
ロードル伍長は苦笑しながらイエス・サーと答えつつ、戦車の中に入っていく。
やがて、無線機から朗らかな歌声が聞こえ始めた。
「お、歌が流れ始めているな。」
彼は頬を緩める。
「リリー・マルレーンですな。いつ聞いてもいい歌だ。」
ウムカシビリが微笑みながらパイパーに言った。
リリー・マルレーンは元々、ドイツの歌であったが、あまり広く知られては居なかった。
第2次大戦中、ドイツ軍の一将校がラジオ局で放送したところ、たちまちのうちに流行歌となり、しまいには英仏軍にも広まった。
アメリカではドイツ出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒが1482年9月に、ヴィルフレイング慰問の際に
行われたライブで歌った後、そのシンプルながらも、よく作られた歌詞がたちまち人気となり、その年の末にはアメリカ本国でも
流行歌として頻繁にラジオで流された。
この歌は南大陸各国にも広まり、ここ最近では、収容所にいるシホールアンル軍捕虜の中にも、リリー・マルレーンを口ずさむ者が
増えているという。
ちなみに、最近のアメリカ軍ではアイ・ウィルビー・シーやグッドナイト・アイリーンといった曲に人気が出始めているが、
やはりリリー・マルレーンも人気は高い。
「いとしの~、リリーマルレーン・・・・」
気が付くと、彼らは歌詞を口ずさんでいた。歌声は彼らのみならず、他の野営地からも響いていた。
「ふぅ、やはり、リリー・マルレーンはいい曲だ。1日の終わりにこれを聞くと、今日も生き残ったなぁと実感できる。」
パイパーはしみじみとした顔つきで独語する。
フランス戦の頃はよく聞いていた。何度も聞いたが、不思議にも飽きなかった。
「この曲を聴くと、癒されていると感じますね。」
「こいつはもともと、そういう曲だよ。」
ウムカシビリの呟きに、パイパーは笑みを浮かべながら答えた。
「どんな目にあっても、これを聴けば、嫌なことなんざ吹っ飛んじまう。いままでもそうだった。これからも、この曲は
人の心を癒し続けていくだろうな。」
1484年(1944年)7月30日 午後8時 ジャスオ領レンケリミント
前線のあるウルス・トライヌクより西方25ゼルド(75キロ)離れた場所にあるレンケリミント市の中心部には、
急遽展開したシホールアンル陸軍第20軍の司令部が置かれていた。
その司令部の作戦室では、6人の男女が机の周りに立ち、机に広げられた地図を見つめている。
「やはり・・・・ここの敵部隊を取り除かねば、各師団の足並みは揃いません。」
第20軍主任魔道参謀であるレーミア・パームル大佐は、険しい顔つきで、同じく地図を見つめている
ムラウク・ライバスツ中将に結論を述べた。
「俺もそう思う。でなければ、テイマート閣下の言われたとおりに敵を押し返せないからな。」
ライバスツはそこまで言ってから、天井に顔を向ける。
「もっとも、私としては君が以前提案した作戦案を取り入れたかったのだが・・・・上からの命令とあれば致し方あるまい。」
彼は大きなため息を吐いた。
ライバスツの率いる第20軍は、昨日の未明までには部隊の展開を終えていた。
第20軍の北には、同じ後方予備軍でもある第27軍も配置しており、温存されていたシホールアンル軍部隊は、
テイマートの提案した作戦案の通りに動いている。
ジャスオ領中部方面軍司令官であるテイマート大将は、後方予備軍である第20軍と第27軍を主力に、山岳地帯から
抜け出てきたアメリカ軍に攻撃を仕掛け、大損害を負わせて山岳地帯の間にある地峡部に押し込むという作戦を考えた。
この作戦には、2個の後方予備軍の他に、第11軍や第9軍の残余も参加するほか、航空部隊も多数加わる事になっている。
テイマートは、陸空一体の共同作戦でもって、米軍に大損害を与えられると確信していた。
しかし、そんな彼の作戦を気に食わないと公言した将校がいた。
その将校こそ、第20軍の主任魔道参謀であるパームル大佐であった。
パームル大佐は、3日前の作戦会議で自らの案を披露した。
パームル大佐の考えは、まず、敵を事前に前線として定める予定であったリモントンギから、一気に5ゼルドも離れた後方の
ウリスルトルグまで前進させる。
その間、敵の前進部隊には、補給が成った第11軍や第9軍の残余を置き、抵抗しながらゆっくりと後退させる。
無論、犠牲は大きいだろうが、それは敵とて同じである。
第11軍並びに、第9軍の残余部隊は壊滅しないように注意を払いつつ、ウリスルトルグまで後退したら、後は一目散に後方に逃げる。
そして、アメリカ軍はウリスルトルグを制圧する。作戦開始からウリスルトルグまで後退するには最低でも4日、最高で5日を
