自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

343 第255話 潜入する者達(後編)

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第255話 潜入する者達(後編)

1485年(1945年)10月25日 午前0時 シホーアンル帝国ヴェナバシェク沖190マイル地点

米潜水艦フラックスナーク艦長、クロック・ノヴォトニー中佐は、潜望鏡深度である深度10メートルまで艦を浮上させた後、浮上前に
周囲を警戒するため、潜望鏡で敵の有無を確認しようとしていた。

「潜望鏡上げ!」

ノヴォトニー艦長が命じた直後、司令塔内にある潜望鏡が、駆動音と共にするすると海上に上げられて行く。
程無くして、彼の目の前にペリスコープが現れた。
ノヴォトニーは潜望鏡の上昇が止まった直後、制帽のつばを後ろに回し、取っ手を掴んだ後、両目でペリスコープを覗き込んだ。
潜望鏡から見える夜の海は、漆黒の闇に包まれていた。
波は穏やかで、水上機を発進させるには最適だと思われた。
ノヴォトニーは、潜望鏡をゆっくりと回転させた後、周囲に船らしき物が居ない事を確認する。

「よし、潜望鏡を下げろ。潜望鏡収納後はすぐに艦を浮上させるぞ。」

ノヴォトニーは、隣に控えていた副長のヴェルキン・ティルクロット大尉に2つの命令を伝えた。

「アイ・サー。」

ティルクロット副長は頷きながら答え、部下達に艦長の発した命令を伝えて行く。
それから10秒後、フラックスナークは潜望鏡の収納を終え、バラストタンクに残っていた海水を排出しながら海面に浮上して行く。
艦はほぼ水平の状態で浮き上がりつつあり、やがて、艦首が海面から姿を現し、それから艦橋、格納庫、甲板と言ったペースで洋上に姿を現した。
海面に姿を現したフラックスナークは、電気推進からディーゼルエンジンに切り替え、時速12ノットに増速し始めた。
司令塔に洋上で監視にあたる水兵5人と下士官2人が、下の発令所から上がって来た。
そして、そのまま司令塔を素通りして、ハッチに繋がる梯子をそそくさと上って行った。

「副長、俺も上がるよ。」
「わかりました。」

ノヴォトニーは抑揚の無い口調でティルクロットに言い、ティルクロットも短い言葉で返した。
2週間以上もの活動で、すっかり伸びた無精ヒゲを撫でながら、ノヴォトニーは梯子を上って行く。
艦橋に出た彼は、冷たい風に体をはたかれながらも、新鮮な空気を力いっぱい吸い込んだ。
(空気の濁った艦から出て来ると、外気は美味く感じるな。)
ノヴォトニーは幾度となく繰り返した言葉を、心中で呟いた。
狭い艦内に乗り込む潜水艦乗りにとって、外の空気を吸う事は数少ない楽しみの一つである。
既に甲板に出た見張り員達は、暗闇の向こう側を眺め回し、いつ来るかわからない敵に備えていた。
それと同時に、艦橋に設置されているレーダーも回転し始めていた。
ノヴォトニーは空を見上げた。
潜望鏡からは真っ暗に見えたが、艦橋から出て見ると、雲の間からこの世界特有の2つ月が覗いていた。
(先程は真っ暗闇だった筈だが、あれは月が雲に覆われていたせいだな)
彼は胸の内でそう思った。
2つ月は、その名の通り、夜空に浮かび上がる月が2つある事から名付けられており、形も元世界の月と比べて大きく感じる。
この2つ月は、1つが手前に、もう1つがその後ろにと言った具合に位置しているため、後ろ側にある月は手前側にある月に左側3分の1が
隠れた状態で見える。
その為、手前の月が満月であるにもかかわらず、後ろ側の月は常に三日月状態、という風になるが、ノヴォトニーは、この2つ月が見せる
様々な姿が好きであった。
ノヴォトニーが艦橋に陣取ってから1分程たった後、伝声管から声が響いて来た。

