内気で感情表現の苦手な私は人とのコミュニケーションが上手く出来なかった。
それでも高校生になってからは今までよりも沢山の友達に出会えた。
全ては入試の時出会った、底抜けに明るい小柄な少女のおかげ。
それでも高校生になってからは今までよりも沢山の友達に出会えた。
全ては入試の時出会った、底抜けに明るい小柄な少女のおかげ。
偽れない気持ち
人を夢の世界から現代へと呼び戻す時計の音が鳴り響いた。
手を伸ばしてその音を止める。毛布からはみ出した腕が部屋の寒さと羽毛の温かさを、布団の中にいる身体の体温と対比して教えてくれる。
こんな気温だと起き上がるのは億劫だが、学校に行く支度をするべく私は身にしみる寒さを覚悟しベッドから背中を浮かせた。
当たり前といえばそうなのだが、窓から見える景色は普段と何ら変わりない。何処からか小鳥のさえずりが聞こえて、私はいつも通りの朝を実感する。
リビングへ足を運ぶと、既に朝食が作られてテーブルの上に置かれてあった。炊き立てのご飯に香り立つお味噌汁が食欲をそそる。
「おはようみなみ」
台所からエプロンを外しながらお母さんが姿を現す。
「おはよう」
「朝ご飯にしましょう」
私は頷いて、促されるままに椅子を引いて着席した。両手を合わせてこれから私の栄養となる食物に感謝の意を告げて、朝食の時間は始まった。
箸を手に取り黙々と食べ進める。時間がないわけじゃないけど特に喋る事もないわけで、我が家の食卓は大体いつもこんな感じだ。時たま会話を交わすけど、私から話題を振る事は殆どない。
普段はそうなんだけど、今日は違った。私は食事の手を止めてお母さんの方を向く。
「お母さん、今日もしかしたら帰りが遅くなるかもしれない」
「何かあるの?」
部活動に所属していない私が放課後外で時間を使うのは珍しいと思ったのだろう、お母さんは尋ねてきた。私は昨日の夜から考えていた事を話す。
「もしゆたかが良くなってたら……気晴らしに遊びにいこうと思って……」
「まぁ、良い事ね」
お母さんは優しげな微笑みを浮かべた。
「けどあまり遅くなっちゃダメよ」
「うん、分かってる」
忠告に了解を示して、私は再び箸を持った手を動かし始めた。
豆腐を口に入れようとしたところで、私はお母さんがまだにこにこと私を見つめているのに気づく。
「……何?」
何か言いたげな表情に問いかける。
「ううん、別に」
しかしお母さんはそう答えて食事を再開した。本当に何もなくただ見ていただけなのか、私の思ったとおり言いたい事があるけどあえて言わなかったのか。
後者の可能性を疑ったが、隠す理由が見当たらないし何か考えがあっての事だろうから私はそれ以上の詮索を止める事にした。
手を伸ばしてその音を止める。毛布からはみ出した腕が部屋の寒さと羽毛の温かさを、布団の中にいる身体の体温と対比して教えてくれる。
こんな気温だと起き上がるのは億劫だが、学校に行く支度をするべく私は身にしみる寒さを覚悟しベッドから背中を浮かせた。
当たり前といえばそうなのだが、窓から見える景色は普段と何ら変わりない。何処からか小鳥のさえずりが聞こえて、私はいつも通りの朝を実感する。
リビングへ足を運ぶと、既に朝食が作られてテーブルの上に置かれてあった。炊き立てのご飯に香り立つお味噌汁が食欲をそそる。
「おはようみなみ」
台所からエプロンを外しながらお母さんが姿を現す。
「おはよう」
「朝ご飯にしましょう」
私は頷いて、促されるままに椅子を引いて着席した。両手を合わせてこれから私の栄養となる食物に感謝の意を告げて、朝食の時間は始まった。
箸を手に取り黙々と食べ進める。時間がないわけじゃないけど特に喋る事もないわけで、我が家の食卓は大体いつもこんな感じだ。時たま会話を交わすけど、私から話題を振る事は殆どない。
普段はそうなんだけど、今日は違った。私は食事の手を止めてお母さんの方を向く。
「お母さん、今日もしかしたら帰りが遅くなるかもしれない」
「何かあるの?」
部活動に所属していない私が放課後外で時間を使うのは珍しいと思ったのだろう、お母さんは尋ねてきた。私は昨日の夜から考えていた事を話す。
「もしゆたかが良くなってたら……気晴らしに遊びにいこうと思って……」
「まぁ、良い事ね」
お母さんは優しげな微笑みを浮かべた。
「けどあまり遅くなっちゃダメよ」
「うん、分かってる」
忠告に了解を示して、私は再び箸を持った手を動かし始めた。
豆腐を口に入れようとしたところで、私はお母さんがまだにこにこと私を見つめているのに気づく。
「……何?」
何か言いたげな表情に問いかける。
「ううん、別に」
しかしお母さんはそう答えて食事を再開した。本当に何もなくただ見ていただけなのか、私の思ったとおり言いたい事があるけどあえて言わなかったのか。