費やす様にし、その間、ワイバーン隊は敵の補給部隊を重点的に攻撃して、アメリカ軍の補給を絶つ。
補給路は完全に絶てはしないだろうが、それでもダメージは残るはずである。
そして、敵がウリスルトルグまで達した所で、第20軍や第27軍が側面から攻撃し、アメリカ軍を包囲殲滅する。
これが、パームル大佐の考えた作戦案だった。
彼女の考えは、多分に戦車の機動戦を参考にしていたが、パームルはストーンゴーレムが大々的に機動作戦を行うとしたら、
ウリスルトルグ近郊が最適であると確信していた。
それに対し、テイマートの考えた案では、作戦区域はリモントンギ周辺に定められる。
リモントンギ周辺では、歩行式であるストーンゴーレムでは通りにくい未確認の湿地帯が多数あり、進撃路は頑丈な
地形のある場所に限られる。
テイマートは、すぐにでもアメリカ軍を追い返したい一身で、反撃部隊の配置を前進させたのだが、それが、石甲師団の
機動性を削ぐと言う結果に終わってしまった。
パームル大佐は、ライバスツの援護射撃を受けて、なんとかテイマートに考え直してはどうかと言ったが、テイマートは頑として譲らなかった。
渋々、第20軍はテイマートの命令通り、指揮下の部隊をリモントンギから10ゼルドの場所に配備した。
しかし、これだけでは不十分だと考えたライバスツは、密かに第123石甲師団の一部(歩兵部隊が中心)をリモントンギ向かわせた。
その命令を下したのは、今日の早朝であった。
それから2時間後に、リモントンギが敵の歩兵部隊の急襲に合い、陥落したという報告が飛び込んだ。
リモントンギには第9軍に属している第51歩兵師団の1個大隊が守備についていたが、この1個大隊はわずか2時間の戦闘で町からたたき出された。
ライバスツはすぐに123師団から送った部隊をリモントンギに向かわせたが、部隊が逃げ出してきた51師団の部隊と合流し、
リモントンギまであと1000グレルまで迫った時、彼らはアメリカ軍と鉢合わせしてしまった。
すぐさま銃撃戦が繰り広げられたが、すぐにこう着状態となり、今では互いに睨み合っているだけとなっている。
その厄介なアメリカ軍が居座っている場所は、不運にも、テイマートが事前に進撃路として定めていた場所であった。
「命令に従った結果がこれだ。定められた数少ない進撃路の中で、最も重要な筈の道が、いきなり現れた敵さんによって
阻まれてしまった。これでは、反撃を開始する前にこっちが出鼻を挫かれた事になる。今頃、テイマート閣下は、敵に先手を
打たれたと悔しがっているだろうな。」
「しかし、攻撃命令が出ている以上、我々もやらなければいけません。」
参謀長が強張った口調でライバスツに言う。
「幸い、リモントンギの敵部隊は多くても歩兵2個師団程度です。対して、我々は4個師団並びに、2個旅団を用意しています。
それに、戦場は平らな草原地帯ではありませんから、敵の火力も、通常時と比べて全力を発揮できないしょう。」
「しかし、進撃路が限定されている事も忘れてはいけません。互いに足枷をつけられたまま戦いに望むと考えてもおかしくはありませんよ。」
パームル大佐が戒めるように言う。
「確かに。双方とも、いつも通りの力を発揮できないわけだ。」
「閣下。私としては、事前にワイバーン隊によって、対峙している敵地上部隊を奇襲攻撃し、抵抗力を削いだ方が良いと考えているのですが。」
作戦参謀が発言する。
「いくら寡兵とはいえど、相手は米軍です。奴らを打ち負かすには、まず航空攻撃で痛打を浴びせてから、じっくりと仕上げた方が良いかと。」
「奇襲なんて出来るわけが無い。」
パームル大佐はあっさりと切り捨てた。
「あなたは報告書を読まなかったの?アメリカ軍はレーダーと呼ばれる探知兵器を大々的に活用している。一部には、レーダーを搭載した
夜間飛空挺が、夜間爆撃にやって来たワイバーンを迎撃してきたという情報もある。そんな相手に奇襲攻撃を仕掛けても意味は無いわ。」
「パームル大佐の言うとおりだな。」
ライバスツも同意する。
「敵に奇襲は通用しない。攻撃するのならば、それこそ、一気に畳み掛けて、敵を蹴散らすしかあるまい。まずは、丘の斜面に陣取っている
アメリカ軍部隊を全力で叩き潰すことに集中しよう。こいつらを退かさん限り、作戦は成功しない。」
(最も、俺としてはこの作戦そのものが危ういと思うのだが)
ライバスツは、最後の一言は口に出さなかった。
とにもかくも、第20軍司令部の意見はようやく纏まった。
作戦決行は翌日早朝。
シホールアンル軍の最初の獲物は、丘の斜面に陣取る忌々しい歩兵部隊。
101空挺師団であった。
