自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

315 第232話 銃後の民

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第232話 銃後の民

1485年(1945年)3月29日 午前11時 シホールアンル帝国ウェルバンル

首都ウェルバンルの東地区の市場で商店を経営しているカルファサ・アクバウノは、郊外から商品の仕入れを終えて、住宅も兼ねている
自分の店に戻って来た。

「いけねえ、もう時間が無い。急いで準備しねえと!」

彼は馬車から降りた後、荷台に積み込んだ野菜や果物等の商品を取り出し、予め待機していた店の従業員や、共に店で働いている妻に
手渡して行く。

「あんた、今日は随分遅かったね。いつもの業者さんと何かトラブルがあったの?」

妻のウィシェリ・アクバウノが早口で聞いて来た。

「ああ。ちょっと問題が起きてな。詳しい事は後で話すよ。」

カルファサはそう言いながら、肉の入った木箱を妻に手渡す。
慌ただしく荷降ろしを行った後は、露店を開き、商品を陳列するための展示台を並べ、値段の書かれた札と商品を置いて行く。
開店は11時30分からであり、この時点では既に、時計の針が11時15分を回っていた。

「急げ急げ!お客さんは待ってくれねえぞ!」

カルファサは、準備を進める2人の従業員を叱咤しつつ、自らも果物を籠に入れて、それを陳列台に並べて行く。
このような状況は既に幾度か経験しているのだろう、彼らの手付きは鮮やかで、口では慌てている物の、開店準備は、見る者が見れば目を
見張るほどのスピードで整って行く。
開店予定時刻から僅か2分前の所で、カルファサの店は、全ての準備を終える事が出来た。

「ようし、今日も何とか間に合ったな。」

浅黒い肌にがっしりとした体を持つ体は、その堂々たる体躯で仁王立ちになりながら、開店に間に合った事に安堵していた。
それから2分後、店の奥に引っ込んでいた若い従業員が、カルファサに声をかけて来た。

「親方!開店ですぜ!」
「よし、札を裏返せ!」

カルファサは、店の前で待機していた別の従業員に素早く指示を飛ばす。
それを聞いた頭に青い布を巻いた従業員は、言われるが早いか、木の棒に掛かっていた吊り看板を裏返した。
その看板には、大きく店の名前と、開店を示す文字が描かれていた。

「はい!いらっしゃい!いらっしゃい!カルファサ商店、本日も営業開始ですよ!」

カルファサは、店の前で声を張り上げながら、往来する通行人に向けて客寄せを始めた。
店に居る2人の従業員も、店主である彼に負けじとばかりに、快活の良い声音で通行人に声をかける。
カルファサの店は、首都ウェルバンル東地区にある建国通りと呼ばれる通りの、すぐ側を走っている小さな支道沿いにある。
別名、東地区市場通りとも呼ばれる支道には、数えるだけでも100以上の店が立ち並び、首都ウェルバンル内では最も活気のある場所の
1つとして知られている。
そのため、この通りは、昼間ともなると常に人で賑わっており、カルファサもここに店を構えてから10年程の間、安定した生活を続ける事が出来た。
今日も、開店早々から多くの買い物客が訪れ、カルファサや従業員達は、初見の客や、既に顔馴染みとなった客にも心地の良い笑顔を見せながら、
次々と商品を売り捌いて行く。
開店から1時間ほどで、店の前に出していた商品は、あらかた売れており、従業員達は汗を流しながら、店の奥から商品を補充していた。

「出だしは順調だな……さて、これからはどうなるかな。」

カルファサは、店の奥の壁に引っ掛けてある時計を見据えつつ、幾分不安げな声で呟いた。

「なあに、売れ行きはまだ悪くない方だから、あまり心配しないでも良いじゃない。」

彼の声を聞いたウィシェリは、そう言ってカルファサを励ました。

「ああ、お前の言う通りだ。だがな……最近は少し不安なんだよ。」

励まされたカルファサは、妻に向けて顔を頷かせながらも、胸の内がすっきりする事は無かった。
それから30分後……彼の不安は的中してしまった。

「どうもー!また来てくれよー!」

カルファサは、快活のある声音で客を見送った後、店の前に視線を戻し、軽く溜息を吐いた。

「はぁ……またか。」

彼は、うんざりした表情で呟いた。
市場通りの客足は、先程と比べて大きく目減りしていた。
30分前までは、市場通りは人で溢れ返っていたのであるが、それも長くは続かなかった。
カルファサは改めて、壁に掛けてある時計に目を向けた。
時刻は、午後1時を過ぎている。