後者の可能性を疑ったが、隠す理由が見当たらないし何か考えがあっての事だろうから私はそれ以上の詮索を止める事にした。
もうすっかり通い慣れた通学路もやはりいつもと変わらず、多くの学生や社会人で賑わっていた。
寒さに身を縮こまらせひたすら歩く人、友達と楽しげに喋りながら目的地を目指す人、防寒対策完璧に自転車で風を切りかっ飛ばしている人。
真冬の冷たい風に吹かれるこの街の一角は、私の知らない多様な人々でいっぱいだった。
整えられた歩道を歩いていくと学校が見え始めた。校門では先生や委員会の人が挨拶の声を飛ばしている。
私は軽く会釈をして門を潜り抜けると、下駄箱へと向かった。こんなに寒いのに、朝早くから始業寸前まで外にいるのは偉いと思うけど、どうしても見知らぬ人には挨拶を返し辛かった。
自分の靴を下足入れに、代わりに上履きを取り出して履き替える。教室までの最短ルートを脳内に描き歩みを進めた。
最も短いと言っても、それは平日何回も往復している道程。改まった確認の必要は全くないのだけれど。
少しくすんだ箇所が見られる廊下は外と同じくらい冷え込んでいた。所々から寒いとの天候に関する不満の声を聞きながら、私は足を自分のクラスへと進める。
階段を一定の歩調で上ってまた暫く歩くと、廊下の端に位置している扉が閉まった教室に辿り着いた。
恐らく寒さの所為で窓も閉め切られていている事だろう。そんな想像をしながら教室の中に入る。
引き戸が開かれる音に幾人かの生徒が振り返ったが、特に何の反応も示さずに各々がしていた事に意識を戻していった。
普段から友好的な態度を見せないから仕方のない事だ。私は脇目も触れずに自分の机を目指す。
「あ、おはようみなみちゃん」
自分の机のフックに鞄を掛け椅子に座ると、隣の席で朝からノートにペンを走らせていた田村さんが声を掛けてきた。
「おはよう」
「いやー今日も寒いねー」
白い息を利き手に吐き掛ける田村さん。本日の気温について感想を漏らしたとおり、田村さんの頬と耳は淡い紅色に染まっていた。
「おかげで手が悴んじゃってねー、上手く絵が描けないよ」
本人は頭を掻きながらそう言っているものの、ちらりと帳面に目線を移すとそこには私の目には十分上手に映る女の子の絵があった。
「そう、なんだ……私にはとても上手に見えるけど……」
やはり素人と玄人は見方からして違うのだろう。それとも書き手の拘りという奴だろうか。
「そう思ってくれるのは有り難いけどね、自分が満足出来る絵を描かないと」
田村さんはそう言って拳を強く握った。私には分からない世界だけれど、一生懸命さはひしひしと伝わってくる。
「そう……頑張って」
「うん、ありがとねみなみちゃん」
田村さんは微笑んで作業に戻った。
「あ、田村さん……放課後時間ある?」
邪魔になっては悪いとは思ったが、私はゆたかと遊ぶ事について相談する事にした。
「うん暇だよ」
「実は今日ゆたかの気晴らしにと思って皆で遊ぼうかと思うんだけど……」
私の提案を田村さんは快く承諾してくれた。
「良いね、私もご一緒させて貰おうかな」
「うん」
後はパトリシアさんとゆたかに了解を得て―――
「それにしても珍しいね、みなみちゃんが遊びに誘うなんて」
私の思考を遮るように田村さんが言った。
「ゆーちゃん絡みだからかな?」
無邪気な笑顔を浮かべて聞いてくる。
「……うん」
私は少し考えた後肯定した。
確かに少し前までの私なら積極的に遊ぼうなんて事は言わなかっただろう。
私は心の中で、少しだけ自分を変えてくれたゆたかにお礼を言った。
寒さに身を縮こまらせひたすら歩く人、友達と楽しげに喋りながら目的地を目指す人、防寒対策完璧に自転車で風を切りかっ飛ばしている人。
真冬の冷たい風に吹かれるこの街の一角は、私の知らない多様な人々でいっぱいだった。
整えられた歩道を歩いていくと学校が見え始めた。校門では先生や委員会の人が挨拶の声を飛ばしている。
私は軽く会釈をして門を潜り抜けると、下駄箱へと向かった。こんなに寒いのに、朝早くから始業寸前まで外にいるのは偉いと思うけど、どうしても見知らぬ人には挨拶を返し辛かった。
自分の靴を下足入れに、代わりに上履きを取り出して履き替える。教室までの最短ルートを脳内に描き歩みを進めた。
最も短いと言っても、それは平日何回も往復している道程。改まった確認の必要は全くないのだけれど。
少しくすんだ箇所が見られる廊下は外と同じくらい冷え込んでいた。所々から寒いとの天候に関する不満の声を聞きながら、私は足を自分のクラスへと進める。
階段を一定の歩調で上ってまた暫く歩くと、廊下の端に位置している扉が閉まった教室に辿り着いた。
恐らく寒さの所為で窓も閉め切られていている事だろう。そんな想像をしながら教室の中に入る。