1484年(1944年)7月30日 午後6時 ジャスオ領エルネイル
上陸部隊の1部隊であるアメリカ海兵隊第3海兵師団は、上陸地点から約30マイル東に進んだ
ウルス・トライヌクという地点にまで進出していた。
第3海兵師団は、第3水陸両用軍第1海兵軍団の所属部隊として26日から戦い続けてきた。
第3海兵師団は上陸当日に、拠点を制圧していた陸軍の101空挺師団と合流した後、街道を進み続け、
29日にウルス・トライヌク地区に到達し、夜明けまでには同地を制圧した。
その後、第3海兵師団は補給と休養のため、31日の早朝まで、一時進撃をストップすることになった。
第3海兵師団第3戦車大隊に所属するグルジア系アメリカ人のアウストラ・ウムカシビリ曹長は、
手提げ鞄に入っているビール(急造のPXで手に入れた)を片手にタバコを吹かしながら、自らが
乗車している戦車に向かっていた。
ビールを受け取ってから5分ほど歩くと、彼は戦車のすぐ側にまで近付いていた。
戦車の側で幾人かの男が立ち話をしている。その中の1人は、彼に気付くなり、親しげな仕草で手招きした。
「おーい!早く来い!皆待ってるぞ!」
「へいよ!今行きますぜ!」
ウムカシビリ曹長は小走りで戦車に近寄った。
「パイパー少佐、ビールを調達してきました。」
彼は、手招きした男。第3戦車大隊の指揮官であるヨアヒム・パイパー少佐にビールを手渡した。
「ご苦労さん。皆にも渡してくれ。」
パイパーはウムカシビリに微笑みながら言った。
ウムカシビリとパイパーを除く3人の戦車兵は、それぞれがバドワイザーのボトルを手に取った。
この日、彼らは戦車の整備に1日を費やした。
愛用してきたM4シャーマン戦車は、上陸開始から続く連戦によって整備が必要となっていた。
そのため、パイパーはこの1日の休みを利用して、指揮下の戦車部隊に対して、徹底した整備を行うように命じていた。
彼の乗車も例外ではなく、パイパーは自らが先頭に立って、整備に当たった。
整備は5時30分頃に終わり、彼らはようやく、この日の任務から解放された。
「諸君、今日1日ご苦労だった。これで、しばらくは満足に戦えるだろう。では、明日以降の無事を
願って乾杯と行こうじゃないか。」
パイパーは、ビールのボトルを高く掲げた。
「乾杯!」
「「乾杯!!」」
パイパーの音頭と共に、彼らはビールを口に含んだ。
ヨアヒム・パイパー少佐は、元々はドイツ武装親衛隊の将校である。
1915年、ベルリンに住む軍人の家庭で生まれた彼は、士官である父に憧れ、子供の時から軍人になる事を夢見ていた。
そんな彼の夢も、1934年、19歳の時に叶うことになる。
パイパーは厳しい審査の末に、親衛隊特務部隊への入隊が決まり、19歳の時に入営した。
それからしばらく経った後、SS士官学校に選抜で入校、優秀な成績を収めて卒業し、少尉に任官した。
1938年には親衛隊最高責任者であるハインリヒ・ヒムラー長官の副官に任ぜられ、同年後半には
LAH連隊の1中隊長に任命された。
翌年9月のポーランド戦役では、その中隊の指揮官として参戦している。
後に続くフランス戦役にも、当時、旅団に昇格したLAHの一員として参加し、数々の功績を収めた。
パイパーは41年3月初めに騎士十時章を授与され、新聞には武装親衛隊の鑑であるとして写真つきで大きく報道された。
彼のドイツ軍人としての軍歴は、ようやく上げ潮に乗ったかと思われた矢先、彼はイギリス軍との戦闘で重傷を負ってしまった。
パイパーは意識不明のまま後方に移され、次に気がついたのは、負傷から3週間も経った4月12日の事であった。
それから彼は、病院での療養を余儀なくされた。
重傷を負ったパイパーであったが、8月には全快し、彼はようやく前線復帰が出来ると思っていた。
だが、そんな彼には、思いもよらぬ命令が待っていた。
その命令とは、駐米ドイツ大使館付の駐在武官に任ずるという、彼から見たらとんでもない物であった。
「前線では1人でも多くの兵隊が必要だと言うのに、上の連中は何を考えているんだ!?」
この唐突な辞令に激怒した彼は、大隊長のみならず、旅団長のパパ・ゼップ(ゼップ・ディートリッヒ)にまで
直訴したが、最後には彼も折れた。
パイパーは、気持ちを新たにし、
「こうなったら、アメリカが参戦するまで、スパイの真似事でもしてやるか」
と冗談めいた言葉を呟きながら、アメリカ勤務へと赴いた。
そんな彼にも、運命の日は訪れた。
1941年10月19日。アメリカ合衆国は、突然、異世界に召喚されてしまった。
それも、本土やアラスカに居た、外国人達も道連れに・・・・
