轟轟と音を立てて燃え盛る炎。火、火、火……辺り一面、火の海だ。
立ち上る熱気、滾る興奮に汗が止まらない。重く湿った学生服で額をこすりあげると血に染まった袖がどす黒く変色した。
それを見た噴上裕也は、自然と口角が吊り上るのを抑えきれなかった。
血だ。しかし、本来ならば反応を示すべきそれですら、今の彼にとってはどうでもいいもの。

ただ、ただ、おかしかった。目の前の光景、事象。すべてが滑稽だった。

「おい、なんなんだよ、これ……」

呆然とした声が聞こえ、彼は視線を上げる。燃え盛る光源がスポットライトのように辺りを照らし、声の主を赤く染め上げていた。
揺らめく熱気、陽炎のように点滅する光景を前に、東方仗助は思わず声を漏らしてしまった。
そんな仗助を見て、噴上は笑った。ずっと抑え込んでいた感情が爆発し、彼は腹を抱えて、笑った。

「なんなんだって? これが一体なんなのかわからないっていうのかよ、仗助よォ?」

大げさで仰々しいとわかっていながらも噴上はあえて舞台の一コマかのように、手を広げ、声を張り上げる。
二人の視線が交錯する。噴上は皮肉気に、自嘲を込めて彼に宣言する。
その瞬間、炎は勢いを増し、二人を呑み込むように天高く、舞い上がった。


「英雄ごっこはお終いだ、ってことさ」


ハッピーエンドじゃ終われない。
全ての物語が笑顔で終演を迎えられるとは限らない。


空は漆黒の闇から、ほの暗い暁の紺へと色を変えていた。
二人の頭上、遥か天高くより、いくつもの星が堕ちていく。
炎に飲み込まれたかのように一瞬だけきらめいた星々は、やがて見えなくなった。










―――物語を少々遡って……


「しつこい男は嫌われる、というのがおれの持論なんだが、ユウヤ、君はどう思う?」
「時代は変わっても、そこら辺はあんまり変わってねェーぜ、ティム。
 おれも賛成だ、特にこっちの都合も考えずに追っかけまわすような男は風上にも置いとけねーなァ!」
「何のんびり話してるんですか、追いつかれそうなんですよッ!?」
「ドイツの運転技術は世界一ィイイーーーッ! 見よ、この華麗なドリフトをォオオーーー!」

爆音を鳴らし進むタンクローリー、車内に響く悲鳴にも近い少年の叫び声。
耳を塞ぎたくなるような轟音と混乱を前に、おもわずしかめ面になったマウンテン・ティム。知らず知らずのうちに、溜息を零してしまう。
この窮地を切り抜けた暁には煙草の一本でも吹かしたいもんだ、呑気にそんなことを考えながらも、ティムは現状を分析する。
バックライトに時折映る筋骨隆々の影は、先ほどより色濃くなり始めた。忍び寄る死神は疲れを知らず、それどころか、後一歩のところで彼らに追い付こうとしている。
つまりは、とそっと息を吐き出すと彼はこう結論付けた。
このままだと追いつかれる。ただこのまま何もせず、タンクローリーをむやみに走らせていたならば。

「ティムさん!?」

マウンテン・ティムが助手席の扉をあけ、車内に暴風がなだれ込んできた。
吹き飛びそうになるカウボーイハットを抑え、名前を呼ばれた彼は振り返る。その表情は緊張でこわばるでもなく、戦いを前に高揚しているわけでもなかった。
康一が目にしたのはどこまでもクールで、冷静な仕事人。パトロールに出かける前、同僚に呼び止められただけかのような、穏やかな表情を浮かべていた男がそこにはいた。