「一体、いつからだろうなぁ……店が繁盛する時間帯に客が来なくなったのは。」

シホールアンル帝国首都ウェルバンルは、この国が建国されて以来、発展を続けて来た大都市である。
人口は500万人を超す、歴史ある帝都であるが、この“皇帝のお膝元”とも呼べる大都市に異変が現れ始めたのは、今から1カ月近く前の事である。
その日、カルファサは、未だに客足の多い時間帯で、初めて予想売上を大きく落としてしまった。
カルファサは、開店時間である11時30分から、閉店の夜9時までの1日の予想売り上げと、1時間ごとの予想売上を計画しながら店を経営している。
この市場通りは立地条件が良いのか、開店から10年間経っても、実際の売り上げが予想売上と比べて、大きく落ちるという事は滅多に無かった。
だが、その日に至っては、1時間置き……しかも、多くの客が店に来る1時~2時までの真昼間の売り上げが、予想売上の6割程度という結果となり、
1日の売り上げ事態も、予想していた売上額に達していなかった。
カルファサは不思議な日もあると思いながらも、それ以降も店を続けた。

最初、実際の売り上げが、予想売上を下回った日は、1週間に1回程度であった。
だが、2週目は2日程売上を落としており、3週目も2日……いや、実際には3日となりかけたが、その日はぎりぎりの所で予想売上額を達成する事が
出来たため、なんとか2日に留める事が出来た。
だが……4週目では、連続で3日も売り上げを落としてしまった。
その間、彼は帝都ウェルバンルで起きている異変が何であるかに気付き、昨夜、商店仲間との飲み会でその原因を突き止める事が出来た。

「親方。また、人通りが減って来ましたねぇ。」

従業員の1人が、カルファサに言って来た。

「仕方ねえさ。」

カルファサは、肩をすくめた。

「最近は、帝都から他に引っ越す奴が増えているからな。アメリカ軍機が来る事はあり得んのに。」
「位置的に、戦場が近付きつつあるという事が問題なのでは?」

もう1人の従業員がそう言う。

「先月末に、レスタン領が陥落してます。もし、アメリカが、レスタン領の飛行基地にスーパーフォートレスという大型飛空挺を配備したらどうなります?」
「大型飛空挺が片道で飛べる距離は、せいぜい600ゼルド程度と言われている。ウェルバンルはレスタン領の境から北に700ゼルド(2100キロ)の
位置にあるんだぜ?ここまでは飛んで来れやしないさ。」
「まぁ、それだけならいいんですが……親方、このウェルバンルの東には、アリューシャン列島もあるんですぜ。」
「アリューシャン列島か……良く考えると、シホールアンル帝国は、遠いながらもアメリカと“隣国”でもあるんだよな。」

カルファサは、過去に広報詩見た幾つかの記事を思い出しながら、従業員にそう返す。

「親方、噂では、首都から逃げた住民は20万人にも及ぶようですよ。アメリカ軍の爆撃が行われている南部や中東部のならまだしも、
平和と思われていたこのウェルバンルで……やはり、この町の住民達も怖いんですよ。逃げ出した住民はおろか、残っている住民の中にも、
いつ、アメリカ軍がアリューシャンから大挙して押し寄せて来るのか、と、不安に思っている者も多いかもしれませんぜ。」