パイパー達の誇りにしていたドイツは、アメリカが転移したことによって、完全に消えてしまったのである。
パイパーも他の武官達と同様に、ドイツ軍人としての未来が絶たれてしまった事に愕然としていた。
しかし、彼は落ち込みも激しかったが、立ち直りも素早く、アメリカが転移したという知らせから翌日には、
これからはこの国で生きていくしかないと決意を固めていた。
パイパーはアメリカ側から軍への志願を提案された時に、真っ先に頷き、彼はアメリカ軍に入隊した。
1942年3月には合衆国海兵隊に少佐として配属となった。
翌年4月には、南大陸からやってきた北大陸軍の残存軍の一部である、自由ジャスオ軍の訓練教官に任ぜられ、
自らが体験してきた機甲戦術のイロハを全て叩き込んだ。
後に、パイパーの指導を受けた自由ジャスオ軍は、第1機甲旅団として編成されている。
1944年4月に第3海兵師団に移籍となり、彼は同師団の第3戦車大隊の指揮官に任命され、上陸日には後退中の
シホールアンル軍1個大隊を包囲し、降伏させている。
その後、第3海兵師団は後退中の敵部隊と戦いながら、丘陵地帯の出口にあたるウルス・トライヌクへ到達した。
そこで、彼らは一時休養を取ることになったのである。
ひとしきりビールを飲み終えたパイパー達は、至福の表情を浮かべながら、早くも2本目のボトルを手に取っていた。
「少佐、ひとまず、明日の朝まではゆっくり眠れますな。このウルス・トライヌクは既に前線から後方の占領地に
なっていますし。」
操縦手のフラックス・リンドルマン軍曹がやせ気味の顔をほころばせて言う。
「おいおい、後方とは言っても、ここは前線から20キロも離れていないぜ?気を抜くにはまだ早いぞ。」
パイパーは首を横に振りながら、リンドルマン軍曹に注意する。
「確かに。しかし、ここ最近は、101師団の連中が頑張っていますな。今日だって、リモントンギを制圧しています。」
無線手を勤める黒人兵のウィル・ロードル伍長は、リンドルマン軍曹とは対象的な、単調な口ぶりでパイパーに言う。
「ああ。流石は空挺部隊だよ。通常の歩兵部隊と比べて、錬度は高いからな。」
「頑張っているのは空挺部隊だけではありません。中部攻撃群に属していた自由ジャスオ軍は28キロも前進しましたし、
南部攻撃群のカレアント軍やミスリアル軍等の南大陸軍も丘陵地帯の東側出入り口を制圧しています。これで、連合軍は
エルネイル地方西部をほぼ占領しました。この調子で行けば、8月までにはジャスオ領からシホット共を追い出せるかも
しれませんぜ。」
ウムカシビリ曹長は、リンドルマンほどでは無いものの、やはり楽観的な口ぶりでパイパーに言った。
エックスレイ作戦が開始されてから早4日。
アメリカ軍を始とする連合軍は、海岸地帯から東に約30キロ、南北に40キロほどの地域を完全に制圧した。
この4日間の戦闘で、シホールアンル軍は後退しながらも、果敢に戦った。
しかし、ホウロナ諸島や、洋上に展開する機動部隊から飛来する攻撃機の支援を受けた連合軍部隊は、抵抗拠点を
1つ1つ潰しながら進み続けた。
その結果、シホールアンル軍は、海岸防備部隊であった第11軍が壊滅し、第9軍も半壊状態となり、死傷者34800人、
捕虜2万以上を出す大損害を被った。
連合軍部隊の快進撃は、それまで、シホールアンル帝国の占領下にあったジャスオ領の民たちを奮起させ、連合軍は
あちこちの町や村で解放軍として歓迎された。
海兵隊も同様であり、ウルス・トライヌク地方を制圧した時は、家の中に潜んでいた住人達によって猛烈な歓迎を受けている。
連合軍部隊の将兵達は、この快進撃に誰もが楽観気分を感じ始めていた。
「さて、それはどうかな。」
だが、パイパーは冷静であった。
「今日、101師団はリモントンギを制圧したと言ったな?」
彼はロードル伍長に問う。
「はい。詳細は判りませんが。」
「俺は知っている。101師団は、リモントンギに居た敵1個大隊と戦闘を交えた。2時間の戦闘でシホールアンル軍は町から
逃げて行った。時に午前11時だ。完全武装の1個師団相手に、1個大隊が戦ったんだから、最終的に町から逃げ出すのは当然だな。」
パイパーの言葉に皆が頷く。
「だが、問題はここからだ。午後1時。101師団は休憩もそこそこに、リモントンギの町から出て西に向かった。そして、
2キロほど離れたやや緩い高地の途中で、いきなりシホールアンル側の部隊と遭遇した。戦闘はしばらく続いたが、夕方には
お互いに膠着状態となり、その後は静かな睨み合いが続いているようだ。」
「少佐。もしかして、逃げた敵さんは、応援を引き連れて町に戻ろうとしたんですか?」
