自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

387 第286話 決意の向こうに

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第286話 決意の向こうに

1486年(1946年)1月22日 午前6時 クロートンカ近郊

森の中をゆっくりと歩く中、ふと上を振り向く。
まだ夜が明けきらぬ、ほの暗い空から雪が降って来た。

「………」

穴開き手袋を外し、掌を返して見ると、降って来た雪が手に付き、冷たい感触が伝わる。

「……まだ、感覚は残っているんだね……」

その人物は、そうぽつりと呟くと、前方に顔を向ける。
森の木々の間から、少し離れた街の灯りが見えている。
目的地であるクロートンカだ。

「住人共が戻って、敵に宿を開放しているという話は本当だったか」

白い外套に身を包んだその人物は、単調ながらも、その内には憎しみを込めた口調で言う。
本当ならば、このクロートンカに来る予定は無く、ここから遠く離れた森林地帯でゲリラ戦を続ける筈だった。
だが、2日前に、このクロートンカに向かうミスリアル軍の車列に混じっていたヤツを見てからは、復讐心に
駆られるままこの地に向かい続けて来た。

「仲間を皆殺しにした、あのエルフの将校……ヤツを殺すまでは、決して……!!」

口を震わせながらそう呟くと、部隊のただ1人となったその生き残りは、沸き起こる憎悪に身を任せ、再び白い森の中を歩き始めた。

午前8時30分 クロートンカ中心街

連合軍に解放されたクロートンカは、12月中旬には解放を聞きつけて舞い戻った住人によって復興が始まり、今では連合軍部隊の休息地として、
かつてない賑わいを見せていた。
第3海兵師団A戦闘団の指揮官であるヨアヒム・パイパー中佐は、従軍記者であるアーニー・パイルと共にこの地を訪れていた。

「よし!この辺でいいぞ」

パイパーは通りの右側にジープを止めさせると、その場で下車した。
ただ、場所がまずかったのか、交通整理をしていたMPに声を掛けられた。

「中佐殿!ここでは停車しないでください!」
「おお、すまん!今すぐどかせるぞ」

パイパーはMPに謝ると、ジープのボンネットを叩いて行っていいと合図を送る。

「それじゃ、また後で!」

運転兵はパイパーにそう返すと、ジープを発進させて、混雑する通りの向こうに消えていった。

「いやーしかし、賑わってるねぇ」

パイパーと共に下車したパイルは、通りや歩道を歩く人の群れを見つめながら、感嘆の言葉を漏らした。

「元々、ここは大きな町で、戦前は30万の人口を有していたらしい。戦闘中は、住民はほぼ逃げ出してゴーストタウンと化していたが、
戦闘が終わると、どこぞで隠れていた住民達が戻って、この賑わいを見せているようだ」
「前線も遠くに離れたし、後方の休息地として最適の町になった訳か」

パイルは首に下げていたカメラを構え、3枚ほど写真を撮影した。

「今日も熱心に撮影するね」
「私はカメラマンだからね。いい物が撮れそうなときは、撮るに限る」

パイパーは彼の職人気質に心中で感心した。

「パイルさん、ここだ」

3分ほど歩いてから、2人は目的の場所に到達した。
そこは、2階建ての細長い建物で、看板には分かり易い女の絵と、英語で大衆酒場と言う言葉が大きく書かれていた。

「これが、パイパー中佐の言ってた酒場か」
「噂によると、店主がフットワークの良い人でな。アメリカの酒も大量に仕入れて客に出しているらしい」
「ほう、それは楽しみだ」

パイルは破顔すると、パイパーに促されながら酒場に入って行った。
中には、7名ほどの先客がおり、カウンターやテーブル席に座って雑談を交わしていた。
この時、カウンター席の客1人が、パイパーらに顔を向けた。

「む……パイパー中佐じゃないか」

パイパーは、その顔に見覚えがあった。
また、7名の先客は共通の軍服を着ているが、その軍服はグレンキア軍の物だった。
カウンター席から立ち上がったその客は、パイパーに近付きながら顔に笑みを張り付かせた。
パイルはパイパーの顔を見ると、彼もまた、照れ臭そうな笑みを浮かべている。
2人の士官は、互いに握手を交わしていた。

「ポリースト中佐か!しばらくだな!」
「ああ。お互い、運良く生き残れたな」

2人は握手をひとしきり交わした後、笑顔を浮かべたまま話を続けた。

「しかし、ここで会えるとは……偶然だ」
「それはこっちのセリフだよ。てっきり、グレンキア装甲軍団はもっと後方に移動したと思っていたが」
「部隊の位置はここから南に20マイルほど離れているから、前線から近くは無い……パイパー中佐、そちらの方は?」

ポリースト中佐はパイルに目を向けてから、パイパーに聞いた。

「ああ、紹介が遅れたな。こちらは従軍記者のアーニー・パイル氏だ」
「アーニー・パイルです」

パイルはポリースト中佐に右手を差し出すと、ポリースト中佐もまた、快く応じた。

「私はグレンキア陸軍第12装甲擲弾兵師団に所属します、ウェロース・ポリースト中佐と申します。以後、お見知りおきを」

互いに握手を交わした後、ポリーストはパイパーに向き直った。

「今日は休暇でここに来たのか?」
「ああ。一段落したので、外出許可を得てここに来たんだ」
「それは良かった。ささ、こっちが空いているから座って」

パイルとパイパーは、ポリーストに勧められて、カウンター席に座った。

「いらっしゃい!ご注文は何にします?」

カウンターの中にいる、口ひげを生やした色白の恰幅の良い店主がパイパーとパイルに注文を聞いてきた。

「ビール……あるかな?」
「ええ。勿論ありますよ!」
「それじゃあ、2本くれ」

パイパーはビールを2本注文した。
店主は声音の良い返事をしてから、すぐにビールを手渡した。

「ありがとう」

パイパーは礼を言ってから、代金を店主に払う。

「おぉ……アメリカ産のバドワイザーだ。大将、よくバドワイザーを仕入れたね」

パイルは半ば感嘆したような口調で店主に言う。

「へい。アメリカ軍のある将校さんがこれまたいい人でしてね。その方のお陰で、ちょいと……」
「その名の知らぬ将校に感謝だな」

パイパーは、見知らぬ将校に感謝しつつ、ビール瓶を掲げた。

「では……ポリースト中佐。乾杯と行くか」
「うむ。生き残れた事と……義務を果たした戦友たちに……乾杯!」

ポリースト中佐が音頭を取り、3人はビール瓶を合わせる。そして、ビールを喉に流し込んだ。
寒い真冬とはいえ、気持ちの良い室内で飲む冷えたビールは格別の味であった。

「ふぅ……やはり、酒はリラックスしながら飲むに限る」
「戦闘直後に酒を飲んでも、緊張と興奮であまり美味く感じないからな」

パイルとポリーストは、互いに微笑みながら、休日のビールに舌鼓を打った。

「しかし、先の戦闘は酷い物だった。うちの師団は4割以上の損害を出してしばらくは前線で戦えそうにないよ」

ポリーストは、先とは打って変わり、やや陰鬱めいた口調で話し始める。

「俺の連隊も消耗が嵩んで、今は休養と補充に専念している」
「それは海兵隊も同じだ。敵は散々に叩きのめしたが、こっちもダメージを受けすぎてフラフラしている」
「お互い、難儀な役目を押し付けられたからね。勝利したとはいえ、もう少し被害を減らせなかったのかと、今でも思ってしまうよ」

ポリーストの言葉に、パイパーは無言で頷きながらビールを飲む。
先の攻防戦に勝利した連合軍は、その後も包囲網の北に逃れたシホールアンル軍相手に戦闘を続け、現在の戦線は、シホールアンル帝国国境を
10マイル越えた所で止まっている。
その後、損害を受けた海兵軍団とグレンキア装甲軍団は、クヴェンキンベヌを守備していた空挺軍団と機甲師団と共に、後方より送られてきた
友軍部隊に前線を任せ、1月初旬までには戦線を離れ、クロートンカ周辺で休養と補充に当たる事となった。

「ポリースト中佐は、本国に家族はおりますか?」

パイルがビールを飲むポリーストに、何家ない口調で聞いてみた。

「いますよ。妻と子供が2人。子供は男で、17歳と14歳……まだ学生ですな」

ポリーストはビールが空になった事に気付き、店主に追加注文を行った。
ビールを手渡されると、ポリーストは再び話し始める。

「長男は軍に志願したいと言っていますが、自分は反対してます」
「どうして反対するんだ?息子さんも国の為を思って軍に志願しようとしてる筈だが」
「気持ちは分からんでもない。だがね……」

ポリーストは右手を額に乗せ、複雑そうな表情を浮かべる。

「俺が育てて来た息子が戦場で屍を晒す光景を思い浮かべると、どうしても賛成する気にならんのだ。戦場の悲惨さは君も見ているだろう?」
「ああ。酷い物だよ」

パイパーは陰鬱めいた口調でそう返した。
先の作戦でも、パイパーは多くの将兵の死を見てきた。
作戦開始前、自信満々に敵を討ち取ると宣言していた海兵隊員が、敵弾を受け、苦しみにのたうち回りながら、口には母の助けを叫んで息絶えていく。
それまで敵部隊を散々に打ちのめしていた味方戦車が一瞬にして被弾炎上し、脱出者が1人も居ないまま燃え盛っていく。
それは見慣れた光景だったが、悲惨な光景である事には変わり無い。
ポリーストもまた、その目で戦場の現実と言う物を嫌と言うほど見てきている。
そこに、自分の愛した息子が飛び込んでいく……
それを最大級の誇りと見るのが、軍人の父として当たり前の出来事なのであろう。
だが、ポリーストはとてもそんな気分にはなれなかった。

「俺は……息子達には勉学に努めて、知識を身につけてから、本国で大いに働いて貰いたいと思っている。決して、戦場に出したくないんだ」
「戦場を知るが故に、子には平和なままで暮らして欲しい。そう言う事だな」

パイパーがそう言うと、ポリーストは無言で大きく頷いた。

「ポリースト家で血に汚れる役目を担うのは、俺一人で充分だ」
「この話……人によっては違う意見が出るでしょうが、私は中佐の言われる事は素晴らしい物だと思います。戦争に誰もが飛び込むわけでは
無いですからね」
「パイルさん、良く分かってるじゃないか。流石は従軍記者さんと言った所か」

パイルの言葉を聞いたポリーストは、微笑みながらそう返答する。

「しかし、シホールアンルが有するヒーレリ領も、あとは北西部の辺りだけになった。このままだと、2月中には残ったヒーレリ領も
解放されるかもしれんな」

パイパーは話を変えた。

「ヒーレリが1つの国家として蘇るのも、遠い先の話では無くなってきたという事だね」

パイルは感慨深げな口調でパイパーに言ったが、ポリーストは不安げな表情を浮かべる。

「でも、まだ問題はある。まだ降伏していない、シホールアンル軍の残党が暴れている事もあるし、悩みは尽きないのが現状です」
「シホールアンルのゲリラか……確かに、連中はしぶといようだな」

パイパーも渋面を浮かべつつ、ビールを少し口に含んだ。
カイトロスク会戦の結果、シホールアンル陸軍の主力反撃部隊は包囲殲滅されたのだが、一部の部隊はゲリラ化し、各所で連合軍の補給部隊を
襲撃して大いに悩ませていた。
このクロートンカ近郊でも、移動中の部隊が幾度か、敵のゲリラに襲撃されて損害を出している。

「情報部の知り合いから聞いた話では、敵反撃部隊は元々、後方での攪乱や暗殺等と言った、裏仕事をメインでやっていた連中を前線向けに
鍛え直して編成されたようだ」
「つまり……ゲリラ化した奴らにとっては、好都合の展開になったという訳か」
「そういう事さ」

パイパーが苦笑しながら言うと、ポリーストもつられて苦笑いを浮かべた。

「それじゃあ、下手したら……敵のアサシンがクロートンカとかで休息中の高級将校を狙いに来る、という事もあり得るのかな?」
「パイルさん、無きにしも非ず、と言った所だな」