「ほほう、流石は元陸軍参謀。見事な解説だな。」

カルファサは、従業員の1人……右目に深い傷跡を残す赤毛の男に称賛の言葉を送った。

「よして下さいよ。僕は5年前に軍を辞めて、今は商店の一従業員として働いているんですから。」

隻眼の従業員は、苦笑しながら謙遜の言葉を発する。

「ホラ、あんた達!何世間話をしてるの!声をどんどん上げないとお客さんは寄って来ないよ!」

店の奥から果物を運んで来たウィシェリが、カルファサらにそう叫んだ。

「おっと!すまねえな。おい!いつまでもサボっている訳にはいかん、声を張り上げるぞ!」

慌てたような口ぶりで、部下の従業員に言うカルファサに対して、2人の従業員は苦笑しながらも、声を張り上げて客寄せを続けた。

2時間後、カルファサは店の正面で陳列棚の手入れをしていたが、その時、彼は予想外の光景を目の当たりにした。

「……おい、ウィシェリ!ちょっと来て見ろ!」
「なに?どうかしたの?」

店の奥から、ウィシェリがふくよかな顔を覗き出して来る。カルファサは、その顔を見るや、2、3度手招きした。
彼女は、早歩きでカルファサのもとに歩み寄る。

「あれを見てみろ。」
「……まぁ、これは驚いたね。」

ウィシェリは、頭を抑えながらそう呟いた。
カルファサの商店からさほど離れていない場所にある店の前には、荷を積んだ馬車が2台止まっており、5人の男達が店から物を運びこんでいる。

カルファサとウィシェリは、搬出の指揮を取っている男の顔を知っていた。

「鉱物屋の主人、両手に看板を持っているな。もしかして、店を閉めるのかな。」

彼は、ウィシェリにそう言った。

「あの様子からして、閉めるんじゃないかな。高々と掲げていた看板を取り外している程だし。」

たった今、店じまいをしている鉱物屋は、主に魔法石鉱山で取れる魔法石のカケラや、鉄鉱石等を加工して、指輪や腕輪といったアクセサリーは
勿論の事、鉄製の調理具等の日用雑貨品も取り扱っていた。
商品の種類は多い物の、殆どが魔法石関連の商品を取り扱っているため、市場の店主仲間からは鉱物屋という渾名を頂戴しているが、品揃えは
豊富であり、昔から安定した経営を行って来た事で有名であった。
ここ最近は売り上げが良くないという噂がちらほらと聞かれていた物の、週末になると行列が出来る程の人気がある。
店の規模こそ、さして大きくは無い(普通の基準からであり、カルファサの店と比べると段違いである)が、ここを訪れる買い物客にとっては、
この市場通りには欠かせない存在と言っても良い店だ。
だが、その欠かせぬ筈の店は、市場から姿を消そうとしていた。
看板を持っていた鉱物屋の主人が、カルファサの店の方に顔を向けた。
主人は、カルファサを見つけるや、親しげに手を振って来た。彼もまた、気さくな手付きで手を振り返す。
時折開かれる、市場の店主同士の飲み会などでは、鉱物屋の主人とカルファサは頻繁に顔を合わせているため、2人の仲はとても良い。
鉱物屋の主人は、持っていた看板を馬車の荷台に置くと、真っ直ぐカルファサの店にやって来た。

