血化粧に染まりし村に犬二匹◆TPKO6O3QOM



(一)

 さざ波の子守歌で満ちる村の中に物淋しげな風が舞う。
その風に袴の裾を弄ばせながら、一人の浪人がずかずかといった歩調で進んでいく。

 久慈慎之介という浪人の纏う着物は墨で染めたかのように真黒だが、
果たしてそれが染料によるものか、それとも垢によるものなのかは判断がつかないほどに汚れている。
月代の伸びた頭髪を総髪にして頭の高い位置で括った顔には不精髭が目立つが、風貌そのものは優しい作りの男前だ。
されど、その双眸には見た者が気圧されるほどの精気に満ちていた。

 腰には一振りの打刀を佩いている。
だが、それは彼の愛刀“同太貫”ではなく、無銘の代物だ。
刀を評せられるほど目が肥えているわけではないが、そんな慎之介でもこの刀が然して大したものではないと判る。
いつもの重みがないせいか、腰回りが酷く物寂しい。
物寂しいといえば、この村もそうだ。
月の冷ややかな光に照らされた家屋の群れは海底に聳え立つ岩礁のようで、
開けっ放しの戸口に溜まる闇は地の底まで続いていそうな洞穴の入り口を連想させる。
廃村など珍しくもないが、それとは違い少なくとも此処には最近まで人が居た気配がある。
疫病で死滅したばかりの村などがあれば、こんな感じなのかもしれない。
土壁に残る血痕に彼は顔を顰めた。疫病ではないようだが、平和的に人が居なくなったわけではないようだ。

 無造作に見えて、その実周囲の様子に気を配りながら、慎之介は自分が置かれた状況について考える。
柳生家の紋のついた裃を着ていた男は「御前試合」と言っていた。
その言葉が正しければ、これは彼の夢である千石取りの大きな足掛かりとなるはずである。

(正しければ、な)

慎之介は鼻を鳴らした。毎度上手い話に騙されている彼だが、こればかりは嘘だと知れる。
まず、寛永以来途絶えていた御前試合が開催されるなど流言ですら聞いたことがない。
本当ならば、耳聡いタコ当たりが騒いでいるはずである。
第二に、悲しいことだが、諸藩から声が掛かるほどの伝は自分にはない。
それは大概、彼らの大立ち回りの証人が生きていないためだが。
とはいえ、彼ら三人を偽称する輩が現れたこともあるので、絶対にとは言い切れない。
だが、このように強制される謂れはないはずだ。
宿で寝ている内に拉致されたのだろうが、それに自分が気付かなかったことが気になる。
薬でも使ったか。何にしろ、民家に残る血痕なども鑑みて、この“御前試合”が酷く胡散臭い代物であることには違いない。
 して決定的なのが行李に入っている人別帖である。
殿様やタコが参加させられていないか調べようとしたのだが、早々に諦めた。
確かに何十名という剣士たちの名前の中に見覚えのあるものはあった。それも幾つもだ。
だが、それは面識があるわけではない、言わば剣客における天上人と言える者たちの名だ。
“剣聖”塚原卜伝、“ニ天一流”宮本武蔵、他、剣に己の命を捧げた武士ならば言葉を交わし、
剣を交えることを一度は夢見る錚々たる剣豪の名が並んでいた。だが、言うまでもないが彼らは既に世を去っている。
まさか、死人を蘇らせたなどということはないだろう。剣聖たちの名を騙る不届き者たちの集まりと見るのが自然だ。
こんなものでは信用しろという方が無理というものだ。
ふと、慎之介は足を止めた。何者かが近くで自分を見ている。
だが、近づいてきた様子はなかった。
ずっと隠していた気配を現したのか、単に彼が柄にもなく考え込んでいたせいで気付かなかっただけか。

気付かれぬよう、小さく舌打ちをする。
鯉口を切り、相手の出方を待つ。ただ、慎之介へ注がれる視線に不快な感じはなかった。

しばしして、ざと地面を踏みしめる音が後方でした。
向き直ろうとするが、動くなと鋭い制止の声が飛んだ。若い女の声である。

「某はトゥスクルの皇(おうろ)ハクオロ殿に仕える、エヴェンクルガのトウカと申す者。
貴様に訊く。あの悪漢の言に従い、他者を殺める心積もりか否か、答えよ」

「……さぁな。そういうつもりかもな」

 背後を取らせてしまった自身の軽挙と、この御前試合に対する苛立ちへの八つ当たりで慎之介は投げやりに答えた。
生真面目そうな女性を少しからかってやりたいという欲求もあったかもしれない。
案の定、背後で刺すような気配が膨れ上がる。