パイパーはそう言いつつ、タバコを咥えて火を付けようとするが、ライターに火がなかなかつかない。

「火の着きが悪いようだね」

パイルは言いながら、持っていたジッポライターに火を付け、パイパーの口元に差し出した。
パイパーは有難そうにタバコに火を付けると、口元から紫煙を吐き出した。

「恩に着るよ。しかし、どうして火が付かんのかな……オイル切れちまったか」

「少しばかり話を戻すが、さっき出て来た敵のゲリラだが……今は粗方掃討されて、活動も下火になったようだ」
「その話は俺も聞いている」

パイパーは頷きながらポリーストに言葉を返す。

「なんでも、後方より増援として送られたミスリアル軍が上手い具合に掃討してくれたようだ」
「そのミスリアル軍だが……先のゲリラの掃討ではかなり手荒い事をしたらしい」
「手荒い事だって?何かやったのか?」
「一部のミスリアル軍部隊が、投降してきた敵兵を容赦なく殺害したようだ。そう、無抵抗の敵兵を……」

ポリーストの口から出たその言葉に、パイパーは思わず耳を疑った。

「ちょっと待て……ミスリアル軍が無抵抗の敵兵を殺害だと?まさか」

パイパーは、ポリーストが嘘を言っているのかと思った。

「ミスリアル軍は、敵兵の扱いに関してはまともだぞ。そんな事起きる筈が無いだろう」
「だが、その捕虜虐殺に関わったあるミスリアル兵が、酒の席でグレンキア軍の兵士に漏らしたそうなんだ。この件は何故か、噂扱いで
あまり表沙汰になっていないようだが……」
「表沙汰にはなっていないが、噂としては広まっている、という事か」

パイパーはそう言った後、しばしの間思考してから言葉を紡いだ。

「噂は噂、ではないのかな?ミスリアル兵とは言え、人の子だ。そんなドエライ事をやらかしたのに、表沙汰になっていないという事は、
それが兵士の口から出たデマカセという事も考えられる。それが噂として広まっているのだろう」
「ふーむ……君が言うのなら、そうかも知れんなぁ」
「そう言った事は、どの仕事でもある物です。私も特ダネを追っている時に、ガセネタを掴まされて苦労した事がありますから」

パイルが自虐気味に言うと、それを聞いたパイパーとポリーストが小さく笑った。

「ポリースト、もうビール瓶が空だな。店主!あられもない噂に惑わされたこの将校様にビールの追加を頼む!」
「おいおい」

ポリーストは苦笑しつつも、追加されたビールを取って、少しばかり口に流し込む。
唐突に、ドアが開かれる音が店内に響いた。
パイパーとポリーストは会話に熱中しているため無関心だったが、パイルだけはその音のする方向に顔を向けた。
店の入り口には、赤いベレー帽を被ったエルフの女性士官が立っていた。

(ほほう……これはまた美人さんだな)

パイルは、そのミスリアル軍将校の顔と体を見るなり、素直にそう思った。
顔は典型的なエルフらしい整った形をしており、体つきも出る所はしっかり出て、引っ込むところはしっかりと引っ込んでいる。
緑を基調とした戦闘服に身を包んでいるためか、幾分がっしりとしたようにも見えるが、体全体のバランスは崩れておらず、むしろ
引き立たせているようにも見える。
また、腰の右側に装飾の入った長剣を携えている事で、その将校の威厳さも醸し出されているように思えた。
パイルは、そのミスリアル軍将校と目が合ったが、この将校の右頬に、二つの細長い傷跡が付いている事に気付いた。

「すまないが……隣に座ってもよろしいかな?」

ミスリアル軍将校は、特徴のある気の張った口調でパイルに尋ねた。

「あ、ああ。空いていますよ」
「そうか。では、お邪魔する」

ミスリアル軍将校は無表情のままそう答え、頭のベレー帽を取りながらパイルの左隣に座る。
ベレー帽の中からは、ポニーテール状に止められた亜麻色の長髪が現れた。
彼女はパイルの右隣にいるパイパーとポリーストを見るや、彼らにも声を掛けた。

「失礼ですが、あなた方はアメリカ軍とグレンキア軍の将校ですか?」
「如何にも。私はグレンキア陸軍所属のウェロース・ポリースト中佐で、こちらはアメリカ海兵隊のヨアヒム・パイパー中佐だ」
「パイパーです。よろしく」

紹介を受けたパイパーは、にこやかな笑みを浮かべて挨拶を送った。
だが、ミスリアル軍将校は何故か笑みを返さず、表情を変えぬまま挨拶を返す。

「私はリヴェア・ヘミートゥルと申します。ミスリアル陸軍所属で、階級は少佐です」
「よろしく、ヘミートゥル少佐」

ポリーストは持っていたビール瓶を掲げて、改めて挨拶を送った。
ヘミートゥル少佐は、それに無言で頷いてから何かを頼もうとしたが、彼女はパイルが気になり、視線を彼に向けた。

「貴方は軍人……では、なさそうだが」
「ああ、紹介が遅れましたね。私はアーニー・パイル。従軍記者です」
「ふむ……従軍記者ね……」

ヘミートゥル少佐は、無表情のままそう呟いた。
そして、興味を失ったと言わんばかりに、彼女はパイルから視線を離した。

(なんだこのエルフの女は……あまりいい感じがしないな)

パイルはヘミートゥル少佐の振舞いに、心中でそう呟く。
彼はパイパーに顔を合わせると、パイパーもまた苦笑しながら、大きく肩を竦めた。

「店主。果実酒はあるか?」
「ええ。ありますよ。あとお客さん、最近はビールが大量に入って来たんですが、どうです?おススメですよ」

店主は営業スマイルを張り付かせながら言う。

だが

「ビールは味が気に入らなくてね。出さないで欲しい。それよりも、飲みやすい果実酒をお願いしたい」

ヘミートゥル少佐はばっさりとした口調で、その勧めを断ってしまった。
それを受けた店主の動きがピタリと止まったが、すぐに意識を切り替えて果実酒を差し出した。

「ありがとう」

彼女は素っ気ない口調で返してから、果実酒を飲み始めた。

「ヘミートゥル少佐……差し支えなければ幾つか質問してもよろしいですか?」

パイルは吸っていたタバコを灰皿に押し付けつつ、左隣の彼女に質問してみた。

「質問か……私を誘って、寝台の共にできるかどうかを聞きたいのかな?」
「いえ、そっち方面の質問ではありません」
「ほう……では、別の事か。私の所属とか、ここでやった任務の事とか」
「そうですね。答えられる範囲で良いですよ」

パイルがそう言うと、ヘミートゥルはしばし間を置いた後、2度ほど小さく頷いた。

「従軍記者の取材とやらを受けてみるか」
「ありがとうございます。それではまず……少佐の所属部隊は?」
「第8機械化歩兵師団だ。ミスリアル陸軍の中でも歴戦の部隊さ」
「ほう、第8機械化師団か……その部隊の勇猛さは俺も聞いているよ」

ヘミートゥルの答えを聞いたポリーストが、半ば感嘆した口調で口を開いた。

「なんでも、名誉称号を与えられた程の部隊だとか」
「つい先日の事です。称号の名はヴィーレンス。本国の命によって、第12機械化師団と同時に称号が与えられました。なので、
これからは陸軍第8「ヴィーレンス」機械化歩兵師団と名乗る事になります」
「ヴィーレンスという名の由来は?」
「わがミスリアルの中で、建国に貢献した10英雄の中の1人、ポエリエ・ヴィーレンスに因んで付けられています。ちなみに、同僚部隊である
第12師団には、「レイヴァーン」と言う称号が付けられていて、この師団も今後は第12「レイヴァーン」機械化歩兵師団となります」
「歴戦の部隊に送られる名誉称号……凄いもんだな」

パイパーは、どこか羨望を滲ませる口調で呟いた。

「パイパー中佐は確か、第3海兵師団に属しておりましたね?」

唐突に、ヘミートゥルがパイパーに質問を飛ばした。

「そう、第3海兵師団だ。今は戦闘団を率いている」
「パイパー中佐の噂は、私共の方でも良く聞いています。ポリースト中佐の方に関しては、前線ではあまりお話を伺っておりませんが」
「俺達の師団は出来て日が浅いから、これといった武勇伝はまだないんだ」
「グレンキア軍の歩兵部隊所属でしたか?」
「いや、君らと同じ機械化師団だ。部隊名は第12装甲擲弾兵師団。先日のカイトロスク攻防戦で、彼の第3海兵師団と一緒に敵の主力を
包囲する役目を担っていた。戦闘に関しては、勝つべくして勝ったと言えるが……こっちも痛手を受けてしまってな」

ポリーストは両手を広げながら言葉を続ける。

「今はこうして、部隊の補充と再編を行いつつ、つかの間の休息を楽しんでいる」
「グレンキア軍師団の戦いぶりも、我が軍の中では語り草となっています。特に、自軍以上の戦力を有する敵を相手にして、一歩も退かずに
戦い抜いたグレンキア軍は、遅れて戦場に到着した我が軍の中では、羨望の眼差しを向けられていますよ」
「それはありがたい話だ」

無表情ながらも、どこか熱を感じさせる口調で言う彼女に対して、ポリーストはまんざらでもない口ぶりで言葉を返した。

「散々打ち据えられた甲斐はあったようだな」
「これといった武勇伝は無いとおっしゃられましたが……中佐殿も謙遜が過ぎますな」

ヘミートゥルは何気ない口調で言ったが、それがパイパーの笑いを誘った。

「さて……パイル氏。次の質問は?」
「少佐が最近行われていた任務についてお聞きしたいのですが、お答えしたくないのなら別の質問に移ります」
「最近……行われていた任務……か」

ヘミートゥルは小声で反芻する。
この時、パイパーはヘミートゥルの雰囲気が変わったような気がした。

「簡単に言うと、害虫駆除と言った所かな」

彼女は相変わらず、素っ気ない口調で返した。
だが、パイパーはその言下に憎悪が含まれている事に気付く。

「アメリカ軍とグレンキア軍が包囲外の敵を追撃していた間、第8機械化師団はゲリラ化した敵の残党を掃討していた。手を焼きはしたが……
狩りとしては充分に楽しめた。特に、好き勝手していた敵の士官が撃ち殺される瞬間は、何とも言えない快感だったなぁ……」

ヘミートゥルの口調は最初と変わらない。
しかし、その口から発せられる内容は思いの外衝撃的で、パイルは彼女の内面が様変わりしたと、心中で思った。

「故郷を汚した連中が惨めに死んでいく光景は、何度見ても心が躍る」
「話を聞く限りでは、シホールアンル軍に相当な恨みを抱いているように思えますが」
「ああ。恨んでいるとも」

ヘミートゥルはそう言ってから、パイルに顔を向ける。

彼女の顔には笑いが浮かんでいた。

「心の底から……ね」
「……」

パイルは言葉を口に出す事ができなかったが、ヘミートゥルは構わずに続ける。

「昔……私はミスリアル本国で任務に当たっていた。任地は東のカレアント国境に近い場所。そこは、わたしの生まれ故郷の村があった場所でも
あった。だが、故郷の村は、私が見ている前で敵に焼かれ、村人は殆どが敵に殺されるか慰み者にされてしまった……その場を生き残った私は、
ある決意をしたんだ……」

ヘミートゥルの口角が更に上がる。

「いつか……シホールアンルの屑共を皆殺しにしてやる……と」

彼女は一旦言葉を止め、果実酒を口に含み、喉に流し込んでから再び口を開く。

「今までは、上の命令に従って捕虜もしっかり取った。こみあげる感情を抑えながらね。だけど……先の掃討戦で、その抑えも効かなくなった。
正直、もう容赦する必要はないと、私は思う」
「ヘミートゥル少佐。貴官の敵を憎む気持ちは良く分かる。だが、本当にそれでいいのかね?」

今まで黙っていたパイパーが、眉間に皴を寄せながら詰問口調で聞いて来る。

「憎しみの連鎖は、やられたらやり返すという行動がより過激化して歯止めが効かなくなることで起こる。連合軍はこれから、シホールアンル本土の
奥深くに突き進むことになるが、そのような行いを続ければ、敵からの恨みを買い易くなってしまう」
「それはつまり……捕虜には優しくしろ……と?」

