せきにん

412 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:03:42 ID:wdlMI3Qk
人間が感じる苦痛のなかで最も性質の悪い苦痛とは、良心の疚しさであると僕は思う。
体の痛みは治療や麻酔によってその元を断つことで解消できるし、怒りや妬みはその責任の所在を他者へ向けてある程度ごまかすことができる。
しかし、自分が加害者の側となって被害者に対し感じるこの負い目は、罪を償うというある種の代謝行為によってでしか解消できない。
罰則を受け、許しを得るということは、良心の疚しさから開放されることなのだ。ソクラテスのいったことは正しかった。
罰則を受けないでいることは、罰則を受けることよりずっとずっと苦しくずっとずっと悲しいことであるのだ。
そして、残念なことに僕は取り返しの付かないことをしでかしてしまった。償いきれない罪を犯してしまった。
この罪状は永遠に許されることはなく、この負い目は死に至るまで僕を苛み、切れることのない鎖で僕を雁字搦めにして責苦を味わわせ続けるだろう。
姉さんはきっと僕を許してくれないだろうから。

ベッドが広くなっていることに気付いて、僕は目を覚ました。ちゅんちゅんとした鳥の囀りに混ざって、微かに車のエンジン音が聞こえる。
典型的な朝の静寂が僕を憂鬱にさせた。畜生め、また朝が来てしまったのだと、ラジオ体操の歌詞とは正反対の感情を抱く。
壁一枚隔てた向こうでは、平穏な日常が繰り広げられているだろう。陰気な我が家とは大違いだ。
目覚まし時計はまだ鳴っていない。以前はこれの助けが無ければ起きられないほど無精だった自分も健康的になったものだ。
病は気からというが、その逆は当てはまらないのだなと一人納得し、口元を拭ってベッドから降りる。
昨夜の名残が鼻をついたため、吐き気を振り払うように頬を打ってから部屋を出た。


413 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:05:19 ID:wdlMI3Qk
台所ではいつものように姉さんが鍋をかき混ぜていた。寝巻きの上にエプロンをかけて、ぱたぱたと忙しそうに朝食の準備をしている。
「おはよう、修司。もうちょっとでごはん出来るから待ってなさい」
「ん、おはよう、姉さん」
目をこすり、まだ完全に目覚め切っていないような仕草で挨拶を返す。もちろん演技だ。
以前となんら変わらない日常を送っているのだと、自分自身を騙すための。
僕の目を見つめて柔らかく微笑む姉さんはそれを見透かしているのだろう。食卓を囲んで、味噌汁の出汁を変えたこと、
テレビで流れてるニュースのことといった他愛の無い雑談を楽しそうにしながらも、その口元は哀れな僕を嘲笑っているように見えた。
「お買い物行くから今日は早めに帰って来なさいよ。いいわね」
姉さんが皿を洗いながら話す。顔は流し台に向けたままだ。
「ごめん、今日は部活があるからちょっと」
「部活があるから一緒に行けないっていうのかしら」
「その、ごめん」
「どうだっていいじゃない部活なんて。一度や二度サボったって大したことないわよ」
姉さんが振り向き、僕を見据える。あの笑顔は能面のように張り付いたままだ。
「で、でも、今日こそ出るって約束しちゃったし」
「修司」
「わ、わかったよ。今日も出れないって謝っておく」
姉さんに逆らうことは、僕には許されていない。選択する権利など、初めからありはしないのだ。
「わかればいいのよ。あんたはそうやって姉さんの言うことをちゃあんと聞いていればいいの」
「うん」
「ふふ。修司はいいこね」
姉さんは妖艶な笑みを浮かべながら手のひらで僕の頬をなぞる。唇に感じる指先の冷たい感触、自分のあまりの情けなさに泣きたくなった。