「艦長!こちらレーダー手です。本艦の左舷1000メートル方向に微かな反応があります。恐らく、シーダンプティの潜望鏡かと思われます。」

その直後、左舷側見張り員からも報告が入る。

「左舷方向に潜望鏡らしき物!」

ノヴォトニーは左舷側方向に顔を向け、双眼鏡で潜望鏡を探した。
潜望鏡を除き始めてから5秒後に、フラックスナークの左舷側に1隻の潜水艦が浮上した。
フラックスナークと同様に、アイレックス級潜水艦の特徴である艦橋と一体化した格納搭に、従来の米潜水艦とは一線を画す、一際大きな艦体。
それが僚艦、シーダンプティである事は、誰の目から見てもわかった。

「一足遅れて来たな。」

ノヴォトニーは小声でぼやきながら、伝声管の向こう側に居るレーダー手に向けて問い質した。

「レーダー手。敵影らしき物は見当たらんか?」
「いえ、今の所、レーダーにそのような反応はありません。」

ノヴォトニーは頷いた後、次のステップに移る事に決めた。

「水上機発進準備!急げ!」

彼の命令が下るや、艦橋前に取り付けられている水上機格納搭が開かれた。
左右に開かれた丸い格納搭から、翼を折り畳まれた水上機が引き出され、機付き整備員達が機体の周囲に取り付き、素早い動作でチェックを行って行く。

「艦長、シーダンプティより通信。我、今より艦載機の発艦準備を行う、との事です。」

新たな報告がノヴォトニーの耳に響く。
彼は了解と答えつつ、左舷方向に目を向ける。
うっすらとだが、左舷方向にシーダンプティの艦影が見えた。
今頃は、シーダンプティを指揮するブラトリスク艦長も、部下達に指示を飛ばしながら艦橋でこちらを眺めているのだろう。

「艦長。ヴェストレンネ氏とルヴィシレス氏が艦橋に上がりたいと申しておられますが。」

伝声管から副長の声が響いて来る。

「見送りか?」
「は。そのようです。」
「……いいだろう。」

ノヴォトニーは2人の希望に応える事にした。
1分後、足元のハッチからヴェストレンネとルヴィシレスが上がって来た。

「ふぅ~、これは素晴らしい!外の空気がこんなにも美味いとは!!」

「同感ですな。先輩。」

2人は艦橋に上がるや否や、妙に驚いた様な口調で言い合った。
ヴェストレンネとルヴィシレスは、出港以来、艦内に引き籠りっぱなしであった。

「おお。これはノヴォトニー艦長。」
「ヴェストレンネ族長、顔が緩んでいますぞ。」

ノヴォトニーは、嬉しさの余り笑みをこぼすヴェストレンネに苦笑しながら言う。

「おお、本当だ。ただでさえだらしないツラが余計にだらしなくなってやがる。」
「そういう先輩こそ、鼻の下が伸びておりますぞ。貴方も人の事言えませんよ。」

2人の魔道士が和気藹々と話すのを尻目に、ノヴォトニーは艦橋前の格納搭に目を向けた。
格納搭から引っ張り出された水上機は、既に折り畳まれていた翼が展開され、機付き整備員がコクピットに乗って最後の整備を行っていた。
その時、格納搭から新たな人影が3つ現れた。
3つの人影の内、前を行く2つの人影は、最後尾を行く1人に、幾度か体を振り向けていた。

飛行服に身を包んだレイリーは、前を行く偵察員のヴィッキーニに半ば驚きの混じった口調で質問を受けていた。

「いやぁ、本当にグリンゲルさんなんですよね?」
「勿論本人だよ。俺としては、特徴的な部分が“無くなった”だけで大して変わらないと思うんだけどな。」

レイリーは心中でしつこいなとぼやきつつ、右手でポニーテール状に結った黒い長髪に触れた。

「……確かに、人相は変わらないですね。でも、エルフの特徴とも言える長耳が無くなり、肌の色がガラリと変わったのを見ると、誰が見ても
『貴方は誰?』と思っちゃいますよ。」
「そりゃそうだね。」

