提督×大鳳・祥鳳 ニ章1-824避

824 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:32:31 ID:WPQREMKw
二章


 暦の上では秋にもなれど、赤トンボが飛ぶわけでもなく椛が色付くわけでもなく、早秋とは名ばかりに、海面は未だぎらつく太陽に
焦がされ続けていた。滲む汗は珠となり、いつかはつぅと滑り落ちる。それが上着の肩口に吸着すると、接着剤のように皮膚と肌とを
張り付け始める。不快な感触に、だがもうすぐそれも終わると胸の中で唱えれば、幾らか気分はましになるのだった。
 北方海域への遠征任務。航空機輸送の報酬として鋼材とボーキサイトを受領するその作戦は、丁度往路の半分にまで差し掛かったと
ころである。祥鳳を旗艦とする軽空母三隻(此れを特務臨時編成航空戦隊)護衛の駆逐艦三隻(此れを特務護衛駆逐隊)それらを纏め
て『第三特務臨時編成艦隊』は、茹った海に波紋を刻みながら粛々とと航行していた。
 睦月型三隻を率いるように鳳翔が先導し、後方警戒には龍驤、祥鳳がついていた。空に木霊する駆逐艦の姦しい声は、鳳翔によって
やんわりと包み込まれていた。それは窘めているのではなく、ただその煩い会話がきちんと管理されているという風である。彼女の持
つ天性の母性が駆逐艦達の喧しい声を、それでも煩過ぎることにはしていなかったのだった。
 残された年長組二人は、実に気楽なものである。和気藹々とした朗らかな雰囲気に、だが片一方祥鳳だけは取りこぼされたかのよう
に物憂げだった。
 龍驤との会話に返事はする。その話の内容もきちんと理解はしている。別段心ここにあらずといったことではなく、ただわだかまる
憂鬱が気を萎えさせていた。
 看破されることはないだろうと高を括っていた。今の自身を客観視する分には、どこにも異常はないはずだと思われた。そう思った
矢先にしかし、突飛に放たれた龍驤の一言はその考え全てを否定した。

 「なんや、うち小難しい話しとるつもりないんやけど」

 会話の最中に脈絡なく、ふとしたら聞き逃してしまうような自然さ。思わず顔を向けてみれば、訝しげに眇めた眼がちくりと刺すよ
うな視線を送っていた。
 祥鳳の失敗だったのはその後何も言い返すこともできず、息を詰まらせてしまったことであった。取り繕わなかったということが、
まさしく肯定の返事そのものである。すかさずに龍驤は追撃の次手を口にする。

 「こないなしちめんどくさい遠征任務なんやからおもろい話があるなら出し惜しみせんでほしいんやけど。……提督やろか? 原因
は」

825 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:32:50 ID:WPQREMKw
 果たして図星の真ん中をつかれ、祥鳳の反応は分かり易さの極みである。「そんなんじゃない」と「ちがう」を壊れたように繰り返
し、頭の飛んでいきそうなほどかぶりを振る。けらけらと笑い続ける龍驤は、得心いった様子で先を続けた。

 「ええでええで、隠さんでも。きょうび提督は大鳳にぞっこんやからなぁ。寂しくなるのもようわかるで」

 「ほんとに違うんだから!」

 「まぁ予想の範囲ではあったけどね。キミ分かりやすいからなぁ」

 流石に、過去の関係のことまでは漏洩していないようだった。そこに安堵を覚えつつ、しかし龍驤の言葉は本質を悉く突いていた。
 即ち、提督と大鳳の様子が視界に入ると、それだけでもう面白くないのである。この遠征任務の通達、つい二時間ほど前のことであ
ったが、当然執務机に腰掛ける彼の隣には、あの秘書艦の姿があった。
 以前は自身のものであった役職に他人が収まっている様子。それを受け入れるには、未だ整理というものが終わっていなかった。自
分から去っておきながらと、何も弁明しない決意をしておきながらと。自嘲は重ね重ね、だが勝手な感情は際限なく胸の内をのた打ち
回る。惰弱で幼稚で惨めであった。そういった自覚が、より一層彼女を病ませていた。
 祥鳳は消化しきれない思いを抱き続け、今この時でさえ彼らの様子を気にしているのである。まさかまだ進展と呼べるような事は起
こっていないはずだと、妄想と焦燥に頭を疼かせ、兎にも角にもいち早く帰りたかった。

