1.マトーヤかく語りきI


現コーネリア国から北北東へ平原・湖・森を越えて抜けると見えて来る,マトーヤの洞窟・・・.私は,始めの内は,彼女がかつて「妖魔導師」と何故呼ばれていたのか,そして悠久の時を生きているとささやかれ,また,偏屈とも言われている彼女から,この世界の昔の出来事を聞き出せれば良いなぁと簡単に思っていた.

当時,まだ駆け出しの歴史学者だった私は,マトーヤと会って実際に言葉を交わすまで,現在の彼女の「魔女」という通り名や,存在自体までに僅かだが懐疑的なところがあったのだ.しかし,史学を専門とする者である以上,そのような偏見は持ってはならないのだ.

洞窟で会ったマトーヤは,始めの内は私のことを「若造」と何回も呼んでいた.だが,次第に会話が弾み,場の空気が和むに連れ,呼び名は「ルカーン」に変わっていったのだ.

…一回目の対談では,まず,コーネリア王国建国以前の文明について語ってもらった.マトーヤが言うには,遥か昔,この世界の南大陸にはロンカ,北西大陸にはテラ,北東大陸にはガイアという国があったそうだ.そして,それぞれ,秘術,魔法,科学で栄えていた国だということも教えてくれた.

マトーヤは元々テラの優秀な魔法使いだった.それが見込まれたのか,ロンカ王国に宮廷魔導師として派遣されたのだ.このことは,南大陸全土を占めるロンカ大王国に従い,テラ国家が下手になって行われたということがマトーヤ自身語っている.ロンカ王国に招かれた魔女・マトーヤは,かの王室で一人の王子の世話係をさせられることになった.彼こそが,後にマトーヤの夫になる,ザイネン王子だ.ザイネンが成人し,彼がマトーヤに求婚をした.マトーヤはそれに応じ,物語はハッピーエンド・・・にはならなかった.ザイネンの父王であるアルディが謎の伝染病で亡くなったのだ.ザイネンは王位を継ぎ,王となり,マトーヤも妃となった.しかし,長年王子の面倒をみていたとはいえ,余所の国からやって来た者が王族に入ることを良しとしない人たちがいた.彼らはマトーヤだけではなく王であるザイネンまでもを執拗に苛めぬいたのだ・・・.

やがて精神的な病に侵された王妃・マトーヤは,馬に乗って国を三日間抜け出してしまう.このマトーヤの「三日三晩の逃避」の間,ロンカ王国内では,先王アルディを急死させた謎の伝染病が再度大流行を起こしていたし,南大陸そのものが急激な変化を起こしていた.大地が割れ,そこから噴出する,激しい水しぶき・・・.ロンカ王国は,三日の間に伝染病と大地震が起こり,壊滅的な被害を受けていたのだ.マトーヤが,「三日三晩の逃避」から帰ってきた時は,時すでに遅し,ロンカ周辺は湖があちこちにできていたし,国内はその伝染病で「死滅」していた・・・.ザイネンは,死に際にマトーヤに向かいこう言ったという.

「マトーヤ,君が王宮を飛び出して行ったのを責めるつもりはないよ.ただ,もし二人一緒にいたら,秘術と魔導の力で,この病から民を救えたのかもしれないね・・・.最期に言わせてくれ・・・・・・・・・.君を愛して悪かった・・・・・・・・・.済まない・・・」
と.

結局最初にマトーヤが語ってくれたのは,ロンカ王国滅亡の歴史と,彼女自身の壮絶な過去だった.そして,マトーヤはこの最初の対談の最後に,コーネリア国を建国する「きっかけ」を作ったのは自分自身であることと,何故妖魔導師・マトーヤと呼ばれるに至ったかを話し,私にこう問いかけてきた.

「この二つの眼で見てきたもの,作ってきたものは,幻想に過ぎぬものなのじゃろうか」
と.そして,私は,こう答えた.
「いいえ,マトーヤ様,あなたの歩まれた道,そして作られたものは,確かに存在するものです.私はあなたの記憶を記録し,後世に伝えましょう.決して幻ではない,確固たる物語を.語り続けましょう,あなたという真実を」
と.人々の記憶を絶やさず後世に残すことが歴史学者の仕事だと私は思っている.私は,マトーヤの記憶を無に還さぬよう,彼女の記憶が真実であることを証明するために,旅に出たのだ.例えどんな行ないをしたとしても,その命がこの世に生を受けたことは,決して間違いではない―――ということを信じて.


2.旅の始まり


私は一度,マトーヤの洞窟を離れ,コーネリアの城下町にある宿へと戻って来た.数日間かけ,徒歩で戻って来たかの町は,成程,「夢の都」の異名をとるに相応しく,美しい街並みが連なっている.赤い瓦屋根,白い外壁を木で補強した家々があちこちに見てとれる.そして,町のいたるところ張り巡らされた水路は,上・下水道にきちんと分かれている.町の人は喉の渇きを潤し,また生活する上で不要になったものはきちんと水に流して捨てることができていた.

宿屋に着いた私は,先のマトーヤとの対談のなかでとっていたメモを見返していた.一番目のポイントは,やはりコーネリア建国以前の文明についてだろう.私も一応歴史学者だ,遥か昔に,北の大陸にテラとガイアという国があり,文明競争が進んでいって,ガイア―テラ戦争,通称「テラホーミング作戦」があったことは知っている.その戦争で二国が同時に滅亡していることも,だ.・・・だが,此処コーネリアや私の故郷であるクレセントレイクの町がある南亜大陸に,マトーヤから得た情報だが,まさか北大陸の国々が下手になるような,そんな大国があったというのは初耳だった.「ロンカ」というその一大国家は,「秘術」という術を用いた文明で栄えた国であることはマトーヤから聴いたことだ.

不意に喉が渇いたので,部屋に置いてあったコップ一杯の水を一気に飲んだ.・・・「コップ一杯の」で思い出したが,マトーヤから話を本格的に聴く前,私は彼女が差し出した「秘術の薬液」を飲んだのだ.生きとし生ける者なら誰でも持っている「生命泉」と,物質の均衡を保つために,形あるものになら必ず存在する「物質泉」を視ることができる力を有する,「秘術」・・・.私はメモの中でも,走り書きで「秘術」と書いた先の欄に目を通して見た.すると,次のような興味深いメモを見つけたのだ.

「『秘術』は,現在でもエルフたちが伝えている」と.

私は決してマトーヤの話が疑わしいものだとは思ってはいないが,話の信憑性を,資料として使えるかを,確かめなければならなかった.

宿屋を出た私は,コーネリアの町の中央部にある噴水の傍にある腰掛けに座り,考え込んだ.エルフたちがこの南亜大陸のどこかに住んでいるかは知っている.問題は,どこか,なのだ.目的地が分からない以上,無駄に足を運ぶこともないだろう.

そんなこんな考えている私に,艶やかな衣を身にまとった女性が声をかけたのだ.
「アナタ,何をそんなに真剣に考え込んでいるの?ここは夢の都・コーネリアよ.考え込んでいるヒマがあったら,アタシと一緒に踊らない?」
これは・・・噂に聞く,町には必ず一人はいるという踊り子兼情報屋だな.ギルを払って,踊りをどう評価したかで,彼女たちがくれる情報の質と量が変わるという・・・.私は,ものの試しに,500ギル払い,彼女にその場で踊ってもらった.

…彼女の踊りは,激しかった.くびれが美しい腰は,別の生きものみたいにクネクネ動いていたし,華麗なステップがそれと組み合わさった様は,すごく情熱的だった.

踊りが終わると,彼女は早速私に感想を求めて来た.私は感じたままのことを言うと,彼女は,
「あら,素直で可愛いわね.その真っ直ぐな瞳は・・・アナタもしかして学者さん?」
と問うて来た.私は,ああ,そうだよ,と返すと,彼女は,
「ここまでアタシの踊りを観てくれた人なんて今までいなかったから・・・.いいわ.とっておきの情報を教えてあげる.コーネリアの町を出たら,東へ向かいなさい.そうすると『プラボカ』という港町に辿り着くはずよ.そこで,ビッケという船乗りにこう話しかけるの.『北の魔女の使いだ』って」
と言ったのだ.私は思わず,
「君はマトーヤのことを知っているのか?!それじゃあ・・・」
といいかけたところ,その踊り子の彼女は,
「ダ~メ.これ以上は,私のお家に来てもらわないと教えてあげないわ」
と言ったのだった.妻がいる私は,当然それ以上の要求に応えられず,従って得られた情報もそれだけだった.

翌日,コーネリアの町の宿屋を後にした私は,早速東へ向かい,歩き始めた.


3.もう一度あなたと


コーネリアの町で出会った踊り子から得た情報を基に,私はコーネリア国北部にある大橋を渡り,何日間かに渡り東へ向けて歩き続けた.二つの森林地帯を越え,予め用意していた食料が半分くらい減った日にやっと私は港町・プラボカへ辿り着くことができた.

プラボカへ着いた私は,まず十数日間の旅の疲れを癒すために,かの町の宿屋へ足を運んだ.町の入り口から宿屋と思しき建物へ向かう最中,私はこのプラボカの町の面白い特徴を発見した.・・・やはり,疲れていても,何があっても,楽しみや面白さを見つける心は持っていたいものだな.その面白い特徴とは,まず町が東西に分かれて対称的に造られていること,そして町を東西に分かつメインストリートにところどころで珍しい食物や道具を売っている露店が開かれていることだった.町の造りに関しては,此処プラボカはコーネリアの城下町と同様,上・下水道が張り巡らされていた.いや,というよりは,水道が町を囲むように造られていて,まるで小さな湖に浮かぶ町のようだった.私は宿屋へ行く道がてら,露店で売られている色鮮やかな果物を買った.

「この町は,活気に溢れている・・・」

それが私のプラボカに対する第一印象であった.

その日の夜,私はプラボカの宿にある一室にて,史書をめくりながら,コーネリア城下町で出会った踊り子から得られた情報を思い出していた.この町にいるビッケという船乗り・・・に会い,こう言うのだったのだな.「北の魔女の使いだ」と.それにしてもあの踊り子は何故,北の魔女・・・多分マトーヤのことだろうが・・・の存在を知っていたのだろうか?かのような疑問が脳裏を過ったが,今は疲れを癒す時だ.早々と寝て,明日に備えよう.

翌日,私は町中を歩き回り,ビッケという人物を探した.船乗りというからには,港にいるのかと思いきや,そうではなかった.更には,町のいたるところに船乗りらしい人がいたし,どの人がビッケか,私には皆目見当がつかなかった.船乗りの恰好は,水色と白色の横縞が入った服を着,赤茶色いパンツを履きビシッと決めて,規律正しい印象を受ける.多分ビッケもそうなのだろう.しかし,大勢の人がいる中でただ目的の一人を見つけるのには,まるで史学で言うところの,歴史の闇に封じられた英雄を探す行為に等しい.