声をかけたはいいものの、何を言えばいいのかわからない。
言葉を失った康一からゆっくりと視線を外し、マウンテン・ティムはもう一人の少年に尋ねた。

「ユウヤ、ジョウスケ君は見つかったか?」

保安官の鋭い視線を受け止め、噴上は下唇をかみしめる。

「……いや、まだだ」
「そうか」

返しの言葉とともに席から立ち上がる。後部座席に座っていた少年二人は思わず腰を浮かした。
マウンテン・ティムには覚悟があった。自分の命を天秤にかけ、リスクを取る覚悟が。
マウンテン・ティムには誇りがあった。どんな状況であろうと、市民の平和のためならば戦いぬいてやろう。そんな保安官としての誇りが。
だが、たとえそうであろうと! 例え少年たちがそんなことは百も承知だとしても!
理性的判断と『納得』は別物だ。少年たちは『納得』できない。ティムを一人、戦いの場に送り出すなんて、承知できるわけがない。

口々に彼らは言う。一人で行かせるわけにはいかない、自分もついていく、このまま車内で待ちぼうけなんぞ臆病者のやることだ。
もう少し待つことはできないのか。すぐにでも助っ人を探し出して見せる。今の状況ならば、それこそ準備を整え四人で立ち向かったほうが、はるかに勝算が高いはずだ。
少年たちの抗議の声は反響し、増幅され、あたかも何千人もが抗議しているのかのようで。いきり立つ二人を前に、保安官は困ったように笑うのみ。
そんな時だった。

「黙れェエエエエエいッッ!」

言葉とともにハンドルに振り下ろされた拳が轟音を立てた。シュトロハイムの大声に車内はようやく静寂を取り戻した。

「餓鬼どもがキャンキャンキャンキャン、喚くでないッ 貴様ら、闘うということを舐めているのか? エエ?
 お前たち二人合わさっても助けになるどころか、足を引っ張るだけだ―――ッ!
 それともなんだ、貴様らティムを殺したいのか? ティムにわざわざ“守ってもらう”ためだけに、サンタナの前に立とうというのか?!」
「だったら、なんだっていうんだ、ここで大人しく蹲って、頭でも抱えとけっていうのかよ!?」
「ああ、そうだ! 今の貴様らなんぞ、犬の糞以下の価値もないわッ
 戦場を舐めるなよ、小僧ッ 貴様には貴様のなすべきことを果たせばいいのだ。
 それにな、まさかこの“鬼畜アメ公”が勝算もない戦いに挑むとでもお前たちは思っているのか?」

ティムは思わず声を立てて、笑ってしまった。言い放ったシュトロハイムも思わずニヤリと笑みを浮かべる。うろたえる少年たち二人とは対照的に、二人の男たちは何が面白いのか、しばらくの間笑い転げていた。
笑いが収まった二人、途端に真面目なものに表情を戻すと見つめ合う。無言の会話を通し、いくつもの感情と言葉が交わされていく。
任されたものと、任すもの。帰ってくるべきものと、帰るべき場所を守るもの。自然と二人がとったのは敬礼のポーズだった。沈黙の中で流れる男たちの歌がそこにはあった。
くるりと身体の向きを変え、ティムは少年たちに向き合う。シュトロハイムは何事もなかったかのように、運転に戻った。

「ユウヤ、ジョウスケ君を一刻も早く探してくれ。奴を相手に時間を稼ぐのはなかなか骨が折れそうだからな」
「…………」
「康一君、君は本当に頼もしいやつだよ」
「ティムさん……ッ」

短い会話を終え、男は武器となる支給品を彼らから預かる。ありったけの武器を抱え、もう一度だけ彼は車内の男たちを眺める。
シュトロハイムは運転に集中し、引き締まった表情で前を見つめている。窓の外を眺めている噴上の拳は、悔しさで震えていた。下唇を噛みしめ、くしゃくしゃに表情を崩しながら康一はティムをじっと見つめている。

