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150.


「『ランキザッシュの丘の上』って,何処にあるんでしょうね」
クスフスが,果てしないウルティマ区画の墓石が並ぶ道を私とともに歩きながら,そう訊いてきた.私は,上方に見える星空を見上げて返した.
「さあね.ただ,何処にあるかではなく,それがなんなのかは分かっている」
クスフスは私の言葉に興味を示したのか,私の方を見上げて早口で,それはなんですかと言った.私はこう打ち明け,そして告げた.
「とあるラブストーリーのタイトルさ,アンセーヌの心の片方を埋められなかった昔の僕よ,クスフス」
星空からクスフスの顔へと目線を移すと,彼は表情を崩していた.それはそうだろう.誰だって,自分の心の狭さや,もっと一般的に言えば,欠点と思っている点について指摘されたら良い思いはしないだろう.
私は,これから過去の自分と共に歩きながら,何処へ行けば良いというのだろう?
過去に自らの血肉となった命―ウルティマの石たち―を目の当たりにしながら,どこへ向かえばいいのだろう?


151.


結局,今私とクスフスがいる場所は,なんという場所なのだろうか?墓石がそこらじゅうにに並んでいるから,まだウルティマ区画だろうか.それとも,クスフスと会えたから,もうスカイハイ・ガーデンだろうか.しかし,ここが何処であれ,私は真っ先にしなければならないことがある.
「クスフス.アンセーヌは何処にいるんだ?君の心の片方に入りきらなかったのは分かった.僕は彼女を愛している.いつでも彼女のそばにいたいし,いて欲しいんだ.だから,一刻も早く心の片方を埋めたい」
今度はそういったことを,クスフスの肩に手を乗せ,目線を同じくし,できるだけ優しく話しかけた.すると彼は,
「僕はアンセーヌさんの今の居場所はハッキリとは分かりませんが,心当たりならあります.それを今あなたにここで伝えることはできますが,その前に,あなたはやるべきことがあります」
クスフスは顔を強張らせて言った.
「それは,過去のご自分を,つまり僕を,穴が開くほど見つめることです」


152.


幾層にも重なったウルティマ区画の最上層にて,ハウスの星空の下,私は過去の自分に向かい合っている.

過去に向かい合う,か.そう言えば,この天空の食卓国に来る前,バナナリアンの一人に私はこう言った.
「過去の思い出をクスフスに引き渡そう」
と.そして,今は実際に対面している.

昔に振り返るという行動について,これほど理想的なかたちで実現されていることに私はありがたく思った.
私は,過去の私を生で見て,思い起こすことができるのだ.

私は,クスフスの眼をじっとみつめた.何十分もかけて,そうした.
そうしていく内に,クスフスの身体の周りに時の渦が無数に湧き出し始め,彼の穢れを知らぬ煌めきを宿した瞳は真っ黒に染まり上がり,やがて力尽き私の方へもたれかかったのだった.まるで,悪魔に凌辱された天使のようだった.しかし,私はもう,過去を振り返ることになんの躊躇いもなかった.


153.


「渦は,流れの本質だ」
オルテガが言った言葉だ.彼は僕と同じ,「流体力学1」のクラスだった.

私はバリナ・ビーチを口に含んだ.
エコール・ノルマル・シュペリュールでの生活に大分慣れたころ,我々は初めてのカクテルを体験しているのだ.学生ご用達の「叡知Bar」のなかでは,美しいピアノソロが奏でられていた.アメイジンググレイスのジャズアレンジだ.
たしかにそうだ,と私は頷いた.

「しかし,回り続けるのは何の意味があるのだろう?例えばだよ,円という軌道によって引き起こされる運動というのはある意味,永遠性を秘めているのかもしれない」
「さあな.俺は飛行機の翼をどういう形にすればいいか,しか考えていない.俺たちには,『なぜそうなるか』よりも『どう活かすか』を明らかにすべきじゃないか.お前は,いつもそんなことを考えているのか.難しい話は酒を不味くさせるぜ」
私の問題提起は,いつもオルテガを困らせた.

私は順々と記憶の海をぷかぷかと漂いながら,自分のこれからを考えていた.

しかし,回り続けるのは何の意味があるのだろう?


154.


「そんなの,回り続けるからでしょ」
アンセーヌは,私の疑問を一刀両断するかのごとく言い放った.

「それは理由になってないよ」
私は冷や汗をかいていた.文系の彼女は,次の展開が気になるらしい.
書庫のなかで私たちは古文書を開いて一緒に読み合わせていた.
互いの性をも,読み合わせていた.

「理由なんか私たちが考えることじゃないわ.肝心なのは,私のなかであなたが『どれだけ回ってくれるか』よ」
基本的に私はエロティックな女性は嫌いではなかった.行為中にそんなことを言い出すなんてと思うかもしれないが,元は,私たちは思考の鍵を探索することしか考えていないのだ.

全ては探究のなかに.
私たちのモットーだった.


155.


私は夢を見ているようだった.

昔の自分と今の自分をつなげる「なにか」を探しているのだが,それはいっこうに分からないままだった.

"私は渦に回され,沈み込み,そして果てるのか?"

そんなことを思ったりした.

ふと気付けば,私は犬を引いていた.草原のなかで一頭の犬を引いていた.
毛並みの多い,青い犬だった.

「まったくおまえは」
青い犬は私を引かせ,言った.
「まったくおまえは.導きがないと現状から脱せぬのか」
犬にしては,随分と流暢に我々の言葉を話す,と思った.

(続く)

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最終更新:2017年03月14日 19:33