ヘミートゥルは笑みを消し、パイパーを半ば睨みつけながら聞き返した。

「そうだ。捕虜たちはやれるべき事をやったんだ。それ以上、痛めつけたり、殺すことも無いと思うがな」
「………ランフック空襲で一般市民を大量に殺したアメリカ軍将校から、まさか、そんな大甘な言葉が出てくるとは。思っても見ませんでした」
「少佐!口が過ぎるぞ!」

溜まりかねたポリーストが声を荒げて、彼女の発言を制しようとする。
しかし、ヘミートゥルは止まらなかった。

「いえ、言わせて頂きます!貴方達は、自分の目の前で生まれ育った村を焼かれた事がありますか?家族や知人を殺された事はありますか?」
「それは……」

ヘミートゥルの問いに、ポリーストは口ごもってしまった。
無いと言えばいいだけなのだが、何故か、その言葉を軽々しく出してはいけないような気がした。

「私は、それを目の前でやられたのです……!今でもあの光景が夢に出ます。燃える家々、泣き叫びながら助けを求める友人……気丈に振舞い
ながら、次々と凶刃に倒れていく父や母……!」

ヘミートゥルは徐々に声音を大きくしながら、彼らに話していく。
唐突に、彼女は再び笑みを浮かべる。

「だから、決意したんです。奴らの本国で、同じ事をしてやる。その前準備を、先の掃討戦でやったまでです」

その闇を感じさせる笑みは、パイルらを凍り付かせてしまった。

「ふ……ふふ。気晴らしに飲みに来たら、こんなザマになってしまうとは。パイルさん、期待通りの答えを聞かせられなくて申し訳なかった。
それから……」

ヘミートゥルはパイルに謝罪してから、ポリーストとパイパーに向き直った。

「せっかくの場なのに、不快な気持ちにさせてしまい、深くお詫び申し上げます。ですが……私は、あの時決意した事は、決して曲げぬ所存です。
それでは」

彼女は、ほぼ一方的にそう言い放つと、残った果実酒を全部飲み干し、代金を払って店を出て行った。
しばし間を置いて、パイパーは重々しく口調を開いた。

「長くはないかもしれんな」
「え、何がだい?」

パイルは怪訝な表情を浮かべて聞いて来る。

「彼女の人生さ。あの顔は、既に業を背負いすぎている軍人の顔だよ」
「もしかしたら、あの噂の正体は」

ポリーストは、彼女がこの酒場に来る前に3人で話していた、例の噂を思い出す。

「彼女の部隊がやったかもしれない、という事か」

パイパーが言うと、ポリーストは頷いた。

「階級は少佐だし、普通なら1個大隊を率いていてもおかしくない。そして、彼女の口から出た掃討戦と言う言葉。彼女がやったという確証は
持てないが、少なくとも、第8機械化師団が例の噂の出所であるという事は、これでハッキリしたかもしれない」
「根は生真面目そうな性格のようだが、その気真面目さ故に、溜まっていたのが一気に噴出したのだろう」

ポリーストはそう言ってから、深く溜息を吐いた。

「パイルさん。これも戦争の闇の一つさ」
「はぁ……俺個人としては、彼女にはまだ望みがあると思うんだが」
「自分の寿命を長くするか、または短くするかは本人次第だ」

パイパーはきっぱりとした口調で言う。

「だが、業が深すぎる奴は、寿命は得てして長くない。行動を起こした後、その撒いた種に命を奪われる事もあるからね」
「……もしかして、少佐は種を撒いてしまったのだろうか」
「あの口調じゃ、既に行動を起こしてしまっているだろう。何かしらの種は撒いたかもしれん。そして、例え撒いていないとしても……近い内に、
その厄災を振り撒くだろうな」

ポリーストの不安げな言葉に対し、パイパーは意味ありげな口調で答えてから、ビールを飲み干した。


酒場を後にしたヘミートゥルは、昨日から泊まっている酒場から近い寂れた宿屋に入ると、カウンターの店員に部屋の鍵を受け取り、速足で階段を上っていく。
2階の一番奥側の部屋の前に立つと、鍵を開けてから中に入った。

「はぁ……らしくないな」

彼女は頭を振りながら、ポツリと言葉を漏らす。

「私とした事が……あんなにムキになって言い返してしまうとは」

ヘミートゥルは、あの酒場で同盟軍の士官に胸の内を明かしたが、この時、彼女は意地を張って言い返してしまった。
思えば、あの場では適当にはぐらかしながら、質問に答えて行けばよかったかもしれない。

「とは言え、あの人達は、あたしの気持なんか分かりやしない。何が捕虜に優しくしろだ……!」

ヘミートゥルは内心苛立ちを感じた。
彼女は荒々しく上着を脱ぐと、ベッドの上に叩きつけるように置いた。

「苛立つ時には休むに限る」

ヘミートゥルはそう言いつつ、白いシャツのボタンを上から外しつつ、窓辺に向かった。
部屋の中は2人用で異様に広かったが、閉め切っていた事もあって中の空気は濁っていた。

「その前に、空気を入れ替えなければ」

窓辺に立ち、窓に手を触れようとしたその時……
不意に、ドアをノックする音が室内に響き渡る。

「すいませーん。宿の者ですが、ベッドシーツの交換に参りました」

ドアの外から、宿の従業員が声を掛けて来た。
声からして女だ。

「シーツの交換か……」

ヘミートゥルは間の悪い時に来たなと、心中で思った。
ふと、鏡に自分の姿が映る。
シャツは腹の上辺りまで開けられており、開かれた胸元から豊満な胸の谷間が曝け出されている。
また、胸の下には引き締まった腹も見えており、腹筋のラインが浮き上がっていた。

「この格好はまずいかな……でも、ドアの向こうにいるのは男ではないし。このまま行くか」

乱れた格好にやや顔を赤らめつつも、ヘミートゥルはそのまま応対する事にした。
腰には、外す予定だった長剣も付いたままだが、外すのも面倒なので、これも付けたままにした。
そそくさとドアの前に移動すると、ヘミートゥルはドアを開けて従業員に声を掛けようとした。

「遅くなって済まない。申し訳ないが、今は…!?」

この時、ドアの前に居たのは、茶色の薄汚れた外套をつけた不審者だった。
そして、その不審者は、外套の中から長剣を構えて、ヘミートゥルに突っ込んできた。

「うっ!」

不審者と体がぶつかり、ヘミートゥルは部屋の中に押し倒され、直後に後ろに体を回して起き上がった。

「チッ!その腹を串刺しにできたかと思ったのに!」

不審者は忌々し気に言いながら、部屋のドアを閉めた。
ヘミートゥルは咄嗟に体を捻ったため、相手の刺突をかわす事ができたが、相手の体を避ける事は出来なかったため、後ろに転ばされる事になった。
だが、彼女は態勢を素早く立て直し、相手と間合いを開け、腰の長剣を抜いて威嚇した。

「何者だ!」

不審者はそれに答える事無く、小声で何かを呟くと、空いていた左手を大仰に振り回す。
その直後、部屋の中に薄い緑色の幕のような物が現れ、それが部屋全体を覆った。

「これで……外には音が漏れない」
「な……防音効果の魔法か……!」

ヘミートゥルは、不審者が部屋の中で魔法を展開した事に気付く。

「命……貰うよ!」

不審者は、穴開き手袋を被った手で着ていた外套を掴み、それを勢い良く脱ぐと、ヘミートゥルに向けて投げた。
ヘミートゥルの視界が、相手の投げた外套に覆われる。
彼女の反応は素早かった。
咄嗟に体を踏み込み、剣を下に向けて振り下ろす。
すると、突進して逆袈裟に切り込もうとしていた不審者の剣先に当たり、金属音と共に火花が散った。
そのまま剣と剣が幾度となく打ち合わされる。

ヘミートゥルが顔を切り裂こうとすれば、相手は刃先を当てて塞ぎ、逆に相手が肩口から切り下げようとすると、ヘミートゥルは受け流して、
攻撃を空振りに終わらせる。
そして、ヘミートゥルが相手の右わき腹を蹴り飛ばし、ベッドの上に転がす。
その無防備な体に剣を刺そうと、両手で構え直して刺突する。
間一髪、相手は右に転がってその刺突を交わした。
今度は、隙のできたヘミートゥルに、不審者がその背中めがけて切りかかるが、ヘミートゥルは左腰に隠し持っていたナイフを投げた。
意表を突かれた相手は、咄嗟に剣の腹先で投げナイフを弾いたが、そこに剣をベッドから引き抜いたヘミートゥルが襲い掛かり、腹めがけて
斬撃を放つ。
それを間一髪受け流し、ヘミートゥルに隙が生じたのを見計らって、不審者も脇腹に蹴りを放つが、それはヘミートゥルが腹を後ろに反らした
事でかわされてしまった。
銀髪の不審者はヘミートゥルの繰り出す一撃を受け止め、更に右横から撫でるように斬りかけるが、それも受け止められ、剣を下側に弾かれる。
バランスが崩れ、上半身が無防備になった時、ヘミートゥルはその銀髪めがけて剣を振り下ろした。
銀髪の若い女性は間一髪のところで、それを受け止めた。

今までにない金属音が室内に響き渡る。
不審者とヘミートゥルは、互いに剣を合わせたまま、鍔迫り合いを演じていた。

「く……あんた、強いな!」

銀髪の若い女性は、感心したようにヘミートゥルに言う。その浅黒い肌の顔には笑みを浮かべていた。

「当たり前だ!8年も軍に努めているからな!」

ヘミートゥルは相手を睨みつけ、吠えるような声音が返される。
その直後、相手の顔が大きくなったかと思うと、額に鈍い衝撃が伝わった。

(な……)

ヘミートゥルはその衝撃で後ろに大きく仰け反り、合わせていた剣が外れてしまう。

「これで終わりだ!」

不審者は早いスピードで剣を振りかぶった。
その狙う先は……ヘミートゥルの首であった。
不審者の脳裏に、剣が仇であるエルフの首に食い込み、そのまま切り裂かれて反対側に抜け、血飛沫と共にその首が胴体から離れる光景が思い浮かぶ。

(もらった!)

手応えを確信した不審者は、邪悪な笑みを浮かべた。
繰り出した斬撃は、予想通り、ヘミートゥルの首を跳ね飛ばす事は無かった。
首があった場所に、最初からそれが無かったのだ。

「なっ」

手応えが全くない事に笑みが凍り付くが、その直後に、剣を持っていた右手が、凄まじい衝撃を受けて大きく上に跳ね上がった。

「!?」

不審者は態勢を大きく崩しながら、後ろに下がった。

「なるほど……そう言う事か!」

不審者は、目の前で足を大きく上に振り上げてから、後転して態勢を立て直したのを見て、状況を理解できた。

それは簡単な話だった。
ヘミートゥルは、上半身を大きく仰け反らせて、紙一重の所で首の斬撃を交わし、その勢いに乗じて左足を素早く蹴り上げ、斬撃を繰り出した
不審者の右手を跳ね飛ばしたのだ。

「チッ……その右手を蹴り砕く筈だったが」
「あいにくと、私の体はそうヤワじゃないんでね!」

不審者は気丈に返しつつ、乱れた息を徐々に整えていく。
一方のヘミートゥルも、激しい動きで乱れに乱れた息を、ゆっくりと整え始めるが、ヘミートゥルの方が、不審者よりも息が上がっていた。
両者とも激しい運動で汗をかいているが、態勢を立て直したのは不審者の方が早かった。

「どうした?ミスリアルのエルフ戦士さんよ。息が上がったままだ」

彼女は余裕すら感じらせる口調でヘミートゥルを挑発する。

「若作りもいいけど、体力作りも怠っちゃ駄目だぜ?」
「ほざくな!」

ヘミートゥルは気丈に返すが、この時、彼女は追い詰められていた。
背後には壁があり、あと3、4歩も歩けばすぐにぶつかる。
相手の攻撃をいつまでもかわし切る事は出来なかった。

「そうか、じゃあ……!」

不審者は口角を吊り上げ、勢い良く斬撃を繰り出してきた。
右下から切り上げる鋭い斬撃だが、それをヘミートゥルは剣で弾き飛ばした。
思いの外大きな衝撃に、不審者は一瞬体を反らしてしまうが、すぐに次の攻撃移ろうとする。
直後、ヘミートゥルは背後を向けた。

(は!こんな時に背中を向けるとは、血迷ったか!!)