レイリーは苦笑しながら答えつつ、胸の内では、初めて使う変身薬の効果に驚きを隠せなかった。

彼は潜水艦が浮上する2時間前に、本国で手渡された変身薬を服用している。
この変身薬は、魔法で作られた特注の魔法薬である。
大元は2年前に、カレアント軍の魔道士であり、現在は同軍の機械化師団で戦車長をしているエリラ・ファルマント少尉(当時は軍曹であった)
が手違いで、空母エンタープライズ所属のパイロットの性別を一時的に変えた魔法薬を、ミスリアル側がサンプルとして貰った物だ。
人間の体を当人以外の者に変身させる魔法技術はミスリアルにもあったが、この類の魔法は効果の持続時間が短く、実際の戦場では廃れていた物であった。
だが、エリラの作った性転換薬は、長年の懸案であった持続時間の調整を行う必要が無く、魔法の効果を打ち消す薬を飲めば、ほぼ自由に姿を変えられる事が
出来る物であった。
それから半年後、カレアント側からこの魔法薬の改良型のサンプルを譲り受けたミスリアル側は、それを元にミスリアルの魔法技術の粋を集めた変身薬を開発し、
レイリーに渡している。
今回、レイリーが飲んだ薬は、元の薬と同じく、服用から1時間で効果が表れ始めた。
ダークエルフであるレイリーは、銀色の長髪に浅黒い肌、長い耳と言う姿だが、これから潜入するシホールアンル帝国は、普通の人種に見られるような、
淡い肌色に黒い髪(それ以外の風貌も多いが)という外見が多いため、レイリーの姿もそれに準じた形となっている。
顔の形はあまり変わらないが、長い耳は短くなり、肌の色も浅黒さは消え失せ、銀髪も黒髪に変わっている。
傍目から見ても、彼がエルフである事は全く分からなかった。
この外見の急激な変化は、彼を送り届ける役を受けた2人のパイロットを大いに困惑させたが、何はともあれ、レイリーは敵地への潜入準備を整えたのである。

「レイリー!」

彼が苦笑しながら後頭部を掻いていると、後ろから誰かに呼び止められた。
艦橋からルヴィシレスとヴェストレンネが降り、彼の側に歩み寄って来た。

「ほほう。飛行服姿もなかなかサマになってるじゃないか。」

ヴェストレンネが腕組みしながら言う。

「こうして見ると、シホールアンルに亡命するアメリカ兵みたいだな。」

ルヴィシレスは毒のある言葉をレイリーに吐きかけた。
それを聞いたレイリーは、思わず噴き出してしまった。

「師匠………いくらなんでも、今の言葉は無いんじゃないかと……」
「いや、ただのジョークだよ、ジョーク。アメリカンジョークって奴さ。なぁ、族長殿?」

ルヴィシレスは爽やかな笑顔でヴェストレンネにそう言ったが、彼はわざとそっぽを向いた。

「適当な事言ってごまかさんで下さいよ。」

レイリーは冷たい口調でそう言いつつ、内心ではひでえ師匠が居るものだと思った。

「本当に、師匠は変わりませんな。貴方に影響されたのか、私はルヴィシレスの息子とまで言われていますよ。」
「それはお前が悪い。人の良い所だけじゃなく、悪い所まで取るのはまだまだ未熟な証拠だぞ。」

ルヴィシレスはややきつめの口調で言った後、右手でレイリーの肩をポンと叩いた。

「何はともあれ……もう、俺から言う事は無い。後はお前次第だ。」
「師匠……湿っぽくなるのは嫌なんで言いたくはありませんでしたが、やっぱり、言わせて貰います。今まで、ありがとうございました。」

レイリーは張りのある口調でそう発してから、深々と頭を下げた。

「全く、柄にもない事をしやがって……まぁいい!レイリー。荷物の中身だが、忘れ物は無いな?」
「はい。全て準備しました。」
「……ヴェストレンネ。お前から何か言いたい事は無いか?」
「俺からは余り無いですが……まっ、マイペースでやればいいさ。あと、女遊びはするな。」
「まぁた……族長と一緒にしないでください。自分の中で、愛すべき女は既に決まっていますよ。」

レイリーはヴェストレンネに苦笑いを振りまきながら、右手を差し出した。
ヴェストレンネはそれに応え、無言で握手を交わす。
その次に、レイリーは自らの恩師に向けて、右手を差し出す。