414 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:06:50 ID:wdlMI3Qk
黒板に書かれた数式をひたすら書き写しながら、こんなお勉強が何の役に立つのだろうかと普通の高校生なら誰しも一度は考えるであろう疑問に想いを馳せる。
与えられた問題を与えられた方法で解いても、頭が良くなるわけではない。暗記するだけならチンパンジーにだってできる。
むしろ机にかじりついて勉強すればするほど愚鈍に近づき、教えられたことを何の疑問も持たず受け入れ、教えられたことのみしか出来なくなっていくようにも感じる。
かくいう僕も理性を卑屈にして権威に服従することになれさせられて、挙げられた学識を無条件に信じ切っているわけだが。
そもそも、いい学校へ入学するためだとか、進路の選択肢を増やすためだとか教師は口を酸っぱくして繰り返しているが、
彼らがいう将来の幸福とやらはあまりにも不確定で漠然としたものであり、
そんなもののために人生で一番幸福な時期を犠牲にするのは本末転倒じゃないかと劣等生の僕は思う。
もしも自分が明日死ぬとして、自分は幸福な人生を生きたと胸を張って言える学生はこの学校に何人いるのだろうか。
百歳まで長生きしたとして、その無駄に長い人生のうち、子供時代より幸福だといえる瞬間はいったい何度訪れるのだろうか。
亡くなった僕の両親ははたして幸福な人生を送れたのだろうか。
彼らはいわゆる教育熱心な親というやつで、高い金を出して小中通して僕を塾に通わせ、少しでもよい成績を取らせようと頑張っていた。
僕たち姉弟をいい大学へやるため必死に働き続け、数ヶ月前に事故で亡くなった。
その日は公立高校受験の合格者発表の日で、店に注文していた合格祝いのご馳走を取りに行く道中で飲酒運転車の追突事故に巻き込まれたのだ。
皮肉にも、僕は不合格だったわけだが。



415 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:08:07 ID:wdlMI3Qk
「で、その女ってのがメンヘラちゃんでよ、あの時ばかりは俺もさすがにヤバイと感じたね」
「いわゆる地雷女ってやつ?」
「そうそう。中三の時付き合ってたんだが相当イタい女でさ、一日に何十通ももメールしてくるのは当たり前、
少しでも返信が遅れたら即効電話かけてきて『今何してるの?どこにいるの?浮気してるんでしょ!』って怖い怖い」
「一途な娘じゃんか。それだけ愛されてるってことでしょ」
「勘弁してくれよおい。あれは恋とか愛とかそういう次元じゃねえんだって」
昼休み。悪友の隆と昼食を食べながら談笑する。話題は彼が昔付き合っていた女性についてだ。
長谷川隆はいわゆるヤリチンと呼ばれる部類に入る男で、顔よし成績よし運動神経よし、おまけに実家は金持ちと、
少女漫画に出てきてもおかしくないような完璧ぶりである。もちろん性格を除いてだが。
「大体いつも長袖着てたからおかしいと思ったんだよ。いざヤる段になって脱がしてみたら、手首には刃物でつけたみたいな傷痕がびっしりってわけだ」
「うわぁ、巷で流行りのリストカッターさんか」
男の前と女の前で180度態度を変えて、僕に自分の女性遍歴を嬉々と語るこのモテ男は、わざわざいうまでもなく男子一同には好かれていない。
クラスから疎外されたり、無視されるほどでもないが、陰でとことん貶される程度には嫌われている。
僕から見てもこいつは間違いなく男子に嫌われるタイプだと断言できるし、事実、入学から二ヶ月も経てば親しく話す人間は男子には僕くらいしかいなくなっているのだ。