なんて素敵な男たちだろう、なんて気持ちのいい奴らなんだろう。ティムはそう思う。
この短い時間で彼らは何度も素晴らしい勇気を見せてくれた。こんな難しい状況で、見知らぬ他人同然の自分を信頼してくれた。
ティムは嬉しかった。少年たちが、大声で自分も連れてってくれ、と叫んだとき、自分の中に温かい何かが流れ込んできたかのように感じた。
それは勇気というものだろう。ティムのどたまから、足の底まで貫く、大事な、大事な何かを揺さぶる感情。
それを今、ティムは三人の男たちから分け与えてもらったのだ。それは彼にとってどんな武器より強力なものだった。

素晴らしい少年たちだ、素晴らしい男たちだ。彼は思う。
そして、そんな少年たちを、男たちを守りたいと願ったからこそ、自分は保安官になったのだ。
これ以上の名誉はない、保安官冥利というのであればまさに今、この瞬間がそうだ。
自分はこれから戦いに行く。死ぬかもしれない。無事では帰ってこられないかもしれない。
正直に言えば、ブルってしまっている。身体は汗ばんでいるし、手の震えも止まらない。吐き気もすれば、顔もきっと青ざめていることだろう。

だが、しかし! 仮にそうであったとしても!
自分の正しいと思う正義のためならば! 自分が信ずる信念に殉ずる事が出来るのであれば!
マウンテン・ティム、この選択に一切の後悔はない。
人間賛歌は勇気の詩。いつの間にか震えは収まっていた。

戦いの前の表情を崩すと、最後にティムは柔らかな笑顔で男たちに別れを告げる。
ロープを巧みに操り助手席から飛び立った彼の姿は、すぐさま闇へと消えていった。
後に残されたのは、開かれた扉と誰もいない助手席。荒れ狂う風がシートを一舐めし、通り抜けていったのを二人の少年は、呆然と見るのみ―――。










「さて、さて……」

タンクローリーの上に立ち、凄まじい風を全身に浴びながら男は独り呟く。
永い間愛用している帽子を押さえつけ、車の最後尾までやってきたマウンテン・ティム。そんな彼を待っていたかのように、二本の腕が闇より這い出てきた。
筋骨隆々、美しさすら感じさせる腕は車体の最後尾を捕え、巨体とも言える身体を軽々持ち上げる。
サンタナ、柱の男がゆっくりとその姿を露わにした。辺りを伺うような目つきで、鋭く睨みつけ、そして目の前の男へと目を向ける。
タンクローリーの上、幅わずか数メートルの空間で二人は対峙する。暴風吹き荒れる中睨み合う二人、その様はまさに決闘前のガンマンかのようで。

先に動いたのはティムだった。噴上よりあずかったトンプソン機関銃で、サンタナの頭を吹き飛ばす。
タンクローリーの上という場所もあり、ティムはむやみに弾をまきちらすこともできず、弾幕は数秒で終わりを告げる。
それでも、圧倒的な殺傷力。人一人には有り余る、充分すぎるほどの凶弾を、驚くことにサンタナは真正面から受け止めた。
いなすでもなく、かわすでもなく、ただそこに立ちつくす。ティムの射撃は狙いを的確に射抜き、サンタナの顔面をハチの巣のように穴だらけにした。
だが―――

次の瞬間、ティムは後ずさりそうになるのを、必死でこらえた。
世にもおぞましい光景。ぐしゃぐしゃになった顔が時間とともに、ゆっくり元に戻る。吹き飛ばされたはずの頭を乗せた身体は、何事もなかったかのように動いている。
顔をそむけたくなるような、グロテスクな状況だ。化け物具合はシュトロハイムから聞いていたが、流石に目の当たりにすると『くる』ものがある。
もはや恐怖を通り越し、笑いすら込み上げてくる。そして思う。
こんな化け物相手に、俺はいつまで時間を稼ぐことができるのだろうか。果たして本当にこんなやつを殺す事なぞ可能なのだろうか。

