病み色の恋

409 :病み色の恋:2007/11/14(水) 04:23:34 ID:qww8jigi

削ぎ落としたように白い病室を訪れる。

「兄さん、来てくれたんですね」

ベッドの上には、入院中の妹。
その首には、痛々しく包帯が巻かれていた。

「さあ。兄さん、こちらへ」

皺一つないシーツの上を薦められる。
促がされるままに腰掛けて、抱きついてきた妹の頭を撫でた。数度、妹が深く呼吸する。

「うん。今日も良い匂いですね、兄さん。雌猫の臭いはついていないみたいです」

僕の首に鼻を押し当て、軽く擦る。
満足そうに、妹は鳴いた。

「ふふふっ」

一頻り頬ずりをしてから離れる。
片手で僕の腕を握ったまま、器用に寝台の脇に置かれた果物とナイフを手繰り寄せる。
手に取ったのは、赤い林檎だった。

「少し待って下さいね、兄さん。
この時間なら少しお腹が空いてるでしょう? 林檎を剥いて上げます」

そう言って赤色の果実を剥き始める。
片手は僕を放さないまま、ナイフを持った手の親指で林檎を回転させ、刃をその背にのせた人差し指で押し当て、赤い皮を剥く。
しょりしょり。しょりしょり。
少しずつ、少しずつ林檎が白っぽい裸身を覗かせ始め、それに従って妹の手元には途切れない赤色の川が流れていく。

「兄さん、子供の頃は林檎が大好きでしたよね?」

手は止まらない。
質問に林檎から外した視線を向けると、僕に向けられたままの妹の瞳と目が合った。数秒上向いて、頷く。

「それじゃあ、たくさん食べてくださいね」

嬉しそうに微笑まれた。
しょりしょりと、林檎を剥く手は止まらない。
真っ白な病室に青白い肌が浮かび、清流のようにさらさらと流れる黒髪の下で赤い流れが伸びて行く。
しょり、しょり、と。
治せない病を隔離する四角い部屋は、ただ静かだった。

「~~♪ ~~~~♪」

妹の、言葉にならない歌が光の跳ね返る壁に反響する。
ゆっくりとした旋律が、林檎を剥く音から少し外れて続いた。


「すいませーん、○○さん・・・・・・おや、お見舞いの方ですか?」




410 :病み色の恋:2007/11/14(水) 04:24:41 ID:qww8jigi

唐突に。
不幸にも場違いに、病室の扉が開く。
天使と形容される純白が、白い部屋へと割り込んだ。
僕の呼吸が、止まる。

「もしかして噂のお兄さんですか? 平日なのに、こんなに早い時間に来るなんて妹さん思いなんですね。
 でも、ちょっと申し訳ないんですけど少し────────」

腰を浮かせる。
言葉では遅い。視線や雰囲気では察してもらえない。なら、多少強引にでも彼女を遠ざけねばならない。
ひどく具体的な、身の危険から。
だけど。
そうは思っても、僕の挙動は遅すぎる。立ち上がって、彼女を安全圏に追い出すのに数秒。
その時間がどうしようもなく、長い。

耳元を風が撫で去る。

四方を囲む白い壁に一点、赤色の花が咲いた。

「 出 て け ! ! 」

「ひっ!?」

彼女のすぐ横に叩きつけられた林檎が醜く潰れ、噴き出した果汁が血のように赤い皮の上を流れる。
四散した果肉に数拍遅れて落ちたそれが、べちゃりと鈍く悲鳴を上げた。
それよりも早く、妹の怒号が響く。

「 出 て け っ ! ! 」

「な、あ・・・○○さん?」

射殺すように、睨みつける。
青白かった肌が殺意に薄赤く染まり、湯立つような怒りが生気となって迸る。
噛み付く、いや、食い殺さんばかりに、妹は侵入者へ牙を剥いていた。手に握る、刃を。

「何してるの、早く出てってよ! 入ってくるな!
 折角兄さんが来てくれたのに邪魔するつもり!? 近付くなっ!
 私に、兄さんに、私の兄さんに近付くなっ! 早 く 出 て 行 け っ っ ! ! !」

「ひぁっ!?」

多分、彼女は知らされていなかっただけなのだろう。
何かの手違いで、今、この時間に来てしまった新人に違いない。
怯えもするはずだ。まだ若い看護婦が、いきなり患者に、それも殺しかねない勢いで怒鳴りつけられれば当然と言える。
だから、彼女を一秒でも早くここから出さねばならないのに。

僕の手首は、妹の手に握られて軋みを上げていた。


411 :病み色の恋:2007/11/14(水) 04:25:11 ID:qww8jigi

「近付くな、近付くな、近寄るなっ! ここに、私と兄さんの場所に入るな!

