あなたがいないなら何もいらない 第4話 絢爛たる渇望

744 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:10:56.42 ID:URIM7GsT [2/7]
 操が部屋に戻った後、彼らが泊まっていた宿泊室に続くラウンジの電話が鳴りだした。
 傍らのソファで酔い潰れて転寝していた清次は、急いで受話器を手に取った。
「はい、八雲製薬名古屋支社です」
「清次さんね?」
「翼さん、あんたね、今何時だと思ってんの。
 こんな時間にかけてくるからには、少なくとも人一人死んだ以上の重大な案件なんでしょうね」
「ええ、重大ですとも。
 操を名古屋まで連れ出して。早く帰してちょうだい」
 彼は深く溜息を吐いた。
「あのねえ、ソウ、あー、操は自分で来たんです。
 篠崎が――翼さんも知ってるでしょう? 操の恋人ですよ――死んだって聞いて、血相変えてね。
 俺はそれを追っかけて行っただけです」
「だとしても、それを連れ戻すのが友人の務めというものではなくて?」
「犬猫じゃなし、首輪でもつけて連れて来いってんですか。
 本人が自分の意志で来たんだからしょうがないでしょう。
 操のところにそう言ったらどうですか」
「操の携帯に連絡がつかないから、こうして貴男のところに電話をかけているの。
 心配したのよ」
「警察署にいましたからね。終わってもちょっと話すことがありましたから。
 だから操も電源を落としていました。
 一応、なるべく早く帰ってくるように伝えましょうか?」
「ええ、お願い。
 ……はぁ、なんで操ったら、こんなめでたい日に一人で抜け出したりするのかしら……」


 その言葉に、彼は違和感を覚えた。


 恋人が突然死んで狼狽することは、「なんで」と疑問を呈すべき性質の言動であろうか?


 ましてや、その恋人が死んだことを知らされてもなお、「めでたい」とその一日を形容できるほど半川翼は無神経な人間だっただろうか?


 いや、そもそも、弟の恋人が死んだと知らされて、露ほども動じないというのは、普通のことなのだろうか?


 寝不足の頭を振って、湧き出てきた考えを消そうとした。
 だが、一旦芽吹いた疑問は、彼の頭を離れることはなかった。


 ややあって、自分が訝っていたことを悟られないように、実際以上に眠そうな声を出しながら答えた。
「そういえば、翼さんの誕生日でしたっけ。ええと、18歳でしたっけ?」
「そうよ」
「おめでとうございます」
 疲れもあって、やや素っ気ない感じになった。
「ありがとう」
「じゃあ、そっちに帰ったら、家まで送り届けますよ」
「結構よ。こっちで車を出すから」
「車を出すって、貴女どこに……」
 俺のヘリが着陸する予定かも知らないじゃないですか、と言う前に、通話は切れてしまった。
 それだけ聞ければもう充分ということなのだろうか。
 通話が切れた後も、夜が明けて操と篠崎夫妻、赤城が起きだすまで、清次はまんじりともせずに座っていた。

745 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:15:18.21 ID:URIM7GsT [3/7]
「黒木さん、取調べは私にも行うんでしょう?」
 中村署に入って黒木の姿を認めた彼は、第一にそれを切り出した。
「おはようございます、八雲さん。そうですね、短時間ですが、お話を伺えればと思っています」
「そうですか、わかりました。
 でしたら、私を一番初めに聴取してください」
 不思議に思いつつも、黒木はそれを承諾する。
「ええ、それは構いませんが……」
「それと、私の聴取が終わった後、当日のビデオを見せてもらえませんか?」
「ビデオ?」
「篠崎がチェックインした時の、彼女が映っている防犯カメラの映像ですよ」
「ああ」
 黒木は合点した。
「わかりました。用意させます」


