第3部 電撃戦編 第3話 「初陣」 Erster Kampf

2006年10月19日 放送

概要
おそらくこの回もウーファーの撮影所での記録映像を見ながらの会話。
ポーランド戦の軍構成や電撃戦や作戦の概要から始まる。
ポーランドでの電撃戦の実態から、車両不足等の問題点など、ケルベロスが実戦に狩り出されるまでの経緯が語られる。


サイレン音

ドラマ冒頭の戦闘のSEでサイレン音が聞えるが、これはドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカースJu-87「シュトゥーカ」が搭載していたもの。
シュトゥーカが急降下時に発する甲高いサイレン音は「ジェリコのラッパ」と呼ばれ、敵兵に甚大な心理的効果を与えた。
フランス戦では投弾を終了したシュトゥーカがサイレン音を響かせて急降下を繰り返しただけで、フランス軍がパニックを起こして退却したというエピソードがある。

ルントシュテット

カール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテット
第二次世界大戦中の陸軍元帥(1940年)。ドイツ最良の将軍の一人として知られる。
ポーランド侵攻で南部軍集団司令官であった。

ボック

フェドール・フォン・ボック陸軍元帥
ポーランド侵攻時は北部軍集団司令官で上級大将。
史実では独ソ戦で中央軍集団司令官と南部軍集団司令官を勤めている。
ヒトラーと折り合いが悪く大戦後半には更迭され、戦争終了直前に爆撃による負傷が元で死亡。

軍集団

ドイツ軍を含む近代の軍隊において数個の「軍」によって編成される最大の部隊単位で、数十万人の将兵を擁する。
以下「軍」は「軍団」、「軍団」は「師団」からなる。
ポーランド戦では「北部」「南部」。
フランス戦では「A」「B」「C」。
独ソ戦では「北部」「中央」「南部」。
の各軍集団が編成された。
フランス戦時においては軍と軍団の中間単位として装甲師団や機械化歩兵師団からなる「装甲集団」が編成されたが、独ソ戦途中から「装甲軍」に順次昇格している。

エーリッヒ・フォン・マンシュタイン

ドイツの第二次世界大戦中の陸軍元帥であり、最も有能な戦略家の一人。

アルフレート・フォン・シュリーフェン

ドイツの元帥。大モルトケの二代あとの、ドイツ国軍参謀総長(1891~1905)
戦術家であり、第二次世界大戦に至るまで使われ続けた、対仏侵攻作戦「シュリーフェン・プラン」の考案者。

シュリーフェン・プラン

この作戦においてはドイツ軍の侵攻兵力は北方のベルギー、オランダとの国境地帯に配置された右翼と、独仏が直接国境を接するアルザス・ロレーヌ地方に配置された左翼に分けられた。
侵攻主力である右翼は作戦開始と同時に南北に並んだ部隊がオランダ、ベルギーを通過して南を回転軸に反時計回りに旋回しつつパリに向かって進撃し、右翼北端はパリを巻き込むような形でこれを包囲、軍勢はさらに南方に向かって旋回を続ける。
左翼は伝統的な侵攻ルートであるアルザスに集結したフランス軍主力に索制攻撃を行って国境地帯に誘い込み、敵の北方への移動を阻むことが主任務となる。
最終的にはパリ南方に敵主力を追い込み、右翼および国境から前進した左翼がこれを包囲し殲滅する。
敵が左翼に攻撃をかけるほど右翼の進撃が容易になることから、シュリーフェンはこれを「回転ドアの兵理」と呼んでいた。
敵の裏をかくという意味では優れた作戦ではあったが、いくつかの重大な問題がこの作戦には存在した。
1)対仏戦には本来無関係なベルギー、オランダに侵攻することでおきる国際的な対独感情の悪化を無視している。
2)長大な距離を進軍する右翼の歩兵・軍馬の疲労や補給線の長大化を、これもまた無視している。
3)作戦の性格上ドイツ全戦力のほとんどを投入する必要があり、東部戦線におけるロシアの動員の遅れを当てにしなければならない。
などである。
これらの欠陥は第一次大戦において露呈し、ドイツ軍は泥沼の消耗戦へと陥ることとなる。
しかし大戦後もシュリーフェン・プランは金科玉条として扱われ、第二次大戦においてもマンシュタインによるアルデンヌ突破というアイディアが生まれるまで、ドイツ軍の対仏侵攻作戦はシュリーフェンの焼き直しのままであった。