不審者は心中でヘミートゥルをあざ笑ったが、次の瞬間、彼女は目を疑った。

ヘミートゥルは壁に体を振り向けたと思いきや、素早い動作で壁の右側を蹴り上がり、次いで正面の壁も蹴り上がる。
そして、勢い良く体が不審者に向き直ると、右足で不審者の顔を蹴り飛ばした筈だったが、相手は咄嗟に左腕を顔の前に上げて防ごうとした。

左腕に勢い良く放たれた蹴りが食い込む。
鈍い音が響き、不審者はそのまま右斜め後ろに勢いよく飛ばされ、壁に掛けられていた鏡に右半身を叩きつけられた。
けたたましい音と共にガラス片が飛び散る。

「ぐ……はぁ……!」

余りの衝撃に不審者は顔を歪め、苦痛の声を漏らしたが、そこにヘミートゥルが追撃に入る。
不審者は痛みを感じる間もなく、素早く反応して、真下から繰り出されるヘミートゥルの斬撃を、体を反らす事でかわそうとする。
剣の刃先が服に引っ掛かって、胸元まで切り裂かれるが、体は無事のままで、そのまま後ろに一回転してから間合いを取る。
そして、最初と同じく、右手に剣を構えながらヘミートゥルと対峙するが、整えていた息も、今では大きく乱れた。
鏡の破片で傷ついたのか、短い銀髪からうっすらと血が流れ、彼女の右目は血の流入を防ぐため、閉じられていた。

「はぁ…はぁ……はぁ……」
「ふー……いい動きだ。敵にしておくには惜しい」
「うるさい!」

ヘミートゥルが不審者の腕前に感心の言葉を漏らすが、相手はそれを挑発と取ったのか、罵声を上げる。

「余裕そうな事を言う割には、大分動きが雑になってるじゃないか!」
「それはお互い様だと思うが」
「フン!あたしはあんたより素早いさ!あんたはその胸にぶら下がっているモノがでかいから、割かし動き辛そうだ」
「ほう……」

ヘミートゥルは、不審者にそう言われて何も思わなかったが、彼女は彼女で不審者の体つきをまじまじと観察していた。

最初は外套に覆われて分からなかったが、今は不審者の詳細がわかる。
この銀髪の不審者は、なかなかに端正な顔立ちをしており、体つきも悪くなく、むしろ良い。
ヘミートゥルの豊満な胸を馬鹿にした不審者だが、この不審者もまた、その胸に立派な物を下げている。
身につけている長袖の水色の上着は、腹の辺りから胸元まで切り裂かれているが、それはヘミートゥルの斬撃によってできたものだ。
そこから割れた腹筋と、豊満な胸元が露わになっており、体つきに関してはヘミートゥルと比べても全く遜色ない程である。
むしろ、腹筋が割れている分、ヘミートゥルより勝っているかもしれない。
銀色の髪は長くなく、首元までしかないが、髪はサラサラであり、褐色の肌と相俟って、より戦士然とした物となっている。
男物の服を着れば、女とは分からない程であり、ボーイッシュな女性とはこの事かと思うほどだ。

「そう言う貴様こそ、非常に恵まれた体つきをしているようだが。戦場ではその色気を活かして敵を調略したのか?ん?」
「あんたよりは男にモテる。それは確かさ!」

不審者は、口元まで流れて来た血を舌で舐めると、ヘミートゥルに攻撃を仕掛けた。
再び激しい剣の打ち合いが繰り広げられ、時折蹴りや、拳が繰り出される。
しばしの間、応酬が続くが、ヘミートゥルが不審者の剣を弾き、間合いが開いた所で互いに動きが止まった。

「はぁ……はぁ……その腕前からして、貴様、ただの物取りじゃないな……」
「なんだと……思う……?」

お互いに剣を構えつつ、息を切らせながら言葉を交わす。

「一般兵では……無い。だが、貴様の目つきからして、何が何でも、私を殺したいという意思は感じられる。どこかで、貴様の恨みを買ったか?」
「けっ!あんたは覚えてないのか?1週間前に、あんたの部隊がやった事を!」

銀髪の女性兵は、言葉に怒気を滲ませる。
それを聞いたヘミートゥルは、不意に不気味な笑みを浮かべた。

「ああ……思い出した。あの害虫達か!てことは、貴様はコソコソと隠れていた害虫共の生き残りという事だな。ハハ!惨めな姿だな!!」
「ほざけえぇ!!」

怒りに任せて、ヘミートゥルに突進し、斬撃を繰り出す。
それをヘミートゥルは受け流し、逆に右足を踏み込んで刺突を加えようとするが、それを相手はかわして間合いを取る。

「私は昔、貴様らの軍に生まれ故郷の村を焼かれ、家族を殺された!その時に誓ってやったのだ!いつの日か、追い詰めた敵をじわじわと
嬲り殺しにしてやるとな!」

それまで、澄ました表情を維持していたヘミートゥルが憎悪に歪み、口角を上げながら敵に斬りかかる。
それまでとは打って変わったヘミートゥルの攻撃に、不審者は防戦一方となった。

「あの害虫達は確かに勇敢だった。死を目前にしても、私に屈さなかった。だが……その死に様はなんとも惨めだったぞ!」
「!!」

ヘミートゥルの斬撃を弾き、一瞬の隙が生じ来たのを見計らって、彼女の右腕に斬りかかるが、それも避けられ、逆に顔に拳を当てられて間合いを開けられる。

「……ん?もしかして、貴様は……レニエスという名前か?」

ヘミートゥルの口から出た唐突の質問。
だが、銀髪の不審者はそれを聞くなり、表情を凍り付かせた。

「な……なんで、あたしの名を!?」
「ああ、そうか。なるほどな……」

ヘミートゥルは不気味な笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

「あの時、首を跳ねた敵の指揮官が、最後に名前を出していたが……」

辺り一面、真っ白な雪に覆われ、周囲の木々には雪化粧が施されていたあの日。
いつになく寒く、残り少なくなった薪を拾いに部隊から離れたあの日。

レニエス・モルクノヌ軍曹は、信頼し、そして、恋人でもあった上官を失った。

レニエスの部隊は、元々シホールアンル軍第6親衛石甲師団のキリラルブス部隊や、石甲化歩兵連隊に所属していたが、部隊が壊滅してからは、
生き残りの兵が集結してゲリラ活動に転じ、広大な森林地帯を根城として連合軍相手にゲリラ戦を展開していた。
レニエスのゲリラ部隊の指揮官は、所属の石甲部隊の指揮官を務めていた人物で、レニエス自身とは7年以上の付き合いだった。
そして、個人的な付き合いも深く、いつしか、レニエスと指揮官は恋人同士となっていた。
だが、あの日……レニエスのゲリラ部隊は、ミスリアル軍に急襲を受け、奮戦空しく壊滅した。
レニエスはこの時、薪を拾いに部隊を離れていたため、巻き添えを受けなかったが、彼女はすぐに来た道を戻り、敵に気付かれない所まで
接近した時……彼女は自分の目を疑った。
ミスリアル軍は、部隊の生き残りを集めるや、隊長と思しき将校が指揮官を始めとする仲間達を罵倒していた。
その罵倒に、周りのミスリアル兵も加わり、捕虜に暴行を加えた。
レニエスは、今にも飛び出して、周囲の敵を皆殺しにしたかったが、周りに戦車を含む重火器部隊が展開している中では、動くに動けなかった。
そして、その時はやって来た。

「聞け!シホールアンル兵達よ!貴様らは味方の降伏勧告に応じることも無く、しつこく戦い抜いた。今はこうして降伏しているが……貴様らの
害虫の如き鬱陶しさは閉口する。しかし、そのしぶとさだけは褒めてやる。そして、それに敬意を表して……」

将校は、腰に携えていた長剣を抜くや、捕虜の一人の首に刃先を当てた。

「私自身が、引導を渡してやろう。私の大切な人達が殺された同じ方法で……」

将校はそう言い放つと、有無を言わさずに捕虜の首を切り落とした。
生き残っていた7人の捕虜は、次々と首を跳ねられていき、首を失った胴体が力なく倒れ伏していく。
そして、最後の一人……指揮官の出番がやって来た。

将校は素早く首を跳ねようとするが、何を思ったのか、一瞬だけ動きを止めた。
無表情だった将校の顔が、この時、初めて笑みを浮かべた。
それも、悪魔の如き邪悪な笑顔を。

「心配するな!そいつも、じきに貴様の後を追わせてやる!」

将校は、あからさまに大きな声を上げると、剣を振り下ろし……指揮官の首を切断した。
この瞬間、レニエスの脳裏に、指揮官と付き合った素晴らしき日々が奔流となって、頭の中を駆け抜けた。
彼女は、無我夢中でその場から走り出した。

初の軍務で、頼りない自分を支えてくれたのは彼であった。
初めて負傷した時も、介抱してくれたのは指揮官であった。
連合軍のランフック大空襲で、家族を失った彼女を必死に慰め、立ち直らせてくれたのも彼だった。
そして、初めてを捧げたあの夜で、素晴らしき言葉を発してくれたのも、彼だった。
その彼が、殺された。


(目の前の……エルフに……!!)
レニエスは再び剣を繰り出し、ヘミートゥルを討ち取ろうとする。

「その名前の主と会えてどんな気分だ!?」

彼女は叫びながら、ヘミートゥルの剣と再び打ち合い、鍔迫り合いが起こる。

「決意を抱いた素晴らしき敵と、直に出会えた!そう思ったさ!」

互いに剣を押し合うが、力はほぼ互角であるため、膠着状態に陥る。

「そう、あたしはあの時決意したさ。仇であるお前を殺すってな!」

レニエスは叫びながら、ヘミートゥルの腹を蹴り、後ろに弾き飛ばす。
彼女は一瞬、構絵が崩れ、そのまま転倒すると思われた。
そこにレニエスは、空いた左手にナイフを握り、ヘミートゥルを刺そうとするが、ヘミートゥルはそのまま一回転してナイフを掠らせ、
起き上がって態勢を立て直した。
彼女は右の足に微かな痛みを感じたが、それは、レニエスがナイフで刺そうとしたのを避け損なったためだ。

「しぶといエルフの女だ!あのまま串刺しにされていればいい物を!」

ヘミートゥルはその言葉を無視し、剣を構えてレニエスへの攻撃に移ろうとする。
しかし、この時……ヘミートゥルは体に痺れを感じ始めた。

(な……何だこの感覚は……)

「でも……痺れ薬が効き始めた状態で、いつまで持つかな?」

レニエスは不敵な笑みを浮かべながら、持っていたナイフを腰に収め、両手で剣を構える。

「……毒か……薄汚いシホールアンル人らしいな」
「へ、抜かせ!」

レニエスはニヤリと笑いつつ、剣を振ってヘミートゥルに斬りかかる。
それをヘミートゥルは防ぐが、先程と比べて明らかに動きが鈍くなっていた。

「く!」
「どうしたどうした!手元がふら付いているぜ!」

レニエスの剣裁きにヘミートゥルは押され始める。
そして、生じた隙を見て、レニエスが素早く刺突に入る。

だが、

「甘い!」

ヘミートゥルは体を捻ってそれを交わし、レニエスの付き出した右腕を掴む。
そして、あろう事か、レニエスはそのまま投げ飛ばされ、2台目のベッドの上に背中から叩きつけられた。

「うっぐ……ぅ!」

柔らかいマットレスがクッションの役目を果たすが、衝撃は完全に殺し切れず、背中が圧迫されて息が一瞬止まった。

(体が毒に冒されているのに、まだこんな事が!)

