どうにも、雨足はとどまるところを知らない。さっきまで青い空にうるさいほど輝きを放っていた太陽も、今となってはすっぽりと雲に覆われてしまい、世界は不気味なまでに静寂に包まれている。
―――こんなことなら、もう少し速度を出すべきだった。
私は雨さらしになっている愛用のバイクを尻目にひとつため息を漏らす。こんなときに限って律儀に制限速度を守ってしまった。おかげで、目的地まであと一歩というところで立ち往生を食らってしまう。しかも雨宿りにありつけた場所は鉄と錆の臭いがかすかに漂う廃屋の倉庫、そこに申し訳程度に突き出た屋根の下…今日は運が悪いのかも知れない。
せめて、せめてもう少し雨が弱くなってくれれば…
幸い、カフェまでそう距離はない。濡れることを覚悟で走れば、特に問題なく暖かい飲み物にありつけるだろう。
だが―――――
「すごい雨ですねー…」
私の隣にいる少女が、ぽつりと呟く。間近に見える白い肌は、このくすんだ色の空気の中でもはっきりと眩しい光を放っているようだ。
「ん、ああ…まぁ」
私は曖昧に返答する。それは多分、この天気が私に思いがけない時間を持ってきたからだと思う。
私は、ただ黙って何も変わらない、なにもないアスファルトを眺めていた。
ただ黙って。
―――ただ黙って。
春花は、きれいだ。
ユイ春小説①
~雨~
――――で、こういう時は何を話せばいいんだ…
私は正直、あまり口が達者ではない。いやむしろ、どちらかといえば言葉は苦手なほうだと思う。別に恥ずかしいとか、そういうわけではない。ただ単純に、昔から世間とは隔離された世界にいたから。ただそれだけだ。
ちら、と春花の方に視線を傾けると、春花も話すことに困っているようで、さっきから体がそわそわと落ち着かない。
いつもにこやかに夏月達と話している、普段の春花からは想像もつかない。罠だとさえ思えてしまう。しかし、滴る雫のように純な瞳がそれを否定していた。
―――仕方がない、ここは私が話題を持ちかけるしかないか…
と思っては見たものの、特にこれと言った話題など見つかるはずもない。世情に疎い私にとっては、尚更のことだった。
(「最近どーだ」、とか…いや、どーだとか言われてもな…返されたら返答しようがないし・・・て、そもそも返答されない前提で考えたら意味ないじゃないか・・・。)
勝手に一人で盛り上がっている私。世間から見れば、きっとただの馬鹿といわれるに違いない。
微妙な温度差をはらんだまま流れていく空気。まだお互い一言しか喋っていない。ああもうしょうがない、思い切って言ってみよう…その後の事は、後で考えればいい。私は首を春花に向けて息を吸い込んだ。…のだが。
「? どうかしました…?」
「いっ、いや別に!…」
ただでさえ暗い中に、これだけ眩しく、華々しい存在感を放っていたなんて、不意打ちだった。春花に見とれた瞬間、私の言葉は萎れた花のようにしぼんでしまった。
前言撤回。恥ずかしいです、死にたいくらい。
結局自分から話しかけることもできず、雨足はさらに勢いを増すばかり。この様子ではまだ当分の間はここにいなくてはならなくなりそうだ…そうなると、尚更話題が必要になってくる。が、それとは裏腹にコンクリートを叩く水の音が、私の頭の中の言葉を次々かき消していく。
ああ誰か―――何でもいい、何でもいいから、何かこの状況を変えてほしい。
しかし、私の切なる願いは意外な形で叶えられる。
―――後々に、酷く後悔するということも知らず。
「そうだ、今度…二人でどこか行きませんか?」
ふと、春花が口を開く。…これは、世間一般にいう、『デート』では?
そう思うと、自然と頬が紅潮してしまう。きっと、鏡を見れば私は熟れた林檎みたいな顔をしていることだろう。
「そ、それは…」
いつもそうだ。いざという時に、言葉が喉につかえて飛び出してこない。いや、下手するといつもかも。
「ほら、今まで二人きりでどこかに行ったことって、なかったじゃないですか。ですから、たまにはと思いまして♪」
確かに、今まで長い間春花と付き合ってきたが、一日中二人きりでいたことはなかった。進展しない関係に満足していなかったわけではない。その先に進むことに怖気づいていたのだろうか。いずれにせよ、たった今、春花に言われるまで、考えもしないことだった。
…素直に信じすぎて酷い目に遭う可能性もないこともないが、それでも。
―――ひょっとしたら、これは不意に訪れた絶好の機会かもしれない。
「ああ、いいかもしれない」
もう少しマシな言い方をすればよかっただろうか、と言葉を発してから少し後悔したが、そんな陰の念は春花の太陽よりも眩しい微笑みで全て吹き飛んだ。この、ジメジメとした纏わり着く空気もろとも。
「で、では日曜日!次の日曜日、必ずお願いしますね!」
「…わかった、必ずな」
気がつけば漆をはらんだ雲からは暖かな黄色い光が漏れていた。
ところどころに水玉模様を描くアスファルトの上を、二人を乗せたバイクが軽快に走り抜けていく。
それは透き通った春風のように。
それは青空を彩る花のように。
―――そしてこれからも走り抜けよう…結い紡がれた運命という名の道が、途切れてしまわぬように。
「日曜日、晴れるといいな」
「そうですね」
顔を見合わせる二人。自然とこぼれる笑顔。
水玉は、太陽の光を受けてきらきらと輝く。白い純な百合のように。そんな輝くアスファルトの道を―――白い風が、走り抜けて。
午後。あれだけ分厚かった雲は既に影もなく、空は青の絵の具が染み出したような、そして輝く太陽のうるさい快晴になっていた。
最終更新:2007年08月22日 14:41