大モルトケ

ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラフ・フォン・モルトケ
プロイセン王国の軍人。陸軍参謀総長として天才的な手腕を見せ、対デンマーク戦争(1864年)、対オーストリア戦争(1866年)、対フランス戦争(1870-1871年)に勝利してドイツ統一に多大な貢献をした。

ヘルムート・フォン・モルトケ

大モルトケとの区別のため小モルトケと呼ばれる。大モルトケの甥。
シュリーフェン・プランを修正実行し、自らの先入観で第一次世界大戦を事実上開始した。
結果的に攻勢は失敗。その責を負って、1914年9月に参謀総長を辞任。
彼の失敗を教訓にポーランド侵攻作戦が立てられた。

グデーリアン

ドイツの軍人。
第二次世界大戦の緒戦の大勝利を飾った電撃作戦の生みの親であり、またそれを実践した最高級の野戦軍指揮官。

ヴェレンカム

Wellenkamはドイツ語で「波頭」を意味するが、ここではドイツ軍がとった奇襲的な波状急速動員システムのことをいう。
ドイツ軍は1935年の再軍備宣言後徴兵令をしき、2年の兵役を済ませた兵士を予備役に編入することで有事の予備兵力を確保した。
またヒトラーユーゲントやRAD(青年勤労奉仕団)などの準軍事的組織を設立し、兵役前の青少年に軍事訓練を施すことで徴兵後速やかに戦力化が可能となる体制を作った。
そしてポーランド侵攻直前より波状動員計画(ヴェレ・プラン)に基づき、いくつかの波に分けて兵員の大量動員を開始した。
この動員はきわめて急速かつ大規模なもので、1939年8月だけで4波の動員をかけ
既存の師団への補充動員も含めれば86個師団が新設もしくは再編成されている。
さらに既存の師団から平均三分の一の経験を積んだ兵員を切り離し、これを基幹として新設師団を編成するドイツ軍独特の「株分け方式」により、新設師団を迅速に戦力化することが可能となっていた。
これに対しポーランドは動員に遅れ、全戦力の70%しか準備できていないうちに戦争が始まった。
ポーランド戦では電撃戦の功績よりも、この動員奇襲の功績が大きいという見方もある。
史実ではこの波状動員は終戦まで35波行われ、膨大な数の師団が編成されている。

地方守備師団

ラントヴェーア師団ともいい、外征ではなく編成された地域の防衛を主任務とする師団。
通常の師団に比べれば装備は古く、兵員も40歳台の老兵が割り当てられることが多かった。
ポーランド戦のあとフランス戦でも9個師団が編成されたが、その兵員の多くは第一次世界大戦に従軍した老兵で、兵器のみならず制服すら支給が間に合わず私服に腕章をつけだだけの者もいた。
史実ではこれらの地方守備師団は開戦後順次兵員が置き換えられ、通常の歩兵師団に再編成されている。

ルフト・ヴァッフェ

“Luftwaffe”(luft=空、waffe=武装、兵力)、ドイツ空軍のこと。

シュレージエン ポンメルン

共にドイツ東部の地方名でプロイセンの一部。

ドイツ軍司令官すら知らなかった秘密協定

1939年8月23日にドイツとソ連の間に締結された独ソ不可侵条約、ヒトラー=スターリン条約とも呼ばれる。
ここでは条約内の秘密議定書を指し、東ヨーロッパをドイツとソ連が分割支配する内容。
1941年6月22日にドイツは同条約を破棄、独ソ戦を開始した