「ッ!」

じっくりと恐怖すら感じさせてくれない。サンタナが振り上げた指より、お返しとばかりに、いくつもの銃弾がティム目掛けて襲いかかる。
殺気を感じ取り、あらかじめスタンドを発動していたのが幸いした。鉛玉はバラバラになった身体をすり抜け、闇へと消えていくのみ。しかしティムは同時に予想以上に自分が追い込まれている事を実感した。
必要以上の銃弾は使えない。サンタナはタンクローリーを爆破したところで重傷は負うだろうが、死にはしない。しかし自分たちは違う。サンタナが放った弾丸がタンクローリーを爆破しようものなら、その時点でお終いだ。
銃弾をヤツに与えるのは危険。となるとあずかった重火器類はむやみやたらに使えない。
ならば近接戦を挑むのはどうか。これも愚策だ。チェーンソーだろうと、ナイフであろうと、柱の男たちのゴムのような身体を貫くには相当の腕力が必須となる。
波紋も使えない以上、ティムは自分の体をガードすることもできない。ならば、どうやって戦う? 一体どうやって、この化け物に立ちむかえばいいのだ?

『オー! ロンサム・ミ―』 を発動し、突進してきたサンタナをかわす。そのまま位置を入れ替えるようにヒラリとタンクローリーに着地。
ティムは頭をフル回転させる。何度も襲いかかる死神の鎌を紙一重で避けながら、考えるのをやめない。
人体の構造を無視した角度からの蹴り、顎の先をかすめ、肉を抉る。死角からの骨の追撃。ロープで身体をバラし、貫かんとばかりに迫った刃をかわす。

サンタナ自身もどうやら慎重になっているようだ。それもそうかもしれない、ヤツにとってもスタンドと言う概念は未知なる力。
ティムの柔よく剛を制すの戦法を前に、焦れるような時間が続く。それでも粘り強く、的確に急所を狙ってくる。そして、じっくりと観察を続ける。
未知なる力、ロープ上で身体を分解するという奇術。この男の能力は何なのか、何が可能なのか。一体どこまで、何ができるのか。

数回の交戦が終わった。流れ落ちる汗と血をぬぐいながらティムは厄介な相手だ、と一人毒づく。
一息ついたこの時でさえ、数メートル離れた位置からサンタナは、じっとこちらを見つめている。
一挙一足見逃すまいと、ぎらつかせた目で、どんな時でも気を抜かない。隙があればすかさず襲いかかって来るだろう。不用意にスタンドを発動しようものなら、すぐさま能力を把握するだろう。
カウボーイとして牛や馬を相手するのとはわけが違う。今まで相手してきたどんな生物より、サンタナは骨の折れる相手だ。
息もつかせぬ攻防が、また繰り返される。瞬きすら許されぬサンタナの突進、攻撃。
微かな牽制の意味を込め、ティムは銃弾を放ち、ナイフとチェーンソーを振りかざす。必要最低限の攻撃、意識のほとんどは防御と回避に集中だ。それでようやく釣り合いが取れるレベルとなる。

どれほど経ったのだろう。僅かな時間しか経ってないように思える。数時間もの間、戦い続けているようにも感じる。
ふとすれば切れてしまいそうなる集中力をもう一度かき集め、ティムはサンタナと戦い続けていた。

「ッ!」

だが足場が不安定な場で戦っている以上、遅かれ早かれ起こるべき事がここ一番で起きてしまった。
車体の上、攻撃をかわす際に着地でバランスを崩したティム。身体が傾き、時速数十キロの地獄が牙をむく。地面に叩きつけられるようなことがあれば一巻の終わりだ。
そしてそんな隙を見逃す相手でもない。迫りくるサンタナ、タンクローリーの表面をへこまんばかりの力強さでジャンプ一番! ティムの頭上より、飛びかかる!
下へ逃げるもできず、上へ逃げるもできず! 決断を迫られるティム! 逃げるべきはどちらだ? 上か、下か?

