Driving Myself(前編)  ◆j1I31zelYA



【0】

「近くで見ると、高いっスね……」
「ええ……」
「どーしましょうか。全部の階を見て回ったりしたら、学校には間に合いそうにないっスよ」
「そうね……」
「今回はざっと見て回るだけにしますか。……怪しい部屋がすぐ分かればいいんスけど」
「監視カメラがある部屋なら……? それらしい場所を探せるかも、しれないわ」
「でもこういう色んな施設がある建物って、防犯を仕切る場所もばらばらに作ってあったりしますよ。
あの合宿所も、警備会社を雇うのとは別に監視カメラを……何でもないっス」
「詳しいのね」
「まぁ、こういうことに慣れてなくもないと言うか……」
「潜入捜査の経験が?」
「泥棒でしたけどね…………(ボソ)酒を盗みに行かされたなんて言えないし」
「……?」
「とにかく! ……まずは最上階に行きましょーか。見晴らしも良さそうだし」
「さっき案内板を見たけど、北塔の最上階は市長室だったわ。そこなら?」
「悪くないっスね。市長の部屋なら、ここがどこなのか分かるかもしれないし」



そんな会話を交わして、しばらくの時間が流れた。

空が、薄い水彩絵の具を少しずつ垂らすように、ゆっくりと白みはじめていた。
白さをますにつれて、未明の林道は木々の輪郭をはっきりと、濃くしていく。
浮かびあがる景色の中で、ひときわ目立つ双子の塔があった。

夜露の冷やかな匂いが薫る林道脇のベンチに、綾波レイは深く背中を預ける。
ぼんやりと、『ビル』という簡素な名前を戴いたツインタワーを見上げた。
およそ30階はあるだろうか。10階のあたりと、25階のあたりに、二つのタワーを繋ぐ連絡橋がかかる。
ここまで近づくと、首を痛くなるほど傾けなければ天辺まで見えない。
市街地の開発に取り残された広葉樹林の一帯で、とても都会的なその高層ビルだけが、いびつなほどに浮き上がって見えた。
もう少し時間がたち朝日がのぼる時間になれば、より遠くのエリアからでも、この異質な建造物を目にすることができるだろう。
そう、あと十数分かそこらで、午前6時という区切りがやってくる。
定時放送、という儀式が起こる。

何も考えず、さっさとビルの中に入ろうとしたレイを制止したのは越前リョーマだった。
放送まで時間がせまっている。そして、建物の中の電波状況もよく分からない。
電波の届きにくい場所で放送が始まったりしたら、大事な知らせを聞き逃しかねない。
建物の中に先客がいて、接触に時間を取られる可能性もある。探索は探索、放送は放送で集中した方がいい。
正論だった。民間人とは思えないほど落ちついている。
出会ってから今までも、どちらかと言えば彼に助けられたことの方が多い。
やはり協力者は必要だと実感した一方で、どう距離をとればいいんだろうという緊張も強かった。
同年代の、しかもどちらかと言えば年下の少年と交流した経験なんて、皆無に等しい。

そんな彼はというと、付近の自販機を壊して入手したミネラルウォーターとスポーツ飲料をディパックにつめこんでいた。
ディパックをのぞきこもうとするペンペンと仲良く口論(?)をする。

「くぁーくぁー?」
「言っとくけど、ビールはないから」
「ぐぎゃー!!」
「自販機にビールがあるわけないじゃん。だいたいファミレスでも飲んだくせに」
「ぐぎゅ……」

こういう会話を見る限りでは、ペンペンと鈴原トウジのやり取りを思い出す。
記憶にある比較できる思い出は、その程度しかなかった。
少年は予備の水分をたっぷり確保すると、ベンチの右端にどっかと腰かける。
手元に残した『Fanta』という銘柄のジュース缶を開けて、飲みはじめた。
ちなみにレイの両手にも、自販機から取ってもらった『あったかい』お茶のボトルがある。

こくこくと、小さな嚥下の音。
そして訪れる、沈黙の時間。

「……………………越前くん、ひとつ聞いてもいい?」
「何スか?」

放送までの数分間。
行動を起こすには時間が足りていないが、緊張を保ちながら待つだけでは、余りにも長い。
焦燥をまぎらわす手段として、レイは初めて自分からの会話を切りだした。

「例えば……の話」
「はぁ」
「もし、『あなたが帰らないと人類が滅びる』って、言われたらどうする? 殺し合いで優勝して生還する?」
「それって……式波さんのことっスか?」
「……そう」

二号機パイロットの少女は、『人類を守るために生還する』と言っていた。
そんな少女と次に出会った時に、どんな話をすればいいのか、レイには分からない。
そもそも綾波レイは、人類を守る為にエヴァに乗っていたわけではなかった。
パイロットとしての生き方以外が、用意されていなかったからだ。
だから、アスカの言い分に対抗できるだけの言葉を持ち合わせていない。
ならば、彼女と同じく『エヴァに乗る以外の生き方がある人』なら、彼女の気持ちが分かるかもしれない。