こういう時は・・・何をすれば良いか?私は先のコーネリア城下町での出来事を思い返し,そして行動に移した.そうだ,宿屋の手前に広がる広場へ行き,例の踊り子兼情報屋に会おうと思ったのだ.

広場に着いた私は,早速艶やかな衣を身にまとった女性を認めると,大勢行き交う町人を押しては進み,やがてその女性・・・プラボカの踊り子の寸前まで辿り着いた.その私の必死さに彼女は少し引いたようで,私を前にするなりこう言った.
「・・・なに,オジサン?このアタシに何か用事でもあるわけ?」と.私は,
「君の踊りが観たくって,遠い町から何日間もかけて此処に来たんだよ」
と言うと,彼女の態度は一転して,
「ホント?!嬉しい!じゃあ早速踊るわね.あ・・・その前に・・・」
と言いかけた.私は前回と同じく500ギル払うと,彼女・・・プラボカの踊り子は大衆の目前で派手な踊りを見せてくれた.彼女は踊り終わると,前例のように早速私に感想を求めて来た.私はまた,思ったことを素直に言うと,
「アタシ・・・実はね,この町で踊り子生活を止めようと思っていたんだァ・・・.だって,どの町でも皆,忙しそうにしてて,アタシの踊り,観てくれないんだもん・・・」
と呟いた.私はふと思ったことを返す.
「なら,君にピッタリの町があるよ.踊り子として生活するには申し分のない,夢の都が」
彼女は瞳孔をパッと開き,言った.
「え?!どこどこ?」と.私は
「ここから西へ進んだところにある,コーネリアという国さ.とても静かで,美しい町だよ.きっと君を歓迎してくれるだろう」
と言うと,踊り子の娘は,
「・・・ありがとう.アナタのおかげで,アタシ,またうまくやっていけそうだわ.あ,お礼に情報を伝えなくちゃね.何について知りたいの?」
と訊いてきたので,私は即座に答える.
「この町の何処にビッケという人物がいるのか,だよ」
私がこうストレートに言うと,彼女は困ったような顔をして,
「あぁ・・・ビッケさんね.彼は・・・夜にしかこの町に現れないわ.そして・・・自分の家へ,各地からお持ち帰りした女の子を集めて,『慰み者』にしているらしいわよ」
と言ったのだった・・・.この話を聞いた私は,船乗り・ビッケのイメージが一気に崩れ去ったのだった.


4.その戦斧見事なり!


夜.私は踊り子の娘に教えてもらったビッケ宅の玄関が見えるところ・・・ビッケ宅界隈の建物の影に,ジッと立っていた.もうこの場所に立ち始めてから二時間半になる・・・.ビッケ宅は夕方頃から今に至るまでどの部屋も明かりが灯されていない.ということは,彼は今日もどこかアルディの海に面する町に訪れては,女たちをかっさらい,夜になって自宅へ帰って来ては彼女たちを『慰み者』にするのだろう.私はそう考え,この場所でビッケを待ち伏せしている,というわけだ.

二時間半が三時間になろうとした時,私は懐中時計をしまい前方を見た.すると,ビッケ宅の玄関に人影が見えるではないか.それも沢山だ.

間違いない,あれがビッケたちだ―――

そう確信した私は,後頭部に突然激しい痛みを覚え,そのまま気絶した.


…次に目を覚ました時は,夜が明けていた.私の体は,太い柱に縄で巻きつけられ,辺りには私が大事にしている史書がいくつか投げ捨てられてあった.どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか,その時の私は全く見当がつかなかった.
「ふむ,学者さんかい」
前方からそう声が聞こえたので,私は前を見た.すると,かぐわしい女性に囲まれたなかに一人の,体格がガッシリとした男がいるではないか.・・・後頭部が痛むせいなのか分からないが,さっきから妙に地面が揺れているように感じる.まだ,視界は良好ではない.
「別段怪しいヤツじゃあねェみてェだな.おめェ,名前を言ってみろ」
その男の問いに素直に私は答えた.
「ルカーン・・・?全然知らねェなァ・・・.まァこのアルディの海を支配するオレ様の知名度に比べれば,月とスッポンよォ!」
そう言って彼は大声で笑い出すのと同時に,今まで持っていた本を私に投げつけた.その行為に,女たちは歓喜の声をあげた.私はそのなかの,
「いやぁ~ん,ビッケ様ったらダイタ~ン(はぁと」
という声を聞き漏らさなかった.ビッケ・・・だって?今目前にいる,この男がビッケ・・・.私は視界が良好になってきたので,辺りをもっとよく見回した.すると・・・,どうしたことだろう,辺りには数十名の船乗りが鎮座していて,おまけに舵をとっている者までいる.そしてこの揺れ・・・.もしかして,此処は海上なのか?

「おめェら,こいつの縄を解いてやれ」
とビッケは言った.そして彼は続ける.
「おい,ルカーンさんよ.昨夜,オレ様の家の前で何をコソコソやっていた?見たところ,闇討じゃあなさそうだな.子分が慌ててお前さんのを殴っちまったって話らしいが・・・」
私は,踊り子の言葉,情報を信じて,あの言葉を言った.

「北の魔女の使いだ」

そうすると,今まで剛胆ぶりを見せていたビッケが急にしょぼくれた男のようになり,
「・・・船長室まで来いや.二人だけにしてくれ」
と言って,私を船長室へ招いたのだった.

「一つ聞かせてもらってもいいかい?」
船長室にて,ビッケは問う.
「魔女の使いってのは一人だけじゃねェのか?」
私は,その問いに困った.
「もう一人,私の他にも『北の魔女の使いだ』と言った人がいたということか?」
私がそう問い返すと,ビッケは,
「あぁ,そうさ.名前は言えねェがな」
と答えたのだった.ビッケはまた続ける.
「お前さんたちは,一体何が目的でオレ様の海賊業を諫めに来るんだ?大体・・・」
「ビッケ.別に諫めに来たわけじゃないさ.一つ,重大な事を言おう.このアルディの海は,昔は平原だったんだ.それにその平原には一大国家が栄えていたんだ.大地震でその国は海に沈むことになるのだけれども・・・.もしかしたら・・・もしかしたら,君が支配するこのアルディの海の深海に,金銀財宝が眠っているのかもしれない.私は,それを確かめるためにも,旅を続けているんだ.その旅には,ビッケ,君の力が必要だ.船を貸してくれないか?」
一気に言ってしまった感はあったが,私の思惑通り,ビッケは「金銀財宝」という言葉を聞いた途端,目の色を変えて,私の旅に手を貸してくれると頷いたのだった.

船長室から出た私たちは,既に打ち解けていた.ビッケは子分に言った.
「おめェら!今日の目的地は,アルディの海の南!エルフの町だ!!!」と.


5.エカチェリーナ号海を行く


船上にある椅子に腰掛け,私は史書をめくっていた.船首を見てふと,これから向かうエルフたちが住まう町・・・は一体どういうところなのだろう,と思いを馳せる.

かつて南大陸に栄えていた国・ロンカ・・・.かの国は,「秘術」という,あまり聞き慣れないもので文明を起こし,そして栄えていったと現に私はマトーヤから聞いている.そして,ロンカ王国が滅んだ後も,エルフたちが「秘術」というものを伝えていることもマトーヤから聞いている.マトーヤは,ロンカ滅亡後の南亜大陸中から,「業魔」なるものを作り出して,各地から原住民を集め,現コーネリアを彼らをして建国せしめるきっかけを作ったのだという.その際に,エルフたちに「秘術」を受け継がせたのはマトーヤの故意があったのだろうか?それとも,エルフたちは,自分たちの意志で受け継ごうと思ったのだろうか?いや,そもそもエルフという存在すら,マトーヤが生み出した「業魔」の一つだとしたら・・・.

私はそれらを知り,調べるためにも,一刻も早くエルフたちが住まう町へ行かなければ,と思ったのだ.私は史書を閉じると,立ち上がり,ビッケにあとどれくらいでエルフの町に着けるか訊きに船長室まで行こうと思った.しかし,私が立ち上がった直後,すぐ後ろから,
「潮風ってェもんは気持ちの良いもんだねェ・・・.この風のにおいだと,今夜には着きそうだぜ,エルフの町によ」
と,ビッケの声が聞こえた.私は驚きすぐさま振り返ると,
「今夜・・・か.ビッケ,君は・・・エルフたちに会ったことはあるのか?」
と尋ねた.すると彼は,
「驚いたのを隠す必要なんてどこにも無いんだぜ?エルフの町・・・か.あそこには,何度か行ったことがあるな.あいつらは,姿こそオレら人間とは違っているが,根は良い奴ばかりさ.そうそう,一回エルフの女を食っちまったことがあるんだが・・・.その女,妙なことを呟いていたな.『セイメイセンが乱れる』とかなんとか・・・」
と語った.生命泉?やはり,マトーヤの言葉は正しいようだ.しかし,自身の眼で直接ものを見ないとまだ確証は得られない.

「それよりどうよ?オレ様の船,エカチェリーナ号は?」
と,ビッケが私に訪ねてきたので,私は,立派な船だと思うよ,と言うと,ビッケは,
「もっと褒めてくれてもいいんだぜ?!」
と言ったのだった.私とビッケは,エカチェリーナ号の様々なところを見て回った.エンジンルームにデッキに客室に・・・.海賊が乗る船というからには,もっと大砲やら武具やらが備え付けられているのかと思いきや,そうではなかった.どちらかといえば,「客船」と言うに相応しいエカチェリーナ号は,なるほど,ビッケがアルディの海を転々とする理由に適しているだろう.要するに,「美女を集めるためだけの船に,武装する必要はあるのか?」ということだ.

エカチェリーナ号の見学が終わり,私は自分の為に用意された部屋で,史書をめくっていた.時間は夕暮れ時,もうすぐエルフたちの町へ着くはずだ.私はエルフたちと会い,何を話し,そして何を調べるのかをまとめるために,史書を閉じ,机に向かい,予め質問する内容を書き下していった.・・・数個目の質問を書き下している内,私の部屋のベルが鳴った.なにごとかと思い部屋の外に出てみた私は,一人の女性が立っているのを認めた.彼女曰く,
「ルカーンさん,ビッケ様がお呼びです」と.
私はその言葉に従い,急いで船長室のビッケのもとへ行くと,
「オレ様のところへ来る間,もう気付いただろ?エルフの町の港に到着したぜ」
と威勢良くエカチェリーナ号の船長はそう言ったのだ.時間はもう夜.もう夜だったのか.ビッケは,
「さぁ,オレたちはここで待っているから,お前さんはたっぷり時間をかけて用事をこなしてきな!」
と言って,船から私を降ろしてくれた.次いで松明を渡された私は,ビッケに,
「ここティアーナ地方にあるエルフの町と城は,森に囲まれている.くれぐれも死ぬんじゃねェぞ」
とアドバイスをもらったのだ.