ファニーウォー

ドイツがポーランドに侵攻した後に、ドイツに対して英仏が宣戦布告したものの,実際には翌年まで戦火を交えようとはしなかった。
その間の奇妙な平穏のあった時期.
このことを米国のジャーナリストがphony war(いかさま戦争)と呼んだことから。
この期間はイギリスではトワイライトウォー(黄昏の戦争)、ドイツではジッツクリーク(座り込み戦争)と呼ばれた。

4発重爆

この時期にイギリス空軍が使用していた4発重爆はハンドレページ・ハリファックスとショート・スターリング。
イギリスを救ったとまで言われるアヴロ社のランカスターは、1942年からの登場となる。
大戦当初はイギリス空軍でも4発重爆の数はまだ少なく、双発爆撃機のブリストル・ブレニムやヴィッカース・ウェリントンなどが主力だった。

Ⅱ号戦車

戦車生産技術の習得用に開発されたドイツの軽戦車。
試作型は1935年に完成し、1936年から増加試作型が数十輌作られ、翌年からA型が本格的に量産に入った。
本格的な主力戦車であるⅢ号戦車、Ⅳ号戦車が配備されるまでの繋ぎのはずであったが、これらの生産が間に合わず、第二次世界大戦開始時のポーランド戦から主力として実戦投入された。
20mm機関砲一門という軽武装、軽装甲のため、独ソ戦当時には戦車としての価値は完全に失われていた。
なお同時期に7.92mm機関銃二門を搭載したⅠ号戦車が製造されている。

Ⅲ号戦車

きたるべき戦車戦術を考慮して主力戦車とすべく製造した中戦車である。
開戦当初は数がそろわなかったが、対フランス戦時にはその数も増え、独ソ戦の頃には主力戦車となる。
しかしソ連のT-34には50mm砲は力不足であった。
史実では大戦後半には主力としては用いられず、代わってシャーシを流用して砲塔を廃して長砲身の75mm砲を搭載した三号突撃砲が生産されるようになった。

Ⅳ号戦車

本来は敵の陣地を攻略する為に短砲身24口径75mm砲が搭載されたが、ソビエト連邦軍のT-34戦車に対抗するべく、F型の生産途中から長砲身43口径75mm砲(後に48口径75mm砲)が搭載された。
Ⅲ号戦車に比べより大口径の主砲を収容する余裕のあるIV号戦車は、軍が求めるさまざまな要求に応じることが出来た。
そのため軍馬と呼ばれ、多種多様な派生型を生み出すこととなった。

スコダ

チェコスロバキアのシュコダ社が製造した戦車である。
チェコスロバキア軍にて使用されていたが、ドイツに併合された際にその多くがドイツ陸軍に接収された。
生産性に優れ、またそのトランスミッションの操作性は高かった。
LTvz.35とLTvz.38の2種があり、ドイツ軍ではそれぞれ35(t),38(t)と呼称した。
史実では独ソ戦の前半までⅢ号戦車の不足を補完する実質的な主力戦車として使用され、一部は車体を流用して自走対戦車砲(マルダーⅢ)や自走榴弾砲(グリーレ)などに改造されている。

半装軌式装甲兵員輸送車

おそらくSd Kfz 251のこと。
後輪の代わりに履帯を持つため、路外走行性能が優れ戦車等の装軌式戦闘車両に追随できるために幅広く使用された。
歩兵10名を輸送可能。
もしかしたらSd Kfz 250の方かもしれない。

メルセデス

メルセデス・ベンツ。
1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。
ヒトラーの後押しに答え、ドイツ労働者党へ協力する。第二次世界大戦中は軍需生産を行う。
ここではSシリーズといわれる車のことを指していると思われる。
SシリーズのSSKは、アニメ ルパン三世の愛車と言えば形状は想像できるだろう。


フランツ ハルダー

第二次世界大戦開戦時のドイツ陸軍参謀総長。
ポーランド戦、フランス戦、独ソ戦での作戦立案・指導を行った。
思想的には保守派の軍人で、革新的なマンシュタイン、グデーリアンとはしばしば意見が衝突した。
モスクワ攻略作戦「タイフーン」失敗の責により1942年に更迭。
史実では1944年のヒトラー暗殺事件に連座して終戦まで投獄されている。