 「まぁあの提督は色恋に興味無いやろうから、当分心配は無いんやない? あの子も仮に気があったとして、どう見ても晩生やから
なぁ」

 彼女が悪気無しに放ったこの慰めの言葉に、息の詰まる感じがした。彼は色恋に興味は無い。その一文が、心内でしつこく反芻される。
 まさしくそれが、その思い込みこそ祥鳳の決意の源泉だった。自身が他の娘とは違うという確証を得る事ができないでいた事。たと
え同衾したとて、夜が明ければ他の娘との区別はない。秘匿が完璧であったからこそ、恋人である意義も薄れていたように思えたのだ。
 嫉妬ではなく、不信。普通以上のことを求めた故の破局だった。自身が特別だという確証が、そんな何をどうやっても得られないよ
うな代物が欲しくて仕様がなくなった。その自分勝手な驕慢さへの自覚から、提督に苦しみを告白することもできなかった。そして挙
句、精神的な破裂を感じ取ったその日に、彼女は別れを告げたのだ。
 今、当時の胃を痛くしながらの心配が杞憂に終わった。大鳳の様子を見れば、あの時の自分が周りからはどう見られていたか、推し
て知るべしである。特別な場所にいた事を知らなかった愚鈍さが、悔悟となって嫉妬へ変わる。
 水面の波紋を消す術は、唯一つ待つことだけである。心内のざわつきは、未だ留まることを知らなかった。

826 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:38:07 ID:WPQREMKw

 遠征に空母が必要となれば、必然的に祥鳳を組み込まざるを得なくなる。つい何時間か前、この執務室には彼女がやって来て、もう
それだけで提督はこの上ないほどの憂鬱に苛まれていた。
 吐き出される溜息は際限なく、肺の奥底から湧き出している。これでは良くないと自身の仕事に傾注するも、そこに並ぶ事柄に愉快
なものなどある訳がない。先に送付した支給資材上限拡張の依頼書が、慇懃な“お断り”と共に返送されたのを視界に入れ、遂に彼は
机に伸び伏せた。

 「えっと、何かお茶でも入れてきましょうか?」

 何回聞いたかも分からない大仰な溜息に被せ、大鳳はおずおずとそう聞いた。気遣う顔つきをしながらも、決して提督の方を見よう
とはしていなかった。書類の淵を指でなぞりながら、几帳面にその線を合わせている。時折落ちてこようとする髪の一束を、指で掬い
取っては耳に掛けていた。
 実を言うならば、この艦娘の態度そのものにも、いくらか煩わしさを感じている提督である。樽俎、と言うには余りに煌びやかさが
足りなかったが、あの酒の席以来、彼女の提督に対する素振りは露骨に変わった。
 具体的には、視線を合わせなくなった。別段、今まで顔を突き合わせて会話したことなど一度もなかったが、普段の生活の中でふと
目が合いそうになるだけで、仰々しく不自然に顔を背けるのである。見せ付ける為にわざとやっているのだとしたら何とも腹立たしい
事この上ないのだが、しかし当の彼女を観察すれば悪意というか、下心に基づいた行動ではないらしい。腹の色が淀んでいないのは彼
女の美点でもあるが、だからこそ接する方としては、厭に気を使ってしまう。
 この執務室にやたら長く居座ろうともしだした。業務の終わった後、何かと話題を見つけては、ずっと側を離れないのだ。恐らくは
再びの酒宴を待ち望んでいるのだろうが、生憎尻尾を振ってる様を見せ付けられると意地の悪くなる彼の性癖。就寝時刻が遅くなる苛々
も相俟って、願望を叶える気は絶無となっていた。
 兎に角、気に入らなかった。一挙一動が悪意の針となって、脳みそをつついているのだった。
 嫌悪の削ぎ落ちた煩わしさである。まさしくそれを部屋中に振りまかれているから、どうにも鼻について仕方ないのだ。

 「あの、提督?」

 不安げな声音が、静けさに圧迫された鼓膜を撫でた。体は起こさず顔だけ大鳳の方へ向けてみると、不安げに揺れた瞳が視界の中央
に鎮座した。勿論、ただの一瞬で目は逸らされ、後には視線の紡いだ糸らしきものの残滓が、眉間に感じられるだけになった。