「敵が応援を引き連れて、反撃に転じたのかどうかまでは、俺には判らん。」
パイパーは首を振った。
「だが、これが敵の本格的な反攻の始まり・・・・という事は、充分に考えられるな。」
シホールアンル軍は、第11軍、第9軍の残存部隊を後退させつつ、後方予備軍である第20軍や第27軍を主力に新たな前線を構築しつつある。
連合軍司令部は、シホールアンル側の正確な動向を未だに掴めていない。
しかし、上陸作戦開始から既に4日が経っている。
シホールアンル軍が体勢を立て直して、大反撃に転じる可能性は充分にあった。
「反攻の始まり・・・ですか。しかし、上陸から既に4日が経っています。敵が動き出すには、タイミングが遅いのではないですか?」
「いや、今が妥当だろう。」
パイパーは即答する。
「俺たちの進撃路は、両側に山岳地帯が聳え立っている。ここじゃあ、シホールアンル軍は火力が優勢な俺たちと、真正面から
立ち向かわねばらない。それを防ぐためには、もっと広い場所で俺たちを迎え撃つしかない。」
パイパーはこれを見てみろと言いつつ、側にあったノートに何か地図を書き始めた。
「適当に、この辺りの地図を描いたが、一番左端に居るのが俺たちだ。101師団は、ここから10キロ離れたリモントンギに居る。
ここは平野部だから、機動作戦を行うには持って来いだ。敵が反撃を仕掛けるとしたら、まず、リモントンギで決戦を挑んでくるだろう。」
「リモントンギには101師団しか居ませんからな。敵の主力部隊から見れば、まさに好機ですね。」
ウムカシビリが納得したように頷く。
「その通りだ。特に、101師団が布陣しているこの緩やかな丘は、一番進撃に適し、かつ、野砲を布陣するには都合の良い場所だ。
敵はまず、安全を確保するために、101師団を全力で排除するかもしれない。ここを取られれば、俺達は敵に進撃路を塞がれてしまう。」
パイパーは、丘の辺りをペンで小突きながら言う。
「敵の目的はまず、俺たちの進撃を止める事だ。そのためには、全力で立ち向かってくるだろう。」
彼はそう言いつつも、何故かため息を吐いた。
「なかなか、上手い作戦ですな。」
リンドルマン軍曹は、パイパーの読みに感心する。
「上手い・・・か。俺から見たら、まだ辛抱が足りないと思うがね。」
パイパーの意外な言葉に、全員が息を呑んだ。
「辛抱が足りない・・・ですか?」
「そうだ。」
彼は頷く。
「もし、俺が指揮官だったら、もうちょっと引き付けてから反撃を開始するな。無論、リスクは大きいが、敵に与える損害も大きくなる。」
彼は、ノートに何かを書き加えていく。
「要するに、ある程度纏まった敵を内陸に呼び寄せて、時機を見て包囲するんだ。これなら、いくら火力が優秀な敵とはいえ、
全周に纏まった砲火を浴びせる事は出来ない。」
「少佐。これは、ノール攻防戦で、ドイツ軍がやった機動作戦ですね?」
パイパーは我が意を得たりとばかりに頷く。
「当たりだ。あの作戦のお陰で、俺の属していたA軍集団は何とか持ち堪えられた。」
ノール攻防戦とは、1941年2月10日から20日にかけて、フランス北西部にあるノール地方で行われた戦いの呼び名である。
当時、フランス北方の作戦を担当していたA軍集団は、ベネルクス三国制圧後に行われた、11月の攻勢失敗の損害を補うため、
後方からの増援を得て、フランス北部で待機中であった。
2月時には、失われた戦力の補填も終わり、3月頃の攻勢を準備しつつあったが、2月8日に、A軍集団司令部に正面の英仏軍が
攻勢を仕掛けようとしているという思いがけぬ情報が飛び込んだ。
A軍集団司令部は、直ちに指揮下の部隊に通達した。
このため、前線に配備されていたであったドイツ第5軍は敵の奇襲を受けずに済んだ。
だが、英仏軍は3個機甲師団、2個機甲旅団、5個歩兵師団、4個歩兵旅団という大軍でもって攻め立てたため、第5軍のみでは
押し切られる可能性が高かった。
第5軍は、第4軍と共にノールを防衛している。
もしノールを取られてしまえば、A軍集団は南北に分断され、南方でB郡集団と睨み合っている英仏軍にも攻撃されれば、
ドイツ側の戦線は大きく後退する危険がある。
やり方を間違えれば、ドイツ軍はフランス領から叩き出されてしまう。
だが、それを防ぐ手段は既に準備されていた。
前任者に代わって、新しいA軍集団の指揮官に任ぜられたエーリッヒ・マンシュタイン大将は、ノール防衛の第5軍並びに
第4軍に対してすぐさま後退するように命じた。
この後退命令を受けた第5、第4軍は後退を開始し、進撃してきたフランス軍は、後衛部隊と交戦しつつも、
13日にはノール地方デナインに到達した。
英仏軍がノールに突入してから5日目の2月14日。