引き戸が開かれる音に幾人かの生徒が振り返ったが、特に何の反応も示さずに各々がしていた事に意識を戻していった。
普段から友好的な態度を見せないから仕方のない事だ。私は脇目も触れずに自分の机を目指す。
「あ、おはようみなみちゃん」
自分の机のフックに鞄を掛け椅子に座ると、隣の席で朝からノートにペンを走らせていた田村さんが声を掛けてきた。
「おはよう」
「いやー今日も寒いねー」
白い息を利き手に吐き掛ける田村さん。本日の気温について感想を漏らしたとおり、田村さんの頬と耳は淡い紅色に染まっていた。
「おかげで手が悴んじゃってねー、上手く絵が描けないよ」
本人は頭を掻きながらそう言っているものの、ちらりと帳面に目線を移すとそこには私の目には十分上手に映る女の子の絵があった。
「そう、なんだ……私にはとても上手に見えるけど……」
やはり素人と玄人は見方からして違うのだろう。それとも書き手の拘りという奴だろうか。
「そう思ってくれるのは有り難いけどね、自分が満足出来る絵を描かないと」
田村さんはそう言って拳を強く握った。私には分からない世界だけれど、一生懸命さはひしひしと伝わってくる。
「そう……頑張って」
「うん、ありがとねみなみちゃん」
田村さんは微笑んで作業に戻った。
「あ、田村さん……放課後時間ある?」
邪魔になっては悪いとは思ったが、私はゆたかと遊ぶ事について相談する事にした。
「うん暇だよ」
「実は今日ゆたかの気晴らしにと思って皆で遊ぼうかと思うんだけど……」
私の提案を田村さんは快く承諾してくれた。
「良いね、私もご一緒させて貰おうかな」
「うん」
後はパトリシアさんとゆたかに了解を得て―――
「それにしても珍しいね、みなみちゃんが遊びに誘うなんて」
私の思考を遮るように田村さんが言った。
「ゆーちゃん絡みだからかな?」
無邪気な笑顔を浮かべて聞いてくる。
「……うん」
私は少し考えた後肯定した。
確かに少し前までの私なら積極的に遊ぼうなんて事は言わなかっただろう。
私は心の中で、少しだけ自分を変えてくれたゆたかにお礼を言った。
「え?今日皆で遊びに?」
私の提案を聞いたゆたかがポカンと口を開けた。私はこくりと首を縦に振る。
「勿論良いよ!」
途端に向日葵のような笑顔になって答えるゆたか。その表情を見て、私はゆたかが元気な事を知って安堵した。
ゆたかは自分の健康状態を熟知しているからか、無理をするような事はあまりなかった。気分が少しでも優れなくなったらすぐに私に言ってくれる。
そのおかげで私はゆたかの様態が悪化する前に保健室まで連れて行く事が出来る。
それは自分の気持ちを伝えるのが不得意な、私が唯一確実にゆたかを助けてあげられる事。
私がゆたかにしてあげられる事はそう多くない。
だから、私はこれからもゆたかの為に保健委員の仕事をし続けよう。
ゆたかの親友として。
「みなみちゃん?」
ゆたかの私の名を呼ぶ声が、私を現実へと引き戻す。はっと気づいたらゆたかの顔が私の目の前に迫っていた。
長い睫毛に大きな瞳、白桃のような肌に少し濡れた唇。
私とは違って、可愛いという言葉がとても似合うその容姿に一瞬、頬が紅潮する感覚を覚えた。
「どうかしたの?」
「な、何でもない」
小首を傾げるゆたかを見ていると更に顔が熱くなってしまいそうだった。私は慌てて誤魔化してゆたかから目を背ける。
普段は非常に落ち着いている心臓の鼓動の音が、ゆたかに見つめられただけで煩いくらい高鳴っている。
こんな感覚、初めてだった。
何なんだろうこの感じは―――
「グッドモーニングミナミ」
胸に手を当てて考えていると、背後から陽気な声がした。
「お、おはよう」
声の主パトリシアさんは私の様子が少しおかしい事に気づいたのか、ちょっぴり眉を八の字にした。
「どうしマシタ?顔が真っ赤デスヨ?」
「な……何でも、ない……」
明らかに何でもない事ない態度で偽る。パトリシアさんはまだ腑に落ちないといった感じで私を見たが、深く追求するのは良くないと思ったのかそれ以上は何も言ってこなかった。
「あ、パティちゃんおはよう」
「ユタカ、グッドモーニング」
そこへゆたかが現れて、パトリシアさんと朝の挨拶を爽やかに交わした。
「パティちゃん、今日の放課後の事なんだけどね……」
説明不能、って程ではないけど、何故か頭がいっぱいいっぱいの私に代わってゆたかがパトリシアさんを誘ってくれた。
「モチロンワタシもトゥギャザーしマス!ミンナで楽しくショッピングしまショウ!」
いつにも増して明るくなったパトリシアさんに、ゆたかがにこりと笑う。
もしかしたらバイトがあるかもしれないと危惧していたが、どうやら無駄な心配に終わったようだ。
けれどまだ本人の口から今日は休みだっていう情報を聞いていない。
「大丈夫デスヨ。今日はシフト入ってマセンカラ」
念には念を入れて確認すると、パトリシアさんはそう答えた。