MG34

1934年に制式化され製造されたドイツの機関銃である。
空冷式で、7.92mmモーゼル弾を使用
高い発射速度や過熱しても簡単に銃身交換が可能なメカニズムを持ち、三脚を取り付ければ長距離射撃可能な重機関銃、そのままなら歩兵が携行して移動可能な軽機関銃としても用いられる世界最初の汎用機関銃として、戦後の機関銃開発に大きな影響を与えた。
歩兵用の主要機関銃としてだけでなく戦車用の機銃や、航空機の防御用兵器として終戦まで使われ続けた。
しかしMG34は高価であり、常に拡大し続けていたドイツ軍の各戦線への各種要望に応えることができなかった。
さらに、汚れに過敏な傾向にあり、ジャミングを起こすことが多かった。
史実では構造を簡略化したMG42が戦争中盤より配備されている。


武装親衛隊とヒムラー

ドイツの政治家。親衛隊全国指導者。
国防軍のトップになるための陰謀や、大量の粛清をやった人物でその実行部隊である武装SSとともに恐れられる。

アインザッツグルッペン

SS特別行動隊。
警察の機動部隊で、ゲシュタポやSD、ジポの要員からなり、治安平定のために東欧の占領地域で敵の検挙や処刑にあたった。
おもに標的としたのは、反ドイツ分子やユダヤ人、共産主義者、ジプシー(ロマ)、政治的指導者、知識人だった。

ブロンベルク

ヒトラー政権下で初の元帥で国防大臣。
再婚した相手がポルノ写真のモデルなどいかがわしい過去を持っていたことが結婚後まもなく判明、これを冒険的な外交政策に反対するドイツ国防軍の上層部を解任する陰謀に利用され失脚した。
ブロンベルクの失脚後まもなく国防省は解体され、代わって設立された国防軍最高司令部(OKW)の最高司令官にヒトラー自らが就任したことで、軍は完全にナチスとヒトラーに掌握されることとなった。

フリッチュ

国防軍のNo.2である陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将。
ゲーリング、ヒムラーらによって、偽の証言で同性愛者の嫌疑を掛けられる。
軍事会議では無罪が認められたが、国防軍と陸軍の全権掌握を目論むヒムラーの野望と相まって陸軍総司令官を罷免された。
その後ポーランド戦で名誉砲兵連隊長ととして前線に赴き、戦死(実質的には自殺)している。

パウル・バイスバイラー

究極の兵士を目指して、装甲猟兵の教育を行ったケルベロスの教官。
合理主義者で兵士を鍛えるために兵が死ぬことをいとわない。
架空の人物ではあるが、物語中で語られた経歴は武装親衛隊の軍人であるパウル・ハウサーを元にしている。

ヴォルフガング・マイヤー

作中のみの人物?
ケルベロスの責任者のようである。
おそらくは武装親衛隊きっての闘士であり、第12SS装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」師団長を務めたクルト・マイヤーがモデル。

第3部の参考文献

ドイツの電撃戦については以下の二つの書籍が参考となる。
「電撃戦」(レン・デイトン著 ハヤカワNV文庫)
電撃戦に関する古典的名著であり、第3部でマキが語る内容はかなりこの本から引用されている。
現在は絶版状態だが、古書店や図書館などに置かれている可能性は高い。
「電撃戦という幻(上・下)」(カール=ハインツ・フリーザー著 中央公論社)
ドイツ連邦軍の現役将校が、実際には偶然と現場指揮官の努力によって奇跡的な成功をおさめた電撃戦の実像について資料や図版を駆使して書いた本。
巻末に多くの地図が掲載されているため、作戦の経過がわかりやすい。
高価であるので購入は難しいだろうが、図書館に置かれている場合が多いので一読されたい。

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最終更新:2007年01月07日 17:45