「やれやれだ……」

いいや、この男は逃げることなんぞ選びやしない。端から逃げるなんて考えてもいない。
保安官マウンテン・ティムは戦うためにこの場にいるのだ。仲間を守るため、彼はタンクローリーの上で化け物を相手しているのだ!
ロープを巧みに操り、彼はサンタナへ叩きつけるように縄を放った。重力の加速を味方に、凄まじい勢いで迫る柱の男。そんな状況でも彼は、クールに笑顔を浮かべていた。

『オー! ロンサム・ミ―』で宙に浮かび、地へと叩きつけられることを回避したティム。空中でサンタナと激突する。
振るわれた腕がティムの顔を喰らいつくさんと迫る。紙一重で回避するも、脇腹を抉り飛ばされた。飽き足らんとばかりに、腿の大部分も同時に奪われる。
車体に同時に降り立った二人。しかし、ダメージの大きさからか、ティムはまたしても体勢を崩した。最後尾に着地したサンタナは畳みかけるように、駆けてくる。
今度こそおしまいか。知覚すら容易でない素早さで、サンタナが迫りくる。なんとか危機を回避した保安官、それでも粘りは、ここまでか……!?
サンタナの腕が矢を放つ弓かのように、大きくしなる。拳より、全身を喰らわんと突きが放たれる!


『……? ……?』


……と、思われた。確かに柱の男は拳を放ったはずだった。
故に混乱は収まらない。まるで手品、まるで奇術。表情を持たないと思われたサンタナの顔は、確かに驚きの色に染まっていた。
腕が、なかった。寸秒前、マウンテン・ティムの脇腹と腿を喰らい、そして今度は彼そのものを飲み込むはずだった右腕。それが肩の先から削り取られたように、消えてしまっているのだ!

「もしかして、探し物はこれかな?」

かけられた言葉に、顔をあげる。カウボーイハットをかぶり直し、不敵な笑みを浮かべる男がいる。そして、その男の足元にあるものこそ、柱の男が本来持つべきもの。
マウンテン・ティムの足元に転がっているもの、それはサンタナの腕だった。右肩からごっそりと、綺麗な精肉用品かのように、見事なまでに切り取られたものがそこにあった。

そう、全てはマウンテン・ティムの思惑通り。足場が不安定な場でバランスを崩したのもわざと、それに乗じてサンタナが攻めてくるのも彼の計算の内。
ダメージを負う覚悟で彼は攻めに打って出たのだ。宙で交わった僅かな瞬間、針に糸を通すかのような、ほんの少しの時間に彼はスタンド能力を発動。
脇腹と腿を代償に、彼はサンタナの腕をロープ上で分解。そして、先ほど康一がやったのと同じように、その部位のみをナイフで切ったのだ。

完全にスタンド能力を把握しているわけではない。しかし、本能的とでも言うべきか、直感的とでも言うのだろうか。
サンタナはすぐさまティムに向かい、真正面から飛びかかった。自らの腕を取り戻さんと、これまで以上の速さで、ティムへと突進。
タンクローリーの上で交錯する二人。すれ違い、数メートル進んだ先で、微動だにしない二人。次の瞬間、今度はサンタナの左腕が切り飛ばされていた。

「たいした暴れ馬だ。だが…………」

表面上は変わりないように見える。しかし、サンタナがもしも人間であったならば。もっと表情豊かな生物であったならば。
きっとその顔は青ざめ、冷や汗をかいていたことだろう。だるま状態一歩手前の自らの危機的状態に、さぞかし狼狽したことだろう。
立場は完全に逆転していた。ティムは深呼吸をひとつし、長い、長い息を吐いた。足元に転がる二つの腕を何の感情のこもらない瞳で見つめる。

「裏を返せば、君は“馬”程度、ってわけだ」

革靴のつま先で、地べたに向けて蹴落とす。時速数十キロの速さにさらわれ、すぐさま二本の腕が見えなくなる。
ティムはもう一度帽子をかぶり直し、脅し文句と言わんばかりに、マシンガンを握りなおす。
サンタナはまるで狼かのように、鋭い歯をむき出しにし、彼を睨みつけていた。