かのような経緯で,私はまた一人で旅に出ることになった.エルフの町を目指して・・・.


6.ケアルより心地よい


ビッケたちに見送られてから,三日目の晩,私はティアーナ地方の森林地帯を未だに彷徨っていた.食料には困っていなかった.ビッケたちから沢山食べ物をもらっていたからだ.・・・だが,心配なのは,この暗い森を未だに脱出できないでいるのと,残りの松明が少なくなって来ていたことだった.その三日目の晩,遂に長旅のせいなのか足腰を痛めた私は,その場で体勢を崩し,倒れてしまった.

あなた,一体どうしたというのですか?

…そんな声が,微かに聞こえた.私は,目を覚まし,起き上がろうとした.しかし,数人の・・・耳が人間のそれより一回り大きな者たちに押さえられ,私は仰向けにならざるを得なくなった.彼らたちは,もしや・・・.

やがて,その数人の中の一人が私の前に一歩出て来て,こう言った.
「人間がこの町にいらっしゃるとは,実に久しいものです.あなたの名前を聞かせてもらえませんか?」
私は自分の名前を告げると,その者は,
「私はエルフの民のローラルと申します.昨夜,森で倒れていたあなたを見て,心が傷み,介抱せずにはいられませんでした.・・・ルカーン様は私たちエルフの町に御用があったのですか?」
と続けて言った.私は臥したまま顔を彼らに向け,答えた.まず,自分は歴史学者であること.世界を旅していること.そしてマトーヤの言っていることを確かめたくて此処へやってきたこと.

マトーヤの名を出すことでエルフたちの態度が変わってしまうのではないか?

当時の私は,そんなことも思っていたな.私がそういったことを伝えると・・・どうやら私の思いは杞憂に終わったらしい・・・エルフたちの一人,ローラルは私を
「北の魔女,マトーヤ様とお知り合いなのですね!」
と言い,歓迎してくれた.そして・・・.
「ああ!あなたは怪我を負っていらっしゃいますね.この私,ローラルが今,治しますからしばらくお待ち下さい」
と言い,ローラルは後ろに控えていた者たちを退却させた.そして,ローラルは文字通り眼の色を変えて,何も無い空間のなかで指を動かし始めた.私は思わず尋ねた.
「一体なにをしているんだい?」
と.するとローラルは,
「秘術であなたの傷と,旅の疲れを癒して差し上げているのです」
と答えた.私はしばらく,ローラルが自身の体と私の体の間にある小空間のなかを精緻に指を動かしているのを見ていた.やがて,ローラルはこう呟いた.
「ああ,やはり生命泉が乱れておいでだ.でも安心して下さい,私の魔心眼で治してみせますよ」
私は新たな単語が出てきたことに驚く.
「ま・・・魔心眼だって?」
と,思わず問うてしまった程に,だ.だが,ローラルは事を行なっている最中なのにも関わらず,私の問いに丁寧に答えてくれた.
「魔心眼とは,秘術を使う者なら必ず持っている,顔内に備えるもう一つの『眼』のことです.私の今の眼は,先程あなたと初めて言葉を交わした時のとは大分違いましょう?これこそが魔心眼なのです.かの眼で見えるものは生命泉と物質泉・・・.どちらも現在の生命,物質の秩序ある姿を維持するのに大切な要素なのです」

私は一番最初にマトーヤと語った時のことを思い出した.そうだ,特に生命泉については・・・!

彼女に秘術の薬液を飲まされ,私がマトーヤの洞窟で動き回るホウキや,マトーヤ自身に見出した,「生きとし生ける者なら必ず持っている」生命泉・・・.それに彼女は,こんなことも言っていた.

"秘術の基本は,そうやって物質泉や生命泉とを視ることだが,これを応用すれば,物質泉と生命泉をいじることが出来る.例えばだよ,難病に苦しんでいる人は,生命泉の秩序が乱れて生体エネルギーの出入りがうまく出来ないでいる.この人の生命泉を秩序が乱れたバラバラの状態から,元あった場所に綺麗に配置してやると,なんと今までその苦しんでいた人の難病を消すことができるんだよ"

なるほど.今まさに,ローラルは秘術を用いて,私の乱れた生命泉を元あった位置に綺麗に配置し治している,というわけか.そう思っていると,いつの間にか傷が治っていた.そして,ローラルは私に問うてきた.

「もしよろしければ,あなたの旅の目的を聞かせてもらっても構わないでしょうか?」
と.


7.ローラル&クリャドリュカ


旅の目的を訊かれた私は,すぐさま答えた.
「マトーヤが言っていたこと・・・.太古の昔にアルディの海が『平原』だった頃に栄えていたロンカ王国の名残りを確かめるためだ」
こう答えた私に,ローラルは次なる問いをしてきた.
「そのロンカ王国ですが・・・.存在自体は我々エルフの民も知っています.ただ,本当に確かめるには,アルディの海深くまで潜る必要がありましょう.あなたは,一体どうされるおつもりなのですか?」
と.そこで私はまた答えた.
「北西大陸にあるオンラクという町で,画期的なタルの潜水艦を開発したという女性がいるという話を耳にしたんだ.私はその女性に会って潜水艦を借りることができないか話をつけにオンラクまで行こうと思っている」
私がこう言うと,ローラルは顔を曇らせ,
「なるほど・・・オンラクへですか・・・.それは長い旅路になりましょう・・・.ですが,仮に潜水艦を借りることが出来たとして,どうやって海中深くに眠るロンカ国の名残りを確かめるのです?まさかタルに入ったまま調べるわけにはいきますまい?」
と言った.そこで,私は自分の考えの盲点を突かれたのだ.そこで,どうすべきか考え込もうと,少し俯くと,ローラルは,
「そんなあなたに朗報があります.私の妻・・・クリャドリュカに会うと良いです.妻は私と違って妖精の身なのですが,今のあなたに必要なアイテムを持っています.それは,『空気の水』です.この空気の水さえあれば,海中の圧力も,酸欠もへっちゃらです.ただ・・・」
と語り,言いかけたので,私は発言を促すと,
「ただ,妻の住んでいる場所は北東大陸の山間にあるガイアという町なんです.ガイアの町は,周囲の町から孤立していて,とても一人だけでは行けない・・・.私が一緒に行きたいのもやまやまなのですが,私は一応此処エルフの町の長ですから,町を離れるわけにはいきませんし・・・」
と語ってくれた.そこで私は,
「いや,私は一人ではないさ.移動面でサポートしてくれる仲間がいるから,なんとかなるさ」
と返した.私は続けて,
「それより気になるのは,マトーヤと君たちエルフ,妖精たちの接点だな.どうして君たちは・・・,いや,どうやって君たちはマトーヤから秘術を受け継いだんだい?」
と話題を変えると,ローラルは曇った顔から一転して,真面目な顔つきになると,こう言った.
「それについては,是非,我らエルフの民を総べる,エルフの城にいらっしゃる王子に謁見なさりに行って下さい.・・・とはいえ,今日はもうかなり時間が経ってしまいました.今日のところは,この町の宿に泊まって,明日謁見なさりに行って下さい.王子にも,私からあなたのことを事前に伝えておきますから」

このような経緯で,その日,私はエルフの町の宿屋へ一泊することになった.それまでいた建物を出て,私は初めてエルフの町の様子を知ることになる.コーネリア,プラボカと決定的に異なるところは,町の中が自然に満ち溢れていること.建物と建物の間には,木々が生い茂っていた.その建物はほぼ全て黄色い瓦屋根に,これまた黄色い土壁で作られていた.町を歩いているエルフの民によれば,黄色の土は,ティアーナ地方の風によく合い,風水としても相性がバッチリなのだそうだ.町を横断する小川のせせらぎを聞きながら,私はエルフの町の宿屋へ歩いて行った.

宿屋の一室にて,私はマトーヤとの対談中にとったメモを見返していた.

「『秘術』は,現在でもエルフたちが伝えている」

…「秘術」というものが具体的にどういうものなのかは,大雑把にだが分かったつもりだ.今,注目すべきなのは,それがどうしてエルフたちに受け継がれていったのか,また,言葉を変えれば,マトーヤはどうしてエルフたちに秘術というものを与えたのか,ということだ.そもそもエルフという存在自体,マトーヤが生み出した「業魔」の一つかもしれないというのに―――.

考えを巡らせ過ぎては朝になってしまうので,私はいつもより早く,微睡に身を委ねることにした.明日,旅の目的でもあり,謎でもある事柄が,解明されることを願いながら.


8.王子かく語りきI


翌朝,私の部屋にローラルが訪ねてきた.彼が言うには,王子は今日の午後に火急の用事が入ったので謁見は午前中に済ませたい,とのことだった.私が,ならしばらくこの町に滞在して王子とゆっくり話ができる日を待つことにするよ,と言ったが,彼は,それはなりません,返したのだった.私は仕方なく,王子に会って話をする為の道具を用意をすると,ローラルについてゆくがまま宿屋を出,やがてエルフの城の前まで案内された.
「あとは城の者の指示に従って下さい.では私はこれで」
そうローラルは言い,その場を去った.言われるがままに城のなかへ私は歩を進めた.

城のなかに入った私は,おそらくはエルフの王族の召使いと思われる者に,王子様が待っています,と言われ,かの王子の部屋の前まで導かれた.私は一応部屋の扉をノックすると,部屋の中から,どうぞ,と声が聞こえたので,扉を開け,入っていった.

部屋のなかは,思っていたのより,こじんまりとしていた.青いカーペットの上に立っているのは,私を含めて三人だ.私と,王子専属の召使いと思われる者と,他のエルフたちとは比較にならない程の大きな耳を持つ・・・エルフの王子だった.王子は私を見るなり,語り出した.
「あなたがルカーンさんだね?僕はエルフの王子・・・アモル.今朝は急に呼び出してすまなかったよ.・・・それで,あなたは遠いところからわざわざ僕らエルフに会うためにこの町に来たんだって?嬉しい話じゃないか,エルフの町に来客者が訪れるなんて.ささ,座って座って」
アモル王子は,召使いに椅子を用意させると,私にそれに座るよう促した.彼は続けて言う.
「ルカーンさんは歴史学者だということを聞いているよ.なんでも僕たちエルフとマトーヤさんとの関係を知りたいそうだね?」
私は,このおしゃべりな王子にただ頷くだけだった.
「ローラルから話は聞いている.僕たちエルフに,何故,秘術の力が受け継がれていったのか知りたいのだろう?それにはまず・・・,この南亜大陸・・・いや,『南大陸』であった頃から伝わる,土着の宗教について語らねばならないね・・・」
アモル王子は,愁いを秘めた目をしてそう語り終えると,召使いに何かを小声で呟いた.そして召使いは,この部屋からいなくなってしまった・・・.