827 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:38:38 ID:WPQREMKw
 胸の内で散々悪態をついてみる。お前は少女漫画のヒロインか。無自覚なあざとさの、どれだけ煩わしいかを知っているのか。そう
いう態度は同姓から一番に嫌われるぞ、等々。
 じっと横顔を見つめ続けていると、ほんの少しだけ瞳の見ることのできる瞬間がある。大鳳はちらりと提督へ眼を向けては、慌てて
逸らすのを繰り返していた。

 「飯、食いに行かないか」

 姿勢をそのまま、彼は口だけ動かしてそう言った。空調の音に紛れてしまいそうなほど、弱く覇気の無い声音であったが、大鳳はすか
さずに反応を寄こし、

 「え?」

 首を傾け、そう聞き返す。

 「飯食いに行こう。腹減った」

 視線がしっかりと交錯したことに満足を覚えながら、彼は腕立て伏せをするような格好で体を起こした。膝裏で椅子を押しのけ立ち
上がり、欠伸をしながら伸びもする。
 戸惑う彼女は、外出の準備をし始めた彼の周りを、おろおろとうろついているだけであった。ものの一分で支度を終えた提督は、一
旦の制止を呼びかける大鳳を無視し、そのまま出口へと向かっていった。
 もちろん執務中の外出は、原則禁止されていた。しかも彼は見るからにこの鎮守府の敷地外にまで出ようとしている様子。秘書であ
る所の大鳳がこれを看過できる訳は無かったのだった。
 とうとう扉が開かれて、その足は廊下へと伸びていった。執務室に留まり、

 「わ、私は行きませんからね」

 そう言ってみても、彼の歩みは止まらない。酷薄な態度に苛立ちは募り、このまま一人で行かせればいいんだわと心内で愚痴を零す。
だが、こちらは何も悪くないのに、大人気なく駄々をこねた風な状況になっているというのも癪に障り、結局は彼を追うこととした。
 提督は気障ったらしく、壁に背を付け待っていた。

 「戻ってください」

 幾らそう繰り返したとて何も反応は返されず、小言は孤独にただ廊下をひた走っていた。見えない磁力に引っ張られるようにして、吐
き出す言葉とは裏腹、彼の後ろから離れられなかった。
 いよいよ玄関にまでたどり着く頃、彼女はもう沈黙してしまい、ただとぼとぼと金魚の糞をするだけになった。だがそれは決して精
神が諦観の域に達したのではない。むしろ、提督の暴走を止める事のできる防波堤をついぞ発見した為である。
 鎮守府正門。その脅威の枢軸は、大仰で荘厳な鉄柵門そのものよりも、横にあるこじんまりとした警備常駐室である。そこには守衛
の妖精が、それこそ物の怪の類というのは決まって土着しているように、四六時中いつでも一人は居るのだった。
 どうやら鎮守府の主が近づいてくるのを察したらしい。遠く小さい窓の向こう、一人の妖精が顔を覗かせた。

 「やぁ、君。ちょっとお願いがあるんだけれど」

 提督は警備室に近づくと、馴れ馴れしく小窓に顔を突き合わせて言った。一枚のガラス越し異様に接近した顔に、堪らず妖精は後ず
さる。ファンシーな見た目とは裏腹、渋い声音の返答がある。

828 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:39:09 ID:WPQREMKw
 「仕事をおっぽり出してデートとは感心致しませなんだ」

 「いやなに、甲斐性さ。ねぇ、ここを開けてくれ」

 「さぼってもいいですが、人を巻き込むのはいただけませんな」

 「まぁそう言うな。私は何も君にボランティアを強いているんじゃない。これは取引なんだよ」

 提督は、細めた眼を横へと滑らす。相手の反応を楽しみにしている際の癖のようなものである。
 彼が嗜虐への愉悦に造詣の深い事を、大鳳は身をもって知っていた。湧き出す危機感と焦燥、無意識の内に拳を握りしめ、祈るよう
な心地に二人のやり取りを盗み見る。望み薄なのは重々分かった上、それでもこの妖精に屈強な精神力のあることを、望まずにはいら
れなかった。

 「君はたしか、今月の酒保の購入分が給料を上回っていたね」

 妖精は堅く締まった表情を気丈にも維持しようとしていたが、生憎口角の吊りあがったことは一歩離れていた大鳳にも見て取れた。

 「私たちがここを通り過ぎるのを見過ごしてしまったなら、私も君の酒保記録を誤って紛失してしまうかもしれない。仕事でミスす
るのなんて、幾ら気をつけても起こるときは起こる物さ。ねぇ、どうだろう。君は、今日、少し仕事でミスをする。誰にも気付かれない
些細なミスだよ。そして私も、帰ってからミスをする。ね? いいだろ?」