「このまま細切れにさせてもらおう……!」

ティムの声は、もう震えていない。身体も手もしっかりと動き、その顔は戦う男のものとなっている。
戦況は人間有利。化け物は化け物でも、殺し方がわかったならばそれは希望となり、勇気となる。
闇を振るわせるような咆哮が響く。屈辱に燃えた獣が保安官へと、襲いかかった。



―――――第二ラウンド、開始。












 『 ア マ っ た れ て ん じ ゃ ね ぇ ッ ! !』

ついさっき、自分が言い放った言葉が頭の中で鳴り響く。
まるで拡声器を使ったかのように増幅され、地の底まで響くかのように反響していく言葉。
何度も、何度も、繰り返される。叱咤激励するため咄嗟に言ったとはいえ、今の状況を考えればあまりに皮肉すぎる一言だ。
自重の笑み一つ浮かばせる余裕もなく、東方仗助は深くうなだれる。その間も、自分が言い放った一言が呪いのように重く、深く、彼の背中にのしかかっていた。

 『俺のダチに、何でも削り取っちまうスタンド使いがいる』

そのダチは、今まさに目の前にいる。道のど真ん中に転がっていた彼を、仗助はここまで担いできたのだ。
こんなところに寝かしていたら可哀想だ、起きるもんも起きなくなっちまう。せめて死に場所ぐらいは綺麗なところで。こうやって安静にしておいてやればすぐにでも目を覚ますだろう。
二つの感情が入り混じる。目をそむけたくなるような現実と心の底から信じたくなるような理想。揺れ動く感情は行き先をなくし、仗助は苦悶の声を漏らす。
助けを求めるように、手を伸ばした先にあったのは手(ハンド)。
血に塗れた億泰の大きな手をもう一度握りしめる仗助。温もりを感じさせない、冷え切った掌を額に押し当て、もう一度彼は念じた。

 『俺なんかいちいちスタンドの名前を叫ばなくても、ちょっと心で思えばそれだけで能力は発動する。スイッチなんかいらねぇし』

だが、いくら強く念じようとも。どれだけ心で強く思えど。
億泰が目を覚ますことはなかった。安らかな笑みを浮かべたまま、彼はまるで夢を見ているかのように眠り続けている。
二度と覚めることのない、深い、深い眠りの中で、夢を見ているかのように。

「……クレイジー・ダイヤモンド」

何も、変わらない。億泰は、眠り続ける。

ああ、もしもこれが夢であるならば。そう仗助は思う。
億泰の安らかな顔を見ながら彼は思う。俺もこんな呑気な顔して夢を見ているのであれば、どれだけ幸せだろうか。
お袋に叩き起こされ、遅刻間近の時刻に大慌てで家を飛び出す。いつもの通学路、いつもの級友たちに囲まれ、退屈な学校生活が始まる。
そんなささやかだが、愛すべき日常が始まったらどれだけ幸せだろうか。

その一方でこうも思う。きっと満足して億泰のやつは逝ったんだろう。
最後の最後に、こいつは悔いなく逝けた。この混じりけのない表情は、億泰が何かを成し遂げたからこそ、刻まれているのだ。
そう思うと少しだけ救われる気がする。せめて満足げに彼はこの世を去れた。慰めにはなるだろう。

信じたい、信じたくない。二つの矛盾した想いは、仗助の中を駆け巡り、心の中を滅茶苦茶に噛み砕く。
何を信じたいのだろうか。億泰が生きているということか。自分のスタンド能力か。吉良との戦いで見せた、奇跡の復活を信じているのか。
何を信じたくないのか。億泰の死か。先ほど言い放った自らの言葉か。未だ能力は発動していない、そんな僅かな希望を信じたくないのか。