慎之介は女が息を吐くのと同時に身を翻し、刀を抜いた。光芒が弧を描き、月光を撥ねる。
先刻まで居た場所から一間ほど距離を取って女に向き直った。間を外された女が小さく目を見張るのが月明かりの中でも分かった。
まだ少女と言ってもいい年齢の、目鼻立ちの整った中々の美人である。

「おのれ……!」
女が悔しげに呻く。それに連動するように、鳥の翼を模した様な耳飾りがぱっと閃く。中々細かい作りの飾りがあるものだと感心する。
見たことのない代物だが、江戸で流行っているのかもしれない。
見たことがないといえば、彼女の纏う着物も通常のものとは違うようだ。
合わせが右胸の高い位置で止められた、唐人のそれを思わせる服装の上に、上腕の周りが狭い長羽織を着ている。
足も草鞋ではなく、獣の皮をなめしたもので作られた足袋のようなものを履いていた。
得物を左で居合いのように構えていることから見て、左利きか。中々様になっている。
彼女の構える得物に目を移し――しばしの逡巡の後、訊ねた。

「んで、そんなもんでどうするつもりだ、嬢ちゃん?」

 言いながら、ずかずかと間合いを詰めていく。
 慎之介はトウカの間合いの少し内側で足を止め、ダラリと下げた刀も納めた。そして両腕を広げ、やってみろと促してみる。

慎之介の行動にトウカが憤怒で頬を染めた。

「そ、某を愚弄しているな!? 悪漢、覚悟!」

 踏み込みと共に、トウカの左腕が残影となって奔る。風切り音を纏いながら振り抜かれた――左手だけ。ぽぉーんという間の

抜けた音が村の闇に吸い込まれてく。

「……ま、木剣じゃそうなるわなあ」
「そ、某としたことがぁああああああっ!」

 左手だけが抜けてしまったのは、おそらく木刀と意識せずに強く右手で握っていたからだろう。
「何がしたいんだ、おまえさん?」
 頭を抱えるトウカの傍に屈んで訊くが、彼女はついと顔を背けた。

「……悪漢に応える言葉など持ち合わせてはおらぬ!」

 そう吐き捨てる。ふむと慎之介は思案する。少し悪ふざけが過ぎたか。

「桃香、さっきの問いの答えだが、ありゃ嘘だ」
「……うそ?」
「ああ、からかっただけだ。悪かったな」
「…………。その言葉を信じるに足る証は?」
「俺が殺すつもりだったら、おまえさん生きちゃいねえだろ」
「………………」

 目と鼻の先にいる慎之介を見つめたままトウカはしばらく沈黙し、また頭を抱えた。ぶつぶつと何か呟いている。

「なぜ、なぜいつも皆は、某を……」

 察するに、いつも周囲に似たようなことでからかわれているらしい。

(ようするに騙されやすいんだな)

 と、他人事ように思う。立ち上がり、今一度周囲に警戒の目を向ける。立ち直った頃合いを見て、慎之介はトウカに名乗った。

「俺ぁ久慈慎之介だ。だが、千石でいい。そっちのが呼ばれ慣れてる。仕官の口を求めて浪人中の身だ」
 心得たと律儀にトウカが言う。
「ではセンゴク殿。再度確認いたすが、貴公はこの試合に乗る気はないのですな?」
「ああ。当然だが、斬りかかってきた連中には容赦するつもりはねえけどな」
「それが女子供であっても?」
 トウカの言葉は全ての判断を委ねたような、鋭く重い口調であった。逡巡の後、答える。

「……出来れば斬りたくはねえな」

 慎之介の言葉にトウカの表情が緩んだ。幼子のような無邪気な笑みが口元に小さく刻まれている。

「左様か」
「さて、次はおまえさんだ。どうしたいんだ?」
 トウカの顔から眼を逸らし、訊く。
「無論あの悪漢どもを見つけ出し、斬る」
 決意に満ちたトウカに、慎之介は半眼で呻いた。
「その木剣でか?」
「…………。頑張れば!」
「いや、頑張られても無理なもんは無理だろう」
 唸るトウカを無視し、慎之介は己が佩いていた刀をトウカに差し出した。
「交換だ。それをよこしな」
「しかし……」
 戸惑った表情のトウカに小さく溜息を吐く。
「真剣じゃねえと、おまえさんの持ち味は活かせねえだろうが。違うか」
 奪うようにしてトウカの木刀を取り、刀を押し付ける。