レニエスはヘミートゥルの粘りの前に舌を巻いた。
チャンスとばかりに、ヘミートゥルが剣を顔めがけて振り下ろす。

(やられる!)

彼女は死を覚悟した。
しかし、粘り強いのはレニエスも同じだった。
その意思とは裏腹に、体は素早く反応して横に転がる。
左頬に鋭い痛みが走るが、この時にはベッドから床に落ち、すかさず剣を構える。
ヘミートゥルは、ベッドを串刺しにしたが、剣先が床に刺さったままとなってしまった。
レニエスの反応は早かった。

(チャンスだ!)

彼女は刺突を繰り出す。一瞬遅れて、ヘミートゥルは剣をベッドから引き抜き、刺突を防ごうとした。

それはごく短い隙だったが、その一瞬の隙が、明暗を分けた。
その次の瞬間、レニエスの体はヘミートゥルの胴体にぶつかった。
ヘミートゥルは、腹から何かが食い込み、背中から飛び出す感触に驚愕の表情を浮かべる。
レニエスの刺突は、ヘミートゥルの腹に決まっていた。
その剣はヘミートゥルの臍からやや上の部分に刺さると、根元まで食い込み、刃先はやや斜め上を向いた状態で背中から飛び出した。
レニエスは確かな手ごたえに満足したが、すぐに剣を引き抜いて後ろに飛び退く。
一瞬前まで顔があった所に、ヘミートゥルの剣が振られて空を切った。

「く……は……」

ヘミートゥルは串刺しにされた腹から血を流し、苦痛に顔を歪める。
しかし、それでも諦めていないのか、両手で剣を握り、レニエスに向け直した。

「本当……しぶといよねぇ……」

レニエスは、瀕死の重傷を負っても尚、戦おうとするヘミートゥルに半ば呆れたように言う。

「なら……久しぶりに、とっておきの奴を使ってあんたにトドメを刺してやる」

レニエスが再び不敵な笑みを浮かべながら、頭の中で術式を発動させる。
彼女は目をヘミートゥルに向けながら、意識を剣に集中させる。
すると、剣が青白い光に包まれ、剣先から徐々に赤く染まり始めた。

「それは……念導術……!」

ヘミートゥルが再び驚愕する。

「まさか……念導術は習得の難しい魔法の筈……何故……貴様が!」
「なんでだって?習得したから、だよ!」

レニエスが吠えるように答えた直後、前方に大きく右足を踏み込み、赤く染まった剣をヘミートゥルの真下から振り上げた。
ヘミートゥルは咄嗟に剣を構え、剣の腹でその斬撃を食い止めようとする。

(傷を負っている割には、素早い動きだ!)

腹を串刺しにされても尚、並み以上の速さで防御に入る姿を見て、レニエスはヘミートゥルというエルフが余程の猛者である事を思い知らされる。
レニエスの剣は、勢い良くヘミートゥルの剣に当たり、金属音が鳴り響くかと思われた。

(でも、既に手遅れだよ)

心中でそう呟いた時、ヘミートゥルの剣がレニエスの剣をするりと抜けた。
そして、レニエスの剣がヘミートゥルの股間に素早く食い込んだと思うと……


気が付くと、ヘミートゥルは股間からせり上がって来た衝撃に顔を仰け反らされてしまった。

「ぐがっ……は」

視線が天井を向く。視界には、レニエスの剣が一瞬だけ見えるものの、すぐに前を向く。
目の前には、半ばしゃがみ込み、剣を持った右手を大きく上に振り上げたレニエスがいる。
右足を前に出し、左足の膝を床に付けたレニエスは隙だらけであり、どうぞ攻撃してくださいと言わんばかりの態勢である。

(舐めた真似を……!)

ヘミートゥルは腹の激痛に顔を歪めつつも、最後の力を振り絞って剣を向けようとした。
だが……体は直立したまま、何故か動かない。

この時、剣が3分の2辺りの位置で折れてしまい、室内に固い金属が落ちる音が響いた。
そして、どういう訳か、身につけていたズボンのベルトとシャツが真ん中から切れ、ポニーテール状に結んでいた髪は、結んでいた紐が切れて、
髪がはらりと解かれて、腰のあたりまで髪が垂れてしまった。

(な……なん……で……体に、力……が……)

急に体の力が入らなくなった。
腰まで下げた両手は上に上げる事ができず、体は微かに痙攣を始め、立つ事すら困難になって来た。

「へっ……久しぶりにやったが、決まると気持ちが良いもんだ!」

レニエスは満足気に言っているが、ヘミートゥルは自分の体に何が起こっているのか、全く理解できなかった。

「どうだ?体が思うように動かないだろう?」

彼女はヘミートゥルを嘲笑しながら聞いて来る。
ヘミートゥルは尚も、レニエスを睨みつけるが、体に感じる脱力感は更に増していく。
そして、立つ事も出来なくなったヘミートゥルは、遂に両膝を床に付けた。
真ん中から切れていたシャツがはだけて、左右の乳房が露わになり、ズボンは履いていた下着諸共、膝の上までずり下がり、股間の辺りが
丸出しとなっていた。

「教えて上げてもいいけど……もう、時間が無いな」
「………」

レニエスに向けて、ヘミートゥルは気丈に言い返そうとしたが、言葉すら出せなくなっていた。
次の瞬間、股間から頭頂部を貫くような鋭い痛みが全身に走った。
ヘミートゥルはそれが何なのか気付かぬまま、不意に視界が左右に開いたような気がした。
そして、そのまま……意識が暗転し、永遠の暗闇に覆われた。

レニエスは、ヘミートゥルの体が左右に別れ始め、そのまま後ろに倒れるまでの一部始終を、満足気な笑顔を浮かべながら見つめ続けていた。
鈍い音と共に倒れた2つの肉塊は、左右の断面から臓物と血を吐き出し、その周辺には急速に血の海が形成されつつあった。

「念導術で剣の切れ味を増し、一気に両断する……これがあたしの得意なやり方さ」

レニエスは、縦真っ二つに切断された物言わぬ死体に向けて、自慢気にそう言い放った。

念導術とは、口での詠唱を行ず、心中で詠唱しながら術式を発動させる魔法である。
この念導術は声を出しての呪文詠唱よりも術式の発動が難しく、適性のある者でも習得には長い年月を費やすという。
だが、レニエスは若干24歳という年齢でこの念導術を使いこなす事ができ、過去に担当した裏仕事では、この念導術を用いた剣術で
敵を圧倒してきた。
また、レニエスが使っている剣も特殊な物で、帝国租借地であるロアルカ島産の希少な魔法石を基に作られているため、魔力付加がし易く、
剣の耐性を思うように上げられるという利点がある。
彼女はこの利点を最大限に活かし、ヘミートゥルを討ち取ったのである。

「へ……へへ……ざまあねえな」

レニエスが下卑た笑いを浮かべる。
同時に、部隊の仲間や恋人に死を与えた憎き仇を、ようやく討ち取った喜びが沸々と湧き上がってくる。
だが、別の想いも抱いていた。
討ち取ったとはいえ、ヘミートゥルは予想以上の手練れであり、過去に訓練施設を経て、特務戦技兵旅団で経験を積んだレニエスに対して
上手く立ち回り、幾度か死を覚悟した場面もあった。
一歩間違えていれば、レニエスが血の海に沈んでいたかもしれないのだ。
どう見ても、ヘミートゥルは強敵であった。

「本当、良く勝てたよな……」

レニエスは小声でそう漏らした。
この時、体に強い疲労感が襲い掛かって来た。

「う……はぁ……はぁ……体が…重いな」

彼女は顔を顰めながらも、剣に付いた血をベッドのシーツで拭い、鞘に納めた。
ふと、彼女はある事に気付いた。

「やば……防音魔法が展開されていない……!」

いつの間にか、部屋を覆っていた防音魔法が解除されていた。
そして、ドアの向こうから慌ただしく走り寄る音が聞こえたかと思うと、それはドアを激しく叩く音に代わった。
レニエスとヘミートゥルの剣戟は、中盤までは全く気付かれなかったものの、後半近くになってからは、剣戟の音や
彼女らの声が外に漏れており、不審に思った店員や宿泊客が近場のMPを呼び付けていた。

「開けてください!MPです!何かありましたか!?」
「く……アメリカ軍!?」

レニエスは、思いの外早い敵の登場に仰天し、すぐさま窓辺に走り寄った。
鍵のかかっていたドアが蹴破られると、MPの腕章を付けた3人のアメリカ兵が室内になだれ込んだ。

「畜生、なんだこれは!?」
「あいつだ!あいつが犯人だぞ!撃ち殺せ!!」

レニエスは素早く腰のナイフを抜き、目も止まらぬ速さでアメリカ兵に投げた。
1人の右肩に命中して悲鳴を上がる。

「ファック!」

2人の米兵は、グリースガンをレニエスに向けた。
この瞬間、レニエスは両手で顔を覆い、窓めがけて飛び込んだ。

けたたましい音と共に窓ガラスが砕け散る。
ほぼ同時にアメリカ兵がグリースガンを乱射し、窓枠や壁に弾が着弾して無数の破片が飛び散った。
レニエスは2階の窓から、ちょうど下にあったゴミ箱に落下していた。
程よく、柔らかいゴミ袋などが詰まっていたゴミ箱は、落下の衝撃を和らげてくれた。
彼女はヘミートゥルを襲撃する前、部屋の窓辺の下にゴミ箱があるのを確認しており、もし不利となったら、窓から脱出して逃亡する予定だった。
今回は、襲撃前の周囲の下見が無事に活かされたようだ。
レニエスは、ヘミートゥルとの戦闘で疲労した体を無理やり動かし、ゴミ箱から出て通りに向けて走り去ろうとする。
そこに、窓辺から顔を出した米兵がサブマシンガンを向けて発砲してきた。

「くそ!流石に銃相手じゃ逃げるしかない!」

レニエスは悔し気に言いながら、通りに出て脱出を図る。
通りには人がまだ居たが、先程と比べて行き交う人は少ない。

「おい!止まれ!」

不意に、背後から声がかかる。
先の米兵の仲間が外にも居たらしい。
レニエスは振り返らぬまま、そのまま通りを走り去ろうとした。

(西に行けば、出口がある。そこまで行ければ後は……!?)

彼女は頭の中で脱出路の確認をしていたが、それは唐突に打ち切られた。
眼前には、ハーフトラックを先頭に、戦車も含む完全武装のアメリカ軍部隊が走っていた。
距離はあまり遠くない。

「おぉーい!その着崩した女はシホットのゲリラ兵だ!」

ハーフトラックから顔を出した米兵がMPの声につられ、レニエスに顔を向けた。

「そこの女!止まれ!!」
「!?」

ハーフトラックのM2重機関銃を構えていた米兵がそう叫びながら、機銃を向けた。
レニエスの周囲にいた人々が、巻き添えを避けるためにあっという間に離れる。
彼女は自分が窮地に陥った事を悟った。
ふと、左斜め後ろに路地がある事に気付き、咄嗟にそこへ入っていく。
レニエスが逃げると見るや、機銃手が引き金を引いた。
路地の入口に12.7ミリ機銃弾が着弾し、壁や地面に煙が吹き上がり、大穴が開いた。

「馬鹿野郎!市街地で重機を撃つ奴があるか!!」

後ろから怒声が聞こえるが、レニエスはそれに構わず路地を抜けようとする。
だが……そこから先は行き止まりであった。

「な……あ……」

レニエスは自らの失態を悟った。
彼女は袋小路に入ってしまったのだ。
無意識のうちに腰の鞘から長剣を引き抜き、路地の入口に向き直る。
その先には、M2重機を向けるハーフトラックと、無数のアメリカ兵が銃を構えてレニエスの前に立ち塞がっていた。


パイパーはその銃声を耳にするや、ポリーストとパイルに向けていた笑みを一瞬にして打ち消した。

「銃声!?」

パイルが素っ頓狂な声を上げる。
外から聞こえた銃声は複数であり、連なって聞こえた事からサブマシンガンの類が撃たれたと、パイパーは心中で確信していた。

「一体、外で何が……!?」

ポリーストが眉を顰めながら言うと、またもや銃声が響いた。
そして、外に視線を向けると、店の前で何かが走り抜け、それをMPが追いかける姿が目に入った。
パイルはカメラを携えながら、すかさず席を立ち、店の外に出た。

