◇ ◇ ◇


【1】


「かつて――
 まあ、かつてなどと言うほど日にちが経過したワケでもないが……ともかく。
 たしかに、私はお前に一つ尋ねたな。
 『生きている』とはいったいどういうことなのか――と、そんな風に。
 そんな問いに対し、お前は『欲するものを手に入れること』と答え、私もまた私の持つ考えを口にした。
 そこで、だ。
 また異なる、されどある種似通った質問をしよう。
 変わった老婆よ――『死』とは、はたしていかなる状態のことなのだろうな。

「この私に死など無関係、だと?
 ふん、違うな。お前は、大きな思い違いをしている。
 永遠に年老いることがなく、そしていかなる損傷をもたちどころに再生してしまう。
 そんな永遠の命を持ってこそいるが、しかし決して無関係ではない。無関係など、ありえない。

「なにを興奮している。とうに、知っているはずだろう。
 この人間を超越した肉体は、日光を少し浴びただけで細胞のカケラ一つ残さず『消滅』する。
 それに――
 事実として、一度死にかけた過去が存在する
 私の首から下、すなわちこのボディの持ち主であったジョナサン・ジョースター。
 ヤツの『波紋』と『勇気』によって追い詰められ、永遠の命を持つ私は危うく息絶えかねなかった。

「死ぬ寸前まで行ったが、こうして生きている。
 そうだ。そこにこそ答えが存在し、そこ以外には存在しえない。
 『死』とは、『意思あるものにとっての死』とは、なにであるのか。
 その疑問の答えが、きっとあるはずだ。

「ああ、すでに分かっているさ。私のなかでは、な。
 先日と同じく、分かった上で訊いている。
 私にとっての答えは私にとっての答えでしかなく、他の誰かにとってのものではない。
 私が求めているのは、お前にとっての答えだ。

「肉体が動かなくなること、か。
 ……私の考えとは違っているな。
 肉体が動かなくなるのが死であるのならば、私には永久に訪れることがないではないか」

「私は、こう考えている。
 ――『この頭を喪失してしまうこと』こそが死であるのだ、とな。

「あのとき、私は首から下を破壊された。
 言い換えれば、首から上だけが無事であった。
 頭など、肉体全体の一割にも満たないだろう。
 つまり、私の肉体はほぼすべて死んでいたのだ。
 にもかかわらず、どうにか死を免れることができた。
 たしかに意識は鮮明であったし、綿密にヤツの肉体を奪う計画を立てていた。
 そんな状態を死んでいたなどと呼べるか……いいや、呼べない。

「体力も、あらかた失ってしまっていてな。
 血管を伸ばして移動することもできなかったが……それでも、考えることはできた。
 もしも残ったのが頭ではなく、腕や足であったのなら――確実に死んでいただろう。
 頭が残ったからこそ――いいや、正確に言おう。
 頭を残したからこそ、私はあれから百年ほど経った現在もこうして生きていられる。

「究極的な話をすれば、頭ではなく『脳』かもしれない。
 己の意思で思考することができたのは、あの頭蓋骨に覆われた柔らかな部位があったゆえだ。
 とはいえ、脳だけが残されてはな。
 ボディを奪い取ろうにも、どこに神経や血管を繋ぐのかを認識できない。
 視神経だけがあっても、眼球がないのではなにも見えない。
 大気の流れを捉えようにも、脳には触覚も痛覚もない。
 結局、どうすることもできず、待っているのは死だ。
 ゆえに、やはり、私にとっての死は『頭を失うこと』だと考えている。

「私自身ではなく、他者の手で私の脳を新たなボディへと移植させる――ふん。
 たしかにその方法が可能であるのならば、脳だけが残っても死とは限らないな。
 だが、現実的とは言えない。
 脳とは、無数の微細な神経の塊だ。
 それを片っ端からすべて正確に繋ぐなど、とても人の手では叶わない。
 くわえてほんの小さなミスでさえ、致命的な自体を引き起こす。
 たった一つだけ繋ぐ箇所を誤ったり、繋ぎ損ねてしまえば、それだけで大惨事だ。
 脳が右腕をかざすよう指示したにもかかわらず、肉体は左足を上げてしまう――だとかな。

「いや。マリオネットじゃあるまいし、そこまで単純ではないだろうが。

「いずれにせよ、結論は同じだ。
 この身体ゆえに思考することはできるだろうが、移動することができなくては脳のような貧弱な部位はいずれ砕かれる。
 ただ多少の時間が残されているだけで、脳だけしか残されていないのならば死んでいるのとなにも変わらない」