「綾波さんはその辺どう思ってるんスか? 綾波さんもパイロットなんでしょ?」
「エヴァには……バックアップがあるから。パイロットにも、機体にも」
「なら心配しなくてもいいじゃないスか」
「でも、あの人はそう思ってないかも……」

バックアップがいるとは赤木リツコの言葉そのままだったが、この言葉は正確じゃない。
綾波レイがパイロットとして生きていること自体、碇ゲンドウが望んでくれたからだけに過ぎない。
その役割にしても、絶対に綾波レイでなければならないということはない。

――私が死んでも、代わりはいる。

だからここにいるレイが生還できなくても、人類がどうにかなったりはしない。

リョーマは、ちょっとだけ考えこんでいた。

「俺は、命令されて不特定多数のために戦わされたことなんてないから、そこんとこは分かりませんけど」

ペンペンの頭を、触りごこちがいいのかさわさわと撫でて。

「でも俺、元から生きて帰るつもりだったよ」

顔をあげ、射ぬくような眼つきでレイを見据える。
出会ったばかりの時も同じ視線を向けられたけど、その時は何も感じなかった。
けれど、ファミレスで他人を見ようと意識してからは、逆に向けられる視線が怖くなる。
レイの人を見る眼は貧弱なのに、リョーマの眼力はとても強く、そして誰にも臆することがなかった。
この人は強いのかな、弱いのかな、と中身を見抜かれている気さえしてくる。

「だから、誰かに生きて帰れって言われなくても変わらないっスよ。
今だって生きて帰るつもりだし、それでも殺し合いするつもりはない。
だからパイロットだったとしても、同じなんじゃないっスか?
つーか、人殺しになって帰ろうってのに、正義の味方ヅラされるのってムカつく」

自分が帰れなかった場合に死ぬ大勢を軽視したとも取れる回答。でも、そうじゃないことは伝わった。
自分自身の生きたいという意志を、人類の存亡という大義名分のもとに無視されたくないという意地なのだろう。
それはつまり、自分の命に価値があると、当たり前に自信を持っているということだ。

「生きて帰ったら、やりたいこと、あるの?」

だから、もっと詳しく聞いてみようと思った。

「そーっスね。戦ってみたい人もいっぱいいるし、出たい大会もあるし、一緒にやってきた人たちもいるし。
U-17選抜が終わったら、世界もまだまだ見て回りたいし。行ってみたい場所とかもけっこうあるし……」

楽しそうに、自分がやりたいこと、実現可能な未来の夢をいくつも挙げていく。
そして、それらは『エヴァに乗らない幸せがある人』の夢だった。
世界。
行ってみたい場所。
自分の命には価値があるという自信。
どこにでも行けるし、やりたいことができる人なのだ。
ネルフという、囲われた水槽の中でしか生きていけないレイとは違う。
しかし、二号機の少女は、エヴァを唯一の居場所だと主張していた。
彼の答えでは、彼女の参考にはならないか。

「あの人は、エヴァに乗る以外のやりたいことがなかったのかも……私とは違うのに」
「どう違うんスか?」
「皆と違うのは、私の方。私は、エヴァに乗る以外のことで必要とされていないから。
私も、エヴァを通してしか人と繋がれないから」

そう言えば。
父親の言うことを聞いて初めて絆ができるなんておかしいと、この少年は言っていた。
今になって、なんとなくその意味が分かる。
彼はきっと、誰の命令をきくこともなく絆をつくってきたのだ。
好きなことを介した繋がりとか、己の道を切り開く力とかで、自分の居場所を見つけてきたのだろう。

「意味がよく分かんないんスけど……」

リョーマはけげんそうに眉をひそめ、半ば苛立つように、

「それって、勝手に自分で限界を決めこんでるだけなんじゃないっスか。
綾波さんみたいなこと言う人なら割と見ましたよ。やる前から『どーせ自分には無理だ』って言ってるの」

――カチン

頭の中で、そんな音がなった気がした。
どうして出会って数時間の人間に、ここまで言われるんだろう。
ヤシマ作戦の少し前、ゲンドウに冷淡だったシンジを叩いたときのような、むかむかした気持ちになる。
何も知らないのに、私が持てないものをこの人は当たり前に持っているのに。
言葉にすれば、そういう言い分になる感情。

「だって、私はやり方を知らないもの。誰も、それ以外を求めなかった。
私は人形じゃなくて、自分の意志でエヴァに乗ってて、それで十分」

考える前に、感情が言葉を出していた。
私は人形じゃない。
そんな言葉が出て来たのは、二号機の彼女との喧嘩が頭にあったからかもしれない。

「だったら、ここにいるアンタは何なんスか?」

ビシッ
持っていた棒を先端で持ち替えて、教えさとすようにレイに向けた。
率直。闊達。不遜。野放図。そんな語彙が想起される。

「ここに使徒っていう怪物はいないし、綾波さんにエヴァに乗れって言う人もいないんでしょ?
なら、綾波さんは俺らと違わないじゃないっスか」



パリン、と。



レイの心を、覆っていた何かが、砕ける音がした。

なんでだろう。
この少年と違わない。
そんなことあるはずない。
他人からどう言われようと、水槽の中の魚だという現実は変わらないのだから。
けれど、その通りなのだ。ここには碇ゲンドウもエヴァもいない。
エヴァンゲリオンのパイロットだなんて身分は、何の役にも立たない。