「お、おい、パイルさん!ああ、もう!」

突然動き始めたパイルを追う為、パイパーは慌ただしく代金を払って後に続き、ポリーストもパイパーの後ろについて、店を後にする。
すると、店から30メートル離れた場所で、急に人だかりが一瞬にして散らばり、ある区画でただ一人だけ取り残された。
水色の長袖に茶褐色のズボンを付けた人物が居るが、どうやらそれが、今回の騒動を引き起こした張本人のようだ。

「そこの女!止まれ!!」

不審人物から40メートル程離れた手前には、ハーフトラックに先導されたアメリカ軍の車列が止まっている。
その機銃手がM2重機関銃を不審者に向けていた。
だが、不審者はそれに応じる事無く、やや後ろの路地に飛び込んで姿を消す。
そこに逃さぬとばかりに、射手が容赦なく機銃弾を数発撃ち込んだ。
路地の入口に白煙が立ち上がり、一瞬だけ煙幕に包まれた状態になる。
ハーフトラックは急発進し、路地の入口にM2重機を向けながら、出入り口を遮るように停止し、その周囲に下車した歩兵がライフルや
カービン銃、30口径機銃等を構えて展開し、逃げ道を塞いだ。
その集団に走り寄ったパイパーは、開口一番に怒声を放っていた。

「馬鹿野郎!市街地で重機を撃つ奴があるか!!」
「あ、これはパイパー中佐!」

指揮官と思しき大尉が、慌てて敬礼する。
よく見ると、その車列はパイパーの所属部隊である第3海兵師団の物であり、彼らはB戦闘団の将兵であった。

「自分はB戦闘団のウェルター大尉であります」
「敬礼はいい!それよりも、どうしてここに居る?」

「自分らはクロートンカ南の演習地に向けて移動するため、基地を出発したのですが、ちょうどこの町の道路が目的地までの近道になりますので、
ココを通り過ぎようとした時に、その憲兵に協力を求められたのです」
「おい憲兵、この騒ぎはなんだ?」

パイパーは、不審者を追っていたMPに状況の説明を求めた。

「は、中佐殿!自分達はミスリアル軍将校殺害の容疑者を追っておりまして、ちょうどこの路地に追い詰めた所です。容疑者はシホールアンル軍
特殊部隊出身の兵のようで、我が方も1名が敵の攻撃で負傷しております」
「ミスリアル軍将校の殺害だと……?その将校の名は?」
「今確認中であります」

パイパーは、久方ぶりの休みをぶち壊しにした下手人の顔を見るべく、ハーフトラックの後ろに回り込んで路地の奥をこっそりと見る。
路地は、入り口から15メートル程の所で行き止まりとなっており、その壁の前に、着崩した銀髪の女性が片手に剣を持ったまま、
その場で立っていた。
水色の長袖は、腹の辺りから大きく左右に開かれており、胸の谷間が露出し、鎖骨もはっきりと見て取れる。
肌は褐色で、両腕や顔の右半分と左の頬からは、何かしらの原因で負傷したのか、うっすらと血を流している。
ボーイッシュ然とした格好だが、剣を握る手は、穴開きの黒い手袋で覆われており、その手袋もどこかボロボロに見える。
銀髪の女性は既に息も絶え絶え、肩で大きく息をしていたが、その双眸は鋭く、その気があれば今にも襲い掛かって来そうな予感がした。

「おい、一体何だありゃ。彼氏とSEXしようとしたらフラれて怒りが爆発したのか?」
「そんなの知らんよ。というか、あれは欲求不満で単に暴れたかっただけじゃねえのか」
「そんなに欲求不満なら、俺のアソコを突っ込んで満足させてやりたいね。あの格好見ろよ、どう見てもヤリ手だぜ」
「ああ。ありゃビッチだな。俺たち全員で相手してやれば、奴さんも満足するかもしれんぞ」

パイパーの後ろで警戒に当たる別の海兵隊員が、好き勝手な事を言っては笑い声を上げて、事態の推移を見守っている。

(まるで野次馬気分だな)

それを聞いた彼は、苦々しい気分になった。
この時、パイパーはパイルの事が気になった。

「そう言えば、パイルさんはどこにいるんだ?」

彼はパイルを探したが、ちょうど、路地の左側の壁を構成する鏡屋に入っていくパイルの姿が目に留まった。

パイルは鏡屋に入ると、店にいる初老の店主に声を掛けた。

「親父さん、少し頼みがあるんだが、いいかね?」
「頼みを聞くのはいいんだが、外では一体何が起こってるんだ!?見てくれ、あんたらの撃った武器のお陰で、壁に穴が開いちまったぞ!」

初老の店主は、外で起きた事件にすっかり狼狽しつつ、50口径弾によって開けられた穴を指差してパイルに怒鳴り散らした。

「そ、その事に関しては、外にいる兵隊さんに言ってくれ。それはともかく、店の奥に縦長の窓があると思うんだが、そこから見える物を
コイツで収めたい」

パイルは、両手に持つカメラを店主に掲げた。

「なので、その窓がどこにあるか教えて欲しいんだが」
「あんた、もしかして噂に聞くカメラマンとか言う奴かい?」
「ああ。その通りだ。正確には従軍記者だけどね」

店主はまじまじと、パイルの全身を見回していく。

「カメラマンさん、こっちだ」

店主は右手を店の奥にかざしながら、パイルを案内する。
店の中には、商品である様々な鏡が置いてあり、足の行き場がその鏡のせいで狭くなっているため、歩くのになかなか苦労させられる。

「気を付けてくれよ。割ったら弁償させるからね!」
「OKOK。充分に気を付けてるよ」

店の中を慎重に歩きつつ、パイルはやっとの事で、目当ての窓辺に辿り着いた。
2つある窓のうち、奥の窓の外には、長剣を片手にアメリカ兵と対峙する銀髪の女性が立っている。
位置的には、女性の左斜めから見る形になるが、距離は思いの外近く、パイルは女性に見つかったらまずいと思い、慌てて物陰に隠れた。

「ヒヒヒ……カメラマンさん。その心配は無いよ」
「え?心配は無いって……どういう事だ?」
「あれはね……ちょっと特殊な作りの窓でね。騙し鏡を使ってるんだ」
「騙し鏡……なんだそれは」

店主はニヤニヤしながら窓辺により、女性に向けて手を振る。
しかし、相手は全く気が付かなかった。

「ちょっとした魔力付加がかかっていて、この鏡は向こう側から見えない作りになっとるんだ。この騙し鏡のお陰で、今までにいいモノが
幾つも見れてきた物さ」


店主はそう言うと、下卑た笑いを浮かべた。

「カメラマンさん、ここからなら存分に写真とやらが撮れるだろう?わしはこの場を提供して、あんたに協力するよ」
「協力、感謝しますぜ」

店主はパイパーに手を振ってから、店のカウンターに戻って行った。

「しかし騙し鏡か……あまり深く考えん方がいいか」

パイルは色々思う所があったが、今は従軍カメラマンとして、その役割をこなす事に集中しようと考えた。

レニエスが追い詰められ、止む無く剣を抜き放ってアメリカ兵達と対峙してから1分程経つと、ハーフトラックに指揮官らしき将校が上がり、
彼女に向けて話しかけた。

「そこのシホールアンル兵!降伏しろ!」

張りのある声音が路地に響く。

「私はこの部隊を指揮するウェルター大尉だ。今降伏すれば、名誉ある捕虜として君を遇する。武器を捨て、我々に投降しろ!」

その凛とした声音に、レニエスはいい声だと心中で感心しつつ、不敵な笑みを浮かべ、ウェルター大尉を見据えた。

「投降だと?ふざけるな!!」

レニエスは右手の剣をアメリカ兵達に向ける。

「中隊長、撃ちますよ!」
「待て!」

逸る兵が発砲しようとするが、ウェルターは制止した。

「繰り返す。直ちに降伏しろ!大人しくすれば、君の命は取らない!」
「ふ……フフフ……」

ウェルターは尚も説得を試みるが、レニエスはそれに応じず、ひたすら不気味な笑みを浮かべる。

(前に居るのは、あの憎きアメリカ軍か……復讐も果たし、もはや、あたしのやる事は無くなった。いっそ突入して敵を何人か道連れに……は、
できないか)

将校は幾度となく降伏を要求する中、レニエスは心中で考えを巡らせる。

(目の前のアメリカ兵達に、最も効果のある嫌がらせは何だろうか……ああ、そうか。ふむ……どうせ、生きる気力も無くなった。ならば……ヤルだけだね)

レニエスは、心中でそう決めると、浮かべていた笑みを消して、アメリカ兵達を睨み据えた。

「聞け!アメリカ兵達よ!」

彼女は、女性らしからぬ肝の据わった大きな声を響かせた。

「私はレニエス・モルクノヌ軍曹だ。ここではっきりと言おう……私は、貴様らに攻撃は仕掛けない。喜べ!」

彼女が発した予想外の言葉に、米兵達は唖然となった。

「では、降伏するか」
「降伏はしない!」

ウェルターの要求を、レニエスはつっぱねた。

「では、何故その剣を下ろさん!」

ウェルターは逆に聞き返すが、レニエスはそれに答えなかった。

「……私の家族は、ランフックに居た。本当の両親では無かったが、彼らは私を実の子のように愛し、育ててくれた。そして、2人の弟も、
一番上の私を実の姉のように慕ってくれた。そんな、何の罪もない家族を……お前たちは爆弾で皆殺しにした!」

彼女は怒気を孕んだ声音で、アメリカ兵達に語り掛けていく。

「アメリカは自由を標榜し、過度な暴力を禁じた近代的な国家であり、蛮族とは一線を画すと聞いていた。だが……ランフックでやった事は、
一体なんだ?帝国本土で行っている事は、一体なんだ?」

レニエスの双眸が更に鋭くなり、その舌鋒にも切れが増していく。

「お前たちの味方は、何の罪も無い無辜の市民を業火で焼き尽くしたんだ!何が近代的な国家だ……貴様らは格好がいいだけで、中身は何も
できない民を嬲って楽しむ、ただの蛮族だ!!」

レニエスの独白に、アメリカ兵達は半ば圧倒されていた。

「そんな汚らわしい蛮族共に、私は決して、降伏などしない!」

いつの間にか、彼女の持っていた剣が青白い光に包まれ、剣先から徐々に赤く染まり始めていた。

「いいか、良く聞け!たとえ、このシホールアンル帝国を下したとしても、貴様らアメリカを狙う国は決して無くなりはしない!なぜなら……
頂点に立つ者は、常にその座を狙われる物だからだ!」

剣先の赤身は徐々に濃ゆくなり、剣の真ん中あたりまで赤く染まる。

「そして、このシホールアンルも……これから先、貴様らの進軍に立ち向かい続けるだろう!帝国が落ち目になろうとも、我が軍の将兵は、
その秘めた決意と共に戦い抜く!」

剣は全体がほぼ赤く染まった。
口上を述べている間に、念導術を発して剣に魔力付加を行ったのだ。
彼女の武器は、その最大の威力を発揮できる状態に仕上がっていた。

「中隊長!奴の剣が……!」

M2重機を構える兵が、機銃を発射しようとする。

「まさか、あいつは剣から何か魔法を出そうとしているのか……!」

ウェルター大尉は、瞬時に自らの失態を悟った。

敵は自らの剣で何かの魔法を出そうとしている!
今までの演説は、その魔法を使える状態にするまでの時間稼ぎだったのだ。
レニエスの顔に、笑みが浮かんだが、ウェルターはその笑みを見て心臓が跳ね上がるような気がした。

(なんて凄みのある顔だ!)

「これは、私の決意だ。アメリカ兵達よ、しかと見届けろ!!」

レニエスは大音声で叫ぶと、剣を両手に持ち替え、素早く上に振り上げた。

(仕方ない!)