 ◇ ◇ ◇


『足手纏い足手纏いと、言っていたけどね。
 彼女は、僕にとって取材するに足るおもしろい人間だ。
 この状況で小説を書くだなんて、いかしてるじゃないか。
 それにな、僕から見りゃあキミだってかなりのもんだぜ?
 なにかい? そんなちっさいナリのクセに、実はキミ強いのか? 違うだろう?
 正直、千帆さんのがだいぶ強そうだぜ。キミ、グーで殴られたら泣いちゃうんじゃない?
 だいたいさァ、こいつがこんなゴツい身体になっちまったのだって、キミのせいなんだぜ?
 …………いや、その件について責めるのはお門違いもいいとこだな。悪かったよ。訂正しよう。
 こっちのボロボロの死体のほうだ。脳ミソ取り出したのは僕だけれど、ボロボロになっちまったのはキミのせいだぜ?
 まァ、こいつだって自らヒーローになりにいったみたいだし、ボロボロにしたのはあいつだけど、でも巻き込んだのはキミだろ。
 いったい、どのツラ下げて千帆さんにあんなこと言えるんだい? その精神、とても気になるな。参考になりそうだ。ぜひとも教えてくれないか』

 と言いかけて、岸辺露伴はどうにか言葉を呑み込む。
 普段ならば間違いなく言っていたし、別に川尻早人の言い分に同意できたワケでもない。
 単に、彼が嫌いな『鬱陶しいガキ』と話すのを時間の無駄と思っただけだ。

(余計なことをしていられる状況でもないしね)

 足元に倒れ伏している巨漢を一瞥してから、露伴は双葉千帆の去って行ったほうを見やる。
 離れていった彼女の姿は、とうに見えなくなってしまっていた。

(とりあえず、千帆さんは後回しにしてもいいかな。
 あんまり運動が得意なタイプには見えなかったし、どちらにせよあんな服装じゃあね。
 作品を描くにあたって一度穿いたことがあるけれど、スカートってのは運動に適しているとは言い難い。
 あんまり遠くまでは行っていないだろうし、しばらくしたら心細くなって戻って来るかもしれないからな。
 それに――)

 露伴のなかには、一つ確信があった。

(彼女はまだ答えていない。
 小説家と漫画家では、用いる手段こそ異なっているが……
 『物語を作る』という点で同じだ。
 彼女が物語を作る人間であるのなら、僕の質問を無視し続けられるはずがないんだ。
 あんな――最初の段階で止まってはいられない。渾身の答えをぶつけずにいられるものか)

 僅かに口元が緩んでいることに気付き、露伴は表情を戻す。
 まだ彼女の作品を読んですらいないのに、不思議と期待してしまっていた。

(まあでも、仕方がないか。
 あんなにおもしろいヤツの書く小説だぜ? 実に楽しみだ)

 などと考えながら、露伴は再び巨漢を見下ろす。
 その胸は上下しており、やけに太い動脈は小刻みに振動していた。
 わざわざ触れるまでもなく、生きていることは明らかだ。

(意識がないのに、こうしてやるべきことをやってるってことは、自律神経がきっちり働いてると。
 こんなふうに『ヘブンズ・ドアー』を使ったことはなかったけど、きちんと神経同士が繋がったみたいだな)

 岸辺露伴のスタンド『ヘブンズ・ドアー』の能力は、対象を『本』にすることだ。
 スタンド能力に開花した直後は、『本体である露伴が描いた絵を見せる』ことで『波長が合った』ものだけを本にできた。
 だが、スタンド能力とは進化していくものなのだ。
 現在となっては、『絵など見せずともヴィジョンが触れ』さえすれば『波長が合わずとも』本にすることが可能である。
 触れねばならないので動きの速い相手を捉えるのは難しいが、本さえすれば相手は意識を失う。
 その記憶が細かに記された本に命令を書き込めば、相手はそれに従うのである。
 たとえどんなに無茶なものであろうとも、だ。
 『時速七十キロで後方に吹っ飛ぶ』といった命令でさえ、可能とする。
 相手の脳に認識させずに、身体を操作することができるのだ。

 そこで露伴は先ほど、巨漢の身体に命令を下した。
 『自身の脳を喰らい、異なる脳を神経に繋げ』、と。

 不可能に思える命令であるが、巨漢はその記憶によると人間ではなかった。
 全身のどこからであろうとも有機生命体を喰らうことのできる――『柱の男』であったのだ。
 ゆえに、巨漢の身体は命令を達成した。
 自身の脳を取り込んで、異なる人間の脳を神経に繋いだのだ。
 実際のところ、脳移植は理論上可能なのである。
 無数に存在する神経や血管を繋ぐのが、技術的に難しいだけにすぎない。
 身体のほうから神経や血管が伸びてくる、柱の男の肉体ならば不可能ではない。