行き先をなくした感情が暴走し、彼を苦しめる。仗助は祈るように億泰の手を握り締める。
神に祈るかのごとく、彼の手を両手で包み、膝をつき、目を瞑る。
込み上げる熱い感情が目頭を熱くする。喉が焼けるように熱くなり、呻き声が噛みしめた歯の隙間から漏れ始める。
それでも、それでも仗助は信じたい。今だけは、自分の感情が赴くままに。今しばらくは絶望の希望に浸っていたい。

『仗助!』
「…………………………噴、上か?」

立ち向かうべき現実はどこまでも厳しく、仗助の前に立ちふさがる。ああ、なんという無情か。心の整理をする時間すら与えてくれない。
部屋に響いた聞き覚えのある声に、仗助はゆっくりと、機械的に顔をあげる。未だ手は離さず、億泰のものをしっかりと握りしめながら、彼は部屋を見回した。
『ハイウェイ・スター』、街のスタンド使いの一人、噴上裕也のスタンドがそこにはいた。

『ああ、見つかってよかった、クソッたれ! いいか、よく聞いてくれ、とにかく時間がねェ!
 俺たちは今、タンクローリーに乗って……』

わからない。言葉は耳を確かに通り抜け、鼓膜を振るわしている。
しかしながら今の仗助には、その言葉が心を振るわせてくれない。考えることを心が、魂が受け付けてくれないのだ。
突如言葉を切り、動きを止めたスタンドを目にしても、これといって動くわけでもない。
ただぼんやりと待つのみ。彼自身から状況を把握しようという意志は一切起きなかった。

『クソが!』

突如現れたのと同じように、消えるのも唐突であった。
本体のほうに緊急事態が起きたのだろう、ハイウェイ・スターは瞬く間に身体を細切れにすると、開け放たれた窓から飛び出ていった。
それを眺める仗助の眼は、まるで曇りガラスかのように無気力で、くすんでいる。
スタンドを眼で追って初めて窓の外の変化に気づいた彼。段々と明るくなり始めた空。夜明けが近づいている。それはつまり放送が近いことを意味していた。

「どうしろっていうんだよ……」

次の瞬間、そう遠くない位置から聞こえてきたのは車両音。タイヤが地を滑り、道路を進んでいく音。音の低さと大きさから、大型の車両であろうと仗助は推測した。
だが、それがどうしたというのだ。そう囁く声がする。今大事なのは億泰を守ってやることだ。
こんなところで一人ほったらかしにしてみろ。誰に襲われるかわかったもんじゃねェー。間抜け面して眠りこけやがって、とんだ迷惑掛けやがるぜ。
俺はここにいないとだめだ。億泰をここに一人置いて行くなんて、そんなことできやしない。
そうだ、俺たちは最強のコンビだったじゃねーか。一番のダチ公だったじゃねーか。サイモン&ガーファンクル、うっちゃんに対するなっちゃん。
俺と億泰も一緒だ。そう、俺たちはいつも一緒、俺たちは……


「おい、億泰……なぁ、聞いてんのかよ、億泰よォ…………」


仗助の頬を、いくつも雫が伝っていく。開け放たれた窓から風が吹き込み、水滴を運んでいく。
誤魔化しは限界だった。わかっている。仗助には痛いほどわかっているのだ。死んだものを生き返らせることは自分にはできない。
どんなスタンドだろうと、どんな能力を使っても。生命が終わったものは、もう戻らない。


「起きろよ、億泰……」


だが、たとえそうであろうとも。例え少年にとって、そんなことは百も承知だとしても。
理性的判断と『納得』は別物だ。少年の脚は動かない。微動だにせず、彼は親友の手を握り続ける。
とめどなく流れる涙は涸れることを知らない。呻き声とともに閉じられた瞳、仗助の頬から流れ落ちた水滴が億泰の頬をぬらしていく。
その様は、まるで彼の親友も涙を流しているかのようで。








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最終更新:2012年04月26日 00:10