416 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:09:16 ID:wdlMI3Qk
「それで、結局シたの?」
「適当な理由つけて即効逃げたに決まってんだろ。勃つもんも勃たねえよ。萎える以前に縮み上がったっての」
「ははっ、さすがの隆でも不能になっちゃったんだ。でも、恋は障害があるほど燃えるんじゃない」
「いやいやマジで笑い事じゃねえんだって。あの手の女はきっと別れ話持ちかけると無理心中とかするタイプだぜ」
「じゃあどうやって別れたのさ」
「ああ、その、なんだ。アドと番号変えれば連絡手段ないわけだろ。高校も違うし、ここに入学してから一人暮らし始めたからよ」
「つまり逃げたわけ。でもホントに大丈夫なの?いつか道端でばったり会ったりして」
「ふ、不吉なこと言うなよ」
「こう、サクっと」
手を何かを握るように構え、わき腹に当てて二・三回えぐるように回してみる。
妙にリアルな仕草に目の前の最低男は恐怖を覚えたのか、腹を押さえてガタガタ震え始めた。非常に面白い。
「ま、安心しなよ。葬式で香典くらいはあげてやるからさ」
「俺死ぬの確定ですか?」
「許されざる愛の末に現世を捨て黄泉路で結ばれる道を選んだ恋人たち、二人の愛は清かった。うん、涙を誘う美談だね」
「色々とすっ飛ばしすぎだろ!いい話っぽくまとめるんじゃねえ!」
隆は本当に最低な人間だ。これ見よがしに自分がいかにモテるか自慢し、男の前では女性への誠意に欠けた発言をためらいも無く行う。
でも、僕はそんなこいつが好きだ。もちろん性的な意味などではなく、友人として。こいつは自分の欲望に正直で、自己中心的だ。
同性にしてみれば性格がいいなどとは口が裂けてもいえないだろう。
大抵の人間は他人に対して善人であろうとする。自分は優しく、公正な人間であろうとするし、主張しようとする。
しかし、こいつは自分から自分はイイヤツであると口うるさく主張しない。こいつの陰口を叩く人間のように、自分の憤りに同意を求めようとしない。
だから僕はこいつが好きだ。こいつと話すときは自分に正直でいられるから。
前までの僕だったら、正直云々以前にモテ男の隆を妬んでいただろうが、姉さんとあんなことになってしまった今ではそんなことはどうでも良くなっている。
僕はもう二度と恋愛なんて出来ない。僕に姉さん以外の女性をみることは許されていないのだ。



417 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:13:16 ID:wdlMI3Qk
隆からの合コンの誘いを断った後、文芸部と書かれたプレートの前で立ち尽くす。
ノックしても返事が無く、鍵も掛かっている。おそらく先輩はまだ来ていないのだろう。
部活に出れない旨を伝えるために待つというのも不自然だが、先輩は携帯電話を持っていないので仕方が無い。
今時の女性にしては珍しいと思うが、そういう時代錯誤なところも彼女らしいと思う。
「あ、伊藤くん」
「どうも。お疲れさまです、先輩」
髪を肩で切りそろえ、消え入りそうな声で僕の名前を呼ぶ小柄な女の子は二年の羽鳥美紀先輩。
文芸部の部長であり、部員の中でただ一人まともに活動している部員だ。
文芸部員は全部で五人いるが、うち三人は三年生であるため受験勉強に忙しくたまにしか顔を出さない。
そのうえ僕は人数合わせのため入部しただけの半帰宅部の幽霊部員なので、文芸部は実質彼女だけで切り盛りされている。
「ええと、その」
「少し待っててくださいね。今、お茶を淹れますから」
言うタイミングを逃してしまった。先輩は部室に入り鞄と電気ポットを机に置き、普段は使われていない急須と湯のみの用意を始める。
電気ポットにマジックで大きく書かれた文字を見るに、今日のためにわざわざ茶道部の備品を借りてきたらしい。
背伸びしているためかひょこひょこと棚の前を上下する小さな頭に罪悪感を覚える。
「はい、どうぞ」
「は、はい。頂きます」
うん、美味い。湯のみを傾けながら先輩の顔を窺う。普段は表情に乏しい先輩の口元が少しだけ綻んでいる。
おそらく久しぶりに他の部員が来たから嬉しいのだろう。
先輩はいつもこの殺風景な部屋の机にたった一人で座っているのだと想像すると、いたたまれなくなる。
先輩の容姿は美人というよりは可愛らしいという表現が当てはまり、下手したら小学生くらいに見えるからやるせなさも倍増だ。
ますます話を切り出せなくなってしまった。