「放っておくワケにもいかないからな。
 重そうだから、適当な家に置いてやるだけでカンベンしろよ」

 ひとりごちて、露伴は巨漢の身体に手を伸ばした。


 ◇ ◇ ◇


【2】


「なるほど。失念していたな。
 言われてみれば、たしかにそうだ。
 スタンドを使用すれば、人では不可能な精密動作であろうと可能となる。
 何せ、実験によって『頭さえ繋げられればボディを支配できる』という事実を知ったのが、スタンドを認識する遥か以前だったからな。
 このことに関しては、ついスタンドを考慮せずに判断してしまっていた。
 ならばもし脳だけが残った場合は、スタンド使いに移植をさせるとしよう。
 『恋人(ラヴァーズ)』など、非常に向いているとは思わないか?
 雇っているだけのスタンド使いであり、私への忠誠心など存在しない……が、そんなものはこの私には関係がない。

「それにしても――
 脳移植が可能ならば、多少疑問が生まれるな。

「『吸血鬼の脳を人間のボディに』ではなく、『人間の脳を吸血鬼のボディに』移植すれば――どうなるのだろうな。

「脳を失えば、吸血鬼のボディは動かない。
 元が人間であるのだから、人間の神経が繋げないワケがない。
 移植することは、決して不可能ではないはずだ。
 というより、脳移植を行うスキルさえあるのならば、確実に可能だろう。
 さて、この場合はいったいどうなるんだ?
 脳を針で貫くことで、私は人間を超越する肉体を得た。
 その超越した肉体に、針で貫かれていない脳は適合するのか?」

「答えは『不明』だ。
 そんなもの、試してみなくては分からない。
 かといって、別に試す理由もない。
 吸血鬼の頭を、吸血鬼のものではないボディに繋ぐ。
 その実験にはやるだけの意味があったが、こちらにはない。

「ただ、もしも適合するとすれば、言えることがある。
 あくまで仮定の話であるし、やはり私自身に実験を行うつもりなどない――が。
 どうにもまだまだ日が昇るには時間があり、目が冴えてしようがないので話を続けよう。

「――その脳の持ち主が善人であれば、死に行くまで苦悩するはめになるだろうな。

「吸血鬼の肉体に必要な食事は、『人間の血液』だけ。
 血液以外を欲さなくなるし、血液以外からエネルギーを得られない。
 無論、口に食料を放り込むことはできるが、その程度のエネルギーではまったく足りない。
 元より他者を踏み台と認識する輩ならばともかく、善人という連中はそうも行かないものだ。
 吸血鬼の脳さえ持ち合わせていたのなら、周囲の人間を食糧として認識することもできよう。
 なのに――脳は、人間のもののままだ。
 人間を人間と認識していながら、食事を取らねばならない。
 いかに人間を超越した肉体と言っても、食欲が消えるワケではないからな。
 むしろ消費するエネルギーが増える分、摂取するべきエネルギーも増す。空腹になりやすくなる。
 培ってきた倫理観と増幅する食欲、そのせめぎ合いを永遠に繰り返すことになる。
 しかも、そう簡単には死ねない。
 老いることもないし、多少自傷したところで再生して終いだ。
 中途半端に血を流すせいで、余計にボディは吸血を求めるばかり。

「苦悩させようとしたならばともかく、善意から移植したのなら――はた迷惑もいいところだ」


 ◇ ◇ ◇


「な……に、ィッ!?」
「ろ、露伴先生!?」

 露伴が目を見開き、傍らにいる川尻早人が悲鳴じみた声を上げた。

「バッ、バカな! これは――ッ!」

 横たわる巨漢を担ぐべく、露伴は両手を伸ばした。
 あまりにも大きな肉体を持っているため、片手で腕でも掴んで引きずるのも難しそうであったからだ。
 巨漢の腰付近に両手が触れた瞬間――露伴の両手は、巨漢の体内へと『沈んだ』。

「『喰』われているッ!?」

 腕を引こうにも、一寸たりとも動かない。
 まるで噛み付かれているかのように、微動だにしない。
 いや、違う。
 ほんの僅かにだが、動いている。
 腕を引き抜くことはできないのに、少しずつだが露伴の腕が呑み込まれているのだ。

(僕が犯した失敗は『二つ』……ッ)