「……シホールアンルの連中に、ミスリアルの魔道技術の凄さを見せてやれ。そして、ミスリアル一と呼ばれたお前の腕前を、存分に発揮して来い。」
「ええ。勿論ですよ。」

レイリーは不敵な笑みを浮かべながら、ルヴィシレスと固い握手をかわした。

自ら乗り組む水上機に歩み寄ったレイリーは、偵察員のヴィッキーニに自分の乗る場所を教えられた。

「グリンゲルさんが乗る場所はここです。」
「ここか……今は見えないが、想像していたよりも狭そうだな。」

レイリーは、ヴィッキーニが指差す方向を見るなり、自分の体が入れるか不安になった。

「大きさは問題ないと聞いています。ささ、荷物をここの奥に押し込みましょう。その次はグリンゲルさんの番です。」
「わ、わかった。」

レイリーは頷くと、左手に持っていた革製の袋をヴィッキーニに渡す。
ヴィッキーニはそれを、レイリーの座る座席の奥に押し込んだ。

「さあ、上がって下さい。」

ヴィッキーニは手を差し伸べた。
その後ろでは、パイロットであるグラハム中尉と整備兵が話し合いつつ、整備兵が操縦席から降り、グラハムが入れ替わりに座った。
レイリーはヴィッキーニの左手を掴むと、ヴィッキーニが体を引き上げ、レイリーは水上機の左主翼の付け根に立った。

「フラップに気を付けて下さい。」
「ああ、わかった。」

ヴィッキーニの注意を受けつつ、レイリーは偵察員席の横にある足置きに左足を乗せ、そのままひょいと体を浮かし、機内に滑り込んだ。

「かなり狭いが……一応は入れるんだな。」

レイリーはこじんまりとした穴の様な座席部分に腰をおろし、そのまま蹲った。
ヴィッキーニとグラハムも搭乗し、2人は各種計器の最終点検を行い始めた。
レイリーは、首の後ろに下げていたヘアキャップを被る。それを見計らったかのように、ヴィッキーニが体を振り向けた。

「レイリーさん。飛行中に話すときは、側に付いているハンドマイクを使って下さい。」
「ああ、これか。」

レイリーは、顔の側についているマイクを見つけ、それを手に取った。

「話したいときは、ボタンを押しながらマイクに向かって喋って下さい。会話はヘアキャップの耳に付いているレシーバーから聴き取れます。」
「……飛行中はエンジン音がやかましいから、こいつを使うと言う訳だな。」
「その通りです。」

ヴィッキーニは軽く頷いた。

「わかった。何か起きたらこいつを使わせて貰うよ。」

レイリーの返事を聞いたヴィッキーニは、右手の親指をピンと伸ばした。
それから彼は前に振り向き、再び計器の点検に戻った。

「ヴィッキーニ!エンジンをかけるぞ!」

操縦席に座るグラハムがレシーバー越しに声をかけて来た。

「了解です!」

ヴィッキーニの返事が聞こえた直後、機首のエンジンが唸りを上げ、プロペラが回り始めた。
最初はゆっくりと回っていた3枚のプロペラは、エンジン音が高まると共に回転速度を上げていく。
エンジン始動から1分後、レイリーの乗機は轟音と共にプロペラを回し、発艦前の暖気運転を開始していた。
時折艦が揺れるが、波が穏やかな事もあって、動揺はあまり大きく無い。

「はい。こちらスカイスナーク……わかりました。あと5分ですね。ええ、予定の時刻までには間に合うと思います……」

操縦員のグラハムは、レシーバー越しにノヴォトニー艦長とやりとりを行っているが、その声はエンジン音に掻き消されてレイリーには聞こえなかった。

「レイリーさん。聞こえますか?」

唐突に、耳元のレシーバーからヴィッキーニの声が響いて来た。
レイリーはマイクを掴み、すかさず言葉を返した。

「ああ。聞こえるよ。」
「そろそろ発艦です。ベルトを締めて下さい。」
「わかった。」

レイリーはマイクを置いてから、ヴィッキーニの言われた通り、腰のベルトを締めた。
(くそ、きついな……今は陸地から100ゼルド(300キロ)程離れているから、この飛行機のスピードからして、1時間で現地に着くと言われている。
これは、人生の中で最もきつい1時間になりそうだ……)
レイリーは心中でぼやきながら、発艦の時を待ち続けた。