ドイツ側のとある通信部隊が、敵軍の車両部隊が燃料の補給を催促している通信を傍受した。
マンシュタインは好機と捉え、撤退すると思わせて、密かに敵の側面に展開させていた第4軍に行動開始を命じた。
第7装甲師団を始めとする第4軍の各隊は、2月14日早朝、空軍の援護の下、事前の計画通りに英仏軍の側面に猛攻を加えた。
目前の第5軍を追い詰めていたと思い込んでいた英仏軍は、第4軍の思わぬ攻撃の前に半ば混乱状態に陥った。
14日正午には、第7装甲師団の先頭大隊と、LAH旅団の先頭中隊が出会い、ノールに侵入してきた英仏軍を完全に包囲した。
戦闘は19日夜半まで続き、ドイツ軍、英仏軍共に激戦を繰り広げた。
20日早朝。A軍集団の隷下部隊に完全に包囲された英仏軍は、弾薬、糧食が完全に切れ、遂に降伏した。
英仏軍は、この攻勢の失敗によって死傷者、捕虜12万名以上、損失、鹵獲車両2000両以上という大損害を被り、攻撃を指揮
していたクロード・オーキンレック英軍大将も捕虜となった。
ドイツ軍は奇跡とも言える機動戦術で敵の大軍を包囲殲滅し、見事危機を乗り切ったのである。
だが、ドイツ側も損害は大きく、死傷者数は総計で3万名にも上った。特に、ノール攻防戦で一番の活躍をした“幽霊師団”こと、
第7装甲師団は全軍の中で損害が最も大きく、全体で4割の損耗を被り、師団司令部もフランス軍機の空襲を受けて壊滅している。
とはいえ、A軍集団はこの大勝利によって、フランス北西部での主導権を握る事になった。
パイパーは、ノール攻防戦で挙げた功績で、41年3月1日に騎士十時章を授与されている。
「なるほど。引き寄せてから一気に包み込む、って訳ですか。こりゃ、やるほうは気持ち良いですが、やられた方は悪夢ですね。」
「まっ、タイミングが合わなければ各個撃破されるがね。」
パイパーは苦笑を浮かべながらウムカシビリに答える。
「しかし、俺が言った機動戦法だが、あれは今ほど、航空兵力が強力ではないから出来た事だ。イギリスはアメリカ軍のように、
いくら叩いても落ちんB-17を持っていなかったし、戦闘機の性能も今と違ってやや古かった。もし、俺が敵の指揮官で、
例の戦術を行っても、空からしきりに妨害されて思うように出来なかっただろうな。」
「確かに。」
装填手のフェルト・パルテノウ伍長が頷く。
「ホウロナ諸島には陸軍航空隊が居ますし、洋上には第3艦隊の機動部隊が居ます。シホット共の航空部隊も未だにうじゃうじゃ
居ますが、味方はそれ以上です。いくら敵の地上部隊が上手く動いても、必ず多数の攻撃機が襲い掛かってくるでしょうね。」
「ああ。俺としては、第3艦隊が沖に陣取っているせいか、航空支援の密度が濃くなった気がする。」
パイパーは脳裏に、輸送船の甲板から見た第3艦隊の艨艟群を思い浮かべる。
長大な甲板を持つエセックス級正規空母や、小振りながらも有力な戦力として重宝されているインディペンデンス級軽空母、
それに護衛の新鋭戦艦や巡洋艦、駆逐艦が隊形を組みながら航行していく様はまさに圧巻であった。
彼の生まれ故郷であるドイツも、列強各国の海軍に対抗して大規模な建艦計画を用意していたと聞いている。
Z計画と呼ばれるその建艦計画では、1945年末までに空母4隻、戦艦6隻、巡洋戦艦4隻、装甲艦12隻、巡洋艦6隻、
駆逐艦60隻が建造される予定であった。
だが、アメリカは1944年の時点で、主力だけでも20隻以上の高速空母に30隻以上の護衛空母、10隻の戦艦と
4隻の巡洋戦艦を竣工し、作戦行動を行わせている。
巡洋艦、駆逐艦は数えるだけでも嫌になるほどの桁外れの数字であり、潜水艦ですら大量建造、大量竣工という有様である。
ドイツZ計画の戦力と比べると、2倍どころか、3倍以上もの戦力差である。
これだけでも圧倒的なのに、アメリカは更に複数の正規空母や戦艦を完成させつつある。
(もし、アメリカがこのまま元の世界に残り、ドイツと戦っていたら、恐ろしい事になっていただろうな。)
パイパーはそこまで考えてから、深いため息を吐く。
彼は、アメリカがこの世界に呼ばれたことを、心の底から感謝していた。
「頼れる味方が付いてるんですから、明日以降もサクサク進めますよ。」
「本当に、お前たちは楽観的だなあ。」
パイパーは、楽観気分が拭えない部下の戦車兵達に呆れつつも、内心ではそれも仕方ないかと思った。
「おい、今何時だ?」
「6時30分です。」
ウムカシビリに聞かれたパルテノウが、時計が指していた時刻を見、彼に教える。
「ラジオでも聞こうか。おい、無線機の点検だ、急げ。」
パイパーはおどけた口調で言いながら、ロードル伍長の肩を叩いた。