「なら安心だねっ」
それを聞いたゆたかが本当に気掛かりがなさそうな笑顔で呟く。
その表情に私は心が反応するのを、確かに感じた。
そして、それを無意識の内に隠しておこうとする事も。
私の提案を聞いたゆたかがポカンと口を開けた。私はこくりと首を縦に振る。
「勿論良いよ!」
途端に向日葵のような笑顔になって答えるゆたか。その表情を見て、私はゆたかが元気な事を知って安堵した。
ゆたかは自分の健康状態を熟知しているからか、無理をするような事はあまりなかった。気分が少しでも優れなくなったらすぐに私に言ってくれる。
そのおかげで私はゆたかの様態が悪化する前に保健室まで連れて行く事が出来る。
それは自分の気持ちを伝えるのが不得意な、私が唯一確実にゆたかを助けてあげられる事。
私がゆたかにしてあげられる事はそう多くない。
だから、私はこれからもゆたかの為に保健委員の仕事をし続けよう。
ゆたかの親友として。
「みなみちゃん?」
ゆたかの私の名を呼ぶ声が、私を現実へと引き戻す。はっと気づいたらゆたかの顔が私の目の前に迫っていた。
長い睫毛に大きな瞳、白桃のような肌に少し濡れた唇。
私とは違って、可愛いという言葉がとても似合うその容姿に一瞬、頬が紅潮する感覚を覚えた。
「どうかしたの?」
「な、何でもない」
小首を傾げるゆたかを見ていると更に顔が熱くなってしまいそうだった。私は慌てて誤魔化してゆたかから目を背ける。
普段は非常に落ち着いている心臓の鼓動の音が、ゆたかに見つめられただけで煩いくらい高鳴っている。
こんな感覚、初めてだった。
何なんだろうこの感じは―――
「グッドモーニングミナミ」
胸に手を当てて考えていると、背後から陽気な声がした。
「お、おはよう」
声の主パトリシアさんは私の様子が少しおかしい事に気づいたのか、ちょっぴり眉を八の字にした。
「どうしマシタ?顔が真っ赤デスヨ?」
「な……何でも、ない……」
明らかに何でもない事ない態度で偽る。パトリシアさんはまだ腑に落ちないといった感じで私を見たが、深く追求するのは良くないと思ったのかそれ以上は何も言ってこなかった。
「あ、パティちゃんおはよう」
「ユタカ、グッドモーニング」
そこへゆたかが現れて、パトリシアさんと朝の挨拶を爽やかに交わした。
「パティちゃん、今日の放課後の事なんだけどね……」
説明不能、って程ではないけど、何故か頭がいっぱいいっぱいの私に代わってゆたかがパトリシアさんを誘ってくれた。
「モチロンワタシもトゥギャザーしマス!ミンナで楽しくショッピングしまショウ!」
いつにも増して明るくなったパトリシアさんに、ゆたかがにこりと笑う。
もしかしたらバイトがあるかもしれないと危惧していたが、どうやら無駄な心配に終わったようだ。
けれどまだ本人の口から今日は休みだっていう情報を聞いていない。
「大丈夫デスヨ。今日はシフト入ってマセンカラ」
念には念を入れて確認すると、パトリシアさんはそう答えた。
「なら安心だねっ」
それを聞いたゆたかが本当に気掛かりがなさそうな笑顔で呟く。
その表情に私は心が反応するのを、確かに感じた。
そして、それを無意識の内に隠しておこうとする事も。
授業を聞いて昼食を取って、また授業を聞いて。案外時間というものはあっという間に過ぎるもので、もう最後の授業の終了を知らせるチャイムが鳴ってしまった。
持参物を鞄の中に戻し、帰り支度を整えていると、ゆたかが待ちきれないと言わんばかりの雰囲気で私の机に駆け寄ってきた。
「みなみちゃん早く早くっ」
私の制服の袖を子供みたいに引っ張るゆたか。
純粋無垢に私を急かすゆたかに、私の心はまたしても反応を示す。音にすると、ドキッといった感じだろうか。
また、頬が赤い。
「わ、分かったから、そんなに引っ張らないで……」
込み上げてきた恥ずかしさを掩蔽するように俯くと、ゆたかはゆっくりと手を離した。
その顔が少しだけ名残惜しそうに揺れた気がしたが、私は速さを増す一方の脈動に気をとられてそれどころではなかった。
私は単に恥ずかしいだけなのだろうか。自分に問い掛けてみるものの、当然答えは返ってこない。
誰かに誉められたり、感心されたりした時とは少し違う、初体験の気持ち。そこにちょっとの気恥ずかしさはあるかもしれないけど、何かが異なっている。
分からない事は山積みだけど、いつまでも皆を待たせるわけにはいかないので、止めていた手を動かし始める。勉強道具を詰め込んで、鞄の口を閉め手に持つ。
「お待たせ……行こうか」
近くで待っていたゆたかに声を掛ける。
「うんっ」
ゆたかは笑顔を取り戻して、歩き出した。
「二人とも行くよー」
教室の出口で田村さんが私達を呼んでいる。隣にいるパトリシアさんも合わせて待たせてしまったようだ。私は少し急ぎ足に教室の出口に向かった。