それでもレイは、シンジを助けようと動いている。
その為に、他者と関係を築こうとしている。
自分の意志で動き、自分の希望で、絆を作ろうとしている。

「私が……」

エヴァンゲリオンのパイロットでも碇ゲンドウの道具でもなく、
ただの人間として生きている綾波レイは、ここに存在している……。



「私が死んでも、代わりはいないの……?」



今、ここにいて、碇シンジを守ろうとしている綾波レイに代わりはいない。
代わりを用意する大人がいない。

「いないに決まってるじゃないっスか」

リョーマが当然のように頷く。

手がかたかたと震える。
ペットボトルの中のお茶が揺れる。
この震えは何だろうか。

興奮?
驚愕?
あるいは、喜び?
でも、恐怖でないことだけは確かだ。

自分の常識を、いとも簡単に打ち壊した少年を見つめる。
彼は、自分の言葉がもたらした化学反応に、思いのほか戸惑っているようだった。
言いたいことは言ったとばかりに、Fantaの残りを飲みきりつつ、携帯を開いて時間を確認する。
落ちついているように見えて、彼も『放送』とやらに緊張しているのかもしれない。



――それが、放送の始まる少し前に交わされた会話だった。



平穏でいられるのも今のうちだということを、彼らは知らない。


【1】


『さて――次の放送はまた六時間後となる。それでは変わらず殺し合いに励んでくれたまえ、諸君』



碇シンジの名前は、呼ばれなかった。
それはつまり、彼がまだ生きているということだ。
安堵らしき感情が、レイの心をいっぱいに満たす。

……良かった。

それでも、死亡者の多さは深刻だった。
全参加者の約五分の一が死亡。このペースで殺し合いが進行すれば、二日もかからずに最後の一人が決まってしまう。
時間はそんなに残されていないのかもしれない。

……早く、碇くんを見つけないと。

決意を新たにすることで、生まれた焦燥を押し殺す。

そんなことに一喜一憂していたから、気づくのが遅れた。



「ぶ、ちょう……?」



死亡者を読み上げる途中で、少年が呆けたような表情へ変わったことに。
『驚く』以外の反応を停止して、口を半開きにしている越前リョーマに。

部長。
かろうじて聞きとれた言葉で、記憶が繋がる。
リョーマが、『部長』と呼んでいた人物。
手塚国光。
出会ったばかりの時にした情報交換と、二号機の少女に説明した時と、ファミレスでの情報交換と、三度も名前を聞けば、さすがに思い出せる。
知り合いの中でも、最も親しい関係だった、らしい。

その名前が、放送で呼ばれていた。
その名前が、リョーマを『停止』させている。
それはこういう場合に起こり得る、顔から血の気が引くだとか、ショックを受けた顔とは違っていて、
ただ『停止している』という風に見えた。
まるで、その言葉が頭に浸透するのに、すごく時間がかかっているみたいに。

目を見開いて、口を半開きにして。
それが、さっきまでの自信満々な姿とはだいぶ印象が違っていて、
レイはうっすらと恐怖めいた感情を覚える。

実際の時間にして、ほんの数秒のことだっただろう。
やがて、リョーマの口は言葉を取り戻した。
その口が、動いて形作った言葉は。

「嘘……」

信じられないという、現実の否定。


「あの……」

その拒絶は、何だか良くない兆候のように見えて、
レイは、声をかけなければと思った。

けれど、何を言えばいいのかが分からない。
ヤシマ作戦の時に弱音を吐くシンジを見たことはある。
でも、あの時のシンジはレイが知らないところで葛城ミサトに慰められていた。
どういう言葉をかけるのが適切なのか。想像する力は、いまだレイには欠けている。

だから、真実だと思われることを口にした。

「たぶん、嘘じゃない。そんな嘘ついてもすぐにばれるし、動揺を狙うなら他に有効な手段はあるから」

「嘘だっ!!」

噛みつくように、叫ばれた。
その表情は、感情の機微に疎いレイにも必死に見えて、剣幕にたじたじとなる。
リョーマのそばにいたペンペンが、怯えて5歩ばかり後退した。

「あ……」

一人と一羽の反応に対して、その顔に浮かんだのは、後悔の色。
自分で自分の叫び声に驚いて、正気を取り戻したみたいに。
まるで、自分でも言うつもりがなかったことを、言ってしまったみたいに。
ガラにもなく駄々をこねてしまった、大人びた子どもがするように、
帽子のツバをずらして、表情を隠し。