 第一に、巨漢を両手で担ごうとしてしまったこと。
 手が片方でも空いていれば、『ヘブンズ・ドアー』を使用することができた。
 意識がない相手を本にできるのかは不明であるが、『ヘブンズ・ドアー』は急速に進化しているスタンドだ。
 いままでできなくても、この危機においてさらに進化するかもしれない。
 また、そのようなありうるのかも定かではない進化に頼らずとも、自分自身を本とすればよい。
 それで『喰われた腕を斬り落とせ』とか命令をすれば、片腕は失っても完全に喰われはしなかっただろう。
 漫画家にとって腕とは重大な仕事道具であるが、世の中には戦争で隻腕となっても傑作を生み出し続けた漫画家もいる。
 しかし、もはやそれさえ叶わない。
 両腕を喰われてしまっている現状、漫画家稼業はお終いだ。
 さすがに、足で書くというワケにはいかないだろう。

 そして、第二の失敗は根本的なものだ。
 露伴は、柱の男にとっての食事を見誤っていた。
 身体のどの部位からであろうと、生物を体内に取り込む。
 『ヘブンズ・ドアー』の命令で脳を喰わせたのだから、それについては認識していた。
 だが――『無意識』でも食事を取るとは、思っていなかったのだ。
 柱の男は食事をするに辺り、わざわざ『食べよう』などと意識する必要がないのだ。
 歩いている最中に身体に人間が触れれば、人間に気付かなくても身体が勝手に取り込んでいる。
 千年単位の長期睡眠中でさえ、通りがかった人間を無意識のうちに体内に吸収してしまう。
 人間が呼吸したり心臓を動かすのをわざわざ意識しないように、柱の男は無意識のうちに人間を喰らう。
 食事の方法だけでなく、食事に対する認識さえ異なっていることに露伴は気付いていなかった。
 意識せず食事をしているのだから、そんなものは『ヘブンズ・ドアー』の本に載っている道理がない。
 記憶を詳細に記した本で、記憶に残らぬ無意識について読み取れるものか。

「早人くんだったか? 僕は、もう無理だ」
「そんな! きっと、どうにか――」

 早人の気休めを、露伴は半ばで遮る。

「無茶言うなよ。喰われている僕が一番分かるさ。
 ふふ。そんな、泣きそうな顔をするなよ。みっともない。
 心配するなよ。別に、痛いワケじゃないんだ。むしろ、『気持ちがいい』な。
 初めて味わう感覚だよ。実に、素晴らしい体験だ。滅多にできるもんじゃない。
 これを作品に反映させられたら、どんなに痺れる一コマになるだろう。
 …………まァ、いまとなっちゃ不可能なんだけどね。何せ、ペンを持つ腕がないからな。ハッハッハ」

 やれやれと肩を竦めて見せても、早人は無言である。
 露伴は顔をしかめて、露骨に不機嫌そうな口調になった。

「笑えよな、こういうときは」

 そんなやり取りをしている間に、二の腕までもが巨漢に呑み込まれていた。
 少しすれば肩まで浸食され、ついで顔や胸まで喰われてしまうことだろう。

「どうにもならないな、これは」

 潔く言い切って、露伴は足元のデイパックを早人へと蹴り飛ばす。
 巨漢を担ぐ際にジャマになると判断し、いったん地面に下ろしておいたのだ。

「それの外ポケットに紙が二つあるだろう。
 万年筆のキャップに挟まれたものと、もう一枚だ。
 万年筆に挟まれているほうは、万年筆と一緒に千帆さんに渡しておいてくれ。
 キミは彼女のことを嫌っているみたいで悪いけど、まあ死に行く人間のお願いだと思ってさ。
 イヤならイヤでも構わないんだが、その場合は人目に触れないようなところに処分してくれよ」

 困惑している早人をせかすように、露伴は口調を強くする。

「なに、ボーッとしてるんだよ! もう一枚のほうを渡せッ、早く!」

 ここに挟めという意味を込めて、露伴は口を大きく開く。
 理解できるか不安だったが杞憂だったようで、早人は紙を露伴の口に放り込んだ。

「できるだけ離れとけよ。
 顔を喰われる寸前に、この紙を上に放り上げてやるからさ」

 紙を咥えているので発音は悪かったが、伝わったらしい。
 もはや首まで喰らい付かれており、露伴には振り返って確認することさえできない。
 早人の足音が小さくなっていることから、遠ざかっていることは明白だった。

「もしものときのために、もう一度開けば出るようにしておいてよかったよ」

 軽口を叩くような口調で言いながら、露伴は『ヘブンズ・ドアー』を発現させる。
 本体の両腕が喰われてしまっているので、『ヘブンズ・ドアー』にも両腕はない。
 それでも、問題はなかった。
 いま必要なのは相手を本にする能力ではなく、咥えている紙を『蹴り上げる』力であるのだから。
 大振りな動作で蹴り上げられた紙は、勢いよく上昇して空中で開かれた。