 果たして、きりきり音を立てながら開いてゆく門である。恨めしい視線から逃れるように、妖精は部屋の奥へと姿を消した。
 アスファルトの発する熱が、靴越しに足の裏を焦がしている。歩くだけで汗の止まらない厳しい残暑だが、肌に感じられる海風は幾
らか乾いてもいた。そう遠くない秋の予感が、過ぎた日々を意識させた。
 海鳥の舞踏を横目に見ながら、提督はかつての恋路を思い出した。海軍兵学校時代、初めてできた恋人との睦みである。
 丸顔でよく笑う、気の置けない娘であった。ロマン・ロランであったか。恋愛的友情は恋愛よりも美しいと言うが、あの娘との関係は
友情に限りなく接近していたように思う。
 様々な所に遊びに行った。暇さえあれば常に一緒だった。往来で手を繋いでいたのを見咎められた事もある。だがキスをしたのは一
度、体を重ねたのも一度きり。祥鳳とは真逆の方向性において、育まれた恋慕であった。
 横須賀の街の細部を知り得たのも、彼女と遊び練り歩いたおかげである。今、大鳳を連れて外へ出たのは、きっと無意識にその初恋
を追い求めているからであろう。祥鳳への当て付けとして、懐古に楽しさを再現しようとしている。
 下種な事をしているという自覚はあった。大鳳が自身を慕ってくれているということを、知った上で、その純真を踏みにじっているの
だ。寂しさを紛らわせるためだけに、想いを利用している。苛立たしげなのを装い、しかし瞳からは隠しきれない期待があふれ出して
いる。この娘のあどけない純真、白壁に爪を立てる心地だった。
 七百メートルは歩いた後、デフォルメされたマグロの看板を掲げる、一軒の寿司屋が見て取れた。学生の頃、その彼女とよく昼を食
べに行っていた店である。ムードも何も無い所であるが、だからこそあの時の二人には都合が良かった。安く、気軽で、高尚じゃない
ことが至上の価値だと、斜に構える時代には思えるものなのである。

829 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:39:52 ID:WPQREMKw
 横滑りの戸を開けると、中はまばらな賑わい。昼時というには少し遅い時分であるから、繁盛していないという訳ではないだろう。レ
ジに立っていた年増の女給は、提督の姿を見るなり、

 「あら、お久しぶりね」

 「うん。久しぶり」

 「お二人? もしかして新しい……」

 「違うよ。さぼりできているんだ。内密に頼むよ」

 「まぁ、べつに言いふらしたりしないけど、あなたはいいとして後ろのお嬢さんの格好は中々目立つわね」

 口を開くのも億劫になり、むっつり黙って提督に続いていた大鳳は、その言葉を聞き、途端羞恥に駆られた。鎮守府ではより露出の
多い艦娘が跋扈しているために、自身の服飾デザインの大胆さには気が付かなかったのだ。大きく開いた脇や短いスカートに、何とも心
細い感じを抱き、しかし露骨に腕で隠そうとすればそれはそれで恥ずかしい。
 ぼっと頬を染めた彼女を見、女給はにたついた笑顔になる。

 「なら二階を使っていいわよ。特別にね」

 「ありがとう」

 提督は慣れた様子で、レジ奥に伸びる階段へと向かった。
 六畳一間、ぽつねんと机の置かれた畳の部屋である。メニュー表のある所を見るに、特殊な客を匿う事など日常茶飯事であるようで
あった。
 腹を膨れさせれば機嫌も直るだろうという提督の予想は、果たしてまったく正解であった。むっつりと黙ったままであった大鳳は、
しかし満腹の幸福を隠しおおせるほど器用な娘ではない。
 この店で昼時に最も人気なのは、六百五十円の海鮮丼である。日毎に余りそうなネタで作るそれは、日替わりなのは当然として机に
置かれるまで何が入っているのかも分からない。手頃な値段とこのマンネリの無いシステムが受けて、とりあえず迷ったらこれにしと
こうというような、定番の地位にあるメニューである。
 この丼をそれぞれ一つずつ、更に提督は追加して、小うどんと穴子、イカ、ハマチ、それから目に付いたオコゼなどという変り種の
握りを一つずつ。握りは一貫に二つ皿に載り、大鳳と分け合う形となったが、唯一オコゼだけは彼女が全てをたいらげた。
 肝心の丼であるが、今日は運よく当たりの日であったらしい。ネタの種類、量は記憶にある中で最大級に豊富であり、多かった。
 まず中央に艶やかなイクラ、その脇には大葉が敷かれ、わさびと極少量のツマが上に乗る。放射状に外へと伸びる刺身は薔薇の大輪
のようであった。透き通った油が蛍光灯を反射していた。マグロは赤味とトロが同等量。主役たらんと白米を覆い隠し、補色のアジが
脇を支えている。良く見ればネギトロによる小皿の上、凝った造詣のイカが、良家の娘の髪飾りが如く置かれている。提督にはそれが
つつましく、含羞の表情をしている風に思われた。
 飾りの菊がさり気ないコントラストであった。丼ものの多くにありがちな、白米の量が多すぎて余るという事は起きず、ぴったりと
同時に胃に収まった。食後に茶を啜りつつ、機嫌の回復した彼女は気に掛かっていた疑問を口にする。