「……ごめんなさい」

頭を下げる。
そして、頭を上げる。
帽子で隠れたまま、どんな顔をしているかがうかがえない。
気まずい沈黙は、三十秒も続かなかった。

ガタン、と音を立てて。
リョーマは、ベンチから無造作に立ち上がる。

そのまま、どこかにスタスタと、道をそれて歩いていこうとした。
5メートルほど歩きかけたところで、はたと、レイを思い出したかのように引き返し。

「しばらくしたら、戻るから。今は一人にさせて、ください」

声が震えるのを押さえつけるように、短く区切るようにして言った。
ビルに向かうんじゃなかったのとか、そんなことが言える空気ではなかったし、
さすがのレイもそこまで空気が読めないわけではない。

「ぐぎゃー!」

ペンペンがとがめるような声をあげ、リョーマを追いかけようとした。
しかし、リョーマの左手に押し帰される。

「綾波さんを見てて」

そう言われると、ペンペンは納得したように引きさがる。
鳥頭にも、知り合いの女性――レイのことだが――を一人きりにするのが不味いぐらいは分かるらしい。
そしてリョーマにも、それだけの自制をきかす余力はあるらしい。

申し訳なさそうに一度だけ振り返ると、彼は木々を縫って姿を消した。

姿が見えなくなると、レイは胸に手を当てる。
ゆっくりと、深呼吸。
怒鳴られたことによる鼓動の加速は、まだおさまりきっていなかった。
謝られてしまったけれど、怒ってはいない。
むしろ、リョーマの『弱さ』を見たことに対する驚きが強い。
恐ろしいぐらい冷静で、我が道を行く強さを持った人間だと思っていた。
それでも、ネルフに来たばかりの頃のシンジがそうしていたように、弱い一面を見せることがある。
もしかしたら、彼と自分たちはそこまで違わないのかもしれないと思いなおし、
ほんの少し前に言われた『違わない』という言葉が意識される。

越前リョーマは、『手塚国光』という人物が死んだことで、衝撃を受けたように見えた。
それはつまり、それだけ親しい相手だったのかもしれない。

……もし、碇くんの名前が呼ばれたら、私はどうなってしまうんだろう。

碇シンジが、死んでしまった時。
綾波レイはどう思うのか。



――ダメ。



『想像さえしたくない』と心が拒絶する。

どうなってしまうか分からない。
たぶん、さっきの彼みたいに、まだ自制の効いた反応は取れないだろう。
レイを生かしている大きな要素が、失われるだろうという恐怖がある。

ひょこひょこ近づいてきたペンペンを、ディパックの中に半ば無理やり押し込んだ。
発作的な動作だったけれど、次に起こす行動は、頭にありありと思い描けた。
がたん、と乱暴に立ち上がる。

そんなに恐れているなら、いっそやろうとしている仕事を何もかも放り出して、碇くんの元へ走るべきじゃないのか。
やみくもに動いても仕方ないとかそんな理屈は無視して、碇シンジのことだけを考えて、それ以外の全てを頭から追いだした方が楽じゃないのか。

そんな誘惑が、衝動として生まれていた。
シンジがいつ死んでしまうか分からない。放送を聞いたことで、そういう焦りが生まれてしまったこともある。

――でも

ふたたび、深呼吸を繰り返した。
落ちつくように、落ちつくように、と己に言い聞かせる。
そして、ベンチに座り直した。

焦りは、ある。
だからといって、せっかく作れた絆を、放り出していいとも思えなかった。
自分一人の力だけではシンジを守れないと、その無力さを痛感したこともある。
しかし、最たる理由が、さっきの会話にあった。
リョーマの言ってくれた言葉がなければ、レイは今でも、自分を代替可能だと思い込んだままだっただろう。
そのことが、一人で走り出すことを躊躇わせた。

しばらくここで、リョーマを待つ。
本当なら、こういう時は同行者として支えることをすべきなのかもしれないけど、
まずは『戻って来る』という言葉を信じてみよう。
時間がたっても戻らないようなら、見に行こう。
彼が戻ってきたら、予定通りにビルを探索しよう。

そう踏ん切りをつけると、レイはベンチに深く座り直した。



――結果を言えば、この待機という判断が、彼女を一人で危険人物と接触させてしまった。


【2】


歩いて、歩いて、歩いて。

さすがに、歩きすぎたかと、足をとめた。
ざわざわと、広葉樹林が朝の風にざわめく。
これ以上進むと迷うと、警告しているみたいだった。
見上げてみれば、緑葉の天蓋の隙間から、夜明け前の白い空がちらちらと見える。