待つ事しばし……耳元のレシーバーにグラハムの声が響いた。

「レイリーさん!今より発艦します。衝撃に備えて下さい!」
「わかった!」

レイリーはグラハムの言葉をしかと聞き、張りのある声音で答えた。
機首のエンジン音がこれまで以上に無いほど唸り上げた、と思った直後、何かの炸裂音と共に機体が急激に加速した。
(!?)
初めて体験するカタパルトの射出に、レイリーは思わず面喰ってしまったが、それも急に訪れた浮遊感によって和らいでいく。
(遂に発艦したか………)
レイリーは内心安堵したが、同時に、これから向かう現場に思いを馳せ始める。
(敵国本土へ潜入か……魔道学校で潜入工作の訓練はみっちりとやらされたし、実戦も昔経験しているが………シホールアンル本土へ潜入するとなると、
やはり緊張してしまうな。現地で待つグレンキアのスパイ達とは、果たして、上手くやって行けるかな……)
レイリーの胸中に、不安とも期待ともつかぬ思いが次々と湧き起こる。
彼は蹲っていた姿勢をやや起こす。その時、彼の乗機がゆっくりと左旋回を始めた。
レイリーは風防ガラスの左側から外を眺めた。
今は夜間であるため、視界が暗い事には変わりないが、それでも、月の光は漆黒の闇に僅かながらの明かりを差し出している。
そのため、夜の洋上は、上空から降り注ぐ2つ月の光によって、微かながらも青白く見えた。
その薄明るい闇の中に、レイリーは黒っぽい影を見つけ、それが何かを射出した瞬間を見る事が出来た。

「シーダンプティも艦載機を発艦させたな。」

レシーバーからグラハムの声が聞こえて来る。

(あれがフラックスナークの僚艦、シーダンプティか……と言う事は、あの艦から発艦した機に、クサンドゥス中尉は乗っているんだな)
レイリーは、この作戦で行動を共にする相棒の事を考えつつ、これから合流するグレンキア軍のスパイ達とどう行動するか考え始めた。
程無くして、シーダンプティから発艦したシーラビットがレイリー達と合流を果たした。

「こちらスカイスナーク。スカイダンプティへ、状況を知らされたし。」

グラハムは、フラックスナーク機との連絡を取り始めた。

「こちらスカイダンプティ。機体の状況は良好、燃料もフルだ。お客さんの状況は……まぁ良好だな。」
「こちらスカイスナーク。今の間はなんだ?」
「いや、別に大したことじゃないよ。ただ、お客さんがさっきまで、船酔いで伸びちまってただけだ。まっ、じきに直るさ。」
「了解した。現在の時刻は午前0時40分だ。約束の時間まではあと1時間程しかない。今すぐ目的地に向かうぞ。」
「こちらスカイダンプティ、了解。先導を任せる。」

シーダンプティ機との交信は、僅か2分足らずで終わった。

「ヴィッキーニ!これよりヴェナバシェク海岸に向かう!針路は245度だ。」
「針路245、アイサー!」

ヴィッキーニの返事と共に、機体が左に傾き、緩やかに旋回して行く。
フラックスナーク機を先導役に定め、右斜め後ろを行くシーダンプティ機が、翼端灯の光を頼りに随行して来る。
2機の水上機は、時速210マイル(336キロ)、高度1000メートルを保ちながら、冬も差し迫った、冷たい洋上を目的地目指して飛び続けた。



同日 午前1時30分 シホールアンル帝国ヴェナバシェク

母艦を発進した2機の水上機は、風が程良く追い風となったため、会合予定時刻の午前1時45分よりも早い、1時30分に目的地に到達した。

「見えた……陸地だ!」

グラハムは、暗闇の中にひっそりと見える稜線を確認するや、マイク越しにそう伝えた。

「!!」

それまで、窮屈な姿勢で蹲っていたレイリーがはっとなり、俯いていた顔を上げる。
この時、グラハム機は陸地まで20キロの地点に到達していた。
それから5分後……陸地のとある部分から、点滅する光のような物を視認した。