「まァ、殺すのは悪いと思うがね。
 どちらにせよ死んでた身なんだし、生き長らえさせた僕が殺すんだから許してくれよ。
 現実を直視してしまう前に、寝ているうちに殺してやるからカンベンしろよ。すまないな」

 岸辺露伴の支給品は、二つあった。
 早人に託した万年筆が片方で、もう片方は『杜王港に設置されているコンテナ』。
 中身になにが入っているのかは杜王町在住の露伴とて知らないが、コンテナだけでもかなりの重量だ。

「まったく。罪なんて背負うもんじゃない」

 自嘲気味に吐き捨てた言葉は、コンテナが上空から落下した轟音に掻き消された。



 露伴が推測した通り、双葉千帆はたいして遠くまで行っていなかった。
 民家の壁に背中を預けてへたり込んでいると、先ほどまでいた地点から轟音が響く。
 しばし逡巡したのち、戻ってみることにした。
 露伴の行動は理解できなかったが、彼のいるほうでなにかあったならば気にかかるのは当然だ。
 衝動的に逃げ出してしまったのに引き返すのは体裁が悪いが、それよりも心配な思いのほうが強かった。

「…………え?」

 先ほどまでいた地点に到着した千帆は、そんな間の抜けた声を漏らしてしまった。
 それも、仕方のない話であろう。
 ほんの少し前にはなかった巨大なコンテナが、住宅街のド真ん中に落ちているのだから。

「えっ? これ、えっ? 露伴先生は……?」

 意図せず零れた疑問に答えるように、いつの間にか近くにいた川尻早人が人差し指を伸ばした。
 その指の先には、コンテナ以外になにもない。

「あの下だよ。露伴先生は……自分を犠牲にして、あのバケモノを殺したんだよ」

 事態を呑み込めずにいる千帆に、早人は背負っているのとは別に持っているデイパックから万年筆と紙を取り出す。

「露伴先生から、お姉ちゃんにってさ」

 千帆が混乱しながらも紙を開くと、折り畳まれていた紙は三枚であった。
 そのすべてに、びっちりと文字が書き記されている。
 一行目を読んだだけで、それが双葉千帆へと岸辺露伴が宛てた手紙であることは明らかだった。


 ◇ ◇ ◇


「小説家、千帆さん――

「キミがこれを読んでいる以上、僕はきっともう死んでいるのだろう。
 ちなみにこの手紙は、キミが僕の書斎で難しい顔をしているときに書いている。
 自分が考え込んでいる間に、こんなものを書いているなど気付かなかっただろう。
 僕だって、驚いている。自分で書きながら、驚きすぎて少し鼓動が早くなっている。
 まさかこの僕が、こんなにありきたりで月並みな冒頭文を書くことになるとは、とても思っていなかった。
 これをキミが読むべき事態にならなかったときには、誰にもバレないようにこっそりと処分せねばならない。
 クソッタレ仗助やアホの億泰辺りに見られるのはもちろん、愛すべき友人である康一くんにだって見られたくはない。
 焼くのが一番手っ取り早いのだが、クソッタレ仗助のことを考えると最善手とは言い難い。まったく、本当に面倒なヤツだ。
 ともあれ、せっかくキミに宛てる手紙であるというのにあの男のことで紙面を割くのも苛立つので、とにもかくにも文章を続けよう。

「本題に入る前に、説明だけしておこう。
 この僕が、わざわざキミのために手紙など綴っている理由。
 一応、それだけは伝えておかねばならない。
 まさかとは思うが、この僕が高校一年生のキミに特別な感情を抱いている――
 などと、そんな盛大な勘違いをされた日には、僕はおちおちあの世でゆっくりしてもいられない。
 だいたい交際相手がいるというのに、手を出す気になんてなるものか。
 いや、まずい。これでは、彼氏がいなければ話は別だと取られかねない。
 この僕が、キミのような少女に特別な感情など抱くはずがないだろう。ふざけるな。
 頭に来て書いてしまったが、キミが勘違いをしていなければそれでいい。というかしていないだろう。
 万年筆を使っているせいで文章を消して書き直すことができないのだが、癪なのでこの紙で続けようと思う。

「ひとまず、本題だ。
 いや、あくまで本題に入る前の説明か。
 それは、私が生前(これを書いている時点では生きているが)キミに質問を出していたからだ。
 センパイ面をして質問しておきながら、その答えを言わずに死ぬというのはいささか不本意でね。
 疑問文に疑問文で答えるヤツが鬱陶しいように、質問を出しておきながら答えを言わないヤツも鬱陶しい。
 どーでもいいヤツに鬱陶しがられようと知ったこっちゃないが、多少でもおもしろいと思った人間にそう思われるのはイヤでね。
 こうして、筆を取らせてもらった。
 なのでキミが質問内容を忘れているのならば、こんな手紙はもう読まなくていい。というか読まないでくれ。時間の無駄だ。
 ただ、その場合はこの手紙を他の誰にもバレないようにこっそり処分してもらいたい。この僕の遺言なんか聞く筋合いはないだろうが、切に願う。