高い空をぼーっと見上げたまま、木の幹を背もたれにして、腰を降ろす。
ずるずる、と。
腐葉土の地面に、じかに座り込む。

道中の風景すら、ろくに記憶する余裕はなかった。
まぁ、帰る時に迷子になることはないだろう。
それぐらいの距離を空けて、リョーマは一人を望んだ。

「はぁ…………」

部長が、手塚国光が、死んだらしい。

嘘だ。
嘘だと否定したのが、嘘だった。

それなのに、現実を拒絶して、本当のことを言った綾波レイを否定した。
みっともなかった。
さっきまでは、自分の方が彼女の面倒をみたつもりになっていたのに、
こんな形で、ビルに入るのを遅らせて、足を引っ張っている。

本当は、分かっている。
ここでは、殺し合いをやっていることを。
式波アスカに襲われた時、リョーマだって、一歩間違えれば死んでいた。
脳震蕩だけで済んだのは、運が良かったからに過ぎない。
だから、手塚部長が死んだって何らおかしくない。
あの部長を殺せるほど強い人がいたのかもしれないし、
あの部長を油断させられるほど弱い人がいたのかもしれない。
信じられないけど、きっと本当に死んだんだろう。

「部長が…………もう、いない」

言葉にすると、お腹のあたりからぞわぞわっと寒気がせり上がってきた。
足を体育座りの形にして、膝に頭をのせる。

甘かった。

危険な場所だという理解なら、あったつもりだった。
殺し合いに乗っている人間にも、会った。
それでも、知っている人たちは、皆は死んだりしないと、思いこんでいた。

だって、皆、強いんだから。
テニスの試合や合宿で危険な目に遭ったことはあるけど、それだって無事に乗り越えてきたのだ。
死んでいるところなんか想像もつかないぐらい、生命力のあり余ったヤツらだったから。
今回だって、一人も欠けることなくいられると、楽観していた。

どんな風に死んだか、死因の説明でもしてくれたら、また違ったのかもしれない。
でも、電話口の声だけで、脱落者として呼ばれただけで、実感など得られはしなかった。

ましてや、あの手塚部長だったから。
思い返せば、試合するたびに何かと怪我をしていた気もするけど、それでもちゃんと治してきたし。
肩を治しに九州に行った時だって、全国大会に間に合うように帰って来たし。

全国大会だって優勝したから、これからは一人のテニスプレイヤーとして、世界で活躍するはずだったのに。
まだまだ、これからだったはずなのに。
死んだら悲しむ人だって、たくさんいるのに。
青学の部員も、他校生の中にも、竜崎のばーさんも……会ったことないけど、部長の家族とかも。
きっと、皆が悲しむ。

そう言えば。
仮に、殺し合いが終わって、元の世界に帰れたとして、
部長のことを報告するのは、きっとリョーマの役割になるはずだ。

『部長は殺し合いに巻き込まれて死にました』なんて告げたら。
大石副部長は、どんな顔をするだろう。
不二先輩は。英二先輩は。乾先輩は。河村先輩は。桃先輩は。海堂先輩は。

「うわ、嫌だ……」

想像してしまって、うめき声が漏れた。
嫌だ。
嫌すぎる。
想像するだけで、胃がねじ切れそうになる。
なんでそんなことしなきゃいけないんだと、部長に愚痴りたくなる一方で、
なんでこんな実務的なことしか考えられないんだろうと、我ながら呆れたりもする。
本当ならもっと、先輩が死んでしまって哀しいとかの感情が先行するはずじゃないのか。
映画とかだとこういう時は、一人でこっそり泣いたりする場面だろう。
泣くというのはリョーマの性格からかけ離れているし、泣きたくなんかないにしても、だ。
悲しんで、心の整理をつける時間じゃないのか。
そして、いつまでも悲しんでいられないと、気持ちを切り替えて戻って来る。
たぶん、この状況ではそういう冷静さが求められている。
そうしないと、今度は自分が死ぬ番になる。
戦いの場で最も致命的となる隙は、心を弱くすることなのだから。

いわゆる心の整理ってやつをつけて、ちゃんと戻らないと。
こころの、せいりを……。

「整理って、どうやるのさ……」

誰かと死に別れるなんて、初めてだった。
人よりも色んな体験をして、中学一年生にしては経験豊富な半生を過ごした自信ならある。
でも、身近な人間に、死なれたことなんてなかった。
テニスの試合で負けるのとは全然違う。
試合では、負けてもすぐに切り替えられる。負けてもどこかわくわくする。
次に試合する時は負けてたまるかと、強い自分のままでいられる。
けど、死んだらそこでおしまいになってしまう。

もっともっと、たくさん試合をするはずだった。
部長が卒業するまでには、きちんと決着をつけようと思っていたのに。
終わらない、はずだったのに。

手塚はドイツに行って、リョーマは世界を旅して。
テニスをしていれば、どこにいても繋がっていられると信じていた。
だから、全国大会が終わってからも、安心して……と言うか、無断で、旅立つことができた。
手塚の方も、そんなこちらの機微を分かっていたみたいで、帰って来ても「アメリカはどうだった?」と聞いてきたぐらいだった。