「レイリーさん!陸地から光が点滅している!」
「何回だ?」

レイリーは即座に聞き返した。

「……5回です。5回連続で点滅してはそれの繰り返し。」
「ああ、間違いないな。」

レイリーは頷きながら言う。
ミスリアル本国で行われたグレンキア側との打ち合わせでは、首都より出向いたスパイが回収予定地点で待機し、水上機の接近を察知した場合は
光を5回ずつ明滅させて敵味方の確認を行う手筈となっていた。
水上機に向けて点滅を繰り返すそれは、紛れも無く、現地の協力者が発する合図であった。

「レイリーさん。これより、着水に入ります。しっかり構えていて下さい!」
「わかった。任せるよ!」
「ヴィッキーニ!こんな“北の果て”に連中は居るとは思えんが、念のため、周囲を警戒しておけ!」
「OKです!見張りは任せて下さい!」

ヴィッキーニの返事を聞いたグラハムは、ニヤリと笑いながら後続のシーダンプティ機に指示を飛ばした後、愛機の高度を下げ始めた。
それまで、高度1000メートルを維持していたシーラビットが機首を下げていき、機体の高度計の針が、数字の低い方向に向けて回転していく。
増速しているのか、エンジン音の唸りが高まっていた。
到達地点と見られる海岸部は、2つ月の光があるにもかかわらず、ほぼ真っ暗だが、光の点滅は止まる様子が無く、尚も合図を送り続けている。
そのお陰で、着水地点の大体のアタリを見出す事が出来た。
グラハムは、グレンキア軍スパイの献身的な働きに感謝しながら、愛機を海岸部へと進めて行く。
高度が100メートル、90メートル、80メートルと下がって行く間、眼前にうっすらと見える小さな浜辺との距離も縮まって行く。
グラハムは、細心の注意を払いながら、愛機の速度を落として行く。

浜辺に近付く際は、海面から浮き出ている岩礁に気を付けなければいけない。
今は夜であるため、見分けのつけにくい岩礁を発見するのは難しく、通常は一度、着水地点をフライパスして安全を確認しなければならない。
だが、現地の協力者は、点礁の少ないと言われているこの海岸を選んだ上に、現在の時刻は満潮時であるため、そのまま着水に移る事が出来た。
海岸との距離が、目測で2キロを割ったと判断した時、彼の愛機はフロートを海面にこすりつけた。
着水の瞬間、鈍い音と共に突き上がる様な衝撃が伝わった、と思いきや、幾度かアップダウンを繰り返した。
グラハムの操る水上機は、陸地との距離を慎重に見定めつつ、エンジン出力を調整しながら滑走を続けて行く。
グラハムの駆るフラックスナーク機が着水し、海岸付近に到達する間、一度は様子見のため、海岸部をフライパスしたシーダンプティー機が、やや遅れて着水した。
シーダンプティ機が海岸部に向けて滑走し始めた頃には、グラハム機は海岸より200メートル沖合で停止していた。
待機していた人影3名が、予め用意していたと思しきボートに乗り組み、3人中2人がオールを漕いで向かって来た。

「ヴィッキーニ、用意しとけよ。連中が偽物だったら、お前の持っているトンプソンを撃ちまくって逃げる。」

グラハムが、やや重い口調でヴィッキーニに言う。

「海岸にも敵さんが居たら?」
「両翼の12.7ミリを一連射してトンズラだ。」
「わっかりました。レイリーさん、確認の方は任せました。」
「了解。」

レイリーは短く返答してから体を浮き上がらせ、風防ガラスから顔を覗かせた。
ボートは、水上機の右斜めから接近しつつあった。
程無くして、その手こぎボートが水上機の右側に近付き、そして停止する。
ヴィッキーニが風防ガラスをスライドさせた。外から冷たい空気が吹き込み、レイリーは顔をしかめるが、気を取り直して体を乗り出した。
ボートには、頭に布を巻き、口ひげをはやした男と、オールを持ちながら短髪で鋭い目を光らせる男、同じく、オールを両手にレイリーを見つめる
ショートヘアの女が乗っていた。