「渡しといて何だが好い代物じゃねえ。それは勘弁してくれ」
 抜き、素振りをするトウカに告げる。納刀したトウカが、いやと呟いた。
「かたじけない。有難く貰い受けまする。されど、某が斬りかかるとは考えなかったのですか?」
 慎之介を見上げてトウカは疑問を口にする。彼は顎を掻いた。
「俺の経験上、おまえさんみたいな女に悪い奴はいねえよ」
 慎之介は咳払いをすると、行李の中から地図を取り出した。広げ、南東の方を示す。
「俺は城下に行ってみようと思う。刀の一本や二本、残っているはずだ。多分、人も集まるだろうしな」

 慎之介たちがいる場所は仁七村というらしい。この村の西に伸びる街道を行くのが近道だろう。
途中で旅籠があるから、包丁などが手に入るかもしれない。

「ならば、某も同行しましょう。センゴク殿が刀を手に入れるまで、某がお守りいたします」

トウカが厳かに言った。ふと笑い出しそうになるが、そうなれば彼女の機嫌を害するだろう。
地図を見つめる振りをして噛み殺す。どうやらトウカは気付かなかったようだ。

「ま、無理はしねえでくれ」
 行李を背負い、慎之介は地図を懐に仕舞った。



(二)

 二人は村の西の辻に来ていた。草蒸した中で道祖神が無言で佇んでいる。海風に揺れた梢が擦り合う音が静けさを際立たせていた。

これまで慎之介はトウカの身の上を聞いていたのだが、どうにも情報が噛み合わない。
藩を聞いてもトゥスクルとしか応えず、また戦が頻発しているのだという。無論、そんなことがあれば国中に知れ渡っていてもおかしくい。
詳しく聞こうと、彼女が仕えているというハクオロなる藩主のことを聞いていたのだが――。

「あんたの主君はそんなに出来た男なのか?」
「勿論です。悪漢ラクシャインという流言に踊らされ、ご家族も同然の方々を手に掛けた某を聖上はお許しになったばかりか、
家臣の末席にまで加えてくだされた。あの方こそ、某が一生を掛けてお守りするに値する人物です」
トウカが鼻息荒く宣言する。余程敬服しているらしい。
ラクシャインという人名は慎之介も耳にしたことがある。
たしか、随分昔に松前藩と戦った蝦夷の頭だったはずだ。
少し前にも松前藩と蝦夷の間に衝突があったそうだし、戦が頻発しているという言葉にも頷ける。
トウカが蝦夷の者ならば、こちらの常識が分からないのも無理はないだろう。
蝦夷にとっては英雄のはずのラクシャインを悪漢と評したのは気になるが、蝦夷の間にもいろいろあるに違いない。
「おまえさん、幸せ者だな」
「ええ」
 誇らしげに笑うトウカを見、慎之介は肩を竦めた。
仕官できない自分を省みて、肩身が狭くなる。暗くなるばかりの思考を振り払うために関係のないことを独りごちた。
「しっかし、蝦夷にゃ変わった耳飾りが流行っているんだなあ」
 そのまま、西へ足を踏み出す。

「……え?」
 トウカの戸惑いの声は夜風に紛れて慎之介には届かなかった。



【にノ陸/辻/一日目/深夜】

【久慈慎之介@三匹が斬る!】
【状態】:健康、城下町に移動中
【装備】:木刀
【所持品】:支給品一式
【思考】
基本:試合には積極的に乗らない
一:トウカと城下町へ向かう
二:柳生宗矩を見つけたらぶっ殺す
【備考】
※トウカを蝦夷と勘違いしています
※人別帖の内容をまるで信用していません

【トウカ@うたわれるもの】
【状態】:健康、決意、城下町に移動中
【装備】:打刀
【所持品】:支給品一式
【思考】
基本:主催者と試合に乗った者を斬る
一:センゴク(慎之介)が刀を手に入れるまで守る
【備考】
※うたわれ世界と違うことに気付いていません

※仁七村の家屋には住人のものらしき血痕が残っています。




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試合開始 久慈慎之介 船頭多くして、船山昇る
試合開始 トウカ 船頭多くして、船山昇る

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最終更新:2009年03月28日 01:39