それにしても,南大陸であった頃から伝わる土着の宗教があったのは知っていたが,それがエルフたちとどう関わって来るというのだろうか?私は急激な知的好奇心に駆られた.

召使いが,何やら分厚い書物のようなものを持って来た.その様子を確認したアモル王子は,また語り出した.
「まず最初に語らなければならないことは,僕らエルフ,そして妖精の出自だね.ハッキリ言おう.僕たちエルフと妖精は,妖魔導師マトーヤによって造られた『業魔』の一つだ.マトーヤが業魔を造った理由はあなたも知っての通り,ロンカ亡き後の南亜大陸から,新たに国作りをするために原住民を集めるためだ.業魔を狩らせるよう,原住民たちを各地から集めたんだ.でも,次々と狩られてゆく業魔に,マトーヤは何の感情も抱いていなかったわけじゃなかった.業魔・・・人の造りし魔物のことだけれど,自分が生み出した命に愛着が湧いてきたのか,彼女は,僕たちエルフと妖精を造ったんだよ.人外の姿だけれど,普通の業魔より美しい姿を与えてくれたんだ.僕らエルフや妖精を狩ってしまわないように,マトーヤは僕らにそれぞれ,秘術と神秘という力を,そして南亜大陸から集まった原住民には,一つの宗教を与えた.それが僕がさっき言った,『南大陸であった頃から伝わる土着の宗教』のことさ」
一頻りアモル王子はそう語り,召使いに何かを命ずると,召使いは分厚い書物のようなものを私に手渡した.
「それが,土着の宗教・・・アモルス教を成文化した教典,ジェラール教典さ.あとでゆっくり読むといい.さっきの話の続きだけど・・・.覚えているかい?」
私は答えた.
「ええ.あなた方エルフや妖精たちを狩ってしまわないようにマトーヤは秘術などを与えたと・・・」
アモル王子は私の言葉に付け足すように言った.
「正確には・・・『狩り過ぎてしまわないように』だった.すまない」
と.


9.王子かく語りきII


「『狩り過ぎてしまわないように』・・・ですって?」
私がそう聞き返すと,アモル王子はまた語り出した.

「そうなんだ.僕たちが生まれたての頃に,人間はマトーヤの思いに反することをしたってことさ.だから,さっきも言った通り,彼らにアモルス教なる宗教を与えたんだよ」
彼は,本棚からジェラール教典を取り出し,パラパラ頁を捲りながら続けた.
「大昔・・・この世界は今よりもっと混沌が溢れ返っていた.当時,天界,地上,冥界の三つの界で成り立っていた世界は,各界への行き来が激しかった.・・・そんななか,人々の希望の象徴となっていた話があった.天界と地上の使いである愛の月天使アモルと,地上の人間の女性であるプシュケとの恋仲があったことだ.その恋仲がどうなったのかは後でジェラール教典を読んでもらうとして・・・.今大事なのは,このアモルとプシュケについてだね.伝承では,この愛の月天使アモルが男性の象徴であり,地上の人間のプシュケが女性の象徴とされているんだ.マトーヤは,この伝承をアモルス教に取り入れ,実際に業魔を造る時に,男性の象徴をエルフとして,女性の象徴として妖精を造った.そして,僕らエルフや妖精を神々しい存在になら使める印として,秘術や神秘といった能力を与えたんだよ.だからエルフには男性しかいない.妖精は,女性のみだ.ルカーンさん,この僕の『アモル』という名前が,月天使アモルに由来していることは,あなたにも分かるだろう?」

私は,今すぐにでもジェラール教典を熟読せずにはいられなかった.アモルとプシュケがその後どうなったか気になるところだし,そのような伝承を聞いたのは今が初めてだったからだ.しかし,一方で私はこのアモル王子からもっと色々な話を聞き出せないか考えていた.そんな私の思いを汲んでくれたのか,アモル王子はまた語り出した.

「どうやらあなたは僕の話をもっと聞きたがっているようだね.そうだねぇ,どんな話をしようか・・・.ああ,これは僕らが造られた時の話だけれどね」
彼は分厚いジェラール教典を音が鳴るくらい勢い良く閉じ,続けた.
「マトーヤは僕らを造った時,秘術を与えるのと同時にロンカ王朝の記憶も微かにだがインプットさせたんだ.大昔・・・,ロンカ王朝が全盛期を迎えていた頃,王室内で秘密裏に『テラ&ガイア治安計画』というのがあったらしい.その頃の北の二国・・・テラとガイアは文明を競い合っていて・・・」
そこで私が話に入る.
「その話なら聞いたことがあります.互いの文明力を競い合うテラとガイアの国の間で戦争が起こるかもしれないくらいの緊迫状態が続いていた,とマトーヤから聞きました」
王子は続ける.
「ああ,そうだったらしいね.ロンカは多分,その緊迫状態を解こうと『テラ&ガイア治安計画』を発案したみたいだ」
「その話・・・いえ,記憶をもう少し詳しく語って頂けませんか?」
「本当に微かだけど・・・それでも良いのなら,話すよ.その計画の具体的な内容だけど・・・.どうやら当時のロンカは,最大の国力を以って計画を実行に移したらしい.なんでも,天翔ける巨大な『天空城』なるものを建造する計画もあったみたいだ」
「その計画は・・・未遂に終わったのですか?それとも,本当に実行されたのですか?」
「いいや,僕たちにはこれ以上のことは分からない.知りたいのならルカーンさん,あなたはもっとこの世界について知るべきだ.そして,マトーヤとももっと話をするべきだよ.真実は自分の眼で確かめなくては」

あっという間に朝が昼になり,私のアモル王子への謁見時間は過ぎてしまった.本当にあっという間・・・だったが,非常に有効的な時間だった.私の知らなかった事実を知ることが出来たし,この世界の真実に少しでも近づけたような気がする.しかし,ここで満足など勿論してはいない.私は一人の歴史学者として,より深くこの世界と向き合うべきなのだ.その材料は,揃いかけている.それは,アモル王子から聞いた話と,ジェラール教典と,そしてこれから聞くマトーヤの言葉である.

私はその日の内にエルフの町を発ち,また三日をかけて,ビッケたちの待つ港へと戻って行った.まだ,私の新たな探求の旅は終わらないのだ.いや,これから始まったと言ってしまってもいいくらいだろう.


10.ジェラール教典I


ビッケの計らいで,エカチェリーナ号の個室にすぐさま通された私は,早速アモルス教の教典である,ジェラール教典を読むことにした.・・・木造のかの船は荒波を進んでいるせいか,木の軋む音が何度も聞こえる.だがそれは,何かを集中して読むには,差し支えのない程度の音だった.

私は,表紙を捲ってみた.すると,一番最初の頁には一つの絵が描かれてあった.小さな円と大きな円が二つ離れて描かれてあって,大きな円の中には,もう一つ円が描かれてあった.それぞれの円には注釈が付けられており,小さな円には「神々が住まう 月&天界」と,大きな円には「原初の母星 地上」と,そしてその中のもう一つの円には「死人が住まう 冥界」と書かれてあった・・・.これがアモル王子が言っていた,「三つの界」のことなのか・・・.

私は更に頁を捲り,其処に書かれていることを読み進めていこうとした.・・・だが,頁を捲る時に,におって来る,あのにおいを感じた時,私は一度,頁を捲るのを止めた.そのにおいとは,新品同然の本から出て来るものと全く同じものだった.古文書や古い史書を読むのに慣れている私にとっては,この類の本は研究対象に相応しくないと・・・何故か思ってしまうのだ.・・・だが,今はそのような思いに駆られている場合ではない.早く,続きを・・・.

なんとかして,この教典の最初の部分を読んでみたところ,驚くべきことが分かった.エルフの王子アモルから聞く限りでは,アモルス教は,南亜大陸中から国作りの為に集められた人々にマトーヤが直接与え,そして広まり,どこかの誰かがその教えを忠実に成文化されたものだと考えられたが・・・.この教典に書いてあることは,全部が全部アモルス教の教えについて述べたことではなかったのだ・・・.つまり,アモルス教の教典ではあるが,この教典の著者・・・ジェラールは,"個人の考え"をも教典のなかに記してあるのだ・・・.それは果たして「教典」と言えようか?

私はそのような疑問を捨て,更に頁を捲っていった.・・・長い長い前置きの後,やっとアモルとプシュケの名前が出てきた.このルカーン記の本文には,ジェラール教典の言葉は引用せず,私が自分でまとめた言葉を記すことにする.代わりに,付録として,ジェラール教典を挙げておこう.

まず,アモルとプシュケについてだが・・・.私なりにまとめると,次の様になる.

「月天使アモルは,天界(または月)と地上とを交流させる役割を担っていた.別名の『愛の天使』の由来だが,これは天界の者たちと地上の者たちの様々な愛のかたちをアモルが伝えていったことに起因する」

次に,プシュケについてと,二人の出会いについてだが・・・.

「人間の女性プシュケは,元々は,14ヶ国の内の一つ,古代語で『最も遠いところ』という意味を持つ村の出だった.学者の父と詩人の母を持つ彼女は,生まれてから親だけではなく,沢山の人たちによって愛され育てられて来た.プシュケの両親は,彼女が思春期を迎えると,彼女に旅をさせた」

「その旅の最中,彼女は今までに受けていた『愛』が当たり前だと思い込んでいたことに気付く.両親から,村の皆から沢山愛を受けてここまで生きてきたことに初めて気付いたプシュケは,これからは自分が愛を人に与えようと決意する」

「そうして,旅先で人に出会う度に,彼女は愛を込めて接した.慈しみと,労りを以って接するようになったのである.何年か後,いつしか彼女は地上で徳が高い人間とささやかれるようになった」

「故郷へ帰る旅を始めた時,彼女は偶然にもアモルと出会い,恋に落ちる.プシュケは出会いがしらに,背名に生えたボロボロの羽を生やしたアモルを見るも,何の驚きもなく彼を介抱した.介抱していく内に,次第に二人の間に愛が自然と育まれていった」

ここまでが,私が王子から聞いたアモルとプシュケとの恋仲の話だが・・・.これから一体どのような話になるのだろう?そして,それから一体,どのような「教え」を説くというのだろうか?


11.ジェラール教典II


エカチェリーナ号は,コーネリアの港へ向かって航行していた.荒波を突っ切っているのは,木々の軋みだけではなく,時々揺れるランプからも分かることだ.勿論,私自身も揺れを感じる所以もあるが.

ジェラール教典を,ゆっくり読み進めてゆく.アモルとプシュケとの間に恋が芽生えて,それからの話を,私は強く求めていた.だが,焦ってはならない.一文一文を,大切に読み解くのだ.

読み進めていく内に,アモルとプシュケの他に,もう一人の登場人物が出て来た.その人物について,私なりに要約すると,こうなる.