絶対に切れなかったはずの繋がりが、切れた。
なんで簡単に死んでるんだよ、と毒づく。

簡単に整理がつかないなら、考えるだけ無駄かもしれない。
頭の隅っこに追いやって、待たせている綾波レイのところに戻るのが手っとり早い。
でもそれはそれで、現実から逃げているみたいで嫌だった。
いつもはクールなリョーマでも、お世話になった人が死んで泣けないともなれば、自己嫌悪だって覚える。

処理できない感情を抱えたまま立ち上がることができず、
足で腐葉土をダン、と踏みならした。

ただひとつはっきりと認めてしまったのは、
この殺し合いで、リョーマは決して強くないということだ。
あんなにたくさんの人間が死んでいくのをどうにもできず、
自分の感情に整理をつけて、いつもの強気さを取り戻すことさえできないのだから。


【5】


いつもはクール(本人主観)な高坂王子とて、仲間が死ねば涙も流す。

「ちくしょうっ……日野ぉ……」

ぽたぽたと、涙を地面にこぼしながら、歩き続ける。
歩くのをやめなかったのは、ただの惰性。
そして、待ち合わせ場所に着けば何か得られるという希望だった。
希望は、見覚えのある建物の姿をしていた。

放送が始まる直前、高坂は驚くべき発見をしていた。
目指していた目的地の、外観がはっきりと見えてきたのだ。
桜見市市民タワー。

まさに、ここに来る前に高坂たちが突入しようとしていた建物ではないか。
それがどうしてここにあるのか。
そもそもあんな建物を、どうやったら手間暇かけて移築するなんて真似ができるのか。
決まっている。主催者がそれだけの神様みたいな力を持っているからだ。
神様みたいな力を持っていて、あの市民タワーをわざわざ移築するほど思い入れのありそうなやつ。
決まっている、11thだ。
もしくは、桜見市を舞台にして殺し合いを開いているデウスの一味だ。
やはり、この殺し合いは、未来日記のサバイバルゲームが関係しているんだ。

だったら、前の殺し合いの1stだった天野雪輝が何か知っているかもしれないし、秋瀬或が何らかの推測をしているかもしれない。
何より、この建物を目印として、秋瀬や日野が集まるかもしれない。
ビルに着く前から主催者の重要な情報を手に入れて、これはかなり再先が良いんじゃないかと喜んだ。

そこに、放送だった。

日野日向が死んだ。
否定する材料は何も無かった。
口うるさいし、無視されたり邪見に扱われることも多かったけど、数々のピンチを共に乗り切って来た友人だった。
疑う余地はなかった。
マリリンのような化け物女がいるのだから。
彼女のような能力者と遭遇してしまえば、一般中学生の日向など簡単に殺されてしまうだろう。
そのマリリンも、死んでいた。
全く安心材料にならなかった。あのマリリンさえも殺せるほどの化物がいることになるのだから。

神崎麗美の名前は、呼ばれなかった。
それだけが、救いだった。
とにかく、タワーを目指す。
神崎は生きているんだから、俺がタワーに着いておかないと。
それに、秋瀬或が来ていることを祈る気持ちもあった。

誰かがタワーにいてくれればいい。
そうすりゃ、絶望的な気持ちを、ちょっとでも忘れられるんだから。


「スン……ヒック…………ック……」


誰か、いた。

路傍にうずくまって、小さな少女が泣いていた。
見覚えのある制服に、神崎が先回りしていたかと喜びかけたが、すぐに別人だと分かる。
頭のてっぺんでふたつにくくられたツインテールと、小柄な容姿。
無警戒に、警戒する気力さえないかのように、力のない泣き声を漏らす姿は、どう見ても危険人物のそれではなかった。
自分より弱い、無条件で保護すべき類の生き物だ。

この女も、放送で仲間の名前が呼ばれたのかもしれない。
そんな共感と同情心が働き、高坂は身構えることなく近づいて行った。


【6】


かえりみれば、病院に向かうかどうか決めるだけで、だいぶ時間を使ってしまった。
道の駅を出て、最初は病院を目指しかけた。
逆ナン日記は渋谷翔に会えると予知していたし、彼なら生き残る為に色々と利用できそうだったからだ。
渋谷のテコンドーの腕前は愛よりも優れている。
それだけに裏切られた時のリスクも大きいが、そういった危険性もひっくるめて見知った仲だ。
こちらが同盟を誘えば、向こうだって簡単に乗ってくれるはずという読みもあった。
しかし、到着する直前になって、日記の予知が書き変わった。
ノイズが駆け抜けた画面に新しく写っていたのは、リーゼントに学ランの少年。
名前は浦飯幽助。
そして、予知に書かれた『遭遇する場所』が問題だった。
病院の病室番号だけでなく、こう書かれていた。
『渋谷翔の死体の前』。
これの意味は明らかだ。
渋谷翔は、浦飯幽助に殺された。少なくとも、殺害現場にいる。
一瞬で予知が切り替わったことからして、出会いがしらに殺された線が高い。