「やあ、カルさん。儲かってるかい?」

鉱物屋の主人であるオヴァス・イスクェルドは、親しげな口調でカルファサに声をかけた。

「う~ん……ぼちぼち、と言った所かな。」
「ぼちぼちか。まっ、今のご時世、どこもそんな感じだな。」

オヴァスは、伸びた顎髭を撫でつつ、苦笑しながらそう言った。

「カルさん、そこの果物と野菜をくれないか?」
「ああ、いいよ。おい、会計だ。」

カルファサは、オヴァスが選んだ品物を取り、従業員に会計をさせた。

「300ヴァリアだな。」
「あいよ、代金だ。」

カルファサは、オヴァスから代金を受け取り、品物の入った袋を代わりに手渡した。

「毎度あり!」

カルファサは、快活の良い声音でオヴァスに礼を言った。

「……そう言えば。カルさん、あれを見ているから分かると思うが……」

オヴァスは、幾分寂しげな口調で、カルファサに向けて喋る。

「俺……今日で店をたたむ事にしたよ。」
「そうか……寂しくなるな。しかし、どうして、また?」
「ああ……実はね。」

オヴァスは、一度言葉を止め、深いため息を吐いた後に会話を続ける。

「俺の店の得意先の品物が、全く手に入らなくなったんだよ。」
「手に入らなくなった?」

カルファサは首を捻った。

「君の店は、魔法石精錬後の不要の魔法石を仕入れていたな。確か、数はいくらでも手に入った筈だが……それが何故?」
「先日の空襲で、フィミシヌの魔法石精錬工場と魔法石鉱山がスーパーフォートレスに爆撃されて大損害が出たんだ。工場は壊滅、鉱山も
閉山を余儀無くされたんだが、被害はそれだけじゃ無かった。」
「……まさか。」
「そう、そのまさか、さ。」

オヴァスは頷いた。

「爆弾は、工場と鉱山から離れていた仕入先の店や倉庫をも、完全に吹っ飛ばしてしまったんだ。この誤爆のせいで、うちの目玉商品は
今後の仕入れが全くできなくなった……」
「それは……酷い物だ。」

カルファサは、まるで我が身のように悲痛めいた口調で呟いた。

「売上の7割を賄っている商品が全く入って来なくなった今、あんなにでかい店を維持し続けるのは困難だ。それに、最近は赤字ばかりだったし、
この辺で一度店を畳んでしまおうと思った訳だ。」
「しかし、君の店は未だに客の出入りが多いじゃないか。それでも無理なのかい?」
「主力商品があったからさ。でも、それが無くなった以上は、もう仕方ない。前回はそうでもなかったんだがな。」

オヴァスは、以前にも、仕入れ先が空襲で全滅した事によって商品が店に入らなくなった事を経験している。
その時の商品は革製の手提げ袋や収納容器関連の物で、仕入数も少なかった事から大損害は免れていた。
だが、今回の打撃はまさに致命的であった。

「これ以上、店を続けても、蓄えた資金をあたらに食い潰すだけで何の得にもならん。まだ、資金力に余裕のある今の内に、店を畳んで後に
備えた方がいい。」
「まっ、どんな仕事でも、引き際を誤ってはまずいからな。」

カルファサはそう言った後、ため息を吐きながら壁の時計を見た。
彼の店にある壁掛け時計は、オヴァスの店で買った物である。

長方形状の時計は、周りに加工された魔法石のカケラがはめ込まれており、それが七色の光を放って時計を見事に彩っている。
オヴァスの店は、このように、日常にありふれた商品に魔法石のカケラを埋め込んだ雑貨品や、カケラを繋げたアクセサリー等を主力商品として
売る事によって、日々稼いでいた。
カルファサも、オヴァスの店の商品はとても気に入っていたのだが……今後しばらくは、その商品をこの市場で見る事は無いのであろう。

「今後はそうするんだい?」
「ああ……そうだねぇ。ひとまず、西に移る事にするよ。」
「西か。確か、君は西から来たんだったな。」
「そうだよ。今後しばらくは、実家に移ってのんびりするさ。丁度、俺の家族もおふくろや親父と一緒に暮らしたいと言ってたしな。」
「店はもうやらんのか?」

カルファサの問いに、オヴァスはしばし黙考してから答えた。

「……機会があれば、またやりたいな。いつ再開するかはまだ分からないが……」
「その時が来たら、是非教えてくれ。開店祝いに何か持って来るよ。」
「それは嬉しいね。」

カルファサの言葉に気を良くしたオヴァスは、嬉しげな笑みを浮かべた。
オヴァスは、自分の店の方に顔を向けた。

「お、そろそろ準備が終わりそうだな。カルさん、俺はこれで失礼するよ。」
「そうか……ホント寂しくなるぜ。」

カルファサは苦笑しながらそう呟いた後、ふと、何を思ったのか、手早く袋を取り出した。
彼は素早い手つきで果物や野菜を、手に取った大きめの袋に入れた後、それをオヴァスに渡した。