「旅の途中,プシュケが借り宿として使っていた家があった.その家のオーナーであり,普通の人間の女性であるモルスは,アモルとプシュケの関係を妬んでいた.モルスは,あの手この手で二人を別れさせようと,あらゆる邪魔をした」

「その妨害工作は,アモルとプシュケの精神を病ませた.天界では,異界の者同士の付き合いは大いに好まれていたため,それを妨害したモルスに天罰が下った.そして,その妨害工作は,人間が犯した罪の一つとして以降,地上では禁じられた.天罰が下ったモルスは亡くなり,死人となって冥界へ送られた」

ここまでが,人間モルスに関する記述をまとめたものだ.私は「人間が犯した罪の一つ」というのが気になったが,どんどん先へ読み進めた.・・・それ以降からは,話がガラっと変わっていった.

「冥界に於いてもアモルとプシュケの二人を妬んでいたモルスは,冥界王ジェイドに己の操を捧げると,プシュケを亡き者にさせ,せめて自らの名である『モルス』とアモルを一緒にさせて欲しい,と頼み込んだ.ジェイドはそれを諾とし,まず,恋する者を失い悲しみに暮れていた愛の月天使アモルからその身分を剥奪し,一方のモルスを死人から全くの新しい人間『アモルス』として融和させ,地上に生み落した.地上の人々はモルスと姿そっくりのアモルスを見て,これはモルスの蘇りだ,とし同じくしてアモルから受け継がれた天冥士として能力を畏怖した.以降,聖アモルスは死から復活し,天冥士として星を読み,人々を導いてゆかれたのである」

以上が,アモルス教が何故そう呼ばれるに至ったかを書き記された内容を私なりにまとめたものである.・・・この教典を読む限り,はっきりと言えば,聖アモルスが本当に過去に存在したのか,またはマトーヤが創り出した空想上の人物なのか,どちらかは分からない.だが,実際にアモルス教が土着の宗教として残っている以上,人々は信じたのだろう,聖アモルスなる人物が過去にいたことを.


私は,その次の頁がしばらく余白続きだったので,この教典はここで終わりか,と思った.しかし,既に述べた

"ジェラール個人の考えをも記してある"

ということを思い出し,頁を捲り続けた.すると・・・.
ジェラール個人の考え,と思しき記述を見つけた.そこには,「別解 アモルス教」という小さなタイトルで,次のようなことが書かれてあった.

「私,F・ジェラールは,アモルス教についてこう考えている.『聖アモルス』として訳し,前述のようにアモルス教の成文化を行なってきた私だが,自分自身は,『聖アモルス』の神秘性を全く信じていない.何故なら,それはただ一人の醜い感情によって生まれてきたものに過ぎないからだ.寧ろ,出自を異にする二人,アモルとプシュケとの愛に神秘性を感じる.私は元々画家だった.どれほど教会の者から『異端者』,『懐古主義』と言われようとも,それに甘んずることなく,『絵』として表現させてもらおう.それらの絵の本当の意味は,『アモルとプシュケがきちんと結ばれて欲しかった』ということなのだ・・・.これは,敬虔なアモルス教徒にとっては,笑い飛ばされるくらいの,細やかで且つ,私にとっては大事な主張である」と.

この文章が書かれた次の頁からは,一人の少女と背中に羽を生やした少年の絵がずらりと描かれ並べられていた.彼らこそ,この教典の著書でありながらも,聖アモルスの存在を否とするジェラール,が描いた「プシュケとアモル」なのだろう.

…私は深いためいきを吐き,ゆっくりとかの教典を閉じた.


12.マトーヤかく語りきII


コーネリアの港に着き,私はそこで降ろしてもらった.再度マトーヤと対談するべく,彼女が隠居生活をしている洞窟へと,数日かけて辿り着いた.旅に必要なものは,コーネリアの城下町で調達していたので平気だった.数週間ぶりに訪れたマトーヤの洞窟は,相も変わらず,ただひっそりとそこに在るのみだった.私は松明を掲げ,かの洞窟に入っていった.

薄暗い洞窟を,松明の明かりだけを頼りにして奥へ進む.果たして今日は,マトーヤはいるのだろうか?前のように,彼女の寝室にて鉢合せ,なんていうことにならないだろうか?私は例の,沢山の頭蓋骨と,人語を話すホウキがいる部屋へ入った.そこで松明を高く掲げると・・・.

「なんだい,またあんたかい,ルカーン」
マトーヤが椅子に腰掛けているのが眼にとれた.マトーヤはホウキに,
「ちょいとあんたたち!部屋を少しだけ明るくしておくれ!」
と命じると,ホウキたちは,部屋のあちこちにあるロウソクに火を灯した.マトーヤは続ける.
「それで・・・今回の用はなんだい?またわしに聞きたいことでもできたのかい?」
私はすぐさま答える.
「はい.実は,現在でも秘術を伝えているとあなたが仰っていたエルフたちに会って来たのです.それで,実際に秘術とはどういうものなのかを視て来ましたし,エルフの王子にもお会いし,話をして来ました.王子との話のなかで,まだあなたが語られていないことが幾つか出て来ました.今回私が此処に参ったのは,そのことをあなたからお聞きしたいと思った次第にございます.語ってくれませんか,この世界の真実を」
マトーヤは私の言葉を黙したまま聞いていた.だが話が終わると,彼女はやがてキラキラ光る眼差しを私に強く向け,語り出した.私はそこで,すぐさまメモ帳の用意をした.何故そうしたかというと,マトーヤは一方的に語り出す時,水晶のような眼を煌めかせるのだ.
「ルカーン・・・あんた,わしの可愛いエルフたちに会ったんだね・・・.あの多忙でわしの一番のお気に入りの王子とも話をしたってことは・・・,持ってるんだね?ジェラール教典を・・・.以前,わしのところに来て,エルフに会いに行った男のことを思い出すよ・・・.彼もまた,あんたと同じようにわしに世界の真実を語って下さい,と言って来たね・・・.彼の者の名は・・・サーダ・・・.この南亜大陸のずっと西にある洞窟にわしと同じく隠居生活をしているよ.ルカーン,あんたはこのサーダにも会った方が良い.・・・決してたらい回しをする積りじゃあないけどさ.

やはり気になるかい?そのアモル王子が言っていた,『テラ&ガイア治安計画』と『天空城』について・・・.・・・うむ・・・やはり話しておいた方が良さそうだね・・・.

全盛期を迎えていたロンカ王朝は・・・,当時北のテラとガイアの二国間であった文明競争による緊迫状態を注視していた.それで,二国間に干渉するかたちで『テラ&ガイア治安計画』というのが立案された.そこで当時のロンカ王朝の王アルディが,二つの文明に負けぬくらいの力を以ってその計画に臨むべきだ,と言った.そうして,南大陸中からあらゆる『文明の力』なるものを持って来るように,という大勅令がロンカ王国中に出された.それでグルグ火山近くの洞窟から,とある石が発見されたんだ.王室直属の学者がその石を鑑定したところ,その石はタキオンという宙に浮かぶ石なのだという.その石を利用して,あんたも聞いた『天空城』が造られたんだよ.・・・ああ,言っておくが,わしはこの計画には一切関与してないからね.ロンカはその天空城で二国間に割って入り・・・今思えば愚かなことだった,ガイア国に対して武力行使をしてしまうことになる.緑豊かな平原が,空から飛来して来たロンカ天空城の秘密兵器,ソーリスカノンによって砂漠になってしまったんだからねぇ!・・・正確には,一本の柱を草原に落として行ったんだが・・・.その柱は今でも残っている」
私は,思わず言った.
「その『柱』とは,まさか・・・!」
マトーヤは冷静に答える.
「そうだ,そのまさかだ.蜃気楼の塔,別名ミラージュの塔,じゃな」

私は,あらかたマトーヤの話をメモし終えると,またしても深いため息をついた.そんな私を見たマトーヤは,
「続けるんだろ?世界探訪の旅を?」
と言った.私は,勿論です,と言って,マトーヤに礼をし,コーネリアの港へ急いだ.


13.独りじゃない


マトーヤの洞窟からコーネリアの港へ行く途中,私はコーネリアの城下町へ寄った.旅の疲れを癒すためでも勿論あるし,頭の中を整理するためにも,この「夢の都」で一息入れようと思ったからだ.

かの町の中央にある噴水の傍にある腰掛けに座り,私はぼんやりと青空を仰ぎ見ていた.エルフの王子アモルの言葉とジェラール教典,そしてマトーヤの言葉・・・.この三つから分かったことは,それまでの私にとっては計り知れない物事であった.まだまだ私は自分の住む世界について,洞察できていないことを思い知らされた.そして,益々この世界に何があったのかを知りたいと思った.

―――知りたい.

そうだ,私はこんなところでぼんやりなどしている暇などないのだ.その思いが,私を立ち上がらせた.・・・だが,まずどうして良いのかを少し考え直してみることにした.・・・ヒントはマトーヤの言葉のなかにあった.そう,過去に私と同じような行動をしていたという,サーダという人物に会いに行くのだ.問題は,そのサーダが具体的に何処にいるのか,ということだ.

…こういう問題にぶち当たった時にどうすれば良いのかは,もう私は知っていた.私は噴水の周りを見て回った.すると・・・.町人が沢山行き交うこの噴水の広場に,「彼女」らがいた.艶やかな衣装をまとっている,踊り子だ.今回は,どういう理由かは分からないが,二人も踊り子がいた.私は早速,彼女らのもとへ歩み寄り,旅の途中で得た2000ギルをそれぞれに払うと,二人は踊りだした.

二人の踊りは,以前にも増して情熱的だった.二人の内一人は,コーネリアの踊り子だということが分かったが,もう一人は・・・?そんな疑問を持つ私を置いてけぼりにするかの如く,彼女らのボルテージが上がってゆく.今回は二人,ということもあって,息の合ったパフォーマンスを魅せていた.それに私だけではなく,広場にいたほとんどの人たちが盛大な拍手をしていた.ああ,もう一人の踊り子は・・・分かったぞ!

彼女らは踊り終わると,私に感想を求めて来た.今回も私は思ったことをそのまま言うと,
「あら,アナタ,あの時の?」
と,二人の内一人が返した.そしてもう一人の方は,
「アナタは!プラボカで会った!」
と言って来た.私は,久しぶりの再会だね,と言うと,二人は私の無事を素直に喜んでくれたのだった.プラボカの踊り子に,うまくやっていけてるかい,と尋ねてみたところ,彼女は,今はこの二人で新しいユニットを組んで斬新な踊りを時たま魅せていて,どうやらうまくやっていけているらしい.そのことを聞いた私は,安心した.

「それで?今回教えて欲しいことはなに?」
コーネリアの踊り子の方がそう私に尋ねてきたので,私はこう答えた.
「サーダという者を探している.彼は一体どこにいるというんだ?詳しく教えて欲しい」
すると今度はプラボカの踊り子が言った.
「北の魔女は言ってなかった?南亜大陸のずっと西だって.アナタはまずアルディの海から外海へ出なくてはいけないわ.そして・・・」
コーネリアの踊り子が続ける.
「そして,メルモンドという町に行くのよ.後はメルモンドにいる私たちの仲間の言葉に従って,ずっと西を進むといいわ」
と.