 「前にも、ここに来たことがあるの?」

 言外に問われている事が何なのかを察知し、提督は逡巡した。正直に答えたところで特に不都合は無いらしいことが分かると、ようや
く遅れて返答する。湯飲みに手を伸ばし、この開いた間は特に不自然な風にもならなかった。

830 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:40:13 ID:WPQREMKw
 「鎮守府に着任してからは初めて」

 聞き、大鳳は理由無き嬉しさに微笑した。
 つまり、以前の秘書艦は連れられて外出する事をしなかった。頭の中に浮かんでいた祥鳳の影は霧散して、遂には一、二時間程前の
自身の生真面目ささえなくなったようだ。ついてきてよかったと心の中で独り言ち、表情が緩んでいることにも気が付かない様子。そ
うしてうとうと睡眠欲の出始めた頃合、まさか心地よく昼寝する訳にもいかない。多少の倦怠を我慢しつつ、席を立ち、店を出た。


 鎮守府正門妖精詰所。悪魔の取引に矜持を投げ打ったあの妖精は、陽気な声音の会話を耳に捉えると、ただ押し黙って門を開けた。
そうして彼らがくぐる前に部屋奥の暗がりに身を隠し、気配を完全に消失させる。味方であったはずの大鳳は、すでに篭絡されている。
最早この妖精の行動に同情を示す者は無く、談笑の種として消化されるのみであった。忌々しさに握られた拳が、閉と書かれた緑のボタ
ンを叩く音を、果たして気に留めた者はいない。
 やがて提督は、執務室前にまで辿り着き勢い良く戸を開けた、その瞬間である。散歩の心地よい疲れが、安堵の途端に表層へ顕れ、
気の弛ぶほんの一瞬に、彼女が視界に映り込んだ。
 意想外な事は、大抵罰の当たったと思えるような状況下にて発生する。何時だかに聞いたこの言葉が記憶の底から引き摺りあがった。
直面した状況が、無意識に思考を逃避させるほどの衝撃を孕んでいた。
 驚懼に瞼が震え、目の前に認めた彼女、祥鳳の姿は、おぼろげに霞んだようだった。

 「……提督、あの。波の良かったおかげで予定より早く遠征が終わって……その報告を、えっと」

 目を逸らし、途切れ途切れ言葉を選びながら彼女は言う。今、両者、脳内に遠征についての思考はない。そして、状況の理解につい
ては提督の刹那の知覚が悉くを当てている。
 彼と大鳳が二人で外に出ていた事について、それを認めての猛烈な感情の濁流に、祥鳳は眩暈を感じるほどである。晩生、と龍驤は評
した。それに安心を感じていた。報告のためこの部屋に立ち入り、しかし二人そろって姿は無く、焦燥と不安の疑心がわだかまった。
 待機する事、既に一刻。最早弁明もできやすまい。否、弁明する気さえも起きないのだろう。怒りか、虚しさか。わだかまりはその
中間点のものに変化をし、伸展留まりもしない。
 提督は、彼女の胸中に増大する黒い物を察知している。決して誤解だとは言えないが、意味する所についてはまったく違う。乖離し
てゆく想いが目に見えるようで、もどかしく苦しかった。