「読み進めている以上、キミは僕の質問を覚えているのだろう。
 ――と書いてみて、分かったことが一つある。
 冒頭で書いて自然に鳥肌が立ったこの言い回しも、二度目となると慣れるものだ。
 こういうことが分かるのだから、何ごともやってみなくては分からない。

「ともかく、質問についてだ。
 『LESSON1』として、僕はキミに尋ねたのだ。
 『作品の主人公はこの状況でいったいどんな行動が可能だろうか』と。
 そしてそれに対する答えを言っておくために、僕はこうして手紙を書いている。
 ――のだが、こんな質問に決まった答えなどない。
 当たり前のことだ。
 書く人間によって違うさ。
 決まっているだろう、そんなもの。
 実際にキミがこの殺し合いで取る行動は、あとから思い返してみれば『たしかにあった現実』以外にありえないだろう。
 しかし――物語。
 小説にせよ、漫画にせよ、物語であるのなら別だ。
 あとから振り返って『取ろうとは思ったけれどやめたこと』だって、物語の主人公は取ることができる。
 『取ろうとすら思わなかったこと』だって、同じだ。
 なんだって取ることができるのさ、物語の主人公ってヤツはね。
 それが答えだよ。それ以外にはない。

「念のために言うが、ふざけてなどいない。
 ふざけているものか。物語ってのは、そういうもんさ。
 『事実は小説よりも奇なり』って言葉があるだろう?
 キミなら知っているだろうが、いかなる小説よりも事実こそもっとも奇妙だ、って意味だ。
 たしかに、そうだろうな。
 現実ってのは、なんだかんだで予想できないものさ。
 けれど、現実そのものなんて読みたいか?
 『たしかにあった現実』だけを読みたいか?
 僕は、御免こうむるね。
 伝記やノンフィクションも好きだけど、それらを読むときと物語を読むときの気分は別なのさ。
 実際にあった現実に縛られる主人公だなんて、心底下らないよ。
 『事実は小説より奇なり』。なるほど、正しい。物語は事実に及ばないさ。
 けれど――『小説は事実より嬉なり』。事実だって、物語には到底及ばない。
 だいたい、事実と物語は別物さ。
 別物同士を比べようったって、無理があるに決まっている。

「キミは現実をそのまま物語にしたいと言っていたが、そんなことやめちまえ。
 そんなものは、ノンフィクション作家に任せておけばいいのさ。
 ノンフィクション作家になりたいのなら止めないが、小説家なんだろ。
 勘違いしているかもしれないので、偉そうなことを言わせてもらおう。
 物語を作るのならば、書くべきは『現実(リアル)』じゃない。
 それを土台とした『現実感(リアリティ)』なのだよ。
 リアリティこそが、リアルならぬ物語に生命を吹き込む。
 リアリティなき物語はウソっぽいが、リアリティある物語は違う。

「――人の心を揺らす『エンターテイメント』だ。

「そして『LESSON1』と言ったが、あれは嘘だ。
 いや、『LESSON1』でもあるのだが、それだけではなく。
 これこそが物語を作る上で、唯一にして最大のポイントだからな。
 つまり『FIRST LESSON』であり、同時に『FINAL LESSON』というワケさ。
 なので、言わせてもらうとしよう。

「卒業おめでとう、千帆さん。
 卒業贈呈品というワケではないが、この手紙を書くのに使った万年筆をキミに渡そう。
 やはり、僕の手には万年筆よりも、Gペンのほうが馴染む。
 武士には日本刀であるように、スナイパーにはライフルであるように、漫画家にはGペンである。
 そして小説家にこそ、万年筆は似合う。万年筆を漫画家に支給するなんて、あの男はセンスがないな。

「追伸――というほどのことでもないが。
 キミは『将来の夢が小説家』と言っていたがね。
 小説家にしろ、漫画家にしろ、作品で収入を得られなくては相応しくない呼称だとは考えていない。
 『読んでもらうために』作品を作る人間は、十分そう呼ばれていい人間だと思う。
 キミはキミの彼氏に物語を読んでもらったそうなので、キミは僕の基準では小説家だ。
 だから僕はただの女子高生としての千帆さんではなく、小説家である千帆さんをこの手紙の宛名としたのである。