踊り子たちから情報を得たその日の翌朝,私は城下町を発ち,晩に港へ着いた.港では,ビッケたちが私の帰りを祝ってくれたのだった.ビッケは,帰り際の私に向かい,こう話しかけたのだった.
「よォく帰ってきたなァ!長旅ご苦労様ッてェな!お前さんの帰りを祝って,沢山の食事と女を用意しておいたぜ」
「それよりビッケ,次の目的地が決まったよ」
私のこの一言がグサッときたのか,ビッケは,
「おいおい・・・,そりゃあないぜ.お前さんは独りじャあねェんだ.心配していた仲間がこんなにいるんだぜ」
と弱腰ながらも,船乗りと女性たちを私に見せるよう手を大きく広げ,続ける.
「せめて,今晩だけは,な?『ルカーン様の帰還』ってことで宴を開かせてくれよォ」
私は,その頼みを断れなかった.どうも,私はこういう頼み方は苦手なようだ.

… … …

宴が終わり,私は部屋のなかで,やっと一人になれた・・・と思っていた.これで複雑な思考に取り組むことができると思っていた.しかし・・・.

コンコン,とドアをノックする音がしたかと思い,私はドアの方へ近付いた.すると,ドアの向こうから,
「ルカーンさん.アタシ,遊びに来ちゃった!」
と女性の声がした.ドアに仕組まれた小さなのぞき窓をのぞくと,その女性の恰好たるや,まるで例の踊り子のような艶やかなものではないか.ビッケ,これは君の仕業か?私は仕方なく,彼女を部屋に通した・・・.


14.青年ルカーンかくありき


エカチェリーナ号の一室で,私は突如訪ねてきた女性とどう過ごすか困っていた.上はほぼ下着のような,下はピンク色のサルエルパンツを履いている彼女は,私の部屋に入り,軽く上半身を伸ばした後,ベッドにちょこんと座りこんだのだ.そして,上目づかいに私を見ながら,甘い声でこう言う.
「ねぇ,さっきから黙りこんでどうしたの?もしかしてアナタ,女性慣れしてないの?恋愛の経験は?」
私は,そんな彼女に左手の薬指を見せた.そして,ゆっくりと彼女の隣に座った.

…私は,ついさっきまで困っていたにも関わらずに,いつしか「心の縛り」が解かれていくのを感じたのだった.これが女性の持つ魔力だとするなら,大したものだ・・・.

私は彼女に言う.
「この通り,私には妻がいる.・・・そうだな・・・,私は複数の女性との経験がないから,女性慣れはしていないかな.ところでだ,君の名前は?」
すると彼女は,明るい笑顔で答えた.
「嬉しい!やっとワタシに興味を持ってくれたのね!私の名前は,アザミっていうの.忘れちゃダメよ?ルカーンさん,アナタ,真実を知るために世界を旅しているんですって?アタシには難しいことはサッパリだけど,なんだかそういうの,憧れるわね.ビッケ様と別の意味で好きよ」
「そうかい,どうもありがとう.君,生まれは何処だい?ビッケに選ばれたんだろう?町一番の美女だと」
「生まれの町ね・・・.自分の故郷を忘れてしまうくらい,ビッケ様はワタシたちを愛してくれたわ.ルカーンさんの生まれは?」

アザミとは,良くお互いのことを話せるようにいつの間にかなっていった.部屋に置いてあるワインボトルを開け,彼女はグラスを私に差し出し,注いでくれた.やがて私は,聞かれたことに対し答えた.
「私の生まれは・・・,クレセントレイク,という片田舎さ.私はそこで育ったんだ」
アザミは問う.
「奥さんとはどうやって知り合ったの?」
「ああ・・・妻は,私の幼馴染でね.生まれも育ちも学び舎も同じだった・・・」
「子どもは?」
「いや,まだいないよ」
「そう・・・良い家庭を持てると良いわね」

ワインを口に含んだせいか,少し酔ってきた私とアザミは,思わずこんなやりとりをしたのだった.私は・・・グラスを指で何回も軽く揺らしながら,話す.
「そうだなぁ・・・.ここのところ数十日も故郷に帰らないでいるから・・・.寂しがっているだろうから,サーダに会いに行った後,故郷に一度帰ることにするよ」
赤みを帯びた顔をしたアザミは,言う.
「そう.そして,子作りに励むのね?」
「なっ・・・!そういうわけで言った積りじゃ・・・!」
「だけど,まんざらでもなさそうなご様子じゃない?」

私は,焦っていたが,当時のこのアザミとのやりとりは,これくらいしか覚えていなくて,後は適当に喋って,彼女は部屋を出て行ったのだけはしっかりと覚えている.・・・これだけは言える.私は,アザミと性的な関わりはなかった.それは確かなことだ.


色々とあったその夜の翌朝,私は船長室へと訪ねた.船長・ビッケは,私の顔を見るなり,こう言った.
「おォ,ルカーンさんよ.今日,アルディの海の外へ出る予定だぜ.確か,メルモンドとやらの町の港に着けば良いんだよな?」
私は答える.
「ああ,そうさ.ビッケ,メルモンドでの用が済んだら,もう一度外海へ出てくれないか?そしてずっと西へ進んで欲しいんだ」
「なんだ,西にまた用があるのかい?」
「いや,一端故郷に帰りたいと思っていてね.そのずっと西に向かった先にあるんだよ.私の故郷,クレセントレイクの港が」
「おォ,お前さんの故郷の話か!昨晩アザミから聞いたぜ,なんでもお前さんには奥さんがいるらしいな!オレ様より半分しか生きてねェのに,所帯持ちとはな!大した野郎だぜ,アンタはよ」
ビッケはそう言うと,舵の方へと身を向かせ,後ろにいる私の方へ振り返らずに,呟いた.
「しかし・・・故郷か・・・.オレァそんなもん当の昔に失くしたもんだが・・・.たまァに振り返ってみるのも悪くねェな」
と.そして,船長室を出て行く私の方へ振り向き様に,
「ルカーンさんよ」
と呼びかけ,
「奥さん,大事にしろよ」
と声をかけてくれた.私はその言葉を精一杯に受け,自分の部屋へと戻って行った.


15.腐れゆく大地のひずみ


…コーネリアの港を出港してから,どれくらいの時間が経っただろうか.エカチェリーナ号の一室にて,私は未だに揺られていた.手元の懐中時計を見てみると,昼が過ぎてから二時間は経っていた.私は気分転換と外の様子を見てみるのを理由に,かの船の甲板に出てみた.

デッキには,数人の乗組員と女性たちがいた.潮風と,船の帆にとまっている海鳥の鳴き声も相俟ってか,とても爽やかな気分になった・・・と言いたいところだが,話はそう簡単には終わらないのがこの世の理というものだ.エルフの町へ航行していた途中から既に気付いていたことだが,アルディの海だけでなく,外海も波の荒れ様がどうも激し過ぎる.海についての知識がほぼ無い私でも感じることだ,デッキにいる海の男たちなら尚更異常を感じていることだろう.私は彼らに話しかけようとしたが,丁度その時に,彼らが進行方向を向いて騒ぎ出したので,船首の方を見てみた.すると・・・.

「あっ,ルカーンさん!見て下さい!メルモンドの港ですよ!」
数人の船乗りたちにそう呼ばれた.続いて船長室からビッケが出て来ると,こう言ってきた.
「ルカーンさんよ.もうメルモンドだ.・・・冒険の準備は怠るんじャねェぜ?」
私は,分かってるさ,と言いながら,ビッケの横を通り過ぎ,自室へ戻り大急ぎで「冒険の準備」を整えた.


港からメルモンドの町に着くまで,そんなに時間はかからなかった.しかし,だ.一つ重大なことに私は気付いた.・・・風が,全く吹いていないのだ.これは・・・そう,エカチェリーナ号がメルモンドの港へ着いた時からうすうすと感じていたことだった.荒ぶる波に,止んだ風・・・.アルディの海に面する町や港では,風を感じたのに,メルモンドの港に着いた途端,感じなくなった・・・.これは何を意味するのだろうか?サーダはこのことについても何か知っているというのだろうか?・・・そんな思いを巡らせながら,私はメルモンドの町に入っていったのだ.

メルモンドの町は,これまで私が訪れた町と決定的に違うところがあった.町中のありとあらゆる地面が黄土色を成し,腐っているのだ.これは・・・どうしたことだろう・・・?腐った土壌を見て呆然としている私に,誰かが話しかけてきた.
「もしもし.そんなに此処メルモンドの土が気になるのですか?」
その人・・・いや,正確には人ではなく人外の者だった・・・に私は,自分の思っていることを伝えた.するとその人は,
「おや,あなたもこの世界の異変に気付いてらしたのですね!私はドワーフのジムと申します.此処メルモンドへは,腐った土壌について調べにやってきています.・・・あなたはサーダという人物をお探しですか.確かにあの方なら,この土が如何にしてこうなったか知っておられるのかもしれないですね」
と語り,手に持っているスコップで土を軽く掘って,私にその掘った中を見るように促すと,
「どうです?本来土の中に含まれている栄養素や微生物などは一切無しに,黄色く禍々しい泥が幾層にも重なっていることがお分かりでしょう.おかげで作物は一切育ちません.・・・ところで,もう宿はとっていらっしゃるのですか?」と話し,問うてきたので,私は答えた.
「いえ,まだです.明朝には,此処を発つ積りです」
「そうですか.どうぞお気をつけて.・・・と,その前に,あなたは世界の真実を探る歴史学者と自分で仰っていましたよね?よければ,この手記を持って行って下さい」
と,手記を手渡された.これを,参考までに,付録に「ジムの手記」として挙げておく.

私は宿をとった後,メルモンドの踊り子を探していた.コーネリアで再会した,二人の踊り子の言葉だけを信じて,私はこの大地が腐敗した町を歩き回った.・・・先程のジムの話ではないが,何故,この町はこんな目に遭っているというのだろうか・・・?

…と,学者脳を働かせている間もなく,町の隅で艶やかな恰好をした女性と,私と同じくローブを身にまとった学者風の男性が何やら言い争っているのを見つけた.女性が言うには・・・,
「だぁかぁらぁ!このアタシが身に着けているのはスタールビーって言う超珍しい宝石なんだってば!」
その言葉に対し,男性は・・・,
「いいや違うね.私の学者という肩書きに懸けて誓おう.もともとスタールビーというのは,アースの洞窟でしか採れない,貴重な鉱物なんだ.それを君みたいなのが持っているわけないさ」
私は,彼らに静かに歩み寄って行った.