418 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:15:03 ID:wdlMI3Qk
投げやりな気分になっていなかったとは言い切れない。頭のどこかで、どうにでもなっちまえと考えていたのは事実だ。
近頃の姉さんは機嫌が良く以前よりか無理を聞いてくれるようになっていたから、もしかしたら許してくれるんじゃないかという甘い考えがあったことも否定できない。
嫌なことを先へ先へと引き伸ばし続け、その結果、手遅れになってしまってからやっと後悔する。僕の人生はそういうことの連続だった。
自分で自分に言う『大丈夫』ほど信頼の置けないものはない。結局あのまま先輩に言い出せず、ずるずると部室に居座り続けてしまったのだ。
最悪でも五時あたりにはもう家で待ってなくてはいけなかったのだろうが、携帯電話の液晶には六時半と表示されている。
さらに新着メールが24件、着信履歴は18件、いうまでもなくすべて姉さんからである。部室で着信音も振動も切っていたのが仇となった。
こうして家へ向かって走っている最中にも着信があったが、僕に通話ボタンを押す勇気はない。
大丈夫、なんとかなるさと自分に言い聞かせながら、精一杯足を動かし、息を切らせながら玄関の扉を開いた。


419 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:17:35 ID:wdlMI3Qk
「ご、ごめん姉さん。急に委員会の用事が入っちゃってさ」
リビングに座っていた姉さんがゆっくりと立ち上がり、僕へと近づく。前髪が影になって、こちらから目元は見えない。
「な、なかなか仕事が終わんなくて、ついさっきにやっと終わったばかりなんだ」
すり足で距離を詰めてくる姉さんに、考えた弁解を無駄だとわかりつつも必死に行う。
思わず後ろに下がってしまいそうになるが、震える足に力を入れて耐える。
「は、は、早く帰らせてって委員長にたのんだんだけどさ、それがまたこわい先輩で」
「修司」
「でも急いで帰ってきたんだ。こうやって、全力で走って」
「修司」
ねえさんが、ちかづいてくる。
「ほほほほら、こんなに汗だくでしょ。だ、だから」
「修司」
がしりと痛いほどの力で肩を掴まれる。真っ赤になった姉さんの目が僕を見据える。それに耐えられない僕は、思わず顔を背けた。
「こっち向きなさいよ」
あぅっ、と、間抜けな音が口からはみ出た。姉さんは右手親指で僕の喉を押さえつつ、残った指で顎を掴み固定している。
目を逸らしても、それに合わせて姉さんの顔が移動する。もう、逃げられない。
たとえ目を瞑ったとしても、姉さんは瞼を無理矢理こじ開けるだろう。
赤々と充血した姉さんの眼は僕の心の奥底まで見透かしているようであるし、焦点の合わない視線は何物も視ていないようにも思える。
視覚ではなく、五感とは別の感官で僕の脳髄を観察しているのだ。
姉さんに嘘は通用しない。汗の味を確かめなくとも、姉さんは僕の思考を暴き立てる。
「あたしとの約束、やぶったのね」
「そ、それは、委員会の仕事があったから」
「今日は早く帰ってくるってあたしと約束したのに、帰ってこなかったわね」
「だ、だからそれは」
「はじめからまもるつもりなんて、なかったのね」
「ぐっ……ぁがっ」
姉さんの左手が僕の首に絡みついた。血管を圧迫されて自分の心音が聞こえてくる。
「うそつき」
「はなし……ねえさ」
首から上の体温が上昇し、音だけではなく頭全体で血液の脈動を感じる。
「うそつき」
「おね……やめ」
鼻の奥に圧迫感。それは目玉の裏へ続いている。いずれ眼球を押し出すかもしれない。
「うそつき」
「ぁっ……」
きりきりと骨の軋む音。顔全体がむくみ始める。こめかみのあたりには血管が浮き出ているだろう。
「うそついちゃ、いけないのよ」
「ぁ……ぁああああっ!」
意識が遠のく直前、体が勝手に動いた。