「あいよ!これは、ウチからの餞別だ。」
「お…いいのかい、カルさん。なんか量が多いんだが。」

オヴァスは、カルファサの取った突然の行動に目を白黒させながら聞いて来る。

「気にするな。持って行ってくれ。そいつは、君のこれからの無事と、遠くない将来に開店する新店舗開店の前祝いを兼ねてるんだ。
遠慮せずに持って行きなよ。」
「おいおい。これはたまげたぜ……」

オヴァスは、カルファサの強引ともいえるその言葉に苦笑したが、心中では、今まで世話になって来た店主仲間の心地よい手向けに感謝していた。

「西の実家に言っても頑張れよ。おい、ウィシェリ!オヴァさんのお帰りだ。」
「これは奥さん、お久しぶりです。」
「さっきから話は聞いてたわよ。本当、寂しくなるわぁ……」

ウィシェリは、心底残念そうに言う。彼女は、オヴァスの店の上客でもあった。

「僕も寂しいですよ。でも、もう決めてしまった事です。後は、次に向けて進むしかありません。」
「君の言う通りだな。帰ったら奥さんと家族によろしくな!」

カルファサは、オヴァスの肩をポンと叩いた。

「ええ。それじゃ、またの機会があれば是非。カルさん、今度新店が出来たら必ず呼ぶよ。安くしとくぜ。」

オヴァスは、爽やかな口ぶりでそう言った後、手を振りながらカルファサの店を離れて行った。

「はぁ……オヴァスさんもウェルバンルを離れてしまうのね……」
「あいつの店も、最近は振るわなかったからな。」
「……ところで。」

ウィシェリは、改まった口調でカルファサに言う。彼女の口調には、幾ばくかの憤りが含まれていた。

「オヴァスさんに渡したサービス品の代金……あんたの小遣いから天引きだから、よろしく!」

同日 午後9時20分

「今日も、これで終わりだな。」

外に出していた陳列棚を店の中へ入れたカルファサはそう呟きながら、店の戸板を閉めた。

「店じまい完了。あとは、今日の売り上げを確認するだけだな。」

カルファサはぼやきながら、店の奥へと足を運んだ。

「よう、今日の売り上げはどうだい?」

彼は、机の上で売り上げを計算していた、妻のウィシェリに声をかけた。

「残念。ギリギリの所で、今日の予算は達成できなかったわ。」
「畜生、今日も駄目だったか。」

カルファサは、悔しげに顔をうつむかせた。

「ここの所、赤字の日が多くなって来たな。こりゃ、何らかの対策を考えなければ。」
「そうね……ひとまず、今日の所はこれで終わりにして、明日は心を入れ替えて頑張りましょう。」
「そうだな。」

カルファサは頭を頷かせた。

「親方!表の掃除が終わりました!」

朝から働いていた、2人の従業員が裏口から店の中に入り、カルファサに報告して来た。

「よし!今日はもう上がっていいぞ。お疲れさん!」
「お疲れ様です!」

従業員が立ち去った後、ウィシェリとカルファサは、自宅である2階に足を運んで行った。
カルファサは自室に入ると、明かりに火を付けてからベッドに寝そべった。

「しかし……鉱物屋のオヴァスが店をたたむとはなぁ。南部や中東部の空襲の影響で、あちこちの店が潰れたり、移転しているとは聞いていたが……
まさか、この市場通りからも、そのような店が出て来るとは。」

カルファサは、大きく溜息を吐いた。
この偉大なるシホールアンル帝国が、インビステウ大陸統一という大事業を開始してから既に10年以上が過ぎている。
カルファサは、つい最近までは、戦争なぞ知らぬとばかりに、店の仕事に打ちこんで来たが、それだけに、ここ一連の出来事は驚きの連続であった。