16.巨人のダンジョン


「そこのお二人さん.ちょっといいかな?」
私は二人に声をかけた.女性の方は,「何よ?!」と言わんばかりの視線を返してきた.男性の方は,
「おお,その出で立ちは・・・!君も学者のようだね!私は言語学者・ウネ.二人でこの娘の嘘を暴いてやろうじゃないか!」
と返してきた.・・・私は,そんな彼ら二人に対し,
「ウネ.失礼ながら,私は彼女・・・踊り子の味方になるよ.理由は至極単純,今まで踊り子たちに沢山助けられてきたからだ.例え・・・君が言うように『嘘』だとしてもね・・・.あと,君の主張が気に食わないところも理由の一つだ.そして・・・踊り子の君,もっと良くそのスタールビーを見せてくれないか?」
と答えたのだった.

ウネはそこで肩を落とし,絶望したのか,その場を去った.踊り子の方は嬉しそうにして,お礼にこれをあげるわ,と言って私にそのスタールビーを渡してくれた.
「いいのかい?超珍しいんだろう?」
「ううん,いいのよ.この町に来て,誰もアタシの味方になってくれた人なんていなかったから・・・.泥の上じゃさすがに踊れないわね.だけど,とっておきの情報を教えてあげる.あなたはサーダという人に会いに行きたいのよね?それなら,そのスタールビーを持って,西へ向かいなさい.とにかく西よ.そうしたら巨人の洞窟が見えて来るはず・・・.そこを抜けて地上を歩いたら,サーダのいる洞窟がアナタを待っているはずだわ」
「分かった.ありがとう」
かくして私は,メルモンドの踊り子の導きによって,サーダがいる場所を特定できたのだ.

翌朝,メルモンドを発った私は,湿地帯を数日かけて越え,ジムの手記を読みながら平原を歩いていた.・・・「読みながら」と言っても,じっくりではなく,パラパラ捲りながら流し読みする程度だ.その手記は,人間の言葉と,ドワーフの言葉が織り交ぜて書かれてあった・・・!なんということだ,こういうことなら言語学者ウネに協力してもらえたかもしれないではないか!・・・そんな後悔をしつつ,あっという間に私は「巨人の洞窟」に辿り着いた.かの洞窟に入るや否や,青白い巨体をした魔物に襲われかけた.その魔物が言うには,
「アンタ,スタールビーを持っているだろ?!おれは鉱物が大好きな巨人族でな・・・.スタールビーをくれたらこの先を通してやるよ.じゃなきゃおまえを食ってやろうかな」
と.私はこの時にどれだけメルモンドの踊り子に感謝したか・・・.スタールビーを渡すと,その巨人は美味しそうにガリガリとかの宝石を食べ,道を通してくれた.

私は巨人の洞窟を抜けた後,また数日かけて西へひたすら歩いた.その間に考えていたことがあった.それは・・・.
「外海に出たところ,すなわち,南亜大陸から外に出た後にも,ドワーフや巨人といった人外の者が出てきたが,彼らももしかするとマトーヤが生み出した『業魔』なのだろうか?」
というものだ.また,これから会いに行くサーダに訊きたいことや,語って欲しいことが沢山考えられた.まず彼には,メルモンドの大地が腐っている原因,そもそもこの世界に起こっている異変(止んだ風,荒ぶる海)の理由についてと,この世界でかつて起こった「テラ&ガイア治安計画」の真相についてだ.

ややあって,私は遂に恐らくは南亜大陸の最西端に位置する,「サーダの洞窟」へ辿り着きそして入って行った.マトーヤの洞窟と同じくらい暗かったかの洞窟には,松明が必要だった.予め準備していた松明に火を灯し,奥へ進んだ.・・・最初に見えてきた部屋には,怪しげな壺がいくつも並んでいるのが眼にとれた.・・・もしかすると,秘術の薬液だろうか?その部屋には誰もいなかったので,もっと奥の部屋へと私は進んだ.洞窟のなかは,マトーヤのそれとは違い,不気味さは全く感じられなかった.寧ろ,あまりにも物が置かれていなく簡素すぎるので,スリルを求めにやって来た冒険家にとってはつまらない場所だろうとさえ思ったものだ.

そんなことを思いつつ,奥の部屋の扉を開けると・・・.部屋の奥の暗がりから声が聞こえた.
「うむ,待っとったぞ,ルカーン.お前の話は,マトーヤから聞いている.・・・いやなに,お前のことを知るにたる所以は,秘術を用いてのことよ・・・.まあ良い,そこに座れ.わしの名はサーダ.言うまでもなかったな.ルカーンよ,わしに訊きたいことがあるのなら遠慮なくそうするが良い」
と.同じくして,そのサーダの両側の松明がボッ,と音を鳴らして部屋を明るくしたのだった.


17.サーダかく語りきI


部屋の暗がりが明るくなったので,私は部屋を少しだけ見回し,そして奥にいるサーダを認め,こう言ったのだ.
「やはり,サーダ様,あなたこそが以前マトーヤに『世界の真実を語って下さい』と言った方であり,ビッケに『北の魔女の使いだ』と言った方でもあるのですね?」
そうすると,サーダ・・・,緑のローブを身にまとい,白くて長いあごひげを生やし,杖をついている初老の隠者は,私に壺に入った飲み物を汲ませ,それを飲むと,
「そうじゃ.ビッケ・・・か.懐かしい名じゃ.やつは今も元気か?ふふっ,お前をメルモンドの港までわざわざ送ったのだから元気なのじゃろうて.聞くまでもなかったな.それで,本題に入ろう.ルカーン,お前が聞きたいこととは一体何事じゃ?」
そこで私は,予め用意してあったメモを取り出し,応えた.
「はい.まず,メルモンドの町の土壌を腐食させている原因をお聞かせ願いますか.それと,この世界の異変・・・腐った土もそうですが,止んだ風,荒ぶる海についても何か知っていらしたら教えて下さい」
私がそう言うと,サーダは私にも腰掛けるよう促し,やがて語り出した.

「やはりそれか.土を腐らせている者の正体は・・・.話せば長くなるが良いか?うむ,それでは語ろう.かつてこの世界を探訪して来た身としてな・・・.

アルディの内海に面する国や町の土は普通であったのに,所謂・・・南亜大陸の外側にあるメルモンドでは土が腐っていたのを不思議がらんかったか?実はこれには深い理由があってな.わしが突き止めたことなんじゃが,その理由は,マトーヤと『天界より訪れし者』に起因するものだ.

そもそも,この世界の仕組みはお前も持っているジェラール教典に書いてある通りだ.そう,『強大な力を持った何かが現れると,世界の均衡を保つ為に一人の大魔導士が天界より降臨し,究極魔法を唱えにやって来る』という一説に注目して欲しい.実は,南大陸に繁栄を極めたロンカは・・・病原菌で滅んだ後,大地震で水没したと知られているが・・・,その『大地震』と『水没』こそが,大魔導士・ノア様による極大魔法・クエイク&フラッドなんじゃ.大昔からの話になるが・・・.いくら究極魔法を唱えようとも,強大な力を持ちたがる人間に呆れたのか,ノア様は『影を抱く女』プシュケを喚び出した.教典では,アモルとの恋仲を引き裂かれた一方の人間の娘じゃな.暗黒を地上に落とす魂なきプシュケの存在を良い様に使って,ノア様はこの地上に四つの極大魔法を司る四体の使者を送った.土,火,水,風,それぞれの極大魔法を操る混沌,『カオス』という存在じゃ!

それで,話は戻るが,マトーヤは,当時ロンカを徹底的に鎮めようと四体のカオスを使役するノア様に抗いたいが為に,せめてものアルディの内海だけは,と思い『バリア』を張った.この『バリア』のおかげで,極大魔法の二つ,トルネドとメルトンからは守れたようだが,クエイクとフラッドからは防げなかったようだ.おかげで,大地は裂け,一大国家・ロンカは水没してしまった・・・.そうして時は過ぎ去り,今に至る」

私は,それまで読み返していたジェラール教典を一旦閉じ,サーダの発言を促した.
「つまり,ノア様が遣わしたフラッドとクエイクを操る二体のカオスの力に,マトーヤのバリアは耐えられなかったのですね?それで,引き裂かれた大地・・・水没した都ロンカと,腐りゆく大地の関係はあるのですか?」
と.すると,サーダは,また語り出した.
「おおとも!フラッドの力を持ったカオスは,北大陸へ赴き,一つの町を滅ぼした.それで,クエイクの力を持ったカオス・・・が,現在でも尚,とある町を侵食している」
「その『とある町』というのは・・・!」
サーダが,深く頷きながら言った.
「そうじゃ.正しくメルモンドの町のことよ.そして更に厄介なことに,数百年後に,この世界をメルトンの力で全て焼き尽くそうするカオスがグルグ火山にて目覚めることも分かっておる.ただ,一つ分からぬのは・・・」
「・・・なんですか?」
「うむ.四体のカオスは,ノア様に遣わされてから数千年経つが,今では別の者の意思で動いているような気がしてならんのじゃ・・・」
「そうですか・・・.それは,私がこれから調べて参りましょう.・・・次の質問に移ってもよろしいでしょうか?」
私がそう言うと,サーダは拳を握りしめ,「良いぞ」と頷いたのだった.


18.サーダかく語りきII


私は早速メモ帳の次の頁を捲り,サーダに訊いたのだった.
「『テラ&ガイア治安計画』について,あなたが知っている限りのことを教えて下さい」
すると彼はまた語り出した.
「今度は北大陸のことも知りたいと?ファファ,良いぞ,お前が言うように,わしが知る限りのことを話そう.

ロンカ全盛時代,お前も知っての通り,北の二国テラとガイアの間には,緊迫状態があった.いつ戦争が起こるかもしれぬ,というな.そして二国の間に,南のロンカが干渉してきた・・・.『テラ&ガイア治安計画』という名だけの,軍事的干渉を,天空城という空飛ぶ城を造って二国間の間に入ってしてしもうた.テラは,その干渉から免れた.王妃マトーヤの故郷じゃからのう.それでガイアにガイアに軍事的干渉をしてしまったんだが・・・.ルカーンよ,お前はどこまでこの話を知っている?」
私はすぐさま答えた.
「天空城の秘密兵器,ソーリスカノンによって,ガイア国の草原が砂漠になってしまったところまでです」
「そうかそうか.それならば話は早い.そのソーリスカノンについてだがな・・・.ソーリスカノンを備えた天空城の建設に,例の大魔導士ノア様が関わっているのだ・・・」
私は思わず椅子から立ち上がって言った.
「まさか!強大な力を持ったロンカを鎮める為に現れた者こそが,ノア様ではなかったのですか?!そのロンカに,発展の手助けをしていたなんて・・・.嘘みたいな話です」
サーダに,落ち着け,と宥められ私は椅子に座りなおした.そしてまた彼は語る.
「ノア様は天界よりやって来た『大魔導士』と伝えられているが・・・.古来では,『土陽士』と呼ばれていたそうな.ジェラール教典の【世界年譜序文】にもそういう一説が書かれてあったな.土陽士ノアはロンカの民にこう言ったと伝えられておる.