420 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:18:27 ID:wdlMI3Qk
自分の吐瀉物から顔を上げ、尻餅をついたまま固まっている姉さんを見やる。
顔のむくみは収まったが、圧迫から開放された血液が一気に首下へ移ったせいなのか軽い立ち眩みを覚えた。
胃液が逆流したため喉が焼け付いている。唾液を飲み込んでそれをごまかし、僕を殺そうとした人間をにらみつけた。
「あんた、あたしに手を上げたわね」
「ねえさん、が、ぼくを、ころそうと、した、から」
どうして僕がこんな目にあわなきゃいけない。どうして僕が殺されなきゃいけない。恐怖が反転して憎悪へと変わる。
「あたしに逆らったわ」
「ぼくに、だって」
自分をまもる権利くらい、ある。そう言おうとした瞬間、姉さんの目が変わった。
「修司」
無機質だった硝子玉に暗い光が宿り、潤んだ瞳はコールタールのように波打つ。
むき出しにされた犬歯がぎりぎりと音を立てて軋み、胆汁質な、姉さん本来の気性が表に出始める。
その表情に宿した感情は怒りでも、悲しみでもなく、僕に対する憤り。犯罪者、極悪人、加害者に向けられる、正当な憎悪。
見下ろしているのは僕であるはずなのに、見下し、蔑むような視線は姉さんのもの。
下賤な奴隷に裁きを下す王であり、無慈悲に罰を与える権利を持つ絶対者の瞳。
「あんた、あたしに逆らっていいとおもってるの」
「ひっ……」
また、姉さんが近づいてくる。恐怖が僕の傍へと這いながら近寄ってくる。黒い獣が僕の足元で大口を開けて今か今かと待ちわびている。
「あんたに、逆らう権利があるとおもってるの」
奴隷は王に逆らってはいけない。罪人は法に逆らってはいけない。義務とは権利である。権利とは義務である。
それを拒絶したと同時に、それによって保護されるものを捨てねばならないのだ。叛逆とは、庇護を放棄することと同義である。
王に逆らった奴隷は何の権利も所有出来ず、法に逆らった罪人は贖罪の術を失う。
既に過失を犯してしまった僕には姉さんという王に対して反抗する権利は与えられていない。僕には姉さんという法に対して償う機会は与えられていない。
「あんたはだれのおかげでこうやって生活できるとおもってるの」
「ご、ごめん」
この家の家事はぜんぶ姉さんが行い、管理している。
「あんたはだれのおかげで学費の高い私立に通えるとおもってるの」
「ごめん、なさい」
この家の収入はぜんぶ姉さんが働いて、稼いでいる。
「ちゃんと答えなさい」
「ぜんぶ、姉さんの、おかげです」



