あなたがいないなら何もいらない 最終話 龍虎相打たず

211 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:13:50.02 ID:/mS9TYCP
 操が、重い口を開く。
「あれは、東京に戻ってきた日の夜のことだったか」
「ああ、ソウは眠ってたよな」
「家についてからも寝ていて、自分のベッドに運んでもらったんだ」
「相当小さいころまで遡らないとそういうことをしてもらうことはないんじゃないのか?」
「自分でもそう思う。
 それはともかく、俺が起きた時、姉貴がそばにいた」
「翼さんが?」
「着替えさせていたとかで、俺は全裸になってた。
 だけど、姉貴は俺のチ〇ポに頬擦りかまして、『これを、お姉ちゃんに頂戴』なんて抜かすんだぞ」
「ぶふぅっ!!!???」
 飲んでいたシーバスリーガルを、清次は思い切り噴き出した。
「挙句『あの泥棒猫のことは、許してあげるから』だと。
 寝てる振りするのに懸命だったよ」
 口元をハンカチで拭い、彼も自分の思うところを述べはじめた。
「まあ、でもある程度は予想できる材料はあったよ」
「材料?」
「ソウと篠崎を結婚させたくなかっただけだったら、篠崎を脅すなり金一封を渡すなりすればいい」
「そんなことで亜由美はっ……」
 恋人が不正に屈する可能性を示されて反発する操を、清次はなだめる。
「まあまあ、わざわざ弟嫁にしたくなかったからといって殺す必要はない、ということを言いたいんだ」
「そうか。まあ、それはそうだよな」
「そして、俺が半川の家に行った時、最後、栄さんは『貴賎相婚より近親相姦のほうがまだマシだ』と吐き捨てたんだ。
 近親相姦を憎む俺に向けてだとしても、あまりにも奇異な例えだ。
 つまり、実際にそういう状況におかれたから、そういう言葉が出てきた、と考えていいと思う」
「なら、親父は……」
「ああ、ソウと翼さんが男女の関係になってもいい、と思っているんだろう」
「親父は、何でっ、」
 怒りで吐き出す言葉も切れ切れになりつつある。
「そうまでしても結婚させたくなかった、というのは本心だろう。
 それに翼さんは栄さんの首根っこを握っている」
「?」
「前にも言ったろ。翼さんは厚木重工業の7割の株式を持って、その議決権を成人とともに行使できるようになったって」
「!」
「その気になればその日にでも栄さんを社長職から解任できるということだ。
 彼にしてみりゃ、自分の地位のためなら心底憎んでいる女を一人殺すことくらい……」
「何てことだ!」
 話を遮るかのように憤慨の声を発する。
「憎かろう。翼さんが」
「ああ、そして俺はあいつが一番嫌がることをしよう、という結論に達した」
「それがお前の自殺か」
「それもただ死ぬんじゃない、あの女狐の目の前でだ」
 それを聞き、清次は大きく頷いた。
「わかった。そういうことなら」
 室内の隅にある、かなり大きな金庫に向かう。
 番号を押し、扉を開ける。

212 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:14:49.61 ID:/mS9TYCP
 その中には、カオスが、あるいはその中身だけで八雲清次という人間を説明しつくせる品々があった。
 円弗磅ユーロなどの札束、国債、不動産や金融商品などの権利関係の書類、宝石、金銀プラチナの鋳塊。
 何丁かの拳銃やそれに装填される実包、何個もの手榴弾、ダガーナイフ。
 媚薬、経口避妊薬、色取り取りのブラジャーやショーツ、ディルドやローターのバイブレータなど。
 そして国会議員や企業役員や清次自身の路チュー写真。
 それらとともに、夥しい量の褐色の瓶が並んでいた。
「これがモルヒネで、こっちがバルビツール、こっちはパンクロニウムで、これは、えーっと、……あった! これだ!」
 その中の一本の瓶を手にした。
「これが、青酸カリだ」
 二人でまじまじと瓶を見つめる。
「これを飲めば、死ぬわけか」
「ああ、死ぬ」
 肯いた清次は話を転じた。
「それで、どこで死ぬつもりだ?」
「姉貴ご自慢のデスクに吐きかけてやるよ」
 社主室の調度品を思い出す。安くはないだろうに、と少々ずれたことを考えつつ、話を進める。
「翼さんを呼び出さなきゃな。俺がメッセンジャーボーイとして半川邸に行こう」
「電話じゃダメなのか」
「俺が言伝をしてる間にソウは先に厚木に行けばいい」
 車庫へ、と立ち上がった。