 出て行け、出て行け、出て行け────────それとも、そ ん な に 殺 さ れ た い の か っ っ ! !」

動けない。僕も、事態に理解の追いつかない彼女も。
妹が手を握る。強く、強く握り込む。

僕の手と、ナイフを。

「 じ ゃ あ 死 ね っ ! 」

刃が投擲される。
妹を理解していない、理解出来ない彼女は。

「きゃああああああっ!?」

思考を放棄した反射で扉を閉めることで、助かった。
鉄の刃は金属の壁に阻まれて地に落ちる。

カラン、と乾いた音がした。
不規則な足音が廊下の向こうに遠ざかる。

「っはあ! はあっ、はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・・」

妹が荒く、息を吐く。
心身の急激な消耗に吐息が乱れ、『敵』が去った安堵から筋肉が弛緩した。拘束する手が緩む。
今後のためにも、走り去った彼女には謝罪と説明をしておかなければならない。
僕は、今度こそ歩き出そうとして。

「兄さん────────どこへ、行くつもりですか?」

鷲掴むような声に、振り向いた。

「私を置いて、どこに行くつもり、ですか?」

綺麗な、とても綺麗な笑顔が目に映る。

「まさか」

一時的に血色を取り戻した唇が薄く開いた。

「あの女を追いかけるつもりじゃあ、ありませんよね? 私を置いて。
 私と兄さんの逢瀬を汚した女なんかを・・・・・・兄さんは、まさか私より優先したりは、しませんよね?」

間違っても、と。
そう、念を押すように微笑まれる。
僕が立ち上がった分だけ低い位置になった妹が、瞳だけは抉り込むように、下から僕を威圧していた。

「だって、私はこんなにも兄さんを大好きで、愛して、誰よりも何よりも、唯一、この世界で大事にしているのに。
 兄さんだけを、とてもとても想っているのに。
 私が兄さんなしではいられない、生きてはいけないことを、兄さん自身もよぅく知っているはずなのに」

妹は、怪我人だ。それも、つい先日に大怪我をしたばかりの。
たとえそれを抜きにしたところで、組み合えば体格差で僕が勝つに決まっている。

なのに。


412 :病み色の恋:2007/11/14(水) 04:27:32 ID:qww8jigi

「兄さんは、私を殺したくはありませんよね?」

僕は、妹に絶対に、勝てない。

「私には、兄さんが私以外を私より優先するなんて許せない。堪えられない。
 身切れるように。辛くて、苦しくて、兄さんを取り戻すためなら・・・・・・本当に自分の体を千切ってしまえるくらいに」

そこには、体力も筋力も関係がない。
それはもっと、とてもとても単純な純粋な。

「ねえ、兄さん。それとも、またやって見せましょうか?」

命がけの、覚悟の差。

妹が、包帯に巻かれた首に指を這わせる。

「兄さんの愛と、私の兄さんへの愛を。もう一度、試してみましょうか?」

そこには、妹が自分でつけた傷がある。
あの日。
それにはどうしようもない事情があったにせよ僕が妹以外の女性と肌で接触してしまったために、
必死に謝まりながら止めるよう説得する僕を、妹は面会の時間は終わりましたよ、と笑顔で返して。

その日の晩に、首の肉を千切り取った。

僕を呼び戻すために。呼んで見せ付けるために。その姿で、呼び起こされる罪悪感で、僕を縛るために。

「ねえ、どうします? 兄さん。兄さんは、私には死んで欲しくないって言っていましたよね?
 でも、兄さんはそのことをすぐに忘れて他の女の方を向いてしまう。
 ねえ。兄さん? もしも私が死ぬとしたら、それは兄さんが殺すんですよ?」

その前は、手首を噛み千切った。
その前の前は、頭蓋を壁に打ち付けて血を流した。
その前の前の前は、拳の骨がばらばらになるまで壁を殴りつけた。

「さあ、兄さん。教えて下さい」

妹がそれを痛がったことは一度もない。むしろ、笑っている。楽しそうに、嬉しそうに。
結局、僕が妹を選ぶしかないことを確認して。


「兄さんが────────たとえ私を殺してでも、他の女の下へ行きたいのかを」

妹は、いつも笑っている。

この、真っ白な空間の中で。
治らない恋を、病のように抱えながら。

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最終更新:2007年11月14日 17:37
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