「あと、最初に苗字で呼んだのは謝っておくよ。
 しばらく気付かなかったが、話してくれたキミの生い立ちを考えるに名前で呼ぶべきだった。

「――以上。
 漫画家、岸辺露伴。

「さらに追伸。
 途中でやめず最後まで読んだとしても、この手紙は処分しておいてくれ」


 ◇ ◇ ◇


 千帆の視界が歪んで、半ばで文章を追うのが難しくなった。
 それでも服の袖で目元を擦って、どうにか読み進めていく。
 何度も何度も袖を濡らして、ようやく手紙を読み切ることができた。
 最後の一文まで読むと、千帆は意図せずくずおれてしまう。
 感情的な非難を浴びせたのが最後となってしまったのが、どうしようもなく悔やまれた。
 人殺しとはいえ人の脳を破壊して、異なる人の脳を移植する。
 倫理に背く行動ではあったが、死に行く人を助けるために取った行動ではなかっただろうか。
 露伴も苦渋の決断であったかもしれないのに、どうして非難しかできなかったのか。
 小説家を目指す自分に対して、こんなに長い手紙を残してくれた人だというのに。
 プロの漫画家でありながら、素人小説家の自分に作品論を語ってくれた人だというのに。
 なぜ、言い分を聞こうとすらせずに、頭ごなしに否定ばかりしてしまったのだろうか。

「露伴先生、どうして……」

 歯を噛み締めながら、千帆は搾り出すように呟く。

「間違ってるよ、お姉ちゃん」

 それに対して返ってきたのは、冷たく低い声だった。
 とても――まだ小学生くらいであろう少年のものとは思えない。

「全然、まったく、完膚なきまでに間違ってる。
 百点満点中で二十点とか十点とか、そんなレベルじゃない。
 細かく採点されるまでもなく、パッと見ただけで〇点だよ。
 そんなふうに泣きながらへたり込んでるんじゃあ、どうしようもない。
 解答用紙に答えを書こうともせず、問題について考えようともせず、名前が記された答案から目を逸らしてるようなもんだ」

 早人は、振り向きすらしない。

「露伴先生のやったことを責めといて、露伴先生が死んだら泣く。
 僕がカチンと来てちょっと怒鳴ったら逃げといて、結局戻って来る。
 なにがしたいのか、全然分からない。
 なにもしたくないんじゃあないの。なにかすることから逃げて、さ。
 そんなんじゃあ……ダメなんだよ。間違ってるんだ。〇点しか取れないんだよ」

 詰まることなく、とうとうと続ける。

「人殺しはいるんだよ!
 僕は、それを知ってるんだ! お姉ちゃんだって見ただろう!?
 ママだって、ここにいるんだ! 人殺しなんかがいるこの場所にさ!
 人殺しってのは、必死になんなきゃ止められないんだよ! どんな手でも使うつもりの気持ちで!
 止めようとするだけじゃあ、ダメなんだ! 人を殺させないようにしようとしたくらいだと、結局殺されるんだよ!
 露伴先生だって、仗助さんだって、億泰さんだって、康一さんだって、承太郎さんだって……あんなすごい人たちそうだったんだ!
 殺すのを止めるつもりで頑張ったくらいじゃ、みんな死んじゃったんだよ! それも一回じゃない! 何度だってっ! 何度だってさっ!」

 そこまで一息で言ったのち、呼吸を整える。
 時間をかけて、荒くなっていた口調を落ち着いたものへと戻す。

「……そうさ。
 人殺しを止めるには、殺してやるつもりじゃないとダメなんだ。
 ぬるい気持ちでいると、あのときみたいにみんな死んじゃうんだよ。
 お姉ちゃんには分からないだろうけどね……
 でも、あの『第三の爆弾』を設置されて、何度も目の前で人が死ぬのを見せられてきた僕には分かるんだよ」

 それだけ言い残して、早人は千帆に視線を向けすらせずに去って行く。
 その足が、唐突に止まった。

「…………なんなのさ、お姉ちゃん」

 背後から抱き締められたからだ。
 千帆が返事をしないことに苛立ったのか、早人は声を張り上げる。

「もう、なんなんだよ!
 間違うなら、一人で間違っててよ! どうして僕まで巻き込むんだよ!!」

 早人は気付いていないが、千帆にも早人の言い分は理解できていた。
 彼女自身、殺すしかないと思った相手がいるのである。
 手にかける寸前で殺し合いに巻き込まれたが、そうでなければ包丁を突き刺していたことであろう。
 だから、早人の言葉に納得はしている。
 この世に殺す以外に手がないような悪人がいることなど、千帆にはよく理解できている。
 ただ、それを幼い少年が認識しているという事実が、千帆には悲しかった。
 そんなことを、早人に言えるはずがない。
 ゆえに、黙るしかないのだ。