 車庫に着くと、清次は駐車してあるリムジンを指差して言葉を発した。
「じゃあ、俺はこっちのキャデラックに乗るから、ソウはそっちのファントムに」
 示す先には、ロールスロイスが誇る最高級サルーンがあった。
 ダイヤモンドブラックの車体は、そのためだけに雇われている使用人の手によって丹念に洗車され、よくワックスが効いて艶やかに光っている。
「キヨの贅沢趣味を差し引いても、随分と豪奢だな」
「最期くらい、一番良いもので送ってやりたいからな」
「そうだな」
 彼は寂寞とした表情で頷いた。
 清次はその表情の中に、安堵と期待の色を僅かに見たが、それが自分の気のせいであるかは敢えて深く考えないことにした。

213 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:17:00.89 ID:/mS9TYCP
 半川邸に着くと、アポなし、しかも夜分であったにもかかわらず、帰ってこない弟、そして息子を憂慮していたためか、詰めていた門衛に話し掛けると、清次をすんなりと邸内に通した。
「翼さん」
 出迎えたのは、今度は翼であった。
「お待ちしていました」
「お待たせしました」
 その姿はあまりにも悠然としている。操を返せとしつこく督促してきたとは思えないくらいに。
「お夕食はもうお済みですか」
 そう聞かれて、彼は「ええ」と些細な嘘を吐いた。
 本当は、食事が胃袋に入るほど食欲もなかった。
 ただ、アルコールは入っていた。
 逆に言えば、酔いが回っていたからこそ、食事をもう取ろうと思わなかったのかもしれない。
「それでは、何か御所望のものでもございますか」
「じゃあ、シガールームで少し寛がせてくれるか」
「ええ、結構ですよ。ではこちらへどうぞ」
 栄にビリヤードルームに連れられたように、今度はその娘に付いてシガールームへと向かうのだった。


 椅子に腰かけると、清次は自分の欲するところの葉巻の有無を問うた。
「モンテクリストのNo.3あります?」
「ええ、ありますよ」
 ヒュミドールに向かい、その中の一本を取り出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 シガーカッターを取り出して、渡されたシガーに吸い口を作る。
 そこに、翼はシガーマッチを手にして声をかけてきた。
「火をお付けしましょうか」
「結構だ」
 と彼は自らのターボライターで火をつけた。
「やはりこういうシガーは何かのアテにして喫みたいが……」
「そう言うと思いました。何にしますか」
「コニャック。カミュを頼む」
「わかりました」
 今度は室内にある内線電話の方に向かい、使用人にそれを伝える。
「カミュ・ミシェル・ロイヤルをシガールームまで持ってきて頂戴」
 受話器を置いた翼に、清次は言葉を発した。
「あなたは目の前で吸われるのは苦手かと思ったんだが」
「どうしてそう思われたのですか」
「ほら、俺がリンカーンの車内で……」
 そうまで言って、彼女は彼の言わんとすることを察した。
「ああ、それですか。
 当て付けだと思ったんですよ」
「は?」
 さすがに、彼も意味を解しかねた。
「あの時操さんが手にしていらっしゃったのはロメオ・イ・フリエタでしたでしょう?」
「そうですね」
 何を当然のことを言ってるんだ、という訝りとともに、葉巻を嗜んでいるとも思えない彼女がシガーバンドを見ただけで銘柄がわかったことに意外の感を覚えた。
「ロミオとジュリエットのような悲恋だとでも仰りたかったのかと思いました」
 それでようやく理解する。
 理解すると同時に、遣る瀬無さが込み上げてくる。
「そうなるとあなたはティボルトかパリス伯爵か、俺はマキューシオかベンヴォーリオかロレンス神父か……、いや、無理があるな」
 あまりにも有名なこの悲劇の登場人物に現実の人間を当て嵌めてみようとし、結局はその戯れの思考を投げ出した。
「いや、割れ鍋に綴じ蓋ぐらいのもんだと思いますよ、あの二人は。
 だからこそ、そんなつつましいカップルを引き裂いたのは、あまりにも惨たらしい」
「まあ、清次さんは余程高潔な生き方をなさってきたんですね」
 戯けた声色で、彼女は非難に返答する。
 それに対し、彼は無意識に唇を微かに左歪みさせた。
「情の湧く相手は無下にはしませんよ、操にも、篠崎にも」
 その苛立ちは、顔色や声色よりも、むしろ敬語とタメ口がちゃんぽんに使われるところにより一層表れていた。
「あら、恋人に優しい男性だとは初耳です」

