343 名前 : 広小路淳 ◆ 3AtYOpAcmY : 2012/07/07(土) 23:58:07 ID:8Q5/Gdis [sage]
「よし、完成だ」
短冊にマジックを机上に置く。
逢坂彦星は、願い事を書いた短冊を吊るした。
「笹の葉さらさら〜軒端に揺れる〜」
上機嫌で、その姿はさながらクリスマスイブに靴下を枕元に吊るす子供のようである。
「彦星、素麺伸びるよ〜」
「今行くよ」
そう言って行こうとして、後ろを振り返り、自分が今し方書いた短冊を少しだけ寂しそうに見つめると、双子の姉である織姫の下に向かっていった。
織姫は丁度、配膳を終え、エプロンを外していた。
「今日は素麺なんだね。やっぱり夏はこれが一番だね」
「夏だからってだけじゃないんだけどね」
「わかっている。七夕だから、だろう?」
七夕は元々神事であり、節供という文字からもわかる通り、季節の供え物を捧げる祭である。
由来は諸説あるが、この日に捧げられる供物というのが素麺であり、またかつてはこの日に縁起を担いで食されることも多かった。
「七夕の定番はいつもこれだったもんな」
「ええ」
「思い入れがあったのかな。
やっぱり俺たちがただ単に7月7日に生まれたからってわけじゃないんだろうな」
「まあ、今更聞けないけどね」
「父さんと母さんもついてないよな。子供残して、孫も見れずに死んで。
一家六人揃っていた時は楽しかったな。
今頃澪兄と樹里姉は何してるんだろ」
「私たちと同じように二人で過ごしているんじゃないかな?」
「かもな。
……ごちそうさま」
立ち上がって流し台に皿を持っていった。
彦星は縁側に腰掛け、ゆったりと涼んでいる。
童謡の通り、さらさらと風に揺れる笹の葉を眺めていた。
(初盆、じゃないな。二度目かな、もう)
両親のことではない。
彼の、今は亡き恋人のことである。
居眠り運転のトラックにはねられて、即死した。
勿論彼も当時は怒りもしたが、時が下るにつれて、心の中で虚しさのほうが大きくなってきた。
それを端的に示すのが、今日書いた短冊である。
「早く――のところに行けますように」
これがその内容だ。
彦星は、家族にとっても思い入れの深いこの行事に、彼女への想いを仮託することは相応しいことだと考えた。
七夕はお盆が習合されるようにして形作られた祭りだけに、7月に短冊を吊るせば8月に故人と会えるかのような気になれる。
それが彼の意図していることであった。
ふと、彼は声をかけられた。
「彦星、生菓子が冷えたから一緒に食べよう」
声の主は、そのまま彼の隣に座った。
彦星はさっきから黙ったばかりである。
「さ、どうぞ」
無言で、菓子楊枝を受け取る。
二人は、菓子を切って食べ始めた。
夜はまだ、長い。
最終更新:2012年08月22日 12:02