あなたがいないなら何もいらない 第10話 権力欲の彼方

146 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/20(土) 19:52:22.00 ID:y4VwU4eP [2/4]
「娘も娘なら親父も親父だよ、ったく」
 退出した清次はその様に独語した後、再びタクシーを拾った。
 八雲邸に向かうよう告げ、BlackBerryを手にする。


「ああ、桂さん」
 警視総監に対して気安い口調で気安く電話を掛けた彼は、気安く頼み事を持ちかけるのだった。
「実はですね、ちょっと看過できないことが起こりましてね、お力を貸していただきたいのですよ……」


「おい三宮、お前ぁ爺様に地盤を譲ってもらった恩義を忘れたわけじゃあるまいな! ……ああそうかそうか! わかったよ、お前にはもう何も頼まねえ!」
 手荒に電源ボタンを押し、通話を切る。
「お仕事ですか?」
 不意に、タクシーの運転手が話しかけてきた。
「まあ、そのようなもんです」
「かりかりしていてはうまくいくものもうまくいかないものですよ。
 腰を落ち着けて事を進めるのが一番です」
「そうですね」
 と、取り敢えずは頷く。
(それができれば、苦労はしないのだが……)
 そう沈思していると、携帯が鳴りだした。
(桂か三宮の気が変わったか? そうならいいのだが……)
 ボタンを押し、出る。
「私だ」
『清次様、イケッタのことに関して厄介なことがありました』
 だが、淡い期待に反して、社用の連絡であった。
「厄介? 既に訴訟を起こされていて、今さら何が厄介なんだ」
『ハーバードの林口客員講師が心筋移植でITS細胞の臨床応用に成功したと、押売新聞が報じています』
「へぇ、それは凄いじゃないか。それの何が厄介なんだ?」
『わかりませんか、川中教授が会見で語っていた通り、ITS細胞はまだ実際に手術に応用できる段階じゃないんですよ』
「じゃあ、虚報ってことか」
『押売と林口のどちらが主導的に嘘をついたのかまでは知りませんがね』
「それは馬鹿な奴だね。それとイケッタと何の関係が?」
 それに対する返事は、これまでよりより一層悲痛な声であった。
『イケッタの有効性の根拠となる論文は彼が書いているんです』
 彼もまた、それを聞いて事態の重大性を知り、息を呑んだ。
「……それは、まずいな。
 わかった、善後策を話し合おう。
 今、社にいるんだな?」
『はい。お待ちしています』
 通信が切れると、彼は運転手に行き先の変更を告げた。
「八雲製薬に行ってくれ、急用ができた」
「わかりました」
 そうして、彼は自邸の使用人に電話した。
「社用で帰ってくるのが少し遅れる、操は俺が帰ってくるまで丁重にもてなしていてくれ」
 タクシーは、都下を目的地へと走り抜けていくのだった。

147 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/20(土) 19:54:57.79 ID:y4VwU4eP [3/4]
「ただいま。ああ、疲れた……」
 何とか懸案をこなして帰ってきた清次が自室に入ると、やはり操は酒を飲んでいた。
「おお、お帰り、キヨ……」
 清次は隣にあったウィスキーボトルを一瞥する。
「こんな安酒を飲んでいたら体に悪いぞ」
「じゃあ何であるんだ」
「部下と飲んだ時のパワハラ用、もとい、罰ゲーム用だ」
 シーバスリーガル25年を手にして、操の前に置く。
「せめてこっちにしろ」
「ああ、じゃあ……」
 操が掴もうとした瓶を、清次は持ち上げた。
「その前に、チェイサーだ」
「チェイサー?」
「強い酒を飲む際に口直しに供される水や軽い酒のことだ」
「いらんよ、俺のチェイサーは亜由美との思い出だ」
「俺はいらんが、飲み慣れていないソウには必要だ。
 ちょっとまってろ、直ぐ着替える」
 と、彼はチャイナドレスを脱ぎ捨て、急いで着替える。
 上はシャツの上から黒のウェストコートを着用し、下はスラックスを履いた出で立ちになった。
「XYZにしよう」
「何だ、それは?」
「ラム、コアントローとレモンジュースをシェイクしたカクテルだ。
 ショートドリンクだから少し強いが、レモンの酸味で良い酔い覚ましになるだろう」
 スクイザーを手に取り、脇にある冷蔵庫から取り出したレモンを絞る。
 果汁をメジャーカップに注ぎ、カクテルシェイカーの中に入れる。
 次いでラムとコアントローもボディに注ぎ、最後に氷を入れる。
 ストレーナーとトップをかぶせ、シェイカーを手にし、振りはじめる。
 シャカシャカシャカ、シャカシャカシャカ。
 程なく混合を終え、カクテルグラスに注いだ。
「さ、飲め」
 促されるままに、彼はぐっと一口飲んだ。
「美味いな」
「だろ?」
 さらに飲み、彼はグラスを干す。
「じゃ、またウィスキーといこうか」
「ああ」
 タンブラーに氷を入れ、酒を注ぐ。
 無言で杯を掲げ、二人は飲みはじめた。
「あのあと、方々に連絡を取ってみたんだがな。
 警視総監もダメ、内務大臣もダメ。
 どうしたもんだか」
 その顔には、今や操に匹敵する程の憂愁を帯びている。
「あと残るは総理大臣くらい、……!」
 そこにまで話を及ばせた刹那、彼ははっと閃いた。
「そうだ、総理だ!」
「総理? キヨ、総理大臣とも伝手があるの?」
「当然だ、八雲製薬は国民党の大スポンサー様だぞ」
 いそいそと受話器を持ってくる。
「そうと決まれば早速」
 番号を押し、いまだ首相公邸に移っていない我が国の首相の私邸へと掛けた。
「この時間なら総理は家に帰ってきてるはず……」
 間を置かず出たのは、その秘書であった。
『はい、』
「星野か? 総理に繋げ」
 弾んだ声で、主を促す。
『わかりました』
 ややあって、電話が代わった。
 その相手こそが、日本国内閣総理大臣、九尾伊(くお おさむ)である。