ロードル伍長は苦笑しながらイエス・サーと答えつつ、戦車の中に入っていく。
やがて、無線機から朗らかな歌声が聞こえ始めた。
「お、歌が流れ始めているな。」
彼は頬を緩める。
「リリー・マルレーンですな。いつ聞いてもいい歌だ。」
ウムカシビリが微笑みながらパイパーに言った。
リリー・マルレーンは元々、ドイツの歌であったが、あまり広く知られては居なかった。
第2次大戦中、ドイツ軍の一将校がラジオ局で放送したところ、たちまちのうちに流行歌となり、しまいには英仏軍にも広まった。
アメリカではドイツ出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒが1482年9月に、ヴィルフレイング慰問の際に
行われたライブで歌った後、そのシンプルながらも、よく作られた歌詞がたちまち人気となり、その年の末にはアメリカ本国でも
流行歌として頻繁にラジオで流された。
この歌は南大陸各国にも広まり、ここ最近では、収容所にいるシホールアンル軍捕虜の中にも、リリー・マルレーンを口ずさむ者が
増えているという。
ちなみに、最近のアメリカ軍ではアイ・ウィルビー・シーやグッドナイト・アイリーンといった曲に人気が出始めているが、
やはりリリー・マルレーンも人気は高い。
「いとしの~、リリーマルレーン・・・・」
気が付くと、彼らは歌詞を口ずさんでいた。歌声は彼らのみならず、他の野営地からも響いていた。
「ふぅ、やはり、リリー・マルレーンはいい曲だ。1日の終わりにこれを聞くと、今日も生き残ったなぁと実感できる。」
パイパーはしみじみとした顔つきで独語する。
フランス戦の頃はよく聞いていた。何度も聞いたが、不思議にも飽きなかった。
「この曲を聴くと、癒されていると感じますね。」
「こいつはもともと、そういう曲だよ。」
ウムカシビリの呟きに、パイパーは笑みを浮かべながら答えた。
「どんな目にあっても、これを聴けば、嫌なことなんざ吹っ飛んじまう。いままでもそうだった。これからも、この曲は
人の心を癒し続けていくだろうな。」
1484年(1944年)7月30日 午後8時 ジャスオ領レンケリミント
前線のあるウルス・トライヌクより西方25ゼルド(75キロ)離れた場所にあるレンケリミント市の中心部には、
急遽展開したシホールアンル陸軍第20軍の司令部が置かれていた。
その司令部の作戦室では、6人の男女が机の周りに立ち、机に広げられた地図を見つめている。
「やはり・・・・ここの敵部隊を取り除かねば、各師団の足並みは揃いません。」
第20軍主任魔道参謀であるレーミア・パームル大佐は、険しい顔つきで、同じく地図を見つめている
ムラウク・ライバスツ中将に結論を述べた。
「俺もそう思う。でなければ、テイマート閣下の言われたとおりに敵を押し返せないからな。」
ライバスツはそこまで言ってから、天井に顔を向ける。
「もっとも、私としては君が以前提案した作戦案を取り入れたかったのだが・・・・上からの命令とあれば致し方あるまい。」
彼は大きなため息を吐いた。
ライバスツの率いる第20軍は、昨日の未明までには部隊の展開を終えていた。
第20軍の北には、同じ後方予備軍でもある第27軍も配置しており、温存されていたシホールアンル軍部隊は、
テイマートの提案した作戦案の通りに動いている。
ジャスオ領中部方面軍司令官であるテイマート大将は、後方予備軍である第20軍と第27軍を主力に、山岳地帯から
抜け出てきたアメリカ軍に攻撃を仕掛け、大損害を負わせて山岳地帯の間にある地峡部に押し込むという作戦を考えた。
この作戦には、2個の後方予備軍の他に、第11軍や第9軍の残余も参加するほか、航空部隊も多数加わる事になっている。
テイマートは、陸空一体の共同作戦でもって、米軍に大損害を与えられると確信していた。
しかし、そんな彼の作戦を気に食わないと公言した将校がいた。
その将校こそ、第20軍の主任魔道参謀であるパームル大佐であった。
パームル大佐は、3日前の作戦会議で自らの案を披露した。
パームル大佐の考えは、まず、敵を事前に前線として定める予定であったリモントンギから、一気に5ゼルドも離れた後方の
ウリスルトルグまで前進させる。
その間、敵の前進部隊には、補給が成った第11軍や第9軍の残余を置き、抵抗しながらゆっくりと後退させる。
無論、犠牲は大きいだろうが、それは敵とて同じである。
第11軍並びに、第9軍の残余部隊は壊滅しないように注意を払いつつ、ウリスルトルグまで後退したら、後は一目散に後方に逃げる。
そして、アメリカ軍はウリスルトルグを制圧する。作戦開始からウリスルトルグまで後退するには最低でも4日、最高で5日を