「帽子を目深に被ってますね」
「こりゃあ怪しいねえ」
 署内の視聴覚室で、清次は赤城と共に件の女性が映っている映像を確認していた。
 既に持ち込んだDVDに焼いているが、名古屋にいる間に早く確認しておきたかったのである。
「ちょっと目視では確認できないな」
 愚痴めいた言葉を漏らしつつ、画面に見入る。
 彼が言う通り、サングラスやマスクは装着していないものの、その女性は婦人帽に隠れて顔をよく判別できない。
「持ち帰って専門家にこれを鑑定させるしかありませんね」
 そこまで赤城が言った時、清次はあることを閃いた。
「もっと間近で見てる奴なら、ひょっとするともう少しはっきりしたことが判るかもしれんな」
「そういえば、マリオネットホテルの受付がさっき来ていましたよ」
「それだ。そうと決まれば、善は急げだ」
 映像を止め、二人はそのまま室外に出る。
 そこに、黒木が話しかけてきた。
「あ、いかがでしたか」
「大変参考になりましたよ。
 この恩は必ず返します」
「ええ、期待してますよ」
 そのまま別れ、とある人物を探す。

746 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:16:39.22 ID:URIM7GsT [4/7]
 程なくその人物が見つかった。
 亜由美が死んだ当日に受付を担当していた、名古屋マリオネットアフィリアホテルのフロントクラークである。
(名古屋女はブスが多いというが、さすがにホテルの受付なんかやる奴は顔立ちもそこそこ整っているんだな)
 と失礼なことを考えつつ、清次は秘書に指示を出した。
「赤城、彼女には俺一人で当たらせてくれ」
「種蒔きでもなさるおつもりですか」
「今日はタネは撒くんじゃなくて拾うんだ。
 お前は篠崎のご両親とソウを見ててくれ。
 特にソウには気を付けろ。動揺と阻喪がえらく激しい」
「承知しました」
「何かあったら俺のところに掛けていいから」
 そういって、彼は赤城から離れていった。


 帰り支度をしていたクラークに、一人となった清次が話しかける。
「はじめまして。マリオネットの方ですよね」
「はい、そうですが……」
「私は八雲製薬の八雲清次です。今回の事件で死んだ篠崎の友人です」
「そうでしたか、お気の毒なことです」
「ところで」
 と、話題を変える。
「マリオネットには中華料理店も入ってるでしょう?」
「はい、20階に烏梅が出店しています」
「ここ来るの初めてなんだけど、味とかどんな感じ?」
「それは、……お恥ずかしい話、値段もそうお安くはありませんので、私は行ったことは……」
「そりゃいかんね」
 言葉とは裏腹に、人懐っこい声色で話を続ける。
「自分の勤め先がどういうものを出しているかぐらい知ってなくちゃ」
「本当に恐縮でございます」
「コースだとどうせ2人前からの受付だろう。
 奢るから昼飯を付き合ってくれないか」
「いえ、そういうわけには」
「一緒に行く人間がいないんだ。一緒に来た友人は今取調べ中で、いつ終わるかわかったもんじゃないしな」
「……」
「そう頑なにならないでくれよ。
 あなたはその店に行ったことないっていうし、勉強だと思ってさ」
「わかりました、ご相伴させていただきます」
「行こう」
 清次は彼女の背中に手を回し、警察署を一緒に出た。