『災いが起きるのならば,それを阻止しようとするのが生きとし生ける者の理.よってそなたたちはこの特殊な石でこれから起きる災いを防がんとするが良い』

と」
「その石とはまさか・・・!」
「そう,言うまでもない,天空城の材料となった石,タキオンじゃな.

…話を少し戻すか.わしはこの一連の干渉のことを,『ソーリスカノンの制裁』と呼んでおる.ガイアも,ロンカにやられっぱなしでは勿論なかった.当時ガイア国にあった学術研究所,ガイアアカデミーと軍研究所の間で秘密裏に開発されていた,人造兵器が・・・,間者としてロンカに送り込まれたのだ.彼の者の名は,わしの調査不足で分かっとらんが,とにかくその人造兵器がロンカに災いを起こし,そしてかの国は滅んだ・・・」
「ちょっと待って下さい.ロンカ王国は,謎の病原菌で滅んだのではないのですか?」
「うむ.だから,病原菌が,その人造兵器によってもたらされた,ということなんじゃ.このことを仮に『ヤーニクルムの報復』と呼ぶのならば・・・.どうじゃルカーン,もっと世界の真実を知りたくなったであろう?」
「はい・・・.あとは・・・.テラは・・・テラ国はどうなったのですか?」
サーダは深いため息を吐いて言った.
「テラ,か・・・.お前も歴史学者なら知っておろう,テラの行く末を・・・.テラホーミング作戦で,この地上から跡形もなく消え去ってしまう悲しい国のことを聞いて,お前はどうしようというのだ?テラ国は,国の体裁としては滅びてしまったが,かの国の末裔が何処かに住んでいるという話だ・・・」
「マトーヤは・・・,マトーヤは,故郷の国が滅びたというのに,何もしなかったのですか?業魔を生み出せる力がありながら・・・.」
「もうわしは・・・知る限りのことを全て話した・・・.あとは己の眼で世界を切り開け・・・.其処にある秘術の薬液を飲むが良い.旅の疲れを癒してくれるぞ.元気になったら,前に進めば良い」
サーダは,部屋の奥にある壺を指で差してそう言った.秘術の薬液か・・・.最初の印象と比べて少し変わったところもあるが,やはりこのサーダは,マトーヤと何やらワケありらしい.

しかし,それを聞くのは野暮というものか―――

私は礼の言葉を良い,また十数日かけて,メルモンドの港へ戻って来た.ビッケに次の目的地―クレセントレイクの港―を伝えると,潮風が心地よい甲板にて,私は中空の一点だけ見てボーッとしていた・・・.


19.探究者ルカーンI


航行するエカチェリーナ号の甲板から見える海の景色は,いつも通りだった.巡るのはいつも荒波ばかりで,時にはかの船が大きく揺れることさえあった.一方で船が進んでいるおかげで感じる風は気持ち良く,カモメの鳴き声が相俟ってか,一層心地よく感じる.私はそこでゆっくりと目を閉じ,サーダから語られたことを思い返してみたのだ.

…サーダの語りを聴いていて,幾つかの衝撃的な話があった.

まず,ロンカ王国は単なる偶然の自然現象で滅びたと思っていたのだが,実は故意に行われていたということ.しかも,それをもたらした者は「天界より訪れし者」という,随分とスケールの大きな話になっていること.そして,サーダに会って話を聴いて本当に良かったということだが,「カオス」という,極大魔法(または究極魔法)の力を持った者たちがこの世界にいること.事実,サーダはメルモンドの土を腐らせているのは土の極大魔法を持ったカオスだということを教えてくれた.後,これは私が突き止めなければならないことだが,その四つの極大魔法の力をそれぞれ持つ四つのカオスたちが,何者かの意思によって動いていることだ.そして,数百年後にグルグ火山にて目覚めるという火の極大魔法の力を持ったカオスについても調べておきたい.・・・いや,調べに行くのは危険か・・・.私の故郷クレセントレイクに近いから,と思ったのだが・・・.それでも,一学者が,危険を冒してまで調べに行く価値があるとは思う.なにせ,世界の存亡がかかっているのだから.グルグ火山での調査は,次章で明らかにしよう.

次に衝撃的だったことは,「テラ&ガイア治安計画」の真相についてだ.前話で記した通り,私は,ロンカの秘密兵器であるソーリスカノンを搭載した天空城の建設に,ノアが関わっていることに驚きを隠せなかった.なぜなら,(前話でも当時の私が言ったことを記しているが)「強大な力を持ったロンカを鎮める為に現れた者こそが,ノア」だと思っていたからだ.ノアはロンカを徹底的に鎮めようと,究極魔法を唱えに天界から地上にやってきたはずだ.そのノアが,何故,ロンカに手を貸すようなことを?・・・もしかしらたら,サーダの話のなかで「時差」が生じているのかもしれない.私なりに考えると,要するにこういうことだ.

「ノアが天界よりやって来たのはロンカがまだ北大陸の文明より進んでいなかった頃のことだった.始めは北大陸,特にガイア国に目をつけていたノアは,『テラ&ガイア治安計画』を立案した王室の意思に賛成し,そして協力した.しかし,所謂『ソーリスカノンの制裁』でやり過ぎたロンカに対し,ノアはガイアからロンカに目をつけ,極大魔法を唱えた」と.

ノアの目の移りが,ガイア→ロンカになった,と考えればしっくりきそうだが,問題はまだある.滅びの魔導(極大魔法)だけで十分ロンカは世界から消え去りそうだったが,ガイアもガイアで,報復行為を行なっている.所謂『ヤーニクルムの報復』(この"ヤーニクルム"とは,かつては草原であり今はソーリスカノンによって砂漠化した地方の名から採ってきているらしい)で,ガイア国がロンカ王国に遣わした人造兵器が,ロンカに病原菌をもたらしたというのだ.その人造兵器についても調べねばならないだろう.ロンカは・・・なんと哀れな一途を辿っているのだろうか.同じく,マトーヤも,なんて哀れな人生も送っているのだ・・・と思う(実際,彼女は何百年生きているか分からないが!).

…ここまでが,サーダから得られた情報のなかで,且つ,私が衝撃を受けた事柄だ.この【恵みの大地の章】は,あと一話を挟んで終わるが,次章の簡単なあらすじをここで述べておこう.次章【燃え盛る火の章】では,北大陸に向かうべく,主に南亜大陸の東部を中心に私の様々な「準備行動」が書いてある.今話の,考察のような話は,闇の部に詳しい.例えば,ソーリスカノンの制裁とヤーニクルムの報復については,闇の部の「火の章」に詳しい.


私は目を開けると,目の前にアザミがいた.彼女によると,船は既にクレセントレイクの港に着いたらしい.


20.My Home, Sweet Home


「エカチェリーナ号の皆,今までどうもありがとう.私はこれから故郷の町へ帰るよ.短くても,一年・・・,そうだな,一年くらいは準備に時間がかかる.だから皆,その時まで・・・また会おう!」
そう言ってエカチェリーナ号を降りた私は,ビッケから熱い握手を求められ,アザミからは便箋をもらった.一年の別れの挨拶を終えた後,私はクレセントレイクの町まで歩いて行った.

三日月湖周辺の森林地帯を歩いている途中,急激な郷愁に駆られた.私はカヌーを持っていたが,最初にマトーヤのところへ訪れる際に,必要ないと思い自宅に置いて来たのだ・・・.かさばるというのもある.カヌーさえあれば,三日月湖をそのまま渡りすぐクレセントレイクの町に着けるというのに・・・.羽目を外したものだ.・・・妻は,元気でいてくれるだろうか.ただ,それだけが気がかりだった.

森林に入り三日目の朝,ようやく森から抜けた.そこで,故郷の町を遠くからでも見ることが出来るだろうと思った.しかし,実際見えたのは,辺境にある小さな町,といった風ではなく,ただ石で固められた壁だった.一体何があったというのだろう?以前のクレセントレイクは,あんなに外部に対して閉じた雰囲気ではなかったのに・・・.私は事の真相を知るべく,歩を進めた.

クレセントレイクに辿り着いた私は,早速,自宅へ急いだ.数十日ぶりに見る妻は,以前と変わらぬ妻だった.私はそこで深く安堵した・・・.やはり,本当に大切な人には,変わらない何かがあるのだろうと思う.

しばしの抱擁の後,私たちは色々なことを話した.私は旅の思い出を,妻はクレセントレイクの町の変化を.妻の話によると,なんでも,この町の奥にある森林に,「時空の歪み」と呼ばれるものが生じているらしい.更には,その歪みから,不思議なオーラをまとった魔物が現れる時があるらしい.それで町の住民は,町を魔物から守るため,石造りの壁を造ったと言う.「不思議なオーラをまとった魔物」・・・.後で詳しく検証すべきだろう.

石造りの壁以外は,変わらぬ町の風景があった.針葉樹が町の街道に沿って何本も高くそびえているところや,その街道は,必要最低限のものまでしか敷かれていないところ.他はエルフの町同様,緑でいっぱいなのだ.家々は屋根が青いレンガで造られており,壁は白い土で固められ,木で補強してある.家によっては,前に野花が咲いているところと,そうではないところがあった.川のせせらぎと,町の中央にある池も変わらず,住人の心を癒してくれるものとなっている.池には石造りの橋がかけられていて,そこから釣りをする人もいた.

私たちは,散歩がてら,その池にかかった橋の上で他愛もないことを話していた.これから一年,此処クレセントレイクで研究三昧となるが・・・.勿論,妻のことは大切にしたいと思っている.

… … …

最後に,この【恵みの大地の章】のまとめをしたいと思う.私は,マトーヤ,エルフの王子アモル,そしてサーダに,この世界についてのことを語ってもらった.マトーヤからは,主に古代文明,特にロンカ王国について話してもらった.そのマトーヤが造った業魔の内の一つ,「エルフ」の王子アモルには,南亜大陸に伝わる土着の宗教や,彼ら自身の出自について教えてもらった.そして,サーダには,この世界には「カオス」なる者が複数いること,そしてカオスらは世界を滅そうとしていること・・・に加え,「テラ&ガイア治安計画」の真相について語りつくしてもらった.

最後になるが,私の今回の旅の手助けをしてくれた人たちにも感謝の気持ちを此処に認めておきたいと思う.まずは,大海原を移動する面だけではなく,生きる上で大事なことを教えてくれた海賊ビッケに.そして,羽根休めの時を与えてくれたアザミに.怪我を秘術で治療してくれたエルフ・ローラルに.同じく探求者としてアドバイスをくれたドワーフ・ジムに.そして,正体が未だに謎だが,あらゆる情報を教えてくれて,導いてくれた,各町の踊り子たちに.






最終更新:2015年05月05日 13:12