大尉は全員に射撃を命じようとした。

「全員、撃ち方」

と言う言葉が出たと同時に、レニエスの腹に、彼女が持っていた剣が深々と突き刺さった。
路地に異様な音が響きわたる。

「うぐ……ぅ……!」
「……え?」

ウェルターは、予想外の光景に体が凍り付いてしまった。
いや、ウェルターのみならず、その場でレニエスの一挙一動に注視していた全員が、時が止まったかのような感覚に見舞われていた。

レニエスの腹には、赤い剣が根元まで突き刺さり、その剣先は背中を突き破り、斜め上に向けて飛び出した血染めの剣が、背後に赤い飛沫を撒き散らした。
刺さった位置は、奇しくもヘミートゥルと同じく、臍のやや上の辺りであった。
刺突の瞬間、レニエスは体中を伝わる激痛に気を失いかけが、寸での所で意識を保つ事ができた。
彼女は、刺した位置に目を向ける事無く、ただひたすら、アメリカ兵達を睨みつける。

(ま……まだ……だ!)

苦痛に見悶えながらも、両足を踏ん張り、柄の辺りまで刺さった剣を強く握り締め、上に押し上げていく。
腹と、背中の傷口が上に斬り広げられ、内臓が体内で剣の刃先に振れ、しばし持ち上げられてからブツブルと切断され、固い腹の筋肉も、剣の刃によって、
薄い木板を切り裂くような感触と共に裂けていく。

「うく……ぐ……っ!」

レニエスは歯噛みしつつ、悲痛めいた声を漏らすが、両手は更に剣をせり上げ、傷口は上に、上にと広がり続ける。
鍛え抜かれた腹筋が、赤い剣によって左右に斬り広げられ、そこから血がドクドクと流れ出ていく。
そして、そこからは血だけではなく、両断された内容物までもが、湯気を放ちながらはみ出て来た。

窓辺の側でそれを見ていたパイルは、レニエスと名乗ったその女性兵の狂気に満ちた行動を目の当たりにして、心中で何故降伏せずに
自殺を選んだのかと叫んでいた。
しかし、従軍記者としての本能が体を無意識のうちに手を動かし、カメラのシャッターを切り続ける。

(なんでそうなる運命を選んだ……死のうとする勇気があるなら、もっと別の事ができる筈なのに!)

目の前のボーイッシュ然とした女性兵士は、自らの体を刺しただけでは飽き足らず、刺した剣で体を更に切り裂いているのだ。
見るに堪えぬ光景だが、パイルは、迫り来る衝撃に屈する事無く、無我夢中でカメラを構え続けていた。


体の中の剣は、胃を切断して更に上がった所で、固い何かに当たって止まる。
それは、自らの胸骨だった。
度重なる激痛で、彼女の全身は痙攣し、意識も途絶えかけていたが、不思議にも、体は望む通りに動き続けていた。
レニエスは、淀む意識の中で、アメリカ兵達が目を見開き、驚きの表情を浮かべるのを見て内心満足した。

「さ……て……これで……仕上げ……だ……!」

レニエスは歯を食いしばり、鳩尾の辺りまで上がった剣に力を籠める。
そして、最後の力を振り絞り、剣を上にせり上げた。
胸骨が刃にあっさりと切れ込まれた直後、圧力に屈して音を立てて砕け、胸の真ん中の皮膚が、胸板の下辺りまで左右に切り裂かれた。
そして、心臓が縦に両断される感触が伝わると、レニエスは顔を上に仰け反らせた。

「か……は……ぁ」

血を吐いた彼女は、胸の谷間までせり上がった剣から手を放し、両脇にだらんとぶら下げる。
そして、顔をガクりとうな垂れさせ、自分の血で濡れた地面に、両膝を付ける。
意識が急速に薄れ、視界が暗くなる。
彼女はふと、好きだった恋人の顔を脳裏に思い描いた。

(いま……そっちに行くから……ね……)

心の中で呟くと、レニエスは半目になり、体の右半身から地面に倒れていった。


ウェルター大尉はハーフトラックから降りると、路地に向けて歩いていく。

「おい。衛生兵!」

彼は、味方が負傷した場合に備えて待機していた衛生兵を呼ぶと、共にレニエスの元へ近付いていった。
大尉は携えていたトミーガンを構えながら、1歩1歩、ゆっくりと近付く。
程無くして、レニエスの傍まで歩み寄った。
辺りには、咽ぶような血の匂いが充満している。
右肩から地面に倒れたレニエスは、自らの血の海に沈んでいた。
大尉はその体にトミーガンを向けていたが、彼女の様子を見てその必要はないと判断し、構えを解いた。
衛生兵が無言で彼女の体を診るが、その酷さに顔をしかめる。
水色の長袖服から露わになった豊満な乳房の間には、剣が柄の辺りまで深々と刺さり、それは腹の傷口と繋がっている。
背中からは剣が飛び出し、背骨に沿う形で一条の傷口が開かれ、そこから流血している。
腹からは、血と臓物が零れ落ち、凄惨な様相を呈している。
体つきを見る限り、女性らしいラインを保ちながらも、兵士として必要な筋肉を身につけているようだ。
恐らく、軍務の合間を縫って体を鍛えて来たのだろう。
女としても、その魅力は充分にあり、平時は男の視線を誘った事は想像に難くない。
だが、彼女は自ら、自らの人生に終止符を打ったのだ。
衛生兵はレニエスの首元に手を当てた後、顔を左右に振り、半目になっていた目を、手でそっと閉じた。
それを見たウェルターは、後ろに振り返り、両手で大きく手を振ってから言った。

「担架とポンチョを持って来い!」

迷彩柄のポンチョ(雨合羽)に包まれた担架が路地裏から運ばれると、配置についていた兵達が再び乗車し始めた。

「凄まじい光景だったな」

遠回しに事件の一部始終を眺めていたポリーストは、気晴らしにタバコを吸うパイパーに話しかけた。

「ヤケクソで攻撃を仕掛けると思ったら、まさかの自害とは」
「酷い光景だよ。せっかくの休日が台なしだ」

パイパーは顔を顰めながらそう答える。
この時、鏡屋からパイルが出て来た。

「パイルさん。何か撮れたかい?」

パイパーは徐に声を掛ける。パイルは渋い表情のまま、彼と同様、タバコを咥えて火を付けた。

「何とか写真は撮った。だが、あそこでハラキリを見せられるとは、まったく思っても見なかった。正直、クレイジーだな」
「この事は記事にするつもりかい?」
「……そこはまだ考え中だ。余りにも衝撃的だったからな」

パイルは肩を竦めながら答える。

「しかし、ジャーナリストは真実を伝えるのが仕事だ。個人的には、この事件の詳細を本国に伝えたいとは思う。だが、その一方で、
彼女の事を考えると、記事にしても良いのだろうか?という思いもある。彼女は彼女で、大分苦しんだ末の行動のようだからね……
まぁ、もう少し考えてから決めるさ」

彼はそう言うと、深く溜息を吐いた。

「パイパー中佐でありますか?」

ふと、パイパーは背後から声を掛けられた。
振り向くと、MPの腕章を付けた中尉が、いかつい顔を上げて尋ねていた。

「ああ。そうだが」
「宿屋で死亡したミスリアル軍将校と、あそこの酒場で会話を交わしたという証言を聞きました。中佐殿、我々にご協力願いたいのですが」
「いいだろう。パイルさんとポリースト中佐も一緒に連れて行くかね?」
「はい。そこのお二方も、我々とご同行願います」

パイルとポリーストは互いに目を合わせてから、仕方なしに頷いた。

「やれやれ……せっかくの休日が台なしだ」

パイパーは忌々し気にそう吐き捨てると、吸っていたタバコを地面に落とし、靴で火を踏み消した。

後に、アーニー・パイルはこの事件の詳細を記事にし、本国で大きく報道された。
1947年には、レニエスの写真はピューリッツァー賞に選ばれ、そのキャプションには「ゲリラ兵の決意」と付けられた。
この写真は、第2次世界大戦を代表する写真の一つとなり、戦後、多くの人の記憶に残る事になる。


1486年(1946年)1月29日 午後1時 ヒーレリ領オスヴァルス

アメリカ太平洋艦隊司令長官を務めるチェスター・ニミッツ元帥は、オスヴァルスにいるアメリカ北大陸派遣軍司令官
ドワイト・アイゼンハワー大将を訪ねていた。
2人は会談の後に昼食を終え、今は食後のティータームを楽しみながら雑談を交わしている。
彼らの表情は、先日に起きたある事件が話題に上ると、次第に暗くなり始めていた。

「……現場ではそのような事があったのですね」
「ホーランド・スミス司令官の報告を見る限りは、凄惨な光景が広がっていたようです。しかし、クロートンカ事件は、本国でも大きな
話題となっています。一般市民の中には、シホールアンルの断固たる決意を垣間見た気がした、という者も現れ始めているようです」

アイゼンハワーは溜息混じりにそう答えながら、本国から送られてきたニューヨークタイムズの新聞に視線を向けた。
クロートンカ事件とは、1月22日に解放の成ったクロートンカで発生した事件で、クロートンカに潜入したシホールアンル軍ゲリラ兵が
ミスリアル軍将校を殺害した後、逃走中にアメリカ軍部隊に追い詰められ、降伏勧告を無視して自殺している。
この25日付けの新聞には、追い詰められた女性兵が、自らの腹に剣を刺し、苦痛に顔を歪めながらも前を睨み据えている写真が一面で掲載され、
見出しには

「シホールアンルゲリラ兵、独白の後の一突き」

という文字が大きく書かれていた。
この報道は、アメリカ本国で大きな話題となり、新聞に書かれた事件の詳細を知った国民の間で議論が巻き起こっていた。
その中には、

「軍が敵の捕虜を追い詰めすぎて、ハラキリを強要させたのだ!」

という軍を批判する声も上がり始めており、軍上層部はその対応に追われているという。
だが、国民の多くは、追い詰めても降伏せず、自らの命を絶った敵兵に背筋を凍り付かせると同時に、覚悟を決めたシホールアンルが、予想される
帝国本土侵攻で死に物狂いの抵抗を行いかねない事態に、憂鬱めいたものを感じ始めていた。

「本国では色々と議論が沸き起こっておりますが、私としては、この事件は様々な要因が重なって起きたと思います」
「と、言いますと?」

ニミッツは怪訝な表情を浮かべながら、発言を促す。

「この事件は、我々連合国が行った行為が原因で起こった物かもしれないのです。まず第一に考えられるのは、現在実施中のシホールアンル本土に対する
戦略爆撃です。自殺したレニエスと言う名のシホールアンル兵は、あの場所で、我が軍の行為を糾弾したと言われています。そして、次に考えられるのが、
同盟国軍将兵が抱える、心の闇です」
「心の闇……ですか?」

アイゼンハワーは頷いてから、言葉を続ける。

「合衆国も加入している南大陸連合は、既に8年以上もシホールアンルと戦っています。この北大陸にいる同盟軍将兵の中には、緒戦から戦い抜いた者も
多数在籍していると聞きます。歴戦の将兵というと、頼りになる印象がありますが、一方では、それは……戦場の闇を多く見てきたという事にもなります」

アイゼンハワーは新聞にある顔写真に視線を向ける。

「クロートンカ事件で殺害されたリヴェア・ヘミートゥル少佐は、ミスリアル軍の中でも歴戦の第8機械化歩兵師団で大隊長を務める程の優秀な軍人で、
ラルブレイト閣下(マルスキ・ラルブレイト大将。ミスリアル軍派遣軍司令官)とも面識があり、彼曰く、優秀なミスリアル軍軍人を具現化したかのような
人物と言われていました。ですが……」

アイゼンハワーは語調を重くしながら、言葉を続ける。

「彼女は、4年近く前のミスリアル本土決戦で、故郷を焼かれ、家族を失ったという辛い過去がありました。その後も、ヘミートゥル少佐は軍に在籍し、
赫々たる戦果を収め続けていたようですが、彼女の部隊は、先月の中旬に行われたシホールアンル軍残党の掃討で、捕虜殺害の残虐行為を行っていた事が
明らかになりました」
「捕虜殺害……」