費やす様にし、その間、ワイバーン隊は敵の補給部隊を重点的に攻撃して、アメリカ軍の補給を絶つ。
補給路は完全に絶てはしないだろうが、それでもダメージは残るはずである。
そして、敵がウリスルトルグまで達した所で、第20軍や第27軍が側面から攻撃し、アメリカ軍を包囲殲滅する。
これが、パームル大佐の考えた作戦案だった。
彼女の考えは、多分に戦車の機動戦を参考にしていたが、パームルはストーンゴーレムが大々的に機動作戦を行うとしたら、
ウリスルトルグ近郊が最適であると確信していた。
それに対し、テイマートの考えた案では、作戦区域はリモントンギ周辺に定められる。
リモントンギ周辺では、歩行式であるストーンゴーレムでは通りにくい未確認の湿地帯が多数あり、進撃路は頑丈な
地形のある場所に限られる。
テイマートは、すぐにでもアメリカ軍を追い返したい一身で、反撃部隊の配置を前進させたのだが、それが、石甲師団の
機動性を削ぐと言う結果に終わってしまった。
パームル大佐は、ライバスツの援護射撃を受けて、なんとかテイマートに考え直してはどうかと言ったが、テイマートは頑として譲らなかった。
渋々、第20軍はテイマートの命令通り、指揮下の部隊をリモントンギから10ゼルドの場所に配備した。
しかし、これだけでは不十分だと考えたライバスツは、密かに第123石甲師団の一部(歩兵部隊が中心)をリモントンギ向かわせた。
その命令を下したのは、今日の早朝であった。
それから2時間後に、リモントンギが敵の歩兵部隊の急襲に合い、陥落したという報告が飛び込んだ。
リモントンギには第9軍に属している第51歩兵師団の1個大隊が守備についていたが、この1個大隊はわずか2時間の戦闘で町からたたき出された。
ライバスツはすぐに123師団から送った部隊をリモントンギに向かわせたが、部隊が逃げ出してきた51師団の部隊と合流し、
リモントンギまであと1000グレルまで迫った時、彼らはアメリカ軍と鉢合わせしてしまった。
すぐさま銃撃戦が繰り広げられたが、すぐにこう着状態となり、今では互いに睨み合っているだけとなっている。
その厄介なアメリカ軍が居座っている場所は、不運にも、テイマートが事前に進撃路として定めていた場所であった。
「命令に従った結果がこれだ。定められた数少ない進撃路の中で、最も重要な筈の道が、いきなり現れた敵さんによって
阻まれてしまった。これでは、反撃を開始する前にこっちが出鼻を挫かれた事になる。今頃、テイマート閣下は、敵に先手を
打たれたと悔しがっているだろうな。」
「しかし、攻撃命令が出ている以上、我々もやらなければいけません。」
参謀長が強張った口調でライバスツに言う。
「幸い、リモントンギの敵部隊は多くても歩兵2個師団程度です。対して、我々は4個師団並びに、2個旅団を用意しています。
それに、戦場は平らな草原地帯ではありませんから、敵の火力も、通常時と比べて全力を発揮できないしょう。」
「しかし、進撃路が限定されている事も忘れてはいけません。互いに足枷をつけられたまま戦いに望むと考えてもおかしくはありませんよ。」
パームル大佐が戒めるように言う。
「確かに。双方とも、いつも通りの力を発揮できないわけだ。」
「閣下。私としては、事前にワイバーン隊によって、対峙している敵地上部隊を奇襲攻撃し、抵抗力を削いだ方が良いと考えているのですが。」
作戦参謀が発言する。
「いくら寡兵とはいえど、相手は米軍です。奴らを打ち負かすには、まず航空攻撃で痛打を浴びせてから、じっくりと仕上げた方が良いかと。」
「奇襲なんて出来るわけが無い。」
パームル大佐はあっさりと切り捨てた。
「あなたは報告書を読まなかったの?アメリカ軍はレーダーと呼ばれる探知兵器を大々的に活用している。一部には、レーダーを搭載した
夜間飛空挺が、夜間爆撃にやって来たワイバーンを迎撃してきたという情報もある。そんな相手に奇襲攻撃を仕掛けても意味は無いわ。」
「パームル大佐の言うとおりだな。」
ライバスツも同意する。
「敵に奇襲は通用しない。攻撃するのならば、それこそ、一気に畳み掛けて、敵を蹴散らすしかあるまい。まずは、丘の斜面に陣取っている
アメリカ軍部隊を全力で叩き潰すことに集中しよう。こいつらを退かさん限り、作戦は成功しない。」
(最も、俺としてはこの作戦そのものが危ういと思うのだが)
ライバスツは、最後の一言は口に出さなかった。
とにもかくも、第20軍司令部の意見はようやく纏まった。
作戦決行は翌日早朝。
シホールアンル軍の最初の獲物は、丘の斜面に陣取る忌々しい歩兵部隊。
101空挺師団であった。