紅眼のROKI


発生と初期


2002年、夏 Colony of GundamWarに突如現れたGWプレイヤー 当人は当初14歳(中学2年生)
その後、G補くされ堂 等様々なGWサイトに顔を出す。

その厚顔無恥とも言える態度と自分が絶対的に正しいと思わせる口ぶりから一瞬にして"隔離住人"にウォッチ対象とされる。
さらに住人によるちょっかい掛けにより、IP掲示の掲示板にて当人の"自作自演"が判明する。 これが"自演王"の始まりである。
その後"自作自演"はエスカレートし、他者に自分を過大評価させることばかり考えているかのような行動で迷惑を振りまいた。

しかし、これだけでは隔離住人が盛り上がるだけである。
彼をここまで盛上げさせた事件は、そう"隔離スレへの本人降臨"である。 基本匿名である2ch隔離に大々的にHNを語っての降臨である。
当初は釣りでは無いか?と思われたが"sage"も行わず降臨しIPから出身である三重が割り出された為、一気に濃厚となる。
典型的な厨二もとい本当に中2である彼が引き下がる訳もなく、隔離では祭りが発生した。

その勢いは3日で1スレッドが埋まるほどであり現状の隔離の進行から見ればありえない速度であった。

何の実績も無く、大きな口だけを叩く、典型的な「口だけで実力は無い」という文字が似合うと言われる中
再び隔離が湧いたのは彼が初出場の2005名古屋CS予選を見事に突破した時であった。

「井の中の蛙"大会"を知らず」と言われ笑われていた中、本人は「そんな水たまりは知らない」と答えた。
本人曰く「君達の大海(大会)は僕にとっては小さな水たまりでしかなかった」と言いたかったようだ。

CS予選ぐらい……という人間がいる中、それ以上に盛り上がっていた住人はかなり多かっただろう。
さらに、続く2005名古屋CS決勝では環境に合わない"青中"を使用し決勝卓にまで上り詰める!
惜しくも決勝戦で破れ本人は4位になってしまうが、その予想以上の奮闘ぶりに隔離住人は大きな感動を得た。

同時にGT決勝権利(当時は5位まで)を得るが、当時は行動力も無かったようでその決勝権利を放棄している。

その頃すでに「OmegaHearts」というGWサイトを運営しており、大手ほどではないがそこそこの活気があった。
GWサイト乱立とも言える時期で多くのサイトが立ち並んだのもそのころである。(今ではほとんど残っていない)



中期


CS決勝の奮闘で見直されたように思われたが、ここで彼は天狗になり色々と騒ぐ。
「最初ぐらいは……良いんじゃない?」と思う大人もいればそう思わない子供もいる訳で隔離のウォッチは続く

さらに自身が適当に組んでいたデッキがたまたま広島優勝のトップデッキと同じ"デッキ"であった事がある。
(実際はデッキ名的なものが同じだけであってデッキ内容は天と地ほど掛離れたものであり"ソレ"と言える事は無い)
これが有名な"カンクスパイオニア発言"である。

確かに13弾当初にブログ当で紫を交えたΞガンダムデッキを作っていた。
当時「赤単に紫Gを入れるなんてありえない」という認識もあったのか、本人はそう言われたと語る。
しかし、現物は「モルゲンレーテ」と「エスコート」のギミックも無ければ「加速する狂気」も搭載されていない。
簡単に言えば、カウンターと「Ξガンダム」が入っているだけのデッキであり、どちらかというと「マフティー・ナビーユ・エリン」を使うファンデッキであった。

似非パイオニアである。

その後、CS予選に参加するが全く入賞もせずビギナーズラックがあっただけの結局「口だけ」としてキャラクターが固定される。



後々、隔離住人も実力的な意味では期待しなくなり。
本人も自身のサイトを作ったり消したりする事で「構ってちゃん」な行動をとったりと無駄な時期が続く

CS参加のデッキは青ペーストものもが多い。

2005年CS予選 青中
2005年CS決勝 青中
2006年CS予選 青中
2007年CS予選 青緑中速

2005年以降、3年間全く目新しい戦果を見せる事無く……
"紅眼のROKI"名義のブログ及びサイトは全てネット上から消え去った。

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最終更新:2009年09月28日 19:22