「前までは、皇帝陛下の顔も直接見る事も出来たんだがなぁ……陛下が最後に、このウェルバンルを練り歩いたのは、いつだっただろうか。」

カルファサの脳裏に、以前までは、首都ウェルバンルを若き皇帝……リリスレイ帝が、護衛も付けずに堂々と町中を練り歩き、気ままに店に入っては
雑談していくという“イベント”が何度も行われていた。
カルファサ自身も、リリスレイ帝と直接話した事があるが、彼こそ、新時代の皇帝であると、当時は強く思っていた。
また、彼は、順調に占領地を広げて行く精強な帝国軍に尊敬の念を抱き、シホールアンルは今後も安泰だと確信していた。
だが、未知の国アメリカが、シホールアンルの敵として戦争に加わったという報せを聞いてからは、破竹の勢いで進軍していた筈の帝国軍は、次第に
苦戦するようになり、気が付けば、戦線は北大陸に移っていた。
帝国政府は、盛んに広報誌で帝国軍の勇戦ぶりを喧伝し、1月中旬頃には、帝国軍を悩ませていたアメリカの大動部隊がヒーレリ領で大打撃を受けて敗退し、
国民はレビリンイクル沖の再現だ!とばかりに歓喜した。
カルファサ自身、その戦勝に沸き立ち、しばらくは、アメリカ機動部隊壊滅セールという、米兵に見つかれば確実に銃弾か爆弾をぶちこまれかねないような
見出し看板を掲げながら、赤字覚悟の値段で品物を売り捌いていた。
また、その直後の1月25日には、レスタン領で連合軍部隊に決死の大攻勢を敢行中との報せが全国民に伝えられ、カルファサは、海軍に続いて、陸軍も
頑張っているなと、心の底から思っていた。
この時点で、アメリカ軍が保有するスーパーフォートレスの戦略爆撃は、依然として続いており、カルファサも、商品の仕入れ……帝国本土南部の食品の
仕入れ等に影響を受けていたがさして心配もしていなかった。
(今日の仕入れの遅れも、米軍の爆撃の影響であった)

だが、それ以来、レスタン領の情報は断片的に入って来るだけとなり、その詳細はわからぬままであった。
事態が急変したのは、2月も終わりに近づいた頃である。
町のどこかから流された、レスタン領現地駐留軍大損害、レスタン領陥落間近の噂は、表面的には風聞として住民達に流されたかのよう見えたが、
その影響は、じわじわと伝わって行った。
3月初めから、首都から離れる住民が出始めた。
最初は緩やかであった住民の首都離脱は、3月2日に広報誌にて出されたレスタン領失陥の報せの直後から増え始め、今では多数の住民が、ありもしない筈の、
アリューシャン方面からの侵攻を恐れて、ウェルバンルから脱出している。
また、それに加えて連合軍側がバイスエ領にも侵攻を開始したという噂話も、住民脱出を加速させる原因になった。
3月29日現在で、脱出した住民の数は正確には分からないが、少なくとも、20万人以上が既に逃げた、とも言われている。
表面上は、偉大なる帝国の最終的な勝利を願っている国民達も、心中では、刻一刻と北上して来る戦線を前に、シホールアンルが敗勢にあるという事を、
ようやく、認識しつつあった。

「南部の3つの領地では、既に300万人が中部地区や中西部地区に疎開していると聞いている。何か、俺が前に読まされた戦記本にあった、
ある国が辿った最後の様子に似ていそうな状況だな。今のシホールアンルは。」

カルファサはそう呟いた後、気を取り直すために、自室の机に置いてあったキセルを吸おうと、ベッドから体を起こした。
その時、彼は、外が異様に騒がしい事に気付いた。

「ん?何かあったのかな?」

彼は怪訝な表情を浮かべながら、カーテンをのけて、窓を開いた。
外には、10人程の人が大声で怒鳴り合っていた。

「おい!医者だ!早く医者を呼べ!」
「そこのあんた!そこの道を少し広げてくれ!人が死にそうなんだ!」

10人前後の人だかりは、それぞれに指示を与えながら動き回っていた。
ある者は、通行に邪魔な物を道の側に避け、ある者は別の者に何かを取って来いと指示し、指示を受け取った者が脱兎のごとく走り始める。
その人だかりは、カルファサの店から右に4つほど離れた衣服屋の前に集まっていた。