 「あとで資材の増量を確認してください」

 「……あぁ。ありがとう」

 表面上、何も無かったかのような、至極何時も通りのやり取り。どこかぎこちなく感じられる動きで、祥鳳は提督の横を通り過ぎ、
早足に執務室を後にした。
 大鳳は両者の仔細な顔つきを見た。かつて抱いた疑念、恋の暗香が再び鼻につく。気のせいだと断じるには、部屋の空気が、或いは
今目の前にする彼の雰囲気が余りにも気まずさに包まれている。
 午後の長閑は一瞬にして崩れた。

831 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:43:52 ID:WPQREMKw
 3

 外出は萎えた気分を立て直すためであったのだが、しかし現状彼の憂鬱はより一層酷くなっている。集中は途切れ、自己弁護と弁解
の言葉が頭を馳騁し、書類や事務的な懸念に思考を割く余裕は無かった。
 海の暗黒に航空誘導灯の赤が差し込む。窓からの景色を漫然と見ていた提督は、大鳳に肩を叩かれ我に帰った。

 「ここ、記入漏れです」

 その言葉と共に、視界には幾枚かの書類と、それを摘む大鳳の細い指が映り込む。午後、仕事を再開してより既に五回目のミスである。
 この一時だけで、この鎮守府着任以来の緩怠の総数は二倍に増えた。自身の貧弱なメンタルが情けなく思え、しかもそれがよりにも
よって大鳳に咎められるのである。彼女の怪訝な、それでいてどこか憐憫も滲んでいるような視線に、屈辱の怒りが腹底より湧き出す。
そしてとうとう煮えた感情の我慢できなくなる一瞬、提督は欝々しく立ち上がった。

 「あの、どこへ?」

 「トイレ」

 言い捨てて、早足に執務室を出る。
 行く当ても無く、ただ感情の昂ぶった衝動が足をせわしなく動かしていた。勿論、厠などに行く気はない。ただあの空間にいるのが
苦痛でならないだけである。どこか遠くへ、大鳳のほんの少しの気配も感じられない所へと、独り物寂しい廊下を突き進んだ。
 腹内に抱える原理が同じならば、行動が似るのも当然なのだろう。彼はやがて正面玄関にまで辿り着き、そのまま靴を履いて外へと
向かった。意識の下で、祥鳳の影を追い求める自身というものが、足先の指す方向を定めたらしかった。
 昼間蓄えられた日の温かみは既に無く、ひんやりとした肌寒い空気に露出した首が鳥肌立つ。時折夜空を仰ぎ見ながら岸壁沿いに歩
を進め、海風を浴びる。肺腑が淀みのない空気に洗浄されて、熱くなった頭は徐々に冷静さを取り戻していった。
 ふと、平常の中に佇むと湧き出してくる予感があった。確信に限界まで接近した直感らしきものである。何ヶ月もわだかまり、まる
で腐ったようにもなっている胸中の疑問が、喉元近くにまで競りあがった。情動の高鳴りが、センサーの如くその存在を知らせてくれ
るのだ。歩は速めず、驚くほど起伏の無い心緒のまま、彼は注意深くあたりを見渡した。
 因縁の防波堤、黒い海へ突き出た姿がうっすら暗闇に顕れだした頃合。向こうからてくてくと歩いてくる、一人の女の姿が認められ
た。予想が的中した事に薄寒さを覚える提督は、或いは彼女も同じような心境にあるかもしれないと思い至ると、その胸のうちに微笑
ましい、愉快な気持ちが沸きだすのを感じた。

 「お前も、夜の散歩か?」

 声の聞こえる距離にまで近づくと、彼はその娘、祥鳳に向かって声をかけた。

 「はい」

 「奇遇だね」

 「そうですね」

 互いに停止し、開いてしまった微妙な距離が、彼らの気まずさを無言のうちに表現している。

832 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:44:19 ID:WPQREMKw
 奇遇、と提督は言ったが、寧ろこの邂逅は、両者の意思の介在によってなされたものであった。実は冬以来、たびたびこの防波堤に足
を伸ばしている二人である。今まで鉢合わせにならなかったのは、巡り合わせの悪さもあるのだが、どこか望み通りの出会いを果たし
た時への、恐怖があったのだった。相手が来るわけのない時間を選び取り、しかしもしかしたらと期待を胸に抱き続け、部屋に戻ると
運の無さを無念がる。
 今日、二人は大鳳という一艦娘によって、恐怖を上回る欲求を得た。それが、いかにも偶然らしき巡りあわせに作用したのだ。
 取りとめもない会話は、鎮守府玄関の見えるまで続いた。本題を放出する機会を伺う、その緊張感を保ったままのダイアローグにつ
いては、記すにも及ばない。拮抗した実力を持つ武士が、両者決め手に欠ける状況下、型の決まった打ち合いをするようなものであっ
た。
 先に踏み込んだのは祥鳳である。