「さて、どうしようか」
田村さんが丁度下駄箱に着いた頃に言い出した。どうするとはこの後の予定の事だろう。
「ゆたかは……何処が良い?」
私は自分の靴を出しながらゆたかの方を向いた。ついでにゆたかの靴も取って渡してあげる。
「私が決めて良いの?」
ゆたかは小さな手で受け取りながら聞き返してきた。
私は他の二人を見回す。その感じからして異論はないようだ。
私は再びゆたかに向き直る。
「うん……」
爪先を地に着けたり浮かしたりして靴を履いていたゆたかは、私の声を聞いて手を口元に宛がった。
「特に行きたい場所はないけど……商店街をぶらぶらしたいかな」
「ソレでいきマショウ」
ゆたかの提案にパトリシアさんが賛成した。私も田村さんも異議は唱えない。
他に行く宛もなかったし、何よりゆたかの意見を尊重したかった。
ゆたかの為に私が出来る細やかな事なのだから。
「じゃあ行こっか!」
そう言うとゆたかは極自然に、私の手を握って走り出した。
ふわりと、ゆたかの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
田村さんやパトリシアさん、それに他の下校途中の生徒達も私達を見ている。それでもゆたかは形振り構わなかった。
死ぬほど恥ずかしかったけど、離してとは言えなかった。
ゆたかの手が、冷え込む空の下の私には温か過ぎたから。
二人とも置いて来てないかな……大してスピード出してないからすぐに追いつけるだろうけど。
「ちょっと~!ゆーちゃんいつからそんな大胆にっ!?」
「ビバ無邪気責めデスネ!やはりジャパンの発想はエクセレント!」
後ろから私達を追いかけているであろう二人の声がする。良く聞き取れなかったが、恐らくは私達を呼んでいるのだろう。
後方を確認しようとしたが、私はゆたかの背中から目が離せなかった。
持参物を鞄の中に戻し、帰り支度を整えていると、ゆたかが待ちきれないと言わんばかりの雰囲気で私の机に駆け寄ってきた。
「みなみちゃん早く早くっ」
私の制服の袖を子供みたいに引っ張るゆたか。
純粋無垢に私を急かすゆたかに、私の心はまたしても反応を示す。音にすると、ドキッといった感じだろうか。
また、頬が赤い。
「わ、分かったから、そんなに引っ張らないで……」
込み上げてきた恥ずかしさを掩蔽するように俯くと、ゆたかはゆっくりと手を離した。
その顔が少しだけ名残惜しそうに揺れた気がしたが、私は速さを増す一方の脈動に気をとられてそれどころではなかった。
私は単に恥ずかしいだけなのだろうか。自分に問い掛けてみるものの、当然答えは返ってこない。
誰かに誉められたり、感心されたりした時とは少し違う、初体験の気持ち。そこにちょっとの気恥ずかしさはあるかもしれないけど、何かが異なっている。
分からない事は山積みだけど、いつまでも皆を待たせるわけにはいかないので、止めていた手を動かし始める。勉強道具を詰め込んで、鞄の口を閉め手に持つ。
「お待たせ……行こうか」
近くで待っていたゆたかに声を掛ける。
「うんっ」
ゆたかは笑顔を取り戻して、歩き出した。
「二人とも行くよー」
教室の出口で田村さんが私達を呼んでいる。隣にいるパトリシアさんも合わせて待たせてしまったようだ。私は少し急ぎ足に教室の出口に向かった。
「さて、どうしようか」
田村さんが丁度下駄箱に着いた頃に言い出した。どうするとはこの後の予定の事だろう。
「ゆたかは……何処が良い?」
私は自分の靴を出しながらゆたかの方を向いた。ついでにゆたかの靴も取って渡してあげる。
「私が決めて良いの?」
ゆたかは小さな手で受け取りながら聞き返してきた。
私は他の二人を見回す。その感じからして異論はないようだ。
私は再びゆたかに向き直る。
「うん……」
爪先を地に着けたり浮かしたりして靴を履いていたゆたかは、私の声を聞いて手を口元に宛がった。
「特に行きたい場所はないけど……商店街をぶらぶらしたいかな」
「ソレでいきマショウ」
ゆたかの提案にパトリシアさんが賛成した。私も田村さんも異議は唱えない。
他に行く宛もなかったし、何よりゆたかの意見を尊重したかった。
ゆたかの為に私が出来る細やかな事なのだから。
「じゃあ行こっか!」
そう言うとゆたかは極自然に、私の手を握って走り出した。
ふわりと、ゆたかの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
田村さんやパトリシアさん、それに他の下校途中の生徒達も私達を見ている。それでもゆたかは形振り構わなかった。
死ぬほど恥ずかしかったけど、離してとは言えなかった。
ゆたかの手が、冷え込む空の下の私には温か過ぎたから。
二人とも置いて来てないかな……大してスピード出してないからすぐに追いつけるだろうけど。