「衣服屋で何かあったのか。」

居ても経っても居られなくなった彼は、大急ぎで下に降り、店の裏口から市場通りに飛び出し、衣服屋の前に走り寄った。

「おお、アクバウノの旦那さん!」

顔見知りの男性がカルファサに声をかけて来た。

「一体何があったんだ?押し込み強盗でも入ったのか?」
「いや、そうではない。だが、非常にまずい事が起きた。」
「まずい事だって?」
「ああ。ここの主人の奥さんが自殺を図ったんだ。今、大急ぎで医者を呼んでいるが……」

その言葉を聞いたカルファサは、強いショックを受けた。
衣服屋の主人は、レスタン領で戦死し、今はその妻が店の経営を引き継いでいた。

「あの奥さんが自殺だって……?夫が戦死したって報せが届いた時も、俺達に気丈な振る舞いを見せていたのに。」
「……本当に驚いたよ。でも、表面上では平気そうに見せて居ても、内心では辛かったんだろう。これは知り合いの女から聞いた話だが、
ここの奥さん、時折1人ですすり泣いていたそうだ。」
「………」

カルファサは、言葉を発する事が出来なかった。
衣服屋の主人は、3年前からこの市場通りに店を構えている。
元陸軍出身の物腰の柔らかい好青年で、軍時代は最精鋭と謳われている魔法騎士師団の士官として名を馳せており、店を訪れる客の中には魔法騎士師団の
兵士や士官も多かった。
主人は除隊前に予備役登録を行っており、今から8カ月前に軍に招集されている。
衣服屋の主人を最後に見たのは、昨年11月の末頃である。
その時、衣服屋の主人は、新編成の石甲部隊の大隊長に任命され、立派な軍服を着てカルファサら、知り合いの店の主人達に出征の挨拶を交わしている。
カルファサは、自信に満ちた青年将校の姿に圧倒され、彼なら必ず敵を打ち負かし、この市場通りに凱旋して来るだろうと確信していた。

だが……3月11日の正午。彼は、衣服屋の主人が戦死したと店主仲間から伝えられた。
衣服屋主人の、余りにも唐突過ぎる死に、カルファサの心中は、百戦錬磨の軍人ですら生き残れぬ戦争に、計りしれない恐怖感と、なぜこうなってしまった
のか、という疑問を湧き起こらせている。
他の知り合いの店主達も、カルファサと同様に強いショックを受けていたが、真に強い衝撃を受けたのは、やはり、主人の妻であったのだろう。
この時、衣服屋の中に入って行った男3人が、よろめくような足取りで外に出てきた。

「お、おい!あの人はどうしたんだ?助かるのか!?」
「あともう少しで医者が来るそうだぞ。奥さんは大丈夫なんだろうな!?」

様々な質問が、中に入って行った3人の男に投げ掛けられる。だが、誰1人として、その質問に首を縦に振る者は居なかった。

カルファサは、時刻が午後9時40分を過ぎた頃に、家に戻って来た。

「あなた……どうしたの?外で何か起きたの?」
「ああ。非常に悲しい事が起きたよ。」

カルファサは、呻くような口調でウィシェリに言った。

「衣服屋の奥さんが自殺した。」
「………」

ウィシェリは、突然の報せに目を瞬かせた。

「10分前に医者が到着して、診察ししたんだが……駄目だったよ。奥さんの体の側には遺書が見つかった。恐らくは……後追い自殺だろうな。」
「……そんな……あの明るい娘が……!」

ウィシェリは、ショックのあまり、泣き出してしまった。

「……ごめんなさい。ひとまず、あたしは寝るわ。」
「ああ。今日はゆっくり休もう。」

カルファサは頷きながら、ウィシェリにそう言った。
彼は、重い足取りで2階の自室に上がり、倒れ込むようにしてベッドに寝転がった。

「……戦場で逝った若者と……その後を追った未亡人……歴史家とやらが聞いたら、これも、戦争がもたらした悲劇、と言うのだろうか。いや、
実際に言うかもしれんな。俺自身、そう思っているのだから………」

彼は、重い口調で呟いた。
精神的に酷く疲れた彼は、先程の悲劇から逃れるかのように、眠りに落ちて行った。
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