747 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:19:17.14 ID:URIM7GsT [5/7]
 清次は前菜盛り合わせの皮蛋を突きつつ、自分の目の前にいる女をこれから突くことを思い描いていた。
「たまたま君がいてくれて助かったよ。
 じゃなきゃ、一人で食べる破目になっていた」
 本場の料理人の手による味に舌鼓を打ちつつ、彼は無駄話を叩いていた。
「江藤淳なんかは『西洋料理というものは男が一人で食べていても、何とか様になる唯一の料理』なんてってたがね。
 俺に言わせりゃ和食ぐらいだろうなあ、ぼっち飯やって様になるのは」
 江藤の最晩年の随筆「妻と私」の一節を引きながら、彼は散蓮華を口に運ぶ。
 ふわふわとした溶き卵から湯気が穏やかに立っている様子は、見るだけで温かくなるようだ。
「俺が一人でフカヒレスープを啜っている姿を想像してみ?
 そりゃあ寒々しいもんだろうよ」
「まあ、そんなことないです。
 清次さんなら何をしていても格好いいですよ」
「嬉しいこと言うね。
 最近は家族や友人からも称賛されてないから、尚更だよ」
 アヒルを薄餅に包む。皮がパリパリなのは勿論、葱や胡瓜は野菜らしい瑞々しさがあり、甜麺醤も甘さがはっきりとしているがくどくはない。
 一言で言えば、絶品である。
「君は」
 グラスの中の酒を乾し、本題を切り出す。
「昨日の夜、篠崎がチェックインした時、顔を見ているか」
「う~ん、どうでしょうね。
 見れば思い出せるかもしれませんけど」
「じゃあ、篠崎の写真を見てくれるか?」
 片手には北京ダック、片手には茅台酒。
 厳粛な話には似つかわしくないが、だからこそ話しやすいとも言える。
「今お酒が入ってるから無理ですよぉ」
 酔っているせいか、両名とも大胆になっている。
「抜くために運動でもしませんか?
 名古屋はこの近くでも『ご休憩』できるんですよ」
「文字通りヌくわけだ」
「ふふっ、清次さんみたいなイケメンさんとは初めてなんです、私」
「あんた、面白いね。俺を男妾扱いする奴は初めてだよ」
「人には添うてみよ、馬と男には乗ってみよ、ですよ。
 チャンスがあったら乗ってみるもんです」
 彼は苦笑して、そして言葉を返した。
「ふうん、じゃあ一緒に汗掻こうか?」
「あ、ちょっと今日は無理ですねぇ」
 わざとらしく、彼女は不意に思い出したという声を上げる。
「非番なんだろ? 何か用でも」
「松坂屋でショッピングをするんですよ」
 清次はまたも苦笑した。
 彼女は金品を乞うているのだと。
「そんな状態でショッピングなんか、痛い散財をするぞ。
 散財が痛くない人間に任せとけよ」
 そういって、親指で自分を指し示す。
「ええっ、貴方にですか?」
「そうだ。じゃあ、そろそろ出よう」
 二人はデザートのマンゴープリンを急いで片づける。
 清次は彼女の腰に手を回し、レストランを後にした。
 マンゴーは種と芯を抜くと美味いらしいな、と下らないことを考えつつ。

748 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:21:50.00 ID:URIM7GsT [6/7]
 タクシーを拾い、二人が来ていたのは、先ほどの話に上っていた松坂屋である。
「これもいいですねぇ」
 ダミアーニの店舗で受付嬢は清次に何を買ってもらおうか、母親に菓子を買うことを許された子供のように吟味していた。
(買うのはいいが、さっさと決めてくれないかな)
 女と一緒に――もちろん会計は彼持ちで――買い物をすることの多い清次は、心底うんざりしていた。
(女はこれだから困る)
 そう思っていたが、ようよう決めたようである。
「これに決めました!」
 彼女が指差していたのは、ダイヤを使用したベルエポックのクロスネックレスであった。
(この女、人の金だと思って存分に買い物する気だな)
 自分の財布に目を落とすと無数の諭吉がいた。数種のブラックカードもある。
(まあ、現金でも充分に買える額だが、しかし……)
 清次は、店員にカードを差し出した。
「ダイナース使えますか?」
「ええ、使えますよ」
 そして彼はネックレスを買い上げ、トロフィーでも渡すかのように彼女に手渡した。


 宝石サロンを離れ、彼女は清次にカードについて切り出した。
「プレミアムカードなんて凄いですね。
 受付を担当していても、やはり相当な名士の方でなければ持っていませんから」
「だから、俺は相当な名士なんだ。
 わかったろ? 俺に恩を売ることは得なことだって」
「ええ」
「しっぽり話してもらうからな」
「はい、そのつもりです」
 清次は彼女の尻に手を回し、店を連れ立って立ち去った。

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最終更新:2018年03月14日 21:12
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