「ちょっと~!ゆーちゃんいつからそんな大胆にっ!?」
「ビバ無邪気責めデスネ!やはりジャパンの発想はエクセレント!」
後ろから私達を追いかけているであろう二人の声がする。良く聞き取れなかったが、恐らくは私達を呼んでいるのだろう。
後方を確認しようとしたが、私はゆたかの背中から目が離せなかった。
「う~、寒い~」
太陽が役目を終え、暗闇を纏い始める空の下は急速な冷え込みを見せていた。吹きつける夕風は神経を麻痺させるかのように身体を冷やす。
「大丈夫……?」
凍えるゆたかの方を向いて心配する。病み上がりなのに、長い時間外を連れ回すのはまずかったかもしれないと今頃悔やんでしまう。
「うん、大丈夫」
そう言うゆたかだったけど、私はまだ合点が行かなかった。
どうしてかゆたかが無理をしているように見える。本人が平気だと言っているのだからその通りなのだろうけれど、無性に気掛かりな自分がいた。
いつもの私なら素直にゆたかの言葉を信じる事が出来ただろうに、一体どうしてしまったのだろうか。
「寒くなったら、言って……」
一人悩んでいても仕方がないから、私は考えるのを止めてゆたかにそう伝えた。
「うん」
そう答えるゆたかの姿も、何処か元気がなさそうだった。
微妙な態度の変化ををおかしく思ったが、それは私にもまた言える事であった。
今までなら、健康な事を示すゆたかをここまで憂える事はなかったはずだ。
私は何故ここまでゆたかに構いたがるのだろうか。
友達だから?本気で心配だから?ゆたかの元気な姿がみたいから?
どれも今の心情を表す理由としては不適切で、私は良く分からないといった結論に至る他なかった。
正体を知りたいがしかし、それは言葉では表し難いもの。考えれば考えるほど、底のない沼にのめり込んでしまうようだった。
何なんだろうこの気持ち―――
「じゃあさ、何か温かいものでも買ってく?」
そう申し出る田村さんの指差す先には、電灯が目映いコンビニが立地していた。自分の事もあるだろうけど、寒さで震えるゆたかを気遣っての事だろう。
「イイデスネ」
「じゃあそうしようかな」
当然反対の声を上げる者はおらず、私達は髪を靡かせながら自動ドアを潜った。
店員の型に嵌った歓迎の言葉を受け、店内に入ると暖房が効いている屋内が天国のように思えた。少しでも長居したいと思ったけど、そうもいかないから私はさっさと物色を始める。
弁当類が置いてある場所に近くに位置する、ホットドリンクが並べられている棚に目線の先を移す。多種多様の温められた飲料は、さながら寒空に覆われた外界の希望だ。
そんな事すら思えるほどの飲み物の群れを羨望の眼差しで吟味する。どれにも個々の魅力があり、つい選ぶのに時間を掛けてしまう。
暫しの間脳内で討論を繰り広げた結果、私はココアの缶を手に取った。冷たい以外の感覚を忘れていた手が温もりを取り戻す。
会計を済ませるべくレジへ移動すると、ゆたかが困った様子でコートのポケットや手荷物の中を探っていた。その少し焦った感じに店員は訝しげな表情を見せている。
その手にビニールの袋が握られている事から、いざお金を払う段階になって財布が見つからない、といったところだろうか。
「会計を……一緒にお願いします」
「!みなみちゃん」
私が割って入って商品を差し出すと、店員はほっとしたようにレジを打ち直した。
私は提示された金額を支払って購入した物品を受け取る。
「はい、これはゆたかの」
私は微笑んで一方のレジ袋をゆたかに手渡した。
「あ、ありがとう……」
ゆたかは居た堪れなくなったのか、顔を朱に染め逃げるようにコンビニを後にした。
太陽が役目を終え、暗闇を纏い始める空の下は急速な冷え込みを見せていた。吹きつける夕風は神経を麻痺させるかのように身体を冷やす。
「大丈夫……?」
凍えるゆたかの方を向いて心配する。病み上がりなのに、長い時間外を連れ回すのはまずかったかもしれないと今頃悔やんでしまう。
「うん、大丈夫」
そう言うゆたかだったけど、私はまだ合点が行かなかった。
どうしてかゆたかが無理をしているように見える。本人が平気だと言っているのだからその通りなのだろうけれど、無性に気掛かりな自分がいた。
いつもの私なら素直にゆたかの言葉を信じる事が出来ただろうに、一体どうしてしまったのだろうか。
「寒くなったら、言って……」
一人悩んでいても仕方がないから、私は考えるのを止めてゆたかにそう伝えた。
「うん」
そう答えるゆたかの姿も、何処か元気がなさそうだった。
微妙な態度の変化ををおかしく思ったが、それは私にもまた言える事であった。
今までなら、健康な事を示すゆたかをここまで憂える事はなかったはずだ。
私は何故ここまでゆたかに構いたがるのだろうか。
友達だから?本気で心配だから?ゆたかの元気な姿がみたいから?