 「最近大鳳さんと仲がいいみたいですね」

 不気味なほどいつも通りな声音に、提督はすかさず反応した。

 「別に、そんなことはないと思うが」

 これもまた、平常どおり。彼女は聞くや目を眇め、忌々しげに口を閉ざした。
 言動と反応を見て、寧ろ不満を抱えたのは提督である。なぜその立場にありながら、嫉妬を匂わす発言をするのか。彼女の身勝手と、
僅か期待を抱いてしまう自身の惰弱さに拳が震える。罵りの言葉が幾らも頭に沸いたが、どうにか何重にもオブラートに包んだ表現へ
変換して、生唾を飲み込んだ後それを口に出した。

 「前から疑問があった」

 「はい」

 「なんでお前は、私をふったんだ」

 提督は、自身の未練が醸し出されやしないかと危惧していた。何か下を見られるのは嫌であったし、感情はどうであれ理性の方では、
もう諦観を享受しているのである。
 実際には、この言葉は彼の意図したものとは違う解釈をされた。彼は彼女が持つ未練について一切気が付いていなかったし、燻って
いる情緒の本懐についても認知できている訳が無かったのだ。
 即ち祥鳳は、彼が大鳳と恋仲になるために自身との関係を完全に切り離そうとしているのだと考えた。別れを切り出した理由を聞く
事によって、漫然としたつながりを断とうとしているのだと。
 不服である。納得できるわけは無かった。未だ自分は引き摺っているというのに、彼は心に痛みを感じる事も無く鞍替えするのだ。
その怒りが、胸を焼き、目の前が真っ赤に染まったようだ。
 嫉妬深い自身を自覚したのは、今この時が初めてであった。彼女は未知の、熱く暗い怒りの爆発を他人事のように感じていた。もう
一人の自分が、殺意の湧き出すのを一身に受け止める。宥める事は叶わず、とうとう獣の咆哮が如き、悪意と敵意の言が飛び出した。

 「飽きたからです」

 どうすれば相手を傷つける事ができるか。それだけを考え、ひねり出した答えである。執着や憎しみが事実を押し込め、意想外の事
を表に出した。果たして彼は目を瞠っている。その様子に溜飲下がる様な悦びを覚え、彼女は衝動のままに喉を振るわせる。

833 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:44:51 ID:WPQREMKw
 「逢えず話せずで、もういいかなって思ったんです。楽しいって思えることが少なかったし……。ごめんなさい。でももう時間も経
ったから言ってもいいですよね。未練なんて、あなたも無いでしょう?」

 「……ああ。うん。そうか、聞けてよかった」

 既に場所は、鎮守府の中である。互いにおやすみを言って、別れた。提督は失意によって、何も視界に入れることができなくなって
いた。彼女の僅かに赤く腫れた眼や、握りこみ震える拳などにも、気が付くことはなかったのである。
 ふらふらと覚束ない足取りで階段を昇り、壁にもたれながら廊下を進む。思考が放棄されたとき、人はなすべきことをなさねばなら
ぬと、自身の任務に傾注する。提督も、意識の上に昇るのは仕事のことのみであった。
 執務室の戸を開けると、頬を膨らました大鳳が見えた。

 「もう、提督! どこに行っていたんですか」

 快活な声に彼女は言い、彼の神経を逆撫でたのにも気が付かず言葉を続ける。

 「休憩したいのなら言ってくれれば、私そこまで鬼じゃないわ」

 「うん。ごめん」

 許容の限界を超え、その為にか提督の外見は朗らかだった。詫びの笑顔に屈託はなく、大鳳は彼の不調を看破できなかった。
 仕事の中断ついでにと、彼女は昼からのわだかまりを口にすることにした。外の空気を吸った事でリフレッシュもされて、機嫌もい
いだろうから聞いてしまっても大丈夫だろう。そういった判断である。運の無さと感情の機微に疎い性質が、迫る最悪を知覚できなくさ
せた。