148 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/20(土) 19:58:42.62 ID:y4VwU4eP [4/4]
「よお、九尾さん。首相就任、いや、再就任ですかね。まあともかくおめでとう」
『どうも、清次くん。八雲には本当に助かっているよ、資金面でも人員面でもね』
「お力になれて光栄です」
『参院選もよろしく頼むよ』
「もちろんですよ。またうちの連中に選挙を手伝わせますよ。
 ところで」
 と一旦呼吸をおく。
「治安のために拘引すべき人物が一人いますので、一刻も早い対処をお願いするためにご連絡申し上げました」
『ふむ』
 と合点がいったかのように相槌を打った。
『また、女と揉めたの? それとも詐欺かなんかで訴えられそうなん?
 笠松に話を通しておくよ。罪状は重い方がいいかい?』
 茶化すように言葉をかけ、こともなげに警察庁長官に不正を働かせることを示唆した。
「いいえ、今回はセフレでも商売敵でも取引相手でもありません。
 友人の姉貴がちょっとやらかしましてね、引導を渡してほしいんですよ」
 彼の声が訝るようなものに変わった。
『友人の姉貴?』
「ええ、名古屋でホテルの最上階から女子校生、じゃなかった、女子高生を投げ落として殺しましてね。
 彼女の『身柄』と引き換えのギブ アンド テイクです 捕まえてくださいよ…早く捕まえてください」
 だが、九尾の次の言葉は、彼が予想していなかったものだった。