悩んだ。
あの、反則的に強い渋谷を殺せるほどの実力者。
死の蛭(デス・ペンタゴン)で脅迫して従わせれば、強力な戦力となるのは間違いない。
けれど、普段の渋谷翔は、気弱な少年を演じている。そんな少年を即殺害するなら、躊躇なく殺し合いに乗っている可能性が濃厚だ。
色じかけで男を油断させるのは得意だけれど、相手が見敵必殺状態で、しかも渋谷より強いとなれば、視界に入ったとたんに殺されるかもしれない。

熟考した末に、浦飯幽助は『保留』とした。
学籍簿を見ても、浦飯幽助と同じ学校の生徒は2人もいる。いずれどこか別の経由で、彼に対する情報が入ってくることもあるだろう。

こうして一人の男とも出会わず、愛は放送を迎えた。

やはり、渋谷翔の名前は呼ばれた。
他に、たくさんの名前が呼ばれた。女性の名前が、かなり多かった。
ほら見なさい、と中川典子を嗤ってやる。
やっぱりこんな場所では、女は真っ先に食い物と見なされるんじゃないか。
そして、携帯電話が、一通のメールを受信した。
そして、逆ナン日記に、新しい男と出会う予知が来た。
三人目の、男の予知だった。
名前は高坂王子。逆ナンの印象は、頼りなさそうで、軽薄そう。
今度は即決した。使えそうな奴なら、死の蛭(デス・ペンタゴン)で隷属させる。
使えないようなら……。

「なあ、あんた……大丈夫か?」

予知された時間と場所で待ちかまえて泣いていると、高坂王子は親切そうに声をかけてきた。
今まで愛に制裁されてきた男が、例外なくそうだったように。

「きゃあぁっ……!!」

涙で濡らした顔をあげ、わざと大げさに怯えた振りをする。
そして、さりげなく相手を観察。
金属バット以外に、武器らしい武器は持っていない。また、身のこなしから武道のスキルなどもなさそうだ。

「ちょ、待った待った! 俺は別に怪しいもんじゃねーよ!
ほら、バットを持ってるけど、襲わないで声をかけただろ?」

そんなの分かるもんか。
そんな内心の声はおくびにもださず、上目づかいでウルウルとした視線をそそぐ。

「ほ……ほんとう、なのぉ?」
「本当だって。何だったら、もうすぐここに来る女子に証明してもらってもいいぜ。
俺、さっきまであんたと同じ学校の制服を着た神崎ってやつと一緒にいたんだよ」

思わぬことを聞いた。
三年四組の神崎麗美。愛との接点はほとんどないが、あの担任と仲が良かったクラスメイトだ。
その彼女と会っていたとは。
もし『常盤愛』の名前を聞いていれば、『白井黒子』の偽名は使えなくなる。

「かんざき、さん? あなた、神崎さんを知ってるの!? 今どこに……あたしのことを何か言ってましたか?」
「おわっ……顔近いって! 神崎とは、四時間ちょっと前に別れたんだよ。すぐそこのビルで合流の約束をしたんだ。
あと、すぐ別れたから特に知り合いのことは……あんた、名前は?」

麗美の親しい友人の振りをして食いつき、情報を引き出す。
上気させた顔を近づけ、『女』をアピールすることも忘れない。

「しらい……白井、黒子ですぅ。良かったぁ……神崎さん、無事だったんだぁ……」

心から安心した振り。
同情させることで、一方的に情報を吐き出させる。

「神崎さんとはいつ会えるか、分かりますか…?」
「いや、トラブルがあって別れちまったから、時間までは……あ、でも生きてるのは確実だぜ!
あいつを追ってった奴の名前も放送で呼ばれたし……」
「追ってった……?」

それまでベラベラ喋っていたやつが、急に口を濁した。
説明しづらいことを、思い出したみたいに。

「いや……バケモノみたいな女に襲われて、麗美はさっそうと俺を逃がしてくれたんだよ。
麗美が無事だったことは分かってるし、もう心配はないぜ」

女に襲われて、一緒にいた女に任せ、自分は逃げてきた。
女の子を見殺して、女相手に逃げ出した。
そんなことを、悪びれもせずに言ってのけた。
こいつは。

「それって、神崎さんが襲われたのを、見捨てて逃げたってこと?」

いくぶんか声のトーンを冷たくして聞き返すと、高坂はあたふたと弁解を始めた。
麗美には強力な秘密兵器があり、勝算もあったからだとか、何とか。
けれど、そういった弁解は半分も聞いていなかった。

もちろん、短い説明で全ての状況は分からないだろう。
支給品しだいでは、男より女の方が時間かせぎに向いた状況だってありえる。

けれど、理屈じゃないのだ。
けがらわしい。けがらわしい。けがらわしい。
こいつが自分に対してそうするかもと考えただけで、心がどす黒い気持ちになる。
よしんば100パーセントのクロじゃなくとも、女を盾にして逃げるかもしれない男を、そばに置けるわけがない。