 「提督、そういえば昼の事なんですけど……」

 「うん」

 「祥鳳さんと提督って、昔なにかあったの?」

 蓄積し続けた感情へ、重い撃鉄が振り下ろされた。一度引かれたトリッガーに、もう後戻りは許されない。彼女の声を端緒として、
提督は我に帰るような心地だった。
 目の前の娘について、極限まで憎らしい存在だと思われた。糾弾し、矯正しなくてはならない。ただ胸の内に蠢く暴力性によって、
屈服させなければならない。散々痛めつけられた自身を、更に足蹴にしたこいつには、然るべき報いを受けさせなければならないのだ
と、猛然と暗い感情が馳騁する。様々な要因にて溜まった鬱憤が、今一個人に向け晴らされようとしていた。
 のしのしと無言に近づいてくる提督を見て、ようやく彼女は、地雷を踏み抜いたらしい事を自覚した。

 「あの、提督?」

 声をかけ、だが無視をされ、肌にぴりぴりと感じられる危機感は抱く信頼によって黙殺される。胸元に両手を置き、下から伺い見る。
その様子は、彼の嗜虐心を駆り立てた。
 頤に指が這わされた。親指が唇を撫でた後、上向きに力が働いた。たまらず彼女は顎を上げ、まるで口を突き出すような格好になる。

834 :クズ ◆MUB36kYJUE:2014/07/06(日) 21:46:08 ID:WPQREMKw
 キスされたことを認知したのは、かなり遅れてからだった。ただ目を見開いていただけだった彼女は、顔の間近に息づかいを感じて、
ようやく顔を朱に染める。しかしその段になっても未だ現実感は沸かず、何をどうすればいいのか検討もつかないのだった。
 抵抗の少ない事を意外に思いつつ、提督はより深く彼女を求めだした。掌を顎間接の奥へ這わせ直し、強引に舌を差し込んでゆく。
強張り縮こまっているだけだった腕が、彼の胸板を叩いた。引き剥がそうと力を入れても、既に体は密着している。鍛錬の怠らない屈強
さを持ってしても、この状態にあっては体格差を覆せはしないのだった。くぐもる悲鳴を聞き、腰に回されていた提督の腕はより強く
彼女の体躯を引きつける。
 小柄を自称する祥鳳よりも、更に小さく細い体である。比較をしながら、彼は確かめるような手付きで服越しの肌をなで始める。
 そこにはしなやかさと強かさを両立した、合理的な美があった。柔らかくふくよかな、母性を感じさせるものではなく、だが故に、
寧ろ促される情欲もあるのだ。
 腰骨の出っ張りを過ぎ、とうとう尻の膨らみへその手がかかる。腰まわりの引き締まりから、途端弾力のある部位に指が沈む。彼女
は背筋をびくつかせ、キスの合間に抗議の声を出した。舌の嬲られたままでは、到底言葉にもならないが、良く聞けば、どうやら謝り
ますからと繰り返しているらしい。その余りに嗜虐のそそられる様、女性的柔らかさの欠ける者の女性的か弱さ。そういった背反が異
常の興奮を引き出すのだった。
 臀部からは一旦手を離し、脇の開口部から覗く肋骨の窪みをなぞった。危うい所へ触れかける、そのスリルがこそばゆいのか、彼女
の悲鳴はより一層その音階を高くした。二本、三本と撫でるたび指はより奥深くへ進行し、遂に僅かな膨らみを登攀するにいたる。
 口を離すと粘性の橋が両者の間に掛かる。それが自重で崩れる間の後、彼女の大きな瞳からは雫が零れた。
 躊躇が生まれた。震盪によって機能のほとんどを失った頭が、提督の眼前に幻を見せる。祥鳳の泣き顔、そのリフレインによる胸の締
め付けが、一瞬の硬直を引き起こしたのだ。
 隙をつき絡みつく腕をはらうと、大鳳は涙の流れるまま走り、執務室を飛び出した。嫌悪や怒りはなく、ただ驚懼による反射だった。
漫然としたショックに、心臓の跳ねる感じがしている。自身の荒れた息づかいや濡れた唇、掌の感触の残滓が、羞恥と寂寞の複雑に混ざ
り合った感情を沸き立たせた。
 開け放たれた戸を眺め、追い縋ることもせず、提督は立ち尽くしている。余りに感情が揺れ動きすぎた。その倦怠によって、もう何
も感じる事ができなくなったのだ。
 祥鳳との記憶を掘り返し、俯瞰して無感動に眺め続ける。それだけであった。

<続く>


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最終更新:2014年09月25日 11:32