ニミッツは表情を曇らせる。

「ヘミートゥル少佐は真面目であったが故に、その内心には、敵に対する憎しみを溜め込んでいたかもしれません。それが、先の掃討戦で一気に
溢れ出した可能性が高い……と、私はラルブレイト閣下から、そうお聞きしました」
「もし、そのヘミートゥル少佐が捕虜殺害を命じていなければ、助かった可能性はあると思われますか?」
「ゲリラ兵がどのような動機でヘミートゥル少佐を害したかは不明ですが……もし、ゲリラ兵がその部隊の所属していたのならば、自暴自棄の
復讐に走る可能性はあるでしょう。ですがもし、捕虜として遇していれば……」

アイゼンハワーは、右手の人差し指で、新聞を3度ほど小突いた。

「本国で、このような新聞記事が出る事は無かったと、私は思います」

彼はそう言ってから、新聞を脇に避けた。

「さて、重要なのはここからです。この一件で、同盟国軍内でも同様の問題を抱えている、または、問題が起きつつあるという事が考えられる
ようになりました。今後は、帝国本土での戦いとなり、周囲にいるのは純然たるシホールアンル帝国の臣民ばかりになります。既に、先の
戦略爆撃でシホールアンルの一般市民に多数の犠牲が出ている事は、誠に痛ましい事ですが、逆を言えば、外れ弾の多い爆撃だからこそ、
ある意味仕方ないという諦めも生まれます。ですが……これからは爆撃機のみならず、地上部隊が大挙して敵国本土に押し寄せます。
そこで更なる残虐行為を我が連合軍が行ってしまえば……敵側をより焚き付ける事になり、それは戦線にも多大な影響を及ぼします」

アイゼンハワーは一旦言葉を止め、コーヒーを少し飲んでから続ける。

「そこで、私は連合国派遣軍の司令官をもう一度集め、派遣軍将兵に対する心のケアを重視するように提案するつもりです。要するに、
カウンセリングや、戦闘後のサポートを強化させるのです」
「なるほど……我が海軍も、その面に関しては抜かりのないよう心がけているつもりです。ですが、同盟軍は元々、そう言った考えが
根付いていないのが現状ですからな。それに、我が合衆国軍も努力しているとはいえ、問題は山積みのままです」

ニミッツは腕組をしつつ、渋い表情を張り付かせたままアイゼンハワーに言う。

「とはいえ、不確定要素を減らすためには、必ずやるべき事だと思います。心の闇は必ず取り払うべきであり、それが完全に出来ぬとしても、
せめて和らげるべきです。骨は折れますが、幸いにして、派遣軍の将星達は皆、聡明な方ばかりです」

「そこが救いですな」

ニミッツは微笑みながら、相槌を打った。

連合国派遣軍の司令官達は、それぞれの本国内では一癖も二癖もある軍人として知られているが、実際は聡明であり、アイゼンハワーの
提案にも良く応じてくれていた。
無論、彼らは彼らなりに物事を考え、異論を挟むことも決して少なくない。
だが、アイゼンハワーは、この小さな事件で明らかとなった、連合軍将兵の心に潜む闇を顕在化させないためにも、根気よく彼らに提案し、
説得して行こう……と、心中でそう決意していた。

「私は、戦争終結後に連合軍がシホールアンルと同じになる事は決して望みません。ですが、このまま何もしなければ、他の侵略軍と一緒と
罵倒されるのは必定……となるでしょう」
「その為の改革、という訳ですな」

ニミッツが言うと、アイゼンハワーは深く頷く。

「戦争に勝者と敗者と言う間柄は必ず出る。しかし、勝者だからと言って敗者に対してやりたい放題とは限らない……その考えが広まれば、
後の占領政策も円滑に進むと、私は確信しております」


1486年(1946年)1月30日 午前7時 ヒーレリ領リーシウィルム港

リーシウィルム港には、幾多もの艦船が沖に艦首を向け、煙突から排煙を上げて今しも出港しようとしていた。

「出港用意!」

アメリカ太平洋艦隊所属の第5艦隊旗艦である戦艦ミズーリの艦橋では、第5艦隊司令用長官を務めるフランク・フレッチャー大将が、
周囲の僚艦を双眼鏡で眺め回しながら、出港用意の報告を聞いていた。

「長官、そろそろです」

第5艦隊参謀長であるアーチスト・デイビス少将の声に、フレッチャーは無言で頷いた。
第5艦隊の主力である第58任務部隊は、先の第2次レビリンイクル沖海戦で大きく損耗したが、それ以降は損傷艦の修理と戦力の補充に努めた為、
TF58に在籍する各母艦航空隊はフル編成で出撃が可能となった。
第58任務部隊は現在、正規空母9隻、軽空母7隻を有している。
3日前までは正規空母8隻、軽空母7隻であったが、先の海戦で損傷したリプライザル級空母のキティーホークが、修理を終えて戦列復帰したため、
母艦戦力は16隻に増えた。
TF58はこれらの空母を4つの任務群に分けている。

TG58.1は、正規空母リプライザル、ランドルフ、ヴァリー・フォージ、軽空母ラングレーを主力に据えており、この空母群を戦艦ミズーリと、
重巡ヴィンセンス、軽巡ビロクシー、モントピーリア、サンディエゴと、駆逐艦24隻が護衛する。

TG58.2は正規空母レンジャー、グラーズレット・シー、軽空母タラハシー、ノーフォークを主軸に据え、これを戦艦アラバマ、重巡セントポール、
ノーザンプトン、軽巡フェアバンクス、フレモント、デンバーに加えて、駆逐艦24隻が周囲を固めている。

TG58.3は正規空母サラトガ、モントレイ、軽空母ロング・アイランド、ライトを主力とし、重巡デ・モイン、軽巡ウースター、ロアノーク、
ウィルクスバール、メーコンの他、駆逐艦26隻で構成される。

TG58.4は正規空母キティーホーク、ゲティスバーグ、軽空母サンジャシント、プリンストンを主力としており、この4空母を戦艦ウィスコンシン、
重巡カンバーランド、ボイス、軽巡サヴァンナ、スポケーン、メンフィス、駆逐艦24隻が護衛する。

正規空母9隻のうち、3隻は最新鋭のリプライザル級航空母艦であり、残り6隻も、未だに新鋭艦に部類されるエセックス級空母ばかりである。
航空戦力は総計で1400機にも上り、今回の作戦でも、その威力を大いに発揮するであろう。
双眼鏡を洋上に向けると、既に出港を終えたTG58.2の空母群が、陣形を整えながら沖へ向かいつつある。

「それにしても、久方ぶりの出撃ですな」

デイビス参謀長がようやくと言いたげに、フレッチャーに話しかける。

「陸軍も連合軍と共同で、ヒーレリ領からシホールアンル軍を完全に叩き出したと言います。我々も、これに乗じて暴れ回りたいものです」
「参謀長の言う通りだが、肝心のシホールアンル海軍は既に戦力を消耗している。残りの敵竜母が決意を決めてこっちに向かってくれば、
こっちも多少楽にはなるが」
「決意と言えば……先日のクロートンカ事件の記事を思い出しますな。全く、追い詰められたとはいえ、言いたい放題言ってくれたものです」

参謀長の言葉を聞いたフレッチャーは、苦笑しながら返答する。

「だが、当たっている所もある。我々も油断していたら、敵に痛いしっぺ返しを食らわされるぞ」

フレッチャーは戒めの言葉を発した。

クロートンカ事件の顛末は、第5艦隊内にも伝わっており、将兵の中には、自害したゲリラ兵をクレイジーだと罵倒する者も現れたが、
フレッチャーのように、油断せぬように改めて気を引き締める者も、少なからずいる。
現に第5艦隊は、これまでに敵の主力艦隊と死闘を繰り広げており、多数の僚艦を失っている。
クロートンカ事件の顛末を、戒めとして捉える雰囲気が艦隊内で醸成されつつあった。

「先導駆逐艦、出港します!」

見張りの声が艦橋に響き、フレッチャーは双眼鏡をミズーリの艦首方向に向ける。
先導役のアレン・M・サムナー級駆逐艦4隻が、発行信号を放ちながら外界へと向かっていく。
それにニューオリンズ級重巡のヴィンセンスが続き、僚艦のクリーブランド級軽巡ビロクシー、モントピーリア、アトランタ級軽巡のサンディエゴが後を追う。
ミズーリの発する機関音が徐々に大きくなり、程無くして、艦体がゆっくりと前進を始めた。
艦前部に据えられている2基の48口径17インチ3連装砲は、仰角をやや上げ、砲身は空を睨んでいる。
長い艦首は海水を掻き分け、先導した駆逐艦、巡洋艦の後を追っていく。

「リプライザル、出港開始!」
「ランドルフ、ヴァリー・フォージ、出港開始しました!」

見張り員から僚艦出港の報せが次々と艦橋に伝えられる。

リプライザル級航空母艦のネームシップであるリプライザルは、ミズーリの後に続いて、その巨体を前進させていく。
重量的には、満載時に6万トン以上の重量を誇るミズーリに分があるが、全体的にはリプライザルが大きい。
特に、飛行甲板も含めた艦の長さは295メートルと、リプライザルの方が長い。
その威容は、合衆国海軍の期待を担った新鋭艦に相応しい物であった。
後に続くエセックス級空母のランドルフとヴァリー・フォージも、体のでかい後輩に負けじとばかりに、誇らしげに洋上を航行する。
後続するインディペンデンス級軽空母ラングレーは、それらに追随する従者と言った感があるが、1943年に初陣を飾って以来、幾つもの大海戦に
参加した歴戦の軽空母だ。
乗員から「ラッキー・ラングレー」というあだ名を頂戴した軽空母は、今回もまた、その任を十二分に果たすべく、威風堂々と出港しつつあった。

ミズーリはリーシウィルム港を出港した後、時速12ノットで所属する僚艦と共に輪形陣を組みながら航行を続ける。

「長官。今回は敵の本土西岸部の拠点を順次攻撃する予定ですが……昨日の会議で、状況次第ではルィキント列島ならびに、ノア・エルカ列島の爆撃も
考慮すると言われていましたな」

デイビス参謀長の問いに、フレッチャーは頷いてから答える。

「同地点には、現在、潜水艦部隊が進出して海上交通路の寸断に当たっているが、敵が何らかの対応策を行った際、通商破壊に支障を来す可能性がある。
例えば、針路を大きく北に大回りさせ、本土と列島の直通路は使わない……と言った感じに」

フレッチャーは、右手で大きく半円を描いた。

「だが、元を叩いてしまえば、そんな事をする余裕は無くなる。聖地であった辺境の島にまで空母機動部隊が襲撃してくる……敵からしてみれば、
溜まったものじゃないぞ」
「まさに、悪夢と言えますな」

デイビス参謀長は、唯一の聖地すら、高速空母部隊の射程に捉えられたシホールアンルに対して、ある種の同情すら感じていた。

「とはいえ、ルィキント列島とノア・エルカ列島の攻撃はまだ決めてはいない。まずは、沿岸部を叩いて、そこから天気と相談してから決める事だな」

フレッチャーはそう言ってから、視線を空に向ける。
空は久しぶりに晴れ渡っていた。
本来なら、第58任務部隊は1月22日に出港をする筈であったが、進出予定の現場海域が予想以上に荒れ続けていたため、出港日は延期となった。
陸軍が地上戦で活躍を続けている間、待機を続けていた艦隊の将兵は切歯扼腕の想いで天候の回復を待っていたが、今日、それがようやく叶う事となった。
また、出港日が繰り延べになった事で、キティーホークという強力な援軍を迎え入れる事も出来た。
キティーホークは先の海戦で、思わぬ損傷を追って戦線を離脱したが、本国での修理を終えて前線復帰を果たしたのだ。
今日の好天は、戦力を再編したTF58の出港を祝っているかのようであった。

「さて……今度はこちらの決意を見せる時だな」

フレッチャーはミズーリの動揺に身を任せつつ、小声でそう呟いていた。

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