「きたない……」
「ん? 白井、何か言ったか?」


「きたないから死んじゃえって言ったのよ」


脚を。
振り抜く。


鍛え抜いたハイキックの一閃が、男の頭部を撃ち抜いた。


「ごはっ……!?」


鋭い竜巻を起こす。
空気を裂くテコンドーの一蹴は、まさにそれ。
間抜けな悲鳴をあげた男は、横っとびに吹き飛ばされる。
数メートルばかり飛ばされ、樹海と道を区切るガードレールへとあっけなく激突した。
金属バットが、あさっての方に転がっていく。
ただし計算外がひとつ。
直前で高坂が、何か言おうとしてビルへと向き直ったこと。
同時に背負いなおしたディパックが、ローファーの軌道上を微妙に遮り打点を狂わせた。
だから、失神には至らない。

「な、なん……ぐぇ……」

地面に這いつくばったまま、頭だけを起こして、それでも意識がある。
しかし、しばらくは身動きもかなうまい。

愛はディパックを地面に降ろし、中から手製の大斧を取り出した。
何が起こったのか分からない、という顔の高坂王子に言ってやる。

「なーに『信じられない』って顔してるの? か弱いと思ってた女の子に蹴り倒されたのが、そんなに意外ってわけ?」

冷たく言い捨てると、高坂の表情が困惑から恐怖に変わる。
いつもなら、ここでさらに連続で蹴り続けるところだけれど、さすがに今回は遊んでいるわけにもいかない。
殺せる時に殺さなければ、殺される場所なのだから。

愛の両手には、人間の頭蓋骨なら簡単に砕けそうな即席のハルバードがある。
一瞬、生まれたのは躊躇。
こいつを、殺すのか?
男なんかのために、手を汚してしまっていいのか?

しかし、そんな躊躇いはすぐに霧散。
男を信じろ、バカなことを考えるなと言う中川典子の声が頭にリフレインして、
甘いことを言うヤツらへの怒りが、殺意への起爆剤になった。

今までだって、気に入らない連中を社会的に消去(デリート)してきた。
今さら命を消去するぐらい、そう違いはあるまい。

「なんで……なんでだよ! 確かに俺は逃げたけどっ……それで殺されなきゃいけねぇのかよ!」

ようやく言語機能を回復したらしい山猿に、

「だって信用できないんだもん。キャハハ」

最後の言葉をかける。
数歩で詰め寄り、斧を高々と振りかぶり、


背後から、攻撃の気配。


格闘技経験者の直感で、横っ跳びによけた。
ひゅんひゅんと頼りなく空を切る音がして、小さい矢のようなものが視界の端を横切る。

ダーツの矢が三本、高坂王子の頭上の木に刺さった。あのまま避けなければ、一本ぐらいは愛の腕に刺さっていたかもしれない。
べつだん脅威となるほどの狙いの良さはなく、一本は刺さりが甘くて地面に落ちた。
その投擲を行った乱入者は、愛が横っ跳びに距離を置くや、すぐに駆け寄ってきた。
高坂王子を庇うように回りこみ、立ちふさがる。

赤い瞳に薄い髪色の少女だった。
か弱く儚げな立ち姿は、おせじにも戦い慣れているように見えない。
けれど、両手にぎゅっと握りしめた日本刀が、決して退かない意志を雄弁に物語っている。

「何よ、アンタ。もしかしてこいつのツレ?」

乱入者にやや興ざめを覚えながらも、愛は問う。
「違う」と少女は答える。

「ならどきなさいよ。あんたは女だから、男を庇いだてしないなら見逃してあげてもいいよ」

これは半分以上嘘だ。
『乗っている』と言いふらされない為にも、殺すか脅すか、何らかの口封じはする。

「男のひとだったら、殺すの?」
「うん、殺すよ。女を頼らなきゃ生きていけない男も、女を食い物にして生きてる男も、皆殺す」
「なら、やっぱりどけない」

小さな声に宿るのは、確かな意志。
庇われる高坂も、ただ驚いている。
淡々とした声で、しかし幾分か顔つきを真剣にして、少女は語り続けた。

「あなたが殺し合いをする人なら、どこかで碇くんを傷つけるかもしれない。
脱出の障害になるかもしれない。最初は、そういう理屈も、考えた。
でも、それだけじゃない、と思う。これは、私の感情でしていること」

碇くん、という男子の名前らしき固有名詞。

「好きな男の為にってわけ? でもそこの男は、アンタの彼氏でも何でもないよ?
初対面の男の為に命賭けるなんて……バカバカしい」

「馬鹿馬鹿しくない。だって、これは私の意志でやっていることだから。
エヴァがなくても、みんなと絆をつくれるなら。
私や碇くんを助けてくれるかもしれない誰かを、見殺しにするぐらいなら。
それが使徒じゃなくても。命令されなくても。
……………………私は、戦う」

最終更新:2021年09月09日 18:59