421 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:20:02 ID:wdlMI3Qk
姉さんがいるから、僕はこうやって生きていけるんです。
「そう。あたしはあんたを養うために、大学をやめて、遊びも、恋愛もしないで、朝から晩まで必死になって働いてるのよ」
「はい。そのとおり、です」
姉さんはひとつひとつの言葉を咀嚼しながら、一歩、また一歩と僕の目の前へ歩み寄る。
「あたしはあんたのために、自分のしあわせをみんな犠牲にしてるのよ」
「ありがとう、ございます」
吐息がかかるほどの距離にいる姉さんが僕の肩に指を這わせた。
小さく開いた胸元から覗く鎖骨と、薄く薔薇色に染まったきめ細やかな肌が言いようの無い艶やかさを思わせる。
長い睫毛と、小さく整った顎骨。瑞々しく薄紅に色づいた唇が妖艶に歪んだ。
「それで、そんな可哀相な姉さんにあんたは何をしたのかしら」
「ぼ、ぼくは、姉さんを……ました」
「よく聞こえなかったわ。もう一度、はっきりと、あたしの目を見ながら言いなさい」
涙で視界が歪むが、姉さんの指が瞼をなぞり、フィルターを拭い取られた。否が応にも姉さんの瞳を見せ付けられる。
「僕は、姉さんを、犯して、しまいました」
「そう。あんたはあたしの純潔を奪ったのよ。無理矢理ね」
くすくすとわらう姉さん。肩に置いてあった掌を持ち上げ、僕の顎を包む。
「あんたのおかげで、あたしの人生はお先真っ暗。夢を追うことも出来ないし、恋だって出来なくなってしまったのよ」
「はい。ぜんぶ、僕が悪いんです」
僕がいるから、姉さんは幸せになれない。
「あんたがあたしを犯したせいで、あたしはもう、人に愛される資格を失なってしまったの。
出来るかもしれなかった恋人に、初体験は弟のレイプですって答えなきゃいけないのよ」
「ごめん、なさい。姉さん」
僕が姉さんを汚したから、姉さんは愛されない。
「あたしは一生、実の弟に純潔を奪われたかわいそうな女として生きていかなきゃならないのよ。あんたはどう落とし前をつけるつもりなのかしら」
「償わせて、下さい」
この苦痛から逃れさせてください。
「あんたが何をしようが、あたしの処女は帰ってこないし、あんたが追わせた心の傷は治らないのよ」
「なんでも、します」
「なら」
そっと唇に触れる柔らかいもの。その感覚に一瞬遅れて姉さんの舌が僕の唇を割り、口腔を魂ごと蹂躙する。
不快な粘着質の音が耳にしばらく響いた後、陵辱者は糸を引きながら後退し、僕の姿をその濁った瞳に映した。
「あたしを愛しなさい」


422 せきにん sage 2007/09/01(土) 15:22:26 ID:wdlMI3Qk
彼女の告白はあまりにも暴力的で支配力に満ち、理性に残った最後の抗いでさえ、一瞬にして萎えさせた。僕の返答は考えるまでもなく決まりきっている。
奴隷であり罪人である加害者が、王であり法務官である被害者に可能な唯一の報復。許しを懇願する、卑屈な奴隷の質問。
「愛すれば、許していただけるんですね」
「ええ。あんたが死ぬまで、あたしを愛し続ければ」
許されることが、開放されることがありえないとわかっていても、僕は姉さんに従い唇を重ねる。僕にはこうする道しか残っていないからだ。
せめて体を重ねている間は、一時にせよこの苦痛と屈辱を忘れられるよう、甘い淫夢に身をまかせよう。




僕はたしかに厭世主義者だが、死後の世界なんて信じちゃいない。金と一緒で、罪や幸福はあの世へは持っていけないからだ。
死後の世界なんていう、あまりにも不確定すぎて噴飯ものの将来の幸福とやらのために、現世の幸福を犠牲にするほど年老いちゃいないし、
永遠の命に憧れるほど無感動な人間でもない。
結局のところ僕は他の大多数の人たちと同じで、どっちつかずのまま日々を空しく過ごしていくしかない。
ただ一つ、他の人たちと異なる点は、首輪に繋がれた鎖が平均より少々太いという点だけなのだ。
太い鎖は重くて、駆けずり回るのに少しばかり骨が折れるものだが、なんとか耐えていけるだろう。
僕の飼い主が昔のように寛大になり、僕の鎖を軽くしてくれるという、忌まわしくも甘美な淫夢に浸ることで。

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最終更新:2007年10月21日 01:00
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