214 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:20:10.99 ID:/mS9TYCP
「そうじゃない、そうじゃない」
 かぶりを振る。
「篠崎は別れた後も、人間として尊敬し合える関係を維持できる立派な人格を持っていた。
 それに」
「それに?」
「無二の親友の彼女だから、だ」
「一つ間違ってるわ」
「何がです」
「彼女『だった』から、でしょう? 彼女はもうどこにもいないのだから」
「いや、操はそう思っていない。
 死んだ人間は生きている人間の心の中で生き続ける。
 操が篠崎を想い続ける限り、彼の恋人はずっと篠崎のままだ。
 少なくとも、操はそう言うだろう」
 ああ、と、操は自分の言葉の中の訂正点に気づいたといった節で声を上げる。
「一つ、間違いがある」
「でしょう?」
「『彼女』という言葉では軽薄すぎるね。『伴侶』だから、だ」
 途端に、彼女は怒りの声を発した。
「馬鹿なことをいわないで頂戴!」
「馬鹿はどっちだ、」
「操はあの淫売に誑かされていただけよ、あなたみたいな色気違いのチ〇ポ男とは違うわ!
 そもそもあなたがあの雌豚を捨てたから、尻拭いをさせられたんでしょ!」
「それはあなたが? 操が? どっちの意味にも取れるがね……。
 にしても放送禁止用語のオンパレードだね、そんなに頭に来たのかい?」
「当然でしょ、」
 彼女が言っている途中に、ノックの音が響いた。
「お持ちしました」
「入りなさい」
 フットマンが1本のコニャックと2客のブランデーグラスを載せたサービストレイを持ち、入ってくる。
「注いであげなさい」
 翼の下知で、ロシア皇帝ニコライ2世も愛したコニャックがグラスに注がれる。
 清次は彼女に酒を勧めた。
「あなたも飲んではいかがですか」
 少し考え、彼女は首肯した。
「ええ、ご一緒させてもらうわ」
 それを聞き、フットマンはもう1客のグラスにも注ぐ。
「それでは、ごゆるりと」
 手早く与えられた仕事を終え、彼は部屋を退出した。
 その姿を見やった清次は、何の気なしに浮かんだ疑問を口にした。
「さっきの召使いも男だったが、あんたらんとこでは男しか雇ってないのか?」
「そうよ」
「ふうん、厚木重工業の御曹司を誘惑しようとする不届きな女を近づけないように、か?」
 少し意地悪な笑みで、彼は冷やかし半分の台詞を語る。
 それに対し、彼女は真顔で返してきた。
「当然よ、操を変な女に渡したくないもの」
「篠崎も、変な女か?」
「その上、不届きな、ね」
 ふっ、と彼女は鼻で笑った。
「操はともかく、栄さんは手籠めにできる女中の一人も欲しいだろ。あれでいて、案外懲りているのか?」
 その実現しそうもない状態を想定した問いに、彼女は再度鼻で笑う。
「懲りた……のならいいけど、そうじゃないわ。外で作ってもらってるの」
「栄さんは昔から女癖が悪かったからな、貴女のお爺様はそれを嫌って7割の株をまだ産まれてもいなかった貴女に遺贈した」
「ええ、会社を相続できる身内が父しかいなかったことをお嘆きになっていたと聞いているわ」
「今の状況を見たら、もっと嘆くだろう。その娘が、弟の恋人を殺害するなんて」
 彼は溜息でもつくかのように呼出煙を吐いた。
「男女が逆なら、マーロン・ブランドの映画の中での息子(「ゴッドファーザー」におけるマイケル・コルレオーネ)か、リアルの息子(クリスチャン・ブランド)だな」
 映画「ゴッドファーザー」においてブランド演じるヴィトー・コルレオーネの息子マイケルは妹コニーの夫カルロ・リッツィをファミリーに対する裏切りの代償として殺し、
現実世界においてブランドの長男クリスチャンは妹シャイアンの恋人ダグ・ドロレットを射殺し、過失致死罪で服役した。