「合言葉は!?」

レイリーは、大声で彼らに問い質した。
出力を弱めてあるとはいえ、辺りには水上機のエンジン音が鳴り響いているため、1度言ったただけでは聞き取れないかと、レイリーは思った。
だが、言葉は通じたのか、口ひげを生やした男がレイリーの問いに応えた。

「ブロンギル伯爵のシーツは紅白色に星模様!これでいいか!?」
「……ああ。」

レイリーは小声で呟きながら、2度頭を頷かせた。

「あなたがグリンゲル魔道士ですな!?」
「そうだ!」

口ひげ男の問いに、レイリーも答えた。

「さあ!こちらに移って下さい!」

口ひげ男が右手をボートにかざしながら言う。
レイリーは頷くと、座席から体を起こし、背中に押し付けていた荷物を手に取り、コクピットから翼に足を乗せようとする。

「レイリーさん!翼は濡れているから滑り易くなっています。気を付けて下さい!」
「ああ……」

レイリーはヴィッキーニのアドバイスを聞きつつ、ゆっくりと翼に乗った。
ボートに乗っている口ひげ男が立ち上がると、レイリーに何かを手渡そうとした。

「これを飛空挺の乗員に渡して下さい!重要な情報が入っています!」

それは封筒であった。
レイリーは男から封筒を受け取ると、翼の上を歩き、ヴィッキーニに渡した。

「レイリーさん!これは何ですか!?」
「詳しくは分からんが、重要な情報が入っているらしい。あちらさんは、これを持ち帰って有効活用してくれと言いたいようだ。」
「わかりました!」

ヴィッキーニは頷くと、レイリーから封筒を受け取った。
頷いたレイリーはコクピットから離れ、下で待っているボートに歩み寄った。

翼からボートに降りようとする前に、レイリーはコクピットに向けて振り向く。
ヴィッキーニとグラハムは、無言で彼に敬礼を送っていた。

「……ありがとう。気を付けて帰ってくれ!」

レイリーは慣れないながらも、2人に答礼を返した。
体を振り向かせると、レイリーはボートに飛び乗った。
その時、もう1機の水上機が轟音をがなり立てながら接近して来た。
水上機はボートの左手前100メートルで停止し、そのコクピットが慌ただしく開かれた。

「さあ、こちらに座って。もう1人を回収次第、浜辺に戻ります。」

レイリーは口ひげ男の指示に従い、短髪男の前に座った。
ボートはもう1機の水上機に接近した後、相棒であるクサンドゥス中尉を回収した。

「よし!急いで浜辺に戻るぞ!今頃は敵の駐屯部隊も目を覚ましている頃だ!!連中が準備を整えるまでにここからずらかるぞ!!」

口ひげ男は爆音に負けじとばかりに、大音声で仲間に指示を送った。
ボートが反転し、2機の水上機から離れ始める。
程無くして、水上機が動き始めた。
先に着水したグラハム中尉の機体が緩やかに反転した後、エンジン音を発しながら水の上を走り、離水して行く。
次に、2番機がグラハム機と同様に踵を返し、エンジンを全開にして滑走し始めた。
水上機の巻き上げる水しぶきがフロートから吹き上がり、機体が緩やかな並みに揺れて行く。
暗闇の中であるにもかかわらず、その黒っぽい機影が白波を蹴立てながら滑走して行く姿は壮観であり、暗闇の中から浮かび上がる両翼の翼端灯が、
小振りながらも、その壮観さを一層際立たせていた。
2番機は200メートルほど滑走してから離水し、1番機を追うように東の空に向かって行った。

「あれがアメリカという国の飛空挺か……水の上でも飛べるとは、凄い。」

レイリーは、オールを漕ぐ短髪男が、どこか感嘆したような口調で呟くのを耳にした。
4分後、ボートは浜辺に到着し、レイリーとクサンドゥスは初めて、シホールアンル本国の土を踏んだ。