どれも今の心情を表す理由としては不適切で、私は良く分からないといった結論に至る他なかった。
正体を知りたいがしかし、それは言葉では表し難いもの。考えれば考えるほど、底のない沼にのめり込んでしまうようだった。
何なんだろうこの気持ち―――
「じゃあさ、何か温かいものでも買ってく?」
そう申し出る田村さんの指差す先には、電灯が目映いコンビニが立地していた。自分の事もあるだろうけど、寒さで震えるゆたかを気遣っての事だろう。
「イイデスネ」
「じゃあそうしようかな」
当然反対の声を上げる者はおらず、私達は髪を靡かせながら自動ドアを潜った。
店員の型に嵌った歓迎の言葉を受け、店内に入ると暖房が効いている屋内が天国のように思えた。少しでも長居したいと思ったけど、そうもいかないから私はさっさと物色を始める。
弁当類が置いてある場所に近くに位置する、ホットドリンクが並べられている棚に目線の先を移す。多種多様の温められた飲料は、さながら寒空に覆われた外界の希望だ。
そんな事すら思えるほどの飲み物の群れを羨望の眼差しで吟味する。どれにも個々の魅力があり、つい選ぶのに時間を掛けてしまう。
暫しの間脳内で討論を繰り広げた結果、私はココアの缶を手に取った。冷たい以外の感覚を忘れていた手が温もりを取り戻す。
会計を済ませるべくレジへ移動すると、ゆたかが困った様子でコートのポケットや手荷物の中を探っていた。その少し焦った感じに店員は訝しげな表情を見せている。
その手にビニールの袋が握られている事から、いざお金を払う段階になって財布が見つからない、といったところだろうか。
「会計を……一緒にお願いします」
「!みなみちゃん」
私が割って入って商品を差し出すと、店員はほっとしたようにレジを打ち直した。
私は提示された金額を支払って購入した物品を受け取る。
「はい、これはゆたかの」
私は微笑んで一方のレジ袋をゆたかに手渡した。
「あ、ありがとう……」
ゆたかは居た堪れなくなったのか、顔を朱に染め逃げるようにコンビニを後にした。
私はゆたかの後を追うように扉を通り抜ける。
ゆたかは夕闇が広がりを見せる、ほの暗い空を見上げていた。
寒気に赤みをつけられる頬、薄暗がりに映える白く輝く息、風に舞うツインテールとそれを縛る黒のリボン。
その姿はまるで、儚く揺れる崖の縁の心弱い一輪の花のよう。
私の視線に気づいたのか、ゆたかが私の方に目線を移した。
「ごめんねみなみちゃん」
ゆたかの口から吐息と共に謝罪の言葉が漏れた。
「いっつも迷惑掛けてばっかりで……」
心の底から申し訳なく思っている―――ゆたかは瞳を潤ませながら俯いて、私にそんなイメージを植え付けた。
どうやらゆたかは先程の件だけでなく、普段から頻繁に具合を悪くし、その都度私が保健室まで連れて行く事が私にとって迷惑だと思い込んでいるらしい。
そんなわけは決してないのに。
「そんな事ない」
自分が出した声じゃないと思ってしまうぐらい流れるように口から言葉が発せられる。その所為かゆたかも少しだけ驚き顔を上げた。
「全然迷惑なんかじゃない」
目を逸らす事なく、続ける。
「私がしたくてしているんだから」
風が吹き抜けた。
それは沈黙を運んできたかのようで、二人は時を止められたかのようにお互いを見つめ合っていた。
会話は全くないのに、苦痛な一時ではなかった。
「……ありがと」
黙する空間を最初に破ったのは、静かに微笑んだゆたか。それにつられて私も自然と笑みが零れる。
「田村さんとパティちゃんは?」
「まだ……買い物をしてる」
ゆたかの問い掛けに、私は明るみでその便利な存在を誇示するコンビニに向き直って答えた。
「そっか。冷めると美味しくなくなるし、もう食べちゃおうかな」
そう呟きながら、手に持った袋に手を入れるゆたか。中身を捜し求める手とビニールが擦れる音が響く。
「何買ったの?」
「肉まんだよ」
私が聞くとゆたかは証明しようとせんばかりに、湯気を上方に放つ肉饅頭を見せた。お腹がそれを欲して空腹を音で知らせるけど、我慢する。
膨らんだ小麦粉の皮、漂ってくる美味しそうな香り。視覚と嗅覚の両面から攻められるものの、全ては小腹が空く事を見越して食べ物を購入しなかった私が悪い。
そんな私を気にせずゆたかは肉まんに齧りついた。
「みなみちゃんが買ってくれた肉まん、美味しいよっ」
満面の笑みで感想を述べるゆたか。
その屈託のない笑顔を見て、やっと私は求めていた理由を自覚した。