215 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:20:52.12 ID:/mS9TYCP
「今のあんたはまるでマフィアだ。
 いや、マフィアだってこんな理由で殺しはやらない。奴らにとって殺人は面子と利益のために遂行するビジネスだからな」
 グラスを掲げ、あくまで声を荒げないように話をする。
「ムルソーみたいに、『太陽が眩しかったから』殺したんなら、いっそすっきりしてるがね」
「『異邦人』ね、そのカミュとはこのカミュは何の関係もないでしょ」
「結婚させたくなかったから?」
「なくはないわ。でもね、一番に大きな理由は、あの女があの子を汚したからよ」
 それを聞いて、彼は失笑を抑え切れなかった。
「今時、異性と突き合、じゃなかった、付き合ったりはごく普通のことでしょうよ。何をそんな……」
「いいえ、操を誘惑して貞操を汚したことは万死に値するわ」
 さらにくすくすと笑いながら、彼は言葉を返す。
「操が俺のような異常性欲だったら、あんたは一つの町が消えるぐらいの数の女を殺さなきゃいけなかっただろうね」
「あなたはカサノヴァというより、ドンファンね。
 気をつけないと足元を掬われるわよ」
「ははは、わかったよ。
 だが、あんたは操を愛してるようで、その実、操の人格を認めていない。
 彼は自分の意思で篠崎を選んだんだ。これは何度でも言わせてもらうぞ」
「そうだとしても、と言ってるの」
「そうだとしても、どうする?」
 畳み掛けるかのように問いかける。
「あんたは、篠崎を殺した時点で詰んだんだよ」
「要領を得ないことを仰るのね」
「どうしてか知りたけりゃ、本人に聞け。今、厚重の本社にいる」
「それを伝えに?」
「そうだ」
「ありがとう、失礼させてもらうわね」
 軽く頭を下げると、彼女はそのまま部屋から去っていった。
 後には、清次が一人残されている。
 彼は、吸い止しの葉巻に戻り、一吹かしすると、誰に語るでもなく呟いた。



「生徒会の執行部に任期の途中で欠員が出たら、どうなるんだろうな」

216 :あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/10/24(木) 17:22:24.84 ID:/mS9TYCP
 社主室では灯りを燈していなかったが、月光が差し込み、そこにいる者の表情が判るほどに明るかった。
 重厚な木製の扉が開き、音を立てて閉ざされる。
「来たんだね」
 デスクチェアに座っている操の視線の先には、彼の実の姉がいた。
「ええ、操のいるところならどこへでも」
 氷のように冷たいその視線に、翼は穏やかに微笑む。
 皮肉を込めて、彼は傍らにあったラジカセを指差す。
「純日本人なのにストーカーみたいだな、『北の国から』を掛けようか?」
 彼女の妄執――少なくとも彼は「妄執」と捉えている――を、某ストーカー殺人を例示してそれに準える。
「でも、私は捕まらなかったでしょ? あんなフィリピン人ハーフの学歴詐称男とは土台出来が違うのよ」
 いよいよもって彼女は安らいだ笑顔になっていった。
 それがまた、彼の苛立ちを掻き立てていた。
 だが、それもあと少しと思い直し、喚きたてることは我慢できた。
「ああ、今の今まで散々に思い知らされたよ」
「それで、どう?」
「どうって、何が?」
「お姉ちゃんを受け入れる決心、ついたかしら?」
「ああ、そのことか」
 納得がいった彼は、僅かににやりとする。
 机上にあった水入りのグラスを取り寄せ、忍び持っていた茶色の小瓶を取り出す。
 白い粉末が、水の中に落ちてゆく。

「これが俺の、答えだ」

 その毒杯を、彼は一気に乾した。

「う、ぐっ……!」

 昏倒し、椅子から崩れ落ちる。
 翼はその様子を満足気に見つめていた。
 一頻り彼の死相を眺めると、彼女は両掌を打った。

「さて、私も逝かなくちゃね」

 やにわに短刀を取り出し、着衣のままその切っ先を自身に向けた。
 それを、一気に胸に突き立てる。
 夥しい血が流れ、服を緋色に染める。
 彼女もまた、その場に斃れ込んだ。
 やがて、意識は遠のき、今生からの出立を迎えるのだった。


「……み、さお…………」


 ただ、その貌は、あくまで安らかであった。



「愛、してる……………………………………………………………………」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年12月01日 13:31
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。