「ようやく、敵国本土に上陸ですか。」

クサンドゥス中尉は、青い顔を浮かべながらレイリーにそう言った。
彼女の顔と、口調からして、船酔いは完全に直っていないようだ。

「これからは大変でしょうね。」
「なに、我々が居る限りは大丈夫ですよ。」

口ひげ男がレイリーに話しかけてきた。

「ささ、今はこの場から離れましょう。森の中に馬車を隠しておりますから、そこで自己紹介を行います。と、その前に……」

口ひげ男は、短髪男に目配せした。
頷いた短髪男は、砂浜に置いてあった袋から、2人分の衣服を取り出した。

「お二人には、こちらの服に着替えて頂きます。今着ている服はすぐに処分させていただきますが、よろしいですね?」

短髪男の言葉に、2人は無言で頷いた。
服を受け取った2人は、別々の場所で素早く着替えた後、脱いだ飛行服を協力者に手渡した。
飛行服は口ひげ男の手によって、森の物影で焼却処分された。
2人は3人の協力者達に連れられ、浜辺の近くの森の中分け入っていった。

時刻が午前2時20分を過ぎた頃、2人は協力者達と共に隠していた馬車に乗り組んだ。

「全員乗ったな。出発だ!」

口ひげ男は、御者台に乗った短髪男にそう告げると、馬車はゆっくりと動き始めた。

「……紹介が遅れましたな。」

口ひげ男は、2人に対して申し訳なさそうに言う。

髭を生やしている割には、顔は若く、レイリーやクサンドゥスと大して年は離れていないように思えた。

「私はハヴィス・クシンクと申します。こちらは私達の仲間である、レビンケ・ヒセクヴェスです。」
「初めまして。この度は勇敢なるお二方を出迎える事が出来、光栄に思えます。」

レビンケと名乗るピンク色のショートヘアの女性が、慇懃な口調で2人に言う。

「御者台に座っている仲間はフトヴィ・ヴァキンシュと申します。僕達の中では最も頼れる男です。」
「……それにしても、遠いアジトから、600ゼルド(1800キロ)も北の僻地まで迎えに来て下さるとは……重ね重ね、苦労を掛けます。」

レイリーは平身低頭しながら、礼の言葉を述べる。

「礼の言葉など、我々にはもったいないぐらいです。ですが、その気持ちは素直にお受けしましょう。」

ハヴィスは爽やかな笑みを湛えながら、レイリーに向けてそう言い放った。

「我々はこれから、1週間かけてウェルバンルに戻ります。ウェルバンルに戻った後は、郊外のアジトに案内します。他の仲間とはそこで会いましょう。」
「1週間ですか。意外と早いですね。」

クサンドゥスが首を捻りながらハヴィスに聞く。
ハヴィスの代わりに、レビンケが答えた。

「ここから100ゼルド(300キロ)南に行けば、ウェルバンルに繋がる鉄道があります。そこを通る急行列車に乗れば、2日程度でウェルバンルに戻る
事が出来ますよ。」
「鉄道ですか……シホールアンルもなかなか、交通網が発展しているようですな。」

レイリーの問いに、ハヴィスが頷いた。

「ええ。このお陰で、シホールアンルの連中は遠距離からの兵力転用も、比較的短時間で行えるようになっています。」
「全く、羨ましい物ですよ。」

レビンケが苦笑しながらレイリーに言う。

「……連中の鉄道網がどんな物なのか、楽しみですね。」

それに対して、レイリーは何かを比べたいと言わんばかりの口調でそう言い放った。

「楽しみですか……そう言えば、グリンゲル魔道士は以前、アメリカという国にも行かれた事があるとか。」
「ええ。行きましたよ。」

レイリーはしたり顔で頷く。

「……もし、シホールアンルの連中がアメリカ本土を見ていたら、この戦争も長くは続かなかった。そう思うほど、あの国は凄いと思わせられました。」

レイリーは、長旅の疲れもそっちのけで、自らが体験した事をハヴィス達に話し始めたのであった。



それから1週間後。レイリー達は首都ウェルバンル郊外にあるアジトに無事到着し、工作活動を始めた。

潜入作戦に参加した2隻のアイレックス級潜水艦は、敵の哨戒網を巧みに避けながら危険海域を脱し、11月6日にはアッツ島基地に無事入港を果たした。
その後、フラックスナーク搭載機が持ち帰った情報は、入港から3日後に太平洋艦隊司令部に届けられ、翌日の夕方にはワシントンDCに送られた。

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