私がゆたかの為に保健委員に就任したのは、友達だからでも心配だからでもない。
子供のようなあどけないゆたかの笑顔が―――
ゆたかの事が、好きだから。
「みなみちゃん。どうかした?」
もうこの気持ちに嘘をつく事など出来そうにもなかった。
しかし私達は女同士。
本当はずっと前からゆたかに恋愛感情を抱いていたのに、数々のわたし」に纏いつく要因が恋に変わりそうだった気持ちを封印していた。
ゆたかを困らせたくないなら隠しておかなければいけないと。
認めてはいけないと。
「何でもない……」
激しさを増す心臓が全身に血液を送る音が私に近づくゆたかに聞こえないように、ゆたかにこの気持ちを悟られないように、私はぶっきらぼうに背中を向けた。
込み上げる欲求を紛らわせようと、私は缶のプルタブを引いて口内に液体を流し込む。
味は全く分からなかった。
ゆたかは夕闇が広がりを見せる、ほの暗い空を見上げていた。
寒気に赤みをつけられる頬、薄暗がりに映える白く輝く息、風に舞うツインテールとそれを縛る黒のリボン。
その姿はまるで、儚く揺れる崖の縁の心弱い一輪の花のよう。
私の視線に気づいたのか、ゆたかが私の方に目線を移した。
「ごめんねみなみちゃん」
ゆたかの口から吐息と共に謝罪の言葉が漏れた。
「いっつも迷惑掛けてばっかりで……」
心の底から申し訳なく思っている―――ゆたかは瞳を潤ませながら俯いて、私にそんなイメージを植え付けた。
どうやらゆたかは先程の件だけでなく、普段から頻繁に具合を悪くし、その都度私が保健室まで連れて行く事が私にとって迷惑だと思い込んでいるらしい。
そんなわけは決してないのに。
「そんな事ない」
自分が出した声じゃないと思ってしまうぐらい流れるように口から言葉が発せられる。その所為かゆたかも少しだけ驚き顔を上げた。
「全然迷惑なんかじゃない」
目を逸らす事なく、続ける。
「私がしたくてしているんだから」
風が吹き抜けた。
それは沈黙を運んできたかのようで、二人は時を止められたかのようにお互いを見つめ合っていた。
会話は全くないのに、苦痛な一時ではなかった。
「……ありがと」
黙する空間を最初に破ったのは、静かに微笑んだゆたか。それにつられて私も自然と笑みが零れる。
「田村さんとパティちゃんは?」
「まだ……買い物をしてる」
ゆたかの問い掛けに、私は明るみでその便利な存在を誇示するコンビニに向き直って答えた。
「そっか。冷めると美味しくなくなるし、もう食べちゃおうかな」
そう呟きながら、手に持った袋に手を入れるゆたか。中身を捜し求める手とビニールが擦れる音が響く。
「何買ったの?」
「肉まんだよ」
私が聞くとゆたかは証明しようとせんばかりに、湯気を上方に放つ肉饅頭を見せた。お腹がそれを欲して空腹を音で知らせるけど、我慢する。
膨らんだ小麦粉の皮、漂ってくる美味しそうな香り。視覚と嗅覚の両面から攻められるものの、全ては小腹が空く事を見越して食べ物を購入しなかった私が悪い。
そんな私を気にせずゆたかは肉まんに齧りついた。
「みなみちゃんが買ってくれた肉まん、美味しいよっ」
満面の笑みで感想を述べるゆたか。
その屈託のない笑顔を見て、やっと私は求めていた理由を自覚した。
私がゆたかの為に保健委員に就任したのは、友達だからでも心配だからでもない。
子供のようなあどけないゆたかの笑顔が―――
ゆたかの事が、好きだから。
「みなみちゃん。どうかした?」
もうこの気持ちに嘘をつく事など出来そうにもなかった。
しかし私達は女同士。
本当はずっと前からゆたかに恋愛感情を抱いていたのに、数々のわたし」に纏いつく要因が恋に変わりそうだった気持ちを封印していた。
ゆたかを困らせたくないなら隠しておかなければいけないと。
認めてはいけないと。
「何でもない……」
激しさを増す心臓が全身に血液を送る音が私に近づくゆたかに聞こえないように、ゆたかにこの気持ちを悟られないように、私はぶっきらぼうに背中を向けた。
込み上げる欲求を紛らわせようと、私は缶のプルタブを引いて口内に液体を流し込む。
味は全く分からなかった。
優しすぎて痛いに続く
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- 肉まん半分あげないんですね。
ゆたかなら、みなみと半分こ
しそうな気が… -- チャムチロ (2012-10-22 12:33:02)