 抱き締められた状態が数分続いて、ついに早人が根負けした。
 このままずっと動けないままでは困ると考えたのだろう。
 あからさまに嫌そうな表情をしながら、千帆のほうを向き直る。

「あーもう、いいよ。仕方ないから。
 そんなに行って欲しくないならついてくればいいだろ、お姉ちゃん」

 予期せぬ言葉に呆ける千帆をよそに、早人は杜王町の奥へと進んでいく。
 ゆっくりと遠ざかっていく背中を、千帆は急いで追いかけた。



【E-7 杜王町住宅街(中心部)/一日目 黎明】

【川尻早人】
[スタンド]:なし
[時間軸]:四部終了後
[状態]:健康、漆黒の意志:小
[装備]:無し
[道具]:基本支給品×2、ランダム支給品1~2
[思考・状況]
基本行動方針:ママを守る。人殺しは殺す。
1:本物の杜王町への手がかりを探す。
2:仕方がないので千帆と行動。


【双葉千帆】
[スタンド]:なし
[時間軸]:大神照彦を包丁で刺す直前
[状態]:健康、不安
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、万年筆@三部、露伴の手紙、ランダム支給品1~2
[思考・状況] 基本的思考:ノンフィクションではなく、小説を書く。
1:早人と行動。
2:ゲームに乗る気はない。
3:琢馬兄さんもこの場にいるのだろうか……?


 ◇ ◇ ◇


 川尻早人と双葉千帆が移動して、ほどなくして――
 住宅街の真ん中に落とされたコンテナが、小刻みに揺れ出す。
 振動が一分ほど続いてようやく収まったかと思いきや、ゆっくりと浮かび始める。
 いや、浮かぶという言葉は正しくない。
 『押し上げられて』いるのだ。
 コンテナの下にあるなにかによって。

「…………どう、なっている?」

 コンテナから這い出してきた男が、怪訝そうに呟く。
 筋骨隆々の巨漢である。
 太古の昔地底を住処としていた――柱の男が一人、エシディシ。
 その肉体に脳を移植された――レオーネ・アバッキオである。

「俺は……死んだ、はずだ」

 アバッキオの記憶は、エシディシによって腹を貫かれたところで途切れている。
 実際に貫かれたのはスタンドの『ムーディー・ブルース』であるが、スタンドのダメージは本体にフィードバックする。
 腹に穴が開いて生きていられる人間はいない。
 だというのに、どうして自分は生きているのか。
 それが、アバッキオには理解できない。
 しばらくしてからようやく、もう一つの腑に落ちない事実に気付く。

「……この、声は……?」

 思わず疑問を口にしたのは、アバッキオ自身であるはずだ。
 アバッキオ自身が、そう認識している。
 しかしながら、捉えた声が自分のものではない。
 特に意識せず声を出したはずなのに、唸るかのように低いのだ。
 咄嗟に口を手で押さえようとして、またしても違和感。

「なん……だッ、この手は……!?」

 自分の顔面に伸びてきた掌に、アバッキオは息を呑む。
 厚く、硬く、巨大な両掌。
 慣れ親しんできたものとは、似ても似つかない。
 掌からなぞるように身体を眺めていくと、アバッキオの目はどんどん丸くなっていく。

「手だけじゃあ……ねえ。どう……なってるッ!? 『ムーディー・ブルース』ッ!!」

 異変をスタンド攻撃と判断し、アバッキオは自身のスタンドを呼び出す。
 紫色のヴィジョンが問題なく現れたことに安堵して、分身へと命令を下す。

「俺が意識を失っている間になにが起こったのか……この目で見るしかないッ! 『巻き戻せ』ッ!!」

 カシャ、カシャ、カシャ――

 機械的な音とともに、『ムーディー・ブルース』の額にあるメーターが回転していく。
 数刻ののち、彼は真実を知ることになる。
 それが知るべきでない真実であろうとも関係なく、『ムーディー・ブルース』は本体の指示通りに真実を暴く。



【E-7 杜王町住宅街(北西部)/一日目 黎明】

【レオーネ・アバッキオinエシディシ】
[スタンド]:『ムーディー・ブルース』
[時間軸]:JC59巻、サルディニア島でボスの過去を再生している途中
[状態]:動揺
[装備]:エシディシの肉体
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品1~2
[思考・状況] 基本行動方針:――――――――!?
0:困惑。他の思考にまで頭が回っていない。
[備考]
※肉体的特性(太陽・波紋に弱い)も残っています。
※吸収などはコツを掴むまで『加減』できない。




投下順で読む


時系列順で読む

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年03月09日 18:20