『だが断る』
「ナニッ!!」
『この九尾伊が最も好きな事のひとつは自分で強いと思ってるやつに「NO」と断ってやる事だ…』
「僕は強いですよ、そりゃ。
でも、今回は僕自身の案件じゃないんです。友人のために動いているんです」
『君の友人とは半川さんの息子さんだろう』
「知ってるんじゃないですか。知ってるならなん……」
『翼くんに縄をかけるわけにはいかんよ。いかんのだ』
「いかんってどういうことです。参院選に人と金を出せっつったのはそっちでしょ」
『ああ、また一から選対を練り直さなきゃならんね』
「参議院を奪還することで日本を『トリモロス』んだろ? 諦めんのか」
頭に来はじめてきた清次は九尾の滑舌の悪さを揶揄し始める。
『おいおい、品のいいふりだけでもしたらどうだね。日本有数の大手製薬会社の御曹司だろう』
「週刊赤日や谷口太郎(反九尾派の政治学者。北大教授)が言ってることだよ。知らないわけじゃないだろ」
『えーえー、知ってますよ。そういうのに乗っかるのが俗悪だって言ってるんです』
「そういう奴に頼って政権を『鶏モモ』したのはどこの誰だ。
うちが手ぇ引いたら、1人区だけでも3つか4つは取りこぼすぞ」
『背に腹は代えられませんからね』
「そーかいそーかい。じゃあまた惨敗してストレスを雪だるま式に溜めて、腹に水がたまって病院に担ぎ込まれちまえ」
『君も事情を弁えない人だね』
「事情ってどういうことだ、こっちがガキだからってナメてんじゃねえぞ!」
品性の無さ(というか地金)を晒しながら、彼は脅しにかかる。
「誠司とキム、もとい、政治と金のスキャンダルだけならどうとでもなるだろう。
だがな、医療利権は八雲が、つまり俺が握ってるんだ。
あんたのカルテだって俺の手元にある」
彼は勢いに任せてがなりたて出した。
「お前の自己免疫性肝炎、本当はまだ爆弾抱えてる状態だろ。
今はあの新薬、えーと、アサコール? ヒルコール?」
「ヨルコールだ。アサコールは潰瘍性大腸炎の特効薬だろうに」
「そうそう、ウンコールウンコール」
「ヨルコールだってば。君のところで出してる薬なのによく忘れるな」
「知るか、んなもん。俺は渉外と金勘定が専門なんだから」
吐き捨て、言葉を継ぐ。
「で、今はそれで症状を抑えられているが、いつ再発するかはわからない。
ましてやパフォーマンスでビールを呷る余裕なんかないはずだよな。
これを貴様の葬式をもう一度出したがってる赤日が入手したらどうなると思う?」
日本では赤日という名前は、保険業、放送業、自転車小売業をはじめ、ビールやゴム靴のメーカーなど
様々な企業にその名を好んで使われ、NHKの女子アナや煙草の銘柄にも見受けられる。
だが、この場合の赤日とは、九尾と犬猿の仲であり、九尾バッシングで知られる国内有数の大新聞、赤日新聞のことである。
「おのれの肝臓の本当の病状を嬉々として報じるに決まってるだろ!」
『でしょうな』
だが、九尾は存外(と清次は感じた)平静であった。
それにより、彼はさらに苛立たせられた。
「でしょうな、じゃねぇ! さっさとしないとこれをバカ宮、じゃなかった、高宮んとこに持ってくぞ、この狐野郎!」
と、彼の容貌と苗字に引っ掛けて罵倒する。
ちなみに、高宮嘉郎は、赤日新聞の主筆であり、仲間内の会合では「九尾の葬式はうちで出す」と嘯くほどの九尾嫌いである。
清次が葬式云々と言ったのはこうした背景によるものである。
『なら、仕方がないですね。私の健康問題が明らかになるだけなら、不本意ですが我慢できなくはないですな』
「もういい、この献金泥棒! 死ね!」
と、捨て台詞を吐き、ガチャ切りする。

375 名前 : あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY : 2013/07/20(土) 20:22:11 ID:a087f5799 [sage]

「九尾・ヴァディス!」
そして大袈裟に慨嘆する。
「聞いての通りだ、使えないやっちゃ」
「税金泥棒という罵り文句はよくあるけど、献金泥棒というのは初めて聞いたな」
「献金してるんだからそれなりに働くのは当たり前田のクラッカー」
「せめて当たり前体操ぐらいにしとけよ、誰がわかるんだ」
「ま、九尾にまで手を回しているってことは、誰に言ったって無駄だ。
残念だが、翼さんを縄にかけるのは無理だろう」
「そうか…………」
今までで一番、操は沈鬱な表情になった。
「ソウ、お前ここ最近ずっと暗い顔だな、無理もないが」
「……」
「これがホントのソウ鬱病、ってな」
おどけた調子を作って清次が言うが、操は黙ったままだ。
「……」
「何だよ、笑うなり怒るなりしろよ。
喜怒哀楽は精神の新陳代謝だぞ」
それから、しばらくの沈黙。
その後、ようやく操は口を開いた。
「考えていたことがあるんだ」
「何だ」
「青酸カリ、キヨなら入手できるだろ?」
「翼さんを殺すのか?」
「いや、それも考えたが、今さら虚しいだけだ。
そんなことをしても亜由美は帰ってこない」
「そら手に入れようと思えばできるぞ。
だがな、菩提を弔って生きるという生き方だってある」
「……」
「だから自殺は一寸措いておけ」
「なあ」
「ん?」
「キヨは、近親相姦は、憎いか?」
「憎い。これほど悍ましい人間の性的不品行もそうそうあるもんじゃないだろうな。
何で日本が他国(米英独伊など。米国は州法の規定による)のように近親相姦を犯罪化しないか不思議でしょうがないくらいだよ」
「そうか。なら、な」
そこで言葉を一度切る。
「俺の話を、少し聞いてもらえるか」

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最終更新:2015年12月01日 13:50
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